暁美ほむらにとって、鹿目まどかは生まれて初めて出来た大切な友達である。
幼い頃より重い心臓病を患い、まともに学校すら通えず。
狭い病室の中で日々を孤独に過ごしてきた彼女は、友人という存在に強く憧れていた。
そうして奇跡的に病が治癒し、突然広がった世界に戸惑い、不安に押し潰されそうになった時。
優しく己の手を取り、友人としてくれたまどかに。魔法少女として己を助けてくれたまどかに、ほむらはどうしようもなく焦がれたのだ。
それは最早、初恋にも等しかったのだろう。
その優しさ、その笑顔、仕草、言葉……彼女から与えられる物全てが嬉しく、愛おしく。
例えどんなに何気ないものであっても、強く魂に刻まれた。
――故に、ほむらは時間遡行の魔法少女となった。
近い将来、まどかは必ず死亡する。
見滝原を壊滅に追い込む魔女――ワルプルギスの夜により、無残にもその生命を散らされるのだ。
……そんな結末、認められる筈が無い。許されて良い筈が無い。
【鹿目まどかとの出会いをやり直す。そして、愛する彼女を守る私になりたい】
その願いを『軸』に、ほむらは幾度も時を繰り返す。
何度失敗しようとも、決して諦めずに抗い続ける。
そこには仲間も、理解者も無い。
例えどのような犠牲を払い、どのような後ろ暗い事をしても構わなかった。
全ては、まどかを守る為。
彼女に纏わりつく数多の死の因果を打ち破り、救い出す為に――。
……だが、だからこそ。
そのような、確固たる信念を持っていたからこそ。
彼との邂逅は、必然であったのかもしれない。
■
魔法少女の多くは、それぞれ個々のテリトリーを持っている。
魔女を倒す為には魔力が必要であり、その補充には魔女の落とすグリーフシードと呼ばれる結晶体が必要不可欠。
つまり魔法少女達にとって魔女とは宿敵であると同時、命を繋ぐ宝物にも等しく、場合によっては魔女を巡っての諍いが起こる可能性もある。
己の管理する場を定めるという事は、それを避ける為の暗黙の了解であった。
そして、ここ見滝原の街に置いてもその例に漏れず、とある魔法少女の影響下に置かれていた。
巴マミ――魔法少女全体の中でも上位に位置する実力者にして、数少ないベテランの一人だ。
高潔な正義感と、それに伴う確かな実力。それらを持ち合わせていた彼女は、日夜魔女の脅威から人々を救い、見滝原の地を守護し続けていた。
その為、見滝原は高い魔女の出現率に反し、極めて被害の少ない地域であったのだ。
……そう、「あった」。
それらは既に過去の話。今や彼女のテリトリーは完全に消え去り、魔女やその使い魔が人知れず野放しとなっている。
理由は至極単純。当の巴マミが、この世に別れを告げたからだ。
「……マミの奴が、くたばった?」
ぱきり。
口端に咥えたスナック菓子を噛み砕き、その少女は呆けた声を上げた。
「は、冗談……って訳じゃなさそうだね。そうか、マミが……」
「つい先日の事さ。相手の魔女が一枚上手だったようで、一瞬の油断を突かれて頭を砕かれてしまったんだ」
対するは、兎とも猫ともつかない赤目の小動物。
キュゥべえ。素質ある少女の願いを叶える代わりに、決して逃れられぬ魔法少女の運命を与える摩訶不思議な存在だ。
彼は言葉とは裏腹に笑顔のような表情を貼り付けたまま、感情の感じられない声で淡々と続ける。
「僕としても、マミを失った事はとても残念だけど…………居合わせた魔法少女が魔女を退治してくれたのは、不幸中の幸いとも言える」
「……何だ、魔女の方も死んだのか」
「近くにマミの友達が居たんだけど、彼女達が死なずに済んで本当に良かったよ」
「どうせそいつらに魔法少女の素質があったからだろ? 相変わらず薄っぺらいね」
少女――佐倉杏子は、苛立ちを隠す事無く舌打ちを鳴らす。
彼女はこのキュゥべえという生物をあまり好いてはいなかった。
如何なる時も変わらぬ表情と、表面上は綺麗な言葉。何より彼女の『願い』の顛末もあり、どうにも心を許す事が出来ないのだ。
今も口ではそれっぽい事を言ってはいるものの、本当にマミの死を悲しんでいるのかどうか。
じっと赤い瞳を睨むが、やはり何も読み取れない。軽く息を吐き、気を切り替える。
「……んで、マミの尻拭いをしたのはどんな奴なのさ。教えな」
「それが詳しい事は僕にも分からないんだ。分かる事といえば、暁美ほむらという名前と容姿くらいのものさ」
「契約したのはアンタだろうに、何言ってんだか」
胡乱げに眉を顰めるが、それ以上には追及しない。
この小動物はイマイチ信頼はできないが、嘘を吐かない性分である事はこれまでの付き合いからよく知っている。
誤魔化さずハッキリと分からないと言うのならば、本当にそうなのだろう。
「ま、実際会ってみりゃ良いか。……ついでに、マミの墓でも立ててやるかね」
「……見滝原に行くのかい? あそこには他にもマミの遺志を継ぐだろう子達が居る、キミが行く必要は無いと思うけど」
「はん、だったら尚更行かなくちゃだろ。あの狩場は、新人にやるには勿体無いって」
立ち上がり、何処か無理を隠すように不敵な笑みを浮かべた。
今は疎遠になってはいたが、杏子にとってマミの存在は決して小さいものではない。
テリトリーの横取りという損得勘定もあったが、無視する事は出来そうになかった。
それを見たキュゥべえは小さく溜息を一つ。歩き出す杏子に追いすがり、その肩に乗った。
「まぁ、キミがそういうのであれば僕も止めないよ。ただ、少し注意して欲しい事があるんだ」
「正体不明の魔法少女ってやつの事かい?」
「いいや、それとは別の事さ」
ちらと肩口を見れば、ガラス玉のような赤と目が合った。
「近い内、見滝原にある男性が訪れる可能性がある。バッドエンドというらしいんだけど、可能な限り彼との接触を控えて欲しいんだ」
「……誰だい、そりゃ」
唐突に出てきた謎の男に困惑し、思わず足を止める。
おまけに随分と変な名前だ。顎をしゃくり、先を促す。
「ジャジメントって知っているかい? 確かこの街にもスーパーがあったと思うけど」
「ああ……何か球団とか経営してる金持ち会社だろ?」
「そう。バッドエンドはそこに所属していると思しき殺し屋さ」
間。
凍りついた空気の中、ひゅるりと木枯らしが吹き抜ける。
「……あー、何だって? スーパー店員の殺し屋?」
「おそらくスーパーを担当している部門には所属してないんじゃないかな。僕もジャジメントの内部事情には詳しくないんだ、ある事情で干渉を許されていないからね」
「……いつも空気読まずに話しかけてくるアンタがかい」
「まぁ色々とね。もしジャジメントに類する者に関わったのなら、暫くは僕とコンタクトをとる事は諦めて欲しい」
そう真面目に語るキュゥべえに、冗談を言っている様子はない。
ただ事実のみを話している事が窺え、余計に深く眉が寄る。
(殺し屋……殺し屋ねぇ)
杏子自身、おそらくは裏と呼ばれる世界に生きている事は自覚している。しかしそのような存在は未だ出会った事はなかった。
もっとも、ヤクザなどの武装組織が起こす抗争等とは極力距離を置いている為、機会不足と言われれば言い返す事は出来ないのだが。
「……まぁ、殺し屋だなんだってのはともかく。つまりアンタがジャジメントに近寄りたくないから、そのバッドエンドってのにも関わるなって話か」
「それもあるけど……彼自身も本当に危険なんだ。遠目での偵察でしか見た事は無いけど、もし彼の障害となるような事があれば、キミはただでは済まないと思う」
「……へぇ、言うじゃないのさ。魔法少女が、ただのおっさんに負けるって?」
「事実、何人かの魔法少女が彼とその仲間に殺されているからね。決して大袈裟じゃないさ」
「――……」
殺伐とした内容に黙り込む。
驚愕と懐疑。ハッキリ言えば後者が大分強かったが、さりとてムキに否定する気にもなれず。
ただバッドエンドという陳腐な名を頭の片隅に書き残し、杏子は憎々しげにフンと鼻を鳴らした。
「……そこまで言うなら、一応は覚えておいてやるよ。それで良いんだろ」
「ありがとう、杏子。僕もキミとの縁が切れるのは避けたいところだからね、そう言ってくれると助かるよ」
『どっち』の意味で言っているのやら。キュゥべえはにっこりと目を細めるが、その笑顔と言葉の何と気に食わない事か。
小さく苛立ち、彼の尻尾を摘んで背後へと放り捨てる。
「もう用はないんだろ、あたしはもう行くからな」
「うん。バッドエンドは基本的には中国服を着用しているようだから、見ればすぐに分かると思うよ」
「へーへー、ご丁寧にどうも」
ひらひらと手を振り、それきり振り返る事も無く歩き去る。
そして新たにスナック菓子を取り出し、無造作に口に咥え――ちょうどその時、思い出したかのように無感情な声が背を叩く。
「――それと、彼は超能力者である可能性が極めて高い。本当に気をつけて」
「……、はぁ!?」
ばっ。
あまりに突飛な内容に勢いよく振り向くも、既にキュゥべえの姿は無い。胸裏に淀む靄を抱え、ただ呆然と立ち尽くし。
「……チッ。最後に変な置き土産残してきやがって……」
巴マミの死。殺し屋。超能力者――。
後の二つは眉唾とは言え、話としてはそれなりにショッキングな内容であったのは確かだ。
杏子はガリガリと頭を掻き毟ると、大きく息を吐き。不機嫌な顔でスナック菓子を貪り始める。
「…………」
……少し、昔。
こうして間食をする度、必ず注意して来た誰かの声が脳裏を過り――小さく、鼻を啜った。
*
ひらり、ひらり。
無数の桜の花弁が宙を舞い、風に流され何処へともなく消えていく。
ここ見滝原に置いて、桜は半ば街のシンボルのようなものだった。
目につく場所には何処にでもあり、右を見ても左を見ても目に映るのは色鮮やかな桜の雨。
それは昼夜問わず絶え間なく降り注ぎ、再開発の進む街に対し、自然豊富という相反する印象を強く植え付ける事だろう。
それは見滝原市民のみならず、観光客が多く訪れる程に広く愛されている光景であったが――しかし、ほむらにとっては余り好きなものではなかった。
「…………」
自室にて銃器を分解する手を止めたほむらは、窓の外に落ちる雨に物憂げな溜息を吐く。
まだ心臓病が治る前。押し込められた病室の窓から見える桜の花弁は、正しく自由の象徴だった。
ひらひらと縦横無尽に舞い踊る花弁の姿は、まるで外出できない自分を嘲笑っているかのようで、どうしても良く思えなかったのだ。
今となっては愛する少女の髪色を彷彿とさせ、それ程に嫌悪する事はなくなったものの……やはり、少しの引っ掛かりは残っているらしい。
こんな風に重火器を弄るような硝煙臭い娘になっていながら、何とも女々しい事だ。顔には出さず、心の中で苦笑する。
「……ふぅ」
……と、現実逃避はここまでにして。
ほむらは何とも疲れた顔で首を振ると、改めて手元の銃に目を落とす。
そこには全体の二割ほどが分解された拳銃が広げられており、細かいパーツが散乱していた。
しかし知識ある者が見れば、その機構が通常の拳銃の物とは全く異質の、複雑極まりないものであると気づくだろう。
「――やっぱり、全く分からないわね。このレーザー銃」
以前とある武装集団からくすねた、詳細不明のレーザー銃。
重火器類の知識には多少の自信があったほむらだったが、流石にこんな珍妙な物は守備範囲外である。
武器として扱うに当たって、残弾などの問題もある。詳しく調べてみようと思い立ったは良いものの、何がどうなってレーザーを放てるのかすら分からなかった。
それどころか、これ以上分解してしまうと元に戻せなくなってしまいそうで、二の足を踏む。
(……巴マミが死んで数日。そろそろ、美樹さやかが魔法少女になる頃合い……)
一旦調査を諦め、元の形に組み戻したレーザー銃を眺めつつ、今後のタイムテーブルを脳裏に開く。
美樹さやか。愛しいまどかの親友にして、かつてのほむらにとってもそうだった少女。
この見滝原を護る魔法少女が消えた今、ほぼ確実に彼女はその意志を継ぎ魔法少女となるだろう。
大怪我を負って入院している片思い中の幼馴染――上条恭介の腕が動くよう、【想い人の怪我の治癒】を願いとして。
……幾度となく繰り返された時間の中で、腐る程に見飽きた展開だ。
「…………」
助けたい、という思いが無いと言えば嘘になる。昔の自分は、幾度も彼女の世話になったのだから。
魔法少女になった美樹さやかが生き残る可能性は、非常に低い。
襲い来る魔女、ソウルジェムの濁り、そしてワルプルギスの夜。魔法少女として新人に当たる彼女がそれを乗り越えるには、時間も心構えも実力も全てが足りないのだ。
それに加え今の時間軸では、暁美ほむらは美樹さやかから強い不信感を持たれている。
初対面時、まどかに近づこうとしたインキュベーターを駆除しようとした場面を見られたからだ。
こうなると、短期間での説得や関係修復はほぼ不可能に近い。
まどかを助けるという目的を果たすには、さやかに気を割いている余裕は無い――それは分かっている。けれど。
「……やめましょう、今回も」
欲を出すな。
ほんの少し、より良い未来を夢見ただけで、全て台無しになった時間軸が幾つあった事か。忘れた訳ではないだろう。
心の痛みを努めて無視し、頭を振って。ほむらは今回もまた、脳裏からさやかの笑顔を消し去って――。
「……あ」
ふと見れば、床に銀のネジが一本転がっている事に気がついた。
咄嗟にレーザー銃を見たものの、はて、どこのパーツなのやら。
摘んだネジを眺め、たらりと一筋の汗を流した。
*
マミが死亡した場合、見滝原市内に潜む魔女達はその動きを活発にさせる。
理性はなくとも、己の最大の障害が居なくなった事を感じ取っているのだろう。
それまで文字通り弾圧されていた憂さを晴らすかのように、魔女達はより積極的に人々を襲うようになり、結界の拡大を図るのだ。
こうなってしまうと、如何に見滝原に出没する魔女を知り尽くしたほむらであっても、迅速な対処は難しい。
逸る魔女達の行動にランダム性が増し、予測が非常に難しくなり後手に回ってしまう場面が多々ある為だ。
――そしてどういう因果か、まどかは高確率でいずれかの魔女の結界に巻き込まれる羽目になる。
どれだけ魔女を潰し、まどかの身の回りの安全を確保しようとも。いつの間にか彼女の付近に魔女の結界が生じている――。
一体何故……と悩む時期はとうに過ぎた。
何の事はない、マミが死亡した時点で既にインキュベーターの暗躍が始まっているのだ。
大量にある自らの身体を囮にして、まどかの近くに魔女を呼ぶ。魔女に操られた人々の前に、偶然を装ってまどかを誘導する。
その手段は時間軸によって様々だが、どれも敢えて危機を呼び寄せ彼女を魔法少女にする為。
そして幾ら時間停止の魔法を持っていようが、数の利を持って行われる視界外での謀略はどうしようもない。
何と卑劣で汚い、インキュベーターらしい手口だろうか。
今まさにさやかを見捨てようとしている自分が言えた事では無いが、繰り返すごとに高く積み重なっていく苛立ちは止めようがなかった。
「尾ニ1知ア、ノ!!」
「ふっ――」
そしてその激情をぶつけるかのように、ほむらは構えたレーザー銃から無数の光線を発射する。
狙いの先に居るのは、まるでダンボールで組み立てられた家のような姿をした魔女だ。
咄嗟に使い魔と思しき緑髪の人形を盾とするものの、光線はいとも容易くそれらを貫き、ダンボール状の身体に幾つもの穴を開ける。
そのダメージは見た目よりも大きかったようだ。魔女は苦悶と共にぐらりと巨体を揺らし――間髪入れずに機関銃の銃弾が殺到。おぞましい金切り声を上げた
――家の魔女。
ほむらが勝手にそう呼んでいるこの魔女は、魔力によって人々に幻覚を見せ己の体内に誘い込み、『家族』とするらしい。
最も、それが何を意味しているのかは分からない。以前の時間軸で討伐した際、解放された人々の言葉の切れ端からそう推察しただけだ。
基本的には捕らえた人間を洗脳し、生気だけを奪う比較的「おとなしい」魔女のようだが、放っておく理由も無い。
ほむらは表情一つ変えず、ただ銃弾を放ち続け――やがて、止まる。
「…………」
油断なく銃を下げ、硝煙漂う視界の先へ目を眇める。
そこにあった筈の魔女の姿は消え、代わりに千切れたダンボールの残骸と黒いボロキレ、そして無数の弾痕が残っていた。
美しい自然公園にも似た魔女の結界は見る影もなく荒らされ切っており、やがてそこに一つの黒い結晶体が落下する。家の魔女の核であったグリーフシードだ。
「まずは一体……とりあえずは、問題は無いみたいね」
グリーフシードを回収しつつ、取り出したレーザー銃を改めて眺める。
ネジの余りが発覚した時は相当に焦ったものの、動作に目立った異常が無くて一安心。家の魔女を使い魔ごと貫いた様子からして、威力は実弾よりも相当に高いようだ。
おまけに動力も魔力で補えるようで、それが問題なく扱えるならばこれからの強い助けになるだろう。
『TX』はさて置いても、結果的には収穫だった。ほむらは多くの有用な武器を恵んでくれた名も知らぬ(忘れた)武装組織に少しの感謝をしながら、主を失い消えゆく結界の外に出た。
「さて、他には……」
胸に手を当て、付近に魔女の反応が無いかを探す。
積極的に魔女を討伐してもインキュベーターの行動に変わりはないが、多少の妨害になる事は無数の繰り返しの中で理解していた。
よって限界まで感知範囲を広げ魔力を探すも、残念ながら引っかかる反応は無し。
残念と思うべきか、一安心するべきか。溜息を一つ吐き、ほむらはグリーフシードを己のソウルジェムへ近づけた。
夕方の見滝原は、少々の蒸し暑さがあった。
それはそろそろ訪れる梅雨の気配か、それとも気づかぬ内に己の身体が昂ぶっているのか。
そっと首筋に手を当ててみると、いつも通りの低い体温が指先を冷やす。まるで死体のようだ。
(……つまらないジョークね、我ながら)
意図しない妙な自爆に、眉間が少々ヒビ割れる。
魔法少女となった者の魂は例外なくソウルジェムに変えられ、肉体と完全に分離する。
つまり言い方を変えれば、この身体はその通り死体とも言える。当事者としては笑い話に出来る訳もなし。
「……まどか」
桜の舞う紅の空を見上げ、ぽつりと呟く。
やはり、彼女にだけはこのような思いをさせてはいけない。改めてそう決意し、歩む速度を早めた。
同時に再び魔力感知を開始し、歩きながら魔女の痕跡を探る。使い魔一匹の残滓すら逃すまいと、より広く、なお精密に――。
「……?」
ふと。歩を進める内、感知の端に妙な反応が引っかかり、立ち止まる。
街の隅にある廃工場。そこに、一瞬だけ魔力の揺らめきを感知したのだ。
落ち着いて深く反応を探るも、既に感じられるものはなし。魔力の残滓すらなく完全に立ち消えている。
ほむらは少しの間中空を睨んでいたが、すぐにその方向へと走り出す。反応した物の詳細はさておいても、廃工場という場所には心当たりがあった。
(あの工場には大抵あれが……エリーが出る。あいつが何かを……?)
基本的に、魔女の思考能力は低い。
理性は薄く、意思疎通も出来ず。我儘な子供のような振る舞いをするものが殆だ。
しかしパソコンの姿をした魔女――ハコの魔女ことエリーに関してはその例には当て嵌まらない。
何せ彼女は他の魔女と比べ使い魔の扱いに計画性が見られ、意思疎通すら可能なのだ。
エリーという名前も本人(?)からの主張であり、ほむらは別の時間軸で何度か協力者に出来ないかと相互理解を試み、取引を持ちかけた事もある。
……最も、知性があろうとも魔女である事には変わりない為、分かり合えた事は一度も無い。
となれば「心の傷を刺激し精神的に追い込む」という彼女の能力は、魔法少女にとって天敵以外の何物にもならず。
その時間軸の流れにもよるが、現状ほむらはエリーの出現を感知次第さっさと討伐する事にしていた。
(使い魔を結界外に出した? ……いえ、それなら今も魔力の反応がある筈)
疑念と少しの緊張を抱きつつ、走り続ける事十数分。
時間停止の魔法を併用した為、実際には数分もかかっていないだろう。
廃工場へと辿り着いたほむらは、音も無く壊れた扉の影に身を寄せる。そして油断なく銃を構え、そっと屋内を伺い――そこに広がる光景に息を呑んだ。
「……これは……」
何の気配も無い事を確認し、中へと入り込む。
本来であれば機材も何もなく、ただ埃だけが積もるがらんどうであった内部。
しかし今や酷く荒れ果てており、地面や壁、天井に至るまでのいたる所が大きく陥没していた。
明らかに自然に出来たものではない。何かが衝突した、或いは叩きつけられた事による痕跡。
――知らない。こんな出来事は。
「……ここで何が――、っ」
かつん、と靴に何かが当たり、床を転がる。
見れば、それは真っ二つに割られたグリーフシードの欠片だ。
既に完全に魔力を失い、ただのガラクタと化している。付近にはその片割れらしき物が落ちており、突き合わせてみるとピタリと形が一致した。
(……エリーのグリーフシード? 何かに――誰かに、殺された……?)
だとすれば、一体誰が。
少なくとも、さやかや杏子では無い筈だ。
ならば、己の知らない魔法少女が見滝原を訪れたとでも言うのだろうか。
これまでの経験と照らし合わせ、様々な憶測が脳裏を流れるが……明確な答えは出せず。
ほむらは暫く黙考した後、割れたグリーフシードを盾の中に仕舞い込む。
そして辺りの調査もしてみたものの、結局新たな発見は無く。険しい瞳で荒れた部屋を見つめ続けた。
(……こうしていても仕方がないわね)
非常に気にはなるが、これ以上この場で出来る事は無いだろう。
ほむらは引かれる後ろ髪を振り切るかのように頭を振ると、静かにその場を後にした。
「…………」
そうして立ち去る直前。もう一度だけ、夕暮れに染まる廃工場を振り返る。
何百と訪れ、何千と見慣れ、最早何の感慨すらも浮かばなくなっていた場所。
しかし今になって初めて見せられた明確な変化に、ほむらは強い胸騒ぎを感じていた。
『巴マミ』
みんな大好きマミ先輩。故人。
ほむらの頑張り虚しく命を落とし、色々な人に影を落としてしまった模様。
油断さえなければ……。
『佐倉杏子』
みんな大好きあんこちゃん。いつも何か食べてる。
マミさんの死にひっそりダメージ受けてて欲しい女の子第1位(当社調べ)。
幸運な事に、ジャジメントスーパーでは万引きした事はなかったようだ。
『キュゥべえ』
みんな大好きド畜生。本人的に悪意はない。
どうも過去に何かをやらかしたらしく、ジャジメントに関われない縛りプレイ状態になっている。
表記的には『キュウべぇ』ではなく『キュゥべえ』が正しいとの事。調べてびっくりしちゃった。
『家の魔女』
かつて家族が欲しいと願った少女。
彼女の最初の犠牲者は、黒いコートを纏った金髪の女性であった。
「人形なんだ!! 幸せしか見えない人形になればいいんだ!!」
『ハコの魔女エリー』
多分ほむらならどっかの周でこいつと対話を試みるくらいはやってると思う(個人的な想像)。