ONE PIECE −LOG COLLECTION : ELEANOR−   作:春風駘蕩

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第297話〝不気味な会合〟

 どちゃっ、と海岸に引き上げられる大魚。

 鋭い牙が口内に並んだ、鋼のように固い鱗を全身に纏った怪魚が、鰓に銛を突き立てられた姿で横たわる。

 

 その横に立ったエールは濡れた髪をかき上げ、肩で息をする。

 

「…よし、今日はこれだけで十分か。どうせ…私以外食べないだろうし」

 

 他人に施すために、必死に食料集めを続けたこの10年。

 体が育って狩る量も増えた。だが島の生活が変わって住民達に求められる事も減り、自分が口にする量は増えたというのは皮肉な話だ。

 

「……最近、あんまり襲われなくなったな。前はナワバリに入っただけで感づかれてめちゃくちゃ襲ってきてたのに…………最近は…凄く静か」

 

 ふと、周りに耳を澄ますと、異様な静けさが気にかかる。

 凄まじい殺気を伴って向かってきた獣達が、最近はとんと姿を見せにくくなっていた。

 

「どうしたんだろ……この気配の薄さ」

 

 辛うじて感じられる気配は、酷く遠くか細い。

 依然、周囲に警戒しながら、エールは恐る恐る森の奥へと歩き出す。

 

「ギャオオオオオオ!!!」

 

 すると、突如樹々の向こう側から大気をびりびりと揺らす咆哮が響いてくる。

 咄嗟に身を隠し、身を伏せながら、巨大な影が暴れる姿と小さな人影が幾つも動き回る姿を、草木の影から覗き見た。

 

「大人しくしろっ…‼︎ このバケモノめ!!!」

「口を押さえろ‼︎ こいつの牙は鎧を貫く!!!」

 

 暴れているのは、岩のような硬い皮膚を誇る鰐の怪物だった。

 鋼であろうと容易く噛み砕ける牙が並んだ強靭な顎を大きく開き、自身に群がる人間達を追い払おうと藻掻く。

 

 だが、その体に鋼鉄の縄が複雑に絡まり、拘束しているのが見える。

 

「……あの縄…罠…アレが狩りの成功の秘訣か…」

「ガルルルルァ!!!」

 

 暴れれば暴れるほど、罠はより一層絡まって大鰐を縛り上げる。強力な武器である顎を封じられ、同じく強靭な尾も自由を奪われている。

 

 動けなくなっていく大鰐の上に立ち、狩人たる男達が嘲笑を浮かべた。

 

「ヒヒッ…効かねェよそんな攻撃」

「大したモンだぜ、この金属縄は………どんだけ力を込めようがちぎれる事もなく、火にも酸にも耐える。〝賢者サマ〟のお陰で大助かりだぜ」

「オイオイ………〝賢者〟の()()だろ?」

「どっちでも大して変わんねェだろ、便利で賢いお嬢さんのモノスゲェ知恵ってこった」

 

 くぐもった呻き声しか出せなくなっていく大鰐の上で、男達はにやにやと緊張感のないまま談笑する。

 命懸けで森に入っていた頃からは考えられないほどの気の緩みようだ。

 

「だが…それでも()()()()は面倒だな…………余計な手間がかかって仕方ねェ。シメちゃダメなのか?」

「そういう指示だ………大人しく従っとけ」

 

 完全に身動きが取れなくなるほど縛り上げられた大鰐を、男達は総出で引き摺りどこかへ運んでいく。

 いいものを食っているからだろうか、以前よりも異常な程に高まった膂力で獲物を運んでいく。

 

 その姿を見て、エールは身を潜めたまま納得したようなため息をこぼした。

 

「……アレじゃあ、私が用無しになるのも無理ないねェ……」

 

 かつては飢えに苦しんでいた島の住人、彼らの今の逞しい姿。

 それを見つめるエールの目には、言葉では表しきれないほどの切なげな感情が滲んでいた。

 

⚓️

 

「よ――し、そのままァ‼ オーライオーライ…」

「倒すんじゃねーぞー! ゆっくりだ…‼︎」

 

 とんてんかん、と足場を組み立てる音が響く。

 組み立てたそれを支点に、太くて頑丈な縄が張られ引っぱられ、巨大な石像が起立させられる。

 

 鷹の意匠のその像は、眼光鋭く島の東側を見据えて立ち上がった。

 

「…いつの間にか、人も増えたな」

「ああ。………昔ガキだった奴がデカくなったり、時々どっかから流れ着いてきたり……あれから10年だ。変わりもすんだろ」

 

 大勢の人間達が集い、作業を行う現場を横目に、酒場で席に着いた男達が語り合う。酒の入った杯を口にしつつ、騒がしくなった島を改めて眺めた。

 

「ガキやジジババ…弱ェ奴から次々に死んでく地獄が…今やこうして好きなだけ飲み食いできる楽園に変わったんだ。〝強欲王〟様サマだ」

「まったくだ‼︎ あの頃からは考えられねェ!!!」

「ホントホント‼︎〝おおさま〟のお陰でおれ達ゃ毎日満腹だ!!!」

 

 こん、と杯をぶつけて音を鳴らす男達。

 二人の会話に続き、同じ席に着いていたもう一人―――見上げる程の巨体と肥えた腹を有した若者が大きな声で笑った。

 

 大きな骨付き肉を両手に持つ彼に、男達はやや呆れた視線を向ける。

 

「流石におめェ………食い過ぎじゃねェか? いくらでも食っていいっつったって限度があんだろ」

「いいだろ別に………ガキの頃食えなかったんだから。おれの楽しみの邪魔すんなよ」

 

 険しい表情でぶつけられた苦言に、若者は不機嫌そうに眉間に皺を寄せる。

 以前の生活……食料も家も、着るものすらままならなかった日々を思い出させられ、ぶちっと肉を力任せに食い千切る。

 

 ───いやァ〜〜腹いっぱいだ‼︎ おかげで──

 

 かつてはそう、他者に与えられる僅かな食料を泣いて喜んでいた少年の今の姿。

 以前からは考えられないその図太さに、男達はますます呆れた様子でため息をついた。

 

「皮膚が余ってだるだるだったガキが………毎日浴びるほど食ってすっかり豚になっちまって。お前とタメだった他のガキ共が今のお前を見たらなんて言うかねェ?」

「いいんだよ…‼︎ 働く為にたらふく食ってんだ、おれァ‼︎〝戦士〟が腹空かして動けなくちゃ意味ないだろ⁉︎」

 

 ばくばくと、肉の他にも頼んで卓上に置いていた料理を口に運ぶ若者。

 彼が不意にこぼした発言に、男達は目をぎょっと丸くし、思わず若者を凝視する。

 

「〝戦士〟てお前………ウソだろ」

「選ばれたのか!!?〝王の部隊〟に!!!」

「へへ…‼︎ 今晩呼ばれてんだ、王宮に‼︎ とうとうおれの出番が来たってわけだな〜〜…‼︎」

 

 ぼん、と大きく膨れた腹を叩いて自慢げに笑う若者。

 信じられないと言った様子で言葉を失くした男達は、気持ちを落ち着かせようと杯に口をつけ、傾けた。

 

「〝王〟と共に森に入って、他とは桁違いの強さを誇る獣共を狩る〝王の部隊〟………昔は有志で集ってたが、今じゃ選ばれた数人しか入る事を許されなくなった最強の一団…!!! 何でお前が選ばれたんだ…⁉︎」

「そりゃあ、お前ら………」

 

 ただ肥えているだけで、いかにも鈍重そうで、強者とは無縁に見える若者を見つめ尚も疑う男達。

 そんな彼らに向けて、若者は肉を削ぎ終えた骨を咥えると。

 

 ぼぎんっ!と。

 まるで枯れ枝か何かのように容易く噛み砕いてみせた。

 

「強いから。理由なんかそれに尽きるだろ」

 

 ばりばりと噛み砕かれ、こぼれ落ちる骨の破片。

 

 狩られ、調理されてなお、異常な強さを誇る獣の骨格はそこらの岩よりも隔絶した強度を誇る。

 それを破壊する力を見せられては、流石に納得せざるを得ない。

 

「今晩からおれは生まれ変わる…そして明日から始まるのさ‼︎ おれのおれによるおれの為の新しい時代が‼︎ その為にも気合い入れて食ってるわけよ!!!」

「単に食いてェだけだろ」

「飢えに飢えてたあの頃とは違う……!!! 弱くてちっぽけだったあの頃のおれはもういねェ……今度はおれの番だ、おれがあの怪物達を片っ端から食い尽くしてやるのさ!!!」

 

 にやりと口角を上げ、獰猛な笑みを見せる若者。飢えに苦しんだ過去を経たが故か、〝食〟に対して凄まじい執着と欲を見せる。

 男達は圧倒されながら、それでもやれやれといった風に肩を竦めた。

 

「言うねェ…嬢ちゃんに養われてた頃のお前からは想像もつかねェ強欲ぶりだ」

「嬢ちゃん? 誰の事だ?」

「ホラお前…アレだ、海岸に家作って一人で住んでる………あの子」

 

 男達に言われ、若者は自分の記憶を辿る。

 しばらくの間食事の手を止め、虚空を見上げ、やがてようやく一人の少女の顔を思い出す。

 

「…あァ、いたなァそんな奴」

 

 若者の口からこぼれた感想は、たったそれだけだった。

 かつての自分の命を繋いでくれた人物の事を、顔もうまく思い出せないほど朧気にし、そしてすぐに思考から外してしまう。

 

「なァ…ところでよ? ありゃ何の工事やってんだ?」

「ガラ様達からの指示だ。今まで狩ってきた猛獣達の鎮魂の為の像を建てるんだとよ」

「はー……そういう事考える方々だったんだなァ」

 

 酒場の窓から見える、見慣れない石像に意識を持っていかれ。

 少女の事は、若者からも、話していた男達からも完全に忘れ去られていった。

 

 

 

「ほっ、ほっ、ほっ、ほっ、ほっ」

 

 真っ暗な夜道を、弾むような足取りで駆ける若者。

 月明かりの中を進む姿は、肥えた体も相まって大きな弾が跳ねながら転がっているようだ。

 

 腹を揺らし、両手を揺らし、やがて若者の前に篝火の明かりが見えてくる。

 

「ホイホイとうちゃ〜〜……ん?」

「え?」

 

 徐々に近付くその明かり、森の中に突如現れる石造りの建物―――城の入り口に備えられた灯火。

 その前へと飛び出し、着地した若者は、その場に居合わせた別の人物達に気付き目を丸くする。

 

「なんだァ………他にも呼ばれてた奴らがいたのかよ」

「は? そう言うお前ももしかして…………」

 

 若者が到着するよりも前に、建物の前には数人の男女が集まっていた。

 

 筋骨隆々の男や豊満な身体つきの女、或いは髭面の男に若い娘。

 共通点がさして見当たらない……強いて言うならば若者と同じような欲に満ちた目をしている、島の住人達が入り口の前で屯している。

 

「あなた達もなの? 私達も〝強欲王〟にお呼ばれしてて、ここで待ってるように言われてたのよ」

「なんでェなんでェ、おれだけが選ばれし者だったんじゃないのかよ…」

「バーカ、お前がそんなでけェ期待されてるわけねーだろ」

 

 自慢げに女が語ると、若者ががっくりと肩を落とす。自分だけが特別優秀で認められたわけではないとわからされ、落胆を抱いたらしい。

 そんな若者を、筋骨隆々の中年男が馬鹿にしたような顔で鼻を鳴らした。

 

「力が強ェだけの肉達磨に出番なんかねェ、〝王〟が求めてるのはおれみたいな経験豊富な達人なんだよ。おら、わかったら帰れ帰れ」

「はっ…何言ってんだか。〝王〟のお眼鏡にかなったのは私よ、強く気高く美しいこのわ・た・し‼︎ 汗臭くて泥臭いあんた達男はお呼びじゃないのよ」

「んだと…!!? てめェ上等だコノ────」

 

 自分こそが求められているのだ、と自負する者達が互いに挑発を始め、見る見るうちに一色触発の雰囲気になっていく。

 今にも殴り合いの喧嘩が始まりかねない―――そんな時だった。

 

「…ご静粛にお願いいたします」

 

 突如、その場に居合わせた全員の耳に凛とした声が届く。

 

 集まった住人達はぴたりと静止し、次いでぎょっと目を剥きながら声のした方から飛び退く。

 

 いつの間にか、城の入り口の真正面に一人の女が立っている。

 真っ白な外套と覆面で顔と全身を隠した、まるで怪しい占い師のような格好。体の起伏で、辛うじて女である事だけはわかる。

 

 突如姿を見せた彼女を前にし、住人達はどよどよと戸惑いの声を上げる。

 

「うおっ!?? …だ…誰だ!!?」

「………皆様、ようこそおいで下さいました。〝王〟の遣いで御座います。お時間になりましたので、皆様をお迎えに上がりました」

 

 自身を取り囲み、疑わしげな視線を向ける住人達を前にして、女は微塵も臆する様子なくぺこりと頭を下げる。

 

「なァなァお遣いさんよ、お迎え頂くのはおれだけで十分だぜ? こいつら2人にゃ〝王の部隊〟は荷が重いって」

「うるせェ‼︎」

「それはこっちのセリフよ‼︎」

「ご静粛に、と申しました」

 

 またしても騒ぎ始めた住人達に、再び女の声が向けられそれを留める。

 静かな一言なのに、有無を言わせない異様な威圧感があり、住人達は容赦なく黙らされてしまった。

 

「〝王〟は皆様全員を強くお求めです。ご存知の通り、彼の方は類稀なる強欲………欲したお方に貴賎をつける方では御座いません。個々の価値観で勝手に決められてしまいますと……〝王〟の機嫌を損ねる事になります故………どうかご注意を」

「ウ……」

 

 続けて告げられた女の言葉に、住人達は今度こそ文句を言えなくなる。

 互いに目を見合わせ、未だ言い足りないことを胸の内に抑え込み、渋々といった様子で女に視線を戻し頷く。

 

 それを見て、女も満足そうに頷き、半身を引いて全員に入り口を促した。

 

「では、こちらへ。〝王〟がお待ちで御座います」

 

 

 

 篝火に照らされる通路を、女を先頭として住人達が進む。

 

 見上げる程に高い天井と手を伸ばしても足りない程に広く、そして果てがまだ見えない程に長い通路。

 一体いつの間にこれ程の物を造ったのか、と驚かずにはいられない。

 

「ここが〝強欲王〟の城の中か………!!! 話には聞いてたけどやっぱすげェ出来だな」

「10年の月日の間に完成したとは聞いてたが…中に入ったのは初めてだ。いつの間にかここまでのものを作ってたのか」

 

 たった10年の内に進んだ島の繁栄、それを反映するかのような凄まじい規模の建築に、畏怖と感嘆の呟きが住人達の口から漏れる。

 

 きょろきょろと辺りを見渡しながら歩き続ける事、しばし。

 ついに通路の果てが見え、巨大な両開きの扉が住人達を迎え、重々しい音を立てて開かれていく。

 

「…………よく来た、選ばれし我が()よ」

 

 扉の奥、広大な空間の最奥から〝王〟の声が響く。

 月光が頂点から降り注ぐ円球状の空間に、住人達は女の案内の下、ぞろぞろと進み出て集まる。そして、一人一人が身を乗り出すようにして口を開いた。

 

「なァなァ〝強欲王〟!!! 待ってたぜ‼︎ ようやくおれを部隊の一員にしてくれるんだな‼︎ うひひ………今から楽しみで仕方ねェよ!!!」

「あのォ…えっとォ…♡ 部隊に入ればァ、その分ご褒美も豪華だって聞いてェ♡ 一生懸命頑張りますからァ、できるだけたくさんたァくさん頂きたいなって思ってましてェ♡」

「褒美やら何やらよりも………おれにとって重要なのは地位と名声でしてな…功を立てた暁には、それ相応の見返りをお願いしたいのだが…………!!!」

 

 全員が全員、自身の欲望を全面的に露わにする。食欲、物欲、承認欲求、種は違えど、是認が同程度の強さの欲を目に宿し、玉座に腰かける〝王〟にまくしたてる。

 あからさまな無礼だが、〝王〟はむしろ望ましげに笑うだけであった。

 

「ククク……よいよい…どいつもこいつも良い強欲ぶりだ。それぞれが力に満ちておる。待った甲斐があるというものよ……」

 

 肩を揺らし、愉しげに笑う〝王〟。

 老いた男の目が放つのは、集まった住人達も及ばないほどに鋭く、悍ましい輝き。

 

 浮かれていた住人達は、それを目の当たりにして瞬時に勝機に戻らされた。

 

()()()()()()………〝材料〟と申し分ない。これなら質の良い〝石〟が出来上がろう」

「…石…?」

「失敗作ばかりであった頃がもはや懐かしい………今考えれば、粗末な材料ばかりで碌なものが作れる訳がなかった。こんなに手頃に手に入る素材があったというのに、なぜ気付かんかったのか」

 

 ぶつぶつと住人達を見下ろしながら呟く〝王〟。

 彼が住人達に向けているのは、明らかに『人』に対するものではなく……価値を持った『物』に対するそれであった。

 

「……あの、お話がよく」

 

 ひやり、と背筋に走る寒気に気付かず、いや、考えないようにしながら、恐る恐るといった様子で住人の一人が問いかけようとする。

 

 だが、住人達はすぐに気付く。

 案内役の謎の女がいつの間にか姿を消し、通ってきた扉が重い音と共に固く閉じられ、代わりに別の扉が轟音を立てて開かれた事に。

 

 何かが行われようとしている―――それに気付いた時には、もう遅かった。

 

「始めろ」

ゴルルルルル…!!!

 

〝王〟が誰かに向けて短く命じる。

 直後、開かれた扉の向こうから唸り声が響き、巨大な影がゆっくりと這い出し、住人達に迫った。

 

「「「ぎゃあああああああ…!!!」」」

 

 迸る、悲鳴。夜の闇の中に走る、眩い閃光。

 絶叫は闇を斬り裂き、やがて唐突に途切れ、静寂が辺りに降りた。

 

 

 

「………なんか、聞こえた…ような」

 

 しゃり、と枝を削る手を止め、気付いた違和感に眉を顰めるエール。

 音がした、そう感じた方向に目を向け、鬱蒼と茂る森を見やった彼女は、ほんの少しの逡巡の後、思い切って走り出した。

 

(………最近、この手の〝勘〟が働くようになった)

 

 張り出した根を飛び越え、川を渡り、闇の中を軽やかに駆け抜ける。

 だが、足取りに反して胸中には重い不安が渦巻いていた。

 

 エールの予感は度々当たる。だがそれは見て嬉しいものではない―――大抵が自身に迫る窮地を知らせる恐ろしいものばかりだ。

 

(森の猛獣達から隠れる時、海で獲物を探してる時、風や波が荒れる前…………なんとなく予感が働くようになった。これのお陰でピンチを切り抜けた事もしばしばある………)

 

 望んで見たいものではなかったが、結果的には命を救われた。

 進んで使いたくはないが、この劣悪な環境で生き延びる為には必要不可欠な力だ。

 

 ───だけど…‼︎

    さっきの〝予感〟は普段とは比べ物にならない……!!!

 

    スゴく…!!!

    イヤな予感がする!!!

 

 いつも以上に静かな森の中を駆け抜け、走る走る。

 夜に動く獣の縄張りが近付き、探すのも限界だ、と思われたその時。

 

「────ったく、めんどくせェな」

 

 不意に聞こえた人の声に、エールは足を止めて木陰に身をひそめる。

 背中を幹にぴったりと貼り付け、少しずつ身を乗り出す。

 

 見えたのは、沼の近くで動く二つの人影。大きな塊を担ぎ、引きずって運ぶ若者達だ。

 

「朝から晩までクソ鬱陶しい森ん中で畜生共を追いかけ回して疲れてるってのに、何でこんな仕事までしなきゃならねェんだ…‼︎」

「こんなゴミくらい、あいつらの術でサクッと片付けちまえばいいのによ………まったく」

 

 改めて耳にした彼らの声、ひどく聞き覚えのあるそれに、エールははっと息を飲む。

 

 その時、エールの胸元に草木が引っかかり、かさりとかすかな音が鳴った。

 

「あ?」

「どうした?」

「なんか今物音がしたような……」

「おい、誰かに見られたんじゃないだろうな?」

 

 じろり、と若者達───兄達の視線が向けられ、エールはとっさに身を隠して口を手で塞ぐ。

 

 ばくばくとうるさくなる心臓の音、噴き出る冷や汗。

 必死に息を殺し、兄達の意識が逸れる時を待つ。

 

「……何もいねェみてェだ。気の所為か」

「いねェいねェ、放っときゃいい」

 

 ちっ、と舌打ちをこぼし、抱えていた大荷物を地面に下ろす兄達。

 けらけらと笑う彼らに、エールは細心の注意を払いながら再度身を乗り出し、彼らの行為をじっと監視する。

 

「………兄様達……? あんな所で…………何を…」

 

 兄達は何やら、布で追われた塊を沼の中に次々に投げ入れている。

 相当な重さがあるらしい。2人掛かりで一つずつ、億劫そうに悪態をつきながら乱暴に放り捨てていく。

 

 どぼん、どぼんと沈んでいく布の塊。

 

 ───その中の一つから、運ばれる最中に包みが解け、人の手らしきものがだらりと垂れ下がるのが見えた。

 

「…随分溜まったもんだな、うっすら水面に浮かんで見えるぞ」

「そりゃあ、何十回と繰り返してきたからな……塵も積もれば山となるっつーだろ。コイツらに至っちゃ………今や実際にゴミだしな」

 

 今度こそ絶句し、木陰にとって返してへたり込むエール。

 恐怖で震え上がる少女に兄達は気付く事なく、運んできた塊を……ぴくりとも動かない肉の塊を沈め終える。

 

 仕事を終え、気怠げに肩を回しながら、兄達はにやりと醜悪な笑みを浮かべる。

 

「この沼がこのゴミ共で一杯になる時こそ―――おれ達の計画が完遂する瞬間だ」

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