6月の②です。
奉仕部の面々が登場しますので、よろしければ読んでいってください。
読んでもらえるだけで嬉しいですが、ご意見ご感想を頂けるともっと嬉しいです。
またお手すきの際にどうぞ。
黴臭い。
大学に通うようになってから雨の日の電車内の異臭を知った。
連日の雨には慣れたが、この臭いに慣れることはないんだろうと何故か分かる。
水滴の付く車窓から除く景色が、左から右へと流れていく。
異臭に耐え切れなくなると、指の甲で鼻を抑えるように擦ってしまう。
人間の鼻は刺激の強い臭いでも3分もすれば慣れるという。しかし、鼻を擦るなどして臭いに反応する神経をリセットしてしまうと、再び過敏な反応を見せてしまうらしい。
3分も臭いを嗅いでられるかという思いと、そんなものに丸め込まれるのも癪だと感じてしまう所為でついつい鼻を触ってしまう。
なにより俺の前にいる雨なのか汗なのか分からない液体に身を浸してきたのか、と勘繰りたくなるような容貌をしたおっさんの臭いを受け入れてしまう気がして嫌だ。
ちらと周りを見渡すと心なしかしきりに鼻を気にしている人が多い気がする。
いや、どうだろう。自分を映しているからだろうか。
そう思うと視線は顔に手を近づけている人を追いはじめる。
そこばかり、目に入る。
―――
「ふわぁ...」
チャージしておいたICカードを通し、改札を抜けたところで生欠伸が漏れる。そこで自分が寝不足だということを思い出した。
昨日のめぐり先輩とも痴態まで思い出しそうになるが、ついでにトラウマフォルダも燻り始めたので急いで思考を別に飛ばす。
時間の確認がしたく駅に設置された大きな時計を見ると、10時55分。集合時間5分前。上等だろう。
「早いのね」
いつの間にか横に立っていた彼女の存在に驚き身体が固まり、首だけを向ける。
「お、おお...5分前集合は社会行動の基本だからな」
「あら、社会に馴染めていない人に基本ができているとは思えないけれど」
恐ろしく整った顔に微笑を称え、開幕早々毒舌を飛ばしてくる。おいおいそんなに飛ばしてると後半もたないぜ?
「ていうか、いつからいたんだよ...」
素通りしていたりしたら申し訳ないので、一応確認する。
「ホームに降りたらあなたが居たのよ、同じ電車に乗っていたようね」
片方の手でもう片方の肘を支え、顎に手を持っていくいつもの仕草を行いながら回想と解説をする。
変わってないな。でも少し髪が伸びたか。
「そうか」
少し流した前髪に大人っぽさを感じていると、俺の視線に気が付いたのか目を逸らす。が、コホンとわざとらしい咳払いをしもう一度こちらに向き直った。
「と、とりあえず、久しぶりね、比企谷君」
そういえば挨拶がまだだったか。妖怪のように突然登場してきたため順序がおかしくなってしまった。雪ノ下先輩まじ雪女。
「おう、久しぶりだな雪ノ下」
俺が挨拶をし終えたところで、駅内に軽快なメロディーが響き渡る。11時を知らせる音楽だ。
空気を読むことに特化してしまうばかりに小説も国語の教科書すらも読まないことに定評のあるガハマさんが来ていないことに2人して気付き、お互いに首を巡らす。
遅刻かと思ったがすぐに見つかった。柱の陰からこちらを窺っている。何やってんだあいつ...。
未だキョロキョロしている雪ノ下の視線に重なるように腕を差し出し、指先を由比ヶ浜のいる位置に向ける。
雪ノ下が見つけたのをキッカケに、由比ヶ浜もバレたことを察したのだろう。こちらに駆け寄ってきた。
「やっはろー!ゆきのん!ヒッキー!」
サブレの様な笑顔を振りまき跳ねる様子はもはや犬。
「こんにちは、由比ヶ浜さん。久しぶりね」
「おう」
三者三様の挨拶を繰り出すと、由比ヶ浜は駆け寄る勢いそのまま突っ込んでくる。
「久しぶりー!ゆきのん!」
テンションと語尾を上げながら雪ノ下に抱き着き、再会を喜ぶ。
雪ノ下はというと部室のように照れる様子も邪険にする様子もなく、ただ受け入れ身を任せていた。
灰色の雲をパズルのように敷き詰めた空の下で、彼女達の頬だけが赤く染まっている。
場違い感のすごい俺を他所にイチャイチャしている彼女らから視線をはずし、雨の打ち付けるガラス張りの天井を見上げた。
やはり空は俺の心を映しているわけではないらしい。
***
「ゆきのん可愛い~!」
「あ、ありがとう...でも由比ヶ浜さんいくら何でもこれはちょっと...」
「え~可愛いのに~、次こっち着てみようよ~」
えーこちら試着室前、若干一名目が腐っている不審者あり。いや、自分でしたどうぞー。
軽めの朝食を取り由比ヶ浜と雪ノ下のウインドウショッピングについていくことになった俺だが、この場所は予想していなかった。今も店員さんの視線が痛い。
ついでに言うと俺の挙動も痛い。
存在というのは万人に与えられた権利と言えよう。存在の定義から考えてしまうと哲学してしまうことになるので明確にはしないが、誰にも許されたものであるはずだ。が、場所によってはその存在が否定、拒絶されることもある。女湯、女子更衣室はその最たる例で社会的に抹殺されてしまう。ルールに明記されている場所は常人ならば立ち入ることはなく、生活に不便を被ることはない。しかし、この社会には空気というものが存在する。時にそれは個人の存在よりも肥大し、飲み込む。恐ろしいのはその膨れ上がった空気に誰もが従い、疑問を出すことすら制限されることにある。
故に俺がこの状況で店員さんに抗議の目を向けることも、社会に対する正当な自己防衛と言えるはずだ。
俺は女性水着売り場の棚越しにこちらの様子を窺う店員に、抗議の視線を投げかけた。が、ひらりと躱され受話器を手に取る。
やばい通報される...。
この明記されない女性テリトリーから離れようとしたところで、見ないようにしていた背後の試着室が乾いた音を立て開いた。
「あれ、ヒッキーどこいくの?」
元々大きな瞳をこちらに向け、歩き出そうと足を踏み出していた俺に声を掛ける。
「待たせてごめんね?ゆきのんなかなか気に入るのがないみたいで...」由比ヶ浜が腕に色とりどりの布を抱えて試着室から出て来る。
「由比ヶ浜さんがそんな露出の多いのばかり選ぶからでしょう...」
同じ試着室から雪ノ下が出て来る。最近の女子は一つの試着室に二人で入るらしい、なにそれどこのゆるゆり?
一つの試着室から2人の女の子が出て来る様子が珍しく、思わずをまじまじと見てしまう。それに気付いた雪ノ下が両腕を身体の前に組み慎ましやかな胸を隠す。
「比企谷君、変な想像するのはやめてくれないかしら。身の危険しか感じないわ」
「変な想像が何か教えてほしいもんだな」
身の危険という単語に通報されたことを思い出し雪ノ下の頭越しに店員の様子を伺うが、まるで存在など全く知らなかったかのように仕事をしている。場所によっては異性を連れていることがパスポートになる場合が多い。ゲームセンターにあるプリクラコーナーも最近は女子専用やカップルOKといった男性個人を拒む文句が多くみられる。異性の存在が社会の免罪符となっているのだ。
「ヒッキーキモッ!サイテー!」
行こーゆきのんと言いレジに向かっていく。ああ、行かないで俺の免罪符。
離れていく彼女らを見て、異性免罪符は男性にしか使えないんだと思う。女性は免罪符などなくてもどこにいても大概は許される。男性トイレに女性が入り、そこに遭遇した男性が捕まるというニュースを思い出した。
まあでも、その場で何があったかなんて分からないから、女性も大変だなと思いました。(小並感)
―――
「本当にヒッキー水着いらなかったの?」
前を歩いていた由比ヶ浜が振り返り後ろ歩きで話しかけて来る。隣を歩いていた雪ノ下が転ばないか心配して、支えようかどうか手が彷徨っているのが見えた。
「ああ、別に行く用事ないしな」
前向かないと転ぶぞと付け加えると、身体を反転しながらボソッと喋る。
「そんなの分かんないじゃん...」
ぷくっと頬を膨らませた由比ヶ浜を見て、雪ノ下がフォローを入れる。
「女性はともかく、男性はサイズが分かればどこでも買えるからいいんじゃないかしら」
ん?これは誰に対するフォローなんだ?
「そっか、じゃあいいのか」
うんうんと頷き何かに納得したらしい。
置いてけぼりの俺をよそに話は大学の内容になる。
「ヒッキー友達出来た?」
ナイフが刺さった音ってどんな音なんだろう。グサッとか、ドゥクシッとかあるけどとりあえず今そんな感じの音が鳴った気がした。
「由比ヶ浜さん...、言ってはいけない言葉というものもあるのよ...」
「あ、いやそういうんじゃなくて、ヒッキーだって成長してるかもしれないじゃんっ」
溌剌とした言葉を聞いた雪ノ下が確かにという様子で顎に手をやる。
「そうね、今のは私が比企谷君に失礼だったかもしれないわ」
謝るわ、ごめんなさい。と小さな頭を軽く下げ、髪の毛が垂れる。それだけで髪の質が分かってしまう程に優雅な謝罪だった。
俺はというと太平洋より広い心を以って雪ノ下を許すことにした。
「そうそう、失礼なことを言ったら謝るのが当たり前だよな。苦しゅうない」
ほっほっほと胸を張りふんぞり返る。俺の心狭あ。もう琵琶湖より狭い。
俺の言葉にピクリと反応して、雪ノ下が身体を起こす。
「あら、じゃあその成果の話でもたっぷりとしてもらいましょうか」
妖艶とも凶悪ともとれる笑みを浮かべ、小首を傾げる。
背筋を冷たい汗がつたい、首筋にナイフが当てられているような錯覚に陥る。どんだけ殺気出してんだよ...。
「いやまあ、それは追々...」
とりあえず誤魔化し風化するのを待とうと歩を進めようとしたが、先ほど謝罪をした女王が立ち塞がり逃げることを許さない。
「時間はあるわ、沢山聞かせて頂戴?」
これはもう逃げられないやつですね。
媚びるときはプライドを捨てて媚びること、それが俺のプライド。
「すみません...いません...」
「なにが?」
ふええ、怖いよお。
「友達出来てません...」
頭を下げ、再び上げるとそこには雪ノ下の満足げな表情があった。後ろを見ると何故か由比ヶ浜までもが満足、というか安堵の視線をこちらに向けていた。
「分かればいいのよ」
笑みと勝ち台詞を残し、歩き出す。やっぱり勝てない。まあ見栄を張った時点で負けは確定してるんですけどね。
着いていこうとしたところで、由比ヶ浜が隣に並んできた。
「友達以外は順調?」
「俺の心配よりお前の成績の心配した方がいいんじゃないのか」
「あ、あたしは大丈夫だよ!?ていうか今はヒッキーの話をしてるんだけど!」
話を逸らそうとしたが、そうはさせまいと踏ん張ってきた。こいつ、やれる...!
「まあ順調なんじゃねえか?数学使うやつは壊滅的だけど」
「それ順調じゃないよね!?」
まじで順調じゃない...、行ってはいるが文科省の助言というか指示により最近の大学は出席に重きは置いていない。確かに出ることを重要視していては窓際社員となってしまうが(ならない)、俺の様な究極に嫌いな教科が必修科目にある場合は話が変わってくる。っべーわ...。
「まあなるようになるだろ、必修なんてそうそう落とされねーよ」
「あら、そうもいかないわよ。単位を与える割合で決めている教授もいるそうだから、まああなたの問題はそもそも点数が取れるかどうかの問題のようだけど」
聞いていたのだろう雪ノ下が歩くスピードを緩め、由比ヶ浜の隣に並んだ。
「ヒッキー教えてもらう人も見つからなそう?」
そう言われ大学生活を回顧する。が、いない。
っべーわ、まじっべー。
言葉に詰まる俺を憐みの視線が包む。
心配をかけてはいけないという思いと戸部の依頼が頭をチラつく。
まあ、情報収集しなきゃいけないしな...。
「一応...同じ大学に戸部と葉山がいる」
案の定、驚きの顔を見せた。
―――
ズゾゾッ、ストローの先がコップの底に辿り着き悲鳴を上げる。
偶然通りかかったカフェを由比ヶ浜が指定し、大学での再会から今までの一通りの出来事を話した。
「そう、それであなたは戸部君の依頼を受けたわけね」
静かに瞑目していた雪ノ下が口を開いた。
「いや、なんというか成り行きというか…」
依頼を受けるという言葉に気恥ずかしさを覚え、はぐらかす。
「成り行きでもなんでも協力すると言ったのならそれは依頼を受けたことと変わりはないと思うけれど、違う?」
友人問題同様に詰めて来るが、先ほどとは打って変わって優しさが滲んでいる気がする。軽蔑の視線を向けられすぎた俺の願望かもしれない。どんだけ怯えてるんだよ...。いつも怖い先生に褒められると倍嬉しいあの現象に似ていた。
返す言葉が見つからず襟足を掻いてしまう。
「なんだよ...」
彷徨わせた視線が由比ヶ浜とぶつかり、謎のにやけ顔に腹が立った。
「ううん、何でもないよ!ね、ゆきのんっ」
「そうね、何でもないわ」
前の席のイチャイチャがすごい。恥ずかしくて見ていられないレベル。
二人の共感が分からず飲み切っていたコーヒーを吸い上げまた悲鳴を上げてしまう。
調子が狂い、思わず顔をしかめるとそれを察してか由比ヶ浜が話を再開させる。
「依頼なら私たちも手伝うよっ!」
優美子達と連絡とれるのあたしくらいだろうしと続ける。
実際、手詰まりだった。元々人間関係というものに疎い俺が一人で考えてもいい案が浮かぶはずもなく、正直由比ヶ浜の申し出を期待していた自分もいる。
「悪い、それに関しては助かる。けど俺が葉山とコンタクトを取ってみてからの方がいい。三浦の状態は知らんが変な期待はさせない方がいいだろ」
言いながら、三浦の気持ちを推し量ってしまっている自分に胸やけがする。
「確かに葉山君の様子を私たちは見ていないから、比企谷君に任せたほうがよさそうね」
頷きを返すと同時に雪ノ下も葉山の事を知らないことを再確認する。気付いていたのは陽乃さんだけということか。
一瞬、高校3年の三浦の様子を確認しようと思ったが、待ち続けた時間、本のページをめくる音だけが響いたあの時間がフラッシュバックし言葉に詰まる。
まあ、今じゃなくてもいいか。
話題が少し深刻な方向に向かった所為で3人の口数が減った。奉仕部で幾度と経験した沈黙に比べれば大したものではないが、如何せんこの空気の元凶が自分だという所に問題がある。
責任を取って話題を振ろうと思ったところで、俺よりも一足も二足も先に空気読み機ことガハマさんが流石の展開力を見せる。
「そういえばヒッキーの話が途中だったしまた質問してもいい?」
「好きにしろ」
由比ヶ浜が話を振り、俺たち二人が聞く。そんな構図を与えてくれる彼女にはいつも感謝しかない。
「ずっと気になってたんだけど、ヒッキーおしゃれになった?前までそんな服持ってなかった気がするし...」
そう言い彼女は品定めをするような視線を向けて来る。雪ノ下も続いて俺の頭のてっぺんから机の下の靴までまじまじと見る。
そんなに見られると恥ずかしいんですけど...。
「あなたにしては小綺麗過ぎるわね...その調子で眼球も浄化されるといいのだけれど」
「悪いが初期設定を変えるには課金が必要なんだよ」
ほんと隙あらば毒を吐いてくるなコイツ...。毒ヘビでもそんな吐かねえぞ、天敵が近づいてきたときくらいで、あ...(察し)。
「あはは...小町ちゃんに選んでもらったの?」
俺と雪ノ下のやり取りに苦笑していた由比ヶ浜が割って入る。
一色のやつ、由比ヶ浜と連絡とってるみたいだったからてっきり言ってるもんだと思ってたけど違ったか。
空のカップにささるストローを弄びながら答える。
「いや、一色に選んでもらった」
静寂。
ん?俺今ヘブンズタイム使った?でも喧噪は聞こえてるし...。
恐る恐る視線を戻すといつも通りの優しい笑顔、ではなく訝し気な4つの眼。
あれ?どっちがいつもの視線だ?逆だったかな?
「ヒッキー、いろはちゃんとは遊んでるんだ...」
「小町さんではなく一色さんに...」
二人同時に冷たい声を出す。
ガハマさん?そんなキャラじゃないでしょ?おちついて?
「いやまて誤解だ。俺は悪くない小町が悪い」
「あら、誤解は解けないんじゃなかったかしら?解は出てるとか言って」
強力なクロスカウンター。いつかの拳が返ってくるとは...。
「小町ちゃんの所為にするなんてヒッキーサイテー」
「いや、一色の誕生日忘れてたお詫びとか言って小町の策略で...」
そこまで言ったところで雪ノ下がハッとした顔をする。コイツも忘れてたのか。
しかし仕方がないと思う。本当に大学というのは今までとはシステムも人間関係もまるで変わる。それにすぐに慣れ、ついていくというのはさしもの雪ノ下と言えど難しいだろう。
「不覚だわ...私としたことが一色さんの誕生日を忘れるなんて...」
「あーでも4月は忙しかったもんねー、あたしもメールでしかおめでとう言えてないし」
まあこいつ等が悪いわけではない。どっちかって言うと4月という大変な時期に生まれた一色が悪い。元を辿ればその時期に子作りを...ゲスんっ、間違えた、ゲフンッ何でもないです。
「なあなあになっちゃうのも嫌だし、これから一緒にプレゼント買いに行こうよゆきのん」
「そうね、すぐに行きましょう」
あの雪ノ下が友達の誕生日を忘れただけで唇をワナワナと震わせ顔を青ざめさせるなんて(脚色だらけ)、会ったころには想像もできなかった。
慌てふためく雪ノ下をみてそう思う。ていうかどんだけ一色の事好きなんだよ...。
財布を鞄から取り出そうとする二人に続いて尻のポケットに手を突っ込んでいると、何かを思い出した由比ヶ浜が「あ」と声を出す。
何事かと視線を向けると、先ほどの訝しむ目つきを再びこちらに向けていた。
「じゃあヒッキーはもうあげたんだよね、プレゼント」
その発言に雪ノ下の肩がピクリと動いたのが見えた。
「あ、ああ、あげたぞ」
「何あげたの?」
早いっ!質問が早いよガハマさん!絶対その質問するつもりだっただろ...。
高校3年の頃3人で一緒に選んだ一色の誕生日プレゼントとは違い、今回のは俺の独断と偏見で選んだ為、恥部を見られる気がして言いたくない。
何より選んだものが...。
「いや、別になんでもいいだろ...」
聞かないふりをしているのか知らないが、顔を鞄から上げない雪ノ下さん。しかしその手は止まっていて耳を傍立てているのが分かる。心なしか耳もピクピクと痙攣している気がする。
ほんと注意深く見ると分かりやすい奴だよな...。
「なんでもよくないし、ほら、被ったら嫌じゃん」
ここが攻め時と判断したのか、ふらふらしていた雪ノ下が攻撃に参加してきた。
「そうね、あなたとセンスが被ることは一生ないでしょうけど、実用的なものだったりすると利便性を優先してしまってもしかして被ることもあるかもしれないし」
待って!まだ八幡ディフェンス足りてないっ!
「その長台詞よく噛まずに言えるな...」
とりあえず時間稼ぎだ!ディフェンスの戻りを信じろ!
「いいから答えてよ」
「いいから答えなさい」
ふええ...怖いよお...もう無理。
2人してオサレな喫茶店によくある小さな机に身を乗り出して来ると、威圧感というかいい香りというか片方の絶景というか...。
「シャ、シャーペンと髪留...」
重力が発生しているかのように引っ張られる視線を剥がしながら答えたため最後の言葉が掠れた。が、二人の耳にはしっかりと届いていたようだ。
「「へえ...」」
なにその同調...。これが噂の同調圧力というやつか。俺は屈しないぞ!嫌だ死んでも働きたくない。
顔を寄せ合い、俺に聞こえない音量でひそひそ話を始める。
あの...それトラウマが蘇るんでやめてほしいんですけど...。
「よし、じゃあいこー」
「どこに行きましょうか」
一言二言だったのだろう、話し終えると席を立ってレジに向かう。
置いてけぼりにされポカーンとしていると両隣の席の視線と小声の会話が辛い。くそう、ここでも免罪符が必要なのか...。
急いで追いつき自分の分の金額を由比ヶ浜に渡す。
「ヒッキーお金あるの?」
「あ?俺だってバイトしてるから金くらいあるぞ」
バイトは本当だが給料日はまだだ。しかし親父からもらったお金の余りをこっそりとへそくっているから少し余裕はある。
二人の表情はまさに鳩が豆鉄砲をくらった顔だった。
―――
雨は降り続け、夕食を終えた頃にはついに姿を見ることはなかった陽も沈んでいた。
つり革に掴まり、太陽が沈んだであろう方向を見つめるが水滴に焦点が合っていまい、雨粒ばかり見つめる。
「今日は2人ともありがとう」
携帯に視線を落としていた由比ヶ浜が口を開き、その彼女を挟むようにしていた俺と雪ノ下が顔を向ける。
「いいえ、誘ってくれ嬉しいわ。こちらこそありがとう、由比ヶ浜さん」
えへへ、と八重歯を見せて笑う彼女の顔は未だ高校生の様に幼い。
そこで電車が減速し、ふらついた由比ヶ浜がもたれて来る。再び笑い、小さな声でごめんと謝られた。
「またすぐ遊ぼうねっ!」
お団子を揺らし、開いた扉から軽やかに降りる。
電車の中では噛み締めるように会話をしていた彼女だが、今はもう会った時の様なはじける笑顔を称えていた。
「おう、そのうちな」
「ええ、そのうち」
元気に手を振る彼女を、扉がシャットアウトする。二度と開かない。開けようと思えば開けられるが、とても勇気のいることだろう。
進んでしまったものは止まらない。環境は変えられるし、環境は人格まで変えてしまう。
ただもし、もし変わらないものがあるのだとしたら、勇気を出すのは簡単なことかもしれない。
見えなくなるまで腕を振る彼女が、そう思わせてくれた。
長い沈黙を破ったのは雪ノ下だった。
「ねえ、由比ヶ浜さんの誕生日の事なのだけれど」
「ああ、考えねえとな」
二人とも、同じことを考えていたのだろう。
今日は6月12日。由比ヶ浜の誕生日は6日後だった。
俺の言葉を聞いてか、雪ノ下が安堵の様子を見せる。
流石に忘れない。
だがもうすぐ雪ノ下の最寄り駅らしく、細かな予定を立てる時間はなかった。
「ごめんなさい、もう駅についてしまったから、詳細は近いうちに連絡するわ」
「わかった」
ホームに降り立ち、こちらを向くとぎこちなく片手をあげる。こういうところは変わらない。
振らない腕を、下げない彼女に、心の中で変わらないと約束した。
***
「ぷはー」
やっぱ風呂上がりのマッ缶はたまんねぇなぁおい。
細長い筒を一口に煽ると、喉に刺激的な甘みが染み渡る。
家に帰って小町の詰問というか尋問というかどちらにしても酷いが、帰ってマッ缶すら飲ませてくれないという拷問を受けた。
もうリラックスモードに身体は移行してしまっている。というか今日結構歩いたし、もう眠い。
ベットに身体を投げ出し、充電がついに95%以上残っていた携帯に習慣で充電器を挿す。
枕元に置いて歯磨きしていないことに気付きながら眠気に任せようか迷っていたところで携帯が鳴った。
こんな時間にかけてくるやつなどいるのかと思いながら、電話を薄目で見ると『雪ノ下』の文字。
ああ、そういえば近いうちに連絡するとか言ってたな。
今日の余韻に浸るのも悪くないかと思い、耳に当てる。
「はい」
『ひゃっはろー』
バッというサウンドエフェクトが布団から奏でられ、思わず携帯の画面を確認する。『雪ノ下陽乃』
雪ノ下雪乃がこんな時間に電話をかけて来るはずがなかった。
眼は冷めた。
確認か、プレッシャーか。
どちらにせよ、催促であることに変わりはない。
6月の後半ではなく中盤になっていしまいました。
次回は6月の③ですが、陽乃さんと由比ヶ浜の誕生日だけでそんなに長くならないと思います。
また待っていただけると嬉しいです。
意見感想を貰えるともっと嬉しいです。
ではまた。