遠く。
見滝原の街の方角から、大きな音が轟いた。
「……く、ふふ」
どこかで――そう、どこかの避難所あたりで爆発でも起きたのだろうか。
町の一角からは濛々とした煙が上がり、街外れの河川敷からでもよく見える。
しかしウ・ホンフーは一顧だにせず、くつくつと笑みを押し殺す。
「嗚呼――ああ、ようやく。ようやくッ……!」
その胸には激しい痛みと熱が渦巻いていたが、今の彼にとっては福音に外ならない。
強く胸を抑えながら、歓喜をもってそれに耐え――最中、ピシリと小さな音がした。
目を向ければ、それはホンフーの片手に握られた小盾から鳴っていた。つい先ほど、暁美ほむらの腕から奪ったものだ。
その音は罅割れを伴い、盾の縁から中央部分まで広がって行き、やがて砂糖菓子のように崩れ落ちた。
後には、内蔵されていた砂時計だけが残り、表面に入った亀裂から際限なく砂を溢れさせている。
一見して壊れたようにも見える姿だが、ホンフーに焦りの類は無く、むしろ安堵が笑みに混じる。
分かっているのだ。それは故障では無く、適合であるのだと。
「ふふ、私の砂は、多いでしょうねぇ……」
徐々に痛みが引き、熱が馴染み。
そうして全ての苦痛が消えた時、ホンフーの胸裏には確かな炎が揺らめいていた。
――時間遡行。その魔法の種火が盛り、燃えている。
「……く、くく、ははは、アハハハハハッ――!!」
即ち、望んで止まなかった力がこの身に宿った証明だ。
それを認めた瞬間、ホンフーは喉が擦り切れる程の哄笑を響かせた。
*
――暁美ほむらの願いを聞き出した時、ホンフーは己の幸運に感謝した。
そもそも魔法のコピーに『願い』の工程が必要だと分かった時点で、ホンフーはほむらの願いに関しても可能な限りのシミュレートを行っていた。
時間遡行という魔法の性質を前提として、願いの詳細を予測。その解決法を予め用意し、いつでも願いを叶えられる備えをしていたのだ。
当初は駒であるマミを操り聞き出そうとも画策したが、時間遡行者たるほむらが容易く己の願いをひけらかす筈が無かった。
しつこく問いただしても、疑念と警戒を招くだけ。行動には慎重を要し、結局聞き出す事は叶わなかった。
そうした事もあり、ホンフーはひとまず願いを聞き出す事を後に回し、ほむらにワルプルギスの夜を討伐させる事を優先する事にした。
何せ、かの大魔女は世界に一体しか存在しない。
もしほむらの願いが【ワルプルギスの夜の打倒】であった場合、現状を逃せば再びその機会を用意できるかどうか。少なくとも、非常に手間がかかるであろう事は想像に難くない。
求められるのはあくまでキュゥべえの役であり、願いを聞く工程を後回しにしても問題ない事はマミの件から分かっている。
故にホンフーはワルプルギスの夜の討伐をひとまずの達成目標と定め、影から助力。
マミと保澄雫を犠牲とし、ワルプルギスの夜の討伐を果たさせたのだ
真相としては、ほむらの願いは大魔女の討伐ではなかったものの……結果的に、そのための行動が吉と出た。
ほむらの願い――【まどかとの出会いをやり直し、愛する彼女を守れる自分になる】。
それを叶えるためのピースが、今この場に揃っていたのだ。
ホンフーに鹿目まどかとの面識は無いが、存在自体は以前の時間軸の時点で情報屋から教えられている。
今回の時間軸ではマミからも情報は流れており、その避難先もほんの数日前に聞いたばかり。
ホンフーは迷うことなく、雫からコピーした空間結合魔法を使い、ほむらをまどかの居る避難所へと転移させた。
そしてその際、ほむらの首筋にとある薬品を打ち込んだ。
雫にも使用した、超能力発現薬『ハピネス』の改良品だ。
【彼女を守れる自分になる】という願いの後半部分は、『力が欲しい』という事と同義。
そしてハピネスによる魔法の暴走も、見かたを変えれば新たな力。
それが例えほむら自身を滅ぼすものであろうと、関係は無い。
元より、彼女が授かった魔法自体、鹿目まどかを守れてはいないのだ。
結果ではなく、『新たな力を与える』という体が重要なのだと、ホンフーは理解していた。
そうして、敢えて目立つようにほむらを避難所に落とした後、鹿目まどかが彼女に接触した頃合いを見計らい、送ったクモを通しデス・マスで二人の記憶を消去した。
互いに互いの記憶が無いのであれば、それは初対面に外ならない。
――【まどかとの出会いをやり直し、愛する彼女を守れる自分になる】という願いが、そこで完遂されたのである。
「――ふ、く、はは……はぁ」
哄笑が止まった。
散々に笑い続けたホンフーの息は乱れ、引き攣ったレーザー痕が強い痛みを訴える。
しかしそれらは彼の笑みを消すには至らず、軽やかに背筋を伸ばす。
その視線の先には、砂時計から溢れた砂が小高い山を作っていた。
このまま放置すれば、砂は延々と積み上がり続ける事だろう。流石にそれを終わりまで見届けるつもりも無く、ホンフーは苦笑と共に握っていた砂時計を放り投げた。
ゆるく放物線を描くそれは、砂を撒き散らしながら砂山へと落ちる。
するとその中より大量の砂が吹き出し、柱を作り。周囲一帯に砂の雨が降り注いだ。
ホンフーは満足そうにその光景を眺め――徐に、腕を掲げた。
「さあ……」
降り注ぐ砂が流れを持ち、空中のある一点へと集約。
それらは単なる砂の塊にはならず、細かな機構を持った意図ある器物を形作る。
――顕現したのは、大きな大きな砂時計。時を遡るための、魔道具だ。
「……成程、こう劣化しましたか」
砂そのもので作られた砂時計の各所には罅割れが目立ち、ぼろぼろと砂を零している。
たった一度回しただけで、儚く崩れ去ってしまうような印象を受けるが……おそらくその通りなのだろう。
ホンフーのコピーした異能力は、必ずオリジナルから劣化する。
それは魔法においても同様だ。雫の空間結合やマミのリボン、その他コピーした多くの魔法も、皆何らかの形で能力の劣化が発生していた。
今回起きた劣化は、その使用回数だ。
一度でも砂時計を回せば、それで終わり。砂時計は完全に崩れ、二度と形を成す事は無い――灯る魔法の種火が、そう伝えていた。
(たったの一度……それが、私に許された奇跡)
ほむらのように、幾度も時を繰り返す事は出来ない。
それはある種致命的ともいえる劣化であったが、ホンフーの胸には憤りの類は無く、反対に大きな安堵があった。
(もし劣化したのが遡行可能な時間的範囲の方であったなら、私は絶望に膝を折っていただろう。何度時間を遡れようが、『彼女』の生きる時間に戻れなければ意味は無いのだから)
だが、劣化したのが使用回数の方ならば。
チャンスがたった一度に減った程度であるならば、何も問題は無い。
「――その一度で、十分です」
ホンフーはゆっくりと目を瞑り、静謐に呼吸する。
昂る気持ちを抑え、心を冷たく研ぎ澄ませ、丹田に籠る熱を吐く。
瞼に映るは愛しき笑顔。目を開き、そこに立つのは紅き虎。
「そうだ、今こそ――」
砂づくりの砂時計が、軋みを上げる。
刻まれた罅が亀裂となり、各所から大量の砂が噴き出した。
しかし、止まらず。
砂時計は少しずつ、少しずつ回転し、底面を上方へと持ち上げて行く。
積もる砂山が傾き、雪崩のように流れ落ち、そして、
――カシャン。
乾いた音と共に、ぐるりと砂時計が回り切った。
「が、っぐ――っ!?」
途端、心身に気が狂う程の負荷がかかり、そして世界が流転する。
過去から現在へ、現在から過去へ。
流れた砂の意味合いが逆転し、この世界、この宇宙へと反映されていく。
同時に砂時計が崩れ去り、己の中からも魔法の種火が消え去った。
「は――ははははは! やはりだ! 嗚呼、嗚呼! やっと、私はッ!!」
真っ白な世界。
過去と未来を繋ぐ刻の狭間に落ちながら、ホンフーは血を吐き、叫ぶ。
――彼が感謝をした幸運は、もう一つある。巡り合わせの幸運だ。
【まどかとの出会いをやり直し、愛する彼女を守れる自分になる】
その願いにより生まれた時間遡行魔法を、ホンフーは『鹿目まどかという少女を起点とし、彼女と出会う以前にある、定められた時間へと遡るもの』であると推測した。
それをコピーしたのであれば、当然ホンフーもその時間にしか遡れない。その筈だった。
――そう。だがホンフーは、『鹿目まどか』と一度たりとも出会っていない。
前の時間軸でも今の時間軸でも、名前は知れど顔は一切合わせていなかった。
そう、やり直すべき出会いの時間が、そもそも存在しないのだ。
であるならば、時間遡行魔法の効果はどうなるか。
本来ならば発動自体が不可能となり、付随する時間停止の能力だけが残る結果となった筈だ。
しかしホンフーは、コピーする魔法の劣化に合わせ、願い自体も劣化する事を知っていた。
そして当然、願いが劣化すれば、それを基にする魔法も合わせて変質する。
マミや雫の願いの時と同様に、同等の行為、或いは事柄で代替の利く柔軟性を帯びるのだ。
――では、ホンフーにとっての『鹿目まどか』とは。愛する彼女とは、一体誰になるのだろう?
つまりはそういう事であり、答えなど考えるまでもない。
(もうすぐ……あと少しで、彼女に)
落下を続けるホンフーの脳裏に、幾つもの記憶が溢れ出す。
愛する彼女と出会った時の事。
笑いあった時の事。
喧嘩をした時の事。
愛を語らい合った時の事。
そして、最期。
時間遡行の影響か、それともこの世界そのものが持つ力なのか。
かつてハコの形をした魔女と相対した時よりも鮮やかに、ホンフーの心を彩って行く。
否、実際に景色に浮かび、目にしているのだ。
大切な過去が数多の額縁に収められ、白の世界を流れ続ける。
(今の私ならば、変えられる! 救えるのだ、だからっ――!)
やがてその額縁達は徐々に窄まり、トンネル状の通路として行先を定めた。
分かる。到るべき時間は、もうすぐそこだ。
ホンフーはその目に涙すら浮かべ、トンネルの先で輝く光に手を伸ばし――。
「――ッ!?」
唐突に、世界の流転が止まった。
後方に流れていた景色が、落下を続けていた身体が。
全てが音も無く停滞し、記憶の額縁も消える。
過去に、進まなくなっている――。
(……何が、起きた)
この世界では、物質や重力の概念は曖昧だ。
ホンフーは事も無げに何も無い空間に立つと、油断なく周囲に視線を走らせた。
この状況下にあってなお起こる異常が、ただ事である筈が無いのだ。
喜びに水を差された不快感よりも緊張が勝り、速まる鼓動が嫌に大きく鳴り響く。
――背後に、気配が生まれた。
「……………………」
見知ったものだ。つい先刻まで追いかけ続け、感じ続けた者の影。
ホンフーは今一度深く息を吸い込み、血痰混じりの溜息を吐き出した。
「……しぶといですね、あなたも」
呟きつつ振り返れば、やはりというべきか、そこには暁美ほむらの姿があった。
その姿は変わり果てていた。
ガラス化した身体は大部分が砕け散り、上半身の一部しか残っていない。
そしてその断面からは一切の体液は流れておらず、細かなガラス片を落とすのみ。
ハピネスによる魔法の暴走の結果だろう。
完全に人間から外れてしまったその形貌に、ホンフーは筋違いにも憐れみを覚えざるを得なかった
「いつかの私と同じく、死にきれないまま『相乗り』しましたか。もう、何も覚えていないでしょうに」
「…………」
「遡行の邪魔をしているの、もしかしなくてもあなたですよね。迷惑なので、やめて頂けます?」
「…………」
「……やれやれ」
幾度問いかけても返事は無かった。
唯一色を残す黒髪に覆われ表情を窺う事は出来ないが、既に意識自体が無いのかもしれない。
ホンフーは最早語る事も無く、ストームレインの能力を纏う。
時間遡行の種火は既にホンフーの内より消えている。他の能力に切り替えたとて、もう何の問題も無いのだ
そして時間遡行を邪魔する異物を排除すべく、風刃の渦を眼前に作り出して。
――その時。黒髪の隙間から覗く瞳と、目が合った。
「――――」
それは怒りと殺意に満ちていた。
瞳に留めきれなくなったその感情は真っ赤な涙として零れ、罅だらけのガラスに染み入り、血色の蜘蛛の巣模様を描き出す。
――まずい。
それは思考ではなく、本能による直感だ。
反射が指先を弾き、渦巻く風刃がほむらの命を奪うべく放たれた。
だが、それよりも早く。
「――あああ、ああああぁぁ、ぁぁああああああアアアアッ!!」
慟哭。
突如ほむらが天を仰ぎ、絶叫を張り上げた。
罅割れの喉から奔る、幾つもの音が重なり合った酷い音。
暴走する魔力を纏ったそれは物理的な殺傷力すら持ち、自身に迫る風刃を打ち消すどころか、距離を取っていたホンフーの身体をも吹き飛ばす。
「ぐッ――!?」
咄嗟に姿勢を立て直し、中空に着地。
すぐにほむらへと視線を戻せば、そこに広がる光景に眉を顰めた。
「……再生、しているのか?」
まるで、時間を巻き戻すかのように。
ほむらの欠損箇所にガラス片が集まり、元の身体を構築しようとしていた。
ハピネスによる新たな力の開花か。それとも、ここが過去と未来の混在する刻の狭間であるためか。
どちらにせよ、厄介な事態である事に変わりは無い。ホンフーは今度こそ確実に息の根を止めるべく、魔法の負荷の抜けきらない身体を往なし――。
(……何だ、あれは)
気付く。
再生するほむらの身体が、明らかに人の形から逸脱していた。
まず目立つのは、大きな大きな魔女帽子。
両腕は異常な程に長く肥大化し、衣服の袖と一体化したものとなり。
喪われた下半身も再生しないまま、下腹部から先が砂の入った巨大な球体へと――砂時計へと変じている。
「魔女化……? いや、だが」
人間の上半身と砂時計の下半身を持つ、奇妙な化物――。
そうとしか表現できない異形となったほむらは、やがてガラスの瞳をホンフーに向け。
『――バッド、エンドォォォオオオオオオオッ!!』
白い世界に、常軌を逸した怨嗟の声が木霊した。
■
いつかの時間、ここではない場所。
暁美ほむらは、とある特異な力を手にしていた。
魔法少女と魔女の中間にあるもののひとつ。
それは、いつでもないこの時間、どこでもないこの場所で彼女が手にしているものとよく似ていた。
無論、似ているだけで非なるものだ。
しかし質としての差異は少なく、またそれを否定する者も無い。
――業因のドッペル。
どこかの誰かは、その力をそう呼んでいた。
*
『――アアアアァァアアアアア!!』
再び絶叫が迸り、ほむらだったものの背が咲いた。
背面から14の影が飛び出し、周囲の空間へと溶けるように侵入。何も無い場所から、強引に『それ』を引きずり出す。
「……は?」
空間に波紋を作り現れたのは、車両ほどの大きさもある巨大な巡行ミサイル。
影と同じく14揃ったそれらの先端は、全てがホンフーを向いていて。
――轟音。数多のロケットノズルが爆炎を噴き、彼の下へと殺到した。
「――グレムリン!!」
ホンフーは即座に超能力を切り替え、ミサイルの全てに動作不良を引き起こす。
そうしてガラクタとなり墜落するそれらを躱し走りつつ、改めてほむらの状態を見極める。
(あの姿、力。ハピネスの効果か? だがこのような症例など――、っ!?)
考える内、新たなミサイルが視界外より飛来した。
ホンフーは咄嗟に空間を蹴って躱すが、しかしミサイルは急激に進路を変えて追い縋る。
よく見ると、ミサイルの背にほむらを模した影人形がひとつ。
どうやらそれが進路を操っているらしく、器用に重心を傾けつつケタケタと笑い声をあげていた。
「使い魔……まったく、随分と毛色が変わりましたねぇ。何か大きな転機でも?」
『黙れ! あなたがっ! よくも……っ! 思い出せないのッ!! 私の魔力で、あの子が飛び散って!! ぁぁ、あ、あなたの、私のせいで!!』
「まぁ、原因である自覚はありますよ。全て分かってやった事です」
『あなたが奪った!! 記憶をっ! 名前の知らないあの子をっ! 分からない。大切な、きっとそうだったのに!! どうしてっ!! ぁあ、ああああああああッ!!』
ホンフーへの憎悪、そして大切な人を忘れ、喪った悲しみに哭き叫ぶ。
常に冷静であろうとしたほむらの姿は、今となっては見る影も無かった。
その様子にホンフーは僅かに目を伏せ、再びグレムリンを発動。不発弾と化したミサイルを影人形諸共蹴り飛ばし、ほむらへと走った。
「……あなたの怒りは正当なものだ。だが、私はそれに応えるつもりは無い」
『殺すッ! 殺してやるッ!! 命も願いも時間も! 全部全部全部――あなたの全てを台無しにしてやるッ!!』
「ええ、私も同じ気持ちです――あなたの絶望を踏み越え、望み続けた過去へ往く!」
互いの瞳に互いが映り、濃密な殺意が絡み合う。
今、この何時でもない世界において。
二人は追い追われる者達では無く、殺し殺される者達と成り果てた。
「――生きなさい!!」
『!』
故に、一切の容赦は無かった。
間髪入れずに放たれた死の宣告がほむらを包み、生への執着を消失させる。
まるで、体内に泥が落ちてゆくかのように。ガラスの身体が黒ずみ、無数の罅が走り――そして、砕けた。
同時に白の世界に動きが戻り、再び過去への流転が始まった。
やはり、ほむらの存在が障害となっていたのだろう。彼女の死骸たる黒いガラス片が、白の中に散らばり、流れ――。
「……これは」
ぴたりと止まった。
そして流れに逆らい、元あった場所へと逆巻いた。
ガラス片が集合し、見る間にほむらの身体が再構築され、傷一つ無く修復される。
世界の流転もいつの間にやら中断され、全てが終わった後には数十秒前と変わらぬ状況に逆戻り。
(……そう、か。ここが過去に流れる世界ならば、彼女もまた影響を受けるか……!)
結局、時間遡行はほむらの為の魔法だったという事だろう。
未来でも過去でも無い狭間の時間に在るが故に、ほむらにも魔法の暴走による結末が訪れない。
死に至る事も暴走が収まる事も無く、一つの力の形として、彼女の身に宿り続けている。
それがあの姿であり、死の時をも巻き戻す能力。
この世界に到った事で、暁美ほむらは魔法少女として初めてハピネスの適合者となったのだ。
(彼女の死を確信してから、時を戻すべきだった――)
かつてのほむらと同じ失態を犯したのだ。
ホンフーは最後の最後で逸ってしまった己に歯噛みする。
この不死の怪物をどう乗り越える。どう下す。
決して小さくない焦燥が滲み出す中、ホンフーは静かに思考を回し、
(……いや、先程彼女を殺した時、短い間ではあったが過去への流転は再開されていた。ならば)
彼女を殺し続ければ、いつかは望む過去まで辿り着くかもしれない。
それは希望的観測ではあったが、さりとて熟考している場合でも無く。
ひとまずの策を定めたホンフーは、その瞬間に動き出し――しかし彼が足を蹴り出す寸前に、ほむらの両眼が開かれた。
『――ァァァアアアアア!!』
「!」
同時に、ほむらの周囲に無数の機関銃が出現。弾丸の雨が吐き出され、ホンフーは瞬時に真上へと跳躍する。
そのままダークスピアの重力操作能力を用い、遥か上方へと高速落下し射線より離脱する――が。
『逃がさない!! 逃がさない逃がさない逃がさない逃がさない!!』
「なに……!?」
銃の出現は止まらず、ホンフーを追いかけるように展開されて行く。
どれほど三次元的な軌道を描いても振り切れず、遠ざけられるほむらの姿に小さく眉を顰めた。
(……これだけの弾幕では、カルマミラーは自殺行為ですね)
カルマミラーによるダメージの反射は、攻撃の主に反射できる部位が無ければ発動しない。下半身の無い今のほむらでは、全身のダメージ反射はまず不可能だ。
例え上半身に限り反射したとしても、ダメージ反射で彼女の身体が砕けた瞬間、続く銃弾が瞬く間にホンフーを挽肉とするだろう。
(……あの二人が、息づいているな)
己の身を犠牲として、カルマミラーを破る方法。何処かで体験したものだ。
単なる偶然ではあるだろうが、幽かにちらつく赤と青の影に、ホンフーは場違いな苦笑をひとつ。
(ならば空間結合で距離を――いや、それもリスクが高すぎる)
時間的にも空間的にも異常極まりない、この世界。
そのような場所で空間干渉系の能力を使えば、何が起こるか予想できない。
最悪の場合、この世界から弾き出される恐れもある。ワームホールの能力も含め、使用は避けたい所であった。
(だが、この弾幕では少々動き辛い。どうにか隙を作りたいが……この調子では、弾切れの類などを期待するのは無駄でしょうね……!)
ホンフーは与り知らぬ事だが、ほむらの被る魔女帽子のツバには、適当な時間軸より引きずり出したキュゥべえの――インキュベーターの死骸が乗っている。
ほむらはそれを通し彼らの表層知識にアクセスし、それを基に大抵の火器であれば魔力で無限に構築できるようになっていた。
――そしてそれは、現代兵器に限らない。
「っ!?」
ホンフーの視界の隅に、小さな光が入り込む。
視線を走らせれば、遥か遠方に大型レーザー兵器の群れが整列し、壁を作っている光景が視えた。
総毛立つ感覚のまま身を丸めて胴の裏に足を隠し、カルマミラーの反射能力に変え――直後、ホンフーの身体は灼熱の壁に呑み込まれた。遠くでほむらの身体が砕け散る。
「チィッ――!!」
しかしホンフーはその音を聞く事なく、脚を砕かんばかりに空間を蹴り、強引に灼熱の壁の中より脱出。グレムリンに能力を切り替え、大型レーザー兵器を破壊する。
少しでも脱出が遅れていれば、ホンフーはほむらにダメージを反射しきれず、灼熱の中で蒸発していた事だろう。
かつて肉体の半分がそうなった時の記憶が蘇り、ホンフーの精神がほんの数瞬だけ乱れ、
「がッ!?」
――その間隙を縫い、飛来したレーザーが左腕を撃ち抜いた。
(馬鹿な。グレムリンは、確かに――)
しかしホンフーはそれ以上思考の空白を作らず、もう一度グレムリンを発動。
再び一帯全ての銃器類を無効化すると、即座にダークスピアの能力へと切り替えその場から離脱した。
「……! なるほど、主が居ぬ間も影は動くか……ッ!」
途中、ガラクタとなったレーザー銃を捨て逃げ去って行く影人形の姿が見えた。
一度目のグレムリン発動後、彼女達が個々に新たな銃を作り出したのだろう。
神経付近を撃ち抜かれたのか、上手く力の入らない左腕を抑えホンフーは歯噛みするも、影人形を追う事はせず意識を外す。
そして今まさに完全に再生したほむらを睨み、落下速度を更に上げ――。
「――寝てなさいッ!!」
『――、』
再生したほむらが目を開こうとしたその瞬間、流星と化したホンフーの剛脚が頭部に炸裂。その勢いは強烈な衝撃波すら伴い、ほむらの上半身を激しく砕き散らした。
(余裕は無い! 攻撃する暇を与えず、殺し続ける!!)
ホンフーは通り過ぎた勢いのまま反転し、再び突撃。
ほむらの再生が終わったタイミングに合わせ、また彼女を砕いた。
「ドゥーム、チェンジッ――!!」
蹴り砕き、風刃を飛ばし、掌底で穿ち、雷を奔らせ、爆発をも引き起こす。
ホンフーはほむらが再生する度、目覚めを待つ事なくありとあらゆる方法で彼女を殺し続けた。
世界の流転も継続したまま、少しずつ、確実に至るべき過去へと流れて行く。
記憶の額縁が再び周囲に広がったかと思うと、ある一点に収束。眩い光を放つ渦へと変わる。
――あれこそが、終着点だ。
「――――」
目に見える形として現れたそれが、ホンフーの薄闇色の瞳に反射する。
最早言葉は無い。ただ、それに到る為の一撃をほむらへと放つのみ。
纏うはダークスピア。限界まで増大させた重力に引かれ、音速すらも突破する。
一瞬での加速に常軌を逸した負荷がかかるが、人類最高峰の肉体はそれすら耐えた。
否、その負荷すらをも勁として、全て右腕に流し込む。
「
咆哮。そして、轟音。
突き出す剛拳が『それ』を打ち、激しい衝撃を撒き散らす。
完全に砕いた。完膚なきまでに破壊した。
だが、ホンフーの顔に喜びは無く、反対に渋面が浮かび。
「――邪魔をッ!!」
――その拳が打ち砕いたものは、ほむらでは無かった。
拳がほむらを打つ直前、彼女の盾として割り込んだものがあったのだ。
つるりとした丸いフォルムに、青い装甲。そこから伸びるドリルと万力のアーム。
音速を越える一撃で粉微塵となってしまってはいたが、ホンフーはそれに見覚えがあった。
「TX――こんなものまで……!」
ジャジメントの保有する、自立型戦闘兵器『TX』。
その名を口にした瞬間――ようやっと、ほむらの瞳が開かれた。
『――バッドエンドォォオオオオオオオオ!!』
「!」
魔力が破裂し、吹き飛ばされる。
同時に上空から14体もの『TX』が降り落ち、ホンフーを囲むように配置された。
「っ、生き――、!?」
人間の脳がパーツとして使われている『TX』であれば、デス・マスが通る――。
そう考え、ほむら共々洗脳を仕掛けようとしたその瞬間、『TX』の一体が装甲を展開。内側から飛び出した何かがホンフーの口を塞いだ。
(――影人形……!?)
目前に居たのは、バツ印に交差した指を己の口に押し付けているほむらの影。
それを視認した時、ホンフーは相手を見誤っていた事に気が付いた。
(これらは皆、外見だけのニセモノか……!)
魔法で人間の脳を作り出す事など不可能であったのだ。
だから、脳の代わりに影人形達を中身に入れた。目の前にいる『TX』達は、内部構造の簡略化された張り子の虎――そう看破したホンフーはすぐさまグレムリンを発動させ、口を塞いでいる影人形を殴り飛ばす。
だが、僅かに遅かった。
14体全ての『TX』が機能停止をする間際、それを悟ったかの如く一斉に突撃をしたのだ。
無論、その殆どは容易に対処されてゆく。しかし左方から来た一体だけには左腕の反応が遅れ、届いた万力のアームがホンフーを締め上げる。
「っ……パワーだけは一丁前ね……!」
直後に機能停止したものの、万力の圧が骨を軋ませる。
ホンフーは舌打ちする間すら惜しみ、胸部を挟んでいるアームの肢を蹴り砕き――その時、またも視界の隅を光が焼いた。
「――!」
先程と同じ、大型レーザー兵器の壁だ。
この場から離脱している暇は無い。ホンフーは砕いた万力を放り投げ、瞬時に『TX』の裏へと回り、盾として。
『消えろおおおぉぉぉぉおお!!』
――爆光。再びの灼熱の壁がホンフーを襲った。
「ぐ……ぉぉぉおお!!」
ハリボテとはいえ、装甲は堅牢極まりない『TX』の物そのままだ。
レーザー攻撃にもある程度は耐えられるように出来ており、今この場においても灼熱の壁を弾き続けていた。
だが、完全にという訳では無い。
レーザーの被照射面は赤熱し、徐々に融解を始めている。
そして熱は装甲を伝い背後のホンフーにまで回り、『TX』を支える腕が焼けて行く。
長くはもたない。
そう判断したホンフーは、レーザー照射の切れ間を待たずグレムリンを使用し、
――その時、『TX』の装甲が開いた。
(また影人形か……!)
もっとも、既に種は割れており、驚きも無い。
また邪魔をされるのも面倒だ。ホンフーは飛び出してくるであろうそれを即座に仕留めるべく、右の手刀を構え、
『KYAHA♪』
「――――」
瞠目する。
『TX』の内より飛び出したのは、予想通りの影人形の姿だ。
しかし、彼女はその小さな腕いっぱいに何かを抱えていた。
小さく、丸く。とある昆虫の姿を模した、金属の塊。
――自立行動型遠隔爆弾、クモ。
銀色に輝くそれらが、ホンフーに差し出されていた。
「は、」
グレムリンの影響を受け、機能は停止しているようだった。
しかし、爆弾としての機能自体が取り除かれた訳では無い。
強い衝撃、或いは高熱を受ければ爆弾としての機能は果たされる。
例えば――そう、今この場においては、どうあっても。
「――ッ!」
ホンフーが動くと同時、影人形がクモを宙へとばら撒いた。
その悪辣な笑顔がホンフーの脳に焼き付き、そして、
『――死になさい』
灼熱の壁の中、爆炎がひとつ。
少女の憎悪と共に、大きく咲いた。
*
ガシャンと、騒々しい音が鳴る。
それはほむらの身体が砕ける音。そして、新たに組み上がる音だ。
『――グッ、ァあ……あの男、最後まで……!!』
完全に再生し、罅のひとつすら残らず消えた後。
目を開いたほむらは忌々しげに呟いた。
先程ホンフーを巻き込んだ、クモの爆発。
それが起きた瞬間、ほむらの身体も共に砕け散ったのだ。
おそらくは、最後の最後にホンフーがまた反射能力を纏ったのだろう。
これまで散々に味わって来た以上は嫌でもそう察せられ、また憎悪が募った。
『はぁーっ……はぁーっ……』
痛い。苦しい。
心にぽっかりと空いた穴が、絶望と呪いで溢れかえっている。
理性も殆ど働かず、気を抜けば暴れ狂ってしまいそうだった。
ほむら自身、今の己がどのような状態なのか全く理解していなかった。
ホンフーへの憎悪と、大切な誰かを忘れた事への嘆きのまま、その力を振るっていたのだ。
彼を殺せるのであれば、理屈や納得など不要。多少冷静になった今もその思考は変わらない。
そうしてほむらはやはり現状に何一つの興味疑問を抱かないまま、ゆっくりと周囲を見回した。
『…………』
ほむらの死に伴い、白の世界はまた一歩過去へと近づいている。
終着点たる光の渦も大きく広がり、今や世界そのものを覆いつくす程だ。
あと一度。あと一押しがあれば、時間遡行は完遂する――そのような世界の中を、ホンフーは漂っていた。
「……っ、……」
酷い、酷い姿だった。
下半身は完全に消し飛び、両腕も肩の付け根まで炭屑となっている。
全身も酷い火傷に覆われており、声も出せずに喘いでいた。
それでも辛うじてとはいえ生を繋いでいるのは、彼がウ・ホンフーであるが故だろう。
そんな惨状を前に、ほむらは憐れみすら向けず、狂おしい程の殺意を滾らせる。
『また半分。ふふ、前と同じ……いえ、もっと、もっと酷い……!』
「…………」
話しかけても反応は無く、意識があるかどうかも定かではない。
しかしほむらは気にも留めず、肥大化した腕をホンフーへと翳す。その周囲に、無数の銃器が構築された。
『殺すわ。今度は逃さない。きちんと肉塊にして殺す。傷を反射しても、私が死んで砕けた直後にあなたも死ぬ。そうなるって、もう分かっているもの』
「…………」
『――あなたは、何処の時間にも辿り着けないまま終わるのよ……!』
そう宣告されたホンフーに、やはり反応は無い。
否、舌が焼け爛れ、まともに話す事が出来ないのだ。
ほむらもそれ以上何も言う事は無く。目を細め、展開する全ての銃に号令を下し――。
「――ま、ど、か」
――寸前、酷い滑舌で呟かれた三つの音が、ほむらを止めた。
『……………………………………』
無視をするつもりだった。
これまで幾度となく洗脳され、殺されたのだ。少なくとも、口にしたのが他の言葉であれば、最後まで待たず銃撃していた。
……だが。だが――。
『まど、か……?』
無意識に口の中で転がす。
知らない名前だというのに、心が騒ぐ。記憶が疼く。
感情は今すぐにでも目前の男を肉塊にしたいと叫ぶのに、ガラスの身体がそれを拒否している。
――きっと『まどか』が、己が忘れ、喪った者。ごく自然に、そう感じた。
《ッ……でも、この男は殺す! そうすると決めた! それを今更っ……!》
憤るが、分かってもいた。
ここでホンフーを殺せば、『まどか』の記憶を取り戻す機会は永遠に無くなる。
殺意と想い。二つが衝突し、ほむらの意思を鈍らせた。
そんな様子に、ホンフーの口端が微かに上がり。
「忘、却……」
ほむらの記憶の蓋が、外れた。
『……ぁ』
――いきなり秘密がバレちゃったね。
『ぁ……あぁ……』
――私ね、あなたと友達になれて嬉しかった。
――キュゥべえに騙される前のバカな私を、助けてあげてくれないかな。
『ぁぁ、ああああっ……!』
――こんなすごい事、クラスの誰にも言えないよ。
――みんなの事、信じて待ってる。
――ほむらちゃん。
『まど、か――』
鹿目まどか。
愛しい彼女との思い出が次から次へと溢れ、世界が急速に色づいて行く。
『あ……ああ、ああ、まどか! まどかぁ……!!』
何故忘れた。
何故忘れてしまえたのだ。
こんなにも、こんなにもこんなにもこんなにもこんなにも大切なものを。
何故、どうして己は――。
『う、ぁ……ぁ……!!』
涙があふれる。憎悪が抜ける。
取り戻した命よりも大切なそれを抱きしめるように、ほむらは異形と化した身を丸め、
――かり、と。
その時、ガラスの肌に何かが擦った。
『……?』
赤い液体に塗れた、小さな青の破片。
原型こそ残っていないが、それが細かく砕けた『TX』の装甲だとすぐに分かった。
ただの小片と成り果てたそれは、最早ただのゴミに過ぎない。
しかしその鋭い切っ先は、ほむらのガラスの肌に微かな白い筋を残していた。
そう――どれ程小さくとも、それは傷であったのだ。
――かすり傷でも、致命傷。
『――ぇ』
突然、ほむらの全身から力が抜けた。
白い筋の入った場所から罅割れが広がり、瞬く間に全身へと及ぶ。
何が起きたのか、全く分からなかった。
そうして崩れ行く身体に呆然とするその様を見て、ホンフーは深い深い笑みを浮かべた。
――傷つけたもの全てを殺す超能力、バジリスク。
ホンフーは口の中に含んでいた『TX』の破片にそれを纏わせ、隙を突いて吐き出したのだ。
本来であれば、肉体と魂の分離している魔法少女には効きにくい能力だ。
だが今のほむらは、己の魔法と――ソウルジェムと肉体が半ば一体化している状態でもある。
魂が剥き出しとなっているのなら、傷は直接刻まれる。
だからこそ、ほむらはこうして死んでゆく――。
『――――』
世界が動く。
辿り着くべき過去が廻る。光の渦が刻の狭間に広がり、覆う。
終着だ。
流転は終わり、時間遡行は完遂された。
光。音。記憶。感情。願い。絶望。現在。未来。
全てが過去へと吸い込まれ、新たな時間が構築される。
『――っ……!』
ガラスの欠片を撒き散らしながら、ほむらは必死に手を伸ばす。
その先には、刻の渦に流されゆくホンフーの姿があった。
逃してはならない。
行かせてはならない。
変えさせては、ならない――。
迫り来る死から逃げるように追い縋り、しかしその手は届く前に砕け折れ、虚空へと散らばった。
銃も、影人形も。全てが消える。
ほむらはただ、遠ざかるホンフーを見つめ続けるしか無く。
――――!
叫ぶ。
されど何を叫んだのか、ほむら自身にも分からぬままに。
――明転。
旧き刻は消え去り、新たな刻が広がった。