ONE PIECE −LOG COLLECTION : ELEANOR−   作:春風駘蕩

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主人公のイメージCVは田村ゆかりさんです。


第0話〝ROMANCE DAWN〟

「――俺の財宝か? 欲しけりゃくれてやるぜ…探してみろ、この世の全てをそこに置いてきた」

 

 死刑台の上で、死を目前にしながらも笑ってみせたその男、世界最悪の犯罪者〝海賊王〟ゴールド・ロジャー。

 彼が放った一言は、全世界の男たちを海へと駆り立てた。

 力こそが正義、荒くれ者共が暴れまわる大海賊時代の幕開けである。

 海賊王の処刑から22年の時がすぎた現在でもその興奮は醒め遣らず、腕に覚えのある者たちは海で冒険に挑み、力無き人々は海賊たちの暴力に怯え、世界は未だ混沌の最中にあった。

 そんな時代に一人、あまりにも無謀で大きな夢を抱いて、最弱の海と呼ばれる東の海(イーストブルー)から飛び出した少年がいた。

 その名を、モンキー・D・ルフィ。

 

 しかし、その隣にはもう一人同行者がいた。夢に命をかける無謀な少年の行く末を見届けるため、〝彼女〟もまた荒くれ者たちの海へと挑む。

 その名を、アイザック・エレノア―――。

 

⚓️

 

 広い広い海原を、一艘の小舟が漂っていた。

 遠くからみれば木片にしか見えないであろうその小舟の上には、二つの人影が見えた。

 その片方、赤いシャツに半ズボンを纏い、そして麦わら帽子を被った少年が、心地よさそうに小舟の先頭から海と空を眺めている。

 無謀にも海を小舟で進んでいるこの少年の名はモンキー・D・ルフィ。海の危険など知ったことかと言わんばかりに笑顔を浮かべる彼は、ぐんっと背筋を伸ばして気の抜けた声を漏らす。

 

「いんやぁ〜、気持ちのい〜い日だ。絶好の航海日和だな〜!」

「……よく呑気に笑っていられるね」

 

 ケラケラと笑って青い空を見上げるルフィに、小舟の後ろに座っているもう一人の船員(クルー)が、可愛らしい声で非難がましい意見をぶつけた。

 その姿は、なかなかに奇妙だった。全身をすっぽりと覆うフード付きマントに身を包み、青い目以外の顔の部分は全く見えない。背丈はルフィの半分程度しかなく、声を出さなければキノコの置物ぐらいにしか見えないだろう。

 明らかに不機嫌そうな同乗者に、ルフィは何を怒っているのかと不思議そうに眉を寄せて振り向いた。

 

「なんだよ、エレノア。こんな気持ちのいい天気なのによ〜。何に怒ってんだよ?」

「うん……確かに風も天気も波も穏やか、絶好の航海日和で昼寝でもしたら最高だろうね。……でもさ」

 

 フードの奥の青い瞳をギラリと光らせ、エレノアと呼ばれた船員はくいっと傍にあった袋を持ち上げてみせる。

 しわくちゃになったその袋から、芯だけになったリンゴが一つだけコロンと転がり落ちる。このリンゴの残骸こそ、彼女の不機嫌さの原因である食料の現状であった。

 

「どういう神経をしていたら一週間分の食料を3日で食い尽くしちゃうのかな君は……?」

「あ、ヤベェ本気でキレてる」

「当たり前だ‼︎」

 

 ドカーンと噴火でもしそうな勢いでエレノアはルフィを怒鳴りつける。さっきまで陽気に船旅を楽しんでいたルフィも流石に神妙な顔で向き直った。

 

「一番近くの島まで余裕でたどり着ける量だったんだよ本当なら‼︎ それをなんで予定の半分以下の期間で全滅させちゃうのかな⁉︎ そんなに死にたいのかな君は⁉︎」

「腹減ったからつい」

「聞いた私がバカだったよ‼︎」

 

 無謀というか阿呆な少年の考えにエレノアはハーッと深く深くため息をつく。迂闊だったのは自分の方だ、この男の考えのなさを考慮しなかった自分が一番悪い、と割と失礼なことを平気で考えて自己嫌悪に陥る。

 

「こうなったらあとはもう無心で漕ごう。体力馬鹿の君なら丸一日漕いでれば予定を前倒しして次の島に着けるでしょ」

「おう、サラッとひどいなお前」

「あん? なんか文句あんの?」

「…ごめんなさい」

 

 キラーンと光るエレノアの目に本能的に命の危機を感じ取ったルフィは、命じられるままにオールをつかんでえっさほいさと漕ぎ始めた。触らぬ神に祟りなし、という言葉は誰から聞いたのだったか。

 ほぼ波任せだった船の推進にルフィの漕ぐオールが加わり、小舟はぐんぐんと前に進んでいく。その後方でエレノアが舵を操作し、進路がずれないように微調整を加えていった。

 

「前方異常なーし。全速前しーん」

「あいあいさ……って逆だろ‼︎ 船長はオレだぞ⁉︎」

「あ。ごめんごめん」

 

 いつの間にか立場が逆転していると気づいたルフィが慌てて修正する。すでに上下関係が構築されている気がしないでもなかったが、それを指摘するとめんどくさそうだったのでエレノアはあえて何も言わなかった。

 そんな調子で航海を続ける二人だったがある時、舵取りをしていたエレノアがピクッと顔を上げ、進行方向から右手に視線をずらした。

 

「…ルフィ、警戒して。なんか近づいてくるよ」

「ん? おう、わかっ……」

 

 オールを漕ぐ手を止めたルフィが、様子の変わったエレノアの向いた方向をにらんで袖をまくる。敵が来るのかと身構える二人だったが、ふと奇妙な音が聞こえて来るのに気づいた。

 ヒュルルル、と何かの風切音がみるみるうちに近くなっていき、急に小舟の上に何かが落下してきた。足元に結構な衝撃が走り、一瞬だけ小舟が宙に浮いた。

 

「わっ」

 

 ぐわんと揺れた小舟にしがみつき、ルフィとエレノアは落とされまいと腰を落とし踏ん張る。いち早く立ち直ったルフィは、落下してきた何かを両手でつかんで持ち上げてみせた。

 

「……なんだこいつ。変なパンダだな」

「いや、鳥じゃない?」

 

 落ちてきたのは、人の背丈ほどはある大きな鳥だった、のだが目の周りや羽が黒く、丸く黒い耳もあるため確かにパンダにも見えた。つまるところかなり不気味な生き物だった。

 だがどんなに気持ち悪い生き物であろうとルフィには関係がなかった。せっかく手に入れた食料を前にダラダラとよだれを垂らし始める。

 

「なんにしてももうけた! これで飢え死にせずにすみそうだ!」

「⁉︎」

「ルフィ、食べることには賛成だけどさ」

「!!?」

「それよりも下、下」

「ん?」

 

 目を細めたエレノアの指摘に、ルフィは言われるがままに視線を下に向け、そして「げ⁉︎」と目を見開いて固まった。

 なんと鳥がぶつかった拍子に傷ついたのか、小船の船底には穴が空きゴボゴボと海水が入り込んでいたのだ。

 食われることを恐れた鳥が飛んで逃げようとするが、そうはさせるかとルフィが鳥の横腹を掴み船底の穴に押し付ける。栓をしたおかげで浸水はある程度止められ、辛うじて今の所沈没は免れていた。

 

「クエーッ‼︎ クエーッ⁉︎」

「動くなよ…いまお前のケツで穴塞いでるんだからな。エレノア、今のうちに塞いでくれ」

「んー、そうしたいのは山々なんだけどさ……」

 

 ルフィがエレノアに頼むが、返答は曖昧だった。何か不都合でもあったのかと尋ねようとしたルフィだったが、それよりも先に辺りの異常に気がついた。

 夜が訪れたわけでもないのに、辺りが急に暗くなってきたのだ。見上げれば燦々と太陽が輝いているのに、ルフィとエレノアの周りだけがひどく暗い。小舟が何かの影の中に入り込んでいるとルフィが気づいたのは、頭上から声が聞こえてきてからだった。

 

「バルーン! 早く逃げて‼︎ 殺されちゃうわよ⁉︎」

 

 顔を上げて振り向いてみれば、小船の近くにはかなり大きな船が一隻。下から見える帆や旗に描かれたマークから察するに、昨今になって増えてきた海賊船の一つだろう。船の大きさからしてかなり大規模な一団が乗っているようだ。

 

「……っはー、でっけー船」

「ガレオン船か……この辺りじゃ珍しいね。かなりの大物が乗ってるのかもしれない。気をつけて」

 

 冷静なエレノアの言葉もあまり聞かず、ルフィが呆然と口を開けて船を見上げていると、また鳥がバタバタと逃げ出そうとして暴れ始めた。

 沈んでたまるかとルフィが再び「こんにゃろ!」と押さえつけていると、近くに寄って来た海賊船の縁からバラリと縄梯子が降ろされてきた。縄梯子はスルスルと伸びていき、ちょうどルフィとエレノアの目の前に先端が届いた。

 

「?」

 

 目の前に降ろされた縄梯子に首をかしげるルフィと警戒するエレノアに、船の上から声がかけられた。

 

「――その鳥を捕まえてくれて礼をいうぞ。さぁ、そのハシゴを登ってその鳥をこっちに渡してくれ」

 

 銃を担いだ男が一人、二人を見下ろしてそう言った。逆光のために顔はよく見えなかったが、辛うじて笑っていることだけはわかった。

 だが、エレノアの青い瞳はその男が浮かべている笑顔が、いやらしくゆがんだ下卑たものであることを見抜いていた。

 

 

「――なんてことしてくれたのよ⁉︎」

 

 縄梯子を登り、海賊船の上にたどり着いたルフィとエレノアを最初に出迎えたのは、一人の少女の激しい叱責の声だった。

 船の中央のマストに、ショートヘアーの少女が縛られて立たされている。その周囲を柄の悪い男たちが取り囲んでいて、ニヤニヤと少女を見下ろしたり、あるいは訪問者たちであるルフィとエレノアを睨みつけてきたりしている。どう見ても、あまりいい雰囲気ではなかった。

 海賊たちに囲まれている少女―――アンは微塵も臆する様子はなく、船に上がり込んだルフィたちをキッと睨んで声を張り上げた。

 

「バルーンを連れてくるなんて……見てたわよ⁉︎ あんたたちが捕まえているところ‼︎」

「?」

「なんだお前。あのパンダの飼い主か?」

「パンダじゃないわよ‼︎ 怪鳥(ルク)よ‼︎ それにペットじゃなくて友達‼︎」

 

 くわっと凄まじい表情で吠えるアン。縛られているのになかなかの気迫だ。

 一方でアンの罵倒を聞いていたエレノアが、ふと耳にした名前に目を見張った。

 

怪鳥(ルク)⁉︎ ……なるほど、狙われるわけだ」

「ん? エレノア、なんか知ってんのか?」

「えっとね」

 

 仲間が何を理解したのかわからず、首を傾げたルフィにエレノアが説明しようとした時、海賊の一人が船室から飛び出し、仲間に声を張り上げた。

 

「船長のお出ましだ‼︎ 並べ野郎ども‼︎」

 

 その声に、船員たちの間に緊張が走った。ぞっと顔を青く染めた彼らは急いで二列に並び、船室から続く道を作った。微動だにしない直立の姿勢は小刻みに震えて、冷や汗が滝のように流れ出している。

 ただ船長を迎えるだけの雰囲気とは思えない張り詰めた空気に、ルフィとエレノアは訝しげに目を細めた。

 

「なんだ? どうしたんだあいつら?」

「お出迎えにしては……ずいぶん大仰だね」

「きた……あいつが!」

 

 船員たちの表情は、まるで死を目前にしているようだ。

 そんな二人の疑問に答えたのは、船員たちと同じように震えながらも、必死に耐えているアンだ。恐怖に屈しそうになっているものの、それを押し殺しているようだった。

 エレノアはアンのそばまで寄り、声を潜めて尋ねてみることにした。

 

「……彼らがあそこまで怯えるなんて、何者なの? この船のキャプテンは」

「……“六角”のシュピール。この辺りで恐れられている海賊で、魔術使いよ」

「!」

 

 アンが言った言葉に、エレノアが何故か目を細めた。反対にルフィは口をへの字に曲げ、意味がわからないといった表情を浮かべた。

 

「魔術〜?」

「ええ、そうよ。あいつの怒りに触れたら、街一つだって簡単に消し飛ばしたって話もあるんだから」

「…………ふーん」

 

 なぜだかはわからないが、エレノアはどこか不満げな声で相槌を打っていた。フードの下で目を細め、海賊たちが作る道の先に現れた男を睨みつけた。

 そこに、六角のシュピールはいた。面長の顔で、自分の髪を左右で三つ、合計六つに束ねていて、独特な髪型は確かに六本の角のように見える。一度目にすれば忘れる方が難しそうな、インパクトのある見た目だ。

 しかしそんな見た目を別にしても、常人とは思えない怪しさと不気味さを感じさせる雰囲気が漂っていた。

 

「ご苦労だったな。…それにしても小舟で二人旅とは妙な連中だな」

 

 小さな細い目からじろじろと無遠慮な目を向け、ルフィとエレノアを見下ろすシュピール。明らかに見下したような視線に、対象ではないアンも嫌悪感で表情を歪ませた。

 だが、当のルフィとエレノアは何やら顔を寄せ合うと、ヒソヒソと囁き始めた。

 

「……なー、エレノア。あれさ」

「……うん。私も思った」

 

 反対にシュピールの顔を無遠慮に観察しながら、何かを同意し合う。訝しげな表情になるシュピールに気遣うことはなく、ちらとらと視線を向けては聞こえない大きさの言葉を交わす。

 そしてやがて口にした。

 

 

「「すげー変な頭」」

 

 

 決してこの船では、言ってはならないことを。

 

「⁉︎」

 

 ザワッ……と海賊船に冷たい風が吹き抜ける。誰もが目を見張り、耳を疑い、あるいは気絶した仲間を抱きかかえ静かに狼狽する。

 この船では船長が絶対であり、逆らうことは許されない。機嫌を損ねでもすれば船員でさえもタダではすまず、まず生きては帰れない。なんのためらいもなくばかにしたこの二人が、タダですむはずがなかった。

 捕らえられているアンも、サーッと顔面を真っ青にして震え始めた。

 

「あんたたち……‼︎ なんてことを‼︎」

「だって見ろよあれ」

「おっかしー」

 

 船の空気が凍りついて行くことを全く気にしていないのか、当の本人たちはケラケラと笑い転げている。その無謀さに、アンは開いた口が塞がらなかった。

 

「…………‼︎」

 

 シュピールの額に無数の血管が浮き出し、ピクピクと痙攣を始めた。毎日セットに時間をかけ、自慢とも言える髪型をバカにされた魔術使いは、凄まじい殺気とともに震える声を張り上げた。

 

「こいつらを牢にぶち込んでおけ‼︎」

 

⚓️

 

「いー景色だなー」

「牢屋にしては破格だよねー」

 

 ガレオン船の奥の倉庫の横に位置する鍵付きの部屋に、ルフィとエレノア、アンは入れられた。ジメジメとした船室はどう考えても居心地最悪であったが、二人ともそんなことを感じさせないほどあっけらかんとしていた。

 

「……あんたらを殺してやりたいわ」

「やめてくれ」

「……何言ってんだか。殺されそうだったのは君の方でしょ」

「まぁ、そうだけど……」

 

 自分が危険なことをしていた自覚はあるのか、アンはそれ以上反論できずに唇を尖らせた。

 膝を抱えて丸くなる少女に、エレノアは小さくため息をつくとぽりぽりと頭をかき、隣にちょこんと腰掛けた。

 

「そもそもさ、なんで君は捕まってたの? どう見ても一般人にしか見えないけど」

「かわいいからよ」

「…………」

 

 間髪入れずに応えたアンに、じとっと疑わしげな視線を送るエレノア。本気で言っているのか、とでも言いたげだったが口にはしなかった。

 

「お、おう。そうか」

「……あっそ」

 

 ルフィは戸惑いながら、エレノアは興味を無くしたように目をそらし、再び海を眺める作業に没頭し始めた。あまり突っ込むのも後々めんどくさそうだ、と顔に出ていたが、幸いアンには見えていないようだった。

 

「そういうあんたたちこそ、なんでこんな海を小舟で旅してんのよ」

 

 アンはそう言って、色々と見た目に差がありすぎる二人組に改めて問いかける。小舟で旅をしていたことといい、関係性の見えない見た目といい、一体何者であるのかさえ判断がつかなかった。せめて旅の目的ぐらいは聞かせてもらおうと、アンはじとっとした視線で二人に尋ねた。

 そんな案に、ルフィが満面の笑みを浮かべて答えてみせた。

 

 

ひとつなぎの大秘宝(ワンピース)を探しにいくんだ」

 

 

 その言葉に、アンは一瞬だけ思考が停止する。数秒固まっていた彼女はようやく再起動を果たし、ルフィの方を振り向いて大きく目を見開いた。

 

「ハァ⁉︎」

 

 あんぐりと口を開けて言葉も出ない様子のアンに、ルフィはしししと誇らしげに笑っていた。

 

「それって……偉大なる航路(グランドライン)に向かうってこと⁉︎ たった二人で⁉︎」

「おう。けど今は仲間探しかな」

「まだ私だけなんだけどねー」

「…………‼︎ バカすぎる……‼︎」

 

 のんきに笑っているルフィとエレノアに、アンは開いた口が塞がらないと言った様子であきれかえり、壁に後頭部をぶつける。

 

「バカすぎるわよあんたたち……‼︎ あの海賊王が死んでから20年……誰もいまだ見つけていない、そもそも実在すら怪しい伝説よ⁉︎ 本気で死ににいくようなもんじゃないの‼︎」

 

 アンは自分で言って、よりその夢の無謀さを感じ取ったらしい。肩をすくめ、小馬鹿にしたようにため息をついた。

 

「はっ……呆れた。何を考えているのかと思ったら……そんなバカなことを……」

「……それでいいんだよ」

 

 かける言葉さえ見つからない様子のアンに、逆にエレノアの方が呆れたように言った。

 視線を向ければ、フードの下の青い目を光らせているエレノアの姿が目に入る。その声は、ルフィの夢を笑うアンに少しだけ怒りを覚えているように棘が混じったものだった。

 

「私は、つまらない男についていくつもりなんてない。とんでもない大法螺を吹いて、それを現実に変えるくらいの野望を持ってくれなきゃ、私はこいつと一緒に行こうなんて思わなかったよ」

「……相棒が相棒なら、あんたもあんたよ」

「そんなことは百も承知だよ。ね、ルフィ」

「ああ。俺は命をかけて、この夢を追うって決めたんだ」

 

 エレノアに背中を押されたルフィはそう言って、麦わら帽子の以前の持ち主―――故郷の村に長く停泊していた優しい海賊・シャンクスとの約束を思い出していた。

 彼に憧れ、彼と彼の仲間の後を追い、海賊になりたいと夢を持った。だがシャンクスは、共に行くことを許してくれなかった。

 自ら頬にナイフで傷をつけ、度胸を示して見せたが彼の答えは変わらなかった。『お前のようなガキを連れて行けるか』、と頑なに拒んだのだ。当時のルフィはただバカにしているのだと思い、憧れながらも反発していた。

 だがとある事情でルフィが窮地に陥った時、その真意を知ることになった。海の主とも言える巨大な海生物に食われかけたルフィを、シャンクスは文字通り身を張って助けてくれた。

 左腕を、犠牲にして。

 彼は知っていたのだ。海の過酷さも、ルフィの非力さも。

 だが彼は怒らなかった。友達の命に比べれば安いものだと、笑ってみせたのだった。

 ルフィは改めて、シャンクスという男の偉大さを知ってより強い憧れを抱き、己もそんな男になりたいと思った。

 麦わら帽子は、彼との別れの時に渡された物だった。

 

 ―――この帽子を、お前に預ける。

    俺の大事な帽子だ。

    いつかきっと返しに来い、立派な海賊になってな。

 

「この帽子に、シャンクスに誓ったんだ‼︎」

 

 少年の大いなる野望は、10年の時を超えてもなお健在であった。

 

「俺は、海賊王になるってな‼︎」

「…………」

「ルフィ」

 

 誇らしげに帽子をかぶるルフィに、アンは気圧されたように呆け、エレノアはウンウンと満足げに頷く。

 アンはドクンドクンと騒ぐ胸を押さえ、ルフィとその頭に在る麦わら帽子をじっと見つめる。

 

「……大事なものだったんだ。その帽子」

「ああ、俺の大事な宝だ」

 

 迷うことなくそう言ってのけるルフィに、アンはふと考える。

 自分には、そこまで胸を張って言えるものがあるだろうか。命をかけてでも、世界に喧嘩を挑んででも貫きたいと思う意志が、守りたいと思う何かが。

 その脳裏に、自分の親友の姿が浮かんだ。

 

「……私にとっては、バルーンがそうだわ」

 

 それだけは、はっきりと言える。誰になんと言われようと、彼は自分の大切な(親友)であると。

 

「見ろエレノア。クジラだ」

「おお!」

「聞きなさいよ‼︎」

 

 最もその熱意は、この場にいる二人の耳には全く届いてはいなかったが。

 

 

 そうやって、居心地の悪い牢屋での時間を過ごす三人だったが、しばらくして寝っ転がっていたルフィがおもむろに起き上がった。さすがにこの空間に飽き飽きしてきたらしい。

 

「……飽きた、出ようここ」

「そだね」

「何言ってんのよ……そんなことができるならもうとっくに……」

 

 呆れたように吐き捨てるアン。鍵もないのにどうやって出るというのか。

 そう思っていたアンの視界の端で、青白いスパークが走った。

 

「……………………え?」

 

 振り向いたアンが見たのは、スタスタと歩き去って行くルフィとエレノアの背中だった。二人とアンの間には牢の格子があり、変わらず道を塞いでいる。

 アンは恐る恐る格子の扉に触れ、音を立てないようにゆっくり押して行く。すると扉は、キィとわずかな音だけを漏らして簡単に開いてしまった。

 

「な、何……? どうやったの……?」

 

 アンは呆然となりながら、扉とエレノアたちを何度も見比べて声を漏らす。

 エレノアは立ち止まると、小首を傾げて見せた。

 

「んー、手品?」

 

 アンは肩を落とし、それ以上は深く聞かなかった。はぐらかされたような、聞いてはいけないような気がして気が咎めたが、やはり気になって仕方がなかった。

 

「……ねぇ、あんたももしかして、魔術を使えるの?」

「んーん。魔術なんて私は使った覚えないよ」

「でもまー。似たようなもんか?」

「かもねー」

 

 どうということはない、とでもいうように笑い合うルフィとエレノアに、アンは驚きを隠しきれない。

 得体の知れない二人組であったのに、だんだんとその背中に頼もしさを感じ始める。もしかしたら、と思ったアンは、歩いて行く二人を思わず呼び止めていた。

 

「ねぇ。バルーン取り戻すの手伝ってよ。あんたたち、ひとつなぎの大秘宝(ワンピース)を目指すくらいなんだから強いんでしょ?」

「やだよ。自分でやりなさい」

「俺たち、船壊れたから代わりのもん探さねぇと」

 

 にべもなく断られ、アンはムッと表情を険しくさせる。

 少しくらい考えてくれてもいいだろう、とせっかく湧いた先ほどの頼もしさは一瞬で消え去ってしまった。

 

「ケチ‼︎」

「あんたの友達でしょ。そんな風に人に頼る前に自分でなんとかしなさい」

「いーだ‼︎」

 

 呆れた目で拒否するエレノアにアンは実にブサイクな顔で舌を出し、ふんと鼻息荒く外に向かって駆け出して言った。

 

「……子供だなー」

 

 エレノアはそんな彼女に呆れた視線を向け、やれやれと肩をすくめてルフィとともに通路の奥へと歩き出した。

 

 

「お〜。俺たちが乗ってきた船より良い船ができたな!」

「材料は腐るほどあるからね。ま、相手は海賊だし文句は言わせないよ」

 

 ムン、と胸を張るエレノアだったが、ふと彼女のフードの下の耳が何かを捉えた。

 

「……あれは」

 

 すぐに窓際に寄って外の様子を確認下エレノアは、目を細めて声を漏らした。

 外にあったのは、大勢の海賊たちに囲まれながら、武器を手に一人の男と戦っているアンの姿だった。

 

「ハァッ……ハァッ……どう? 私だって、ただの可愛くてか弱い女の子じゃないのよ!」

「くっ……くそっ‼︎」

 

 どこで調達したのか、丈夫そうな鉄棍を突きつけたアンが、挑戦的な目で倒れた男を睨みつけ、呼吸も荒く笑みを浮かべた。

 

「さ、いいでしょう⁉︎ 約束通りバルーンを返して‼︎ あんまりしつこいとあんたもただじゃおかないわよ⁉︎」

 

 荒くれ者の一人を倒したアンが、離れたところから見下ろしていたシュピールに向かって怒鳴る。

 どうやらアンはエレノアたちに言われた通り、自分の力だけで親友を取り戻す決意を固めたらしい。それも、海賊と賭けをするという形で(・・・・・・・・・・・・・)

 

「…………」

 

 シュピールはしばらくアンと倒れた手下を見下ろしていたが、おもむろに手下に向かって掌を向けた。

 その瞬間、アンによって打ち負かされた手下の体が、なんの前触れもなく業火に包まれた。手下の全身が発火し、あっという間に火達磨と化したのだ。

 

「ぎゃあああああああ⁉︎」

 

 突然のことに手下は悲鳴をあげ、他の手下たちにも戦慄が走る。その凄惨さにアンも言葉を失って硬直し、体が震えるのを感じた。

 人一人を生きたまま燃やしておきながら、シュピールに全く心が揺れた様子はない。鬱陶しいから、役に立たないから、邪魔だから、そんな悪意だけでこの男は命を奪って見せたのだ。

 それが、東の海(イーストブルー)を震え上がらせるシュピールの恐るべき姿であった。

 

「馬鹿め……小娘一人にいいようにあしらわれやがって……」

「…………‼︎」

「……まぁいい」

 

 不意に、シュピールはアンの足元に何かを投げつけてきた。アンは目を見開き、チャリンと音を立てて滑ってきた、いくつかの鍵がぶら下がったリングを拾い上げた。

 

「!」

「檻の鍵だ。好きにしろ」

 

 その言葉に、アンは急いで檻に向かって走った。

 シュピールが約束を守ったことに驚きながら、他のことを一切考えずに親友を助けようと無我夢中になっていた。

 

「バルーン! すぐに助けてあげるからね‼︎」

「クエーッ‼︎」

 

 アンが掲げた鍵に、バルーンも檻の中でバサバサと暴れて喜びをあらわにする。

 あと数センチで鍵穴に届く、自分の宝物が戻ってくると確信した、その時だった。

 

 

 ドンッ‼︎

 

 

「⁉︎」

 

 衝撃がアンの体に走り、全身から一瞬で力が抜ける。つんのめったアンは、そのままバルーンのいる檻に向かって顔面から倒れこみ、ズルズルと崩れ落ちた。

 

「…………ククッ」

 

 血を流し、ピクリとも動かなくなったアンに向かって、シュピールの含み笑いが響いた。魔術師はブルブルと肩を震わせ、やがてこらえきれないとばかりに盛大に笑い転げ始めた。

 

「クハハハハハハハ‼︎ 海賊が約束なんざ守るわけないだろうが、馬鹿な娘だぜ‼︎」

「ぎゃははははははは‼︎」

「…………‼︎」

 

 部下たちもシュピールとともに笑い始め、耳障りな合奏となってアンの耳に突き刺さった。

 シュピールたちの嘲笑に、アンはうつ伏せに倒れ伏したまま悔しさに涙をにじませる。騙されたことへの悔しさ、ばかにされたことへの恥、そして何より、のこのこ海賊なんかの言うことを信じてせっかくの機会を不意にしてしまったことが悔しかった。

 バルーンへの申し訳なさで、溢れ出る涙を止めることができずにいた。

 そんな時だった。ガチャリと音がして船室の扉が開いた。

 中からひょっこりと顔を出したのは、間の抜けた顔のルフィと苦虫を噛み潰したような顔のエレノアだ。

 

「……ん? あ、変なとこに出ちまった」

「!」

 

 せっかく檻から逃げ出してきたのに、わざわざ自分から海賊たちの目の前に出てきた二人に、海賊たちの嘲笑じみた視線が集まる。

 ずかずかと我が物顔で海賊たちの真ん中に踏み入ったエレノアは、血の中に倒れるアンと煙を吐く銃を持ったままのシュピールを見やって、小さくため息をついた。

 

「……これ、あんたが?」

「あ? だとしたらなんだ?」

 

 なおも小馬鹿にしたように笑うシュピールに、フードの下のエレノアの青い目が細まる。ルフィも表情こそ変わらないが、何かを考え込むように海賊たちを見つめていた。

 

「…………」

 

 やがて、海賊たちの眼差しが訝しげなものに変わり始めた頃、ようやく二人は固く閉ざしていた口を開いた。

 

「「アメンボみたいだよな、その頭」」

 

 ルフィとエレノアが乗り込んだ時以上の衝撃が、シュピールの配下たちの間に走った。ある者は顔を青ざめさせ、ある者は恐怖に涙を流し、ある者は白目を剥いて気絶し、ある者は悲鳴を上げて頭を抱えた。

 だがそれ以上に、二度も自慢のヘアースタイルをばかにされたシュピールの怒りは燃え滾り、爆発寸前にまで届こうとしていた。

 

「あいつらまた……‼︎」

 

 倒れたまま動きを止めていたアンもあまりに怖いもの知らず、もとい馬鹿な二人組に顔をしかめる。夢のために命を懸けると言っておきながら、せっかく助かった命を軽々と捨てようとしているとしか思えない言葉に怒りが募ってきた。

 すると、ルフィとエレノアは自らアンの方へ近寄り、倒れたままのアンに呼びかけ始める。

 

「オメーこんなとこで何寝てんだ?」

「違うわよ‼︎ 撃たれたの‼︎ ほら、ココ‼︎ せっかく死んだふりして隙を窺ってたのに……‼︎」

 

 空気の全く読めない質問に、アンは自分で言った死んだフリも忘れてわめき散らす。黙っているつもりだったが、もう我慢の限界だった。

 だが、その表情もすぐに変貌することとなる。

 ドンッと音がして、ルフィの体がくの字に折れ曲がった。アンは悲鳴を上げて目を覆い、目の前で人が殺されたことに愕然となる。

 額に血管をいくつも浮き立たせたシュピールが、激情のままにルフィの腹に向けて銃弾を撃ち放ったのだ。今度の弾は掠るだけではなく、正確にルフィの急所を狙って撃ち込まれたものだった。

 

「ヒヒヒ…バカな奴らだ」

 

 まだ把握できていないのか、エレノアはその場に立ちすくんだまま一歩も動けずにいる。相棒が殺されたことに多大なショックを受けているのだろう、と海賊たちは下卑た笑みを浮かべた。

 が、その下衆の表情は次の瞬間目を見開いた間抜けなものへと変わった。

 銃弾を受けたルフィがそのまま踏ん張り、衝撃に耐える一方で、背中の肉が長く伸びていく。銃弾は一向に肉を貫くことはなく、肉の膜に包まれて勢いを完全に殺されていた。

 

「ふんっ‼︎」

 

 突如、ルフィの上げた威勢のいい掛け声とともに、銃弾を包んで伸びていた皮膚がビヨーンと元に戻り、逆に銃弾を弾き飛ばす。

 跳ね返った銃弾はシュピールの頬をかすめ、一筋の傷を刻みつけた。

 

「あーびっくりした」

「……………………………………は?」

 

 シュピールも、そして配下たちも目の前で何がおきたのか全くわからず、あんぐりと口を開いたまま帽子を被り直すルフィを凝視する。さすっている腹に別段変わった部分はない。何かを仕込んでいる様子は、全くなかった。

 

「何、今の……」

 

 アンもまた、目の前で死んだものと思っていた男が平気な顔をしている姿に言葉を失う。

 度胸は只者ではないと思っていたが、本当に普通の人間ではなかったと言うことなのか。

 

「バッ……バケモノだ――――‼︎」

「たっ、弾を弾き返しやがった―――――⁉︎」

「も、燃えろ‼︎」

 

 銃を捨てたシュピールは箒を手にし、魔力を込める。すると赤い閃光が箒から迸り、ルフィとエレノアの目の前に真っ赤な業火が発生した。人間一人を軽く焼き殺せる威力の炎が、二人に向かって襲いかかっていく。

 しかし、その熱が届く寸前にエレノアが動いた。赤く燃える炎の前に躍り出ると、外套の下から出した小さな両手のひらを拍手のようにパチンと打ち鳴らし、炎に向かって突き出した。

 その瞬間、エレノアの掌の前にゴボゴボと水分が凝縮し、あっという間にエレノアたちを守る水の盾が生み出される。水は炎を一瞬で呑み込んで押さえつけ、ジュウッと一瞬のうちに消し去ってしまった。

 シュピールの顔が、また面白い形で固まっていた。

 

「うっそ――――――――⁉︎」

「……おいおい、触媒使ってその程度かよ三流」

 

 宙に手のひらを向けたまま、エレノアは厳しい口調でシュピールに吐き捨てる。フードの下で光る青い目はどこか鋭く、苛立たしげな雰囲気が漏れている。

 

「〝賢者の石〟なんて反則級の代物使ってその程度なの? よくそんなんで魔術師なんて名乗れたね?」

「なっ…⁉︎ なななななななんのことだ⁉︎」

 

 エレノアが漏らした単語に、シュピールはギクリと肩を揺らした。表情がこわばり、慄くようにエレノアから距離を取っていく。

 図星か、というようにエレノアは肩をすくめ、深いため息をこぼした。

 

「誇りも矜持も持ち合わせちゃいない……錬金術師の風上にもおけないね、お前」

「錬金術師……?」

 

 訝しげな声を漏らすアン。それはそうだ、魔術師だけでも現実では信じがたかった名称なのに、その上金を人工的に作りだす技術だという錬金術などと口にするのだから。

 だが、エレノアにふざけている様子はない。困惑する案に、エレノアは丁寧に語り始めた。

 

「万象一切の創造原理を理解し、世界の輪を己の手の中で作り出すことであらゆるものを再構築する術……そして、理の根源を探求し追求する科学者、それが私達錬金術師」

「………⁉︎ 何故、貴様がそれを……⁉︎」

「バーカ。あれだけ錬成反応出してりゃ素人でも気づくでしょ。プロが周りにいないからって調子に乗って隠す努力もしてこなかったの?」

 

 バカにしたようにいうエレノアが見つめるのは、シュピールの持つホウキ。その根元に取り付けられている赤い宝石だ。

 

「最初にあった時から、そのホウキが怪しいと思ってたんだよね……錬金術の効果を何倍にも増幅させる増幅装置、賢者の石」

 

 鋭い視線を向けられたシュピールは明らかに動揺し、今更宝石が付いた箒を背中に隠す。図星だ、というのはその反応で明らかだった。

 魔術などと言う得体の知れない力を謳って人々を恐れさせ、東の海を支配した気になっている詐欺師。エレノアには、そんなことのために自分と同じ力を使っていることがどうしても許せなかった。

 

「あんたは魔術使いなんかじゃない。ただのペテン師だ」

「で、出てこいハンマー‼︎」

 

 ホウキの赤い宝玉が再び発光し、シュピールの手の中に巨大なハンマーが出現する。銃も炎も効かないのならば、自分の手で直接叩き潰してやろうとでも思ったのだろう。

 短絡的なシュピールの思考に、エレノアはまた呆れたため息をついた。

 

「往生際の悪い……」

「そんなもんきくか‼︎」

 

 迫るハンマーに一歩たりとも引かないエレノア。彼女の前にルフィが立ちはだかり、グルンとその場で勢い良く回転する。

 すると、振り上げた右腕が回転の威力で長く伸び、鞭のようにしなりながらシュピールの顔面に叩きつけられた。シュピールは顔面に裏拳を叩きつけられ、鼻血を噴き出しながら吹き飛ばされていった。

 誰もが、その光景に目を疑った。

 誰も手が出せないと思っていた魔術師シュピールを、得体の知れない力で無力化した少女も、異形としか思えない身体で叩きのめしてしまった少年も。

 全てがまるで、夢でも見ているかのようだった。

 

「腕が伸びた……‼︎ さっきの炎といい錬金術といい……なんなのよ一体⁉︎」

「ん? ああ、俺、昔悪魔の実を食ってさ。―――全身ゴム人間なんだ」

 

 そう言ってルフィは、自分の頬を掴んで左右に引っ張ってみせる。すると頬は異常なほどに伸び、それなのにルフィは全く痛そうなそぶりを見せなかった。

 体が、ゴムとなっているのだ。

 

「ご…………ゴム人間…………⁉︎」

 

 戦慄の表情を浮かべた海賊たちが、青年を凝視する。

 悪魔の実、その悪名は、誰もが知っていた。食べれば様々な海の悪魔の力が身につき、物によっては相当な高額で取引される海の秘宝。さらには能力を得た代償として、海に嫌われて二度と泳げなくなるという呪われた代物。

 それを食し、能力を得たという事実に海賊たちは恐怖で言葉を失っていた。地上において、能力者に勝てるなどとは考えられなかった。

 

「そのまま一生伸び縮みしてろ!」

 

 その時、頭上から鋭く蔑んだ声が響く。

 その場にいた全員が見上げてみれば、ホウキの上に乗って宙に浮いたシュピールが、バルーンを縄でつないでルフィ達を見下ろしている姿が見えた。全員がルフィの力に呆けていたすきに、バルーンを連れ出したようだ。

 一瞬でも目を離してしまったことをアンは後悔しながら、シュピールを憎々しげに睨みつけた。

 

「! シュピール!」

「まさか本物の錬金術師がいたとはな……カラクリを見破られるとは思わなかった。だがもはやそんなことはどうでもいい‼︎」

 

 シュピールが見下ろしているのは、ルフィとエレノアだけではない。

 自分が従えていたはずの部下たちまでも、まるでゴミのように見下していた。その視線に、部下たちは背筋に冷たいものが走るのを感じた。

 

怪鳥(ルク)は手に入れた。もうお前にもこの船にも用はない……‼︎」

 

 縄に繋がれたバルーンを誇らしげに見せ付けながら、シュピールは強大な魔力をホウキの宝玉に集めていく。その力は、蜃気楼のように大気を歪ませてしまうほどで、その場にいた誰もが恐怖で顔を引きつらせた。

 

「船ごと沈むがいい‼︎」

 

 シュピールが高らかに宣言するとともに、ルフィたちの乗るガレオン船にべきりと嫌な音が鳴る、その次の瞬間。

 ベキベキベキベキィィッ‼︎

 まるで前後から強烈な圧力がかけられたかのように、甲板に大きな亀裂が走る。ガレオン船は大きくのけぞるように変形し、中心から真っ二つにへし折れていく。強烈な圧力により、船はみるみる瓦礫の破片と化し、海へと沈み始める。

 

「‼︎ あのヤロウ仲間ごと‼︎」

「ぶわーっ⁉︎ 水だあああ‼︎ 溺れる―――――っ‼︎」

 

 当然、船の上にしか足場のないルフィ達も耐えられるはずはなく、傾いていく甲板に必死にしがみつきながら、轟音の中に埋もれていく。

 

 

「た……助けて……‼︎」

「シュピールのヤロー‼︎ 許さねぇ‼︎」

 

 瓦礫が浮かぶ海のど真ん中で、シュピールへの怨嗟の声が響く。

 船長に見放され、その上足場も奪われた男達は、もう姿の見えないシュピールに媚びへつらうこともなく口々に罵り続ける。それが無駄なことだとわかっていても、抑えきれない怒りを打ちまけずにはいられなかった。

 そんな中、海面にボコボコと気泡が浮き始めたかと思うと、三つの人影が勢いよく顔を出し、そこらにあった瓦礫にしがみついた。

 自力で浮き上がったエレノアは苛立たしげに、アンに助けられてようやく顔を出せたルフィは涙目になりながら荒い呼吸を繰り返した。

 

「……ぷはっ。アンニャロ〜…タダですむと思うな」

「た……助かった‼︎ 命の恩人だお前は‼︎」

 

 海の悪魔の呪いで全く泳げなくなったルフィが、助けてくれたアンに礼を言う。

 だが、それに返事はなかった。

 ルフィにしがみついたまま、肩を震わせて嗚咽を漏らしていたのだ。

 

「……ッ‼︎ バルーンはね、怪鳥(ルク)の最後の生き残りって言われてるの‼︎ でもっ……あいつが欲しいのはその生き血だけ……怪鳥(ルク)の血は魔力を持ってるっていうから……‼︎」

「……そうだ。だから聞き覚えがあったんだ。怪鳥(ルク)の血も、錬金術の効率的な触媒になるから」

 

 エレノアはようやく、シュピールがバルーンに固執していた理由を理解した。

 賢者の石とは別に、魔力を持つ怪鳥の血を手に入れれば、より強い力を手に入れることができる。そうなれば、もうシュピールに怖いものはない。

 

「あの子は……私とずっと一緒だった‼︎ だから私がどこにいても必ずついてきちゃう……私が、あの子の一番の枷になってる‼︎」

 

 アンは、自分の存在がいちばんの障害であることに気がついていた。どこにいても、自分が誰のもとに捕まっていようと、親友は自分の元に来てしまう。

 それが、何よりも悲しくて仕方がなかった。自分を許せなくなりそうだった。

 

「友達なのに……あの子に何にもしてあげられない……‼︎ 私のせいで、あの子がひどい目にあっちゃう‼︎ 私……悔しくて仕方がない……‼︎」

「……じゃあ、なおさら諦めたらダメ」

 

 後悔の涙を流すアンに、そっと優しい声がかけられる。

 赤くなった目で見上げてみれば、そばにびしょ濡れになったエレノアの青い瞳が見える。その目は先ほどまでとは違う、わがままな女の子を見守る母のような、そんな慈愛に満ちた眼差しに変わっていた。

 ザパッと音を立て瓦礫の上にルフィが立つ。その姿は、出会った時と何も変わらない、自信満々で堂々とした不敵な笑みが浮かんでいる。

 

「お前の宝だろ」

 

 アンの肩をポンと叩き、エレノアは瓦礫の上を飛び跳ねていく。海賊たちの視線を集めるのも全く気にせず、軽々と猫のように跳ねる。

 折れたマストの根元に降り立ったエレノアは、濡れて重くなったフードを邪魔だと言わんばかりに脱ぎ捨てる。その際、ずっと影に隠れていたエレノアの顔がようやく日の元に晒された。

 

「……⁉︎ エレノア、あんた……‼︎」

 

 アンは、太陽のもとにさらされたエレノアの姿に絶句する。

 小さいとは思っていたが、本当に背丈は10歳未満の子供にしか見えない。だが、黒いメッシュが幾筋も入った純白の髪の下の顔は、この世のものとは思えないほど完璧に整っている。

 いたずらっ子のようにつり上がった目も、長いまつ毛も、桜色で艶やかな唇も、伸びた鼻も、玉のような肌も、金色に輝く瞳も、全てが絶妙な間隔で揃っていて、見た者は息を呑む他にない。

 目を引くのは、髪の上に鎮座している黒い獣の耳とお尻から伸びている長く太い尻尾。縞々の模様が入ったその尻尾が、ゆらゆらと動いて存在感を放っている。

 だが、それ以上に圧倒的な存在感を放っているのは、大きく広がる真っ白な――翼だった。

 大きく、そして美しく広がるその翼には所々にメッシュのように漆黒の羽根が混じり、太陽の光を反射してまばゆく輝きを放っている。汚れを微塵も知らない、異形の(かたち)を。

 その姿は、まさに。

 

「―――天使―――」

 

 誰かが、無意識に呟いた。それはさざ波のように静かに浸透し、誰もがシュピールへの罵倒など忘れて見惚れていた。

 とん、と甲板の上から飛び立ったエレノアが、大きく翼を羽ばたかせる。キラメキをこぼしながら飛翔し、海賊たちの視線を独り占めにする天使の少女はマストが伸びた場所にまで飛翔し、その真上へと降り立った。

 

「錬成‼︎」

 

 エレノアが触れたマストが、閃光を帯びて変形していく。支柱はより太く、先端は二股に分かれるとU字型に曲がり、天に向かって伸びていく。支えとなる足場までもが、閃光の中で変形していく。海賊たちをすくい上げるようにして瓦礫が集まっていき、一枚の大きな板となっていく。

 数秒も経たないうちにマストは、ゴムのない巨大なパチンコへと変貌した。

 

「ルフィ、後は任せた‼︎」

「おう‼︎」

 

 エレノアの声で、ルフィは巨大パチンコの方へと駆け出していく。

 パチンコの支柱の両端に腕を伸ばすと、ぐるぐると巻きつけてガッチリと固定する。自身がパチンコのゴムとなるとルフィは走りの推進力を利用し、反対側まで長く長く腕を伸ばしていく。

 

「ゴムゴムのォ…………ロケット‼︎」

 

 バチンッ‼︎と凄まじい勢いで、ルフィは文字通り空を飛ぶ。

 シュピールのいる場所を正確に把握しなければならない、エレノアとの完璧なコンビネーションで追い詰めにいったのだ。

 

 

「……あんたたちなら、本当に海賊王とその船員になれる気がしてきたわ」

「でしょ?」

 

 呆れたように、腰を抜かして瓦礫の上に腰掛けるアンに、エレノアは誇らしげに胸を張った。

 その姿に、アンは乾いた笑い声をこぼす。

 

「それにしてもまさか、あんたが〝天族〟だったなんてね」

 

 アンはそう言って、エレノアの白く美しい翼を眺め、ため息をついた。

 天族、それは伝説に謳い継がれる、神聖なる存在。

 獣の耳と尻尾を持ち、背に生やした翼は陽の光に照らされて美しく輝くという。あらゆる知識を集めたその頭脳に際限などなく、その由来は神が与えたもうた力であるともいわれている。

 人よりもはるかに長い寿命を持ち、時に仙人のように語られることもある、神秘と謎に満ちた種族。

 何よりも、天族にはある言い伝えがあった。

『天族の乗る船は、絶対に沈まない』

 船乗りに語り継がれるそんな伝説が、この海には広く知れ渡っている。

 ゆえに天族は、船乗りたちにとっては喉から手が出るほど欲する存在であった。

 アンは、海風に髪を揺らす天使のようではなく正に天使な少女を見つめ、首を傾げて見せる。

 

「なんだって、伝説の天使様が海賊なんかに?」

「ちょっと縁があってね……彼の行く末を見届けることにしたんだ」

「……物好きね。でも、そうしようと思ったのは、わかる気がする」

 

 アンは羨ましげな微笑みを浮かべ、エレノアの隣に腰掛けた。

 日差しに照らされるエレノアの横顔は、どこか誇らしげに見えた。アンがなんとなく呟いた一言に、随分と気を良くしたようだった。

 アンは、そんなエレノアがどうしようもなく羨ましく思えた。

 

「あんたたちは、本当にすごいわね。……私は、最後まで頼ってばっかりで」

「アン」

 

 自嘲気味に目を伏せたアンは、ギリギリと拳を握り締める。自分のせいで親友を危険な目に合わせた、その事実が、自分自身を責め続けているのだろう。

 今、ルフィがシュピールを撃退したとしても、また同じようなことが起こるかもしれない。その時にまた自分が親友の枷になることが、怖いのだ。

 そんな彼女に、エレノアは慈愛に満ちた眼差しを送る。

 

「あんなこと言ったけどね、私はあんたがああ言ったから戻ってきたんだよ。……あんたが友達のことを強く思ったから、手助けしてやろうと思ったんだ。自分を、そんなに卑下しないで」

 

 アンは思わず、あっけにとられながらエレノアの青い瞳を凝視する。

 自分よりもひと回り近くは小さいはずの少女に慰められているというのに、全く屈辱になど感じない。まるで、早くに亡くした母になだめられているかのような安心感がある。

 そんな、不思議な感覚であった。

 

「―――自分に、負けないで」

「エレノア……」

 

 それだけで、心に巣食っていた闇が少しだけ晴れた気がする。

 まだ闇の全てが晴れたわけではない。だがそれでも、肩に重くのしかかっていた不安という重荷が、少しだけ取り払われた気がした。

 やはり最後まで、二人には助けられてばかりだ。

 アンは、そんなことばかり考えながら、安らかな微笑みを浮かべた。

 

「……ところでエレノア。アンタ、アレどうすんの?」

「……聞かないで」

 

 ジト目で見つめてくるアンに、エレノアは目をそらして現実逃避する。

 ついでに甲板まで復活させてしまったのが悪かったのか、海賊たちは本気でエレノアを天の使いか何かだと思ってしまったようで。

 みんな一斉にエレノアに向かって平服してしまっている、この光景を見なかったことにしていた。

 

 ―――ゴムゴムの‼︎ 銃弾(ブレッド)‼︎

 

 そんな中、遥か遠くから聞こえてくる咆哮と鈍い音が、少年の揺るぎない勝利を伝えていた。

 

⚓️

 

 小舟はいく。さらに先の海へと。

 大いなる夢と野望を持って、小さな船は波をかき分け進んでいく。止めるものなどいない、振り返ることなくまっすぐに突き進んでいく。

 目指すは、偉大な冒険の海だ。

 

「しししし! 食料も手に入って得したな!」

「運がいいんだかなんなんだか……ま、いいけどね」

 

 行き当たりばったりな旅路を心から楽しむルフィと、それに頭を抱えながらも笑みを浮かべるエレノア。

 結局、シュピールは空を飛んだルフィによって成敗され、空の彼方の星になってしまった。

 だが解放されたバルーンに頭を咥えられて意気揚々と戻ってみれば、すっかり改心した海賊たちがエレノアの作った小舟にせっせと食料を詰め込んで祈りを捧げていたのだ。

 異常な光景を目にしたルフィは、それでも愉快そうに笑い転げていた。

 

「お前だって、あいつが持ってた箒持ってきてんじゃねーか。おあいこだろ」

「ああ、これ?」

 

 エレノアはそう言って、シュピールから回収した箒―――正確には飾り付けられた真っ赤な宝石のような結晶を持ち上げて見せた。血のように赤く、怪しげな光を放つそれを、エレノアはフンと鼻で笑って見せた。

 エレノアは賢者の石を箒から外すと、宙に向かって放り投げる。そして、両手をパンと合わせると、青い閃光を纏わせて石を挟み込んだ。バシバシと眩い光が発生し、一瞬ルフィの目をくらませる。

 やがて光が収まり、エレノアが閉じていた手のひらを開くと、赤い結晶はサラサラと崩れて塵と化し、風に乗って霧散していってしまった。

 

「……こんなものはね、こうしたほうがいいんだよ」

 

 満足げに呟き、空に消えていく結晶のかけらを見やる。ルフィもしししと笑い、エレノアの判断を賞賛する。

 錬金術に関してはよくわからないが、あれは相当嫌なものだったことはわかった。持っておくよりも、跡形もなく壊した方が都合がいいのだろう。

 一仕事終えたエレノアは、大きく伸びをするとコロンと寝転び、空を見上げてくつろぎ始めた。

 

「……さて、次の島に着くまで何してよっか」

「そうだな〜。ま、のんびり行こうぜ!」

 

 楽しげに笑い、ルフィもまた寝転んでしばしの船旅を堪能することに決めていた。

 旅は始まったばかりだ。

 先の見えぬ無謀な旅だが、彼らに未だ絶望はない。それらを全て越えていく、止まらない熱い想いが体を突き動かすのだ。人が生きている限り、それらは決して、止まらない。

 

「ルフィ! エレノア!」

 

 遥か頭上で、バルーンに乗ったアンが大きく声を張り上げた。もうその顔からは、バルーンと共に生きていくことへの不安も迷いも、微塵も感じられなかった。彼女たちは、乗り越えたのだ。

 ルフィとエレノアは、満面の笑顔を浮かべるアンを見上げると、自分たちも大きく手を振って応えた。

 

「なれるといいね―――海賊王に‼︎」

「なるさ‼︎ 必ず‼︎」

「まかせておいてよ、必ず私が見届けるから‼︎」

 

 互いの姿が見えなくなるまで手を振り、その姿をしかと目に焼き付ける。この奇跡のような出会いが再び起こるように願いを込めて、笑い続ける。さよならは、言わなかった。

 

 

 この後、偉大なる航路(グランドライン)にて、〝麦わら〟のルフィ、そして〝妖術師(ウィザード)〟のエレノアと言う名の二人の海賊が、名を挙げることとなる―――。




反響が良ければ続けようと思います。
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