「ああ。あんた、ほんとうにきれいだよ」
人に愛され、人に使われ、人に縛られる国の宝。と、それに惚れ込んだ鋼の口説き魔。
歴史関係も刀の描写も他のなんかも適当。時間軸は第一回交換所〜。亀甲さんは特で性癖成分控えめ、物吉くんは極です。他CP:たぬ物、日杵
pixivにも投稿しています。

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Can’t be Your SLAVE

 この本丸の亀甲貞宗の依代は政府主導の演習場で入手したもので、大般若長光の依代は人参だか戦力充当だか知らないが政府主導の交換所で入手したものだった。

 

 本丸の主は期限までに亀甲貞宗を迎えられなかった場合は彼を褒賞交換で入手する、と言っていた。亀甲貞宗を迎えたならどの刀剣を手に入れるかはとっくに決めていたようで、いざその時が来れば彼を脇差の弟が歓迎している横で、早速交換所に出向く用意をした。そういうわけで、本丸二振り目の長船派が迎え入れられたのは二振り目の貞宗派と同日であった。

 

「お初にお目にかかる。俺は大般若長光。長船派の刀工、長光の代表作さ」

 考えずとも口をついて出る言葉をそのまま述べると、二つ並んだ人影の大柄な方が案内を買って出た。自分の背丈が高いのか低いのかもよく分からなかった(まさか六尺を越える大男だとは思ってもみなかった)から、もう一つの人影、自分の主であると直感した女は随分背が低いのだなと思ったが、なんのことはない隣の槍が大きすぎただけだ。ついでに自分も。

 

 此処が依代を打つ鍛刀部屋、彼方が本霊に還すための儀式を行う場所、隣は刀装兵──刀剣男士の率いる式神兵──を呼ぶための場所、と三、四寸高いところから声が降る。先月迎えられたばかりだと言う彼は、日本号と名乗った。

「日本号……というと、黒田の槍だったかな」

「おう。というかお前さん、右府様の所にいたような」

 大般若が織田信長の元に在ったのはほんの一年ほどのことだったが、そのような大層な名の槍がいたのなら覚えているだろうと思う。

「あれ、会ったことなんてあったかな。あんたみたいな色男、忘れたとは思えないんだが」

 大般若がそう言うと、日本号はその紫紺の瞳を彼に向けて、ほんの少し呆れを滲ませた声で応えた。

「そりゃあの頃は人の体なんてなかったろうが。……あー、『正三位の槍』と言えば分かるか?」

「ああ!あれ、あんただったのか」

 正三位の槍。足利将軍家から織田信長に与えられた、倶利伽羅龍の大身槍。大般若が織田に来る半年ほど前、信長と義昭が手を組むにあたって贈られたと聞いた。足利で会った覚えはなかったが、大般若が義輝の元から奪われた後に義昭に下賜されたらしい。同じ場所に在ったのは一年ほどのことだが、覚えている限りその頃は今の彼とは、こうして少し話しただけでも別刃と言っていいほどに違うとわかる。あれから六百年経っているのだから、当然といえば当然ではあるが。他の刀剣も、大般若の知る彼らとは異なっているのかもしれない。

 

 あれが馬小屋、世話は当番制だが式の一種だから本物ほどには気を使わなくても良い。名前は追い追い覚えていけばいいが、そこで作業をしているのが鯰尾藤四郎と江雪左文字。

 昼の執務室には大抵誰かしら仕事に詳しいのがいるから、はじめ困ったことがあれば聞きに行くといい。長谷部、こいつが新入り、長船の大般若長光。そうか、主のために励むがいい。

 此処が厨、一振り一振りの食事量はそうでもないが五十もいればそれなりに忙しいから仕込みの最中は邪魔をしないように。中心になって回してる奴らはいるが手伝いは当番だ。あそこで指示を出しているのが歌仙兼定、ここの一等はじめの刀剣男士。

 

 知り合いも、名前しか知らない刀も、名の知れた名刀揃い。正確にはそのものではないらしいが、霊的なもの以外では区別のつかない状態にあるという。

 

 大般若長光は、美術品を好む。正確には美術品以外でも、姿形や心根が美しいものを愛でることを喜びの一つとしている。それは二世紀半あまりを博物館で過ごすうちに身についたものだが、こうして人と同じ形を得て見る世界はそれ以前とは違うため、かつて側に在ったものたちを改めて見てみたいと、そう強く思った。その姿はずっと冴えていて、霊的なもの、たましいの部分は一枚ヴェールの向こうのように遠い。そうして視線を巡らせる一秒一瞬ごとに、ひとの見る美を自分はは知らなかったのだと、大般若は痛感した。

 

「この辺り、最近増築したらしいんだが、新入りの部屋だ。一つの部屋に一振りか二振り、なにか特別希望があれば相談の上で部屋替えができる」

 とりあえずのところはあれがアンタの部屋になる、と日本号が部屋を一つ指した。つい先程来た貞宗の打刀と同室であるとも。

 ついでに、と日本号が二つ隣の部屋の障子を開ける。

「これがオレの部屋だ。なんかあったら来な」

 飲めるのなら酒も出す、と言われれば大般若に断る理由はなかった。

 

 同室だという刀は、黒いシャツと純白の三揃に身を包んだ、淡い鴇色の髪をした青年の姿をしていた。

 

「お初にお目にかかる。俺は大般若長光。長船長光の代表作と言われているな」

「ぼくは亀甲貞宗。名前の由来は……ご存知かな?」

 しまった、と思った。今も本当の「亀甲貞宗」と「大般若長光」は同じ場所に所蔵されているはずだ。ひとがたに惑わされて迂闊なことを言ってしまった。

「おっと、あんたか。お初に、なんて大嘘だったなあ。いや、それにしても鋼に見合う別嬪さんだ。あんたの名の由来は、一応知識として知っちゃあいるが、聞かせてもらえるんならあんたの口から聞きたい」

 ひとがたを得た刀剣自身に、その来歴や由来を語られる。これをきっと贅沢と言うのだろう。

「そういうものかい?茎に亀甲紋が彫られているから『亀甲貞宗』というんだ。きみは確か……」

「六百巻の大般若経に因んで、銭六百貫の値が付いたから『大般若長光』。まあ、ありがたいことではあるなあ」

 

 

 

 此処には美しい刀があまりにも多い。所蔵数だけならともかく、質と量を合わせれば、古今東西、ここまでの名剣名刀が揃い踏みしたことはないだろう。天下五剣の内の三振り、三名槍のすべて、大包平。その上、行方知れずであったり、かつて焼け身となった刀すらも健全として在る。正直、目移りしてしまうどころではない。

 自身も国宝に指定されているのを棚に上げて、大般若は天に感謝した。それから「大般若長光」という刀剣男士をつくりあげた技術者だか呪術師だかにも。人のような目と、言葉を音として紡げる喉と、相手にも確かに見える形。美しいものを美しいと言える、この器。争いごとは金を遣い込むばかりで美術品を愛でる余裕すら奪っていくから好かないが、それでも審神者の呼び掛けに応えたのは正解だったと、そう思う。

 

 

 

 ひとがたを得た一等はじめの夜というのは、誰も困惑するものだ。目に映る光、耳に響く音、藺草や寝具の香り、舌先に残る夕食の僅かな名残。鋼の時分は感じなかったそういったものの刺激が強すぎて、眠ることができない。

「眠る、ってどうすればいいのか、大般若くんは分かるかい?」

 月も登りきっただろう頃合い、隣の布団からそんな声がした。人が眠る時は横になって目を閉じる、それから静かになる。そこまでは亀甲貞宗も大般若長光も知っている。けれどそうしてみてから、もう四半刻は経っているのに一向にそれらしい状態にはならない。

「いいや、俺もさっぱりだ」

 

 本丸に来たはじめの夜は、誰も彼もが眠れない。皆、目が冴えたまま朝日を迎えて、その日に初陣を飾って、そうして疲れきって、手入部屋で倒れるようにはじめての睡眠を取る。貞宗の打刀も長光の太刀も、そうだった。

 

 そう難易度の高い場所ではない。未だ検非違使の見られぬ唯一の改変地点、維新期・函館。歴史修正主義者の方も検非違使の出現を防ぐために低練度の部隊しか送りこまず、時の政府もそれを利用して一定以下の練度の刀剣のみを推奨している、示し合わせたような半安全区域。

 けれどいくら敵も弱いとはいえ、自覚なく疲労している顕現したての二振りきりでは軽傷で済むはずもない。亀甲と大般若は揃って、万が一の目付役として同行していた物吉貞宗と彼の率いる弓兵の手で、手入部屋に文字通り担ぎ込まれた。

 

「ああ。万全の状態でなければ、次に傷を受けることもできないからね」

「さっさとなおしてこようか」

 

 亀甲貞宗は、主に仕え、主に使われることを至上とする。一振りの鋼、戦道具として、傷つくことを彼は忌避しない。なによりもまず先に刀である、そういう刀剣男士は決して少なくない。その内でも、亀甲貞宗には、自らが素晴らしきものであるという自負があった。よき刀、ただ切れるだけでなく、美しく愛される刀であるという自信。徳川将軍家の重宝、刀工貞宗の代表作、そういった物としての誇りがあった。

 どんなにひどい傷を負ったとしても、直す術さえあるのなら、主はきっとそうする。どれだけ長く離れたとしても、主はきっと戻ってくる。そう信じているからこそ、傷を恐れることもなく、不在すらも快と感ずることができるのだ。

 

 痛むのは好きではない。自分であろうと他刃であろうと、ものが損なわれることも。だから戻るというなら早くなおるに越したことはない。ひとが治るのも、刀が直るのも、はやい方がいい。

 そも、大般若長光はあまり戦いに重きを置かない。美しいもの、美味い酒に食べ物、気の合う友、そういったものをこそ彼は重視する。ひとらしいと言えばあまりにひとらしい、彼は自らにひとがたを与えた者を主と奉じる心持ちが薄い。確かに人なくして彼はなく、けれど所有者を所有者というだけで敬う必要は感じなかった。美しいものをそう扱わないのなら、いざ手足のついた物の方から出ていく権利があると大般若は本気でそう思っている。

 彼があるから彼があり、その逆もまた然り。人と刀は互いに振り回されるものではあれど、一方が他方に無条件に従うようなものではない。大般若経の名を冠す彼はそのように言う。人も物も、美しいものは美しい。常なる真理があるとすれば、それだけだと。

 

 

 

 亀甲貞宗とは、こんな刀だったろうか。こんなにも、ひとに仕えることに執心するものだったろうか。大般若の知る亀甲貞宗は、刀が働きを求められる時代のとうに終わった、博物館での彼だった。

 自信に溢れた、ひとを愛するものだったのは確かだ。けれどそれは、物が主人を求めるよりも、むしろ神が人を慈しむようなそれだったように思える。亀甲貞宗であるよりも先に徳川将軍家の重宝であった、と言うべきか。

 今の彼は、以前よりよほど輝いて見える。人に使われるのが刀の本望である、と言外に、しかし高らかに謳い上げる彼は、大般若が知るかつての彼よりも、ずっと美しい。

 

 

 

 不躾な願いであるのは承知の上で、大般若が亀甲にそれを頼んだのは、顕現してから五日目の夜のことだった。

「本体を?理由を聞いてもいいかな。知っていると思うけど、ぼくはご主人様以外にじろじろと見られる趣味はないんだ」

「古今東西の名刀が集っているんだ。この機にじっくり見ておきたい」

 手始めに彼に頼んだのは同室でかつ、この二五〇年で見所の解説を散々聞いてきた刀だからだ。物が見出すそれではない、人が讃えた美しさを、この体でとっくりと味わいたい。ひとがたを持たなかった頃に触れたものと比較するならば、亀甲貞宗や厚藤四郎や大包平などの、長く同じ場所にあった刀がいい。

「ぼくたちは同じ場所にいるだろうに」

「だからさ。ひとの体があるうちに、この目で見ておきたいと思ってね」

 

 それなら代わりに自分の頼みも聞いてほしい、と亀甲は言った。すぐにでなくていい、主がよしと言ったなら一度だけ大般若が近侍を割り当てられた日を亀甲と代わること。それが条件だった。

 らしいといえばとても亀甲貞宗らしい条件だ。主に使われることを至上とする彼は、近侍に任ぜられればそれだけよろこぶ。けれど他方で、彼自身の願いでもって主の望みを曲げることは、到底許容できることではない。この条件であれば、最終的にどちらに転ぼうと主が亀甲のことを考えて判断することになる。そのことを思うだけで、彼は幸せだった。

 

 大般若が間接照明を部屋の中心に持ってきて、丁度座って手に持った刀に光が当たるような高さに調節する。それから袱紗を畳に敷いて、絹地の枕を置き、目釘抜きと打粉、懐紙と刀油を並べる。手入部屋の備品ではなく、刀剣男士向けの通販で扱っている、自分を手入するための道具。どうせはじめの一月は出陣続きで手入部屋の世話になるのに、初月の給料を前借りして用意したらしい。

 

 それじゃあ、と言って、亀甲貞宗が鞘に収められたその本体を手渡す。機会があれば拵も是非鑑賞させてほしいところだが、今は刀身を、という話で許可を求めたのだから我慢しなければ。それでも、傷つけないよう細心の注意を払いながらではあるが、可能な限り、金に輝く目貫の精緻さや細身の刀身に合わせた透し鐔にも目がいくことは止められなかった。

 

 何分経っただろうか。刀身に水気が掛からないように、双方口を開かないでいる上、周囲は空き部屋ばかり。蝉でもいればまた違ったかもしれないが、庭で飛び交うの鳴かぬ蛍ばかり。赤味の強い丹色の瞳を細めて、黒手袋の手だけがゆっくりと傾く。ぱちりと、自分が人の姿であることを思い出したように銀灰色の睫毛が上下に動いて、ゆっくりと枕の上に「亀甲貞宗」が横たえられる。

 

 元の通りに拵に収めて、刀に対して頭を下げる。その拍子に束ねられた、銀糸のようなというには細すぎる髪がするりと肩を回って前に落ち、普段の位置に収まった。そうしてからようやく、大般若が口をきいた。普段の軽口じみた賛辞とは違う、感極まってこれしか言えない、という風な声音だった。

 

「あんたは本当に美しいな」

 聞き飽きた賛辞だろうと思う。名物亀甲貞宗。ゆったりとした湾れの刃紋も、すっとその身を引き締める二筋樋も、よく詰んだ地肌も。ひとがたを得るずっと前から言われ続けてきたことだろう。澄んだ銀の瞳も、白く、それでいて血の通うことがよく見てとれる滑らかな肌も。時の政府の公式発表では白菊に例えられたのだったか。整った鼻梁、ふっくらとした口唇、そして服の上からでも分かるよく鍛えられた肉体。なにかをを斬るための、美しいもの。その本性たる鋼よりも明瞭に、人を斬るために美しく在るもの。そちらも、叶うことならじっくりと余すことなく見惚れていたいものだが、以前の主を持たぬというあの薙刀でもあるまいに、そこまで人の振る舞いに無知ではないし、無知なフリもできなかった。

 

「ありがとう。……なんだか、気恥ずかしいな。ルーペでまじまじと見られるなんてよくあることのはずだったのに」

 よくあることだった、はずだ。それなのに、どうしてこんなに落ち着かなかったのだろう。この八百年よりも、五日間の方が重いのか。それとも、これが背徳感というものなのだろうか。主の許可なしに、他のものに肌を晒したことについての。

 

 

 

 ひとつきが過ぎ、二振りが「特付き」になって、二月目が過ぎようとしていた。大般若長光は相変わらず刀派も練度も問わず本体を見せてくれと頼んだり、櫛や茶碗を、誰のものであるかに関わらず褒め称えては所有者から釘を刺されたりしていた。亀甲貞宗の方も、相変わらず近侍刀に任じられては誰かしらに羨まれたり、遠征を命じられては(任務に支障をきたさない限り)大急ぎで戻ってきたりしている。

 

 大般若も亀甲も、特段同じ部屋であることに文句はなかったので、ずっと部屋を移っていない。亀甲の縁者と言えば兄弟である物吉貞宗であろうが、彼は三池の霊刀、ソハヤノツルキウツスナリと同室である。大般若の方は、強いて挙げれば燭台切光忠か。彼は今のところ一人部屋であるが、燭台切が太鼓鐘貞宗を迎えられる日を心待ちにしているのは周知の事実であった。

 

 その夜は、そう。酒が入りすぎたのだ。旨くて値も張らないためすぐ店頭から消えてしまう銘柄が、丁度搬入されるところに行きあって、それで買い込んだのをうっかり飲みすぎた。きっとそのせいだ。

 誰がどう見たって脈がないものを、諦めきれなかっただけだとは、大般若は思いたくなかった。それではあんまりにも格好がつかない。

 

 人と人のような関係に成れはしないかという問いの答えは当然、否だ。

 

「ぼくはね、縛られてないとダメなんだ」

 それはきっと、物理的なことではない。毎日律儀に、文字通り自縄自縛する紅い縄のことではない。主──彼の流儀に従うならばご主人様──に、あるいはより広く人というものに、縛られていなければいられない。その価値観は、ある意味では誰よりも刀剣男士らしいと言えた。

「そいつは……俺じゃあ役者不足なんだろうな」

 ひとになったような気がしていた。この瞳に光が届き、この鼓膜が震えるごとに。鋼を振るい、兵を率いて、剰え犠牲を減らすための軍議に参加が叶うことに。自分たちがひとであるような錯覚を起こした。誰かをものにできると、思ってしまった。

「……ごめん」

「謝りなさんな。誰が悪いわけじゃない」

 そう。誰かが悪いわけではない。ただ、亀甲貞宗は刀らしすぎて、大般若長光は人の身を楽しみすぎた。それだけのこと。どちらも悪ではない。ただ、大般若は少し考える時間が欲しかった。

 

 

 

「日本号」

「おう、どうした」

 戦帰りの目の色にさえ気を付けていれば、日本号は本丸内でも話し易い方だろう。流石に短刀脇差となると身長差で長話はお互い辛いところがあるが、大般若は太刀。呼び止めるになんの問題もないし、お互い酒飲みだというのもあって、この二ヶ月で交わした杯の数はしれない。

「今夜お邪魔していいかい?つまみは用意するから、飲ませとくれ」

 一人で飲むのも好きだが、大般若長光は日本号や次郎太刀と違って無限に酒の湧き出る徳利なんぞ持ち合わせてはいない。つまみの一つ二つも用意してお邪魔するのがお互い金がかからなくて済むので、なんだかんだ理由をつけてはよく飲んでいた。

「自棄酒かあ?感心しねえなあ」

「駄目かい?」

 酒は飲んでも飲まれるな、味がわかるとか強弱なんかよりも兎に角楽しめることの方が重要だ、と日本号は常から言っている。そんな彼からすれば、疲れた様子を見せるくらいなら飲むより寝ろ、と言いたくもなるだろう。

「いいや?」

 僅かに語尾を上げて、日本号が答える。助かった、と大般若は思った。一人飲みでは思考にはまり込んで出てこれなくなるだろうし、かといって酒を入れられないのは少し困る。酒を、と言うと語弊があるか。飲めば知恵湧き出ずる、般若湯だと言い張れば、名の加護もある。それなりに効果が出るだろう。

「それじゃあ、夜に」

 

 

 

 亀甲貞宗は困惑していた。弟に、内番を放ってもいいから来い、と言われたことにだ。幸いにしてその日の亀甲は非番で、主からの頼まれごともなかったが、そうでなかったなら兄弟喧嘩の一つもしたかもしれない。

 

 それで、と無人の部屋につくなり物吉は言った。

「何があったんですか?」

 何もない、はなしだ。極めた脇差に隠し事ができるとは思わない方がいい、と弟に言われて、事細かにとはいかないが大まかな成り行きを説明すれば、嘆息が返ってきた。

「ボクが聞いただけでも三回目ですよそういう話。恋でも友情でもいいですけど、」

 亀甲よりもずっと低いところから、物吉のはちみつ色が彼の銀を射抜く。

「一番でないとダメだと、大般若さんが言ったんですか?」

「ひとはすぐに死にます。ボクたちは人間よりはしぶといようですけど、これは戦争ですから、呆気なく折れて死ぬこともあるでしょう」

 帯びれば必ず捷ちを獲ると云う、因んで物吉と号す。そのように定めた幸運を運ぶものとして極められた脇差。一尺九分半の、彼は確かに戦刀だった。ともすればこの本丸の誰よりも。彼は懸命に足掻いて生を拾うものだ。そしてそれと同様に、拾えなかった者を見てきた。

 

「想ってくれる相手を一番と思えない、それを不義理と感ずるのなら、断ってよかったんですよ」

 そう言って、物吉は畳み掛ける。

「けれど、ボクたちは刀です。鋼です。人のように人を裏切ることができるとは、思わない方がいい」

 こんな流れで言うのもなんですけど、ボクにもそういう方がいます。物吉の言葉の内容を、しかとは受け取れなかった。亀甲の知る限り、この弟はどの刀にもほとんど同じ様に接している。ソハヤノツルキのことかと問うより先に、本差とも別だと言い添えられた。

「驚いたでしょう?ボクたちは主様以上に互いを優先することはありません。主様の命でなくとも、勝利の為にそれが最善なら、その魂の一片まで使い潰すでしょう」

 それでいいと、彼は言いました。それが刀であると。それが戦であると。刀の愛など、主人と戦に捧げきった余剰で構わない。弟にそう言われて、少し考え直した方がいいのかもしれないと亀甲は思った。元来亀甲貞宗は、ご主人様以外に注ぐ情など一滴も無いというような類の刀ではない。ひとの身を得てまだ二月の亀甲は主へ捧ぐもので殆どいっぱいになってしまうが、僅かの余剰から、少し多めに大般若に与えるくらいのことはできるかもしれない。

 

 

 

 伯父、もとい燭台切光忠からもう食べてしまえと言われた枝豆を茹でたのと煮物の残り。それと気に入りの切子の杯。一揃い風呂敷に包んで二つ隣へ。今日は泊まるかもしれない、と亀甲には言ってある。

「よお。来たか」

「入るよ」

 言いながら大般若が障子を開ける。そういえば、ここはいつ来ても物が増えているということがない。大般若自身、いいものを長く使いたい質だが、日本号の方はそもそも気に入ったものしか買わないようで、ストックされている消耗品が入れ替わる以外の変化を大般若は見たことがなかった。

 

「で、今日はどうした?オレでいいなら、聞くだけはできるぜ」

 つまみも半分、尽きぬ酒以外に用意されていた瓶は八割方、なくなった頃だった。いい具合に酔いが回って、何を言っても平気な、けれど言われたことをすっぱり忘れてしまうほど潰れてもいない、絶妙な頃合い。呑み取りの槍だけあって、日本号はこういう見極めがひどく上手い。

 

「あー、いや。よくある話さ。振られたんだよ。もうひとのものだからって」

 他人のもの、人の物。打たれた時から、とっくに自分らはひとのものだ。どんなにその美しいのに惚れ込んだとしても、この一時だって手に入りはしない。

「それがどうした?」

 事も無げに言われて、刹那の間大般若の思考は停止した。

 

「おいおい、ちょっと非道くないか……?」

「んなこた先刻承知で惚れたんじゃねえのか、っつー話よ」

「あんたに言われてもなあ」

 この槍が想った相手を手に入れたことは、本丸中が知っている。東西の二名槍は、普段の言動こそ悪友といった風だが、互いへの好意を隠そうともしない。脇差がなんとかかんとか言い包めて御手杵から聞き出しているらしく、夜の内情すら一部には知れ渡っている始末。少なくとも大般若の耳に入っている限りでは、お熱くて結構、という感想しか抱けない。

 元々御手杵は審神者が相手だろうと嫌なことは態度に出すし、口でも言う。忠誠心が低いと言うほどではないにしろ、一人だけにその心を向けるようなタイプではない。

 

 惚気を聞く心の余裕は今無いんだが、と言おうとした矢先のことだった。

「……手杵はな、もう亡いんだ。だからこれが夢でも現でも、あいつがオレのものになることはない」

 少なくとも、あいつ自身はそう言うんだ。

 ようやっと人のものでなくなったと思えば、今度は死神の手元。だがそれがどうした、と西の槍は言う。あれが燃えて溶けてなくなった、それをどうすることもできない。そもこの身はいずれ人の都合で解かれる分霊の一つ。だがそんなことが理由にならない程度には、日本号は諦めが悪かった。

 

 成程、奪ったところで手に入りはする。だが大般若はそれを結ばれたと言いたくはなかった。義輝の元から引き離されたそれを、三好と自分の運命だったとは、言いたくない。

 

「ものにするのとそういう仲になるのと、ついでに惚れ込むのは違う、と」

 

 打刀、亀甲貞宗。大磨り上げの後、茎に亀甲菊花紋が彫り込まれた無銘の貞宗。人に縛られるその様ごと、きれいだと思った。ならば、嗚呼。それごと愛でて、そんなお前がいいのだと口説き落とすしかないのだろう。

 とうに空になった切子を傾けて、そんなようなことを言ったと思う。

「そうかい」

 言葉とともに、大般若の手元に透明な液体で満たされた杯が差し出される。いつの間に用意したのか、燗のついた大吟醸。先程冷やで飲んでいたものとは別だ。彼が一晩に市販酒を二本開けることなど滅多にないのに、と大般若が隣の男を見やった。

「そら、飲みな」

「……嗚呼。美味いな」

 これはきっと、とっておきだ。一息で飲もうとして、感じた香りに勿体無いと一口だけ含んで呑み下ろす。

「気に入ったんならやるよ。人の身の一番の楽しみだ、他の奴にも分けてやれ」

 示された瓶を貰い受けない選択肢などなかった。きっと、まるごと独りで飲んでしまっても日本号は責めないだろう。だが大般若の方が、これを彼に飲ませてやりたいと思ったのだ。

 

 

 

 その日の出陣部隊は隊長へし切り長谷部、以下愛染国俊、にっかり青江、亀甲貞宗、大般若長光、蛍丸。極刀と指揮可能刀装兵三単位の刀剣ばかりに囲まれた進軍であれば、練度七四の亀甲貞宗が真っ先に深手を負ったのは当然の帰結といえた。

 

 真白の洋装はまだらに赤が滲み、通う血が齎すずくずくとした鈍い痛みと、傷の上を吹く風や触れる布による不意の鋭い痛みが混じり合う。それすらも元は主の命による出陣によるものと思えば悪いものではないが、けれどこの脇差は違う。

 一尺半ほどの脇差を咥えたヒトの頭と蜘蛛が結びついた異形。中脇差_丙。すばしこくて硬いその身をもって、亀甲貞宗を甚振らんとしている。ただ自らの悦のために。

 

 自分は決して、このようなものの思うようにされるため此処に在るのではない。息を止めて、霊気を収束させる。大振りに脚を振り上げて此方の腹を狙う中脇差の懐へ潜り込む。穢らわしい刃の届かない所へ。

「……愛のない痛みに、価値はないんだよ」

 外骨格の隙間に鋒をねじ込み、そのまま腹を切り裂く。

 

 蛍光緑褐色の体液が敵の肉体とともに崩れていく中で、柔らかな鋼色が勝利を謳っている。丁度赤色に燃える槍を仕留めた大般若長光はそれを見て、ああこれは刀だと、人に使われて敵を斬るものなのだと、どうしようもなく痛感した。

 

 

 

 望月に僅かに足りないものが空に浮かんで、飛び交う蛍とともに庭を照らす。そんな夜だった。

「どうだ、一杯。日本号から分けてもらったんだが、独りで飲むには惜しい上物でな」

「うん。ご相伴に預かろうか」

 

 廊下に通じるを開け放して、近隣を起こさないように小声で話す。鴇色と銀の頭が時折振れる他は、肌を晒した手が大吟醸と大般若の用意したチーズやサラミを口元に運ぶだけ。

 

「こんな夜は、月が綺麗だなあ」

 そういう男の丹色は、しかし月ではなく地に向いていた。銀灰色の瞳が空を向いて、隣の男を見て、それから言葉の意味を咀嚼するのに少し時間を置いて、杯に目を落としてから亀甲貞宗は口を開いた。

 

「……ねえ、三日月さんだって大包平さんだっているのに、どうしてぼくなんだい?」

「とっくに口説いたぞ?袖にされちまったが」

 少しの沈黙。これは冗談を言っている場合ではない、と大般若も声僅かばかり低めた。

「……そういう意味じゃないってか。そうだな、」

 あー、と呻いてから、大般若は単純極まる答えを返した。

「分からん」

「……大般若くん?」

「なんと言うかなあ」

 

 ──世間一般に「美しいもの」はそりゃあ美しい。「価値あるもの」はそりゃあ素晴らしい。だがそれとは別に「俺の好み」と言うべきものができたんだと、たぶんそういうことだ。その上で、いや、その下に、かな。俺たちは審神者に影響される。それはどうしようもない事実だ。それは審神者の価値観だったり、前評判の思い込みだったり、願望だったりするもんで、実際問題どこに影響が出てるのかなんてことは誰も知らん。それで言うんだが、俺が思う「美しいもの」はきっと主に影響されている。

 

「だからこれが俺の意思なのか、『大般若長光』の趣味なのか、主の価値観をそのまま持ってきたのか、分からないんだ」

 本当は、これを言うつもりではなかった。自分でも、巫山戯るなと一喝されても仕方がないと思う。けれど他でもないこの亀甲貞宗に聞かれてしまったのなら、大般若に誤魔化すという選択肢は選べなかった。

 

「それでもいいかい?」

 本気になるというのが、ここまで恐ろしいものだとは思わなかった。こうして絞り出す声が震えてはいまいかと不安にもなり、それどころかここで隣に座る青年を見やることすらできない。

 

「ええと、なんて言ったらいいのかな」

 とても長い、けれど実際は十秒にも満たない沈黙の後、亀甲貞宗がそう切り出した。

「きみがなにをしたいのかもよく分からないけど、ご主人様を優先してもいいのなら、応えてもいいんじゃないかと思い始めてしまったよ」

 これを、人は絆されたと言うのだろうか。そう言うには、自分は随分冷たいことを言っている、と亀甲貞宗は思う。誰かが主人にこんな風に愛を乞うたとしたら、不興を買ったとしても止めに入るだろう。

 大般若長光の方も、他所から聞かされたのならひどい話だと言うだろう。けれど、ひとの型を得てまだ二ヶ月の自分たちにとってはこれが精一杯だということは痛いほどに分かっていた。すべてはこれから探せばいい。この戦が終わるまで、きっとまだまだ時間はある。

 

「そうだな。俺もあんたも、はじめから刀だ。あんたの唯一にも主人にも成れんが、それでもいいなら宜しく頼むよ」

 手始めに、彼の白魚のような手を取って、人差し指と中指の爪先に軽く口付ける。無銘の打刀は相変わらず不思議そうな顔をしていた。まあいい。鋼も、ひとがたも、亀甲貞宗は美しい。そのことは彼自身よく知っているのだから、それ以上の理解など必要ない。



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