「二回戦第三試合、決着!」
豊音の涙を見ながら聞き入れたその言葉に、私は何を思ったんだっけ。
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インターハイは終わった。部室に五枚のサイン色紙を残して。
散々打って、散々泣いて、散々遊んで、散々笑って、私達の夏は、終わった。
夏は、終わってしまったのだ。
「はぁ、ダルい……」
「そこっ! 怠けない!」
「胡桃より……成績いいし」
「そういう話じゃないのっ!」
そして夏が終わり、秋。高三の秋と言えば当然、後に控えるのは『受験』である。
そういうわけで、私達麻雀部一同は部室で受験勉強をしていた。
正直、ダルい。勉強がイヤだというわけではないが、ただただダルい。
「胡桃の言う通りだよ、シロ。ちゃんと勉強しないと、後々後悔するよ?」
「……しょーがない。やるか。ダルいけど」
「なんで塞の言うことは素直に聞くのっ!?」
そんな漫才みたいな会話に、豊音とエイスリンが笑う。そんないつも通りの日常。
麻雀をやる回数は目に見えて減ったけど、それでも、こんな日々がずっと続けばいいのにと思っていたのは、みんな一緒だった気がする。
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「シロは、サエたちと同じダイガクに行くんだよネ?」
「……まあ」
四限の授業が終わり、昼休み。ダルくて椅子の背にもたれてボーッとしていると、不意に後ろの席のエイスリンから声をかけられた。
「急にどうしたの?」
「——ワタシ、New Zealandの……」
「あ……」
エイスリンは、ニュージーランドから宮守女子に来た交換留学生だ。つまり、大学は祖国で進学してしまうのだろう。
「……そっか」
「……ウン」
だけどそれを聞いても、私にはどうすることもできない。私は、ニュージーランドで進学することなどできないから。
そして、気の利いた返しが出来ないまま、気不味い沈黙が流れる。
するとエイスリンがさっとペンを手に取り、ホワイトボードに絵を描き始めた。真剣な表情で手を動かすこと十数秒、描き上げた絵を私に見せる。
これは——
「みんなで一緒の大学に……合格?」
描かれたのは、桜と麻雀部の五人。それだけで、エイスリンが何を言いたいのかが私にはなんとなくわかった。
「ワタシ、ココがスキ。みんながスキ。だから、卒業したらそれでお別れなんて、ヤだよ……」
「私も、エイスリンのこと好きだし、できれば、これからも一緒にいたいよ」
「スっ、スキ!?」
「うん」
何故か少し顔を赤らめるエイスリン。同じことを言っただけのはずなんだけど……
「アリガト、シロ」
「うん」
「——ワタシ、シロにイッパイ感謝してる。シロがハジメテ誘ってくれた日のこと、オボエテル?」
「え? うん。覚えてるよ。豊音が初めて来た日でもあったし」
「あのときシロが、『一緒に来る?』ってキいてくれなかったら、ワタシ、ズット一人ボッチだった。だから、アリガトウ」
「……先にパンをくれたのは、エイスリン」
あの日、エイスリンは全く交流の無かった私にパンを分けてくれた。それが出会いで、始まりだった。
だから、たとえ私が誘っていなくても、エイスリンにはきっと良い友人ができていたはずだ。
「ソレデモ、シロが誘ってくれたから、——シロがデアイをくれたから、ワタシはイマ、こんなにシアワセ」
「……そっか。それなら、良かった」「だから、ネ……」
「ん?」
「モウ一回、誘って? ワタシに、ユウキをクダサイ……」
「それって……」
それは、エイスリンを麻雀部に誘った時のように、今度は大学に誘ってくれという、そういうことなのだろうか。
エイスリンは、ニュージーランドと日本、どちらの大学に進学するかを決断する勇気を、求めている。
それなら、答えは簡単だ。私だって、エイスリンと同じ大学に行きたい。
私は席から立ち上がり、エイスリンの方へと身体を向け直して、言う。
「エイスリン、私と——」
「………………?」
しかし、『同じ大学に、来る?』というその言葉を、私は続けることができなかった。
本来なら迷わず伝えるはずだった誘いを、私は言えなかった。告げることを、迷ってしまった。
それは、私が良く知っている感覚。
『迷ひ家(マヨヒガ)……?』
『そう。アンタは迷えば迷う程に、良い選択をする。欲を持たずに、ただ迷いに身を任せれば、辿り着く結末は最良のものになる』
思い返されるのは、熊倉先生に貰ったアドバイス。この『マヨヒガ』の能力のお陰で、麻雀はそこそこ強くなれたけど——
『だから、決して逆らってはいけないよ?』
幸せが離れて行ってしまうからね、と続けられたその言葉が、いま楔となって私を留めていた。
「シロ……?」
エイスリンが不安気な表情で私を見る。
だが、どうだろう。私の能力(チカラ)は、『誘ってはいけない』と私に報せている。
……いや、少し考えればわかることだった。
「エイスリン」
「は、ハイ……」
「ニュージーランドには、家族もいるでしょ?」
「それは……」
ニュージーランドには、エイスリンの家族がいる。私のワガママで、引き留めちゃいけなかったんだ。
「でも! シロが誘ってくれるナラ……!」
「ううん。私はやっぱり誘わない。……気軽に誘ったり、できないよ」
「モウ、知らないっ!」
「………………」
教室から駈け出すエイスリンを、私は引き留められなかった。そんな選択は放棄していた。これがきっと、お互いにとっての最良になるから。
「……ダルいこと、言っちゃったかな」
教室で静かに響いた私の声は、廊下の騒がしさですぐに掻き消された。
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午後八時。自室の布団に包まった私に、一通のメールが届いた。
差出人は臼沢塞。件名はなし。本文は一言。
『何かあったの?』
気怠さを押し殺して返信する。
『なにかってなに』
それに対して返ってきたのは、メールではなく、着信を知らせるコール音だった。
「もしもし」
『シロ、今日部室来なかったでしょ?』
電話に出ると、いきなり塞に批難するような声で指摘された。
昼の出来事からエイスリンと一言も話せなかったため、気不味さでなんとなく部室に行きたくなかったのだ。
「……ちょっと、ダルくて」
『——エイスリンも来てなかった』
「…………」
『何か、あったんでしょ?』
しかし、鋭い塞に隠し事はできないようで、起こったはずの何かを問い質される。
結局、昼の出来事を余すことなく伝えることとなった。
進路の話をしたこと。誘って欲しいと言われたこと。誘うのを迷ってしまったこと。その全てを、余すことなく。
「——ってことが」
『なるほどね……』
私の説明に塞は納得してくれたようだ。今頃自室で一人頷いているのだろう。
「そんなわけでさ。悪いとは思ったけど、やっぱりこれが、一番いい選択だと思ったから……」
『うん……今更、シロのマヨヒガを疑ったりはできないしね。私の【防塞】も、似たようなとこあるし』
「だから——」
『でもさ、シロ』
「…………?」
そのまま何事もなく会話が終結するかと思った矢先に、塞が逆説を挟む。
『シロは、後悔しない?』
「——っ!」
『マヨヒガの能力なんかに決めてもらった選択で、シロは本当に後悔しないの?』
それは、私の意思を問う言葉。マヨヒガの能力者としてではなく、小瀬川白望という一人の女子高校生に宛てられた言葉だった。
「わた、しは…………」
『私はさ、別に最善だとか最良だとか、気にすることないと思うんだ。だから、シロの考える一番で、エイスリンに向き合ってあげて欲しいな』
「…………ありがと、塞」
『それじゃあ、もう遅いし切るね。明日はちゃんと部室で勉強するよ?』
「うん。じゃあ、また明日」
表示される通話終了の文字を見ながら、塞に言われたことを頭の中で反芻する。
後悔しないか? ……するに決まっている。たとえ最善だと分かっていても、このままエイスリンと離れ離れになったら、私はきっと後悔する。
なら、どうすればいいか。……それも塞は教えてくれていた。
「私の考える一番、か……」
正直、自分で考えるのはダルいけど……
「泣かれるのは、もっとダルい」
だから、考えよう。私が後悔しないように。エイスリンに後悔させないように。
===
「わあ、小瀬川さん今日は早いね!」
「あー…………気分?」
「今日はダルくないの?」
「いや……ダルい」
翌日、私はエイスリンと話をするために、一番に教室へ行った。
それだけのことでクラスメイトに驚かれるのは、恐らく日頃の行いが原因なのだろう。
「あの……気付いてると思うけどさ」
「なに?」
「小瀬川さんの席、もう一つ前だよ?」
「さすがに知ってるよ」
「だ、だよねー」
ついでに私は、エイスリンが無視できないよう、彼女の席に座っていた。
相手が胡桃なら、『充電』と言いながら構わず座ってくるところだが、エイスリンはその点常識人だ。
「……シロ」
こうして、きちんと声を掛けてくる。
「おはよう、エイス……」
振り向きざまに挨拶をしようとした私に、エイスリンの持つホワイトボードが突き付けられる。
描かれていたのは、鬼のツノのように髪を逆立てたエイスリンの絵。なるほど、怒髪が天を衝いているらしい。
「ごめんなさい」
「…………」
すぐに席を立ち、エイスリンに譲る。いつものにこやかな笑顔すら浮かべていないエイスリンは、少し怖いのだ。
「あのさ、エイスリン」
「…………」
そのまま無言で席に着いたエイスリンに声を掛けるも、今度は無視される。
でも、エイスリンの耳に届いているのなら、問題は無い。
「聞いて、エイスリン。私、大学に誘おうとした時、迷ったの。だからきっと、誘わないのが最善。エイスリンは家族のところに帰って、幸せに暮らせる」
「マヨヒガ……」
「うん。だから、ここからは私のワガママの話。エイスリン、私と同じ大学に……来て」
「シロ……」
これが、私の出した結論。
「やっぱり、日本に残ると、家族とは滅多に会えなくなると思う。寂しい思いも、させちゃうかもしれない。——マヨヒガが示してる通り、最善でも最良でも無いかもしれない」
「…………」
「それでも、私はエイスリンと——みんなと同じ大学で、また一緒に遊びたいんだ」
「…………」
「だからエイスリン、一緒に来て欲しい。きっと、後悔は——」
いや、違う。私が伝えたいのは、『後悔はさせない』なんて言葉じゃあない。
「きっと、幸せにするから」
言い直した台詞は、私の中での一番の言葉。後悔しないための言葉だった。
「…………シロ、プロポーズみたい」
「えっ!? あ、いや……」
「フフ、シロがアワテルの、珍しいネ」
「あの、それで……」
「断るわけ、ナイ」
私の不安を払うように、エイスリンは向日葵のような笑顔で続ける。
「だってワタシ、シロのことダイスキだから!」
こうして、エイスリン・ウィッシュアートとの喧嘩は幕を閉じた。
果たして、これで良かったのかはわからない。それでも、エイスリンが『これで良かったんだ』と思ってくれるような、そんな未来にしてみせようと、私はそう心に決めたんだ。
なお、この会話は後に『小瀬川白望プロポーズ事件』として宮守女子三年の間に広まるのだが、それはまたほんの少し先の話。