依田芳乃と天罰の話。   作:姪谷凌作

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後編

「あっ……!目、覚めましたかっ!?」

 

頭が重い。瞼をゆっくりと開いたが、あまりの眩しさと気怠さに負け、うつ伏せで寝直………

 

「ああっ、また寝ちゃった! もう二日も寝てますよっ!?」

 

大丈夫ですか!?と肩を揺さぶられ、芳乃はしぶしぶ夢を手放す。

 

見えたのはこちらを心配そうに覗き込む短髪の少女。ベッドも部屋も、すべてが見知らぬものだった。

 

「ここはー?」

「やっぱり覚えてませんでしたかっ、えっと、シェルターって言ってわかりますかっ?」

 

――――ああ。

 

記憶が元に戻り始める。深い、ため息が出た。

 

「あわわっ、なんかっ、ごめんなさい!」

「いえ、そなたのせいではありませぬよー」

 

ベッドから起き上がり、部屋を見回す。飾りっ気一つない無機質な部屋だった。

 

「食べ物とかは床下にあって、それが無くなるまで二人でここに住むことになってるみたいですっ」

「そうですかー。ところでお名前を伺ってもよろしいのでしてー?」

「あっ、自己紹介がまだでしたねっ。乙倉悠貴、13歳です、陸上をやっていましたっ。よろしくお願いしますっ!」

 

悠貴は立ち上がって深くお辞儀する。はきはきとした快活な挨拶だ。

 

「わたくし依田は芳乃、齢は16なのでしてー。平時はあいどるをさせていただいておりましたー」

「アイドルですかっ!? 実は私も、ジュニアモデルのお仕事とかをさせてもらっててっ」

 

悠貴は、アイドルに憧れてたんですよっ、とはしゃぐ。その屈託のない笑顔は今の芳乃には少しだけ眩しかった。言い換えれば、目を逸らす理由には丁度良かったのかもしれない。

 

「悠貴さんはー、何か苦手な物や事はありますかー? しばしの間寝食を共にする間柄になるわけでしてー、聞いておきたいのですがー」

 

悠貴は少し考えこみ、床下の物資を確認して、安心したような笑顔で頷く。

 

「えーと、特にはないですよっ、生野菜は箱には入ってないみたいですしっ」

「ほほー。悠貴さんはお野菜が苦手でしたかー。では、やりたい事などはー?」

 

こっちは考えることもなくすぐ返ってくる。モデルらしい答えだった。

 

「軽い運動ですねっ、長く居るなら筋肉が衰えちゃいそうですし、芳乃さんも一緒にどうですか?」

「では、ご一緒させてもらいましょうー」

「よろしくおねがいしますっ。芳乃さんは何かありますかっ?」

「わたくしはー……少し、部屋の模様替えをしてもー?」

 

この部屋は出来るだけ小さなスペースと少ない資材で構成されているようだが、些か気の巡りが悪い。このシェルターの中も安全とは言い切れない以上、敏感になっておくべきだろう。

――本当の理由は、どちらかの気が薄れてきた時、即ち病に罹った時。それがわかるようにだ。

かと言ってそれをそのまま話すわけにもいかないので、気の巡りについてだけ軽く説明しておいた。風水のようなものだと解してくれたようで、快諾してくれた。

 

「それでは改めてー、よろしくお願いしますー」

「はいっ!よろしくお願いしますっ!」

 

翳りのない時間が、明朗な彼女に引っ張られるようにしてゆっくりと流れ始めたように感じられた。

 

 

 

_______________

 

 

それから、四年近くが経った。

 

嘘のように何も起こらない日を繰り返していた。減っていく物資と、とうの昔に最後の一ページになってしまった日記帳にぎゅうぎゅう詰めで増える正の字だけが、時の流れを示していた。

 

「そろそろ、潮時かもしれませぬなー」

 

外に出ようと先に言ったのは芳乃だった。外の話をしたのは、もういつぶりだかわからなくなっていた。

 

「食べ物も、もう残り少ないですもんねっ。いつにしますかっ?」

 

ストレッチをしながら、悠貴がそう返す。四年前よりまた少し伸びた身長は、悠貴の表情をより落ちついたものにしていた。

それでも彼女に幼い印象を持つのは、彼女の素直な明るさ故だろう。

 

「糧ももって二週間というところですので、明後日くらいでどうでしょうかー」

「はい!わかりました!」

 

明日と言わなかったのは、決心させる時間を悠貴の為に用意しよう、という自分に対する言い訳だった。悠貴も特に何も言わなかった。

 

もう千日以上も過ごしてきたのに、明後日はやけに遠かった。

 

 

 

「準備も整いました故、参りましょうかー」

「はいっ、‥‥少し、緊張しますねっ」

 

外とシェルターを隔てる扉のレバーに手をかけ、悠貴がぐっと息をのむ。芳乃も一緒に手を伸ばそうとしたが、全くと言っていいほど変わらない身長では触れるのが精いっぱいだった。

 

シェルターの扉は、思ったよりもあっけなく開いたようだ。外は晴れとも曇りともつかない天気、温い風が吹きつける。久々に触れる現実は少し不快だった。

 

生い茂る雑草と、等間隔で続くシェルターの出口。ただそこに立っているだけでぴたりとも動かないそれはさながら墓標のようだ。

 

「まずは町の方に向かいましょうか」

 

悠貴が遠くに見えるビル群を指さす。二人は重いリュックをからいなおして、歩き始めた。

 

 

しばらくして、街の様子がよく見えるようになってくる。

 

景色は全くと言っていいほど変わっていなかった。

 

四年前のあの日から、人間と騒乱を引き算したものがそこに並んでいた。記憶がちくちくとつつかれる感覚。

 

ここを出た時までは頭の片隅にもなかったはずの考えが、急激に膨らみ芳乃の脳内を占めていく。

 

それに抗うなどという選択肢ははなから存在しなかった。足はそちらの方向を向き、少しずつ早まっていく。

 

「芳乃さん!? どこかあてがあるんですか?」

 

「ねえ芳乃さんってば!」

 

何度も呼び止められたが、振り払うようにして駆け出した。ずっと最低限の運動しかしていなかったせいかすぐに息が上がった。それでも走った。

 

余り遠くはなかったのは僥倖か。足が動くうちに建物が見えてきた。

 

記憶の中では真白のはずの、あの病院。確かに時間は流れていた。

 

恐怖も疲れも忘れ、"あの場所"へと向かう。

 

そこにあったのは、虚無だった。

 

片づけられてしまったのか、それとも時がそうしてしまったのか。そこには跡形も、気配すらも残っていなかった。

 

深い脱力感と、自分の愚かしさを噛み締める。それでも足は動いていた。

 

ゆらり、ゆらりと階段を上る。病室の場所は昨日のことのように思い出せた。

 

もちろん誰かが居るわけでも、何かが残っているわけでもなかった。調度品などは回収されてしまったのか、随分と寂しくなっていた。

 

消毒の臭いも香の匂いも抜けきったあの病室に足を踏み入れ、閉められていた窓を開ける。掛金を外す時、何を想っていたのだろうかと考えながら。

 

答えは見つからなかった。熱に浮かされたようにぼんやりとした思考のまま下を向く。

 

温い風だけが、ゆっくりと流れていた。

 

私は、笑うことも出来ず。

 

落ちて、ゆ――――けなかった。

 

「危ないですよっ!」

 

後ろから抱きとめられた。

 

「…………すみませぬー。わたくしとしたことが、悪しき気に捉われてしまいましてー」

 

とっさにそうごまかしたが、悠貴が離してくれる気配はない。

 

「―――悠貴さんー?」

 

沈黙に耐えかねた芳乃が口を開く。返事は無い。抱擁が一層強いものになっただけだ。芳乃は、誤魔化すことは不可能であることを悟った。

 

息を吐き出し、しばし瞼を閉じる。外に出てしまった今では、四年前のことが昨日のことのように思い出せる。

 

「わたくしは――――」

 

芳乃はゆっくりと、語り始めた‥‥‥‥‥‥

 

 

 

 

 

芳乃が言を止めて、悠貴がその腕を緩める頃には、窓から差し込む光は橙を帯び始めていた。

 

悠貴はずっと俯いたままだった。芳乃と目を合わせないまま、じっと袖を掴んでいる。

 

「もう夕暮れが近づいて参りましたし、ここで夜を明かすことにしましょうかー?」

「少し一階の方を見てみませんか」

 

一階の方をという言葉がちくりと刺さったが、気付かないふりをした。二人は駆け上がった階段をゆっくりと下りて、病院中を見て回った。院内の物は全てどこかへ持っていかれていて、収穫は全くと言っていいほどなかった。

否、一つだけあった。

 

ここからほど近い大学に、生き残った人たちが物資を集めているという旨の張り紙が残されていた。

 

今日の収穫はともかく、今後の行動指針が見つかったということは有難い。

日は落ち、温かった風は鋭くなりつつあったが、決して絶望に染まっては居なかった。きっと何とかなるだろう、まだそう思っていられた。

 

もう一度一人であの病室に行く勇気は、今の芳乃には無い。悪い気に囚われた、と咄嗟に悠貴に言い訳したものの、それはあながち外れていなかったのではないかと思った。

 

「芳乃さん…?」

 

寝袋を準備し終わった頃に、普段の悠貴とは比べ物にならないようなか細い声で話しかけられる。

 

「何でしてー?」

 

悠貴はしばらく間をおいて、意を決したように切り出す。

 

「ごめんなさいっ!」

「……ほー?」

 

芳乃は気を読むことでその真意を図ろうと考えたが、理由と思しき感情は無かった。

否。自己嫌悪に覆い隠されていて、全くと言っていいほど見えなかった。

 

「独りになるのが、怖かったんです。私のわがままで止めてしまって、ごめんなさい」

 

震える手を握りしめながら、悠貴はか細い声でそう言う。

我儘で止めてしまった、その言葉を理解すると同時に後悔がこみあげてくる。

 

「‥‥‥いえー、わたくしも引き止めていただき感謝しておりますー。少々取り乱してしまったのでしてー。もう二度とあのような真似は致しませぬのでー」

「――そうですか。わかりました」

 

悠貴と芳乃の間には、深い溝があった。それをまざまざと見せつけられたようで、芳乃は怯んでしまった。

溝の両淵で手を振りあって、仲良くなったと錯覚していたにすぎなかったのだ。

しばらく立ち尽くす間に、悠貴は寝袋の準備を始めてしまった。

 

「それでは。おやすみなさい」

 

悠貴のものであることを疑いたくなるほど抑揚のない声で、芳乃は我に返るのだった…。

 

 

 

 

______________________

 

 

 

時間は再び止まっていた。

 

あの時緩やかに流れ始めたと思った時間は、ただ立ち止まっていただけだったのだ。

 

何も乗り越えていないし、何も成長しなかった。最初から知っていたはずなのに忘れてしまったふりをしていた。

 

芳乃は寝袋に包まったまま、薄汚れた窓の外を眺め続ける。四年越しに眺める月夜は貼り付けられたように止まったままで、いつまでたっても芳乃を眠りに誘ってはくれなかった。

 

明日の予定を立てる、それすらも懐かしい。それなのに何故か気乗りはしなかった。自分はとっくに燃え尽きていたのかもしれない。そう思った。

 

昨日までの悠貴はもう居ないのだろうか。いや、昨日までもずっとああだったのか。芳乃は自分の中の悠貴のイメージが、ぼやけてしまっていることに気付いた。

 

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥?

 

不意に、布の擦れる音がした。

 

振り向こうかと思ったが、咄嗟にそれを制する自分がいた。

 

暫くじっと息を殺して寝たふりをしていると、悠貴は靴を履きどこかに行ってしまった。

 

荷物は残っていた。

 

久しぶりの外なのだ。走りにでも行ったのだろうか。昨日までの芳乃なら間違いなくそう考え、特に気にすることなく眠りについていただろう。

 

けれど、妙な胸騒ぎは収まらない。放っておいていいのかという疑問をずっと反芻している。時間がたてばたつほど疑問は焦りを伴い、歪み始める。

 

芳乃はそっと起き上がり、鞄に手を伸ばした。中から一つ石ころを取り出す。

 

ひんやりとしたそれは、もう昔の感覚を思い出させてはくれなかった。返ってくるのは苦い思い出だけだ。

 

それでも、芳乃には十分すぎた。

 

繰り返してはいけない。

 

気を手繰り、芳乃は歩み始めた‥‥‥が、探すまでもなかったようだ。

 

病院の奥の方にある部屋から、必死に声を殺し、すすり泣く声が聞こえてきていた。

 

祈るように石ころをもう一度強く握りしめ、大きく息を吸い込んでから、芳乃は部屋に入った。

これが依田芳乃の、信じてきた道なのだから。

 

「昼間はまことに、心配をおかけしましたー」

 

悠貴は壁に背を預け座り込んでいた。芳乃の声に驚き、涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げる。

 

「わたくしはもう大丈夫ゆえー。悠貴さんのもとから居なくならないとお約束いたしましょー」

 

そう言って隣に座る。石ころよりもずっと冷たい感触が、背に伝わってきた。

暫しの沈黙。それでも、芳乃は待つ。

 

「絶対……ですか」

 

いじけたような鼻声で、悠貴は芳乃にそう問う。

 

「ええー。必ずやー」

「絶対に絶対ですか」

 

今度は間髪入れずに、悠貴は駄々をこねる子供のように繰り返した。

 

「約束しましょうー。わたくしを過去から解き放ったのは、他でもない悠貴さんなのですからー」

 

嘘ではなかった。悠貴と過ごした四年がなければ、芳乃は目を背けることが出来なかったし、悠貴が止めてくれなければ、向き合う時間もないまま芳乃は命を絶っていただろう。

 

「今度はわたくしが、悠貴さんをお護りする番でしてー」

 

芳乃が差し出した手に、悠貴がゆっくりと触れる。冷えた指先が、じんわりと溶かされるようだった。

 

「じゃあ、もう少しここに居てもいいですか」

「ええー。構いませぬよー」

 

悠貴は芳乃と手をつないだまま、もう一方の手で足をぎゅっと抱え込む。

 

「4年前、終末期の患者を看病していた人が殺めてしまった、そんなニュースを覚えていますか?」

 

話し始めるとほぼ同時に月を雲が覆ったのか、悠貴の表情は見えなくなってしまった。

 

「ええー。覚えていますともー。とても痛ましい事件でしたー」

「あれは私の両親だったんです。耳も目も全て駄目になって、おかしくなってしまったパパを、看病していたママが、殺してしまったんです」

 

最後の言葉は掠れて消えそうだった。芳乃は悠貴の手に力が入るのを感じた。

 

「その後すぐ、ママも後を追ってしまいました。だから私は一人でシェルターに入ることになったんです」

 

悠貴は俯いたまま独白を続ける。風の音も虫の鳴き声も、もう耳に入らなかった。

 

「私も一緒になんて、何度も考えました。私の周りにはもう誰もいなかったんです。友達もみんな自分の事で精一杯で、不運だ、可哀想に。それで終わりだったんです」

 

声に含まれる感情は、怒りではなかった。僻みでもなかった。

 

「けど、私には死ぬ勇気もなかった。それだけでシェルターに入れられたんです。生きたくなんてなかったのに」

 

純粋な、恐怖。時が進んでしまうことに対する恐怖が悠貴を占めていたのだ。

 

「そこで、気を失っている芳乃さんを抱えた女性に会って、言われたんです。この子は君と同じ道を歩んでしまった、きっと君を見放したりしない子だから、どうか目覚めるまで一緒にいてやってくれ、って」

 

誰だったのだろうか。少しだけ気になったが、今は悠貴の話を止めてはいけないような気がした。

 

「私は目的が出来たことを喜びました。そして外の事は全て忘れようとしました。芳乃さんが目を覚まして、病気なんて無かったころみたいに明るく振舞って、とても、幸せでした」

 

悠貴は芳乃の手をいとおしむように撫でる。

 

「そうして、気付いたら今日になっていました。外に出てもきっとどうにかなるなんて思っていたけど、実際の私はずっと眠っていて、何も変わらないままだったんです」

 

本当に自分と同じ道を歩んでいたんだ、芳乃は心底そう思った。今思えば茄子を助けようと必死になったのも、不安だったからなのかもしれない。

 

同じ苦しみを味わわせてはいけない。そのためにも絶対に護ってあげなければいけない。今でははっきりとそう思えた。それが今の芳乃なりの答えだった。

 

「‥‥‥それはわたくしも同じでしてー。悠貴さんの明るさを言い訳に、ずっと目を逸らし続けていたのでしてー」

 

あの場所ではああ振舞うべきだ。そんな言い訳を繰り返していた。これがその結果ならば、私が代償を支払うべきだろう。

 

「辛い事と向き合うことは、間違い様もなく心を乱すものでありますー。わたくしはあの場所で、悠貴さんに甘えさせていただきましたー。なのでわたくしもー、悠貴さんに恩返しがしたくー。共に歩んでいきませぬかー?」

 

雲の切れ目から差し込んだ月光に照らされた二人の顔は、穏やかな秋夜を湛えていた。

 

 

 

 

 

 

翌朝。支度を済ませた二人は早速例の紙に記された大学へ向かっていた。芳乃は行ったことのある場所ではないが、悠貴が道を覚えていたので迷うことはなさそうだ。

 

「なんだか、冒険家になったみたいですねっ」

 

悠貴は明るくそう言った。昨日の弱気は嘘のように消え去っていた。

 

「わたくしは遠足を思い出しましたなー。折角ですので手をつなぐというのはいかがでしょうー?」

 

陽光は暖かいが、誰も居ないビルの間を吹き抜ける風は少し冷たい。手をつなぐことを提案するにはぴったりだった。

 

 

 

 

それから特に困ることもなく、太陽が天辺を超えるころには大学にたどり着いていた。

 

「ここで合ってますよねっ、その割には静かというか、人が居ないというか……」

 

構内をぐるりと回っても人は見つからなかった。代わりに、全ての鍵が開いていることがわかった。

 

「むー、中に勝手に入ってしまうのも驚かせてしまいそうですが、この際仕方ありませぬー。一つ一つ見回っていきましょー」

 

それからくまなく探してみたが、やはり人に会うことは無かった。

ただ、確かにここは拠点として使われていたようで、沢山の家具や機械が集められていた。食料や農具もいくらかだけ残されていた。

 

「困りましたなー。どこかに出払ってしまったのでしょうかー」

「どうしたんでしょうか…? 浄水装置はまだ動いてるのに…」

 

手近な椅子の埃を払い腰かける。クッションは老朽を訴えるようにぎしりと鳴った。

 

「もしかすると、他の場所と統合してしまったのかもしれませぬー。詳しく探してみましょうかー」

「そうですねっ。私も何か見つけたらこの部屋に持ってくるので、一旦手分けして探しましょうっ」

「はいー。それでは悠貴さんはこの階をー。わたくしは一つ上の階を調べて来るのでしてー」

 

芳乃は悠貴と離れ上の階へ。一階よりも長い間使われなかったのか、空気が淀んでいた。芳乃は手ぬぐいをマスク代わりにし、懐中電灯片手に探索を始めた。

 

二階は全体的に物が少なかった。最初は寝室かと思ったが、病室と呼んだ方が正しいだろう。別室に置かれていた薬箱や縄で、誰のための病室なのかがわかってしまった。

 

そして、一番奥の部屋はどうやら研究室のようだ。病室の隣であることからも、やはり病気についての対策を研究していたようだ。大学に拠点を設けたのもこの為なのかもしれない。ここだけはひどく散らかっていて、芳乃には使い道の分からない機械が部屋の半分以上を占めていた。

 

その中央にある机には、これまた理解の出来ない数式や文章が殴り書きされた紙束が風化しかけていた。

中でも一際目立った紙を手に取る。どうやらこの研究内容の目次になっているようだ。内容は研究者に外国人が混じっていたのか、一部英文になっておりほとんど読めなかった。

ただ、目次を読むだけでも、この研究が対策、治療に至らなかったことだけはわかった。

 

ここ以外の施設があるのなら、そこも見に行くべきだろうか――

 

そう思いながら、棚や機械の中を漁っていく。少量の薬品や錠剤が見つかったが、やはり使い道は分からない。市販薬のように説明書があるわけでもなく、名前もカタカナの羅列だ。かと言って悠貴に聞いてもわからないだろう。彼女もシェルターに入る前は13歳だったのだ。

 

頭が痛くなるような理解不能の連続も残り少しになり、やっと解放されると思った矢先に、芳乃は突如すんなりと頭に入ってくる文字列を発見した。

 

『血を垂らして変化した色でカラダの成長具合が分かっちゃうペーパー』と書かれた袋の中には、数枚の紙切れが入っていた。

 

体の成長具合を測る必要が何故あったのか、今度はそれだけを探しに研究結果を流し読みする。

 

どうやら、この研究の成果はゼロではなかったらしい。百枚を超える紙の束は、病気の発生条件だけは突き止めていたらしい。

 

『身体の成長が終わること』がこの病気の発生条件である。それだけは明らかになっているようだ。そしてそれは二十歳ごろに起こる。即ち、今の芳乃くらいの年齢だ。

 

躊躇いは無かった。芳乃はそれを知るや否や十徳ナイフを取り出し、その指先に傷をつける。白い指先にぷっくりと膨れ上がる朱をその紙に塗り付けた。

 

――――紙にじわりと広がる色は、成長終了を示す色に、限りなく近かった。

 

残された時間は少ない。その事実を受け止めるのに時間は要らなかった。

 

自分は運よく病気にかからない、なんてことは考えづらい。茄子でさえ逃れられなかったのだ。何よりそんな不確定要素に任せらていられない。

 

昨日の悠貴の表情がフラッシュバックする。昨日、約束したばかりなのに。

 

芳乃がまず考えたのは、自分の死のことではなく、悠貴の事。

死にたくない、ではなく、死ねない、だ。

 

仮に病気にかかったとして何としても悟られてはならないし、数年後、悠貴に同じ道を歩ませることもさせてはならない。二度も彼女が光を奪われるなどということが、あっていいはずがなかった。

 

とにかく他の拠点が無いかどうかも調べねばなるまい。規模からして、きっとどこか他の場所にもあるはずだ。

 

念のため残りの試験紙を鞄の奥底に突っ込み、芳乃は悠貴のもとへと戻った。

 

覚悟はとっくに、決まっていたはずだった。

 

 

 

 

 

「あっ、芳乃さん、お疲れ様ですっ。こっちもそろそろ終わりますよっ」

 

物置から段ボール箱を引っ張り出しながら、悠貴はそう労う。やはり二階より物が多かったようで、まだすべてを確認しきってはいないようだった。

 

「二階に収穫はなかったのでしてー。それではわたくしはこちらを調べましょうかー?」

「はいっ! そうしてくれるとうれしいですっ」

 

悠貴から受け取った段ボール箱から、使えそうなものを抜き出して机に並べてゆく。その中から一つ気になる物を見つけた。

 

「ほほー? これは‥‥‥」

「どうしたんですか?」

 

芳乃が見つけたのは、未だカチコチと音を立て動き続ける銀色の懐中時計。芳乃はこれに見覚えがあった。

 

「これは確かー、わたくしがアイドルであった時にー」

 

記憶にあるそれより幾分も錆びてしまっているが、祝い事でアイドル全員に配られた懐中時計のはずだ。確かこれには裏面には名前が彫って―――

 

芳乃は何気なく裏返し、そこに並ぶ文字列に目を疑った。

 

『Takafuji Kako』 そう彫られていたのだ。

 

「それって……」

 

茄子の名前は、あの時に悠貴にも話していた。

 

「ええー。これは間違いなく茄子殿の形見であると思いますー。わたくしが持っていてもよろしいでしょうかー?」

「は、はいっ! それはもちろんですよっ!? にしても、そんな偶然なんて起こる物なんですねっ」

「はいー。茄子殿はいつも奇跡を起こす方でありましたからー」

 

最後の段ボールを引っ張り出し終えた悠貴も、隣で選別作業に入ろうとする。

けれども、その手はすぐに止まってしまった。

 

「悠貴さんー? どうかなされましたかー?」

 

悠貴は一枚の紙を持ったまま、固まっていた。

 

もしや、と思い咄嗟に覗き込む。が、芳乃の思っていた内容とは、少し違うものだった。

 

 

 

『これは遺書だ。

 

ペンのインクも少ないので、簡潔に書く。

 

私はここを管理していた者だ。また、最後まで病に罹らずに生き延びた者でもある。

 

この箱に入っているのは、ここに居た人間全員の遺書だ。

 

私は彼らを看病し、研究員の手伝いをし、そして全員を看取った。

 

私には無線や、簡単な機械の修理が出来た。

 

それを使って、何度も各地と連絡を取った。

 

が、先日。終に全ての拠点と連絡はつながらなくなり、ここで暮らす人間も私以外は居なくなった。

 

まだシェルターに居る人間がもし生き延びていて、これを読んでいるのなら、最後に拠点の位置を示しておくので、そこを巡ってもいいかもしれない。電気スクーターは鍵をさしたままにしているので、好きに使ってくれ。

 

私が知る世界はここで終わってしまった。私ももう、終わることにするよ。』

 

 

 

 

最後に書かれた日付は、半年も昔の話だった。

 

「これって…」

 

悠貴はそれ以上何も言わなかった。俯いてその遺書をぐっと握りしめる。

 

終わるかもしれない、なんて考えは甘すぎたのだ。

 

とうに手遅れだった。シェルターで過ごしている間に、終わってしまっていたのだ。

 

「もう、遅かったんですね‥‥」

 

悠貴は力ない声で呟いた。芳乃にも何も否定はできなかった。

 

進まなくても、進んでも、終わり。芳乃たちは終わりの真っただ中で、まだ道は続いていると錯覚していただけだったのだ。

 

ならば芳乃の答えは、もう一つしかなかった。

 

一度突き進んだ道が崖につながっていたとしても、戻ることは許されない。それならば、目を瞑って飛び込むのが一番の幸せだろう。

 

「悠貴さんー。大事なお話がありますー」

「は、はいっ。何ですかっ?」

 

芳乃はまた、あの時のように嘘をつく。

 

たった一瞬、信じてもらうだけでよかった。

 

それが幸せなのだと信じてやまなかった。それ以外に、幸せを知らなかったのかもしれない。

 

「わたくしはー流れるものを操りしー、わだつみの導き手でしてー。僅かではありますがー、時の流れに干渉することも出来ましてー。悠貴さんをずっと昔へー、戻して差し上げましょうー。そこで世界を救っていただきたくー」

 

目を丸くする悠貴。気を手繰ることが出来ることを知っていたとしても、にわかには信じがたい話だろう。

けれど、返ってきた答えはそうではなかった。

 

「そんなことが出来るんですねっ、流石ですっ。元に戻ったら芳乃さんに会いに行ってお礼を言いますねっ。そしてもう一度、友達になりませんかっ?」

 

微笑みすら浮かべながらそう答える。本当にそう思っているのか、気を読むことはおこがましかった。

 

「ええー。必ずやまた逢いましょうー。では、こちらにー。目を瞑ってくださいませー」

 

膝に乗った悠貴の頭をゆっくりと撫でながら、気を練る。胸がズキズキと痛んでいた。

 

零れそうになる涙を悠貴の頬に落とすまいと必死に隠しながら、力を行使する。

 

ゆっくりと、ゆっくりと。その流れは緩やかに。停まっているかのように。

 

芳乃は、子守唄を歌った。辛い事から解き放たれて、安らかに。そんな手向けの唄だった。

 

一時間も経たないうちに、悠貴は眠ってしまった。

 

二度と意識を取り戻すことは無いだろう。これは、そういう呪いだ。

 

このまま長い長い、幸せな走馬燈を繰り返し、そのまま溶けて消えゆく――――

 

 

 

 

 

数日後、芳乃は目が見えなくなった。

 

停まった悠貴の隣で、ずっと息をし続ける。

 

芳乃は死ねなかった。それが私の、天罰なのだから。

 

芳乃の心臓が止まるまで、止まっても、悠貴を一人にしてはいけなかった。

 

ある日、味がわからなくなった。奇しくも茄子と同じ順番だった。

 

懐中時計の音を聴きながら、生きていることだけを確認する。

 

眠っているのか起きているのかすらわからなかった。それでも生きていた。

 

生きているのだと、信じなければならなかった。

 

匂いがわからなくなった。まだ生きていた。

 

眠っているのか起きているのかすらわからなかった。それでも生きていた。

 

生きているのだと、騙さなければならなかった。

 

温度もわからなくなった。死んではいなかった。

 

死んではいないのだと、信じていたかった。

 

苦しくは、なかった―――――――――

 

 

 

 

 

 




「んぅ‥‥?」


「うごくのに…うごかないひと…と、みえないのに…みえたひと。ひさしぶりぃ…?」


「ふわぁ‥‥きれいな…おうた」


「もらって、かえろ‥‥」

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