ONE PIECE −LOG COLLECTION : ELEANOR−   作:春風駘蕩

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第151話〝最低の女〟

 その知らせがエインシェンの元に届いたのは、ノーランド達との航海から五年が経ってからの事だった。

 自宅、と言うよりお気に入りの寝床である木の根元で微睡んでいたエインシェンは、息を切らせて走ってくる友人の姿に、片手を挙げてこたえた。

 

「……おォ、久しぶりだなノーランド。今日は何の用だ?」

「エインシェン……聞いてくれ、朗報だ‼︎」

 

 心の底から喜ばしそうな表情を見せてくる彼の話は、至極簡単だった。

 ルブニール王国の探検隊の〝偉大なる航路〟航海の許可が、聖都マリージョアから正式に下されたという知らせだ。

 

「そうか…許可が出たか」

「ああ……これでやっとまた会いに行ける‼︎」

 

 満面の笑みを浮かべるノーランドに、エインシェンも思わず破顔する。

 腰を上げた彼女は、いそいそと木の洞にしまっておいた大量の物資を探り、ぽいぽいと引っ張り出し始める。

 

「少し待て…あいつらに持っていく土産を準備しなければ。この5年でいろいろ考えたんだが、どれもピンとこなくてな………」

「ああ、いや、すまん! 実はな……」

「?」

 

 久しぶりに友人を尋ねられると、いつも以上に気分が乗っていたエインシェンだったが、ノーランドはそれに申し訳なさそうに制止をかける。

 訝しげに振り向く天使に、ノーランドは王から付け加えられたある命について聞かせる。

 その瞬間、エインシェンは大きく目を見開き、固まった。

 

「は⁇ あの王が〝偉大なる航路〟に⁇」

「そして許可が出たのは私だけだ………部下達は置いてゆく事になった」

「何を考えているんだあの男は!!!」

 

 思いもよらない、正気を疑うような命に、エインシェンは思わずノーランドに詰め寄ってしまう。

 彼に責はなくとも、かといって納得できる話ではなかった。

 

「考え直せ、ノーランド!!! ロクな航海経験を積んでいないこの国の兵士を連れて行った所で、何の役にも立たんどころか足手纏いになるだけだ!!! いたずらに殺すだけだぞ!!!」

「仕方がない……そう言う条件で航海が認められたのだから」

「………!!! せめて…‼︎ せめて私が一緒に…」

「それもダメだ」

「何故だ!!!」

 

 あの海の恐ろしさを知るが故、そして何よりあまりに無謀な条件に、ノーランドの身を案じる。

 だがそれ以上に、ノーランドはエインシェンの身を案じる眼差しを向け、諭すように優しく語った。

 

「身重の女を、あの海に連れて行けるわけがないだろう」

 

 有無を言わさぬ、確信した様子の言葉に、エインシェンの動きがピタリと止まる。

 グッと唇を噛み締めたエインシェンは、ノーランドに背を向け、ばつが悪そうなか細い声で問い返す。

 

「……………いつから気付いていた」

「ずっと前からだ。君はふと…自分のお腹に触れていることが多かったからな。無意識だっただろう?」

 

 言われて気付いたのか、苦虫を噛み潰した表情で自分の腹部に触れる。

 圧倒的な力を持ちながら、そういった抜けた部分を見せる友人に、ノーランドは思わず苦笑をこぼしていた。

 気まずそうにそっぽを向くエインシェンを見つめ、ノーランドは感嘆の声を上げる。

 

「天族の妊娠期間というのは、ずいぶん長いんだな?」

「……〝記憶の継承〟に恐ろしく時間がかかるんだ。短くても…10年、胎の中で我が子を留めねばならん」

「ならば余計に連れては行けないな………君の使命なのだから」

 

 正論を返され、エインシェンはもう反論することもできない。それはかつて、自分が彼に語った、一族の、そして自分自身に課した責務だったからだ。

 

「大丈夫‼︎ 土産は私が持っていく。伝言があるならちゃんと伝える! 無事に戻って来るとも…私は君の〝王〟なのだから」

「ノーランド………」

 

 快活な笑みを見せ、ノーランドは友人を安堵させようと告げる。

 横目を向けた天使は、しばらくの間迷うような素振りを見せていたが、やがてため息をこぼし、呆れたような笑みを返した。

 

「その言葉、違うなよ」

 

 トン、とノーランドの胸に拳を当て、誓いを立てさせる。

 そうしてようやく、二人は面と向かって、声を上げて笑う事ができた。

 

 だが、その約束が果たされる事はなかった。

 

⚓️

 

 その知らせが届いた事は、まさに晴天の霹靂というにふさわしかった。

 いつぞやと同じく寝床でくつろいでいたエインシェンの元に、かつての部下達が血相を変えて駆け込んできたのだ。

 

「副官‼︎ 副官〜!!!」

「何だ、どうしたんだお前達…」

 

 胡乱げに体を起こしたエインシェンは、急に胸中に湧き上がってきた嫌な予感に、険しい表情で部下達に向き直る。

 そしてもたらされた信じがたい情報に、天使は思わず呼吸を忘れるほど硬直し、目を見開いた。

 

「ノーランドが………虚言の罪だと!!?」

 

 自分の耳がおかしくなったのか、と疑うほどに唐突で、脈絡もない事態。

 部下達に詰め寄るも、彼らの見せる表情は、決して趣味の悪い冗談を口にしている様子はない。

 

「何なんだそれは!!! なぜそんな事になった!!?」

「わかりません…もうすぐ公開処刑が始まるって!!!」

「ふざけるな!!!!」

 

 意味もなく怒鳴ってしまったエインシェンは、突如膨れ上がってきた恐怖感に突き動かされ、部下達を置き去りに走り出す。

 だがいまの彼女に冷静な思考は残っていない。疑問符ばかりが浮かび、まともな思考すらできずにいた。

 

 ―――何があった…‼︎

    何があったんだノーランド…!!!

 

 混乱の渦に陥りながら、エインシェンは王国の中心、王都の広場に向かう。

 平和な時には催し物に使われるその場所には、今は高い台が造られ、その上に拘束されたノーランドと、刃を手にする兵士二人の姿が見える。

 サーッとエインシェンの背筋に寒気が走り、思考がより一層の鈍化を始めた。

 

「ノーランド!!!」

「おい待て何だあの証言者、あんな奴ァ知らねェぞ!!!」

 

 すでに裁判が行われていて、全く見覚えのない男が証言台に立っている。

 すかさず割り込もうと向かうエインシェンと部下達だが、偽物の英雄の処刑を見ようと集まった民衆に阻まれ、近付くこともできなかった。

 

「どけ…邪魔だ!!! 邪魔だと言っているだろうが!!!」

「誰だそいつァ、おれ達の仲間じゃねェぞ!!!」

「おい、ちょっと道を開けてくれ‼︎」

「提督〜〜!!!」

 

 部下達の声が聞こえたのか、項垂れていたノーランドが顔を上げる。

 そこに浮かんだ感情は、疑いをかけられた無念と、自分を助けようとしている友人と部下を案じるものだ。

 

「何があったんですか!!?」

「カルガラ達には会えたんですか!!?」

「ノーランドォ〜!!!」

 

 一向に退いてくれない民衆を相手に、エインシェンはひたすらに叫び続ける。

 そんな彼女の姿を目に止めたルブニール王国の国王が、傍に立った兵の一人に横目を向けて告げる。

 

「取り押さえろ。あの女は生かして捕らえておけ」

 

 王の命令で、十数人の兵士達が槍を手にし、民衆の方へ向かう。

 そして抗議を続けるエインシェンと部下達に槍の切っ先を突きつけ、あるいは拘束していった。

 

「何をするっ…やめろ!!!」

 

 両腕を掴まれ、身動きを封じられるエインシェン。

 本気を出せば簡単に抜け出せるが、すぐ近くにいる民衆への危険から、思い切り暴れることができない。

 だがやがて、我慢の限界が訪れた。

 

「おのれ…………やめろと言っているだろうがァ!!!!」

 

 自身の有する〝王〟の気迫を用い、兵士も民間人も見境なく、まとめて無力化させようと試みる。

 だがその寸前、背後から振り下ろされた一撃がエインシェンの脳を揺らし、彼女から意識を刈り取った。

 

「副官〜!!!」

「がふっ…」

 

 尋常ではない動揺、そして余裕のなさから防御も取れなかった天使は、頭から血を流して倒れこむ。

 ようやく静かになった広場に、裁判官の声が大きく響き渡った。

 

「探検家モンブラン・ノーランドを、虚言の大罪で〝打ち首〟に処すっ!!!」

 

 それを皮切りに、民衆から凄まじい罵倒の声が上がる。

 ウソつき、ウソつき、ウソつきと。自分達を乗せ、英雄を気取ろうとした男に対し、容赦のない罵詈雑言が叩きつけられる。

 その様に、ノーランドの部下達は涙を流して叫び続けた。

 

「提督がウソなんかつくかァ〜!!!」

「提督〜〜!!!」

「やめろ………やめてくれ!!! ノーランドォ〜〜〜!!!」

 

 だが、そんな彼らの声は、民衆の上げる騒音でかき消され、そして誰も聞き入れようとはしない。

 無情にも、泣き叫ぶ天使の前で刃は掲げられ。

 

「うわあああああああああ!!!!!」

 

 次の瞬間、あっけないほどに軽々と、彼女の〝王〟の首が宙に舞った。

 

⚓️

 

 ―――まったく…やってくれたものだ、あの男は。

 

 ジメジメとした、暗く狭い独房の中で、鎖をつけられて横たわる獅子の耳を持った天使。

 自由を奪われた彼女の耳に、ふとそんな声が届いていた。

 

 ―――この私が危うく死にかけたというのに、その結果がこれではな…!!!

 ―――失った兵の補充はいかがいたしましょう。

 ―――そのうちでよい。

    人間などどうせそのうち増える…。

 

 ―――だが………天族を一匹手に入れられたことは唯一の僥倖だったな。

    あの男がムダに名が大きいせいで、奪う事もできなかったが……〝ウソつき〟の部下がどうなろうと誰も気に留めまい‼︎

    これで不死の生き血は私の物‼︎

    それだけは役に立ったな、ハハハハ…!!!

 

 他に聞く者がいないのをいい事に、ルブニールの王は高らかに嗤う。

 冷たい石の床に伏せ、その声を聞いていたエインシェンは、ゆっくりと体を起こす。

 やがてその髪は、じわじわと黒く闇の色に染まっていった。

 

 

 

「…………我等が父よ。これが人間という種なら…果たして数百年も耐え抜いて守る価値があるのか…?」

 

 風が吹き抜ける王城のど真ん中で、片膝を抱えたエインシェンが呟く。

 あたりに動く人の姿は一つもなく、夜の闇がもたらす冷たさの中、無表情で漆黒の髪と翼を風に揺らす。

 その下の肌には、悍ましさを催す異様な文様が浮かんでいた。

 

「なァ、ルブニールの王よ…………あの海は生きているだけでも幸せな地獄だと言われていただろう……お前がワガママを言わなければ、そんな目に遭わずに済んだのだぞ。何を被害者のようなツラをしている……?」

 

 傍に転がる一つの首に向けて、エインシェンは恐怖感を催させる低い声で語りかける。

 恐怖で固まった形相で、虚空を見つめるもの言わぬ王の首を踏み潰し、エインシェンは唸るような声で吐き捨てる。

 

「おかげで私は〝王〟を失った…‼︎ キサマらの首でチャラにできるような安い首ではないのに………一体私は、これから何を支えに生きていけばいいのだ…⁉︎」

 

 彼女が腰掛けているのは、無数の無惨に引きちぎられた肉の上。

 破壊された王城の中、どす黒い赤色に染まった玉座の間の中心で、天井に開いた大穴から夜空を見上げた黒い天使は、物憂げにつぶやきをこぼした。

 

「あァ……何と醜く、浅ましい存在であろうな。創造主共よ……!!!」

 

 この日、ルブニール王国の王族の血は途絶えた。

 そして、たった一人で一国の精鋭達を屠り、血河を築き上げた最強最悪の女を、世界政府は〝天災妃(ディザスター)〟と呼び、高額の賞金首とした。

 

 

 

 それからの日々、エインシェンは他の部下達の力も借りず、ただ一人で海を渡り続けた。

 商船に、海賊船に、海軍の船に乗り込み、あるいは小舟を漕ぎ、約束の島を目指し、只管に旅を続けた。その先で見つけた光景に、彼女は絶句し立ち尽くした。

 

「これは…沈没したわけではない。何かに真下から吹っ飛ばされている…………島を吹き飛ばすなど、一体何が起こったんだ……!!?」

 

 半分だけ残ったセトの家、そして変わり果てた島を前に、愕然とした声が溢れる。

 そして旅の先で彼女は、信じがたい大災害について知ることとなった。

 

「これが……〝突き上げる海流〟!!! これなら確かに島をも吹き飛ばしかねない…………だが、だったら吹き飛ばされた島はどこに…!!?」

 

 状況を整理し、理解した彼女はさらに島の、友達の行方を探る。

 その先で彼女は、かつて耳にした空の果てにある〝空の海〟に行き着く。

 

「気流……時期………〝突き上げる海流〟の位置………!!! つまりジャヤの半分は…………雲の海に…!!!」

 

 そうと知ってから、エインシェンの行動の指針は決まった。

 移動し続ける空の海を目指し、その身一つで天を舞い、果てを目指し続けた。

 幾度となく失敗しようとも、海に落ちようとも諦めず、ただひたすらに友の行方を追い続けた。

 

 

 

「……ぐっ…ぬゥう…!!!」

 

 大樹の下で雨宿りをするエインシェンの口から、うめき声が溢れる。

 ここ最近の彼女は、わずかに飛ぶこともできなくなっていた。胎の中の子が、少しずつ大きくなってきていたのだ。

 

「ハァ……ハァ…重いなァ……子というのは、命とはこんなにも重いものか………‼︎ まだまだ……先のことだと思っていたのだがな…」

 

 ノーランドが処刑されてから、そしてカルガラ達の行方を追い始めてからすでに5年近く。

 子を宿したエインシェンの動きは、日に日に鈍くなり始めていた。

 

「…私は何て……醜いんだろうなァ…‼︎ 望んで孕んだお前を………煩わしいとなど思ってしまうなんて…!!!

 

 重い腹を撫で、荒い息をつくエインシェンは、不意に脳裏によぎった感情に自己嫌悪を抱く。

 育ち続ける命に申し訳なさを抱きながら、エインシェンは頭を抱えた。

 

(どうすればいい…!!? 伝えねばならん〝言葉〟は空の彼方…行く道は険し過ぎる……私が逝けば…如何にして彼の地へ約束を果たしに行ける………!!?)

 

 ぐちゃぐちゃになった気持ちを持て余し、エインシェンは雨雲の空を見上げる。なんの答えも見出せない自分に、誰でもいいから答えを示して欲しかった。

 

(我等が父よ……〝始まりの一人〟よ…‼︎ 私はどうしたらいい………!!! どうすればこの想いを、彼方に旅立った奴等に伝えられる…!!?)

 

 悔しさに顔を歪め、俯くエインシェン。

 その時、エインシェンの腹の奥から、どんっと衝撃が伝わった。

 

「…また蹴っ………‼︎」

 

 不意のことに、エインシェンは目を丸くする。

 その時、彼女の脳裏にある方法が浮かび、その動きを硬直させた。

 

「………そうか、その手があった」

 

 自分の腹を、その奥で未だ眠りにつく我が子を凝視し、エインシェンは呆然と呟く。

 ぞくっと怖気が走る手段だったが、当時の彼女には、それが最も確実で魅力的な道筋に見えていた。

 

(……この方法を使えば、まだ見ぬ我が子はまた…余計な重荷を背負う羽目になる。ただでさえ重過ぎる宿命を背負わされるのに……私のワガママで、より一層の責を背負わされる……………だが、それでも)

「ごめんなァ………こんな女が母親で」

 

 怖気付きそうになった彼女を引き止めたのは、今でも鮮明に思い出せる友人達の顔だった。

 もうどこにいるかもわからない彼らとの再会への希望が、彼女を魔女に変えてしまった。

 

「いや…私に母を名乗る資格などないな。一族の想いすら踏みにじる……約束一つ満足に果たせぬ、最低の女だ」

 

 自嘲気味に笑い、エインシェンは両手で自分の腹を撫でる。

 それが漆黒に染まっていくと、エインシェンは鬼気迫る形相で、黒い閃光を迸らせた。

 

「うまくいくかはわからぬ………だがそれでも、〝何か〟を残さねば…私は私を許せぬまま逝く事になるんだ…‼︎ 許しは乞わない…ただ……否定はしないでおくれ」

 

 答えの返ってこない、一方的な願いを口にしながら、エインシェンは胎の子に向けて、長い長い細工を行うのだった。

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