ONE PIECE −LOG COLLECTION : ELEANOR− 作:春風駘蕩
空は、昼間だというのに真っ暗だった。
黒々と広がる、目指し続けていた雲が、全ての光を遮ってしまっていた。
「………もうすぐだな。気紛れな災害と、空の海が重なる日がようやく来た…」
「……かか様? どこにいくの…?」
数ヶ月の間にひどく老けたように見えるエインシェンの傍らで、一人の幼子が不安気に母を見上げる。
エインシェンはフッと悲し気な笑みを見せると、幼子をギュッと強く抱き寄せる。これ以上ないくらいに、強く、優しく。
「遠い遠い……空のある島にな。…………友達との約束を…果たさなければ」
「エイジアを置いてくの……? やだ…ヤダよ‼︎ エイジアも連れて行って!!!」
「それはならん……お前には、私がダメだった時のために遺っていて欲しいのだ」
縋りついてくる娘に、エインシェンは胸を押し潰されるような感覚を覚えながらも、首を横に振る。
力の全てを使い果たし、衰弱しきった今の彼女には、娘の行く末を見届ける時間も余力も残されてはいなかったからだ。
「…ごめんよ。お前をこんな残酷な世界に置き去りにする事を……恨んでくれて構わない。お前には教えるだけで……何にもしてやれなかった」
「イヤだ……ヤダよぅ…!!! いかないで……かか様‼︎」
泣きじゃくり、服を掴んで離さない幼子は、いやだいやだと首を振る。
エインシェンは娘の頬をそっと挟むと、涙に濡れた目でその瞳を覗き込み、語り掛けた。
「エイジア……お前はお前の〝王〟を見出せ。きっとこの記憶を…………来るべき〝約束の日〟に繋いでおくれ」
そう言って、エインシェンは娘から離れ、背を向けて歩き出す。
後を追おうとする幼子を置き去りに、エインシェンは大きく翼を羽ばたかせ、天空に向かって勢いよく飛び出す。
そのまま母は、漆黒の空に向かって真っすぐに飛翔した。
「かか様!!!!」
幼子の見つめる先、母の姿は遠く消え去っていく。
その後の行方を知る者は、誰もいなかったという―――。
⚓️
―――そして、時は現代に戻る。
「ヤハハハハ!!! ここは空!!! 神の領域だ!!!! 全てが目障り!!! 人も木も土も!!! あるべき場所へ還るがいい!!!!」
悠然と空を舞う神の船『マクシム』の上で、スカイピアの〝神〟エネルが高らかに嗤う。
頭上に広がる黒雲を操り、無数の雷を叩き落とす彼は、壊れていく空の国を眺め、不気味な笑みを浮かべ続ける。
「全て青海に降る雨となれ!!! ヤ〜ッハハハハハハハハ!!! 我は神なり!!!!」
その声を聞く者は誰もいない。
ただ一人空に居すわり、数多の命を蹂躙する神の声が、辺りに響き渡った。
それを、ただ眺める事しかできない神の島にいる人々。
ルフィとナミを除く麦わらの一味もまた同じだったが、そんな中、耳にした言葉に反応し、振り向く者の姿があった。
「黄金の鐘………⁉︎ 貴様、今そう言ったのか…?」
「ええ」
ロビンの頷きに、ボロボロのまま目を覚ましたワイパーが目を見開く。
右往左往するウソップのことなど一切気にならない様子で、ロビンを凝視していた。
「それをエネルは狙ってるのか…⁉︎ なぜわかる…どこにあるんだ…」
「おい待てよ、そんなこと言ってる場合か、早く逃げよう死んじまうよ‼︎」
「このデケェ蔓の…頂上付近だ」
ゴロゴロと辺りに響く轟音と、走る稲光に怯えるウソップを放置し、同じく目を覚ましたアーレンが上を指差す。
「遺跡の地図にゃ…都市の中心部に大鐘楼はあったと記されてた……だが今は…そこには蔓がそびえ立ってる。この島が空に来た時に………蔓に突き上げられて飛ばされたんなら…もっと上空にあるはずだ」
老人から情報を得たワイパーは、何を思ってか巨大豆蔓に向かって駆け出し、しがみついて登ろうと試みる。
それを目にしたアイサが目を剥き、慌てて彼を呼び止めた。
「ワイパー‼︎ 駄目だよ‼︎ 今登ったって‼︎ 空を飛んでるエネルには追いつけないよ!!!」
あまりに無謀な挑戦だと、絶望に染まり始めた少女は悲痛な声を上げる。しかしワイパーは止まらず、傷だらけの身体を無理矢理動かす。
その時、空を見上げていたウソップが何かに気付き、仲間に声を張り上げた。
「蔓から離れろ!!! 何か落ちて来る!!!」
咄嗟の判断で、全員がその場から跳び退る。するとその直後、巨大豆蔓の一部分が焦げた状態で落下し、ズシンと大きな音をたてる。
危うく潰されかけたウソップは、サーッと顔中から血の気を引かせて固まった。
「…蔓の…………先端…!!! 上で何が…」
「〝神〟が……好き勝手暴れてんだろうよ…‼︎ クソッタレ…」
「お‼︎ お‼︎ おいまさかルフィ達の死体も一緒に落ちて来てやしねェか!!?」
島一つを空に縛り付ける程の、尋常ではない頑丈さを誇る巨大豆蔓でさえ、エネルの雷を受けてこの有様となっている。
人のなす事全てが無意味と絶望するには、十分すぎる光景だ。
「ワイパー‼︎ ほら! そんな体じゃ無理だよ‼︎」
「…………この真上にあるんだ…大戦士カルガラの切望の鐘が…」
アイサがワイパーの腕を引き、何とか退かせようとするが、大戦士の血を継ぐ男は天空を見上げたまま動こうとしない。
その時、降り注ぐ雷に注意していたウソップたちの表情が、異様なものを目にしたことで強張り始める。
「……何だァ…ありゃあ…………!!?」
それは、雷を生む黒雲に現われた異変だった。
黒々と広がっていた雲の一部が、徐々に形を変え球状の塊になっていく。それはさらに凝縮され、そしてゆっくりと移動を始めていたのだ。
「まさか…エネルがやってんのか…⁉︎」
「…エンジェル島の…真上だよ…………!!!」
「雷雲が球状に…」
「悪夢だ―――!!! この世の光景じゃねェ〜〜〜〜!!!」
その光景を目の当たりにしていたのは、ウソップたちだけではない。
巨大豆蔓の半ばにいるルフィとナミも、島から避難する空の住民達も、シャンディアの者達も、皆がその光景に目を奪われている。
多くの人々の視線を一点に集め、エネルはまたにやりと嗤った。
「〝雷迎〟!!!!」
ゆっくりと、降りていく雷雲の塊が、エンジェル島に触れる、その瞬間。
ビカッ!と稲光が迸り、凄まじい熱が放出される。
辺りを真っ白に染める程の閃光が迸り、そこにあった何もかもを呑み込んでいく。
そして、ようやく光が消えた時、そこには何も残されてはいなかった。
「何だ今の爆発は…‼︎ しかもまだ〝雷の雨〟は続くのか…!!!」
「とんでもねェ気流と幕放電の巣窟…!!! 島を丸ごと消しとばしやがった……!!!」
「もう…行きて帰れる気がしねェよ…!!!」
「………エンジェル島を…消しおったのか…!!?」
後に残っていた、海雲に開いた巨大な穴。
黒く焦げた跡を晒した、見るも恐ろしい光景に、誰もが立ち上がる気力を失くす。
ガン・フォールはがくりと膝をつき、大きな悲しみと怒りに頭を抱える事しかできなかった。
「何という…!!! 何という…!!! 非道を…!!! …エネル!!!!」
暗い暗い闇の中、エインシェンは漂い続ける。
限界を超えて、余りにも力の差がありすぎる肉体を酷使し、無情な攻撃を受け続けた彼女は、最早意識も定かではない。
そんな彼女の耳に、その声は届いた。
―――お前も見ただろ!!!!
〝黄金郷〟はあったじゃねェか!!!!
―――ウソじゃなかった。
ウソなんかついてなかった!!!
だから下にいるおっさん達に教えてやるんだ!!!
〝黄金郷〟は空にあったぞって…!!!
―――鐘を鳴らせば聞こえるはずだ!!!
じゃなきゃおっさん達は‼︎
死ぬまで海底を探し続けるんだぞ!!!
エネルなんかに取られてたまるか!!!
でっけェ鐘の音は、きっとどこまでも聞こえるから‼︎
―――だからおれは!!!
黄金の鐘を鳴らすんだ!!!
そんな、確固たる決意を感じさせる青年の声が、傷付いた天使の耳に届く。
その瞬間、焦げた天使の指がピクリと動いた。
「…………じゃあ…あいつは…」
「…確かに言ってた…でも、この状況で…」
あおむけに横たわるエインシェンの反応に気付かず、ゾロはロビンの言葉に顔をしかめる。
この状況で、まだ動く気力があるのは凄まじい、と思わず感嘆してしまう。
「鐘を鳴らすだと…⁉︎」
「やると言ったらやる奴だ。ナミが連れ戻そうとしても、あいつは戻りゃしねェ…あいつの狙うものは、エネルと同じだからだ」
険しい表情のまま、ゾロは頭上を見上げて呟く。
あの頑固さは厄介ではあるが、この場にいてもただ滅びを待つばかりなのは事実、と立ち上がる意思を固め始める。
だがそこに割り込む、ある男の怒号があった。
「だとしたらなおさら不可能だ…!!!」
「!!? クロウリー!!!」
「てめェ…‼︎」
「おれだって………何度もあの男を討ち取ろうと画策してきた…!!! 思いつく限りの全てをやってきた!!! それでもダメだったんだ!!!」
ぼとぼとと血肉を落としながら、クロウリーは血走った目でゾロたちに吠える。
もはや、人の身体を保つことさえ難しいほどに疲弊した姿。なのに、未だ彼は強烈な気迫を放っていた。
「400年…!!! 400年だぞ!!! おれがこんな化け物にまで成り果てて、求め続けたというのに…!!! あいつはその全てを嘲笑い!!! この海の頂点に君臨し続けているんだ!!!」
「クロウリー…」
「お前達に何ができる!!! あの意思を持った〝災害〟に…‼︎ 一体誰が立ち向かえるというのだ!!!?」
その慟哭に、その場にいた全員が返す言葉を失くす。
彼が何者なのか、知っている者はたった二人だけ。しかしそれでもなお伝わる憎悪と無念に、咄嗟の反応が出てこない。
だが、その沈黙も長くは続かなかった。
「あ‼︎ 危ねェ、また何か落ちて来る!!!」
「何だ…」
また、頭上から落下してくる物体に気付いたウソップが、悲鳴を上げて飛びのく。
だが、落ちてきたそれは最初の者よりもゆっくりと、そしてぱさっと軽い音をたてるだけで終わり、ウソップ以外を拍子抜けさせた。
「ぎゃあああ〜〜っ‼︎ 全員ふせろ〜!!!」
「葉っぱ…」
「え⁉︎」
「………⁉︎ 何か書いてあるよ!!!」
落ちてきた巨大豆蔓の葉を見やったアイサは、一部に何か文字が書き込まれていることに気付く。思わず駆け寄り、何と書いてあるのかとすぐさま覗き込む。
「メッセージ!!! ルフィとナミからだ」
「何て書いてある!!?」
恐る恐る葉に近づき、同じく文字を見下ろすロビンに問いかけるウソップ。
書き込まれたそれを見たロビンは、その内容に目を見開き、困惑気味に声で読み上げた。
「………この巨大な蔓を…〝西に切り倒せ〟」
「何ィ!!?」
謎の指示に、ウソップは勿論ゾロも困惑の声を上げる。
二人の無事が知れたのは良かったが、いきなりもたらされた要件に理解が及ばない。この状況で、一体何をさせるつもりなのかと。
「そうすればどうなるん………‼︎ うわっ‼︎ 見ろあれ!!!」
首を傾げるウソップは、再び視界に入った異様な光景に大きく目を見開く。
そこには、先ほどエンジェル島を消滅させた巨大な黒雲が再び作られ、今度は神の島の上空に留まっている光景があったのだ。
「さっきのより………数倍でけェ……」
「……もう逃げられねェんだ…!!! この国からは…!!!」
「終わりにする気か…‼︎ あの野郎…」
愕然と、もうどこにも逃げ場がないことを示され、頭を抱えて天を仰ぐ。
その中で、刃に刻まれたメッセージと巨大豆蔓を交互に見ていたアーレンが、ハッと何かに気付いた様子で息を呑んだ。
「あいつらまさか…この蔓登ってエネルのところに行く気じゃねェだろうな…!!!」
「そんなムチャクチャな……!!!」
「じゃあお前、上行って止めて来い」
「止まる奴かよ!!!」
「―――どうあれ、無茶でも何でも、やって貰うしかねェだろうがよ」
嘆くウソップに向けて、ゾロが不敵に笑いながら告げる。
その時、ゾロたちのいる場所にも雷が降り注ぎ、足場が砕かれ瓦礫が舞う。咄嗟に怪我人を引っ掴み、一味は雷から距離をとった。
「地面のある場所へ!!! ここじゃ遺跡につき落とされる!!!」
島雲はもう役に立ちそうになく、そして地面も徐々に雷で叩き割られている。
迫り来る〝神〟の猛攻を忌々しげに睨んだゾロは、重い体で刃を構え、巨大豆蔓の方に狙いを定めた。
「とにかくやるぞ。舟の方に蔓を倒しゃいいんだな」
何をするつもりであっても、できるか分からなくとも、自分にできるのは指示に従うことのみ。
悔しいが、この状況を打破するには、仲間に託すほかにないのだ。
「アレを落とされる前に、エネルの居場所へ辿り着けるのは、今、この空島であいつらしか―――」
「……ならばその役目……!!! 私が担おう…!!!!」
勢いよく飛び出そうとした時、それを押しとどめるように背後から声が響く。
しゃがれた、痛々しさを抱かせるその声に、前屈姿勢になっていたゾロはハッと振り向き、絶句した。
もはや立つこともままならないはずの天使が、凄まじい形相でそこにいたからだ。
「うおおお!!? エ…エレノア!!? ボ…ボロボロじゃねェかムリすんなよ!!!」
「うって出ねばどのみち死ぬ………なればここで命を張らねば…何もできぬまま終わる……!!!」
本人よりも痛みを感じている様子でウソップが叫ぶが、エインシェンは全く取り合おうとしない。
ぼたぼたと全身から血を流し、ぎしぎしと軋む音を響かせ、がくがくと痙攣を続けながら、そびえ立つ巨大豆蔓を見上げる。
「そんな最期は…御免なのだ」
吐き捨てるように呟くと、エインシェンはぐっと飛び出す体勢に入る。
その間も、全身からブシュブシュと血が噴き出し、辺りを真っ赤に染めていく。その様は、自ら死に向かって駆け出そうとしているようにも見えた。
「オイオイ…!!! それ以上動いたらマジで死ぬぞ!!! だいたいそんな体でまともに動けるわけがな――」
もう力尽くで止めるしかない、と手を伸ばすウソップ。
だが、その手が触れるより先に、エインシェンの姿が消え失せた―――いや、目にも止まらぬ速さで飛び出していた。
「かかしとして恥を晒して死ぬくらいならば…派手に死んでやろうじゃないか」
直後、ゴッ!と爆風が吹き荒れ、ウソップたちを吹き飛ばす。
バキバキバキッ!と背中の翼から嫌な音が響くのも構わず、エインシェンは巨大豆蔓に向かって飛翔し、瞳を青紫色に燃やした。
眼下から聞こえてくる〝声〟に、エネルは呆れたように目を細める。
あのゴム人間をこちらに到達させようとしているようだが、今の彼にしてみれば、もはや意味のないことでしかない。
「往生際の悪い事だ…まだわからんのか。もはや暴れても逃げても…手遅れ」
すぐ近くで、その圧倒的な存在感を示している黄金の鐘楼を見やり、エネルは満足げに笑う。
あとはこれを持って、自分の目的地へと急ぐだけ。少しばかり重い荷物を運ぶだけの、単純な作業だ。
「私の目的は全て果たした―――あとは、この国を〝雷迎〟で積帝雲ごと破壊し、私は〝限りない大地〟へと旅立つのみ」
にやにやと笑う間も、頭上の黒雲は雷を降らせ、〝雷迎〟は完成を間近にしている。数年に及ぶ準備の大成があっという間で、不思議とまた笑みがこぼれる。
「ヤハハハ…こうなるとまた名残惜しくもあるものだな」
天空に君臨する彼は、微塵も想像していなかった。
自分が見下してきた人間の手によって、遥か下まで叩き落とされることなど。