超能力青年 ウ☆ホンフー   作:変わり身

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23話 ああ、安心した

――結界内部。深い深い、霧の中。

首無しの馬にまたがる武旦の魔女は、その蝋燭頭を激しく盛らせ、歪な世界を駆け抜ける。

 

無暗矢鱈と長槍を振り回し、通りがかりにあるもの全てを破壊して。まるで、癇癪を起こした子供のよう。

表情こそないものの、酷く苛立っている事がよく分かる。

 

 

『――ッ』

 

 

唐突に魔女が呻き、胸部を抑えた。

指の隙間からは幾本もの黒い筋が流れ、石畳に染みが落ちる。前日に受けた傷から溢れるものだ。

 

 

『――ク繝ヌ繝ム繧……ッ!』

 

 

――失敗した。

 

絶好のチャンスだったというのに、青い魔法少女を仕留める事が出来なかった。

この身を苛む傷により、不意打ちの刃を鈍らせてしまったからだ。

 

魔法少女達――特に黒髪の魔法少女――に気配を悟られないよう結界内に引き籠り、潜伏を徹底していたのだが、やはり人を喰わねば回復は遅いらしい。

一晩経っても引かない痛みが蝋燭頭へ赫怒を注ぎ、一層激しく燃え盛る。

 

……全身に穿たれた、無数の銃創。

それを刻んだ者は件の黒髪の魔法少女であったが、しかし武旦の魔女はそちらでは無く、青い魔法少女にこそより大きな殺意を抱いていた。

 

――分かるのだ。あれは、かつて己だった存在が残したものだ。

 

見ているだけで酷い憎悪が湧き出し、殺し尽くしてやりたいという衝動が身を焦がす。

あれを残し置いてはならない。この手で消し去る事で、己はようやく始まる事が出来る――理屈では無く、本能の部分でそう感じていた。

 

 

『――……ッ』

 

 

最後に一度、槍で強く床を叩いた。それは八つ当たりであると同時、首無し馬への号令だ。

武旦の魔女は再び走り出した馬に身を預け、他の同類よりは多少回りの良い思考を巡らせる。

 

……一度不意打ちに失敗した以上、二度目のチャンスは無いだろう。

ならば今は撤退し、傷の回復に努めよう。一度この街を離れ、安全な場所で人間を喰らい、鋭気と魔力を蓄えるのだ。

そして万全の状態になった時、今度こそ、確実に、あの青い魔法少女を殺す。そう決めた。

 

武旦の魔女は屈辱に肩を震わせながら、己を結界ごと移動させ――。

 

 

『――――!?』

 

 

その時、結界が大きく揺れた。

 

霧が波打ち、色の無い衝撃波が身を襲う。

一体何が起きた――考えかかけ、すぐに気づいた。

 

――何者かが、強引に結界をこじ開け侵入したのだ。

 

 

『辜レ簸、駁サ啝――!!』

 

 

そして今、それを行う者は一人しか考えられず。

武旦の魔女の蝋燭頭が、瞬時に炎を吹き上げた。

 

 

 

 

 

 

走る。走る。走る。一筋の青い閃光が、充満する霧中を疾走する。

 

延々と続く石畳を踏み砕き、立ちはだかる女官姿の使い魔を両の刀剣で切り捨てて。

逃げも隠れもせず、真正面から強引突破。

それはかつてこの世界を踏破した者とまるで真逆の方法ではあったが、勢いだけは彼女を上回っている事だろう。

 

――結界内に侵入を果たした、美樹さやか(佐倉杏子)。その猛進である。

 

 

(お、い……いい加減、止まれって、このバカ……!)

 

 

しかし身体とは反対に、その内側は酷く歪な状態だ。

 

希薄になる杏子の自我に対し、芯の入った行動をするさやかの肉体。

何度引き留めようとしても、さやかの身体はそれを無視して走り続け、まったく言う事を聞かない。

さやかの意識側からの反応もなく、完全な暴走状態に陥っていた。

 

 

(ああもう、寝ぼけてんのか、こいつ……!?)

 

 

気を抜けば千々に乱れる自我を必死に保ち、身体を止める方法を考える。

 

幾ら武旦の魔女の傷が癒えていないとしても、流石に今の状態で討伐できるかどうかは怪しい所だ。

テレパシーも繋ぐ端からすぐに切れ、ほむらを救援に呼ぶ事も出来ない。このままでは、下手をすれば返り討ちに遭い――守ったその手でさやかを殺す(・・・・・・・・・・・・・)という笑えない結末になるかもしれない。

 

それだけは絶対に避けねばならない。ならないのだが、

 

 

(くそ! 何もできねぇ……!)

 

 

最早、眼球すら震わせられない今、一体何が出来るというのか。心の中で頭を抱えた。

 

 

(……どうする、どうする、どうするっ――!)

 

 

焦るものの、今となっては冷や汗すら流せず。

固定された視界の中、ただ深い濃霧を見つめ続けるだけで――。

 

――その時。彼女の視界右端で、僅かに霧が揺らめいた。

 

 

(――右だっ!)

 

「――っ!」

 

 

咄嗟に呼びかければ、さやか(杏子)の身体は大きく前傾。

倒れる寸前にまで身を屈め――瞬間、旋毛の上を巨大な刃が通過する。

 

明らかな殺意を以て放たれたそれは、さやか(杏子)の髪先を掠め、背後へと流れ去り。

続く槍柄の根元を見れば、巨大な影が霧に紛れて立っていた。

 

盛る炎を隠さず、煌々と霧闇を照らす蝋燭頭――疑うべくもない、武旦の魔女の姿だ。

 

 

(出やがったな……!)

 

 

わざわざこんな所まで駆け付けるとは、相当に憎まれているらしい

瞬時に戦闘姿勢を取らない身体をもどかしく思いつつ、その一挙手一投足を見逃さないよう注意を配る。

 

しかし魔女はまたも不意打ちを外した事に相当苛立っているようで、一度大きく蝋燭頭を猛らせると、すぐに霧の中へと姿を消した。

この場から逃げた――などと気を抜く程、楽観的にはなれない。

 

さやか(杏子)の身体もそれは分かっているのか、少し遅れて警戒態勢。数多の刀剣を周囲に突き立て簡易的な盾とし、両手の刃を静かに構えた。

 

 

(……おい。ホントは、もう起きてんだろ?)

 

「…………」

 

 

その最中、杏子の意識はさやかへ向けてそう呟く。

これまでと同様、返事は無い。しかし杏子には、さやかが既に意識を取り戻しているという確信があった。

 

 

(さっき避けた時、反応したろ? バレバレだよ、このダイコン)

 

「んぐっ……、……」

 

 

やはり言葉は無かったものの、図星を刺されたように息を詰まらせた。演技の才能は無いようだ。

 

ともあれ。理由はともかく、現状の暴走がさやかの意思で行われているのならば、まだどうにかなる。

壊れかけの自我の裏で、杏子は安堵と怒りの入り混じる溜息を吐いた。

 

 

(……とにかく、さっさと逃げな。今なら、まだ間に合う――)

 

「――うっさいッ!」

 

 

杏子の声を遮り、さやか(杏子)の身体が――否、さやかが大声を発した。

同時に死角から槍刃が放たれるが、咄嗟に刀剣を振り回し迎撃。甲高い金属音が響き、差し込んだ一本を犠牲に刃をいなす。

 

 

(……お、い。あんた……!)

 

「この魔女はっ、今……あたしがここで倒すんだっ!!」 

 

 

その叫びと共に、もう片方の刀剣を槍刃の放たれた方角へ向け、鍔裏のトリガーを引いた。

しかし射出された刀身は容易く躱され、武旦の魔女は再び霧の中へと沈む。直後に刀身が爆発し霧を吹き飛ばすも、そこには既に何も無い。

 

 

「んのっ……全身穴だらけって話じゃないの!?」

 

(そうだよ。だから、あんたでも凌げてんだ)

 

「っ……」

 

その返答にさやかは強く歯を食いしばると、手近に刺さる刀剣から手当たり次第に投擲、爆破する。

数多の爆風が連続し、立ち込める霧を爆炎の中に散らすものの……その隙間に残る霧の濃い場所から、またも槍刃が飛来した。

 

 

「よしっ!」

 

 

しかしそれは、さやかの狙い通りではあったようだ。

 

今度はしっかりと刃を合わせ、不格好ながらも下方へ受け流し。石畳を削る槍の柄を半ば転がるようにして、魔女へと接近。

そのまま回転の勢いを乗せ、一息に魔女の蝋燭頭を裁断し――直後、さやか(杏子)の身体もまた、大きく裂かれた。

 

 

「ガッ!?」

 

(さやかっ!)

 

 

激痛。後、血飛沫。

右乳房から左の脇腹にかけ裁断され、吹き出した大量の血液が霧に舞う。

 

 

「ご、ぼ……何でっ……!」

 

 

混乱が頭の中を支配する中、目前に立つ魔女の身体が、斜めにずれた。

既に頭部の無い上半身が滑るように地に落ち……その背後に立つ大きな影を露にする。

 

――それは大槍を振り切った姿勢の、武旦の魔女。

まんまと囮の分身にひっかかり、諸共身体を切り裂かれた――そう考えが至った瞬間、武旦の魔女は槍を逆手に持ち替え、トドメの一撃を繰り出した。

 

 

「ぐ――ぁ、あああッ!!」

 

 

咄嗟に片手の刀剣を爆破させ、その場から吹き飛ぶ形で回避する。

 

数本の指が千切れ、肌が焦げ。何度も石畳を転がった。

爆音と激痛、そして回転により平衡感覚すら失い、さやかの意識が遠のきかける。だが。

 

 

(――負けないッ……!)

 

 

気合一発。

さやかは大きく目を見開くと、刀剣を地面に突き刺し体勢を整え、同時に治癒魔法に全魔力を注ぎ込んだ。

途端、裂かれた肉が盛り上がり、失った指が生え揃い。重傷だった身体が、無傷に等しい状態にまで巻き戻る。

 

……とはいえ、精神的な負担は如何ともし難いようだ。

膝をつき、血の気の失せた青い顔で大きく嘔吐く。すると気道に詰まっていた血液が零れ、石畳を濡らした。

 

 

「げ、ほっ……はぁっ、はっ……!」

 

(……もう分かったろ。アレの相手は、あんたにゃまだキツイ)

 

「だから、うるさいっ!」

 

 

杏子の言葉に反発し、さやかは再び刀剣を握り、立つ。

しかしその足取りは頼りなく、痛みへの恐怖に震えていた。

 

明らかな虚勢を張り続けるさやかに、杏子の舌打ち――無論、敢えて聞かせる為の物――が大きく響く。

 

 

(いい加減にしろよ! 早く、ほむらを呼べ。それが一番なんだって……!)

 

「……だとしても。これは……これはっ、あたしがやんなきゃダメなの!」

 

(くそ、聞き分けがねぇな……! 何でそんなムキに――)

 

 

「――だって、あんたにしてやれる事、それしか無い……っ!!」

 

 

――隙を突いて放たれた槍刃を弾きつつ、さやかは叫んだ。

 

 

(何……?)

 

「知ってんのよ! 魔法少女や魔女の秘密とか、あんたの今の状態とか! ついさっきまで意識は無かったけど――杏子の記憶は、ちゃんと引き継いでる……!」

 

 

さやかの心に、杏子の心が溶け込んだかのように。

杏子の過ごしたここ一日ほどの記憶が、元々自身のものであったと勘違いする程によく馴染み、経験として受け入れている。

 

……だからこそ焦り、そして恐れているのだ。

 

 

「今戦ってるのが、あんたの成れの果てだってのも分かってるの! それで……も、もう、人間に戻れないって事もっ!」

 

 

刀剣を握るさやかの手は白く握りしめられ、その結末に納得がいっていない事は明白だ。

しかし、本物の杏子から分離した存在が抱いた確信は、記憶と共に受け継がれていた。

 

 

(…………)

 

「……あ、あたしの中に居るあんたも、もうすぐ消えちゃう。なのに」

 

 

さやかの震えが止まり、その瞳を決意が満たす。

強く石畳を踏みしめ、顔を上げ。二本の刃で霧を裂く。

 

 

「今、こんな時に何も出来ないあたしなんて――そんなの、助けてくれた杏子がバカみたいじゃん……!」

 

 

瞬間、またも背後から槍刃が飛んだ。

さやかはすぐさま反応し打ち払うと、背後へと駆ける。目線の先で、蝋燭頭が燃えていた。

 

 

「杏子が命がけで残した希望が、頼りないとかザコとか……そんな風に思われたまま、終われるもんか……!」

 

(……さや、か……)

 

「あの魔女が杏子の産んだ絶望だっていうなら、あたし(希望)が絶対倒すんだっ! そんで大丈夫だって見せてあげなきゃ、あんただって――!!」

 

 

最後まで言い終える事なく、目前にまで迫った武旦の魔女へ切りつける。

その刃は先程と同じく、蝋燭頭を切り落とすべく閃き――しかし、今度はそれが成される前に、頭上の霧から槍が落ちた。

 

 

「そう何度もっ!」

 

 

さやかもそれは想定はしていたのか、咄嗟に回避。まず目前の個体を両断し、そのまま振り切った刃を上方へ向けトリガーを引き絞る。

 

射出された刀身は真上に控えた魔女を貫き、爆発。吹き飛ばされた魔女の四肢が散乱するが……すぐに薄れ、掻き消えた。

 

 

(また分身――、っ!?)

 

 

さやかの背筋に悪寒が走り、反射的にその場から跳び退いた。

直後、それまで立っていた場所を槍の刃が通り――同時に黒鉄の蹄がさやかを強烈に打ち据える。魔女の乗る首無し馬の脚が、跳んだ先から突き出したのだ。

 

何とか刀剣を盾にしたものの容易く叩き落され、地に背中から突っ込んだ。

 

 

「がっ!? い、ったぁ……!!」

 

(……ハ、大口叩いといて、そんなもんかよ)

 

 

背中の痛みと共に、杏子の嘲笑がよく響く。

さやかは強く歯を食いしばり、それを無視。濁った霧の中を睨みつつ、刀剣を杖に立ち上がり――。

 

 

(なぁ。あんたの魔法は、なにが……できるん、だっけ……?)

 

「……何、急に」

 

 

唐突な問いに、思わず怪訝な表情を浮かべた。

杏子はそれに返さず、無言のままで答えを待つ。

 

 

「……、……知ってんでしょ。傷を治す魔法よ」

 

(じゃあ、つかいなよ。それ)

 

「は? いや、さっき切られた時も使ったでしょうが」

 

(そうじゃ、ねーよ。たたかうことにも、つかえ……ってんだ……)

 

「……杏子?」

 

 

いつの間にか、胸裏に響く声は弱々しいものとなり、端々が聞き取れない程となっていた。

されど杏子は変わらず、言葉を続ける。

 

 

(あんたには、経験も、小手さき、の……ぎじゅつも、ない。だったら、あるもの、めいっぱい……つかわねー、と……)

 

「ねぇ、よく聞こえない。やだ、まだ頑張ってよ、杏――」

 

(――はしれっ!)

 

「っ!」

 

 

轟音。号令に従い地を蹴れば、すぐ背後に大槍が突き刺さった。

しかし刃はそれで止まらず、ガリガリと石畳を削りながら、恐ろしい速度でさやかを追跡。肉薄する。

 

 

「や、ばっ……!?」

 

(そら、もっと身体、強化しな。限界、超えて……魔力、そそいで……)

 

「何言ってんの!? そんな事したら――……」

 

 

文句を叫ぶ最中、何かに気づいたかのように目を見開く。

そしてほんの一瞬逡巡するも、すぐに覚悟を決め、懐からグリーフシードを取り出した。

 

……かつて杏子から渡された、それ。さやかの目から、恐怖が薄れた。

 

 

「……こうなったら、何だってやってやるわよっ!!」

 

 

グリーフシードをソウルジェムに押し付け、魔力を浄化。

続いて限界を超えた魔力を肉体に注ぎ込む。

 

 

「あ、ぐぅ……!?」

 

 

途端、全身に引き裂かれるような痛みが走る。

筋力や感覚を何十倍にも引き上げられるその強化は、例え魔法少女の肉体であっても耐え切れるものでは無いのだ。

 

しかしさやかは唇を噛み、我慢して。そして足裏で石畳を削りつつ振り返り――目前にまで迫った刃に、思い切り刀剣を打ち合わせた。

 

 

「うぐ、く――ぅあああああああああッ!!」

 

 

――バキン。音が三つ、鳴り響く。

 

自身の腕と、刀剣と、そして槍刃。

魔法により常軌を逸した膂力が、それら全てを分け隔てなく破砕したのだ。

 

 

「――ッ痛ぅ……!」

 

 

しかし、自身の腕は魔法によってすぐに再生。

2、3度腕を振り動作を確認すると、今度は思い切り地を蹴り出した。石畳と共にふくらはぎが弾け飛び、爆発的に加速する。

 

 

「あぎっ!?」

 

(……わる、いな。実力、埋める方法……この無茶、しか……)

 

「っぜ、全ッ然平気だけど!? 取り越し苦労もいいとこだっつーの!!」

 

 

嘘だ。気を抜けば、気絶してしまいそうだった。

 

一歩踏み出すたびに、どこかの肉が弾け、腱が切れる。

強化に強化を重ねた身体が、大きな悲鳴を上げている。

 

 

(でも、あたしの魔法なら、いけるっ!)

 

 

そうして崩れ続ける身体を治癒の魔法で無理矢理に保ち、動かして。

槍が壊れ、呆然とする武旦の魔女へと突貫し、反応すら許さない速度で以て真っ二つに切り裂いた。

 

 

『儺、轜ッ……!?』

 

 

当然ながらそれも分身だったが、武旦の魔女に驚きは与えたようだ。

小さな驚愕がどこからか落ち――膂力と同じく大幅に強化された聴力が、それを捉えた。

 

――右斜め上空。空に浮かぶ、カンテラの先。

さやかは深く身を屈めると、勢いよく身を跳ねさせる。ぶちぶちと、身体の中で音がした。

 

 

(……霧。流れを、よくみな……少し、ゆらめ、く……)

 

「っ、うん……っ!」

 

 

杏子の声は、最早ホワイトノイズのように小さく、弱く。

さやかは決して聞き逃さず、一言一句を心に留め、刻み込む。

 

――杏子からの教えを受けるのは、これが最後なのだから。

 

 

「――見つけたっ!!」

 

 

杏子の言う通り、霧の一部が僅かに揺らぎ、不自然な波を作り出していた。

 

さやかはすかさず刀剣を生み出すと、全力で投擲。

刀剣は衝撃波すら纏う速度で飛翔し、揺らいだ霧の付近で爆発する。

 

異常な速度を乗せた爆風は周囲の霧を吹き払い、乱れる衝撃波が渦を巻き――そうして一瞬だけ生まれた空白地帯に、武旦の魔女は立っていた。

 

 

「――!」

 

 

――あれが、本体だ。

 

そう直感した瞬間、全力で石畳を蹴り割った。

足の腱を犠牲に急加速し、構えた刀剣を振りかぶる。

 

 

『刳ン麝練ェッ!!』

 

 

しかし今度は武旦の魔女も反応し、周囲に分身を生み出し突撃させる。

激しい憎悪を纏った無数の槍刃が閃くが――動体視力、そして思考速度すら強化された今のさやかにとって、それらは酷く遅いものと映った。

 

 

(分身、あたしは13……が、げんかい、で……、……)

 

「……魔女も同じって事ね」

 

 

強く頷き、刃を薙ぐ。

 

1体目を袈裟に切り捨て、2体目を刺し貫き。

すれ違いざま、3体目に生み出した大量の刀剣を突きさすと、簡易的な爆弾として利用。分身の群れの中に投げ飛ばし、複数纏めて始末した。

 

 

(あと5つ……!)

 

 

9体目と10体目を両足と引き換えに蹴り殺し、11体目を縦に割る。

そして立ちはだかった12体目の胴を突き通り、残るは逃げようとしている本体と、それを守るように立つ13体目のみ。

 

またも折れた腕を再生しつつ、銀の刃を振り下ろす。

しかし分身は巧みに槍の刃先を合わせ、その一撃を受けきった。

 

 

「くっ……邪魔っ!」

 

 

時間をかけては、本体に逃げられる。

さやかは治る端から壊れ続ける腕の痛みに耐えながら、今はひとまず本体を追うべく13体目を遠くへ弾き飛ばし――。

 

 

「――なんて、ねっ!」

 

『、譌ッ――!?』

 

 

唐突に、降り落ちた刀剣がその身体を貫き、その場へと縫い付けた。

分身であれば、確実に消滅するであろう傷だったが――しかし、13体目が消える気配は無い。

 

――脆い幻惑ではない、実体。つまりは、こちらこそが本体だ。

 

 

(ハ……わかってん、じゃん……)

 

「……よく見て、よく考えろ。覚えてるわよ」

 

 

呟きつつ、本体の振りをしていた最後の分身に刀剣を投げ、爆破。

 

これでもう、武旦の魔女を遮る物は何も無い。

さやかは刀剣の先を魔女へ向け、揺らめく波紋に魔力を通す。鋼の上で、青き燐光が踊った。

 

 

『彌、蟆ィ……!』

 

 

必殺の魔法(マギア)が、来る。

 

魔女は己に突き刺さった刀剣を引き抜き離脱を図るものの、次の瞬間には新たな刃が降り注ぎ、より強く張り付けられた。

 

そうして、さやかは深く身を沈め。捻る刃が、斬るべき敵を見定めて――。

 

 

「……っ」

 

 

……刃先が、僅かに震えた。

 

今まさに踏み込もうとしていた一歩が、動かない。

脳裏に杏子の憎たらしい顔が幾つも浮かび、決して小さくない迷いが心を揺らす。

 

本当に、どうしようもないのか。

杏子はもう、戻らないのか。

 

猜疑。躊躇い。或いは未練。

そのようなものたちが、さやかの決意を鈍らせるのだ。

 

――けれど。

 

 

『――いきなよ』

 

「ッ!!」

 

 

――背中を、そっと押された。

 

それが、記憶の中の声なのか。それとも、今まさに胸裏に響いた声なのか。

判別は付かなかったが、どちらであっても変わらない。

 

刃の震えはぴたりと止まり、澄んだ覚悟を取り戻す。

 

 

「……負ける、もんか……ッ!!」

 

 

石畳が破裂し、さやかの姿が掻き消えて。一瞬の後には既に武旦の魔女の前に現れ、下から上に切り裂いた。

刃先に纏う魔女の血が宙を昇り――すぐに下方へ流れ弧を描く。

 

 

「りゃぁぁぁああああああああッ――!!」

 

『厭巍ィャ驤ァ媾擧ィ!!』

 

 

そうして振り下ろされた刃に続き、無数の剣閃が走る。

青い魔力が水飛沫のように帯を引き、魔女を刻んだ。

 

 

『    』

 

 

「!」

 

 

斬撃の最中。また、声を聴いた。

咄嗟に胸裏に呼びかけるも、最早、返事は無く。

 

 

「っ……まだまだ、こんなもんじゃないわよっ!!」

 

 

跳躍。

一度大きく距離を取り、刃を突き出し突貫の構え。

 

狙うは当然、満身創痍の武旦の魔女。

足元から浮き上がる魔力の水泡越しに、その心臓の位置を見た。

 

 

「今ッ――!!」

 

 

うねる魔力が激流と化し、さやかの身体を包み込み。

閃く刃の軌跡に沿って、水龍の如く飛翔する。

 

――プレスティッシモ・アジタート。

 

武旦の魔女は成す術も無く必殺の魔法(マギア)に呑まれ、またがる馬共々に両断された。

身体の破片や、吹き出す黒の血液すらも波に溶け、魔女の全てが流れて消える。

 

 

 

 

 

――そして、蝋燭頭の灯が消える、その間際。

 

 

穏やかに笑う杏子の顔を、弾ける泡の向こうに見た。

……そんな、気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――見たか、本気のあたし!」

 

 

魔女の結界が、消える。

主を失った世界が崩れ、元の公園の姿を取り戻していく。

 

霧が晴れ、木々が伸び。延々と続いていた石畳も剥がれ、見慣れた現実世界へと早変わり。

途端、強い風がさやかの顔を叩き、思わず顔を手で覆った。

 

 

「わぷっ……っと、そっか。風が強いの忘れてた」

 

 

激しくはためくマントに眉を顰め、魔法少女の装いを解く。

 

とてつもない疲労感が身を襲うものの、倒れる時は今ではない。

慌てて辺りを見回すと、すぐに近くのベンチに近寄り、寝かせていた仁美の無事を確認。

未だ気を失ったままの彼女の身体には傷の一つも無く、安堵の息を吐き出した。

 

 

「……見てない間、使い魔とかに襲われてなくてよかったぁ。あれ、元があんたならさ、サイアク人質とかイヤらしい作戦取られてたかもしんないし」

 

 

努めて明るい口調で己の胸に話しかけるが、返事は無かった。

しかしさやかは表情を変える事もなく、静かに掌を握りしめる。

 

 

「っ……それにしても、さっきのあたし、凄くなかった? こう、超早くて、強くて……」

 

 

仁美の傍に腰掛けながら、剣を振るジェスチャー。

当然、それを見る者は居らず、風の吹き荒ぶ音だけが虚しく響く。

 

 

「あんたもさぁ、あんな手があったなら、もっと早くに教えてくれたってよくない? 確かにちょっと……嘘、めっちゃ痛かったけど、あんなの、全然へっちゃらだし……」

 

 

段々と、声音が萎む。それに伴い自然と首が下を向き、握った掌が視界に入った。

その強く固められた指の隙間に、黒い何かがちらりと覗く。

 

……さやかの視界が、ぼやけた。

 

 

「……見てた、でしょ。あたしだって、ちゃんとやれたよ。あんたの希望は、頼りないザコじゃなかったよ……?」

 

 

最早、最初の明るさは見る影もない。

ゆっくりと掌を開くと、そこには黒い陶器が乗っていた。

 

――武旦の魔女のグリーフシード。

 

かつて、杏子の魂だったものにして、先程の戦いにおける戦利品だ。

 

 

「ねぇ、何か言ってよ。ホントはまだ居るんでしょ? あんたの事だから、返事が面倒だとかで、無視してるだけで……」

 

 

ぽたりと、その表面に水滴が落ちた。

さやかは再びそれを握りしめると、大切に胸へと掻き抱く。

 

固く、冷たい。しかしさやかは、そこに確かな温もりを感じて。

 

 

「……杏、子っ……――」

 

 

それきり、言葉は途切れ。

後にはただ、たった一人の嗚咽が響くだけ。

 

 

 

――……ああ、安心した――。

 

 

 

……先の斬撃の最中に聞いた、その声が。

さやかの胸に、いつまでも、いつまでも残り続けていた。

 

 

 




『美樹さやか』
友に報いる為、かつての友だったものを討つ。
この時間軸では、それが魔法少女として初めて討伐した魔女となった。


『佐倉杏子』
本物の彼女は既に消滅していたが、その意思は確かに安らぎを得た。
この時間軸では、完全に退場する。


『武旦の魔女』
もし傷の治癒に専念していれば、杏子の意識が消えたさやかなど容易く葬る事が出来た。
憎しみに囚われた結果死に至った構図は、奇しくも杏子のそれと似通った物だった。

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