ONE PIECE −LOG COLLECTION : ELEANOR−   作:春風駘蕩

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第296話〝これでいい〟

 ごぼりごぼり、荒れ狂う水流の中を進む。

 片手で握った銛の先端を前に向け、暗い海中を探るように泳ぐ。

 

 うねる青の中、巨大な魚影が動く。少女はぐっと唇を噛み締め、一気に加速すると、油断した獲物の鰓の中に思いっきり銛を突き立てた。

 

 

 

 ざばっ、と水飛沫を上げ、少女───エールが顔を出す。

 ぶるぶると首を横に振り、波打つ髪から邪魔な水滴を払い除けた。

 

「ぷはっ!!! ひゃ〜〜〜…‼︎ やァ〜〜っと獲れたよ……今日はァまァ大漁かねェ?」

 

 捕らえた成果を銛に突き刺したまま担ぎ、ぺたぺたと陸地を歩く。

 エールは自宅である荒屋の前に辿り着くと、巨魚を置いて、濡れた上着を脱いで雑巾のように力一杯絞る。

 

「半分は干して……もう半分はどうするか。配ってもいいけど…欲しがる奴はいるかねェ…?」

 

 巨魚は一人では食べきれない大きさ。保存食にしても余るだろう。

 どうしたものか、と悩むエールは深い溜息をつき、ふと視界に映った景色に……沿岸に立ち並ぶ数々の家々、そしてその中心に聳え立つ城を見やった。

 

「…変わっちゃったねェ、この島も」

 

 ───この島に流れ着いてから…はやくも12年。

   〝王〟の偉業が始まってから、10年が経過していた。

 

 

 

「今日の獲物は『火吐きクジャク』だ‼︎ 脂がのった食い応えのある肉だ‼︎ そら買った買った!!!」

「『大蛇の牙薬』は如何だい〜〜? やけど擦り傷腹痛頭痛〜〜〜〜何にでも効くいい薬だよォ〜〜〜〜〜?」

「次の狩りにはこいつをお供に‼︎ 『鋼大兜』を素材に拵えた鎧兜はいらんかね!!?」

 

 いつしか出来上がっていた街……いや、国。

 そこはかつてからは想像もできないほど活気に満ちていた。

 

 エールは巨魚を担ぎ、国の通りを歩く。

 ちらりと視線を左右によこし、無言で足を動かし続ける。

 

 立ち並ぶ屋台に置かれているのは豊富な食糧。だけではなく、薬も道具も、さらには女性達を着飾る服や宝石まで揃っている。

 誰もが満たされ、笑っている。その中には、かつては絶望の表情で項垂れていた者達もいた。

 

「ん…? おォ、エール‼︎ ………何だお前、まだ1人で意地はって暮らしてるのか?」

「…ユイチ」

「相変わらずヒョロッヒョロだな。鶏ガラみたいに痩せちまって………ちゃんと食えてないだろ。今にもぶっ倒れそうだぞ」

 

 出くわしたのは、いつかは枝のように痩せ細っていた青年。今や随分と背が伸び、両手に女性を侍らせて通りを我が物顔で歩いている。

 

「いい加減お前もこっちに来いよ。いらない苦労なんざ続ける必要ないって」

「………………」

「一度お前の親父に頭下げるだけだ、そんだけで何の不自由も苦しみもねェ暮らしに仲間入りできるんだぞ⁉︎ なんでたった一度意地を捨てることができないんだ?」

 

 以前は〝王〟に対して悪態を絶やす事のなかった彼が、齎された享楽を全身で味わっている。

 その変貌に、エールは無意識に目を背けていた。

 

「………悪いねェ。私は今の暮らしが気に入ってんのさァ。気にしないどくれ。……そんじゃあ、私は今日の釣果を届けて来るから」

「ハァ~……しょうがない奴だな。そんなんじゃ長生きできないぞ」

「黙りな、ユイチ。余計なお世話さァ」

 

 じろり、と青年を睨み、手を振るとエールはさっさとその場を後にする。

 しばらく歩き、エールはやがて店先に鮮魚が並べられた屋台の前にやってきた。

 

「おっちゃん、コレ! 買い取っておくれよ‼」

「ん…? おォ、エール。また来たのか」

 

 店先にいた禿頭の男に声をかけると、男はエールの担ぐ巨魚よりもはるかに大きな魚をさばきながら振り向く。

 

「んん……雑魚だな。まァお前が獲れる獲物っつったらこのくらいか」

 

 エールの持ってきた巨魚をやや険しい表情で確かめ、男は店に引っ込み、小さな薬の瓶をいくつかエールに手渡した。

 通貨のないこの島では物々交換が基本。エールに渡されたのは、品質が波の普通の飲み薬だった。

 

「渡せるのァこの位だな………もうちょい色付けてやりてェところだが、こっちにも商売があるからな」

「あはは…悪いね。漁が下手なもんで」

「ホントならコイツらも売り物にゃならねェんだが…お前さんにゃ借りがあるからな。特別だぞ特別」

 

 以前はエールの持ち帰る果実で命を繋いでいた男。

 がりがりの骨のようだった彼は、今では考えられないほどに筋骨隆々になっている。

 

 対するエールは体はそこそこ育ったものの、年齢の割に小柄なままだった。

 

「元気なうちに自分の生き方ァ、考え直しておいた方がいいぞ。早死にしちまう」

「…参考にさせて貰うよ」

 

 男との会話を早々に区切り、エールは踵を返し歩き出す。

 

 用事を終え、一度自宅に戻るために海岸に向かう。

 とぼとぼと頼りない足取りで歩く彼女の耳に、どこからか喝采が響いてくるのが聞こえた。

 

「英雄達が帰ってきたぞォ〜〜〜!!!」

「今日も大量だ!!! でけェゾウの化け物を引いてる!!!」

 

 振り向けば、国を横断する大通りに人だかりができている。その向こうには、巨大な獣がずるずると引きずられていく様も。

 

 森の入口へとつながる大通り。

 そこから戻ってきた〝王〟の率いる部隊が、再び獲物を連れて帰還したようだ。

 

「すげェ………何だよあのバカでかさ」

「南の森の沼をナワバリにしてた主だ……‼ 硬ェ皮膚ととんでもねェ重さで何でも踏み潰しちまう怪物」

「そんな奴にまで勝っちまったんだ!!!」

「あんたさえいりゃ、もうこの島の化け物共なんて何も恐くねェ!!! アンタこそ王の中の王だ‼」

「この世の誰よりも強くて欲張りな男!!!〝強欲王〟だ!!!」

 

 引きずられる巨獣。そして、その上で威風堂々と仁王立ちする〝王〟。

 その勇ましき姿に、民は皆目を輝かせ、心からの喜びと期待をあらわにしていた。

 

「「「「「〝強欲王〟!!! 強欲王〟!!!」」」」」

 

 民の声に、〝王〟は不敵に笑いながら手を挙げ、凄まじい拍手喝采を一身に浴びる。

 

 その時、〝王〟の視線が一瞬だけエールに向いた気がした。

 だが彼は何の反応も見せず、何事もなかったかのように目を逸らし、そのまま去って行った。

 

「…………あちらに混ざらなくてもよろしいのですか?」

 

 ぼんやりと、はしゃぐ人々と称えられる〝王〟を見送りながら、立ち尽くすエール。

 その背に、異形の女が案じるような声で尋ねてくる。

 

「あァ…ラケルかィ。久しいねェ」

「お久しぶりでございます、我が恩人エール………それで、本当によろしいのですか?」

「…行く資格はないよ。今の私は、大した働きなんか何にもできちゃいないからねェ」

 

 悲しげに眉をひそめ、首をかしげるラケルに、エールは困り顔で頬をかく。

 人々とは明確な熱量の差があるエール。彼女は人だかりを再び眺め、目を細める。

 

「父様が遠征で成功を収めるようになって………森の猛獣達に勝って領地を増やして、資源が集まるようになって、この島も随分変わったからねェ」

「…ですがそれは……」

「誰も飢える事なく、凍える事もなく…誰もが笑顔で、生きる希望に満ち溢れてて……そんでみんなが、誰かに縋る必要もないくらいに逞しくなった。あの頃の………絶望と悲しみに満ちた暮らしからは想像もつかないくらいに」

 

 以前からは想像もできない光景だ。

 エールが一人奮闘し、得ようとしていた光景がそこにある。

 

 だが、それを成し遂げたのは自分ではない事に……自分が何も関われていない事に気付き、エールは深い溜息をこぼした。

 

「…あんただろ? 父様を導いて猛獣達に抗う力を与えたのは」

「…………」

「………スゴイねェ、何者なんだィ? あんたは…たった一人で島の連中全員を救っちまえる、そんな力や知識を持ってるなんて、只者じゃない」

 

 妬みも恨みもせず、エールはラケルの陰の尽力を讃える。

 体を張る事しか能のない自分にはできない偉業をなした女を、真正面から敬する。

 

「………もうみんな、私の助けなんか求めちゃいない」

「……余計な事をしてしまったでしょうか……?」

「んな事ァないさ……………あのままじゃみんなおっ死んでたんだ。救われた事に礼を言っても恨み言なんざ言える訳ないだろう」

「…そこへ辿り着くまでに、あなたの尽力が根底にあったのは間違いない事だと思われますが?」

「よしなよ……そんな恩着せがましい考えなんか抱いちゃいない」

 

 気を遣われる事をよしとせず、エールは首を横に振る。

〝王〟達の部隊がその場を去ってからも騒がしいままの民を眺め、エールはふっと笑みを浮かべた。

 

「まァでも…………私のあのちっぽけの頑張りがムダじゃなかったってんなら、それでいいのさァ。何も求めるモノなんざないよ」

 

 何か言いたげなラケルを手を振って制し、エールは歩き出す。

 これ以上何かを見る前に、これ以上何かを聞く前に、エールはさっさとその場を離れたかった。

 

「じゃあねェ、ラケル。…今後もどうか父様の癇癪に上手く付き合いながら仲良くやっておくれよ」

 

 最後にそう言い残し、街から立ち去るエール。

 ラケルはそれを、冷静に見送っていた。

 

 

 

「……そうさァ、なぁんも気にする事ァない。何も……何も…」

 

 自宅の荒屋に戻り、エールは自答する。

 

 自分で作った下手くそな家具、すぐに壊れる狩の道具、まずい保存食。

 誰かを助けるために必死に、傷だらけになりながら集め、こさえ、用意してきた数々の品に囲まれながら。

 

「みんなが幸せなんだから…………これでいいのさァ…」

 

 自分以外に使う事のなくなったそれらを眺めながら、エールは乾いた笑みをこぼした。

 

 

 

 ―――…しっかり働け!!!

    ぐずぐずするな役立たずのゴミクズが!!!

    何もせずにメシなど食わせて貰えると思うな!!?

 

 ―――塵ひとつ残すなよ⁉

    しっかり終わるまでメシはナシだ!!!

    わかったな!!?

 

 ―――当たった当たった‼

 ―――きたねェゴミ女に当たったァ。

 

 ―――下賤な奴隷のガキが…‼

    おれ様の前にその汚ったねェ姿を晒すな!!!

 

 ───貴様が我の子だなどと思い上がるなよ…‼︎

    今の所唯一の女だから生かしてやっているのだ……ありがたく思うがいい。

 

 ―――おい見ろ…アレが噂の落とし胤か?

    また王のお戯れの産物が増えた………。

 ―――あの方の奔放ぶりには困ったものだ……。

    側妃が何人も、御子が何十人もいるというのに、

    今度は奴隷の女に手を出すとは……。

 

 ―――血が高貴でも奴隷ではな………女であるだけ価値はあるか。

 ―――王の血を引いていようと奴隷の仔だ。

    このまま何事もなければただの小間使いとして死んでいくだろうよ…。

 

 ───…その顔を見せないで頂戴…!!!

    穢らわしい……汚い‼︎

    あの男の血が混ざったこの世で最も醜い顔………!!!

    あんたなんて産みたくなかった…産まなきゃ良かった!!!

 

 ―――…死んだか。

    チッ……金額分の働きもできんとはな。

    役立たずのコイツの分も、お前にしっかり働いて返して貰うぞ………。

 

 ───…王よ、お教え下さい…‼︎

    我々はどうすればいいのですか…⁉︎

 

 ───敗北した我々が………着の身着のまま故郷を逃げ出し、

    流れ着いたこの島は人の住める場ではございません………‼︎

    森は深く波は激しく…‼︎

    棲まう虫魚禽獣は悉く規格外の強さを持つバケモノばかり……‼︎

    一体……一体どうすればこのような地獄で生き延びられましょうか!!?

 

 ───なんとか言えよ‼︎ なんとかしろよ‼︎

    全部お前のせいでこうなってるんだぞ!!?

 ───お前がどっちつかずの曖昧な態度を続けたせいで

    こんな事になってるんだろ!!?

 

 ───…オイ。

    てめェはそこで何やってんだ、クソガキ…‼︎

 ───お前………あの役立たずの娘だったよな…!!!

 

 ───お前の無能な親父のせいでおれ達はよォ!!!

 ───腹は減るし…‼︎ 凍えるし‼︎

    獣共に無残に食い殺される奴らばかり!!!

    全部あのクズ王のせいだ!!!

 

 ───お前もあいつと同類だ!!!

    たみに無駄に犠牲を強いるだけで何の役にも立たねェゴミだ!!!

    なんでそんなゴミがのうのうと生きてて…!!!

    おれの母ちゃんとガキ共が死ななきゃならなかったんだ!!?

 ───何が王だ‼︎

    タダメシ喰らいの大迷惑野郎の分際で‼︎

    偉そうに踏ん反り返ってんじゃねェよ!!!

 

『ご……ごめんなさ…‼︎』

 

 ───そのツラ見てるだけでムシャクシャする………‼︎

    役立たずのゴミクズ野郎共の一員が‼︎

    野郎の代わりにてめェをグチャグチャにしてやらァ!!!

 

『ごめんなさい……ごメンなさい……ゴメンなサイごめンナサイゴメンなさイ…………‼︎』

 

 

 

『………役に…立たなきゃ』

 

 誰にも、求められなかった。

 父も母も、欲して自分を生み出したわけではなかった。

 

 何の価値もない、石ころにも劣る邪魔者。それが自分であり、あの悲劇の直後からは、より一層自分は邪魔になっていった。

 

『私は…ここにいちゃ…いけないんだ………もっと役に立つ存在じゃないと…生きてちゃいけないんだ…………‼』

 

 拒絶され、蔑まれ、押しのけられ。

 自分の居場所がどこにもない事を完全に理解した時、気付いた。

 

「…ああ、そうか。私は、このために産まれたんだ』

 

 望まれず、求められず、誰にも必要とされなかった。

 だが今は、自分を憎む者がいる。嫌う者がいる。贖罪を求める者がいる。

 

 自分が人々の憎悪を引き受け、傷つき壊れていく事で、自分はようやく誰かに求められる存在となり得るのだ。

 

『……皆を…助けなきゃ……それが…私の生きる意味なんだ………』

 

 だから、精一杯働いた。罪を償った。

 どんなに傷ついても、死にかけても、自ら望んで死地に向かい続けた。

 

『みんなの役に立たなきゃ………生きてちゃ…いけないんだ……!!!』

 

 それが、自分の存在理由。産まれてきた意味。

 死にに行く事こそが、自分がこの世に在る意義なのだ。

 

 ……だとしたら、誰も彼もが幸福に満ち、憎悪を忘れた今。

 自分が存在する意味とは、何なのだろうか。

 

 

 

 がしゃん!

 

 荒屋の中に破砕音が響き渡る。

 自分で作った水差し、皿、器、狩りの道具。それら一切を、目につく全てを、片っ端から破壊していく。

 

 歯を食いしばり、眉間にしわを寄せ、涙を流して。

 

 しばらくの間、エールは暴れ続けた。

 暴れて暴れて暴れ続けて、やがて家の中の形あるものが何もなくなった頃、ようやく少女は動きを止める。

 

 ふぅふぅと荒い息を繰り返し、立ち尽くしたエールは、やがてふらりと幽鬼のような足取りで自宅を後にした。

 

 

 

 いつもより強く吹き抜ける風が、樹々の葉を揺らして騒がしい音を鳴らす。

 冷たい風に撫でられ、刺すような痛みが肌を襲うが、エールは巨樹の根元で膝を抱えたまま動かずにいた。

 

 そこへ、巨大な鳥の影が降り立つ。

 無言で佇み、隣に寄り添う真紅の鷹に、エールは俯いたまま乾いた笑みを浮かべた。

 

「…やァ、アンク。いつぶりかねェ」

 

 相変わらず、アンクは何も答えない。

 普段以上に沈んだ様子のエールを横目で見下ろしながら、話を促すだけだ。

 

「最近あんまりこっちに顔出さなくなったねェ………まァ、その方がいいかもしれないねェ。皆強くなっちまった……森の獣達にも勝てるようになってきて、アンタだって危ないかもしれない」

「…………」

人間()が言えた話じゃないかもしんないけどねェ……アンタにだけは、無事でいてほしいのさァ」

 

 民にとっては、島に棲まう巨獣達はどれもこれもが恐るべき敵である。

 かつてはただ一方的に狩られるだけであったが、力と武器と知識を得た今ならば、巨鳥もまた美味そうな獲物である。

 

 獣達の主、〝空の王〟たる彼ならば、その価値は他の獣とは比較にもならないだろう。

 

「………皆たくましくなった。誰も飢えず、凍えず、笑って明るく毎日を過ごしてる。もう………私の助けなんか必要としないくらいに。これでいいのさ…これで………いいのさァ」

 

 視線を落とし、丸くなるエール。ぽつぽつとこぼす言葉は、アンクに聞かせているというよりは、自分に言い聞かせているかのようだ。

 

「……誰も私を必要としてない。望ましい事なのに、私の願ってたことなのに………見返りを求めちまう。生きる理由を求めちまう。…こんな自分が、イヤになる」

 

 エールは今、惑っていた。

 

 辿り着いた自身の存在意義に従って、懸命に他者のために尽力してきた。

 だが、その行動も意義もたった数年の間に無価値と化した。大した縁もゆかりもない他人の善意で、全てが無意味に終わった。

 

「私は何をしたらいい…? 何をしたら生きてていいんだィ? …………何の為に、何をする為に……私は……生きてんだィ………?」

 

 アンクは相変わらず何も答えない。

 だが代わりに、自ら翼を開いてエールを抱き寄せ、羽毛の中に包み込んだ。

 

「…そんじょそこらの男より、あんたはいい雄だねェ」

 

 島の人々の事は、嫌いではない。だけど、好きでもない。

 エールの施しに礼は言ってくれる。だが、進んでそれを手伝うような者はついぞ現れなかった。

 

 何かして欲しかったわけではない。

 だが、エールの心が満たされる事はなかった。

 

「………ねェ、アンク。アンタさ…〝神様〟って………信じるかィ…?」

 

 不意に、エールはアンクに問いかけた。どこまで人の言葉をわかっているのかは知らないが、気づけばその問いを投げかけていた。

 

「昔…聞いた事があるんだ。いつでもおどけて、人を笑顔にする……どこにいたって手が届いて、いつだって助けてくれる………優しくて強い神様。そういうのが………この世界には本当にいたんだって」

 

 暖かい怪鳥の羽毛の中、うとうとと微睡みながらエールは語る。

 誰から聞いたのか、どこで知ったのかも覚えていない、心の何処かにこびりついた思わず笑えるような話。

 

 実在などとうに信じていない、都合のいい物語。

 

「正直私は…そんなもの信じちゃいないけどねェ………憧れちゃあ、いるのさァ。そういう人に…私は、なりたかった」

 

 ───そうすれば、みんなが受け入れてくれるだろうから。

 

 そんな卑屈な思いを口にし、エールはゆっくりと瞼を閉じる。

 鞴のようなアンクの呼吸と鼓動の音を子守唄に、深い深い眠りの中へ落ちていった。

 

「そんな願い……叶うわけないのにね」

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