機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ vivere militare est   作:kia

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第19話 始まりの光景

 

 

 

 

 ドルトコロニーで行われていた戦闘は、一人の少女の決意によって終結に向かおうとしている。

 

 『革命の乙女クーデリア・藍那・バーンスタイン』

 

 人々から揶揄され、創り上げられた幻想の存在。

 

 自身ですら張りぼてであると自覚していた幻想の英雄は今、自分の意思で表舞台へと立った事で本物となった。 

 

 結果がどうあれ、もはや逃げる事は叶わず。

 

 クーデリア・藍那・バーンスタインは生涯、コレと向き合っていく事になるだろう。

 

 世界に革命を主導した英雄であり、未曾有の混乱を招いた魔女であるという事実と。 

 

 そして此処に一人、英雄の誕生を心から祝福していた人物がいた。

 

 仮面を纏った男『ヴェネルディ』

 

 自らの母艦でクーデリアの演説を聞きながら、口元には笑みが張り付いている。

 

 「流石革命の乙女と言った所か。どうだったかな、今回の件については?」

 

 ヴェネルディが背後に視線を向けると、そこには年端に満たない少年達が、険しい顔で画面の中を見つめている。

 

 彼らは皆、各地から保護したヒューマンデブリである。

 

 その中にはブルワーズから離脱した昌弘達も含まれていた。 

 

 「ふむ、腑に落ちなさそうな表情だ。疑問があるのなら私が答えよう」

 

 「あ、えっと」

 

 確かに見ていて疑問は浮かび上がってきた。

 

 ヒューマンデブリとして生きてきた昌弘達は、物事に対する疑問や質問を持つという事自体に慣れていなかった。 

 

 だからヴェネルディに対して質問などしても良いのか判断出来なかったのだ。

 

 そんな彼らの心境を読み取ったのかヴェネルディは笑みを浮かべて先を促す。

 

 「構わない。君達を縛る鎖はもうないんだ。自由に質問したまえ」

 

 「は、はい! その、何でギャラルホルンは鉄華団を壊滅させずに退くのか分からなくて」

 

 画面の中ではイサリビに対してギャラルホルンの部隊が攻撃を加えず、素通りさせている光景が映し出されている。

 

 戦力差は一目瞭然。

 

 このまま戦闘継続してもギャラルホルンの勝利は揺るがない。

 

 にも関らず、鉄華団を仕留めない理由が昌弘には理解出来なかった。

 

 「なるほど、戦場で生きてきた君達らしい疑問だな」

 

 「も、申し訳ありません」

 

 「謝る必要はない、分からない事はこれから学んでいけばいい。今回の件、簡単な話だよ。ギャラルホルンも組織なのさ」

 

 クーデリアの演説と規制していた筈のコロニーの現状が正確に世界に放映された事で、アフリカンユニオンからギャラルホルンへ戦闘中止の要請がなされたのだ。    

 

 アフリカンユニオンとしてはギャラルホルンと結託し、邪魔者の排除し他の労働者の見せしめとするつもりが、クーデリアの介入で想像以上の惨状が明るみに出てしまった。

 

 これ以上の騒乱は世界の信用を失うと判断したのだ。 

 

 ギャラルホルンとしても、地球経済圏の一つから戦闘中止の要請を受け、世界に注目されている以上は勝手な行動を取る事が出来ない。

 

 何故なら彼らは治安維持を司る世界の番人なのだから。

 

 だからこそ鉄華団に手を下す事が出来ないまま、見逃すしかなかったのだ。

 

 「張りぼてだろうと世界の番人を名乗る以上、皆の前で粗相は出来ないのさ。そして現場はそんな上からの命令に従わざるを得ない」 

 

 「……なる、ほど」

 

 「無理にすべてを呑み込む必要はないよ。ゆっくり理解できるようになればいい。まあ、こんな腐敗した世の中について理解する方が不幸かもしれないがね」

 

 まるで小動物を愛でるように昌弘の頭に手を置くヴェネルディには、確かな慈愛が存在した。

 

 少なくとも昌弘達をヒューマンデブリと嘲ってなどいない。

 

 その言葉も、仕草も、気配からすら負の感情が伝わってくることは無く、真実昌弘達を労り思いやっていると感じ取れる。

 

 昌弘以外もそれを感じ取っているのか、全員が感動したような視線をヴェネルディへ向けていた。

 

 「それで彼らへの手土産の準備はどうなっている?」

 

 「滞りなく。しかし彼らが我々の提案を受けると判断されるので?」

 

 「フッ、彼らにもはや退路はない。こちらの手を取らざる得ないさ。テイワズにとっても上手くいかねば利益は得られない以上、断る選択はない。ノブリスも一枚噛んだのなら尚の事」

 

 クーデリアは映像を世界に放映する為、ハーフメタル利権を盾にノブリスを利用した。

 

 ハーフメタルの利益に目がくらんだのか、それともクーデリアが使えると判断したのか。

 

 どちらにしろこの事を切っ掛けにして、ノブリスは暗殺から利用する方へ方針を転換したと報告を受けている。

 

 そんな彼が地球行きを辞めさせる筈がない。

 

 マクマード・バリストンを説き伏せてでもクーデリアの地球行きを強行するだろう。

 

 「では今後の方針は?」

 

 「地球外縁軌道統制統合艦隊。狙いはそこだ」

 

 

 

◇  

 

 

 

 ドルトコロニーでの窮地からどうにか脱する事に成功した鉄華団。

 

 しかし問題は何一つ片付いておらず、むしろより山積したような状況になっていた。

 

 それはオルガの対面に座る名瀬の渋い表情からも明らかだった。

 

 「ヴェネルディ商会、古くから続く老舗の貿易商。何ら問題の無い企業だ。だが―――」

 

 「兄貴?」

 

 「いや、親父からも問題ないと言われているがな」

 

 名瀬は素直にGOサインを出す事が出来なかった。

 

 出来る限りの調査は行ったし、いかにヴェネルディ商会が老舗だろうとも、テイワズ相手にそうそうやらかす事は出来ないという理屈も分かる。

 

 しかしどうしても最後の一線において、ヴェネルディ商会に頼るという選択には抵抗があった。

 

 「でも兄貴、他に道は―――」

 

 「ああ、成り行きとはいえ派手にやり過ぎた。まともな方法で地球に降下するのはもう無理だ。なら後は、ヴェネルディ商会が用意したっていうシャトルでの降下しか手はねぇ」

 

 わかってはいる。

 

 だが、事前に終わらせていたとすら思えるマクマードへの根回し。

 

 さらには贈り物と称して送りつけてきた様々な物資の数々。

 

 此処までの用意周到さ。   

  

 先行投資というには、あまりにも過剰すぎる。

 

 「オルガ、お前らの覚悟は変わらねぇんだな?」

 

 「ああ、鉄華団として仕事はきっちりやり遂げる」

 

 オルガの変わらぬ決意に名瀬も覚悟を決めた。

 

 弟分が気張ると言っている中、どうして兄貴分たる自分が動じていられようか。

 

 「分かった。余計なしがらみの事は気にせず、お前らはキッチリ仕事をこなしてこい!」

 

 「はい!」

 

 その頃、格納庫では喧噪と怒号とも言える声が飛び交い、稀に見る大騒ぎになっていた。

 

 理由は一歩その場に足を踏み入れれば一目瞭然だった。  

 

 格納庫はヴェネルディ商会より送られた物資で、人も中々通れない程、溢れ返っていたのである。

 

 「たく、これじゃ整理もままならないぜ。ヴェネルディ商会ってのはずいぶん気前の良い連中らしいな」

 

 「良いじゃないですか、これ全部タダでもらえたんでしょ?」

 

 「そうそう」

 

 「馬鹿野郎、この世の中タダより高いもんはねぇんだよ」

 

 何気ない言葉だったが、雪之丞の一言には何ともいえない含蓄が籠っていた。

 

 過酷な環境である火星で生きてきた雪之丞にとって、単純な善意のみでこれだけの物資を提供するとは信じがたかったのである。

 

 「でも助かるでしょ」

 

 「そりゃまあな。だがアレも含めてこれを整理すんのは一苦労だぞ」

 

 物資も避け、ある程度の空間が保持された格納庫の片隅。

 

 そこにはバラバラにされたモビルスーツのパーツが雑多に置かれていた。   

 

 量的には数機分。

 

 新品のように無傷の物もあれば、酷く破損した物もある。 

 

 アレは所謂戦利品という奴だ。

 

 イサリビの直掩についていたナーシャが、先の戦闘中に鹵獲したグレイズのものだ。

 

 あの激戦の中、器用な事をするものだと感心するが、問題もある。   

 

 「アレ持って来ちゃって大丈夫なの、おやっさん?」 

 

 「あの騒ぎのどさくさに紛れてたから、大丈夫だとは思うが。一応エイハブリアクターの方を細工すれば簡単にはバレないらしい。グレイズ改弐、あ~いや、流星号の運用データも使って色々試すとか言ってたな」

 

 「へぇ、あ、じゃあアレ組み立てて使うって事だよな? 俺、乗りたい!」

 

 「ライド、お前な!」

 

 「残念ながらアレに乗るのはクランクだとよ。ま、グレイズに一番詳しいのはアイツだからな。色々データ取るにはうってつけなんだとさ」

 

 ライドには残念な話だろうが、テイワズ的にはモビルスーツ開発に生かしたいという思惑があるのだろう。

 

 ナーシャもそれを見越していたのか、鹵獲した機体の一部はハンマーヘッドの方へ移送済みである。

 

 「おら、無駄口叩いてないでアスベエルとバルバトスの改修作業急げよ! せっかくパーツがあっても取りつけなきゃ意味ねーぞ!」

 

 「ウッス!」

 

 ハンガーに固定された二機のガンダム・フレームに、ヴェネルディ商会から提供された装備が着々と装着されていく。     

 

 「……まるで初めからこいつらの為に用意されたみたいにしっくりくる。ハァ、考えすぎてるだけならいいんだが」

 

 纏わりつく不安とは裏腹に装備が揃い、改修を終えた二機の姿は雄々しく、そして輝いて見えた。

 

 戦う術を得る事は悪い事ではない。

 

 かつてリアクターの調整すらままならなかった頃に比べれば遥かにマシである。

 

 しかし、何処か不気味な悪意が見え隠れしているような気がしてならなかった。

 

 

 

 

 地球降下への準備が着々と進んでいく中、ハルは静かに宇宙を眺めていた。

 

 膝の上ではクーデリアが泣き疲れたように眠り、手の中には血で汚れたフミタンのネックレスが握りしめられている。

 

 「……覚悟していたとはいえ、無理もないな」

 

 クーデリアの頬を撫でながら、ハルも嘆息する。

 

 長い付き合いであるハルでさえ、フミタンの死はショックだった。

 

 家族と思っていたクーデリアはそう簡単に割り切れないだろう。

 

 だからこそ明らかに無理をしているようで心配なのだが。

 

 「そういえば前もこんな風にしてた事があったな」

 

 あの日もクーデリアが泣いていたのを慰める為に、こうして膝を貸した事があった。

 

 昔は現実に直面する度に気落ちした彼女を慰めていたものだ。

 

 「どっちが年上なんだかな」

 

 「私の方が年上」

 

 物思いに耽っている内に目を覚ましていたのか、クーデリアが不満気に睨んでいた。 

 

 それでも膝の上から退かない所を見ると、もう少しこうしていたいという事だろう。

 

 「ハルは昔から私を子供扱いしすぎ」

 

 「子供扱いしたつもりはないですけど、世間知らずではあったでしょう」

 

 「うっ」

 

 それは否定できないと視線を逸らす。

 

 そもそもハルとの出会いもその世間知らずが原因といえば原因なのだから。

 

 

 

 

 切っ掛けは実はよく覚えていない。

 

 些細なものだったような、それとも聞き流せない暴言を聞いたからか。

 

 ともかく最初の動機は些細なものだったと断言できよう。

 

 だがこれだけは覚えている。

 

 最初に歩き出したのは、世間も知らぬ小娘以下の時だったと。

 

 クーデリア・藍那・バーンスタインは、火星に住まう子供としては間違いなく恵まれた人生を送っていた。

 

 地球圏アーブラウ領クリュセ独立自治区代表の娘。

 

 住む所は勿論困らず、飢える事もなく、満足な教育を受け、約束された人生を歩む。

 

 他人から見れば羨まれる贅沢な生活を送っていたのは間違いない。

 

 しかし彼女はそんな生活が不満だった。

 

 ただ与えられ、言われたことに従って生きる。

 

 そんなもの人形と何が違うという。

 

 幼いながらも不満は燻り、反抗が口に出るようになる頃には彼女は外に興味を持ち初めていた。

 

 何故なら父も母も外、すなわち火星の事に触れたがらなかったからだ。

 

 触れても平然と貶したり、無関心だったり。

 

 質問にすら答えるもの億劫だとあしらわれる始末。

 

 侍女であったフミタンの影響も大きい。

 

 彼女自身もクーデリアに思うところはあるのは察していたが、決して拒絶する事だけはなかったから。

 

 その日も見た事のない外の世界を見に行っただけだった。

 

 場所は屋敷の近くにあるスラムの一画。 

 

 だがフミタンとはぐれ、騒ぎに巻き込まれるとは思わなかった。

 

 「あ、あ」

 

 正直、何が起きているのか理解出来なかった。

 

 言葉を発する事も出来ず座り込み、目の前にある『人だったもの』を注視する。

 

 頭から血を流し倒れ伏しているのは、先ほどまでクーデリアに刃物を突き付けていた男だった。

 

 何が目的なのか問い質そうとした瞬間、銃声が響く。

 

 淀みなく発射された銃弾は男の頭部に穴を空け、血を噴出して背後へと倒れ込む。

 

 人が死ぬ瞬間を間近にしてショックは受けた。

 

 しかしそれ以上にショックだったのは、目の前でいとも簡単に殺人を犯したのが自分よりも年下と思われる少年であった事だ。

 

 さらに少年の視線は見た事がない程に冷たい。

 

 動かぬ死体を塵のように見下ろし、念の為にもう一発銃弾を急所へ撃ち込む。

 

 そして、腰が抜けたように座り込んだクーデリアを警戒するように睨みつけてきた。

 

 「お前、市街の人間だろ。何でスラムに居る?」

 

 人はあそこまで冷酷な視線を向ける事が出来るのかと、身震いする。

 

 もはや人の目ではなく例えるなら悪魔のよう。

 

 血と硝煙の臭いに包まれた凄惨な殺人現場。

 

 

 それがハル・ハウリングとクーデリア・藍那・バーンスタインの初めての出会いだった。

 

 

 結局、何か出来た訳でもなくいつの間にか合流していたフミタンと共に家に戻った。

 

 とはいえ大半呆然としていて何をしたのかも覚えていない。

 

 脳裏に浮かんでいたのは初めて見た世界とそこに住まう少年の姿。

 

 死の恐怖と嫌悪が胸の中に燻ってはいたが、それ以上に彼が何故殺人を犯していたのか気になって仕方がなかった。

 

 そもそも自分が外の世界を知りたいと思って外へと出たのだ。

 

 目を背けたい想像もしていなかった出来事に遭遇したからといって、引っ込んでは意味がないだろう。

 

 まあ相当刺激が強かった事は認める。

 

 心が折れそうになったのも事実だ。

 

 それも認めよう。

 

 それでも再び外の世界に足を向けたのはクーデリアの意地だ。

 

 此処で諦めれば外の世界へ行こうという心自体がへし折れ、二度と歩き出す事は出来ない。

 

 それでは散々火星をこき下ろし、苦言を呈してきた父や母の言い分を認めてしまう事になる。 

 

 それだけは駄目だ。

 

 子供ながらの反発心や義憤に従い、再びクーデリアはスラムへ足を運び、あの少年を探した。

 

 自分に衝撃を与えた彼と話す事が、自分が今まで知らずにいた現実を理解する為に必要だと思ったのだ。

 

 「お前、何でまだ此処に居るの?」

 

 再会は思った以上に簡単だった。

 

 少年は想像以上にスラムでは有名人で、スラムの子供に尋ねるだけですぐに居場所を知る事が出来た。

 

 スラムでの立ち回りに詳しかったフミタンのお陰でもあったのだが。

 

 「それで何の用だ?」

 

 すべてを警戒したような声色。

 

 何不自由なく暮らす市街の人間が、スラムにいる自分達に何の用があるのかと疑っている。

 

 当然の疑問だった。

 

 下手に返答を間違えると少年はクーデリアを殺す事も厭わないだろう。

 

 だから何の躊躇いも、淀みもなく、はっきりと自分の思いを口にした。

 

 「……私は貴方達の事が知りたい。だから会いに来たの」

 

 「は?」

 

 その時の顔は忘れない。

 

 殺人すら厭わない冷徹な殺意を宿した少年が、年相応の呆けた表情に変わったのだから。

 

 「私はクーデリア・藍那・バーンスタイン、貴方は?」

   

 「……ハル。ハル・ハウリング」

 

 彼との最初の会話はこんなもの。

 

 それでも切っ掛けとしては十分で、その証拠にこの日を境にクーデリアは屋敷の人間も知らない抜け道を使い、足繁く彼らの下に足を運ぶ。

 

 交流は予想よりも順調で、そしてクーデリアが思った以上に居心地が良かった。

 

 普段から表情を変えずスラムに黙ってついてくるフミタンも子供達の前では笑みを浮かべ、同世代との交流がほぼ無かったクーデリアにとって此処は初めて友達が出来た場所となった。

 

 交流を深めていくと同時に彼らの置かれた境遇や立場も見えてくる。

 

 廃棄された倉庫を根城に集まっていたのは、親も身寄りも無い孤児ばかり。

 

 その日暮らしで教育も碌に受けていない。

 

 生きていくのがやっとの、今の火星を象徴する子供達だ。

 

 ハルと同年代のジャンはやや粗野な面が目立つが、仲間思いで面倒見も良い。

 

 アンナは穏やかな性格で、大人しいが芯が強い。

 

 メリアは一番年下で甘えん坊ではあるが、出来る事を一生懸命こなす。 

 

 個性的な面々ではあるが、皆必死に生きていた。

 

 そんな中でもハル・ハウリングだけは毛色が違っていた。

 

 教育は受けていないが、素人目にも戦闘技術が高く、浮浪者とはいえ大人数人を軽く叩きのめせる実力を持っている。

 

 さらに何処で知り合ったのか資産家モーゼス・マーソンから仕事を受けて、他の子供達の面倒も見ていた。

 

 「……別に面倒を見てる訳じゃない。ただ放っておくと死ぬから仕方なく」

 

 と、本人は否定していたが、孤児たちが餓死する事無く生きていられたのは、彼が仕事で金を稼いでいたからなのは間違いない。

 

 その仕事については聞かなかったが、彼の戦闘技術を生かしたものであるのは考えるまでもなく分かる。

 

 曰く『生きる為には戦うしかないからだ』と口癖のように言っていたから、彼自身にも疑問はないのだろう。

 

 それについては思うところがあった。

 

 だが彼の境遇から考えても他に選択の余地がないのも事実。

 

 そこでクーデリアが考えたのが、勉学を教える事だった。

 

 教養が身に付けば、出来る事も増える。

 

 選択肢が広がる筈だと。

 

 他の子供達を集め、嫌がるハルを引っ張って。

 

 少しづつ文字や知識を教えていく。

 

 その中でハルとの関係も変化していった。

 

 具体的にクーデリアはハルに対して年上ぶるようになった。

 

 それは傷だらけでいつも無茶ばかりしている彼を放っておけないという心情からくるもの。

 

 応急手当のやり方を覚えたのも、医療関係の本を読み始めたのもそんなハルを気にかけていたからだ。

 

 反面ハルからすればクーデリアは頼りない少女である。

 

 確かに知識はあっても世間知らずな所も多く、抜けた発言も多い。

 

 そんな彼女に年上ぶられても、ハル的には「おいおい、自分を顧みろよ」と言いたくなる訳だ。

 

 それが原因で喧嘩したり、張り合ったりと騒がしくも充実した日々はクーデリアにとって何よりも大切なものになっていった。

    

 楽しかったのだ。

 

 失いたくないと思ったのだ。

 

 しかし周囲の大人達は違った。

 

 地球圏アーブラウ領クリュセ独立自治区代表の娘がスラムに出入りし、小汚い孤児達と戯れている。

 

 噂話として聞くだけでも、良くない印象を持たれる事は必至。 

 

 クーデリア本人に話をしても反発されるだけで、言う事を聞く様子もなかった。

 

 今は露見する事無く済んでいるが、クーデリアの行動が世間に知られれば、ノーマン・バーンスタインにも害が及ぶのは避けられない。

 

 政治に関わる者としてスキャンダルは致命傷になる。

 

 故にノーマンの行動は早かった。  

 

 目障りなスラム一画の強制排除に乗り出したのである。   

  

 元々ハル達の居たスラムは住宅街やクーデリア達の屋敷にも近く、早々に潰してしまおうと計画を立てていた。

 

 あそこでは窃盗や暴行など日常茶飯事。

 

 殺人や薬や人のなどの売買も平然と行われているスラムは百害あって一利なし。

 

 クーデリアの件はきっかけの一つに過ぎないが、実行に移すには絶好の機会。

 

 治安回復を名目にすればスラムの一つや二つ、潰した所で問題にならない。    

 

 そこに住まう者については言わずもがな。  

 

 居るだけで治安を乱す彼らがどれだけ犠牲になろうと誰も文句は言わない。 

  

 否、治安回復はノーマンの成果となり、協力したギャラルホルンとも繋がりが持てる。

 

 マイナスは無い。

 

 すぐに当時のギャラルホルン火星支部の本部長に連絡を取り、治安維持を名目にした作戦が展開された。   

 

 市街に住まう者には区画整備を名目に一時その場から離れさせ、突如スラムは封鎖、退去指示も出ないままに排除が開始される。

 

 当然の事ながら攻撃を受けた側に成す術はない。

 

 繰り広げられるのは抵抗も出来ずに殺されていくという悪夢の光景だった。

 

 大人も子供も関係ない。

 

 ただその区画にいる者は例外なく排除された。

 

 「こんな……こんな」

 

 「お嬢様」

 

 数日前から屋敷に閉じ込められ、やっとの思いで外へ飛び出したクーデリアが見たのは居心地の良いいつもの場所ではなく、地獄だった。

 

 大人、子供関係なく死体となって積み重なり、そこら中から悲鳴やうめき声が聞こえてきた。      

 

 「此処は危険です。一刻も早くこの場を離れましょう」

 

 「で、でも、フミタン、皆が、皆が」

 

 何時も子供達が駆け回る遊び場も、授業で使っていた汚い机も、皆で語り合ったテーブルも、すべてが無残に破壊され、そしてそのすぐ傍には―――

 

 「うっ、うぇぇぇ」

 

 せり上がってきたものを堪えきれずに嘔吐する。

 

 何度も何度も。

 

 フミタンが背中をさすってくれるが胃の中が空になっても尚、吐き気が収まる気配はない。

 

 「う、ああああ」

 

 止まらないのは嘔吐だけでなく、涙もだ。

 

 視界に先で倒れている『人間だったもの』はつい先日までクーデリアと共に笑い、過ごしていた子供達だった。

 

 崩れた建物に押しつぶされた子もいれば、銃で撃ち殺された子もいる。 

 

 「な、何で、こんな」

 

 「お嬢様!」

 

 フミタンに引き起こされ、咄嗟に崩れた建物の陰に隠れるとギャラルホルンらしき兵士達が近くを通り過ぎて行った。

 

 「これ以上は危険すぎます。ギャラルホルンに目を付けられる前に脱出します」

 

 問答無用とばかりに手を引くフミタンに連れられ、走り出す。

 

 怒号と悲鳴、銃声と破壊音が響き渡る中を走り抜いた。

 

 全身が薄汚れ、ようやくスラムの端から這い出た先にハル達を発見した。

 

 ジャンやアンナ、メリアといった数人と共に力なく座り込み、すぐ傍には屈強な初老の男モーゼス・マーソンが立っていた。

 

 「ハル!? 怪我を!」

 

 大きな怪我はないようだが、ハルの右頬は赤く腫れ上がっていた。

 

 駆け寄ってハンカチを頬に当てる。 

 

 「心配いらねぇよ、お嬢ちゃん。コイツが冷静さを忘れて暴れ回ろうとしたんで、殴って落ち着かせただけさ」

 

 当初はモビルスーツを持ち出してでもギャラルホルンと戦おうとしたらしい。

 

 しかしそれをモーゼスが無理やり止めた。

 

 普段冷静なハルが、そこまで感情的になるとは―――

 

 いや、あの光景を見れば当然だ。

 

 毎日共に過ごしてきた家族が塵のように殺された。

 

 感情的になるのは人間として正しいあり方だ。 

 

 「……もう大丈夫、冷静になったよ。でも何でこんな」

 

 「もしかして私がスラムに通っていたから、お父様が……」

 

 「それは違うだろうよ。勿論、此処に通っていたのは気に入らない事だっただろうけどな、それならお嬢ちゃんを近寄らせなきゃいい。無理やりでもな」

 

 その通りだった。

 

 クーデリアの行動に不満を覚え、スラムへ近寄らせないようにするなら軟禁でも何でもすれば良いだけ。 

 

 ギャラルホルンを巻き込んで、こんな強硬策に打って出る必要は無いように思う。

 

 「この用意周到さ、聞こえてきた噂からしてずいぶん前から計画していたみたいだな。お嬢ちゃんの件は単なる切っ掛けだろうよ」

 

 「切っ掛け?」

 

 「元々街にも近く、目障りだったスラムを潰す計画を実行に移す為の切っ掛けさ。スラムなんざ無くたって誰も困らない。あるだけ邪魔ってな」

 

 「そこに住んでいる人もいるのに?」

 

 「それこそもう分かってるんだろ。火星の現実って奴が。この火星でまともに生きているのは一部だけ。大半が人としてすら認識されずにゴミ扱いだ。今回の件も話題にもならずに忘れられるだけさ」

 

 分かっていた筈だった。

 

 そんな火星を知る為に自分は外の世界に足を踏み入れた筈だ。

 

 自分の無力さ、迂闊さ、不甲斐なさに怒りがこみ上げる。 

 

 未だ止まらぬ涙が零れている事にも気づかず、クーデリアは徐々に決意を固めていく。

 

 それが自分の未来を決定する選択とも知らずに。

 

 「……こんな、こんな事が当たり前で許される、それが今の火星だというのなら。私がそれを変えます。そしてハルが、貴方達が幸せに暮らせるようにしてみせます」

 

 「意味が分かっているかい、お嬢ちゃん? それは世界に喧嘩を売るって事だぜ。確かにコレは当事者から見て理不尽だし、許せないだろうよ。だがな、この件で得をした人間も確かにいる、この結末を望んでいた奴らがいる。それらを全員敵に回すって意味をきちんと理解しているかい?」

    

 分かっている。

 

 今日の件は決して悪意のみで行われた事ではない。

 

 市街で普通の生活を行っている人々にとって、スラムなど無い方が良いと思っている。

 

 クーデリア自身、知らないままであったなら、スラムの一画が無くなっただけと気にも留めなかったに違いない。 

 

 クーデリアの言っている事は現状の変化であり、秩序の破壊でもある。

 

 変えるという事は、現状にて利益や得をしてきた者達も無関係ではいられない。

 

 最悪、邪魔な存在としてクーデリアを全力で排除しにくるだろう。

 

 命を失う可能性の方が大きい。

 

 「なら俺が守れば良いだろ」

 

 「ハル……」

 

 「お前が今の火星の為に戦うっていうなら、俺が守ってやる。誰だろうが殺してやる」

 

 「けど覚悟はあるんだろうな、お嬢ちゃん? この先、間違いなく誰かが死ぬ。大勢死ぬ。その中にはフミタンやハル達も含まれてる。それでも?」  

 

 モーゼスの問いに即座に返答出来ずに言葉を詰まらせる。

 

 フミタンも、ハルも、そして他の皆もクーデリアにとって何にも換えられない大事な存在だ。

 

 それを失うなど考えたくもない。

 

 だけど目の前で起きている事を見て見ぬふりは出来なかった。   

 

 「……正直、覚悟なんてありません。でもこのままで居たとしても、いつか今回みたいな事が起きてハル達の命が奪われるかもしれない。その時に後悔だけはしたくない」

 

 「俺の事は気にしなくていい。どうせヒューマンデブリだ」

 

 「そんな事! 私はそういった事を無くしたい、貴方が幸せに生きられる世界にしたいんです」

 

 それは自らを縛る誓いの言葉。

 

 原点となる一つの悲劇の光景を胸に刻み付け、何時しか少女は少年の膝上で目を閉じた。 

 

 

 

 

 それからのクーデリアは行動は迅速だった。

 

 ジャンやハンナ、メリアといったあの事件から逃れた仲間をモーゼスに預け、ハルを自らの護衛役にすべく教育、手を回し、さらに火星に関する情報を収集、各所で自分と同じ考えを持つ者達との会談を行った。

 

 利用されている事も承知の上で。

 

 「ハル、私はあの日から進めているでしょうか?」

 

 「ああ。現に地球まで来てるじゃないか。あの頃には想像も出来なかったよ。大丈夫だ、頑張っている、クーデリアは」

 

 労わるようにゆっくりとクーデリアの髪を梳く。

 

 ハルもいきなり上流階級の家で護衛役をこなさなければならないという事で、ずいぶん苦労した。

 

 話し方、作法、服装とクーデリアから口煩く言われたものだ。

 

 それでもクーデリアの苦労に比べれば微々たるものだろう。

 

 「……もうフミタンはいない。でも俺が居る。俺が必ず守ってみせる。だからお前は何も気にせず前に進めばいい」   

 

 「ハル、貴方まで居なくなったら」

 

 「大丈夫、俺を信じろ」

 

 見上げてくるクーデリアの不安を和らげようと、ハルはあえて笑みを浮かべて、髪を梳き続ける。

 

 地球に降下する前の最後の時間。

 

 それは驚く程、緩やかに流れていった。

 

 まるで嵐が来る前の静けさのように。

 

 

 

 

 地球から離れた暗礁宙域に身を顰めた一隻の船。

 

 そこから今まさに発進しようとしている機体がいた。

 

 全身を守るように包まれた装甲と、機動性を確保する為のバーニアユニット。

 

 コックピットに座っていたのは、無骨な機体を操るにはあまりに不釣り合いな少女だった。 

 

 《エリヤ・スノードロップ、機体の状況はどうか?》

 

 「各部正常、外部装甲、スラスターユニット、すべて異常なし。いつでも行けます」

 

 《傷が癒えたばかりで悪いが、地球の情勢は良くないらしい。頼むぞ》

 

 「了解」

 

 母艦のハッチが解放されると同時に美しい星の姿が目に飛び込んできた。

 

 感情が希薄なエリヤもその美しさに気を取られる。 

 

 だがそれも一瞬。

 

 すぐに意識を切り替えると、鋭い視線で美しい星に降り立たんとしている者達を思い浮かべる。

 

 「借りは返すよ。必ずね……エリヤ・スノードロップ、グレイズノイジー・ハイブースター行きます!」

 

 仇敵を打倒する為、新たな姿となった機体と共にエリヤは地球へと飛び出した。


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