IS-学園以外は危険がいっぱい-GPM   作:望夢

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今回はまた短いのです。

最初はここまでするはずではなかったのですが、何故かガンパレ成分が滲み出てきてしまっているというか。戦友たちに怒られないか心配です。


速水厚一の帰宅篇

 

 梅雨の時期になる6月。

 

 入学から3か月目にして、厚一はIS学園の外へ久しぶりに踏み出すことが出来た。

 

 とはいえ人目に速水厚一だと悟らせないために、ベーレ帽にサングラスを着用してウィッグまで着けてそれをうなじで一つ結びで纏めるという変装をしている。

 

 この為、一目では速水厚一とは気づかない様にはなった。さすがにサングラスを外せばバレてしまうので、移動中は外せないだろう。

 

 モノレールに乗ってIS学園から出た厚一、電車を乗り継ぎ向かう先は自分の住んでいた家だ。

 

 あれよあれよとIS学園に放り込まれた厚一。ISの適性検査を受けた日から家には帰れなかったので、4ヶ月ぶりの我が家への帰路を歩く。といっても、住んでいたのは自分と母親だけだ。だから家が残っているのかという不安もあった。

 

 家の最寄り駅に着いた厚一は久々の地元に少しだけ顔が綻んだ。

 

 自分の生活環境が劇的に変わり、さらに濃密な3ヶ月はもう何年も地元を離れていた感覚を厚一に味合わせた。

 

 駅の近くのベーカリーでお気に入りのサンドイッチを買った厚一は、それを食べながら歩いて家に向かう。バスでも良かったのだが、折角の地元なので歩いて行くのも良いだろうと思ったのだ。

 

 最近まで引き籠りをしていたものの、厚一もずっと引き籠りをしていたわけではない。

 

 中途退学だが地元の高校にも通った。アルバイトをして母を助けようとも思った。どこにでもいる普通のひとりの平凡な人生を送って来たのである。

 

「うっ…」

 

 目にゴミが入ったので、歩道の端に設置されているベンチに腰掛けて、サングラスを外して目を擦る。

 

「あっれぇ、誰かと思ったら泣き虫こうちゃんじゃん」

 

「ホントだ。奇遇だねぇ」

 

「っ――!?」

 

 そんな自分のあだ名を呼ばれて、ガバッと顔を上げると、そこには厚一と同年代の女性がふたり立っていたのだ。

 

 見かけは余り悪くないふたりの女性だが、そのふたりを見た厚一は、顔を真っ青にしてカタカタと震え始めてしまった。

 

「でも奇遇だねぇ、IS学園って所に行ったんじゃなかったの?」

 

「あ、わかった。またイジメられて逃げてきたんだよこの子。よしよし、お姉さんが慰めてあげますよー」

 

「っ――!」

 

 女性が手を取ろうとするのを厚一は払いのけて、触られそうになった手を胸に掻き抱いた。

 

「ふーん、昔に比べてちょっとは抵抗するんだ」

 

「わっかってないねぇ。抵抗したらどうなるか、忘れちゃったのかな?」

 

「っぅ――!」

 

 逃げようとする厚一を、その腕を空かさず女性が掴んだ。

 

「い、痛いっ!」

 

 しかもそこは、一応動かしても問題なくなってきたとはいえまだ治りかけの火傷の跡の残る右腕だった。

 

「なにこれ? すごい包帯」

 

「アレじゃない? 案外ヘマして退学させられたんだよ。こうちゃん鈍くさいから」

 

「ち、ちが――っ」

 

「うわっ、これズラじゃん。有名人は変装しないと大変なんだねぇ」

 

「か、返し――っ」

 

「髪なんて長くしてきもーい。それに相変わらずオカマなんでしょ?」

 

「お人形こうちゃんはみんなのアイドルだからねぇ。IS学園でも人気だったのかな?」

 

「や、やめて――っ」

 

 グッと、厚一は胸の締め付けられるような痛みを堪える。腕も容赦なく掴まれたままだ。女の握力とはいえ、今の厚一には絶えず激痛が走る拷問の様な状況だった。

 

「だ、だれか――っ」

 

「だれも助けになんか来ないって。この時間帯歩く人少ないし」

 

「駅前でもこっちは住宅地の方だから尚更だよね」

 

 昼の住宅地方面は恐ろしく人の通りが少ないのは厚一も覚えていた。先程から視線で誰かいないか探すものの、だれも通行人はいない。車は時折通るが、今厚一が動けばふたりが何をしてくるのかわからないので動きたくても動けなかったのだ。

 

「それでさこうちゃん、世界でふたり目の男のISパイロットなんでしょ?」

 

「あら、相変わらずダサい財布」

 

「か、返し――っっ」

 

「ほらほら、抵抗すると潰しちゃうよー?」

 

「もしくは潰して女の子になれば女子校でも違和感ないんじゃないかな?」

 

 財布を取られて、しかも腕を怪我しているのも目聡く見つけられ、傷をわざと痛くなるように力を込め、更には急所にすら手を伸ばされて。もう厚一は抵抗という抵抗が出来なかった。

 

「あは、万券12枚とか小金持ちだねこうちゃん」

 

「やっぱりISのパイロットって儲かるの? あたしもなろうかな?」

 

「ムリムリ。あんたの頭じゃ」

 

「わかってるよー。だからこうちゃんにバッグ買って貰っちゃおうかなぁ?」

 

「あ、あたし新しいヒールが欲しいのよ」

 

「いっっ!!」

 

 右腕と急所を同時に力を込められ、痛みを耐える厚一。

 

「なに? こうちゃん指輪してるの?」

 

「さっすがこうちゃん。女子力高いー。だれからもらったの?」

 

「っっっ、触らないでっ!!!!」

 

「きゃっ」

 

「いたっ」

 

 左手の人差し指の嵌まる待機状態のラファール・エスポワール。

 

 それに触れられそうになった厚一は腕を振りほどく。その時、指に触れようとした女性の手を叩いてしまう。

 

 厚一も力ずくで右腕も振りほどいたために右腕に相当の痛みが走ったが、奥歯を噛んで堪えながら指輪を守るように右手で隠して左手を胸に抱く。

 

「なぁに? もしかして彼女から貰ったのかなぁ」

 

「綺麗なエメラルドの宝石が着いてたもんね。売ったらいくらになるのかな?」

 

 お金を抜かれた財布は捨てられ、厚一ににじり寄る女性たち。厚一も下がるものの、下がり方が悪く後ろには家のブロック塀が聳えていた。

 

 一般人相手にISを使用するかどうかの究極の選択を迫られる時だった。

 

「昼間からカツアゲなどとは。恥ずかしくないのか? おまえたち」

 

「だれよあんた」

 

 厚一と女性たちにも聞こえる。静かにだが透き通るような声で言い放ったのは、つり上がった瞳が意志の強さを感じさせる女性だった。後ろに纏められた細く長い髪の毛を靡かせながら、まるで刀の様な、千冬に似ている印象を、厚一はその女性から感じた。

 

「フッ、下賤なものに名乗る名などない」

 

「うわ、なにあのイタい喋り方」

 

「ヒーロー気取りならやめておいたほうが良いよ。ケガしたくないでしょ?」

 

「あ、あの…」

 

 その言葉には長年使ってきたのだろう自然さと、何よりも厚一は目の前の女性が強者であると見抜いた。だからそれに絡もうとする女性たちを止めようと思ったのだが。

 

「速水の子は私の子も同義だ。ふむ、つまり今の私は子のカツアゲ現場に居合わせた親の立場という状況か」

 

「なにぶつくさ言ってんのよ」

 

 そういって、声を掛けた女性に厚一の腕を掴んでいた女性が近付いて行ったのだが。

 

「フッ」

 

「いぎっ、いたいいたいいたいぃぃっっっ」

 

「痛いか。速水の子はこの何倍もの痛みに耐えていたぞ?」

 

 声を掛けた女性は腕を取って流れる様に関節を締めあげて、組手で身動きを封じた。鮮やか過ぎて厚一もまるで舞を踊ったようにしか見えなかった動きだった。

 

「さあ、我が子に血を流させたのだ。腕の一本くらいは覚悟しろ」

 

「きょ、きょうこっ、警察呼んで! この女ヤバいっ、いぎいいぃいいっっっ」

 

「ま、まさこ…っ」

 

 携帯を取り出そうとした女性も、その携帯を厚一の手刀によって落としてしまう。その携帯が勢いで声を掛けた女性の方に滑って行くと、容赦なく踏み砕いた。

 

「な、なにすんのよっ。弁償してよ!」

 

「ふん。人のものを盗む下種のくせに、自分のモノを奪われると一人前に憤慨を露わにするのか。盗人猛々しいとはこのことだな」

 

「きゃ!」

 

「いたっ」

 

 声を掛けた女性は締めあげていた女性をもう一人の女性に向けて突き飛ばし、厚一の方へと歩み寄った。

 

「ケガはないか?」

 

「は、はい。あの…」

 

「私は芝村(しばむら) (こころ)だ。芝村と呼ぶが良い。速水の子よ」

 

「芝村さん? 速水の子って、母さんの知り合いなんですか?」

 

「それは後で話そう」

 

 そう言って厚一の手を握って連れていこうとする志であったが、その背中に怒声が飛ぶ。

 

「なにしてくれんのよっ。膝擦りむいたじゃない!」

 

「慰謝料払いなさいよ! 名前と連絡先、教えなさいよっ」

 

「下賤な人間に名乗りたくはないのだが仕方がない。私は芝村 志だ。文句があるのならば国会議事堂でも最高裁判所にでも訴えるが良い。最も、貴様らになんら後ろめたい事がなければの話だがな」

 

 そう言い捨てて、志は厚一の手を引いて歩き出した。途中でやって来たリムジンに乗って、辿り着いたのは田んぼの中にある一軒家だった。

 

「あ、あの、どうして…」

 

 辿り着いたのは厚一の家だった。

 

「速水に頼まれてな。家の管理は我が芝村がしている。とはいえお前の家だ、遠慮する事はない」

 

「母さんの知り合いって、言っていましたけど」

 

「私と速水は恋人同士だ」

 

「…………え?」

 

 女性の恋人?

 

 厚一の母は間違いなく女であり、こんな綺麗な女性が恋人と真顔で言ったので、訳がわからなくなった。

 

「故に私はお前を庇護するものでもある」

 

「えーっと」

 

「今宵は私を母と思って眠るが良い」

 

「っ、母さんのバカーーっ」

 

 親に添い寝されないと寝れないという、厚一でも誰にも話してない事柄を、目の前の助けられた恩人の女性に知られた事に顔から火が出そうな程の羞恥心を味わうのだった。

 

「あっ…」

 

「見せてみろ。手当をしなければな」

 

 そう言って厚一の右腕を取った志は服の袖をまくると、赤く出血している包帯を取り始めた。

 

 癒着していた人工皮膚が浮き上がって肌から少し血が出てしまったのだ。

 

「どちらが慰謝料を払うべきなのだろうな」

 

「あははは…」

 

 優しい手で血を綿で拭き、傷口に薬を塗って包帯を巻き直してくれる志に、厚一は苦笑いを浮かべた。

 

「そういう所は母親に似ているな。ああまでされて恨んでいないのだろう?」

 

「それは、自分が悪かったことですから」

 

「顔を晒し、速水厚一だと相手に知られる状況を作った自分の落ち度だと? お人好しが過ぎる。そこも速水に似ているな」

 

「そうですか? なら嬉しいかな」

 

「まったく…」

 

 少々呆れながらも包帯を巻き直してくれた志に感謝した。

 

「にゃー」

 

「あ、ブータ」

 

 家の中に入った厚一の脚に、家の奥からやって来た猫がじゃれついてきた。

 

 しまトラで、1mくらいの巨大なネコ。赤いどてらを身に着けている速水家のネコである。

 

「くっ、私には近寄りもせんというのに」

 

「ただいま、ブータ」

 

「にゃ」

 

 ブータを抱き上げて肩車をすると、ブータも厚一の頭に身体を乗せてそのまま移動する。

 

 その光景を志は羨ましそうに見つめた。

 

「あれ? おにいちゃんだ~れ」

 

「こども?」

 

 今に入るとテレビを見ていた小学生くらいの女の子が居た。いつの間に我が家はこんな小さな女の子まで住むようになったのかと思いながら、しゃがんで自己紹介をした。

 

「速水厚一だよ。よろしくね」

 

「ののはののなの! よろしくね、こーちゃん!」

 

「うん。よろしくね」

 

「えへへ~」

 

 良く自己紹介が出来ましたと厚一はののの頭を撫でた。

 

「速水よ。麦茶があるが飲むか?」

 

「あ、いただきます」

 

「では寛いでいるが良い」

 

 そう言って台所に向かう志の言葉に甘えて、今のテーブルの前に腰かけると、ののが厚一の組んだ胡坐の中にすっぽりと入って来たのだ。

 

「ののちゃん?」

 

「いたいのいたいのとんでけーなの」

 

 そう言いながら、ののは厚一の右腕を優しく撫でると、不思議と痛みが引いて行く気がした。こころもほっこりして来て、いつもの様に笑顔を浮かべられるようになった。

 

「ナーウ」

 

「ぶーたもいたいのとんでけーって」

 

「ののちゃんはブータとお話しできるんだねぇ」

 

「うん。だからこーちゃんのこともいっぱいしってるの。でもこーちゃんやさしいからののもうれしいのよ」

 

「そっかぁ」

 

 厚一はののとの会話で癒された。

 

「そのゆびわ、きれー」

 

「これ? うん。でもこれは普通の指輪じゃないんだ」

 

「そうなの?」

 

 首を傾げるののに、厚一は部分展開でラファールの腕を纏った。

 

「わー! すごい、あいえすなの」

 

「ののちゃんもISに興味あるの?」

 

「うん。いーっぱいべんきょうしたの」

 

「そうなんだぁ」

 

 鈴とはまた違う妹タイプのののに、厚一もいつもよりも顔が緩んでいる自覚がある。だがそれを指摘する人間はいなかった。

 

「待たせたな。少々手間取ってな」

 

「サンドイッチ?」

 

「速水の子なら好物かと思ってな」

 

「こころちゃんのさんどいっちはおいしいのよー。さんどいっちとくっきーしかつくれないけど」

 

「余計な事を言うでない! 極めているだけだっ」

 

「あはは。じゃあ、いただきます」

 

 テーブルに置かれたサンドイッチはなんの変哲の無いたまごサンドだった。

 

「っ…!」

 

 それを一口含んだ厚一の手が止まり、肩が震え始めた。

 

「ど、どうした速水!? 口に合わなかったか? たまごアレルギーか!?」

 

 あたふた心配する志に、厚一は小さく首を振った。

 

「こーちゃん、ないてるの」

 

「なに…?」

 

 サンドイッチで泣かれるとは思わなかった志は怪訝な表情を浮かべた。

 

「母さんの味だ……っ」

 

 志の作ったサンドイッチは、厚一の母が良く作ってくれるサンドイッチの味だった。

 

 お昼に必ずサンドイッチを作るくらいサンドイッチ好きの母を持った厚一も、サンドイッチは好物の食べ物だった。

 

 母の味で母を思い出し、学園ではない自分の家という環境で味わう母親の味は、今まで溜め込んでいた母への申し訳なさを浮き彫りにさせるのには効果抜群の代物だったのだ。

 

「こころ、さん…?」

 

「辛い時には泣け。ここはお前の家なのだ。遠慮などするな」

 

 志に抱きしめられた厚一は、その胸に顔を埋めて、声を上げて泣いた。ひたすらごめんなさいと謝罪しながら啼く厚一を、母親の様に優しく抱きしめる志の優しさに更に涙腺が決壊し、しばらくの間厚一は泣き続けた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

「こーちゃんのこころがいたいいたいって、ないてたの」

 

「仕方がないだろう。こやつは速水の子で、速水だけが頼りなのだったからな」

 

「まいちゃんもつらいの」

 

「それが世界の選択だ。地に希望を、天に夢を取り戻すために、こやつは生まれた」

 

「でもこーちゃんはこーちゃんなの」

 

「ああ。だから、家に居る時くらいは悪しき夢を見ぬ事を祈るだけだ」

 

 泣き疲れて眠ってしまった厚一の両脇に横になりながら、志とののは話していた。

 

 厚一がひとりで眠れない事を、ふたりは厚一の母である舞一(まい)から聞いていた。

 

「10年程度では、無意識下での悪夢はどうにもならんか」

 

「いっぱいこわかったのね」

 

「だからこやつを連れだした。まぁ、だれが養うかでモメたがな」

 

「まいちゃんのあかちゃんだからしかたがないの。ののもこーちゃんをそだてたかったのよー」

 

「それは私もだ。結局は鞘に収まったわけだがな」

 

「でもみんなしらないの」

 

「速水のうかつさだったな。知識があるとはいえ、知恵が無い者をいきなりコミュニティーに放り込めば、周囲につけこまれる事位考えつくだろう」

 

「そこがまいちゃんのうっかりやさんなの」

 

 おかげで負いもしなくても良い傷を負って人間不信になる程だったのだ。そのせいで見に行きたい我が子の姿を見に行けない状態が10年も続くとは思わなかったのだ。

 

「こーちゃんとあいえすがくえんにいってあげたいの」

 

「無理だな。さすがにそれは更識が許さん。こうして速水の家を管理するので精一杯だ」

 

「うん。だからいーっぱい、いたいいたいのとんでけーするのよー」

 

 そう言いながら、言葉では子供のような舌ったらずでも。厚一を撫でるののの表情はとても大人びた女性のそれで、子を見守る母親の様でもあった。

 

 翌朝。厚一はIS学園に戻る為に駅のホームに居た。

 

「それでは、あとをお願いします」

 

「ああ。任せておくが良い」

 

「いってらっしゃーいっ」

 

「ミャ」

 

「いってきます」

 

 無断外泊してしまったので早く帰らなければ千冬の雷が落ちそうだとヒヤヒヤしながらも、厚一は暖かくて優しい1日を過ごせた時間から、自分が生きる為に戦う戦場へと戻る覚悟を胸に決める。

 

「速水」

 

「なんでしょうか?」

 

「自分を偽るな。そなたはそなたらしく生きろ」

 

「ど、どういうことですか?」

 

「そのままの意味だ。その意味は己で考えるが良い」

 

「芝村さん……」

 

 そうして、厚一の短い里帰りは母親の恋人という女性と、また新しく妹と呼べる女の子との出会いと別れによって締めくくられた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 目の前にはくつしたがある。

 

 靴下というのはたとえどんな人間であろうとも、1日中の汗を吸い込んだそれの香りは強烈だ。

 

 人間によっては嗅いだだけで意識の絶頂を迎える程の威力があるとも言える。

 

「時価末端価格、120万円のくつした…っ」

 

 それを手に入れるのには大きな出費である。そしてまた、手に入れるのも容易ではない。

 

 何故ならば彼彼女らの行為は決して褒められるものではない。だが、そこにくつしたがある限り、それに金を出す客が居る限り、彼彼女らはくつしたを求める。

 

 金の為だけに動く物は二流三流だ。一流という物は、くつしたを愛してこそ。

 

 その芳醇な香りに虜になってしまった者達。

 

 自らの欲望と、ほんのちょっとした幸せのおすそわけをする為に、彼彼女らは、全国の風紀委員と日夜過激な闘争を繰り広げているのだ。

 

 なお値段はピンからキリ。しかし今、たかがくつしたでも巨万の富が手に入る程の存在が居るのだ。

 

 故に、彼彼女らは動く。相手に疑いを持たせぬ様に。

 

 逸ってしまった物も居たようだが、それでもそのものは今や界隈では伝説としてもてはやされている。

 

 故に、そんな名誉を求める。いや、それ以上に。

 

 欲しいのだ。欲しくて止まないのだ。

 

 くつしたを寄越せと魂が叫んでいるのだ。

 

 そんな者達の名を、人は靴下の狩人(ソックスハンター)と呼んだ。

 

「おかしい。また減ってる気がする」

 

 部屋で首を傾げる厚一を不思議に思った鈴が声を掛けた。

 

「どうかしたの?」

 

「うん。なんか時々靴下がなくなってるみたいで」

 

「靴下? どっかに忘れたわけじゃなくて?」

 

「うん。まぁ、穴が空いちゃいそうなものばかりだから困るわけじゃないんだけど」

 

「誰かに盗まれていると?」

 

「捨てた記憶がないからね」

 

 優雅に紅茶を楽しむセシリアも会話に加わった。

 

「しかし普段は鍵掛もちゃんとしているのですよね?」

 

「うん。だからいつの間になくなってるのかわからないんだ」

 

 なくなるとすると、お風呂に入っている間くらいしかない。部屋に居る時は基本的に鍵を掛けないからだ。

 

「織斑先生には相談いたしましたの?」

 

「ううん。でも、する気はないかなって」

 

「どうしてよ。いちおうドロボウよコレ」

 

「でも、一応、ほら。魔が差しちゃっただけかもしれないし」

 

「鈴さんではありませんが、窃盗は犯罪ですわ。お優しいのも速水さんの魅力ですが、それでは悪しき道に踏み出してしまった少女を救うことなどできませんのよ?」

 

「なら捕まえて、返してもらえば良い…」

 

 厚一の背中に寄りかかりながらゲームをしていた簪も話に加わった。

 

「そうね。くつしたドロボウで退学なんてかわいそうだし」

 

「仕方がありませんね。それが速水さんの願いならば」

 

「いや、別に大丈夫なんだけど」

 

 別にもう捨てようかと思っている靴下がなくなっているので厚一からすれば実害は余りなかったりする。ちなみに厚一の靴下は毎朝のジョギングと放課後の訓練でのメニューに最初にジョギングがあるので消耗効率はとても高く、速い時は1週間でダメになる。政府への陳情目録も靴下が結構な数を申請されていた。

 

「だめですわっ。そのようでは靴下だけでは済まされない可能性もあります」

 

「パンツとか減ってたらアウトよね」

 

「ギルティ、ターミネート…」

 

「お、お手柔らかにね」

 

 やる気に燃える乙女たちに、厚一は苦笑いを浮かべた。

 

「まず…、風紀委員に、相談…」

 

「風紀委員? 生徒会とかじゃなくて?」

 

「ソックスハンター…、かもしれない、から…」

 

 厚一相手になら饒舌であるが、それ以外の相手だとまだ内向的な部分が顔を出してしまうのは致し方が無い。それでも厚一の為に頑張って簪は言葉を紡ぐ。

 

「ソックスハンター?」

 

「なんなんですの? それは…」

 

「取り敢えず、これ見て…」

 

 流石にソックスハンターの事を一から説明するほどの会話力は簪にはなかった為、ネットで調べたソックスハンターに関する記事を鈴とセシリアに見せた。

 

「なにこいつら。アホじゃないの?」

 

「世界はとても広いのですねぇ」

 

 ソックスに命を懸ける男たちの一つのドラマを見た鈴とセシリアの感想だった。

 

「でもこれゲームの話よね?」

 

「実際にいるの…、ちなみに、厚一さんの靴下なら120万くらいする、かも」

 

「アホくさ。靴下にそんな金額だす人間いんの?」

 

「ですが実際に速水さんの靴下はなくなっていますわ。それをお金儲けに使おうなどとは。必ず見つけ出し更生させなくてはなりませんわっ」

 

「それは賛成。でもだからって風紀委員に駆け込んでも意味ないんじゃない?」

 

 なにしろゲームなんだし。という鈴だったが。

 

「風紀委員に、あるの…。対ソックスハンター対策委員…」

 

「なんであんのよ……」

 

「ソックスハンターは、実際に…いるから…」

 

 鈴は頭が痛くなった。

 

「では決まりですわね。速水さん、少し席を外しますわね」

 

「すぐ帰って来るから」

 

「いってきます」

 

「いってらっしゃーい」

 

 朗らかな笑顔に見送られ、乙女たちは各々のクラスの風紀委員のもとへと向かった。

 

 その間にお風呂に入ってしまおうと思った厚一は、脱いだ靴下の匂いを嗅いでしまった。

 

 土埃と汗の匂い。例えるなら香ばしさ。

 

 洗濯かごに靴下を投げ入れ、シャワーを浴びた。

 

 そんな脱衣所に忍び寄る影があった。

 

 バンッとバスルームのドアを開けた厚一。

 

「誰だっ」

 

 だがその影は一瞬のうちに脱衣所から出て行ってしまう。

 

「待てっ」

 

 身体にバスタオルを咄嗟に巻きつけながら、開かれた部屋のドアを追って廊下に出るが、そこにはもう誰も居なかったのだった。

 

「いったい、だれなんだろう」

 

 ソックスハンター。

 

 靴下を盗まれるのは致し方のない環境に身を置いている自覚が厚一にはあった。

 

「きゃーーーっ、速水さんだいたーん!!」

 

「うわぁ、えっろいよアレ…がはっ」

 

「清香!? 傷は浅いわ、しっかりしてっ」

 

「速水さんお肌キレー、なにかケアしてるのかな?」

 

「まだ包帯取れないんだ。大丈夫かなぁ」

 

 そんな感じでバスタオル1枚でうら若き女子高生の前に飛び出している現状を理解し、部屋の中に飛び込んだ。

 

 そして戻って来たセシリア、鈴、簪によって、対ソックスハンター対策班が始動する。

 

 洗濯かごの中のくつしたは、盗まれていた。

 

 

 

 

 

 


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