ONE PIECE −LOG COLLECTION : ELEANOR− 作:春風駘蕩
第292話〝流刑島の姫〟
世界から切り離された孤島に、夜の冷たい雨が降る。
暗黒の空の下、まるで死んだようにひっそりと、豪雨の中にその姿を晒す。
平和が続くと思われていた孤独な国で、終焉の刻限を伝えられた島の民はただ……悲壮な顔で家に篭るばかりとなっていた。
「クソッ…‼︎ あのクソメダル野郎………ふざけた事抜かしやがって……!!!」
全ての流れ者が行き着く砂浜。
そこに停められた獅子の船首の船の中で、サンジが悪態を吐く。
腹立たしい敵の顔を思い浮かべつつ、不機嫌そうに椅子に腰掛け、煙草の煙をくゆらせる。
「何が贄だ…食材にもならねェクソバケモノの分際でコックを喰おうたァいい度胸だ。先に野郎を刻んで肥やしにしてやる」
「斬り刻むんならおれにやらせろぐるまゆ。野郎にゃ数え切れねェくらいの借りができてんだ、おれが仕留める」
「あァ!!? 誰がてめェに頼むかヘボ剣士!!! ありゃおれの獲物だ、ひっこんでろ!!!」
「バカ言ってんじゃねェ、おれがぶった斬るんだしゃしゃり出んじゃねェエロコック!!!」
「うるさいっての‼︎」
同じく苛立っていたゾロが口を挟むと、目を釣り上げて噛み付く。
額をぶつける勢いで睨み合った二人が口汚く罵り合おうとした時、二人の頭頂部にごんっ、と拳が落とされた。
「ピーチクパーチクやかましいのよ‼︎ …そんな場合じゃないでしょ」
頭頂部を抑えて悶えるゾロとサンジを睨んだナミは、やがて深い溜息をこぼす。怒りが持続するほど、彼女にも余裕はなかった。
すとん、と椅子に腰を下ろし、暗い表情で虚空を見下ろす。
「あのピエロと兵隊達………言うだけ言っていなくなっちゃったけど…ホントに私達を皆殺しにする気なの……?」
「………するかしないかと聞かれればするでしょうし、できるかどうかなら………可能でしょうね」
ナミの呟きにロビンが誇張なしに答える。
見せつけられた万物を創造する力、無限に湧く兵士。道化の少女が口にした戯言が、真実だと突きつけてくる。
「やれやれだ…………町の奴らもすっかりおとなしくなっちまってたな。負傷者を治療するって回ってってもだ〜れも出てきやしなかった。全く困った奴らだ」
扉が開いて、島の町医者が困り顔で戻ってくる。
鞄をどかっと机の上に置いた伊達マルは、がしがしと髪を掻きむしって唸るような息をついた。
そんな彼に、チョッパーが案じるような視線を送る。
「それを言うならお前もだろ、伊達マル………お前、何か病気を抱えてんのか?さっきフラついてたろ」
「あ〜〜…見てた? あちゃー、全部片ァつけるまで黙っとくつもりだったんだけどな〜〜〜」
指摘された伊達マルは苦笑し、おどけた態度を見せる。が、じっと一味に見つめられ、やがて観念したように笑みを消し、自分のこめかみを指で叩いた。
「………ココに破片が詰まってんのよ。それがおれの脳にダメージを与えてる」
息を呑む一味。目を見開くゴトー。
ざわっと騒めく船室で、フランキーが鋭い視線のまま口を開く。
「事故………いや、戦争か」
「あァ………戦場回って負傷者やら戦争被害者やらを治療する流れの医者やってた。つっても、患者が巻き込まれちゃ堪んねェから、しっかり安全を確保した場所に病院建ててそこでやってたんだけどな」
壁に背を預け、ずるずるとその場に座り込む。
疲れ切ったその様子は、伊達マルの外見以上に老いて見えた。
「大変だったぜ……敵味方の判別なんざつかねェくらいの重傷者ばっかで、毎日毎日運び込まれ、錯乱するヤツはいるわ物資はいつも足りねェわ………救っても救っても救えない……………まァそれでも激戦区よりはマシな地獄だったな」
記憶を語る伊達マルの表情は厳しい。
当時の戦況の激しさ、悲惨さ。そして失われていく命の儚さ。あらゆる記憶が今でも彼を苛んでいるのだろう。
「ところが………安全な筈のそこがいきなり攻撃を受けた」
「…………‼︎」
「突然の事だった………何の前触れもなく、病院で大爆発が起こった。患者も医者も…そんでおれも、何もかもが吹っ飛ばされた………おれも長い間生死の境を彷徨い、一命は取り留めたが………このザマだ。おれ以外の生き残りは…ほとんどいなかった」
はぁ……と天井を仰ぎながら深い深い溜息を吐く伊達マル。
生きていてよかった、というような様子には見えない。むしろ、生き残ってしまった、という罪悪感と徒労感が滲んで見える。
「ロックベル夫妻にゃ悪ィ事をしちまった…子供がいるっつー話だったのに」
「…ロックベル?」
「実を言うと、おれもそう長くはねェ。破片は摘出が困難な位置にあって取り除けず…じわじわ脳を損傷させる。……自分が医者だってのに情けねェ話だ」
聞き覚えのある名にエレノアがぴくりと反応を示すが、伊達マルは気付かずそのまま話を続け、自重気味に鼻を鳴らした。
「そんな重傷で………なんでこんな島で傭兵を…………」
「こんな身体だからよ」
今すぐにでも入院すべきだろう、という目でウソップが思わず問う。
その疑問にも、伊達マルはやや投げやりに答え出した。
「そこらの医者じゃ無理だ………限られた最高の名医にしかおれは救えねェ。だがそういう名医は、貧乏人の相手なんざしちゃくれないのよ」
「ドラムのあのばーさんとかか?」
「おい!!!」
ぼそりとサンジがある医者の名前を出す。腕は凄まじいがその分報酬も高額になる、やたらと元気な老婆の医者だ。
その弟子であるチョッパーが、師を引き合いに出されて目を吊り上げた。
「Dr.くれはか…い〜い医者だ、確かに頼むならそういう名医がいい。……だが結局、安全によその国に行くにも莫大な金がかかる………なんせここァ〝偉大なる航路〟だからな」
同じ医者である伊達マルもくれはの名はよく知っているらしく、彼女を讃えつつ、彼女に頼む場合の手間と苦労を語る。人材だけでは駄目なのだと。
「そんでまァ……一朝一夕じゃ語れねェいろ〜んな事があって、会長に会って誘われて…………1億B分のお仕事をやらせてもらってたってワケ。よくある話だろ?」
「そういう経緯か………お前もなかなかハードな道歩んでんな」
うーむ、と思わず唸るフランキーやウソップ。
島にきて色々と世話になっている男の経歴を聞き、神妙な表情になる一味に苦笑を返す伊達マルは、ふいに甲板の方向を見やって眉間にしわを寄せた。
「ハードといえば………」
ざざざざ……と滝のような勢いで降り注ぐ雨。
1m先も見えなくなるほどの豪雨が、浅瀬に浮かぶサニー号を濡らす。
そんな中、甲板の芝部の上に1人、少女がぼんやりとした表情でぽつんと独り佇んでいた。
「おーい、エール。中入んねェのか? ずぶ濡れだぞ」
船室の扉を開け外に出たルフィが、立ち尽くすエールの背に向けて呼びかける。
エールはゆっくりと振り向き、ルフィを見つめる。元から表情の乏しかった少女は、日中の一件以来より一層変化に乏しくなってしまっていた。
「…雨、か。わからなかったよ」
「寒くねーのか? カゼひくだろ、お前もこっち来いよ」
「…平気さァ。風邪なんかひかないし…寒くもないよ」
黒雲を見上げ、降り注ぐ雨粒に手のひらを掲げて触れるエール。
無数の大粒が痛みすら覚えるほどの勢いで皮膚に当たっているというのに、一切顔は歪まない。
むしろ、自分自身を嘲るように卑屈な笑みを浮かべてみせた。
「………何も感じないからね」
ぐ、と徐にエールは自分の片腕を掴み、力を込める。
握り締められた右の二の腕が、僅かな抵抗の後に、ぼぎん、と音を立ててまるごと引きちぎられる。
その直後、引き千切られた右腕が、何十枚もの硬貨となって散らばった。
「おめー…あのメダルの奴らと一緒の体だったのか?」
「そうだよォ…私の体は全部………偽物なのさァ」
目を丸くするルフィの前で、エールはまた嗤う。
散らばった硬貨を、無機質なその輝きを蔑んだ目で見下ろし、吐き捨てる。
「グリーズは元々………
じゃらじゃらと音がして、エールの肩が蠢く。引き千切られた残りから無数の硬貨が湧き出し、形をなす。
やがて光とともに効果が一体化し、元通りの腕に変じる。
人ならざる、それどころか生物ですらないその光景を、ルフィは無言で見つめ続けた。
「満たされないから欲する、欲しても満たされないから苦しむ………そういう悲しい存在だよ」
黙り込んだエールの周囲で、雨音だけが響く。
だがその音も、エールには濁った雑音にしか聞こえていないのだろう、終始不快げに眉間にしわがよっていた。
「そんで…それを作ったのが、おめェの父ちゃんで………ホントの〝よくばり〟なんだな?」
「……そうだね。全部全部アイツの所為………そして、止められなかった私の所為」
はぁ、と思い溜息が溢れる。
体温すらも失ったエールの息は、冷たい雨の中でも白く染まることはない。
「………どうしてこんな事になっちゃったのかなァ、私がやっと………
全ての記憶を取り戻した少女……遥か過去の真実を知る一握りの存在は、そう言って島を見やる。
800年前の悲劇を、自分の犯した大きな過ちを思い出しながら。
───800年前、名もなき島(現在の陽炎島)
うねる渦に囲まれた孤島。あらゆる物を引き摺り込み、一切を外へ逃がさない天然の牢獄。
広く大きく、三つの円が並んだ形状のその島は───怪物達の巣窟であった。
「ギャオオォオオォ…!!!」
巨大な獅子が吠える。と同時に、鬣が光を放ち周囲の者の目を眩ませる。
雄々しき咆哮と光が弱き獲物達をねじ伏せる中、大地を踏み均す巨体が飛び出してくる。
「ブモォオオ!!!」
「キュウウウゥ!!!」
大木を薙ぎ倒し、角を振りかざし突進する巨大な猛牛。その後に続く、樹々を切り刻む無数に枝分かれした角を生やした鹿。
広場に出た二体と獅子は、互いに殺気に満ちた目を向けて頭から激突する。
その頭上を、一羽の鳳が飛翔し、鋭く研ぎ澄まされた爪を見せつけ急降下した。
「クカカカカカカヵ!!!」
ぎぃん、と。
まるで太刀音のような甲高い音を響かせ、猛獣達のそれぞれの得物がぶつけ合わされた。
───その島は、まさに猛獣達の蠱毒。
圧倒的な強さ、特殊能力、そして生命力…‼︎
凄まじき生命を宿した無数の怪物達が、雄々しくぶつかる修羅の国。
弱き種は淘汰される、無慈悲な世界。
大地は揺れ砕け、樹々は切り刻まれ吹き飛び、破片があちこちへ飛び散る。余波だけで死に至りかねない、激しく恐ろしい怪物達の殺し合いの場。
そんな地獄の中を、小さな影がこそこそと、しかし早足で駆け抜けていく。
「ハァッ……ハァッ……‼︎ ハァ…………!!!」
大地に残った巨木の根元に潜り込み、身を隠し息を整える、一人の少女。
全身汗だくで、荒い息を吐きながら、そっと木の陰から裏側を……怪物達の激突の様子を伺う。
舞い散る血飛沫、迸る絶叫。
近付けば命はない恐ろしき惨劇の決闘。
そのぶつかり合いの向こう側に見える目的のもの……瑞々しく生い茂る色彩を確かめ、少女はごくりと息を呑む。
そしてじりじりと機を伺い、姿勢を低くしたまま走り出した。
地獄に向かって、意地汚く、泥にまみれてなお生きる為に。
───その島では、人もまた餌に過ぎず。
秀でた頭脳に恵まれていようと、弱肉強食の理からは逃れられない。
争いから逃げ、追い立てられ、隅で震え怯えるのみ。
「うわああああァン…‼︎」
島の東端、荒れた岸辺。
唯一猛獣達の気配が感じられない安全地帯に、幼子の泣く声が響く。
「泣くんじゃないよ…‼︎ 泣いたってどうにもならないの…‼︎ お腹が空いてるのはお母さんも一緒なんだよ………‼︎」
幼子をなだめる母親の声も弱々しく、今にも途切れそうだ。
がりがりに痩せ細った身体はいつ折れてもおかしくない。だがそんな彼女が必死になだめても、幼子は落ち着いてはくれない。
「食い物……食い………もの……………‼︎」
「オイやめろ‼︎ そんな怪しい草食うんじゃねェ‼︎ 死んじまうぞ!!!」
別の場所では、骨ばった男が地面に這い蹲り、固い土を掘り上げ見つけたよくわからない草の根を食もうとしている。
別の男が止めようとするも、同じく痩せた彼には友人の執念を止める力もない。
「おい‼︎ しっかりしろ‼︎」
「……もう…ダメだ……体が…動かねェ……」
四肢を投げ出し、項垂れる仲間に必死に呼びかける男がいる。
仲間の手には粗末な鍬のような棒切れがあり、彼らの前には表面だけが掘り返された固い土が広がっていた。
「朝から晩まで働いて………荒地を耕して……畑を作って………………だけど、作物なんざもうまともに育ちゃしねェ。頑張りたくても………食うもんなんざ何もありゃしねェ」
残った力を絞りきって、重い体を奮わせ努力した結果が目の前のこの寂しい景色。何をしようと無意味、そう思わされるほどの絶望が彼らを襲っていた。
「せっかくあのバケモノ共に襲われない場所を見つけたってのに………渇いた土以外何もありゃしねェ…‼︎ このままここで餓死するしかねェなんてあんまりじゃねェかよ……!!!」
「おれ達は……おれ達はこのまま……‼︎ 無意味に死んでく…ただそんだけなんだ」
乾ききった体からは涙が溢れてくる。
友のそんな姿を見ても、湧いてくるのは悲しみではなく、勿体ないという感想。
嘆く他に、彼らには何もできずにいた。
「どうすりゃ………どうすりゃいいんだ…!!?」
ゆっくりと死に向かう友を胸に抱いたまま、項垂れる男。泣きわめく我が子を抱きしめるしかできない母親。狂いかけた若者。
地獄から逃れた何十人もの人々が、暗い未来に絶望し項垂れている。
……だが、そんな彼らの前に、一人の救い手が現れた。
「──おなかがすいてるんだね? 大丈夫‼︎ もう大丈夫だよ!!!」
人々の悲痛な声とは打って変わって、希望に満ちた力強い声が響く。
はっ、と人々が顔を上げ、その声の主を見上げると、その方向から何かがころころと転がってくる。
木の実だ、果実だ。
水気に溢れた果実が、痩せ衰えた男達の前に落ちてきた。
人々は大きく目を見開き、果実を落とした人物を……両手いっぱいに幾種もの果実を抱えてやってきた少女を凝視する。
「……‼︎ お…お前…!!!」
「そ…………その果実は……!!!」
「諦めちゃダメ! 荒れた土地にも草は生える……過酷な場所にも生き物はいる! たくさんの生き物が精いっぱい生きてるのに、人間が負けてる場合じゃないでしょ!!!」
漂う果実の匂いが、目に映る鮮やかな食べ物の実在を伝えてくる。
どよめく人々の前に仁王立ちし、少女は満面の笑みを携え、大きく声を張り上げて彼ら彼女らを奮い立たせる。
「さァ立って‼︎ 一緒に頑張ろう‼︎ 私が手を貸してあげるから!!!」
全員分にはとても足りない、しかし確かに明日に命をつなげる糧を抱えて、少女───ヒノ・エールはにかっと笑ってみせた。
……頭からどろりと流した血で、上半身を真っ赤に染めながら。
「さァ…!!! 私が採ってきた森の果物をお食べ!!!」
「「「うわあああああああああ!!?」」」
少女を迎えたのは称賛の声でも感謝の言葉でもなく。
恐ろしいものに遭遇した人々の、心からの恐怖の悲鳴だった。