ONE PIECE −LOG COLLECTION : ELEANOR−   作:春風駘蕩

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第25話〝落ち武者〟

 クリークがこぼした二つ名に、エレノアはまたも目を見開いた。

 

「〝赫足〟のゼフ……⁉︎ あの…蹴り技の達人……!!?」

「噂に聞いた海難事故で、死には至らずともその大切な足を失ったとみえる。貴様にとって片方の足を失うということは戦闘不能を意味するハズだ」

「戦闘はできなくとも料理ができる、この両手があればな。てめェ、何が言いてェんだ。はっきり言ってみろ」

 

 嘲りの言葉も気にした様子はなく、ゼフはクリークを睨みつける。

 クリークもまた悪名高い元同業者を前にしながらも、見下した調子を崩さずに告げた。

 

「〝赫足〟のゼフ、お前は、かつてあの悪魔の巣窟〝偉大なる航路(グランドライン)〟へ入り、無傷で帰った海賊(おとこ)。その期間丸一年の航海を記録した『航海日誌』をおれによこせ!!!」

「…………!!!」

 

 傲慢で身勝手な要求に、エレノアの表情に嫌悪感が浮かぶ。

 冒険の知識と経験を記載した、血と汗の結晶たる航海日誌を求めるなど、本当にこの男に矜持はないらしい。

 

「『航海日誌』か。確かに…おれの手元に、それはある。だが、渡すわけにはいかんな。航海日誌はかつて航海を共にした仲間達全員とわかつ我々の誇り、貴様にやるには少々重すぎる!!!」

「ならば奪うまでだ!!! 確かにおれは〝偉大なる航路(グランドライン)〟から落ちた‼ だが腐っても最強の男〝首領・クリーク〟。たかだか弱者共が恐れるだけの闇の航路など渡る力は充分にあった‼ 兵力も‼ 野心も‼ 唯一つおしむらくは『情報』!!! それのみがおれには足りなかった!!!」

 

 クリークのその言葉は、〝偉大なる航路(グランドライン)〟そのものに対する不満に思えた。

 ある種の責任転嫁のようなその態度に、エレノアは完全にクリークを格下だと判断した。

 

「ただ知らなかっただけだ。航海日誌はもらう、そしてこの船も‼ 手土産にまずはその女を奪ってやる。せいぜい日々のうるおいに役立ってもらうぞ!!!」

「…ほんっと、バカだね」

 

 深い深いため息をつき、エレノアは自分のフードとケープを外す。

 それらを勢いよく放り捨てると、露わになった翼を広げて牽制してみせた。

 

「あんたごときに私はもったいないっての‼︎」

「んなっ……!!?」

「何ィ―――――!!?」

 

 ゼフとルフィを除く、エレノアの正体を初めて知った者たちが驚愕の声を上げる。

 クリークもまた大きく目を見開き、信じられないといった様子でエレノアを凝視していた。

 

「…本物か…⁉」

「ふはっ……はははははは!!! なんてこった、ここにきてようやくツキが巡ってきたようだぜ‼︎ まさか天族まで手に入るなんてな!!!」

「へぇ? 無知なくせに私のこと知ってるんだ」

「知らない奴らがこの海にいると思うか!!? 血肉を食らえば不老不死になる伝説の種族…!!! さすがにまゆつば物だと思っていたが、実在していたとはおれは運にも恵まれているらしいな!!!」

 

 間違った知識を堂々とさらすクリークに、エレノアは呆れかえる。

 以前からこういう勘違いした輩とは遭遇することはあったものの、ここまで馬鹿な姿をさらすものはいなかったはずだ。

 

「『航海日誌』に『不死の力』!!! それさえあればもうおれに恐れるものはねェ!!! 今度こそ…おれが〝偉大なる航路(グランドライン)〟を制して〝ひとつなぎの大秘宝(ワンピース)〟を……!!!!」

「黙れド素人」

 

 雷のように低い、怒りを押し殺した声に、クリークの笑い声が途切れる。

 射殺せそうなほどに縦に鋭く裂けたエレノアの瞳孔がクリークを見据える。ここまであの海をバカにしている姿を見ると、逆に同情の念さえ湧いて来そうだった。

 

「お前のような世間知らずのクソガキに…あの海に挑む資格はない。知らなかっただけ? 知っていたらあの海を渡れたとでも? あんたに足りていないのは知識でも兵力でもない‼ その足りないおつむだよ!!!」

「てめェ…‼」

 

 ふつふつと怒りを煮えたぎらせ、額に血管を浮き立たせるクリークを放置し、エレノアは自身の豊かな胸に手を当てる。

 この身体をクリークなどに渡すなど、天地がひっくり返ってもあり得ないと思っていた。

 

「私のこの身体は……!!! 髪一本血の一滴に至るまですでに売却済みだザマーミロ!!!」

 

 仁王立ちし、人目もはばからずにそんなことを告げるエレノアに、全員の視線が集まる。

 痛々しいくらいに空気が静まり返り、若干の呆れをはらんだ驚愕の視線が突き刺さった。

 

「…ここで言うことか」

 

 ゼフが思わずそうつぶやくと、エレノアもちょっと恥ずかしかったのか黙り込む。

 その後ろで、がっくりと膝をついたサンジが血反吐を吐きそうな勢いで項垂れていた。

 

「ウソだろエレノアちゃん…⁉」

「売却って…」

「まさか!」

「いやいや、おれじゃねェよ」

 

 パティやカルネの視線がルフィに集まるが、当の本人はぶんぶんと首を振ってその可能性を否定する。

 何となくコックたちに安堵が広がる中、クリークはエレノアの爆弾発言を気にした様子もなく、フンと鼻で笑って見せた。

 

「お前がどこの誰のものだろうとおれには関係ねェ…‼ おれが奪うと言ったら奪う…‼ てめェはおれのものだ!!!」

「…オーナー、暴れますけどいいですよね?」

「好きにしろ。さすがにあんだけ言われちまったらおれも我慢の限界ってものがある」

 

 女を道具か何かとしか見ていないクリークに、能面のように無表情になったエレノアが指を鳴らす。

 元海賊のゼフも思うところがあり、多少の店への被害は仕方がないと迷わず許可を出した。

 

「ちょっと待て‼ エレノアはお前なんかに渡さないし、海賊王になるのも、おれだ」

「な…雑用っ‼」

「おい、引っ込んでろ。殺されるぞ‼」

「引けないね、ここだけは」

 

 そんな会話で自分を無視するなと言わんばかりに、ルフィが前に出る。

 ただの雑用が話に割って入ったことに、クリークは不機嫌そうに眉間にしわを寄せた。

 

「何か言ったか、小僧。聞き流してやってもいいんだが」

「いいよ、聞き流さなくて。おれは事実を言ったんだ」

「遊びじゃねェんだぞ」

「当たり前だ」

 

 凄まじい殺気をぶつけるクリークと、それを柳のように受け流し、不敵な笑みを浮かべるエレノア。

 そこへ、コックたちとは違うささやき声が響いてきた。

 

「さっきの話聞いてたろ、あのクリークが渡れなかったんだぞ。な! 悪いことはいわねェよ。やめとこうぜ! あんなとこいくの!」

「うるせェな、お前は黙ってろ」

 

 エレノアとルフィが視線を向ければ、慌てた様子のウソップがゾロに詰め寄っている。

 また食事を楽しみに来たのに、今回の騒動で足止めを食らっていたらしい。

 

「戦闘かよルフィ、手をかそうか」

「ゾロ、ウソップ。いたのか、お前ら」

「別にいいよ、座ってて」

 

 その会話から、クリークは二人がルフィの手下だと判断する。

 たった二人しか仲間がいないことに、クリークの表情に嘲笑が浮かんだ。

 

「……ハ…ハッハッハッハッハッハッハッハ。そいつらはお前らの仲間か、ずいぶんささやかなメンバーだな‼」

「何言ってんだ、あと二人いる‼」

「おい、お前それ、おれを入れただろ」

「ナメるな小僧!!! 情報こそなかったにせよ、兵力五千の艦隊がたった七日で壊滅に帰す、魔海だぞ!!!」

 

 クリークが発した事実に、バラティエに動揺が走る。

 恐ろしき海だとは聞いていたが、それほどまでの戦力が数日で退く羽目になったなど、信じられなかった。

 

「な…七日!!?」

「クリークの海賊船団がたった七日で壊滅だと!!?」

「一体、何があったんだ………‼」

「きィたかおいっ‼ 一週間で50隻の船が」

「面白そうじゃねェか」

「…むしろ私からしてみれば、よくあんたたちごときが七日もったと思うよ」

 

 コックたちやウソップはおののくも、〝偉大なる航路(グランドライン)〟を甘く見ている節のあるクリークに対し、エレノアの視線は冷たかった。

 

「無謀というにもおこがましいわ‼ おれは、そういう冗談が大嫌いなんだ。このまま、そう言いはるのならここで待て。この場で、おれが殺してやる‼」

 

 クリークはそう言うと、ゼフが用意した食料袋を背負って店を後にする。

 項垂れているギンを放置し、エレノアに向けてにやりと憎たらしい笑みを浮かべて見せた。

 

「…いいか、貴様ら全員に一時の猶予をやろう。おれは今からこの食料を船に運び、部下共に食わせてここへ戻ってくる。死にたくねェ奴はその間に店を捨てて逃げるといい。おれの目的は航海日誌とこの船とその女だけだ。もし、それでも無駄に殺されることを願うなら、面倒だがおれが海へ葬ってやる。そう思え。お前は、別れのあいさつでも済ませておけ…」

 

 そう言い残し、去っていくクリークの背を見送り、バラティエには重い沈黙が下りる。

 しばらくして、不甲斐なさにうずくまるギンが震える声を漏らした。

 

「……‼ サンジさん、すまねェ‼ …おれは、まさか…、こんなことになるなんて………‼ おれは………」

「おい、てめェが謝ることじゃねェぞ、下ッ端。この店のコックがそれぞれ、自分の思うままに動いた。ただ、それだけのことだ」

 

 ギンを擁護したのは、意外にもゼフだった。

 海賊に料理を出そうとしたサンジを叱らなかったり、自ら食糧を差し出したりと、この料理人の考えは読み取りづらかった。

 そんな中、エレノアは呆れた様子でギンを見下ろしていた。

 あんな船長についていく者もそうだが、艦隊が全滅するほどの被害を受けてもまだ向かおうとしているクリークにはあきれるほかにない。

 

「しっかし、七日も航海してあんたたちは何を学んできたのさ? ただ兵力をそろえただけじゃ渡れる海じゃないってわかってもいいでしょうに」

「……………‼ わからねェのは事実さ、信じきれねェんだ…〝偉大なる航路(グランドライン)〟に入って七日目のあの海での出来事が現実なのか…夢なのか、まだ頭の中で整理がつかねェでいるんだ。…突然、現れた…」

 

 がたがたと震え、怯えながらギンは語る。

偉大なる航路(グランドライン)〟に入って7日目に遭遇した、恐るべき災害(・・)のことを。

 

「たった一人の男に、50隻の艦隊が壊滅させられたなんて…!!!!」

「え!!?」

「ばかな!!! たった一人に〝海賊艦隊〟が潰されただと!!?」

 

 ギンの告白を聞いた全員が驚愕し、思わず立ち上がりながらギンを凝視する。

 航海のせいで狂ったのではないかと思えるほど荒唐無稽な話で、ギンの正気を疑うばかりだったが、見る限り彼は正常な様子であった。

 

「わけもわからねェままに、艦隊の船が次々と沈められていって…あの時、嵐が来なかったら、おれ達の船も完全にやられてた」

「…不幸中の幸いってことか…」

 

 エレノアはクリークたちの妙な悪運に感心しながら、自分の考えが間違っていなかったことを確信する。

 船に刻まれた傷跡は、自分が予想した通りのもの。そしてそれをやってのけた人物も、自分の考えている通りの相手であろうと。

 

「ねェギン、あんたの言うその男って………鷹のようにするどい目(・・・・・・・・・・)をしてなかった?」

「何だと!!?」

 

 エレノアの質問に反応したのは、ギンだけではなかった。

 ひどく取り乱した様子のゾロが、跳ね上がるような勢いで身を寄せ、エレノアを凝視していた。

 そのことには触れず、エレノアはため息をついた。

 

「…そうか、彼に出会って生き延びただけでも、運がよかったと喜ぶべきか…それとも不運だったのか」

 

 冷や汗を流し、エレノアは苦笑する。

偉大なる航路(グランドライン)〟のどこかにいるたった一人の遭遇するというのが幸運なのか不運なのか、判断はつかないが相当低い確率であろう。

 今日のエレノアは驚かされてばかりだった。

 

「〝鷹の目〟に遭うなんて」


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