ONE PIECE −LOG COLLECTION : ELEANOR− 作:春風駘蕩
まだ観ていない人、観る時はご覚悟を―――
第157話〝遠い空の先へ〟
「…………そうか、彼の方の無念は…晴らせたのか」
ばたばたと海風に髪をなぶられながら、その女は一人呟く。
それに反応する、顔に傷跡のような刺青を刻んだ男が、寂しげに青空の先を見つめる女に問いかける。
「何か聞こえたのか? ニューラ」
「…ああ、遠い遠い果ての空から、約束の鐘の音がな」
「それって………『うそつきノーランド』にあったでっかい黄金の鐘のか⁉︎」
「ああ、そうさ」
二人の会話に、鉄パイプを武器に持ち、ハットを被った金髪の青年が強く反応する。
顔の左側に大きな火傷の後を残した彼は、静かに頷く女に興奮気味に顔を寄せる。好奇心で、その目はキラキラと強く輝いていた。
「……‼︎ どこかの誰かが見つけたんだな…すげェな、どこの誰なんだ⁉︎」
「さァな…ただ私としては、もうあの〝声〟に煩わされる事がなくなって一安心しているところだ」
ふん、と鼻を鳴らしながらそう告げる女。だがその横顔は、やはり少しは気が薄れて見え、寂しさを表している。
しんと静まり返った雰囲気の中、女は仕切り直すように青年に振り向いた。
「……それで、サボ。私に何か用か?」
「ああ! ホーエンハイムさんが重要な話があるって! 何でも……」
はっ、と我に返った青年が、慌てて居住いを正して女に向き直る。
次の瞬間には、青年の気配は鋭く研ぎ澄まされ、一人の戦士のものに変貌していた。
「……〝約束の日〟の正確な日時がわかったって」
「!!!!」
その言葉に、女と刺青の男は僅かに目を見開き、そして眉間にしわをよせた険しい表情になる。
ピリッ、と張りつめた空気の中、女が青年に頷きを返した。
「…すぐに行く。他の幹部も今、集められる連中は全員集めておけ」
「了解…‼︎」
帽子のつばを下げ、笑みを浮かべた青年が颯爽と二人の前から去る。
足音が遠く去っていき、再び風の音だけが響く中、フッと息を吐いた女が物憂げな表情で口を開いた。
「……手間をかけるな、ドラゴン」
「気にするな、お前の宿敵は我々の仇敵でもある。………我らは同じ未来を見ているのだ」
何処か申し訳なさそうな、落ち込んだ様子を見せる女に、刺青の男はそう言って労うように肩を叩く。
彼の優しさに心底感謝するように微笑みを浮かべた女は、再び遠い空の彼方を見やり、それはそれは恐ろしい形相で嗤ってみせた。
「さて………この世界を破壊する日も近いな」
それはあまりに危険で、凄まじい憎悪の響きを持った声で。
傍らに立つ刺青の男も、似たような笑みを浮かべ、同じ空を見て嗤っていた。
「……この音は、やはりそういう事でしょうか」
ボウルに入れた生地をこねていた手を止め、その女は独り言ちる。
ピコピコと、頭から生えるウサギの耳を動かし、遠く空の彼方から聞こえてくる音色を確かめる。
すると、そんな彼女の背中に、大きく逞しい男の手が添えられた。
「どうした? エクレール……疲れたのか?」
「…いいえ、少し…気になる〝声〟が聞こえたもので」
ぼんやりとした様子で、空を見上げて答える女。
彼女の背後に立った、長い足と鍛え上げられた身体、そして大きく裂けた口を持つ男は彼女を―――自分の妻を優しく、しかし強く抱きしめる。
そうしなければ、この女は勝手に何処かへ行ってしまいそうな気がしたからだ。
「無理はするな……お前が望む事とはいえ、倒れては元も子もない。…お前はもう十分傷ついたのだ。あまりおれを心配させるな……」
心の底から案じる声、背中に感じる温もり、そして鋼でできた自分の両腕に触れられる感触に、女は蕩けるような微笑みを浮かべる。
日課であるドーナツ作りを中断し、手を拭った彼女は、この世で最も愛しい男の胸に縋りつき、彼の顔に両手で触れる。
「そのお言葉だけで、私は幸せです。あのまま堕ちて……使命を果たせぬまま、世を、人を恨んで怪物に成り果てるところを救われたのです。まだ非力ではありますが、どうしても私は…カタクリ様、あなたのお力になりたいのです」
「………エクレール」
「どうか、笑って見守っていてください………私は身も心もあなたのもの。いつまでも、あなたのお側にいられますように…」
万人が瞬く間に魅了されるような笑顔を見せ、女は少し背伸びをし、自分の顔を夫の顔に近づける。
唇同士を触れ合わせ、彼と互いの温もりを堪能しあうと、女はリンゴのように頬を染めてまた笑った。
「遥か過去からの使命のためになどではなく、あなたの為に存在していたいのです―――我が〝王〟よ」
自身を抱きしめる力がより強くなるのを感じながら、女もまた、自身の熱を伝えるように、愛しい男に体を擦り付けた。
シャラン、と、髪留めに付いた鈴が音を鳴らす。
その音に混じり、遠く離れた空から聞こえてくる音色に、二人の少女がピコピコと馬の耳を揺らして顔を上げた。
「…ねェ、ふら。聞こえた?」
「うん…聞こえましたよ、める」
広く畳が敷き詰められた部屋の中心で、少女達は並んで頷き合う。
声音も容姿も全く同じ、口調と瞳の色のみが異なる彼女達が、音の余韻を聞き届けながらため息をついた。
「鳴ったわね、途切れてしまった願いが」
「鳴りましたね、使命と願いに苦悩した彼の方の約束の音が」
その胸に宿るのは、安堵か寂寥感か。
もうその者が苦しまずに済むことに対してか、その者の残滓がすべて消えてしまったことに対してか。二人には判断がつかなかった。
「少しずつ、少しずつ動いてる……この時代が」
「大きなうねりを呼んでいる……この世界に」
「もうすぐですね」
「もうすぐなのね」
二人の少女は、細めた目で障子の外を見やる。
かつては清らかな自然と人があって、美しかったというこの国。今や汚れた空気と汚れた水、そして外敵によって穢され、見る影もない。
それを未だ取り戻せない事を嘆き、少女達は重いため息をついた。
「あと2年で二十年………長いわね」
「長いですね……待ちきれなくてたくさん死んでしまいました」
「侍達がたくさん死んだ…母様も死んでしまったわ」
「悲しいですね」
「悲しいわね」
示し合わせたように目を伏せ、耳を垂らし、二人の少女はまた遠くの空を見やる。
自然の要塞で守られた、そして同時に閉じ込められたこの場所に、いつまでいなければならないのか。変わる時はいつなのかと、少女達は常に焦れていた。
「本当にいるのでしょうか………世を照らす明けの光は」
「本当に来るのかしら………世を変える約束の人は」
「「本当にできるのか………彼の〝神〟を討ち亡ぼす事は」」
そう呟いた途端、少女達の胸にどす黒い炎が浮かび上がる。
ハッと我に返ると、少女達は心を沈め落ち着こうとする。が、そうするより先に、記憶に焼き付いた仇敵の顔が浮かび上がり、少女達の表情はますます険しくなった。
「でも……それより先にやる事があります」
「ええ、斬らなければならない奴がいるわ」
「それが私達の願い」
「それが私達の最初の使命」
シャラン、とまた鈴が鳴る。
何処かの部屋で聞こえてくる、贅の限りを尽くしたどんちゃん騒ぎ。憎い憎いあの男がはしゃぐ様が脳裏に浮かび、勝手に手に力が籠もる。
湧きあがる殺意を押さえるのに必死になりながら、少女達は天井を仰ぐ。
「…いつか見つかるのでしょうか、私達の〝王〟は」
「見つかるといいわね、私達の〝王〟が」
「おでん様みたいな人がいいですね」
「だけど、あの方のような〝王〟はもう早々現れない……本当に悲しいわ」
「あと2年…………待ち遠しいですね」
「待ち遠しいわね……二十年は」
こうした会話が何度続いたことか、と二人一緒に苦笑し、少女達は肩を竦める。
いずれ来るその時を、少女達はいつまでもいつまでも待ち続けていた。
「やーやー……思わぬ報せが入ったものですなァ。あの音色をまた聞く事になろうとは………鳴らしたのは誰かな? 我が王かな? 赤っ鼻かな? いやはや思いもよらなんだ…」
海を見渡せる崖の上で、栗鼠の耳と尾を持った女が笑みを浮かべて呟いた。
小さな体で懸命に背伸びし、遠い遠い海の彼方を覗き込もうとするような姿を見せる。
「昔見たのが懐かしいねェ…………鳴らそうかと思ったけど、部外者の僕が口を挟んでいいものじゃないし。いや~よかったよかった……だけどそれは
ふりふりと大きな白い尾を左右に振り、虚空を見上げる栗鼠の女。
ぱたぱたと雀に似た翼を羽搏かせ、顔も知らない誰かに想いを馳せる。
よくやった、と称賛する気持ちが半分と―――大丈夫なのか、と案じる気持ちが半分で。
「大丈夫かねェ……………僕は割と早くにシャンクスに出会えたから平気だったけど、出会えなければいずれ〝初代〟に完全に呑まれる事になる。約束を果たしてくれた誰かさんにも、ちゃんと〝王〟がいるといいんだけど」
むぅ、と頬を膨らませて、女は険しい顔で腕組みをする。
天族としてこの世に生まれた以上、自分達はいつか出会う事になる。
だがその時、味方として出会うか敵として出会うかは当人達次第。争わない未来を期待したくとも、簡単にはいかないと嘆きをこぼしていた。
その時だ、一人佇む女の元に駆け寄る、一つの人影があったのは。
「リジー! そこで何やってんの~? ゴードンがご飯だって」
「あーい、わかったよ………ウタ」
紅白に分かれた髪色を持つ少女に呼ばれ、女は海に背を向けて歩き出す。
自らの〝王〟に託された宝物―――望まぬ重荷を背負わされた、何に変えても守りたい存在を視界に映しながら、女は島の中へと歩を進める。
「一人で誰に向かって話してたの~? おっかしいの!」
「〝世界の歌姫〟様は手厳しいなァ……僕だって泣いちゃうぞ?」
「泣いたら笑わせてあげるよ‼ 私の歌は、みんなを幸せにするんだから!!!」
この少女がいつか、〝王〟のもとで心からの笑顔を浮かべられるように。
たった三人しかいないこの島で、彼女を見守り続ける為に。
「……凶星じゃ。しかし同時に吉兆でもある」
遠く遠く、夜空が輝く空の下で、その女は一人呟く。
ヒクヒクと動く狼の耳を動かし、届く〝声〟に耳を傾ける。
頭上に輝く星は数多い。その中でもたった一つ、禍々しい輝きを放つ光が瞬いていることに、女は思わず目を細めた。
「いずれ来たる決戦の日が近い…………我等が父と、〝最初の一人〟の悲願が果たされる日が近い。じゃが…同時に世が大きく荒れる時が来る」
鐘の音を運んできた風は、今や囂々と唸るような響きを奏でている。
このうねりが齎すものははたして、喜劇か悲劇か。未来を予言する事しかできない女には、まだまだ見通せない光景だ。
「我等が父は望むまいが……急がねば。我等の使命を果たす為に。どうか我が〝王〟よ、見ていてほしい………そして願わくば、見守っていておくれ」
そう呟き、女はまた別の空に目を向ける。
遠く果てより響いた、確かに聞こえた鐘の音……その余韻が少しずつ消えていくことに、少し寂しそうに目を伏せ、女は誰かに向けて語り掛ける。
「エインシェン………お前はよく頑張った。後はゆっくりと、休むがいい…――」
「……………ひ、めひひひひ。随分懐かしい声が聞こえましたね……とっくに虚しく消え去っているものと思っていましたが、まだしつこくこの世に縋りついていましたとは」
暗く、深く、湿っぽい闇の中、じゃらりと金属音が鳴り響く。
四肢を封じ、地の底に縛り付ける太く長い鎖の枷を見下ろしながら、湾曲した角を持った女が不気味な笑い声を漏らす。
闇の中でもわかる爛々とした目の輝きが、下りの外よりもさらに外を見つめ、にたりと悍ましく歪められる。
「鬱陶しかったんですよね……見っともなくわんわん泣いて、嘆いて。消えてくれたのは本当に重畳です………
血に染まった監獄の檻の中、一人笑い続ける女。
その姿に、見回りに来た看守達は物陰に身を潜めながら、がたがたと身を震わせ息を呑んでいた。
「…檻の中にいながら、この悍ましさ……!!!」
「イカれてるぜ…………やっぱり異名は伊達じゃない…史上最悪の天族〝狂姫〟ジル・ド・ララ……!!!」
過去の亡霊が響かせた音色は―――世界各地で、同胞達に報せを届けた。
それが何を呼び起こすのかは……まだ、定かではない。
サクサクと草を踏み、四人がある丘の上に向かって歩く。
スコップやバケツを片手に、一人の老婆が先陣を切って向かう先にあるのは、焼け焦げた家の跡地。
そのすぐ横の地面を指差し、老婆―――ピナコは立ち止まった。
「家の裏だよ。たしか…この辺だ。ここに
過去への決別のつもりで自ら焼いた、自分達の家。
数年ぶりにその場所に立ち、エドワードはきつく唇を噛み締め、アルフォンスは拳をきつく握りしめる。
不安げにウェンリィが見つめる中、ピナコは兄弟に尋ねる。
「やめるかい?」
「……いや、手足の付け根が痛む。天気が変わりそうだから早く済ませよう」
痛みだけではない、別の理由で右腕を押さえながら、エドワードはスコップを握り直す。
今にも血を吐きそうな形相の彼に、ウィンリィが恐る恐る声をかける。今のエドワードを、正直見ていられなかったのだ。
「ねェ…ホントにやるの?」
「ああ…」
「うん…」
「ホントのホントに必要なことなの………その…だって……エドとアルの…お母さんを」
兄弟が見下ろす先の地面、そこにあるのは、かつて彼らが作り出した人間擬き―――彼らの母が。
いや、母と思わしき何かが埋められている。それを今から暴こうというのだ、ウェンリィが止めたがるのも無理はなかった。
「気になる事があるからっていきなり戻ってきて……それで、二人のお母さんの遺体を調べるなんて。やっぱりやめようよ……こんなのおかしいし………二人だって‼」
「やらなきゃダメなんだ…!!! 黙って見てろ…‼︎」
そうきつい口調で言って、エドワードはスコップを振り下ろし、地面に突き立てた。
ザクッ、ザクッと何度も地面を削る音が響き、辺りに土が積み上げられる。
数十分もの間、ひたすらに地面を掘り返す作業が続けられているが、未だ探し物は見つかっていない。
無意識に、見つける事を拒んでいるからかもしれなかった。
「いけない、降って来ちまったよ」
「ね…ねェ‼︎ 一度やめにしない? ぬかるんできたら掘りにくくなって……」
元からかなり悪かった天候が完全にへそを曲げ、ぽつぽつと雨粒が落ち始めた頃合に、ピナコとウィンリィが止めに入ろうとする。
だが丁度その時、ガシャンと音を立てて、兄弟が膝をつく姿が目に入った。
ピナコとウィンリィは慌てて二人に駆け寄り、腹部を押さえて蹲る彼らに寄り添う。
「‼︎ エド‼︎」
「胃が……ねじ切れそうだ……」
「臓器なんてないのに……体の奥底が…苦しい…!!!」
「当たり前だよ‼︎ お前達にとっちゃ最大の
兄弟にとって最大の罪、母を蘇らせようとして失敗し、異形の姿にしてしまった。その罪の意識は、彼らの心を今でも蝕んでいる。
自らの傷を自ら抉るような真似をして、無事で済むわけがない。
だがエドワードは二人の制止に、強く首を横に振ってみせた。
「確認しないと……前に進めないだろ。錬金術師は…真理を追い求める者だ。自分に都合の良い所だけ見て………それで済まされて良い訳がない」
キッ!と青年の目に、意地の炎が灯る。
目を逸らし続けてきた己自身の罪に、向き合う覚悟を決め、再びスコップを構えた。
「逃げて…たまるか!!!」