横浜の街の港に近い一角にある小さな喫茶店の入り口をくぐる。
日曜日のお昼過ぎとあって、店内は飲み物やデザートを楽しむ女性でにぎわっていた。
「申し訳ありません、相席でもよろしいでしょうか?」店内に入るとそう問われた。
喫茶店で相席とは驚いたが、小さな店なので仕方がないのだろうと了承の旨を店員に伝えた。
案内されたのは一番奥の席で先客の女子高生くらいの清楚な女の子に軽く会釈しメニューを眺める。
窓からは、大きな空母のような形をした大型艦が存在感を醸し出している。
聖グロリアーナ女学院
私が大学を卒業し、教員として就職することになった大きな学園艦を持つ名門校では、イギリス風の文化が根付いていて教員もティータイムに招かれることがあるらしい。
私はいかんせん育ちがいいわけでもないので、ティータイムのマナーなんて心得ていない、しかし向こうで粗相をするはけにはいかないということで書店で買った「サルでもわかる、美しい紅茶の飲み方」をカバンに入れ今夜学園艦に乗り込む前に練習をしなければとこの店に立ち寄ったというわけだ。
注文した紅茶が私の前にやってきたので、さっそく例の本を取り出す。
「ふふっ」
前からかすかに笑い声が聞こえたような気がした。
少女がこの本のタイトルを見て思わず笑ってしまったのだろう。
確かに客観的に見れば滑稽だ。
私が本の影からチラッと視線をそちらに向けると、
その子と一瞬目があったがすぐにそらされてしまった。
美しい艶のある茶色いロングの髪をサイドで編み込んだその子は、お上品に紅茶を堪能し終えると席を立ちレジへと向かっていった。
私は気を取り直して本に書かれているお作法に目を通そうとした。
しかし視界の端に先ほどの女の子が戻ってくるのをとらえた。
彼女はそわそわとせわしなくテーブルの下を確認したり、自分のバッグをかき回したりしている。
おそらく財布が見当たらないのだろう。
自分の髪を忙しくかきあげながらあわあわとしている様子は気の毒であるが、すこし可愛らしかった。
一通りバッグの中をかき混ぜると、諦めた顔をして定員を呼びさらにもう一杯紅茶を注文した。
なるほど、解決策を見出すまでの間、ひとまず時間稼ぎをするのであろう。
私は完全に紅茶の事を忘れて、手に持った本の裏から少女を観察することを楽しんでいた。
その子はわずかに険しい表情で唇をぎゅっと結びながら携帯電話の画面とにらめっこしていた。
おおかた知人を応援に呼んで立て替えてもらおうか否か悩んでいるらしかった。
しかしうんうんとうなっている様子を見るに、それは彼女のプライドが許さないらしい。
2杯目の彼女の紅茶が運ばれてくると、彼女は首を横に振ったのち携帯電話をテーブルの上へ置いて、うつむきながらカップに手を伸ばした。
それにしても、ずいぶん綺麗に紅茶を飲むんだなぁ
紅茶の作法の知らない私でも、その飲み方は非常に美しくて優雅であった。
この子にお作法を教えてもらえれば、少なくとも学園艦で笑いものになることはないであろう。
そう思った私は、意を決して少し前かがみになって縮こまっている彼女に話しかけた。
「財布が見当たらないんです?」
彼女は突然話しかけられて驚いたのか、目を丸くしてこちらに顔を合わせた。
「あはは、お恥ずかしながら」
彼女はちょっぴり耳を赤くしてそう返答する。
予想は当たっていたようだ、ここは率直に切り出してみよう。
「ずいぶん優雅に紅茶を飲むんですね、良かったらご指導いただけませんか?お礼にここは私が払います。」
彼女の目は輝きを取り戻し、柔らかいまなざしでニコリと笑った。
「本当ですか!いやー助かります、こんな私でよければ喜んで」
私はもう不要になった本をカバンにしまい込み、彼女のお作法教室に耳を傾けた。
彼女は褒められたのが嬉しいのか、ドヤ顔で身振り手振り教えてくれる。
最初はカップのとっては左、ティースプーンの持ち手は右に運ばれてくるので、カップを逆時計回しにして取っ手が右手にくるようにする。
ティースプーンをカップの向こう側に置いて、取っ手をつまむようにして飲むらしい。
私は彼女に促されるまま紅茶を口に流し込んだ。
「どうですか?」
「おいしいけど、ちょっとぬるい」
「紅茶は暖かいまま頂くのが礼儀です、次からは出されたらすぐに頂くようにしてください」
「慌てる君のことを観察していたら、紅茶のこと忘れちゃって」と言い訳を
彼女は「なっ」と声をあげ、両手で頬を覆ってこちらを睨んできた。
この子、実に表情豊かで見ていて楽しい。
「まあいいです、次は…
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こうして彼女の紅茶レッスンは終了し、私は教わったことを忘れまいとすかさず2杯目の紅茶を注文する。
この女の子と話していると、不思議と心が躍るので私は新たな話題を切り出す。
「ずいぶん詳しいんだね、こういうのってどこで習ったの?」
「ふふっ、ダージリン様に教わったんです。」
彼女は歯を見せて笑い、誇らしげにそう答えた。
んん?と思わず聞き返す、私の耳に入ったのは明らかに紅茶の名前であった。
「ああ、えっと高校の先輩です」
そういえば、聖グロリアーナ女学院では優秀な紅茶にちなんだニックネームを与える風習があるのだとか。
「というと、君は聖グロの生徒なのかい?」
「はい、今日は帰港日なのでこうしてゆっくりしています」
なんでも彼女は友人と買い物に来たのだが、各々目当ての店へ向かうため自由行動になったはいいが用もないのでここで時間をつぶしていたという。
なるほどどおりで今日は街中におしゃれなお嬢様方が多いわけだ。
その後も彼女と談笑を楽しんだ。
彼女は戦車道という武道をやっていて、選ばれし選手にしか与えられない紅茶の名前である「ルクリリ」という名前を授かったこと、
戦車道をしながら過ごす学園生活が充実していて幸せであるという話を意気揚々に話してくれた。
「あっ、もうこんな時間」彼女は肩を落として私にそろそろ待ち合わせの時間であるということを告げた。
私は約束通り2人分の会計を済ますと、すっかり人も少なくなった喫茶店を後にした
「今日はありがとうございました」ルクリリさんは礼儀正しくペコりと私にお辞儀する。
「いえいえ、こちらこそ楽しい時間をどうも」私もつられてペコりとお辞儀した。
「またご縁があれば、どこかで」そういって彼女は私にニカッと元気のよい笑顔を見せ、くるりとターンして歩き出した。
彼女との会話の中で、私の口から自分が聖グロの教員になるという言葉はでてこなかった。
それは、表情豊かな彼女の驚く顔が見たいと心の奥底で思っていたのかもしれない。
「さて、荷物を取りに行って出発しますか」
私は前日まで泊まっていたホテルに預かってもらっていた荷物を取りに行き、海に泊まる大きな大きな学園艦へと歩みを進めた。