ONE PIECE −LOG COLLECTION : ELEANOR− 作:春風駘蕩
第146話〝遥か昔の出逢い〟
―――それは、遥か昔のお話。
まだ彼女が、その呼び名をつけられる前の頃―――。
「嵐に次ぐ嵐…‼︎ 大渦に…雪…!!! …まだ島は見あたり…ません……」
穏やかな海を、一隻の船が進む。
帆はボロボロ、船体は傷だらけ、風を辛うじて受け止め、浮いているその船の上で、船員の一人が息も絶え絶えになっていた。
「ホ…報告します………‼︎ 提督…我が船の食料はついに底をつき…これより我々は…遭難致します………」
「コックが倒れた‼︎」
「くそォ…ついに食料が……」
空腹のあまり、限界を迎えてしまったコックを囲み、他の船員達が嘆きを口にする。かくいう彼らも胃袋はすっからかんで、今にも倒れそうな状態である。
その時、船のすぐそばの海面でドボンッ、と激しい水飛沫の音が響いた。
「て‼︎ 提督!!?」
「何だ何だ」
「提督が海に…!!! 落ちた」
何事か、と集まってくる仲間達に、その光景を目撃してしまった一人が信じられないとばかりに目を見開いて返す。途端に、船上は騒然となり始めた。
「ここは〝偉大なる航路〟だぞ!!?」
「身投げなのか!!? おれ達を見捨てて!!!」
「提督ー‼︎ 提督ー!!!」
危険な生物がうようよいる、気を抜けば急激な気象の変更に襲われる。
そんなとんでもない場所に飛び込むなど、自殺行為以外にあり得ない、と船員たちが頭を抱えて狼狽える。
すると今度は、反対側の海からも水飛沫があがった。
「うわあああ副官まで落ちた―――!!!」
「そんなバカな!!! あの副官が!!?」
二度続いた、それもこの船において重要な位置にある者達の飛び込み。
異常事態に、だれもが冷静ではいられない。
「…空腹に耐えられず死を選んだのでは……⁉︎」
「バカいえ‼︎ あの2人は2度もこの海から帰還している偉人だぞ‼︎ 精神力ならおれ達より遥かに強い筈」
「じゃあ何だ、この几帳面にたたんだ服とクツ‼︎」
足元を指差し、ちょん、と丁寧にたたまれた衣類を指す船員の一人。まるで、身投げする準備のようなそれに、いよいよ正気ではいられなくなる。
だがその時、海面にとある奇妙な物が浮かび上がってきた。
「え⁉︎ くり」
「くり?」
それに気づいた誰かが声を上げると、それにつられた他の者も訝しげな視線を向ける。すると、反対側からも慄きの声が上がり始めた。
「おい、こっちにはネコだ」
「いや、ライオンだ!!!」
ざぱっ、と船の両側から顔を出した栗と獅子の耳。
それらは見覚えのある、今先ほど身投げしたと思われていた男女の特徴的な体の一部である。
二人は船をよじ登り、平然とした様子で甲板に這い上がる。思わず船員たちは、目を丸くしてそれを迎えた。
「提督っ‼︎ 副官っ‼︎ お……おかえりなさい」
「あァ、いま戻った」
「なかなかすばしっこいもんだ…ホラ」
そう言って二人は、片手に握った太いロープを船員に手渡す。
不思議そうに、ずっしりと思いそれを引っ張ってみたところ、ざばぁっ!と巨大な海生生物が顔を出し、船員たちに驚愕をもたらした。
「うおおおおおおおっ!!!」
「んな!!! 何ですかコリャ!!? て…提督!!!」
「まさかコイツら海中で仕留めたので!!?」
「メシにしてくれ」
「ハラがへった」
それは、船にも負けない巨体を誇る魚類であった。海中ならまず間違いなく餌になるしかない、獰猛で危険な生物が二体である。
しかしそれを為した男は全く驕ることなく、気だるげに船室に向かっていく。
「なまけているとやはり………………勘がにぶるな…………」
呟く男の隣で、ぶるぶるぶるっ!と全身を震わせる、純白の獅子の耳と鬣、尾を持つ、翼を生やした真っ白な女。
青紫色の目を輝かせ、アイザック・エインシェンは大きな欠伸をこぼした。
「大時化です!!! 提督〜〜っ!!! 副官〜〜っ!!!」
「見えている…さっさと倉庫から予備のをとって来い‼︎ 6番の箱の中だ‼︎」
「はっ…はいィ!!!」
グラグラと揺れる船内を、船員がバタバタと駆け回る。
エインシェンはそれに呆れた目を向け、落ち着けと言わんばかりの怒号を放って、素早く指示を放った。
「……もうこの航海は2年以上続いている…過去2度の一ヶ月の航海にくらべたら…まるで奇跡だな…………」
「にははは…‼︎ 奇跡なものか………単にお前がこの海に慣れてきただけの事よ!!!」
「そんなものか?」
「そうだとも‼︎」
とんでもない嵐の中を揺さぶられながらも、むしろ楽し気に航海日誌をつける男―――モンブラン・ノーランドに、エインシェンはからからと笑う。
その時、二人の表情が変わり、ノーランドが思わず天使の方に振り向いた。
「ん? なァエインシェン――今何か聞こえたか?」
「…あァ、聞こえた」
「え? 何の話を…?」
何か、通じ合ったふうに見せる上官二人に、会話が聞こえた船員が訝し気に問いかける。
「いや…何か美しい鐘の音のような…」
「提督~~~!!!!」
なんとも言い表しにくい、しかし確かに耳に残っている音について説明しようとした時、甲板から大きな叫び声が響いてくる。
すぐさま船室を飛び出したノーランドが目にしたのは、目を疑う光景だった。
「大波だァ~~!!!」
ゴゴゴゴゴ…!と轟音を響かせ、まるで巨大な壁のように迫り来る大波に、船員たちは完全にパニックに陥る。
直撃すればひとたまりもない、逃げ場のない天災を前に、だれもが絶望を抱いていた。
「よけろ!!! 飲み込まれるぞ!!!」
「よけるってどうやって!!?」
「舵切れ舵~!!!」
意味がないとわかっていながら、それでも泣き喚き駆けまわる船員達。
だが、この二人だけが平然と、その場に佇んでいた。
「こりゃデカいな…………任せていいか、エインシェン」
「ああ、承知した」
ノーランドの気の抜けた命に、エインシェンもなんということはないというように答え、前に出る。
すたすたと船の舳先近くに進み出た天使は、ゴキゴキと拳を鳴らし、大波に向かって構えた。
「我が〝王〟の覇道……邪魔をする者は皆、まとめて粉砕する…!!!」
ミシミシっ…と足場が軋み、異様な威圧感が彼女から迸りだす。
漆のように黒く染まっていく拳を構えたエインシェンは、獣のような獰猛な笑みを見せつける、そして。
「〝
裂帛の気合いとともに、大波に向かって拳が振り抜かれる。その直後、とんでもない暴風が放たれ、大波の中心に激突する。
直後、ぐぐっ…と大波が歪んだかと思うと、次の瞬間。
どっぱぁぁん!!と凄まじい轟音を上げて粉微塵に弾け飛んでしまった。
「「「「「えええええ~~!!!?」」」」」
目の前で起こった、我が目を疑う光景に、ノーランドを除く全員が目と口を全開にして棒立ちになる。
そんな彼らに、エインシェンは腰に手を当てて、快活な笑みを見せた。
「道はできた。そら…さっさと行くぞ」
黒々とした雲が広がる嵐の先、天使が切り開いた海の道の先に、その島はあった。
船員たちは久しぶりの陸の感触に歓喜し、年甲斐もなくはしゃぎまくっていた。
「……やァ〜〜〜…さすがは船乗りの守り神〝天族〟…!!!」
砂浜に降り立ち、ぐいっと大きく伸びをする、ローブを頭からかぶったエインシェンに、船員の一人が興奮気味に話しかける。
先ほどの光景を目の当たりにした興奮が、尾を引いているようだ。
「あなたの言う方向に舵を取ったら本当に島が!!!」
「うむ、嵐をしのげそうだ………ついでにちと、様子を見にいってみようか…」
称賛をあっさり流したエインシェンは、彼に聞こえないような小さな声で呟く。
ノーランドははしゃぐ部下たちを見やり、疑うような視線を向けた。
「お前達、本当に聞こえなかったのか………?」
「いいえ、鐘の音なんて誰も。なァ」
「あァ、空耳でしょう、お二人共‼︎」
はしゃいだまま返してくる部下たちに、ノーランドは不思議そうに首を傾げる。果たして、エインシェンも耳にしたあの音が聞き間違いなどと言う事があるのだろうか、と。
そんな彼らの耳に、ある音が届いた。
「ジョ〜〜」
それは、島を飛ぶ奇妙な姿の鳥が出した啼き声だった。
常にノーランド達の方を向き、間の抜けた音を出すその鳥の姿を目にし、船員たちは思わずぷっと噴き出していた。
「ぷ……提督‼︎ お二人の聞いた音ってのは!」
「ぎゃははははは…‼︎」
「コラコラからかうな。こんな珍妙な鳥の声などと間違うものか」
「バカにしすぎだ、小童共」
ゲラゲラと笑い転げる部下たちに、バカにするなとノーランドは声を上げ、エインシェンは不機嫌そうに半目を向ける。だが、その笑い声は不意に途切れた。
カラァァ…ン!
そんな、言葉では表現しがたい美しい鐘の音が、全員の耳に届いたからだ。
「驚いた……なんて美しい音色だ………」
直前までノーランド達を笑っていた者も、何も言えずその音色に酔いしれてしまう。
ただ只管に心奪われる、そんな素晴らしい音だった。
「―――人がいるようだな、やはり」
「詳しく聞きにいこうか」
「ああ」
「ちょ…ちょちょちょっと提督っ!!!」
我に返ったノーランドとエインシェンが、待ちきれないとばかりに歩き出し、部下たちが慌ててをその後を追う。
が、その足も次の瞬間止まる事となった。
「む? ……誰か倒れているぞ」
一行は砂浜に横たわる、腰布だけを巻いた一人の青年の姿を見つける。
青年は顔を上げると、悔し気に歯を食い縛り、ノーランド達を睨みつけた。
「…………しまった…侵入者………!!!」
「ノーランド、この小僧、様子がおかしいぞ」
「おい、君……‼︎」
ノーランドとエインシェンが声をかけようとするが、青年はバッとその場から逃げ出してしまう。
「待て、お前っ!!!」
慌てて後を追いかけるノーランドだが、すぐに青年は捕まえられた。
さほど距離を稼ぐこともなく、青年はよろよろと力なく倒れ込んでしまったからだ。
その体を診察した船医は、ある恐るべき事実を口にした。
「〝樹熱〟です。何の処置もされていない…………」
「うげっ‼︎ き……〝樹熱〟!!?」
「や…や、やべ〜〜ぞこの島ァ!!!」
「疫病じゃないか!!!」
船医の診断に、ノーランドを始めとする全員が戦慄の表情で後退る。
大の大人が情けなく見えるほどに、恐怖を抱かせる恐るべき疫病。それがこの島に蔓延っているのだと知らされ、誰もが怯える。
しかしそんな中で、エインシェンはじっと、島の奥に真剣な眼差しを送っていた。
「あの鐘の音が…もし本当に
険しい表情になったエインシェンは、横たわる青年の肩を掴み、その顔を覗き込んで尋ねた。
「小僧、健康な連中は全員どこにいった、しっかり答えろ!!! 何をしている!!?」
有無を言わさぬ、強い口調で問いかけるエインシェン。
青年はしばらく、彼女を憎々しげに睨みつけていたが、やがて固く閉ざしていた口を開き、語り始めた。
「娘を祭壇へ」
雨が降り続ける中、太鼓の音が辺りに響き渡る。
一人の美しい娘を、泉の中心に建てられた祭壇の上に置き、何十人もの戦士達が泉の周りを囲む。
「太陽の神………雨の神………森の神………大地の神よ…この娘の血と引きかえに…村をお救い下さい」
それは、島を襲う悪霊を祓うための儀式だった。
突如体に印が浮かび、高熱に襲われいずれは死に至るという、悪魔の呪い。それを祓うために、同じく呪いに襲われた神官が最期に神より下された答え。
それこそが、この生贄の儀式だった。
「来た、神がおいでに‼︎」
「カシ神様だ……‼︎」
するとやがて、泉の奥から長く太い、巨大な影が泳ぎ出てくる。
水面に顔を出したそれ―――水色の皮膚が目立つ大蛇はゆっくりと鎌首をもたげ、祭壇の上に備えられた娘を見下ろし、ちろちろと舌を出す。
「カシ神様」「なんて神々しいお姿だ」「カシ神様…………」
それは、異様な光景だった。しかし、彼らは真剣だった。
ただの怪物に襲われる娘の姿なのに、それこそが村を救う唯一の手段だと信じ、必死に祈りを捧げ続ける。
未開の地にはありがちな、根拠も何もないまさに神頼みの儀式だ。
「どうか母を……」「どうか息子を」「父をお助けください」
そしてついに、カシ神と呼ばれた大蛇が、娘に向かって大きく口を開く。
娘の命が儚く、無残に、無意味に散らされようとしたその時。
カシ神の首が突如、真っ二つに両断された。
「カシ神様!!!」
「キャ――!!!」
「何て事を!!!」
自分達をすくう神に起きた惨劇に、村人達は混乱に陥る。
何が起こったのか、と慌てふためいていた彼らは、祭壇の上で刃を手にした男の姿に気付き、すぐさま怒りをあらわにした。
「神殺しだァ!!!!」
「あいつは誰だ!!? 殺せ!!!」
「おれ達は呪われる――っ!!!」
大罪を犯した者の存在を認めるとともに、激しい憎悪の声を上げ始める村人と戦士達。
あっという間に、辺りは悲鳴と怒号が轟く地獄へと変貌した。
「娘を殺せ!!!」「侵入者もだ!!!」「すぐに血を捧げろ!!!」「祭壇で血を流せーっ!!!」
鬼のような形相で、罵倒の声を上げ続ける彼らを、血の滴る剣を手にした男、ノーランドは険しい表情で睨み返す。
それを呆然と見上げる生贄の娘に、ノーランドはそっと語り掛ける。
「儀式は終わりだ。恐かったろうな…」
そう言って、ノーランドは娘の手首の戒めを切り裂き、抱きかかえる。
雨で冷えた体に触れた、男の本心から案じる言葉に、娘はやがて目を潤ませ、わっと声を上げて泣き始める。
「もう大丈夫!!! 死ぬ必要などない!!!」
縋りついてくる彼女を抱き寄せ、ノーランドは雄々しく村びたたちの前に立ちはだかる。
堪えようのない怒りが、彼を突き動かしていた。
「カルガラ――っ!!!」
「そいつを殺してくれー‼︎」
「神の怒りをお鎮め下さい!!! 大戦士カルガラ様――っ!!!」
一方で、恐るべき大罪を犯したよそ者に対して、戦士達の方もついに動き始める。
泉を泳ぎ、祭壇へと渡った一人の男、多くの戦士達の中でも特にすさまじい覇気を放つ大戦士―――カルガラが、槍を手にノーランドに襲い掛かったのだ。
「――私は〝北の海〟ルブニール王国から来た探検家…」
「貴様が何者だろうと関係ない!!! 排除するのみ!!!」
ノーランドの言葉になど一切耳を貸さず、カルガラは凄まじい速度で突っ込んでくる。
歯を食い縛ったノーランドは剣を掲げ、真正面から振るわれたカルガラの一撃を受け止め、睨み合った。
「…そうやって排除してきたのか……‼︎ 全て………!!! 微々たるも重要な…‼︎〝進歩〟を!!!」
「貴様には何を言われる筋合いもない!!! この場で神々に償え!!!」
双方、己の中にある怒りに突き動かされ、各々の得物を手にぶつかり合う。
のちに伝わる二人の男の出逢いは、こうして最悪の形で果たされたのだった。