「おはようございます」
午後の授業を、風姫様に貰ったぺろぺろキャンディーと梅干で何とか凌いで、放課後の業務の時間。桜の楽園に住んでいる乙女たちのために身を捧げる、尊い仕事。
「御機嫌よう、咲音。今日はいつもより遅いようだけど……何かあったのかしら?」
「あ、いえ…。最後の授業が体育だったもので、いろいろと手間取ってしまいまして…」
「別に怒っているわけじゃないわよ?あ、それとさっき、風姫と月姫からお昼休みの話を聞いたわ」
「え?」
「あの宮乃さんと言い合いをしたそうね。ちょっとだけ同情してあげる」
「いえ、そんな、もったいないお言葉です」
流石は秘密結社花園会。情報伝達が早い事…。でも、あの場に月姫様いたっけ?
「……………」
「ひっ!?」
突然耳元に低い声が響き、慌てて振り向く。そこには月姫様が、いつの間にかいらっしゃいました。
「……よう……様……」
「ご、ごきげんようでございます、月姫様…」
花園会での日々もある程度までは慣れた。慣れたけど、いまだに月姫様との挨拶は、毎回こんな感じ。さっきも御機嫌よう。といったのだろうが全く聞き取れやしない。大変失礼だと思うし、彼女も少し気に病んでいるのが察せられて、どうも胸が痛い。
「さっくん、おいっす」
「お、おいっす?でございます。風姫様」
まるで男の子の様な挨拶をして一礼。花、風、月の姫様がそろっておられるという事は、もう既に―――
「鳥姫様も既にお見えなのでしょうか?」
もう来ているのかと思っていたけど、応接室を見渡すが鳥姫様のお姿は見られない。
「鳥姫はフェンシング部の日です。四天王たるもの、健やかな心身を保っていなければなりませんからね。日々の修練はとても大事です」
応接室のソファに腰を掛けていた花姫様が立ち上がり、説明をして下さる。ああ、そういえば尋も……もとい査問会の時にフェンシングを嗜んでおられるとか言っていた気がする。
「だからね、今日は鳥ちゃんがいない分、さっくんはお月さんと僕の仕事を手伝ってもらうよん」
「それは大丈夫ですけど…どのような仕事でしょうか?」
「……………」
月姫様の声を集中して聞く。だけど、委員長、就任証明書、しかわからなかった。けど、身辺調査?
「花宮に入学してから、全ての試験の成績。内申書に記載してある素行や言動。それらを踏まえて、彼女たちが委員長に相応しい人間か、貴方達に審査してもらいます」
「……そんな大それた事、私が関わってよろしいのでしょうか?」
何しろ私は、特待生だし、評判は悪いし、官女見習いだし…。今考えてみれば私は結構すごい状況じゃない?ここに来なかったら絶対あり得ないよ。こんな事するなんて…。
「ようは確認した、っていう形があればいいだけだから。細かい事は気にしない♪」
「…………」
「月姫の言う通りよ。それにね、咲音も曲りなりにだけど花園会の一員なの。卑屈になっていたらこの先身が持たないわよ?」
「りょ、了解いたしました」
「ただ…若干の例外もあることにはありますが…これは私が担当するから、貴方達は常設の委員会を片付けてもらえる?」
「りょうかーい」
「…………」
「承りますっ」
という具合に今日のお仕事が始まる。ややこしいのは花姫様がやってくれるようだ。流石は花姫様。単なる意地悪ツインテールじゃないって事でいいのよね…?
「じゃあ、さっくん。そこの段ボール持ってきてもらえるかな?」
「はいっ!あ、意外と軽い」
風姫様にご命令を受けて、書類のつまった段ボールを持ち上げる。意外と軽いのはそれなりに体を鍛えているおかげだろう。
「はぁ……実行委員会……なぜ彼女が……」
手に持っている一枚の紙を見つめて、花姫様は浮かぬ顔をしている。ため息をつくと執務室の奥へと姿を消す。その背中は、なぜか重そうな雰囲気を漂わせていた。
―――数時間後
「ふにゅう~……これで全員分かな…?」
「途中で数えてなかったですけど…そんなにあるんですか…」
安堵のため息をつきながら、肩をぐりぐりと動かす。お二人の言っていたとおり、特に問題のあるような生徒はいなかったのだけど……委員会だけで116何て、多すぎない?1学年で8クラスだから、大体3人に一人は委員長ってことかな……。
「…………」
「僕は全部覚えてないけどねー。まあ、これだけ委員会があれば、まず困ることはないかな」
「それにしてもおおいいような…」
普通の高校じゃあまずこの数は無い。本当に必要か?なんて思う委員会もしばしば…。風紀委員会と生活指導委員会なんて、仕事の内容なんてだだ被りだし…。そんな委員会がいっぱいある気がする。
「ん~、花ちゃんはまだ終わってないみたいだし、二人とも、軽くお散歩でも行かない?」
「そうですね。ここで喋っていたらご迷惑でしょうし」
「…………」
「ん、分かったー」
月姫様はいつもの調子でごにょごにょとつぶやいたと思ったら、執務室へ入る。
「あの、風姫様」
「何かな?」
「月姫様のお声…よく聞き取れますね。皆さん…。私なんて全然聞き取れないのに…」
「あ、教えてなかったね」
「はい?」
風姫様は椅子漕ぎをやめると、私に向き直る。なにか秘策的なものがあるのだろうか…
「お月さんの声を聞くのはね、ちょっとした極意があるんだよ」
「極意…ですか?」
私、大正解。
「まずは、鼻をつまんで」
「んむ…」
「それで、大きく息を吸い込んで」
「すぅー…」
「それからお口を閉じて、鼻に息を通して、耳の奥からぽこって音がしたら大丈夫」
「んっ……あの風姫様これって…」
「できた?」
「できましたけど…これ単なる耳抜きじゃないですか」
これは、スキューバや飛行機に乗っているときにする、気圧調整。全くこんのガキンチョは…こんな事で聞こえる訳が―――
「お待たせいたしました。では参りましょう」
「うえっ、まじでっ!?」
「きゃっ!?ど、どうされました?」
「あはははは……いつもと逆だね♪」
我が耳を疑う。月姫様の声がはっきり大きく聞こえる。そして、なんと聞き取りやすい綺麗なお声。耳抜きをしないと声が聞こえないなんて…普通じゃ考えられない。
「す、すいません、月姫様」
「いえ、私はお気を使わなくても大丈夫ですけど…羽澄様はお風邪でもめされているのですか?」
「え?あ、ああ。私、地声が少し低いもので…普段はトーンをあげているんです。意識してないと、あんな声が…」
「そうでございますか。それは大変ですね」
「お心遣い、感謝いたします」
「ほらほらさっくん、出かけるよー」
「すみません、すぐに参ります」
桃園館を出てすぐに無数の桜に覆われる。どこもかしこも桜だらけ。教室にも枝桜が置いてあるし…いい加減、桜を見るのも慣れた感じだ。
「日も長くなってきたね」
「そうですね。もう四月も半ば過ぎですし、空も明るいまま…」
「連休の頃になると、今より暖かくなりますしね」
「あー…それがここだと違うんだなぁ」
「花宮は一年中、このくらいの気温です。寒すぎず暖かすぎず…常に桜の花が咲き誇る事が出来る気温…それが花宮です」
一年中この気温。だから制服に半袖がないのね。確か姉さんもそんな事を言っていたね。
ここは常春の楽園―――
一年365日、絶対に枯れることのなく咲き誇る桜の森―――。
悲しい事に、ここでの季節の変わり目を伝えてくれるのは、太陽と夜の闇の役目―――
「散らない桜なんてもの………あるわけないのに…」
「私も目にするまでは信じることなんてできませんでした……羽澄様もすぐこの地の奇跡をお目にしますよ」
「奇跡…ですか」
「ええ。もしよろしければ、来週に茶道部で野点の茶会を催しますので、そこでこの地の美を堪能されてはいかかがでしょう?」
「茶会ですか…一応考えておきます」
昔、茶道の稽古を叩きこまれたけど…もし粗相とかしちゃったら、後々面倒だろうし…。でもこうやって初めて月姫様……桂木先輩とお話ししてるけど…。本当にお嬢様なんだなぁ…って痛感する。姉さんにどことなく似ている気がする。けど姉さんは家族だからその分距離が近い。だから桂木先輩は文字通りの大和撫子。
「ねぇ、さゆりん。僕も行っていいかな?」
「それは大歓迎です。が、まだ公務の時間ですよ?月姫です」
「あー…そうだったね」
こうして二人のやり取りを見ていると、やっぱり月姫様の方がお姉さんに見えてしまう。なんだかとっても微笑ましい。
「羽澄様」
「ふえっ?あっ…な、なんでしょうか?」
「雪花さんにも、ぜひ茶会にお越しいただきたいのですが…羽澄様からもお口添え願えないでしょうか?」
「出た、お月さんのぼーりゃくだよ」
「分かりました。今夜にでも伝えておきます」
「……………」
私がそう答えると、月姫様は私を見つめる。なにか粗相をしてしまったのだろうか…?
「あの…なにか粗相を…?」
「いえ……羽澄様は結構堂々としておられるのですね。私とお話しをされる大抵のかたは、すごく緊張されているもので…」
「堂々…ですか?特に意識などはしてませんが…これでも結構緊張していますよ。ほら、手なんてずっと震えっぱなしですし…」
自分の小刻みに震えている手をお二人に見せる。あまりにも住む世界が違いすぎる姫様方の輪の中にいきなり放り込まれて、緊張しない人間なんているのだろうか?
「あ、確かに」
「震えていますね…ですが、これまでの特待生に比べても、かなりしっかりされていますし、さすがは雪花さんの妹御」
「姉とは…天蕗家とは距離がありますから……私は皆様の様な上流階級の者ではありません」
それくらいは…貴方達なら、苗字を見て察していただけるのではないでしょうか…。そんな言葉が喉まで出かかって、飲み込む。それはいくら何でも卑屈が過ぎる――。そんな事を一言でも言ったら、花姫様どころか、姉さんも怒らせてしまう。
「家柄などは気にしなくても問題ありません。この花宮の学生は皆、等しい育ちではないのですから」
「……そういうものでしょうか」
「そうだよ。僕はさっくんのお家も知らないし、さゆりんのお家も知らない。けどね、二人とも同じ友達でしょ?」
「…風姫の言う通りでございます。貴方は貴方らしく振舞えばよいのです。長幼の序列は必要ですが、過剰な恐縮は害でしかありません」
家柄など気にしなくてもよい。正しいとは思うけれど……。
「そのお言葉は、確かに正しいとは思いますが…」
「すみれっちとあんちゃんの仲の良さは知っているでしょ?あの二人、家柄関係なしにあんなに仲良しさんだよ?」
確かにあのお二人は仲がいい。生真面目な花姫様が、奔放を絵に描いたような鳥姫様とも仲良くしているのは、確かに不思議だ。
「特に隠している訳ではありませんし、花園会の一員である以上、羽澄様のお耳にも入れるべきでしょう」
「そうだね。ますはあんちゃん……桜森杏子ちゃん。彼女は花宮学院の理事、桜森家の人なんだよね」
「この花宮の地を千年の永きに渡り、支配する桜森家。彼女はその意向を受けて花宮に入学した」
「花宮学園を支配するために、派遣された大幹部ってとこ」
「そのたとえはいささか失礼では…?」
しかし、立派に悪の秘密結社の首領(ドン)を務めていらっしゃる。他のおさん方は幹部クラス、私は量産型戦闘員…といったところだろう。
「それですみれっち…鷹司菫・アレクサンドラちゃんは普通のお家の出身」
「普通…一般家庭ってことですか?」
「確かにそうですが、彼女のご実家は年収五百万前後の中流家庭。彼女は貴方よりも庶民――一般的な家庭の出身です」
「え……本当ですか?その割にはずいぶんと洒落てらっしゃる…。気品も威厳も、そこらの学生とはくらべものにならないですけど…」
「ハーフだからね。天賦の才ってやつかな。羨ましいよね…」
「なんでも、お父上様が画家でらっしゃるとか。彼女の洗練された感覚は、遺伝や家風によるものだと」
お父さんがドイツ人な上、画家…。なんというか、生まれの時点でおっきい差というものがある気がする。
「でも特待生というわけではないですよね?」
「お母さんがここの卒業生らしいよ」
「ああ、なるほど」
卒業生の子女であれば、花宮に入学できる権利は満たしている…らしい。つくづくどこか庶民を下に見ているような学校だこと…。ま、うちもそうなんだけど、今は羽澄姓だし。
「でも家柄など本人にとっては、取るに足らないものなのでしょう。素行も…私から見れば問題がないとは言えませんが、四天王の一角を担う、有能な女性です」
「だから、さっくんも緊張なんかしないで、自分らしくすればいいんだよ?」
「…まあ、口で言うほど簡単な話ではありませんが……花姫も昼休みの件で、お心を痛めているようでした」
「あ…確かに、少しだけ同情してあげるわ、なんて言われましたし…」
「少々癖のある方ではございますが、貴方も行く行くは姫となるべき方。いつか彼女の主導権を奪えるほどの強い心をお持ちください。…握るまでは骨を折るでしょうが…」
「は、はい……」
花姫様の主導権……。私には当分握れない。というか主導権のしの字も見えそうにない。
「それが我ら四天王の命令であーる」
腕を腰に当てて、偉そうに威張る風姫様。ほんの少し、殺意が沸いたけど、これは強い心のお手本にもならないね。
「それではそろそろ戻りましょう」
「そうだね。お片付けもしないといけなしねー」
わざわざこんな話をしてくれたのは、信頼されているって解釈で大丈夫なのだろうか。なんで、私の様な出来損ないに、こんなに優しく接してくれるのだろうか。お二人の話で、感じるところは結構あった。今でなら姉さんが恐れ多いって言った理由がわかる気がする。けど―――。
私はそうは思わない。
それは…『姉』と『妹』としての境遇の違いなのだろう。まあ、正確には妹ではないけど…。
「さっくん。早く帰ってお茶にしよー?」
「ちょうど、茶道部の後輩が作ったお茶請けがございますので、お昼の分もたんと召し上がって下さいまし」
なんて有り難いお言葉なのだろう。なんだか、今日の疲労が癒されていくよう…。
悩むのは取りあえず後回し…。あと二年くらい残ってるし。