――彼女かい? もう無理だろうね。昔ならともかく、今のキミじゃ元に戻す事は出来ないよ。
――歳を重ねすぎたんだ。その衰えた素質では、もう魔法少女には――きゅぷ。
――やれやれ、無駄に身体を壊すのはやめて欲しいんだけど……おや、彼女の下に行くのかい?
――無駄死にするだけだと思うけどなぁ。まぁ、止めはしないよ。好きにすると良い。
――さようなら。キミから情報を得られなくなるのは、少し残念かもしれないね――。
――佐倉杏子が、風見野市から消えている。
暁美ほむらは、そう認めざるを得なかった。
「どういう事……?」
空に赤が差し始めた、夕暮れの入り。
杏子の協力を得るため風見野市を訪れていたほむらは、街中を彷徨いつつそう呟いた。
学業や仕事に縛られず、ある種自由気ままな生活をする杏子であるが、その行動パターンは読みやすい。
時間はあれど、魔女討伐以外に充てる物が無いのだろう。平時においては大体ゲームセンターで暇を潰しているか、食べ歩きで街をうろついているかの二択に絞られるのだ。
マミや他の魔法少女の動向によっては風見野を離れる事もあるとはいえ、今回においてはそのような状況にはなっていない。
であれば、魔力を隠さず街のゲームセンターを幾つか回るだけで、ほぼ確実に彼女と接触できる筈だったのだが――。
(一日中探しても遭遇しないなんて……こんな事、今まで無かったのに)
大手のゲームセンターから、デパートやホビー複合施設。果ては型遅れの筐体を有する駄菓子屋まで。
杏子の訪れる可能性のある場所は全て回ったものの、彼女の影は微塵も無し。
敢えて魔力を放ち挑発しても、因縁をつけて来る気配すらなかった。
(……用事か何かで、少し街を離れているだけであればまだ良い。でも、もし完全に街を離れるような事態になっていたとしたら――)
想定外の事態に動揺し、ほむらの顔が焦燥に歪む。
対ワルプルギスの夜において、ベテランである杏子は非常に大きな戦力だ。
もし彼女の不在が決定的となった場合、状況が大きく不利へと傾く事は間違いないだろう。
マミが生存しているとは言え、素直に許容できる損失でも無かった。
(まさか、知らない内に魔女にやられたなんて事は無いでしょうね……)
杏子の実力を考えれば、考え辛い事ではある。
しかし、前回の彼女はバッドエンドというイレギュラーに殺された。それと同様の事が起きていないとも限らない。
(……こういう時、インキュベーターを利用できないというのは不便ね)
魔法少女の管理者でもある彼らであれば、杏子の消息も把握している筈だ。
しかし間接的にジャジメントとの関わりを作ってしまった現状では、話を聞く事はできない。必要な時に役に立たない獣だと、一方的に吐き捨てる。
(風見野の魔法少女に聞けば――いえ、それで変な縁を作るのも……)
浮かぶのは、道化師の装いをした魔法少女の姿が一つ。
この街では今、あの下衆が活動している筈だ。
下手に現地の魔法少女と接触しようと動けば、奴にこちらの存在を気取られる恐れがあった。
杏子の守るテリトリーだからこそ、彼女の影を気にせず動く事が出来ていたのだ。
その外で情報収集をするのなら、相当の注意を払わなければならないだろう。
(……インキュベーターの心配は無いし、時間はあると言えばあるけれど)
ほむらは杏子のテリトリー端近くで歩みを止め、その外を見る。
杏子の行方を追う為に、深く踏み込むか否か。
行き交う人々の流れの中、ほむらは一人ただ迷い――。
「――っ!?」
その時、突然ソウルジェムが熱を持った。
ほむらは一瞬戸惑ったものの、すぐに何が起こったのかを理解し顔色を変える。
(魔法陣が――まどかのアクセサリーが、作動した……!?)
以前まどかに渡した、インキュベーター避けのアクセサリー。
それには作るついでに幾つかの魔法を刻んでおいたのだが、その内の一つが発動した感覚があった。
その効果は、魔女からの精神干渉に対する防御。つまりは口づけ避けの魔法陣だ。
即ち――今まさに、まどかが魔女に襲われている。
「本当に人気者ね、あの子は……!」
やはり彼女の持つ魔法少女としての素質は、人外にとっては酷く魅力的に映るらしい。
ほむらはひとまず杏子の事を忘れると、手近な物陰へと走り込み、魔法少女の姿へと変身する。
今の見滝原にはマミが居るが、全てを任せきりにするつもりなど毛頭無い。それは、己の願いに反する事だ。
そうして、ほむらは魔法少女の装いと共に作り出された盾に手を置き――次の瞬間、彼女の姿は跡形も無く消え去っていた。
■
息を潜める。
「……っ」
ステンドグラスの空の下、青々と茂る植え込みの中で。
その少女は、必死に気配を殺していた。
縮めた身体は窮屈で、動悸は激しく鳴り響く。口を抑えた手の隙間から、苦し気な吐息が漏れた。
「――オ寐ぇ做ん?」
「!」
植え込みのすぐ傍で、ざらついた声が響いた。
明らかに人間の物では無いそれはこちらを探しているらしく、近くをうろついているようだ。
膨れ上がった恐怖に鼓動が更に早まり、縮こまる背が小刻みに揺れる。
慌てて止めようとするも、自分の意志で収まるものでも無く。
少女はただ、必死に身体を掻き抱く事しか出来ず――。
『――――』
――ふわりと、その背に何かが触れた。
「ぁ……」
手だ。
冷たく、しかし優しさを湛えた誰かの掌が、自身の背中をさすっていた。
本来であれば身を凍らせる出来事であったが、恐怖は無い。
落ち着きなさい――そう宥められているようにも思え、自然と体の震えが止まった。
「オ寐ぇ做ん? °コ……、……」
そうする内におぞましい気配は遠ざかり、やがて消えた。
暫く待った後、恐る恐ると植え込みから顔を出すも、声の主――魔女の使い魔の姿は、見える範囲には無い。どうにかやり過ごせたようだ。
「っ、はぁ……」
口を抑えていた手を外し、安堵の息の束縛を解く。
そうしてちらりと背後を見やるが、そこには誰の影も無し。先程背中に感じていた優しい冷たさは、残滓だけを残し消え去っていた。
……だが、分かる。
手の主は消えていない。見えないだけで、未だ己の近くにいる――。
「……えっと。ありがとう、ございます……?」
きょろきょろと辺りを見回しつつ、少女は小さく頭を下げた。
反応は無い。やはり気のせいではないのかという思いが強くなるが、そうでない事は知っている。
少女は暫く『見えない誰か』を探したものの、やがて溜息を一つ。
後ろ髪を引かれながらも、ひとまずこの場を離れようと歩き出した。
「っ」
――途端、視界の端を何か黒いものが擽った。
咄嗟にその方向へと振り返れば、ほんの一瞬人影のようなものが目に映る。
黒いコートを纏った、金髪の女性――その後姿のようにも見えたそれは、確かな像が結ばれる前に霧散し、陽炎の如く消え去った。
後にはただ、何処かへと続く石畳が伸びるのみ。
「……こっちに来て、とか……?」
見間違いで無ければ、女性はこの道先へと進んでいたような気がする。
無論そう感じただけで、命じられた訳では無い。少女は迷い、落ち着きなく眼前と背後の道とを見比べる。
しかし、すぐに先程感じた手の感触を思い出し。
(……ほむらちゃん)
少女――鹿目まどかは、胸元のアクセサリーを握り締めると意を決し、網膜に残る女性の背中を追いかけた。
――この異常な世界に訪れてから、まどかは常に傍らに立つ誰かの気配を感じていた。
最初にそれを自覚したのは、この世界に連れて来られてすぐの事。
己が魔女、或いはその使い魔に狙われているのだと察した直後、まどかは背後に誰かが立つ音を聞いたのだ。
しかし振り向いたそこには誰の姿も無く、その時は気のせいであると判断した。
そして当然の成り行きとして、この結界から脱出すべく辺りを散策し始めたのだが……これもまた当然の成り行きとして、使い魔に追いかけられる事と相成った。
魔法少女では無いまどかに、それを退ける力は無い。
全力での逃走も容易く距離を詰められ、もう駄目だと諦めかけたその時――そっと、誰かに背を押された感覚がした。
疲弊したまどかの身体はいとも容易くバランスを崩し、通りがかりの植え込みへと倒れ込んだ。
だが幸運にも、そこに生い茂る草葉は彼女の全身を覆い隠すに足るものだったようだ。植え込みを素通りする使い魔を、まどかは戦々恐々と見送った。
その時点で強い違和感はあったものの、周囲には誰の姿も無く錯覚としか思えなかった。
しかし同様の事は二度三度と続き、やがてその違和感は確信へと変わる。
(――誰かが、守ってくれている)
姿が見えず、喋りもせず、ただ近くに居てくれている、誰か。
きっと、人間では無いのだろう。疑問は幾らでもあり、不審不安も多大にある。
だがそれよりも、感謝が勝った。
この危機的な状況において、その存在は間違いなくまどかの救いとなっていた。
「あ、あの……あなたは、誰なんですか?」
目に見えない誰かに示された道を警戒と共に歩きつつ、まどかはぽつりと問いかけた。
「誰か、居るんですよね? 私には見えないけど、でも……」
やはり反応は無い。
傍から見れば独り言以外の何物でも無く、まどかにも羞恥の念が込み上げる。
それに伴い言葉尻が小さく霞むが、しかし負けぬと顔を上げ。
「何で……助けてくれるんですか? もしかして、魔法少女の人……なんて……」
勇気を持っての問いかけにも意味は無く、上げた顔がすぐ下を向いた。
声を出す事が出来ないのか、それとも喋る気が無いだけなのか。
何となく後者であるような気もして、一人勝手に落ち込んだ。
(……もし魔法少女じゃないのなら、何なんだろう。さっき一瞬だけ、女の人が見えたけど……)
記憶に残る黒コートを探すも、望んで見つかるものでも無く。
代わりに幾つも見かけるダンボールハウスがやけに気になったが、下手に近づくのも憚られた。
まどかは忙しなく首を振りながら、不安に滲む歩を進め――。
「……あ、かね……」
「ひっ!?」
どこかから掠れた声が響き、咄嗟に手近にあった木陰へと飛び込んだ。
また使い魔が現れたか。暴れる心臓を必死に抑え、慎重に声のした場所を覗き込む。
(……男の、人?)
だが、そこにあったものは緑髪の人形では無く、倒れ伏す一人の男性の姿だ。
意識は朦朧としているらしく、石畳に力なく身体を投げ出したまま何事かを呟き続けている。
まどかは反射的に駆け寄ろうとしたものの、踏み止まって周囲を確認。
使い魔の影に注意をしつつ、恐る恐ると近寄った。
「あ、あのっ。大丈夫ですか……?」
「あかね……あ……か……」
軽く揺すってもうわ言は止まず、正気を取り戻す様子はない。
怪我自体は無いようでひとまずの安心はしたが、その首筋にはタトゥーの如き民家の紋章が輝いていた。
明らかな異常であり、どう見ても元凶だ。それはこの世界に囚われる直前、ほむらのアクセサリーにより弾かれた紋章と同じ物でもあった。
下手をすれば、己もこの男性と同じ状態になっていたかもしれないと察し、背筋が凍る。
「……あ、それなら――」
まどかはふと思い立ち、握ったままだったアクセサリーを男性の首筋へと近づける。
そこに刻まれた紋章を、未だ発光を保つ魔法陣で照らし上げ――同時、バチンと男性の肌から紋章が弾け飛ぶ。
そして男性は一度大きく痙攣した後、糸が切れたように意識を失った。
慌てて息を確認すれば、うわ言は穏やかな寝息へと変わっていた。完全な思い付きではあったが、妙な魔法は解かれたようだ。
(よかった……んだよね? 何か、普通の感じにはなったし……)
まどかはほっと息を吐いたものの、さて、これからどうしたものかと頭を抱えた。
男性が目覚める様子はない。このままここに放置していては、使い魔に見つかり襲われるのは火を見るよりも明らかだろう。
まどかの力では意識を失った成人男性を移動させるのは難しく、試しに上半身を抱え引きずってみたものの、近くの植え込みまで運ぶのが精いっぱいであった。
「はぁ、はぁ……ど、どうしよう」
困った。
まどかはせめてもの策として、男性を植え込みの奥へとぐいぐい押し込んだ。その時。
「っ、また……」
再び視界の端を黒いコートが掠め、その方向に目を向ける。
そこにはやはり先程と同じ女性の後姿のようなものがあったが、またすぐに消えた。
まどかは男性の事を気にかけながらも、足早に女性の居た場所へと向かう。
「あれは……」
すると、視線の先にダンボールハウスの一つが見えた。
女性は、これまで幾度となく見かけたそれを見ていたのだろうか。
(……何かある、のかな)
まどかはごくりと喉を鳴らし、慎重にダンボールハウスへと近づいた。
眺める。妙な動きは無い。
耳を澄ませる。あのざらついた声はしない。
ひとまず使い魔の気配が無い事を確認すると、そっと入口から中を覗き込み――そこに広がる光景に、ひゅっと息を呑み込んだ。
「――雫さんっ!?」
小さく狭い、外観と同じダンボール作りの室内。その中心に、一人の少女が倒れていた。
苦し気な渋面を浮かべるそれが、気絶した保澄雫であると認識した瞬間。
まどかは抱く恐怖も忘れ、家の中へと駆け出した。
『暁美ほむら』
杏子を見つけられなくて愕然。じわじわと焦っているようだ。
原作において他地域の魔法少女の協力を得ないのには本人の決意があるにしろ、外伝連中の方々が結構なアレである事もデカい気がしなくもない。
見滝原の魔法少女は安定感があるわね……(黒いのと白いのとチーズから目を逸らしつつ)。
『鹿目まどか』
私、霊感少女鹿目まどか!
黒いコートの幽霊と、お友達から貰ったアクセサリーの力を借りて結界探索をしているの!
魔法の呪文は宇宙天地與我力量降伏群魔迎来曙光! クラスの皆には内緒だよっ!
『黒コートの女性』
いつかどこかで倒れた女性。魔法少女では無かったようだ。
一周目の三話の時点で痕跡があったりする。
『男性』
前回雫に助けられ、投げ捨てられたサラリーマン。
たんこぶが出来たが、変わらず幸せな夢を見ている模様。
『あの下衆』
もちろん優木沙々の事。おりこ☆マギカに登場する魔法少女であり、洗脳の魔法を利用してひでぇ事する外道ちゃん。
本編でも別編でも何だかんだ見滝原に狙いを付けてやって来るので、本作ではホンフーが風見野を調べてる時に「邪魔者になる」と判断されて消されてるかも。
ホンフーさんの出番が無いので、代わりのパワポケ成分を足してお送りしております。