「はあっ、もうすぐだわ」
自然と笑みがこぼれてしまうのも無理はない、いつもは地元、もしくは少し電車で街中まで出て行くのだが、今日は朝早くから電車と新幹線に乗って、ここまで来た。
大きな特別シアター、映画館、到着したときには疲れなど感じなかった。
今日、観るのは映画ではない、最近は映画館で舞台などを上演、中継をするということも珍しくない、最初の頃は漫才、歌舞伎が多かった、だが、最近は手に入れることの難しい劇団や個人のコンサートなどもみることができるようになった。
数日前、コンビニで立ち読みした雑誌で昔の映画が再び公開されることを知り、木桜涼は映画館を捜して観に行った。
学生時代に観た映画のリメイクなので役者は殆ど知らない人間ばかりだったが、それでも楽しめた。
そして好きだった役を演じている役者に彼女は一目惚れをしたのだ、エキセントリックで癖のある役柄なのだが、映画館を出た後、すっかり心奪われてしまったのだ。
そして、今日の、この舞台だ、海外で上演されたとき初演はあまり人気がでなかったらしい、だが、人気が徐々に出てきたのだ、まるであの有名なカルトムービーのように。
今回の舞台は上映館が限られている、最初は迷ったが、この機会を逃したら、後で後悔するかもしれないと思い、ここまできたのだ。
映画館に入って三時間、あっという間に過ぎてしまった、いつもなら喫茶店か、どこかでお茶でも飲んで一息ついてというところだが今日は違う、今から帰っても家に着くのは遅いだろう、だが、その前に大事な用があった。
都会なら輸入盤のサントラを扱っている店も少なくはない、店内に入ると空気までも違っているように感じられるのは店の客層のせいだろう、白人、黒人もいる。
ゆっくりと店内を観て回った後、カウンターのそばの店員に声をかけると紙を取り出した。
「すみません、この舞台のDVDを捜しているんです」
事前に調べてタイトルと名前がかかれた紙を見せると店員は不思議そうな顔をしたが、そばのパソコンで調べはじめた。
「在庫ないみたいです、すみません」
「あっ、いえ、もしかしたらって思っていたので」
数日前にネットで調べたときも在庫なしだったのだ、もしかしてと思ったが淡い期待ははずれてしまった。
「もしかして、お目当ての好きな役者さんとか出てるんですか」
私も海外の舞台、ミュージカルが好きなんですと女性店員の言葉に涼は思わず笑顔になった。
まあ、こういう事もあるわ、元々、サントラは手に入らないと思っていたので、それほど気落ちはしなかった。
これから東京駅に向かって駅弁と発泡酒を買って帰ろう。
映画館で観れただけでも十分だ、残念なのは舞台関係のグッズがなかったこと、せめてパンフレットだけでもと期待したが、海外の舞台だと考えたら、映画館で上演されるだけでも良かったと思わなければ。
そんなことを考えながら歩いていると、ぼんやりしていたせいか躓きそうになった。
慌てて手を伸ばして手すりを掴み、転ぶのはまぬがれ、ほっとした瞬間、声をかけられた。
「すみません」
振り返り、相手を見ると同時に驚いた、相手は外人だったからだ。
階段は、あと少しだ、降りきってしまおうと一歩下がった瞬間、何かを踏んだ感触に違和感を覚えた。
まるで、ギャグマンガのような悲鳴をあげて転んだ瞬間、恥ずかしいと思ったのは無理もない。
「大丈夫ですか」
相手が手を伸ばして手助けをしてくれるので思わず、その手をがっしりと掴んだが、顔を見て内心慌てた。
黒のサングラスは背の高い男だと迫力がある、しかも外人だと。
これが短パンに薄手のシャツ、むき出しの足や腕に、これでもかというぐらい派手はなタトゥーやボディメイクをしていたら、ああ最近の外人の旅行者だわと思うのだが、紺、いや、黒っぽいスーツだと。
立ち上がろうとして足首、がくんときたなあと思いながら相手に大丈夫ですと言葉をかけ、その場を立ち去ろうとしたが。
「あなた」
突然、進行方向を遮るように男は前に立った。
「さっき、お店で舞台のDVDの事を聞いていたでしょう」
いきなり何を言い出すんだと相手を不思議そうに見てしまったのも無理はない。
「あの舞台は、発売された数が少なくてイギリスでも殆ど在庫はないんです」
では、日本にいる自分は手に入れる事はできないんだ、まあ最初から、いや半分以上諦めていたけど、それにしてもどうして、この外人さんは自分に教えてくれるんだろう。
話を聞きながら、そうなんですかと頷くと相手の視線を感じた。
イギリスでも手に入れることが難しいって、それが分かっただけでもいいじゃないかと自分に言い聞かせて、その場を離れようとした途端、ままってと呼び止められた。
何、天から幸運が振ってきたような申し出に木桜涼は一瞬、ぽかんとした表情になった。
自分は、そのDVDを持っている貸してあげる、その言葉に、どうしてと思わずにはいられなかった。
初対面、見ず知らずの相手に何を言い出すんだろう、この人、いや、外人はと思いながら首を振った、住んでいるのは県外だし、今から帰らなければいけないんだと説明すると相手はにっこりと笑った。
「住所を教えてくれたら送りますよ」
「ええっ、でも」
言葉が続かない、一体、何を考えているんだろうと思いながら、このとき、相手の顔を見た。
このとき初めて、相手はサングラスを取った。
うーむ、悪人には見えない、けど外人だからわからない、住所を知られたら、何かまずい事に悪用、何かの悪事の偽造、ブラックリストなど、まずいことになるんじゃ、いや、事前に自衛をしておけば。
だが、相手が、もし善意で申し出てくれたら、あー、どうすればいいんだ、迷いつつもちらりと視線を上に向けると視線が合ってあいてはにっこりと笑った。
人の良さそうな感じだ、たとえるなら森の熊さん、いや、そこまでは太っていないが、だが、やはりここは、一応というか丁寧に。
「ありがとうございます」
こういうときは断るべき、それが大人の対応というものだ、そう思ったのだ、ところが
「ああ、待ってください、DVD、確かタイトルは、海外のですね」
そうですと返事をする女性の声が重なった、思わずそちらを見ると店員と客、二人の女性の会話に思わず耳を傾けたのはタイトルのせいだ。
「在庫ないみたいです」
「そうですか、いえ、もしかしたらと思ったんです」
耳を傾けて集中してしまうが無理もない、そして客らしき女性が店を出ていく後ろ姿を見て思わず追いかけてしまったが、決して自分はストーカーなどではない。
すみませんと声をかけ、DVDのタイトルを聞いてと話しかけると女性の顔、表情が驚きに変わったので相手を安心させるように静かに話しかける。
正直、そこまで言い出すつもりはなかった、だが、話をして、映画の為だけにかなり遠いところからわざわざやってきたということを知って、驚くというより感激してしまった。
自分はそれを持っているので貸しますよという言葉が何故かすんなりと出てきたのには自分が驚いたくらいだ。
もう少し話がしたいと思い駅までついて行ったのだが、話す内容は映画と舞台、好きな役者のことばかりなのだが、凄く楽しそうに話すのだ。
最初は緊張、突然話しかけてきた外人の自分を怪しんでいたようだが、駅に着くと何か考え込むような言いたげな顔つきになった。
「あの本当にDVDを貸して頂けますか、もしそうなら」
彼女は持っていた鞄から手帳を取り出し書き始めた、手渡されたのは住所とアドレスだ、だが、それだけではない、財布からお札を取り出した。
送料に使ってくださいと手渡され、渡されたメモと札を見た。
改札までと思っていたのに、何故か、ホームまで彼女と肩を並べて歩いてしまった。
「今度、あの舞台をリメイクした映画の話、ご存じですか」
「ええっ、知りませんでした、それはいつです」
階段を登りホームに出ても会話が途切れる気がしない、本当に好きで、遠いところから、この映画を観に来たんだというのがわかる。
もっと話したい、多分、彼女も同じではないだろうか。
「ありがとうございます」
だから、男は新幹線のドアの前で躊躇して乗り込んだのだ。