佐倉杏子の父は、敬虔な聖職者であった。
とある宗教の神父として、他人を助けたいという尊い意志の下、神の教えを人々に説きその心を救う。
人として極めて真っ当な人物であり、杏子もそんな優しき父を愛し、尊敬していた。
贅沢の無い生活ではあったが、家族全員に笑顔のある幸せな家庭。杏子の過去は、そのような温かいものだった。
……だが、それも長くは続かなかった。
杏子の父の抱く願いがやがて肥大化を始め、教義から外れた内容を――自らの考える新たな教えを説き始めてしまったのだ。
彼は、人として優しすぎたのだろう。
私欲の類はそこに無く、ただ隣人を想う優しさにより宗教の思想から外れてしまう事となり。
当然とも言うべきか、信徒もその数を大幅に減らし、宗教本部からは異教徒として放逐され。杏子の父は聖職者ではなくなった。
そうして生活までも貧しくなり、日々の糧にすら困窮するようにもなったが……しかし杏子はそれよりも、自らの考えを否定された父の消沈する姿に心を痛めていたのだ。
――だからこそ、彼女はキュゥべえと契約を交わし、魔法少女となった。
『父の話に人々が耳を傾けるように』
……そんな願いを軸として、『幻惑』の魔法を手に入れた。
それにより人々の多くが再び教えを受けに来るようになり、杏子の父は喜んだ。
杏子自身も、再び聖職者として人々を導き始めた父の姿に笑顔を浮かべ――すぐに、致命的な間違いを犯した事を悟った。
杏子の願いとは、裏を返せば人々の精神を操ったにも等しい。
ふとした事でそれを知った杏子の父は、己の言葉が本当の意味で人々に届いていなかった事に絶望し、錯乱。
最期には、家族と共に無理心中を図り――杏子ただ一人を残し、全てを失った。
他人を想った願い。父を想った願い。
本来は尊い物である筈の二つ願いは最悪の結果を呼び、杏子は一つの答えを得た。
即ち。他人の為ではなく、自分の為に生きる事こそが正しいのだ、と。
それは杏子の『願い』を――魔法少女としての誕生意義を、根本から否定するものでもある。
その為『願い』から生まれた『幻惑』の魔法は心の奥底に封じられ、気付けば杏子は基本的な魔法しか扱う事が出来なくなっていた。
魔法少女としては著しく弱体化した形となったが、それで良かった。
間違った願いにより生まれた魔法など、何の価値もありはしない。むしろ使えなくなった事こそが正しいのだと、そう思えていて。
「…………」
……故に。故にこそ。
バッドエンド。そう呼ばれる男の使う、洗脳染みた超能力。
そして強引に『幻惑』の封を解き、強制的に使わせたというその行為――。
――それらは杏子にとって、極めて陰惨な陵辱行為に他ならなかった。
*
「死ッ――ねえええええええッ!!」
掠れる程の、絶叫。
赫怒の籠もるそれと共に幾人もの杏子が――彼女の分身達が空を駆け、たった一点に向かい無数の槍刃を振り下ろす。
斬、突、薙、裂、壊、抉、貫。
様々な攻撃が収束し、同時に炸裂。荒れ狂う風は鎌鼬となり、周囲一帯を広範囲に渡り削り抜く。
当然、標的となった地点も地割れの如く深く裂け、走った刃の数だけ大きな亀裂が刻まれて――。
「――ガッ!?」
唐突に、全ての杏子が裂け飛んだ。
ある者は腹に穴を空け、またある者は胸部を一文字に切り裂かれ。幾つかの首や四肢が宙を舞う。
そして、即死に至らなかった個体だけは見ただろう。
彼女らが受けた傷跡は、各々が放った斬撃に対応した物だった。
「――ドゥームチェンジ・カルマミラー」
やがて全ての分身が息絶え、霞の如く消え失せた後。
亀裂だらけの惨状を晒すその場所とは裏腹に、傷一つ無い麗人が一人。困った笑みを浮かべて立っていた。
ウ・ホンフー。杏子の逆鱗をそうと知らずに犯し抜いた彼は、彼女の怒りを全面にして受けていた。
「……まだ続けますか? そろそろ、頭を冷やしてみても――」
言葉の途中、ホンフーの顔面にまたもや赤い槍刃が飛来する。
それは寸分違わず彼の眉間を貫き――しかしやはり、傷は無く。代わりに槍を投擲した分身の頭が弾け、血飛沫を撒き散らしながら地に伏せた。
「チッ……! 本当に意味分かんねぇ、何で死なないんだテメェ……!」
「聞く耳持たず、と。さて、困りました」
魔法が解け、空に溶けるように消えていく分身の死体を一瞥し、本体の杏子は忌々しげに舌打ちを鳴らす。
戦いが始まってからこちら、ずっとこの調子だ。
確かに攻撃は当たって居る筈なのにホンフーの身体にダメージはなく、代わりに攻撃を放った方にダメージが行く。
分身を使って攻撃をしていなければ、戦いは早々に杏子の自滅で終わっていただろう。
「……ッ」
……分身。
そう、分身。幻惑の魔法の一種。
使っているのだ、己は。かつて失った筈の『間違った』魔法を。
二度と使わぬ物と思っていたのに、それで良かった筈なのに。
なのに、無理矢理。魔法と同じ洗脳の力で。こんな、こんな――!
「――っそがあああああああッ!!」
――ギン、と。魔力の宿る視線がホンフーを射抜き、絡め取る。
怒りが再燃し、涙すら滲ませて。絶叫と共に大地が割れ、無数の槍の刃先が飛び出した。
多節棍の形態を取るそれらは長い鎖を靡かせつつ渦を巻き、後ろ手に腕を組む余裕すら見せているホンフーを拘束。
そして手足に絡む鎖だけをそれぞれ別方角へと縮ませ、勢いよく牽引。彼の全身を引き千切らんと大きくうねり。
「がッ――!?」
……だが、やはり。次の瞬間には、反対に杏子の身体が裂け飛んでいた。
宙を舞う杏子の首が悔しげな表情に歪み……地に落ちる寸前、溶けるように中空へと消えた。
叫びを上げた時には既に、本体と分身が入れ替わっていたのだ。
その後も刃は飛び続け、ありとあらゆる攻撃法がホンフーへと叩き込まれ。同じ数の杏子が無残な死を遂げていく。
先程より延々と続く、繰り返しだ。
(……怒りに支配されていながら、これ程までに己を保ちますか)
そうした中にあって、当のホンフーは傷一つ無く冷静そのもの。受けに徹し、興味深げに彼女の様子を眺めていた。
――カルマミラー。受けた攻撃をそのまま相手に跳ね返す超能力。
杏子が著しく冷静さを欠いた状態である事は確かだろうが、しかし分身での攻撃に終止するその戦法は、明らかにその性質を看破しているものだ。
加えて彼女が行う攻撃の種類も様々で、今尚カルマミラーを突破する一撃を探っている事も窺える。
怒り狂いながらも思考を止めぬ理性と、たった数撃で一部とは言えカルマミラーの絡繰りを見破った「目」の良さ。
その歳にしてそれら二つを持ち合わせる杏子に、ホンフーは純粋な感嘆すら覚えていた。
本音を言えば、このままもう少し戯れていたい気持ちもあるのだが――。
(少し、やりすぎましたかね)
ちら、と。ホンフーの視線が杏子の分身、その胸元に光るソウルジェムを捉える。
魔女が現れる前。僅かに拳を交わした時には真っ赤な煌めきを放っていたその宝石は、今や濁りが混じり黒くくすみ始めていた。
ソウルジェムとは、魔法少女の魂そのもの。それが黒く濁りきった時、彼女達の魂は死を迎えてしまうのだ。
流石の杏子も、今の状態ではその管理まで気は回っていないようだ。
(一応、彼女はもう必要無いと言えば無いのだが……)
魔法の見極めは終わり、巴マミの情報も杏子の口から零れた断片があれば十分だ。
相手方の敵意も激しく、生かす理由は特にない。
……しかし一方で、ホンフーは才のある子供が好きだった。
それが武に通ずるものであれば、尚更に。
「命」と「魂」――どちらの意味にせよ、ここで杏子を潰してしまうには少しばかり惜しい。
とはいえ、こうも巧みに分身を利用されては、捕らえる事も難しく。
(……また、怒らせますかね?)
ポツリと囁き、今まさに首元に巻き付こうとしていた多節棍を掴み取り。
適当な部分の鎖を手刀で断つと、そのまま己の得物として利用した。
基本的には肉弾戦を好むホンフーであるが、他にも様々な武器・暗器を得意としており、三節棍の扱いにも長けている。
当然杏子の多節棍を扱えない筈もなく、飛来する槍刃の尽くを巧みな棍捌きで叩き落とすと、一瞬の隙を作り出し。
――デス・マス。心の中で、そう呟いた。
(さぁ、こうなれば仕方ない。せっかくですし、お互い心ゆくまで争いましょうか――)
「――!」
そうして言の葉を超能力で包み、杏子へと送る。
決して杏子の耳に届かないであろう囁きだったが、デス・マスという能力に相手が言葉を聞く必要は無い。
対象に話しかけさえすれば、それだけで能力は成立し、精神を支配する事が出来るのだ。
この場においてもそれは同様。杏子はホンフーの言葉に従えず、強制的に戦闘は終了し――。
「――オラァ!!」
(なッ!?)
否、止まらない。
杏子は変わらず敵意と怒りを抱いたまま、ホンフーを殺害せんと無数の分身を差し向け続けている。
デス・マスが効いていない――?
驚いたホンフーの動きがほんの一瞬止まりかけ、しかしすぐに復帰。晒した間隙に迫る刃を咄嗟にいなし、再びカルマミラーを纏い立つ。
とはいえ、その動揺の様子は杏子から見ても明らかだったらしく、分身全てがニヤリと口端を上げた。
「なぁ……今、あの洗脳みたいの使ったろ?」
(……さて、何の事やら)
「悪いけど、もう食らってやんないよ。ザマァ無いね、あんたのおかげだ――!!」
(私の……?)
叫びと共に飛来する巨大な槍をカルマミラーで受け返しながら、ホンフーは目を眇めて呟き――やがて気づき、反射的に喉元に手を当てた。
(――声が、出せていない……!?)
「やっと気付いたかっての! このノロマ!」
「!」
続いて片足に巻き付いた鎖がホンフーを転倒させようと引き上げるが、容易く鎖を千切りその場から離脱。
多少の距離を取って仕切り直し、冷静に己の状態を分析する。
(……成程。私もあの魔女と似たような状態にあった訳ですか)
杏子の扱う、幻惑の魔法。おそらくはそれにより、洗脳か暗示を受けたのだ。
発言を封じ、しかしその本人は声を出していると誤認する――推察するに、そのようなものだろう。
(一体、いつの間に嵌っていたのやら)
ホンフーは苦笑を零しつつ、かつての口づけの時のように精神を発破するが……声は戻らず、暗示を解くまでには至らない。
どうやら、ハコの魔女よりは「上手い」らしい。
「その胸糞悪い能力、話しかけなきゃ使えないんだろ。何となく分かるんだよね、そーいうの」
杏子はそんなホンフーの様子に嘲笑を浮かべると、反対にどこか空虚な目をして忌々しげに吐き捨てた。
――デス・マスは言葉に依存する能力である以上、どのような形であれ言語を発する必要がある。
つまり、話しかけても声が無ければ能力は発動しないのだ。
考えてみれば当然とも言える弱点ではあるが……それをこの短時間で見抜き、実際に封じてくるのだから大したものだ。
カルマミラーの事といい、本当に面白い。ホンフーは薄く笑みを浮かべつつ、多少の侮りを削ぎ落とした。
「……どうだい、アタマんナカ弄られる気分は。上手いもんだろ」
「――、――」
「ハッ! わっかんねーよ! ほら、声に出して言ってみなッ――!!」
しかし、その笑みは杏子の目には挑発と映り。より一層の敵意を込めて、分身での攻撃を再開させる。
未だホンフーに傷を与える方法は見つかっていないものの、杏子に諦めや撤退するという考えは一切無かった。
それは先程受けた「魔法と実力を見せろ」という洗脳の影響もあったが、それ以上に激しい怒りが燃え盛るのだ。
――絶対に、退かない。退いてなるものか。
一番厄介な洗脳の能力は封じられた。後はあの妙な攻撃反射の能力を貫けばいい。
何体の分身を犠牲にしてでも、どれ程の魔力を使っても。あの憎き外道に通じる一手を見つけ出す。
(――探して! 見つけて! ぶっ殺す!!)
歯を砕かんばかりに食いしばり、血走る瞳を涙で隈取り。猛る魔力を刃と変えて、力の限り振り下ろす。
――杏子の分身がまた一人、弾けて空に消えて行った。
*
「…………、な、なにあれ……」
……そして、そんな戦いをこっそり見守る人影が一つ。
その影は崩れ落ちた時計塔の瓦礫に隠れ、気配を殺し戦々恐々とその様子を窺っていた。
――美樹さやか。
魔女の気配を追ってこの場所へと辿り着いた彼女は、そこに広がる光景に酷く混乱していた。
(え……あれ、さっきの魔法少女……だよね。分身の術? ってか魔女は――いやいやそれより、戦ってる人、ナニ……?)
全くもって訳が分からない。
魔女の姿が見えないあたり、既に討伐されているのだろうか。
だとしてもあの妙な青年は何者で、何故あの魔法少女は戦っているのか。というか戦いなのか、あれは。
否、そもそも魔法少女と対等に戦えるのは、魔女だけではなかったのか……?
ぐるぐると幾つもの疑問が頭を回り、頭痛さえも催して。さやかは堪らず瓦礫に寄りかかる。
そうして呆然と見つめ続ける視線の先で、攻撃を行った筈の赤い魔法少女の一人が、何故かひとりでに引き裂かれ――勢いよく吹き上がる血飛沫に、口元を抑え蹲った。
「うぐ……」
見る限り、おそらくは魔法によって生み出された分身の類なのだろう。
そうとは分かってはいたが、その凄惨な死に様は人間のそれと変わらないように見えた。マミの死の瞬間がフラッシュバックし、心が大きく揺さぶられる。
「ぐぅ……っく、っそぉ……!」
しかし、潰れる訳にはいかない。
さやかは込み上げる吐き気を必死の思いで飲み下し、瓦礫に強く爪を立て。
なけなしの負けん気を振り絞って立ち上がると、再び瓦礫の向こうへと齧りついた。嫌悪と恐怖を抑え、よく観察する。
(……やっぱ、魔女はナシ。たぶんもう倒されたんだ)
幾ら探れども魔女の魔力は既に無く、結界も大きな揺らぎを見せている。
視界の端に映る時計塔が完全な瓦礫と崩れ切った頃には、この結界も消え失せている事だろう。
(間に合わなかったのは悔しいけど……今はそれよりも)
目を眇め、赤い魔法少女――杏子の攻撃に晒されている妙な青年を見つめる。
後ろ手に手を組み、余裕ある笑顔を浮かべているその青年は、中国服を着た麗人のようにも見えた。
彼、或いは彼女は杏子の分身が放つ攻撃を無防備に受け続けていながら、おかしな事に傷一つ見当たらず、逆に分身の方が傷つき消えていく。
……本当に何者なのだ、あれは。さやかの眉が困惑に大きく顰まり――。
(……ん? いや待って、中国服……、って――)
――瞬間。さやかの脳裏に電流が走った。
中国服を着た麗人。そしてこの意味の分からない現象。二つの要素が絡み合い、やがて一つの存在を浮き上がらさせる。
それはつい先程までまどかと話し合い、恐れ、そして笑っていた名前。即ち。
「バ、バッドッ……!?」
思わず大きな声を出しかけ、吐き気とは別の理由で口を抑える。
――バッドエンド。キュゥべえ曰く、強力な超能力を持つ殺し屋。
視線の先に居る青年はその特徴と見事に合致しており、杏子の攻撃が効いていない事も超能力によるものとすれば納得できなくもない。
多分、否、絶対に間違いない――さやかはそう確信し、更に注意深く戦いの様子を注視した。
(や、何でそんなのが結界の中に居て、アイツとやりあってんのよ……!)
魔女の結界の中で、超能力者の殺し屋と魔法少女が殺し合う……字面からしても、何かが酷くズレている。
何より、さやかにとっては杏子もバッドエンドも同じく「悪」である。
同じカテゴリに入る存在同士である以上、そのまっすぐな瞳には仲間割れをしているようにも映っていたのだ。
(……わ、割って入って喧嘩両成ば――いやいやいやいや無理でしょあんなの!!)
彼らの動きは明らかに格上のものであり、自身の実力から遠く離れた領域にある事は明らかだ。
治癒魔法である程度の無茶が効くとはいえ、杏子と戦った時のように一蹴されるのが関の山だろう。
ならば、一体自分はどう動くべきなのか。無意識にまどかへ相談しようとするも、テレパシーが通じない事を思い出し、頭を抱えて。
「…………?」
ふと、杏子の表情に引っかかりを感じた。
虚空より生まれては、すぐに無残な姿となって散っていく分身達。
そのどれもが怒りに染まった苛烈なものであったが――同時に、目尻に涙を浮かべているようにも見えたのだ。
「む……、……」
その姿はどこか悲しげにも感じ、抱いていた外道の印象とそぐわず若干ながら心が揺れる。
そして僅かに視線を下ろせば、胸元のソウルジェムが黒く濁っている事にも気が付いた。
記憶では赤々とした輝きを放っていた筈のそれは、今や半分以上が濁りに侵食されている。魔法を使いすぎた事による魔力切れ、その予兆だ。
(……それくらい、必死になってるって感じ?)
自分を難なく下した杏子が、あそこまで消耗する相手。
キュゥべえから聞いていたとはいえ、こうして目の当たりにしてもまだ信じきれない部分はあった。
さやかは無意識の内に冷や汗を流し、半歩だけ後退り。
「っと?」
――コツン、と踵に何かが当たった。
目線を下ろせば、時計塔の瓦礫の破片に混じって一つ。黒く光る何かが見える。
軽く足先で掘り起こしてみると、そこにはソウルジェムに似た結晶体。グリーフシードが埋まっていた。
「うわっ、何でこんなとこに……」
魔女を討伐した後、回収しそびれてたのだろうか。
さやかは恐る恐るそれを拾い上げると、何とも複雑な表情で眺め――暫し後、再び杏子へと目を向ける。
分身がまた一人空に溶け、赤い宝石が少し濁りを増していた。
「……行けって、事かな」
呟きと共にさやかの瞳から迷いが消え、強い意思の光を宿す。
杏子もバッドエンドも、さやかにとっては見過ごせない悪敵である事には変わりない。しかし。
――さやかの脳裏に恭介の姿が浮かび、同時に先程交わしたまどかとの会話が蘇る。
「――まずはバッドエンド! 赤いのはその次!」
宣言。両手に刀剣を生み出し構え、地が砕ける程に強く脚を踏み込んだ。
元々、魔女討伐の為に杏子と共闘する事は(非常に気に食わないが)考えていたのだ。
今この場においては、敵となる対象が魔女から殺し屋に変わっただけの事。どこか卑怯な気もするが、そう決めて。
(パートのおばちゃんになんて負けるもんか! いや男だけど……!)
さやかは緊張に跳ねる心臓を押さえつけ、大きく深呼吸を一つ。優先すべき悪の下へと勢いよく飛び出した。
*
(……そろそろ、結界も消えますか)
時計塔の魔女の躯。
最早小さなビル程にまで小さく崩れたそれを見ながら、ホンフーは心中で呟いた。
空は波打ち、大地は歪み。魔女の躯の崩壊に合わせ、世界も徐々に現実に近づいている。
おそらく、後数分もしない内に結界は完全に消滅し、元の倉庫跡地へと戻る事だろう。
(うーん、そうなると些かやりにくくなる――おっと)
不意を突き、全身に炎を纏った杏子の分身の突撃を受け止める。
瞬間、赤い魔力が暴走し爆発を引き起こそうとするが――その寸前にホンフーの貫手が分身の顔面を破壊し、不発のまま消えていく。
度重なるダメージの反射に自棄になったのか、杏子の攻撃は段々と分身の消滅を前提とした特攻まがいの物へと変わっていた。
カルマミラーは、自爆に準ずる攻撃には反射能力を発動しない。
杏子自身はそれに気付いていないようだったが、彼女の試行錯誤は確実にカルマミラーの弱点へと迫っていたのだ。
……だが。
「……はぁ、はぁっ! 畜生が……!」
そのような戦い方を続けていれば、当然魔力の消耗も相応に大きな物となる。
今の一撃で臨界点を超えたのか、杏子は力なく膝をつき、大きく息を荒らげていた。
(お疲れでしょう。私ももう少し続けたくはありますが、これ以上は貴女の身体や時間的にも……と言っても聞こえないんでしたか)
喉元を触りながら、苦笑する。
疲弊によりかけられた暗示が解ける事を多少期待していたのだが、そう上手く話は進まないようだ。
しかし、何事かを話しかけようとした意思は伝わったらしい。杏子は槍を杖代わりに立ち上がり、ホンフーを睨みつけた。
「くそっ……ほんッとどうなってんだよ、その身体……!」
(あっはっは。答えを教えてあげたい所ですが、今の状態だと答えられないんですよねぇ。残念無念)
「……分かんないけど、おちょくってる事だけは分かんぞ!」
朗らかに笑うホンフーに杏子は一層の憎しみを向け、後ろ手に己の衣服を探る。
目当てはグリーフシードのストックだ。
流石にここまで疲弊すれば、ある程度は昇った血も下がる。杏子は常備していた一つを取り出すと、乱暴に胸元へと近づけ――。
(はい、没収)
「ッ!」
パチン、と。ホンフーの指が鳴らされた瞬間、鎌鼬が吹いた。
刃の如く鋭く、蛇の如くくねる風。それは正確に杏子の指へと纏わりつくと、グリーフシードを絡め取り、天高くへと吹き上げる。
一瞬の出来事に杏子は驚き、硬直。その僅かな隙にまた指が鳴り、グリーフシードはホンフーの手中へ招かるように収まった。
「なっ――テメェ!!」
(ドゥームチェンジ・ワームホール)
そうして開かれた掌には既に何も無い。ちょっとしたイカサマ手品だ。
杏子は忌々しげに舌打ちすると、再び衣服に手を差し込み――新しくグリーフシードを引き抜く寸前、その手を止める。
フィンガースナップの形を取ったホンフーの指が、これ見よがしに掲げられていた。
――今回は、ここまでという事で。
声を封じられたホンフーの、実に分かりやすい意思表示である。
(舐めやがって……! しゃあねぇ、また魔法で、っ!?)
だが、それを大人しく聞く程杏子の怒りは小さくない。
そうして新たに目くらましの分身を生み出そうとするものの、強い目眩が襲い咄嗟に止める。
最早それだけの魔力すら残っていないと自覚し、歯を食いしばった。
(――いや、まだだ……!)
幸い、まだ動けるだけの活力はある。
何とかホンフーの視界を遮る事ができれば、魔力回復の隙にはなるだろう。
杏子はホンフーを睨んだまま、槍を多節棍の形態に変形。大きな土煙を起こすべく、竜巻のように振り回し――。
「――でぇやああああああっ!!」
(おや?)
「!」
――天空より、甲高い声が落ちた。
反射的に見上げれば、そこには青い影が一つ。二人が忘れかけていた、美樹さやかのものだった。
マントをはためかせつつ落下する彼女は、周囲に無数の刀剣を侍らせており――先の怒声を続かせながら、次々と流星の如く投げ落とす。
それらは丁度ホンフーと杏子の居る中間地点に突き刺さり、壁を作り。
「――ぐっ!?」
(……!)
そして、爆発。
刀剣から走る青い魔力が泡のように弾け、猛烈な爆風を生み出した。
杏子は咄嗟に顔を腕で覆うが、風こそ強いものの衝撃はあまり感じない。どうやら、視界を遮る事を主目的とした爆発のようだ。
辺りが濃い土煙に包まれる中、油断なく周囲を警戒し――少し離れた場所に、刀剣の一つが突き刺さった。
「……これは……」
よく見ると、その柄には何やら小さな物が結び付けられている。
目を凝らすまでもない。ほのかに歪んだ魔力を漂わせるそれは、グリーフシード以外の何物でもなく。
「使えば、それ」
「……あ?」
その刀剣の更に先に、さやかの背が見えた。
振り向かぬまま投げかけられたその言葉に、杏子は一瞬ぽかんと呆け……やがて意味が分かると、不愉快げに鼻を鳴らし。
さやかを無視して己の用意していたグリーフシードを取り出すと、ソウルジェムへと押し付けた。
「いや何でよ!? カンペキ使う流れじゃん今の!」
「ハン、あんたみたいな奴からの施しなんているかよ。つーか何しに来たのさ、このザコが」
「んザッ……!」
あまりの言い草にさやかの額へ青筋が走るが、大きな力量差があるのは事実である。故にぐっと堪え。
「と、とにかく……そのグリーフシードここの魔女のっぽいし、あんたが使うべきもんでしょ。ちゃんと返したから」
「そーかい。んで、今度はアイツに負けたいの?」
「負けそうなのはあんたも一緒でしょうが! 共闘戦線!」
「…………、ふぅん」
身の程知らずに対する怒りや呆れよりも、驚きが大きかった。
あの「良い子ちゃん」であった巴マミの弟子ならば、意地固に己を敵視し続けるものと思っていたのだ。
(……まぁいいさ。簡単には死なねーみたいだし、精々肉盾として使ってやる)
杏子はそれ以上さやかに構う事を止め、土煙の先を睨む。
するとそれを見計らったかのように、どこからか指を弾く音が聞こえ――先の爆発とは比べ物にならない程の突風が吹き荒れ、土煙を跡形もなく吹き飛ばした。
「うわあっ!?」
「く……!」
否。それは土煙だけに留まらず、辛うじて結界を維持していた魔女の躯までも吹き崩し。
風が止んだ後には歪んだ景色など何処にもなく、夜闇に暮れた倉庫跡地の姿が広がっていた。
「…………マジで?」
「ビビったんなら帰んな。今日は特別に見逃してやるよ」
「う、うっさい! アイツ倒したら次はあんただかんね!」
さやかは怖気づきそうになる心を奮い立たせ、手に持つ刀剣をまっすぐに前へと突き出す。
その刃の先には、呑気に服に付いた土埃を払うホンフーの姿があった。
このような強力な竜巻さえも生み出す彼の能力に、さやかは一層警戒を顕にし――しかしホンフーはそんな彼女を無視して周囲を見回すと、疲れたように首を振る。
(加減、見事に誤りましたね……)
よもや、魔女の躯がこれ程までに脆くなっていようとは……声もなく呟き、溜息を零す。
基本的にホンフーは戦いによる被害の大きさを気にしない質ではあるが、かといって悪目立ちを好む訳でもない。
特に杏子との戦いは相当に派手なものとなっており、出来れば閉鎖世界である結界内のみで抑えたい所ではあったのだ。
(しかし、ソウルジェムも戻ったようで……まだまだやる気ですよねぇ、彼女)
事実、杏子の目に宿る炎は未だ絶えず、ギラギラとした眼光と刃とをホンフーへ向けている。
現実世界に解放された以上、透明化の能力でも使い、自分から退いても良いのだが……。
(……ま、良いでしょ。程よく冷静にもなったようですし、この際彼女の気が済むまで付き合いますか)
目立ったら目立ったで、ジャジメントに後処理を投げてしまおう。
ホンフーはあっさりと隠蔽の努力を放棄すると、気分を切り替えにこやかに武闘の構えを取り、そして、
(――しかし、あなたは余計だ)
「……え?」
瞬間、ホンフーの姿はさやかの目前にあった。
杏子でさえも途中の動作を追えず、その姿を認めるには僅かな時間を要し。
そして気付いた時には既に、鋭い貫手が青いソウルジェムへと伸びていた。
「――! 避け……!」
咄嗟に槍を向けるも、間に合う筈も無い。
風を裂き、軌跡すらも残して。
揃えられた五指が、一切の慈悲も無くソウルジェムと腹部を突き破り――。
「っ、うぇっ!?」
――
■
……………………………………………………
…………………………………………
………………………………
……………………
…………
……
…
・
■
「――ッ!?」
――ホンフーの突き出した腕が、宙を掻く。
ソウルジェムは手中に無く。肌を破いた感触も、引きずる腸の音もしない。
攻撃を外した。そう目を見開いたホンフーだったが、すぐに状況を理解した。
――目前に棒立ちしていたさやかの姿が忽然と消え去り、気配の残滓すらも無くなっていたのだ。
(っ、何処に――!)
靴底で地を削り、突撃の勢いを殺しながら周囲に視線を走らせる。
だが、そこには人影一つ見当たらない。
さやかは勿論、すぐ傍らに立っていた筈の杏子の姿も同じく消え失せており、残っているのはホンフーただ一人のみ。
――今。この貸倉庫跡地は、完全に無人となっていた。
(また幻惑の魔法か……? いや、しかし)
僅かに考え、すぐに否定する。
魔法を使う余裕も、分身と代わる暇も与えなかった。その筈だ。
(…………)
五秒、十秒。一分――数分。
ホンフーは変わらず周囲を睨み続けるが、杏子やさやかの襲撃も無く、殺気も無し。
腑に落ちないながらも戦闘の終了を確信し、拳を下ろして小さく息を吐き出した。
……何が起きた?
あの魔法少女の二人は、一体どこに消えたのだ?
テレポートの能力者が何処かに……だとしても、何の反応もなく――?
らしくもなく、混乱する。
落ち着く意味も込めて顎に手を添え考えるが、はっきりとした答えは出ず。
(…………)
……否。たった一つだけ、思い当たる可能性がある。
それは最早願望にも似た予測。ホンフーが求めて止まない異能力――その一端。
(……時間、停止――)
その間に、逃げた? 居たのか、その能力者が――?
戻らぬ声のまま呟き、もう一度ぐるりと周囲を見渡す。
されど、やはり人は無く。風が一陣、淋しげに吹き流れ。
――どうしてか、見た事も無い黒髪の一房が、視界の端に焼き付いていた。
『美樹さやか』
みんな大好きさやかちゃん。防御UP&挑発ガン積みで置いとくタイプの女の子。
まだまだ未熟だけど劇場版ではめっちゃ強いので、時間をかければ強くなるタイプっぽい。
今回は一体何ほむが助けてくれたのだろうか。分からぬ。
『佐倉杏子』
みんな大好きあんこちゃん。本編外伝どの媒体でも大体強い。
というか、どの作品でも大活躍しかしてない戦闘センスの塊。これで魔法少女になって二年経ってないとか嘘でしょ……?
今回は一体何ほむほむが助けてくれたのだろうか。分からぬ
『ウ・ホンフー』
才能ある子大好きおじさん。沈黙のバッドステータスを付与されてしまった。
【認識】さやか・杏子・雫
【理解】さやか・杏子・雫・ほむら
【 】該当者なし
『指パッチン』
気象現象を操る超能力、ストームレインを使用している。
特に指を鳴らす必要性は無いが、ホンフーは隙を作る意識付けとして鳴らしている。
『黒髪の一房』
一体何ほむほむほむなんだ。分からぬ。