ONE PIECE −LOG COLLECTION : ELEANOR− 作:春風駘蕩
ぼんやりとした顔で、ルフィ達を見つめる謎の少女。
寝起きのためか、虚ろな黒い瞳はどこか眠たげで、波打つ髪もぼさぼさのまま。口も半開きになっている。
向けられる、感情の見えない眼差しに、ルフィは思わずぎこちない反応を示した。
「……お…おォ………起きたのか、お前」
「………………………」
挨拶とも呼べない言葉をかけるが、少女に反応はない。
ルフィの方を向きながら、その実何も見えていないような、ただただ無言で寝台の上で佇んでいる。
「いつ起きたのかしら………全然気配を感じなかったわ」
「ていうか……さっきから全然動かねェぞ。じっとこっち見つめてきてるし…………」
思わず目の前でひそひそと囁き合うナミとウソップ。間違いなく声が聞こえているだろうに、それに反応を示す事もない。まるで人形のようだ。
「あァ…レディ♡ 謎と秘密に満ちた君の瞳をようやく覗く事ができた♡ どうか教えてほしい……憂いを帯びたその眼差しは何を見つめているのか、何を問うているのか…♡ 僕に君の心の鍵を開く資格をくれまいか…………お茶はいかがですか?」
「…………………………」
すると、今が好機とばかりにサンジがゆらゆらと踊るように近付き、少女を口説きながらどこからともなく紅茶を用意する。
いつもなら、驚くか戸惑うか呆れるか、多少の反応があるはずだが。
少女は沈黙したまま、それどころかサンジに視線を向ける事すらなかった。
「…………スゲーくらい心にキた」
「しっかりしろサンジ〜〜〜!!!」
「ガン無視だったね……」
「…ていうかマユ毛のお兄さん? それウチの茶葉だよね? 勝手に使うのやめてくれない? ねェ」
今までにない反応、認識すらされないという結果に流石のサンジもその場に崩れ落ちる。嫌われるよりも、関心を向けられない方がよっぽど辛かった。
エレノアに慰められる彼を横目に、伊達マルが溜息交じりに少女の前にしゃがみ込んだ。
「あー…嬢ちゃん、起きたんならちょうどいい。もっぺん身体に異常がねェか診察するぞ。なに、簡単な質問をいくつかするだけだ」
「ら…楽な体勢でいいからな?」
「………………」
医者の役目を果たさんと、伊達マルとチョッパーが質問を始める。一通り体の具合を確認した以上、残るは本人から気分や体調を聞く他にない。
そう思い二人で尋ねるのだが、少女はやはり何の反応も示さなかった。
「あー…えー…ま、まず……怠いトコとか痛いトコとかねェか? 遠慮はいらねェ、素直に言ってくれ」
「…………」
「…あ…頭がボーッとしてるとか、吐き気がするとか、変な感じがあるなら言えよ⁉︎ 大丈夫‼︎ おれ達は医者だ‼︎ 必ず治してやるぞ‼︎」
「…………」
いくつも質問を重ねるが、どれにも反応がない。ぼんやりと虚空を見つめたまま、身動ぎ一つせず座ったまま。
だんだんと、一味が少女を見つめる視線も胡乱げなものに変わり始めた。
「…………おい、全然反応ねェぞこの女。やっぱどっかおかしいんじゃねェのか…?」
「とすると……脳か。こりゃもうちょいきっちり検査せにゃならんかもなァ…」
フランキーが小さな声で尋ねると、伊達マルは非常に険しい顔で考え込む。
外相が見当たらない以上、残るは体内。それも頭蓋に囲まれ詳しい検査の難しい脳しかないが、一朝一夕に処置できるものではない。
どうしたものかと考え込んだ時、少女の視線がふと、ルフィに固定された。
「……ん? 何だ? なんか用か?」
不思議そうに少女を見つめ返しながら、麦わら帽子に触れるルフィ。
じっと不動のままでいた少女が、やがて小さく口を開き、微かな声を発した。
「アン───…………ロ…ジャー…?」
こてん、と首を傾げながら、少女はルフィに向かって問いかけた。
本人もよくわかっていない、思い浮かんだ単語を口にしただけのようなその姿。しかしルフィ達は紡がれたその名に、はっと息を呑んで腰を浮かせる。
「………!!? お…おい、お前さっき…!!!」
「〝ロジャー〟って…………!!!」
がたがたと立ち上がり、反射的に少女を取り囲む。
今やこの世の誰も知らぬ者の名を口にした彼女に、凄まじい困惑と疑問が湧き上がっていた。
「ロジャーって……‼︎〝海賊王〟の事だよな…………!!? 何だ、このお姉ちゃん海賊王の顔見知りか!!?」
「待て待てんなワケあるか。どう見ても年が合わねェ」
「で…でも、なんでルフィを見て…⁉︎」
一体どういう意味なのかと騒ぎ、ルフィと少女を交互に見つめる一味。
ざわざわと慄いている間に、少女の体からふっと力が抜け、また寝台に横になってしまった。
「あ…おい!!! さっきのどういう意味だ⁉︎ お前、ゴールド・ロジャーのお宝について知ってんのか!!? なァおい!!!」
「だー待て待て待て‼︎ そのへんにしとけ!!!」
謎を残したまま眠りについた少女に、思わず怒鳴りかかってしまうルフィ。
掴みかかろうとした彼を、伊達マルが間に入って制止する。
「昏睡状態から目覚めたばっかの患者に見せる態度じゃねェだろ!!! いい加減にしろお前ら!!! 宝だの〝海賊王〟だの事はよくわからんが…‼︎ おれの診療所で好き勝手する気ならおれが相手になって────」
少女を背に庇い、少年達を叱りつける伊達マル。
自分も色々と気になる話が聞こえたがそれはそれ、医者の仕事に勝る内容ではないと、目を吊り上げて睨みつけ。
厳しい声をぶつける彼の背後で、再びゆらりと少女が起き上がった。
「──は…‼︎」
最初と全く同じ顔で、ぎょっと振り向く一味と兄妹と伊達マル。
彼らの視線の先で、先程とは明らかに様子の異なった少女が息を吸い込み、そして。
「へっくち!」
……と、大変可愛らしいくしゃみをこぼし、体を揺らす。
緊張感が一瞬で霧散し、診療所の中にいた全員がどどっとその場に倒れ込んだ。
がらがらがしゃん、とやかましい音が響き渡る中。
こきこきと首を鳴らし、先程よりは人間らしい気怠げな表情を浮かべた少女が、唸り声をこぼした。
「ア"〜〜〜……寝てた」
「「「寝てたァ!!?」」」
「………………何だい、あんた達」
「それはこっちのセリフだァ!!!」
胡乱げにルフィ達を見やる少女に、ウソップが立ち上がり突っ込みを入れる。
困惑の視線を返す少女に、ルフィが立ち上がり胸を張る。
「おれはモンキー・D・ルフィ‼︎ 海賊王になる男だ。ゴールド・ロジャーじゃねェぞ‼︎」
「ふゥん……」
「軽っ!!! 何その塩対応⁉︎」
聞いておいて、実にどうでも良さそうな反応を返され、ルフィよりも先にエレノアが吠える。身構える気にもならない程の脱力ぶりだった。
「………ここ………どこだィ? 私ァ……何で………?」
少女は次第に、自分が理解外の状況におかれている事がわかったらしく、辺りを見渡しながら誰にともなく問いかけ出す。
不安さを滲ませる彼女に、ルフィが腕を組みながら尋ね返した。
「覚えてねェのか? おめー、でっかい鳥に食われてたんだぞ。食おうと思ったらお前が出てきてよォ、助けようと思ったら転覆しちまって大変だった」
「………鳥」
「あとおめー、おれの事ロジャーって呼んでたぞ。知ってんのか?」
「…………ロジャー」
一つ一つ、ルフィは己が知る情報と質問を与える。謎しかない少女の秘密が、どれか一つでもわかりはしないものかと。
だが、少女はどの質問にも首を傾げるばかりで、やがて物憂げに首を横に振った。
「…覚えてないねェ」
少女の答えに、一味は思わず一斉に唸る。
謎は解明されぬまま、むしろ深まるばかり。お手上げとしか言いようがなかった。
「おいドクター共、どうすりゃいいんだこいつァ」
「記憶喪失か………あるいは本当に何も知らんのか。精密検査してみにゃ詳しい事は何もわからんな。なんせさっきまでは寝ボケてただけみたいだし」
伊達マルも頭をかき、悩む。間違いなく脳への損傷が関わっていると判明し、迂闊に手を出せないと頭を抱える他にないようだ。
「それにしても目覚めてよかった………あのまま眠ったままだったらどうしようかと思ってました、ヨホホホ!」
「………………」
一人、目覚めたことを喜び呑気な声を漏らすブルックが、少女に近付き笑う。その様に、少女だけでなくシンゴとヒナ、伊達マルも黙り込み。
「「「「生きたガイコツ……!??」」」」
「遅いわ!!!」
「ヒィ!!!」
大きく目を見開き、目の前の異形を凝視して戦慄の声をあげる。
あまりの遅さに咄嗟にナミが怒鳴るように告げ、ヒナの悲鳴を誘った。
「ガイコツ………⁉︎ え…い、生きて……動いて…!!? え!!?」
「な、何だお前…⁉︎ 仮面かなんかかと思ってたらそれ本物なのか………!!?」
「ちょちょちょちょっとちょっとやだこれうちの診療所にもとうとうガチ物が出ちゃった感じ!!? お…お祓いって誰に頼みゃいいんだこれ……!!!」
慌てふためき始める一同。少女の事よりも余程奇妙で驚きの事態に遭遇し、一瞬で冷静さを失ってしまう。
彼らから目を逸らし、項垂れたナミが深い溜息をこぼした。
「ああもう、また面倒な事に…」
「おいコラクソホネ!!! 怯えてんじゃねェか引っ込め!!!」
「ヨホホホホ‼︎ どうもお嬢さん方‼︎ ご挨拶が遅れまして大変失礼‼︎ 私死んで骨だけブルックです!!! そんなに見つめられると赤面しちゃいます‼︎ あ、私、赤面する顔なかった。ヨホホホホホ!!!」
注目されていることで気分が上がったのか、いつも以上に声を上げて自己紹介するブルック。孤独が長すぎたせいか、驚かす事が趣味になっているようだ。
少女も呆然とブルックを凝視し、しかしすぐにすんと落ち着いた。
「………………まァ、騒ぐほどの事でもないさね」
「冷めた!!??」
呆気ない程の速さで落ち着いた少女に、エレノアがまた叫ぶ。
少女の雑な反応に、上機嫌だったブルックもあっという間にその場に項垂れてしまった。
「…………逆に効きますねコレ…反応がないとこんなにも………」
「ブルック────!!!」
「…なんか私悪い事したかィ?」
「気にしなくていいよ………」
それから少しして、他の三人も落ち着きを取り戻し、ブルックをまじまじと眺め始めた。
「へ──…悪魔の実か。話には聞いていたけど、実在したのか」
見るからに生者ではない、しかしちゃんと生きている骸骨。
そんな非常識を現実にする海の秘宝を食った者と初めて対面し、シンゴは感嘆の声を漏らす。
「そういえば、他にもちらほらそれっぽいのがいるな」
「あァ、おれはゴム人間だ」
「おれは人間トナカイ」
「おれは
「一流のコックだ」
「そうか…それに天狗にキノコ人間か」
「そうそうそう剣術も神通力も何でもござれよ」
「あんまり舐めてると毒の胞子を風であちこちぶちまけちゃうよって誰が化け物じゃい!!!」
常人と異形の分類の難しい麦わらの一味の中、純粋な人間であるウソップと不名誉な呼び方をされたエレノアが吠える。
ただ、どちらも見た目は確かに普通とは程遠く、ナミは何も言えなかった。
「それはそれとして……お前さん達がこの嬢ちゃんと会ったのはごく最近だったとはねェ」
「あァ、びっくりした」
「ふ──む…しかも、鳥に攫われてとは。妙な話だ」
わいわいと兄妹が未知を前にはしゃぐ様を横目に、伊達マルが再度少女に視線を向けて唸る。
頬杖をつく彼に、ナミが近付き訝しげに尋ねる。
「島の子じゃないの?」
「いや、違う。おれは少なくとも見た事がない。こんな小さな島だ………住民の顔は大体覚えてる。この年頃の子でこの人の顔を見た覚えはないな」
「だったらホント…………あんたどっから来たのよ」
「……?」
伊達マルに肩をすくめられ、ナミは途方にくれた顔で少女を見つめる。
どこから来たのか、どうやって自分達の元に現れたのか。何もかもが不明で不気味さえ感じる少女は、きょとんと不思議そうに首を傾げるだけ。
考え込んでいると、伊達マルが険しい表情でナミに横目を向けてきた。
「とりあえず……どうすんの?」
「? どうって?」
「嬢ちゃんの今後。仲間でもなんでもない、赤の他人なんだろ。連れだったんならおたくらに任せるつもりだったが………そうじゃないんなら任せるのも迷惑だろ」
「そうねェ…………」
もっともな疑問をぶつけられ、ナミは悩む。
正直言って、これ以上関わり続ける義理はない。偶然遭遇してなし崩し的に助ける形になっただけで、目覚めた以上そうする必要もない。
かといってこのまま置いていくのもどうなのか、と考え込んだ時だった。
「何言ってんだお前ら。そんなの決まってるだろ」
「あ?」
ふと、ルフィが呆れた顔でナミと伊達マルにそう言い、立ち上がる。
困惑の視線を背中に感じながら、ルフィは少女の目の前に立ち、言い放った。
「お前、おれ達と来いよ」
そう、友達を遊びに誘うかのような気軽さで、少女を誘う。
突然の展開に、仲間達は一瞬目を丸くして硬直し、次いでぎょっと腰を浮かせてルフィに振り向いた。
「大賛せ──ぶっ」
「ちょっ……‼︎ あんたったらまたいきなり…!!!」
「だってこの島のやつじゃねェみたいだし、何も覚えてねェんだろ? それに拾ったのはおれ達の方だぞ」
「拾ったって………捨て猫じゃないんだから」
喜び勇んだサンジを押しのけ、抗議の声をあげるナミにルフィはまるで当たり前だと言わんばかりに答える。もう、彼の中では決定事項のようだ。
「待て待ておい待てルフィ‼︎ もうちっとよく考えろ‼︎ こんな得体の知れねェ相手を本気で船に乗せるつもりかよ‼︎ そりゃあ………頼りもない一人ぼっちの女をほっとくのは気分が悪いがよ」
「そうよ! 最低限何者かわからないと不安だわ。ロビンの時とは違うのよ⁉︎」
「あんた、あん時速攻で宝石に釣られてたじゃないの」
ウソップも堪らず、サンジの顔を押し潰しながらナミと共に抗議する。
船長であるルフィに決定権があるのは確かだが、いきなりはいわかったと納得できるほど、この一味は安い関係ではない。
その様子を見ながら、ブルックがしみじみと溜息をつく。
「…私が勧誘された時、こんな感じだったんですかねェ」
「いや、おめェの時はもっと反発がデカかった」
小さな呟きをフランキーが拾い、即座に否定する。
ずん、と落ち込む一味の音楽家を見やっていた少女は、やがてルフィに不思議そうな眼差しを向けて尋ねた。
「行くって………どこにだィ?」
「冒険だ!!!」
「………………よく…わからんよ」
自信満々に告げられ、理解ができない少女は眉間にしわを寄せる。
だがそれでも、多少の好奇心というか興味は唆られたらしく、ルフィをまっすぐに見つめて続けて問いかけた。
「何を……すればいいの?」
「一緒に面白ェ事を探しに行くんだ。なんかしろとか言う気はねェ、やりてェ事を一緒にやれればそれでいい‼︎ どうだ⁉︎」
しししし!と笑みを見せるルフィに、少女はしばらくの間考え込む様子を見せると、ふい、とどこか気恥ずかしげに目を逸らした。
「………何でもいいよ」
否定ではない、受け入れるような返答にルフィはさらに笑みを深める。
勝手にその言葉を肯定だと理解した彼は、仲間達の呆れた視線を……一人は大喜びしているが、その視線を背に受けながら、少女の顔を覗き込んだ。
「そんでお前、名前なんていうんだ?」
「………エール。ヒノ・エールさァ」
今更な自己紹介に、少女はわずかに考える素振りを見せてから、簡潔に答えたのだった。