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またお手すきの際にどうぞ。
冬晴れの空に、白い息が吐き出され、消える。
「指定校、断ったんだな」
誰にとも明言はされていなかったが、彼女も俺たちと同じく勉学に勤しんでいる様子を見ると、どうにもそうらしい。指定校枠は雪ノ下次第。そんな噂がさざめき立った時期すらあった。
「ええ」そう笑う雪ノ下からは清々しさが滲んでいる。
陽乃さんとの対決が一端終息した高校三年、雪ノ下の感情は歪んだ憧れから情熱に近い、というかこいつの本性である大の負けず嫌いが発動しただけなのだが、対立という形で復活を遂げた。要するにあの人が余裕で通過した大学受験というものに私が手こずるはずがないという趣旨のものだ。推薦も立派な成果だと感じるのは俺だけなんですかね…。
まあ、枠が一つ空くなど他の奴からしたら寝耳に水ものだろうし、それでしくじるような雪ノ下ではないから教師も安心して任せられるだろう。
「おーい! ゆきのんもヒッキーも早く―!」
しばし雪ノ下の微笑に目を奪われているところで、前方を歩く由比ヶ浜が手を振ってきた。その横では小町がニコニコと笑いながらこちらを覗いている。明らかに去年とは表情が違う。
彼女らの背後には朱色の鳥居と、烏合の衆と化した参拝客。うへぇ…。
足を速め追いつく。
「ごめんなさい」雪ノ下が瞑目して謝罪をすると由比ヶ浜は被りをふるが、俺が「人多すぎ」と毒づくと「ヒッキーうるさい」と言われた。
苛々しているのかしらん? と目を向けると、由比ヶ浜は悪戯めいた笑みを浮かべている。この時期であるから多少心配していたが、彼女はいつも通りだった。
「お参り終わったらおみくじ引きましょうよ!」
小町が威勢良く叫んだ。
例年通り、出店の出ているエリアを過ぎ、境内へと歩を進めると人ごみも緩和された。行列に並び、牛歩戦術のようにじりじりと進む。仏様もたじたじだろう。
高校三年間同じ財布を使い続けていた所為で綻びが見え始めたそれは、年季が入ったなどと言えるほど上等な革を使っているわけでもなく、そろそろ替え時かなと考える。
小銭入れをパチンと弾き開く。じゃらじゃらと漁るが、五円玉はなかった。
用意してこればよかったな、と絶対に用意してこない後悔をしながらどの組み合わせで参拝するか悩んでいると視線を感じる。チラと顔を向けると小町がいた。ぼーっと俺の手元を凝視している。
「どうした」
「あ、いや、ううん」目を覚ましたようにビクついた小町は、何かを取り繕うような表情をしたが、すぐにいつもの調子に戻る。「ふっふっふ、お兄ちゃん」
「な、なんだよ急に…」
「じゃじゃーん!」
盛大な口果音と共に差し出されたのは、打ち出の小槌。ではなく五円玉だった。
「え、なに自慢?」意味が分からず訝しんだ視線を向けと、「違うよお兄ちゃん…」と呆れたようにため息をつかれた。
「じゃあなんだよ…」
「お兄ちゃんが持ってないとき用に小町が用意していたのでしたー!」
はいどーぞっ! と掌に載せこちらに向けて来る。断る理由もなく親指と人差し指でつまみ上げる。「サンキュな」
「いえいえー、あ、今の小町的に超超ポイントたっかいー!」小町がニッと笑う。
「それがなければなぁ」
しばし兄妹談議に花を咲かせていた為に、二人がいる方向へと顔を向ける。するとバッと風を切るかのように両手を後ろに隠された。
「え、なに…」
目の前で起こった不思議な出来事に目をパチクリとさせていると、由比ヶ浜と雪ノ下はなんでもないと言わんばかりに首を振る。
確認の為に再び小町へと視線を戻す。
「うおっ」数秒前とはかけ離れた姿の妹に思わず後ずさる。
小町は両手で頭を抱えて、項垂れるようにして唸っている。「うぐぐぐ…やってしまった…」どうやらなにかやらかしたらしい。
「こ、小町…?」
「くうう、小町は今ほど自分の事を無能だと思ったことはないよ…」
頭の上のクエスチョンマークが会話の度に増えていった。
行列は大分進み、賽銭箱はもう目の前だった。
長いこと祈っていた由比ヶ浜が走って来るのを目で確認して、本堂向かって右側にあるおみくじ売り場に足を向ける。財布から百円を取り出し、巫女さんに渡す。六角形の木筒を受け取りガラガラと振ると、一本の細い棒が顔を出した。
「十八番ですねー」巫女さんは木筒に棒を戻しながら後ろの棚の十八と書かれた引き出しを開ける。
丁寧に紙を渡してくれた彼女の耳にはピアスの跡が見えて、少し気分が下がった。
少し離れた位置まで下がり、雪ノ下達を待つ。首を巡らせると常香炉が見えた。参拝客はここぞとばかりに煙を自らの身体にかけ、清めようとしている。俺の場合は目に当てればいいんですかね。失明しちゃうんですがそれは…。
「なんだったー?」おみくじを引いて戻ってきた由比ヶ浜が声高々に言う。「あたし大吉だった!」
「お前去年も大吉引いてなかったか」
走ってきた由比ヶ浜と反対にゆっくりと近づいてきた雪ノ下が紙を広げる。先ほどの由比ヶ浜の歓声が聞こえていたのか渋い顔をした。あ、負けたんですね…。
二人とも短いスカートに黒いタイツといった風貌で、タイツへの信頼感半端ないなあとつい見てしまう。雪ノ下の方が少し細いか…。雪ノ下の白いコートは長く、傍から見たら履いていないように…ゲフンッ、何でもないです。
「まあ、おみくじに勝ち負けとかないから…」囁くように説き、手に持つ紙を広げると言葉が止まった。
訝しんだ由比ヶ浜が俺の手元を覗き込む。「末吉?」首を傾げる。俺もイマイチ良いのか悪いのか分からん。
「凶の次みたいだよお兄ちゃん」おみくじ売り場を振り返って小町が言う。どうやら張り出されているらしい。
びっみょおおおおお…。確実に良くはないが悪いというわけでもない…。太鼓の達人でいうと可って感じ。カッ!
雪ノ下をはじめ皆が一様になんとも言えない表情をする。うん、分かる。
「仕方ないなあ、はい」またもや小町が何かを差し出してくる。
受け取って開く。「大吉じゃねえか」小町がふふんと胸を張ったのが見なくても分かった。ついでに雪ノ下の歯ぎしりも。駄目だよ?おみくじに課金とか駄目だよ?
「いや、いい」自然と口から出た。「そもそも神頼みってのが性に合わん」
「えー、受け取っときなよ。せっかく小町ちゃんがくれたのに」由比ヶ浜が子供じみた声で言う。
「いいんだよ、自分の力でやるから。それに今まで助けてくれなかった神なんてろくでもない奴に決まってる」
「確かに、比企谷君の事を助けるなら出生時まで遡らなければいけないものね」雪ノ下が顎に手をやり思案する。
「さらっと俺の人生スタートからミスってる事にしないでね?」
端に設置されたおみくじを結ぶところへ行き、末吉の紙を括りつける。悪いやつは結ぶとか言われてるけど本当のところはどうなんだろうか。
「そういえば、ゆきのんは何だったの?」
「……中吉よ」雪ノ下は少しの逡巡ののち答える。
やめてあげて! 彼女のライフはもうゼロよ! 流石おみくじガチ勢雪ノ下さん。
この後死ぬほど神に祈って、神を恨んだのは別の話…。
なだらかな坂を上るように進んでいくと、東の空に霞がかった雲が見え始め少し嫌な感じがした。
「雲が出てきたわね」同じように上を見上げた雪ノ下が心配そうに言う。
「まあ雨は降らんだろ」
今朝のお天気お姉さんが言っていたのを思い出す。
駅の改札を通り抜けると、雪ノ下が少し言いづらそうに声を出す。
「あ、あの、私こっちだから…」
小さく指で指示したのは、雪ノ下のマンションとは逆の方面だった。
「おお、そうか」特に気にすることでもなく軽く返す。しかし由比ヶ浜は聞いても差支えない内容だと踏んだのか、身を乗り出した。「買い物でも行くの?」
「いえ、ただの姉さんとの食事よ」微笑が返ってきた。
「そっか! 楽しんできてね!」由比ヶ浜が笑う。
ただの陽乃さんとの食事で、楽しんできてね!と往復したが字面だけ見たらラスボス前のセーブポイントに見えるのは俺だけでしょうか…。いや、今はそれをできる関係になったと言うべきだろう。
「ええ、ありがとう」踵を返し、ホームへと消えていく。
雪ノ下の氷が溶けたような微笑みに満足げに頷いた由比ヶ浜がクルリとこちらを向く。「じゃあ帰ろっか!」
「いっけなーい」やっぱり来た。どこかの小さな名探偵のあっれれ~に匹敵する登場回数。もうこまいっちんぐ!「小町、お守りと絵馬を忘れたのでダッシュで戻りまーす!」
「おー、俺も受験生だしお守り…」言いかけて遮られる。「お兄ちゃんさっき神頼みしないって言ってたよね」声が冷たすぎてお兄ちゃん怖いよ…。「おお…でもお守りってそういうんじゃなくない?」
「じゃあ行ってくるので結衣さんそこのごみいちゃんのことお願いしますねー!」
そう言い残し、小町は猛スピードで姿を消した。
しばらくあっけに取られていたが、由比ヶ浜が照れ臭そうに笑うのをキッカケに歩きはじめる。
息を吐いて開いた扉を潜り抜ける。背後に付いて来ているはずの由比ヶ浜に声を掛けた。
「座るか?」
勉強を優先して参拝だけに留めたお陰か電車の中はわりかし空いていて、隣に人がいることを我慢すれば座れなくはなかった。
「ううん、少しだから大丈夫」由比ヶ浜が笑う。
「そうか」
足元に目を向けると、低いながらもヒールのショートブーツを履いていた。
「えへへ、ありがと」
突然の感謝に、驚いて顔を上げる。「え、なに」
「ヒッキー優しいね」そう意地悪そうに言う彼女は、どこかのあざとい後輩を思い出させる。
由比ヶ浜に一色のあざとさが追加されるとかそれどこのチーター?氷の女王も流石に陥落、あ、もう攻略済みでしたね…。
電車の揺れにも少しのぐらつきで耐えた彼女は、気恥ずかしさを隠しながら言う。「ゆきのん、頑張ってるんだね」
窓の外に向けられた視線は遠い過去を回顧しているようで、憂いが滲んでいた。
「そうだな」追うように、過去へと向かう。
諦めたように、選択しないことを選択した俺たちに興味を無くした彼女は去るかに思えた。しかし、強く優しく成長した雪ノ下は陽乃さんの影など微塵も感じさせず、凛とした佇まいでむしろ彼女を惹きつけた。
初めて対等となった彼女達は、互いに切磋琢磨し、時に罵倒し合いながら日々研鑽を積んでいた。表現は臭いが、そうとしか言いようのない鋭さだった。遅れたら置いていく、そんな緊張感も含まれていた。
「でも、ゆきのん楽しそう」
そう呟く由比ヶ浜は、先ほどの雪ノ下の微笑みを思い出しているのだろうか。反対方面へのホームに消えた雪ノ下からは、過度の自信や謙遜はなく、ただ正面から正々堂々と立ち向かう。そんな凛々しさすらあった。
「ただの姉妹の食事なんだけどなあ…」そこまで考えて、呆れるように零れた。
「あはは、ほんとめんどくさいねっ」
突然発せられた罵倒に近い物言いに驚き、顔を見るが、そこには無邪気に笑う由比ヶ浜がいるだけだった。神社での事といい最近鋭いとこ突いてくるわこの子。しかもそれが満面の笑みなもんだから何かに目覚めそうゾクゾクッ。
「最近どうだ、勉強の方は」気になり、訪ねる。
「うーん、順調? かな?」由比ヶ浜は首を傾げる。
「大丈夫かそれで…」
「大丈夫大丈夫! ちゃんとやってるし、大吉だったし!」
両腕でガッツポーズをする由比ヶ浜を見て、思わず頬が緩む。そうだ、彼女はこうやって乗り越えてきたのだ。受験も、人間関係も、ちゃんと見てきた。
「そうだな、由比ヶ浜なら留年しても気付かなそうだ」
「流石に気付くし! 馬鹿にしすぎじゃない!?」
ポコポコと肩を殴られるが、手はミトンに包まれていて痛くはない。
電車が何度目かの減速を始める。気を抜いていた由比ヶ浜が躓き、俺の胸に飛び込んできた。つり革を掴む手に力が入る。
「わっ」俺のコートを握りこむようにしたが、素材かミトンのせいか掴めずそのまま抱き着く格好になった。反射的につり革とは反対の手をポケットから出し、由比ヶ浜の腰を支える。
電車が完全に停止するまでの五秒間、時間は停止していたように思えた。
タンクから空気が噴射され、扉が開いた。
「あ、ヒッキ…」くっついたままの由比ヶ浜が口を開きかけたが、遮ってしまう。「大丈夫か?」驚いた由比ヶ浜は頬を赤らめながら何事か口をパクパクさせている。微かに口角が緩んでいる気がした。
車掌の笛が鳴り響き、扉が閉まる。体勢を整えた由比ヶ浜にもう一度聞く。「大丈夫か?」
「う、うん、ありがとう…」恥ずかしそうにお団子をくしくしとして、こちらを見る。「でもヒッキーよかったの?」
「あ? なにが」顔が熱く、マフラーにうずめるように首を縮める。
「だって今の、ヒッキーの降りる駅…」
電車の進行方向とは逆に指をさす。俺の人生で一番見慣れた駅は、遠く、小さく、薄くなって消えた。
「あ」
由比ヶ浜と顔を見合わせると、二人して笑いあった。
まあ、急いで転ぶよりはマシだろう。
面倒な回り道は、俺たちの得意分野だしな。