ONE PIECE −LOG COLLECTION : ELEANOR− 作:春風駘蕩
とりあえず生きてます
「──懐かしいねェ…」
押し寄せる波、絶え間なく続く砂の音。
かつてはとある少女が暮らす荒屋があった、ある入江。
長い時の果てに人がいた痕跡の消え去ったその場所に、エールだった少女とアンクはいた。
「………あんたと初めて出会ったのも…この海岸だった。驚いたよ……気付いたら今みたいにあんたが後ろに立ってたんだもの」
「………」
「食い殺される…………って本気で思ったよ。そんぐらい怖かった」
砂浜に腰を下ろし、手足を投げ出すようにしながら、少女は背後に立つ男に話しかけた。水平線を眺めるその目は、虚ろなままだ。
「……お互い、だいぶ変わったねェ」
苦笑まじりに呟くエールに対するアンクも、また何の感情も見せない。
無言で、海風に髪を揺らす少女を見つめ続けるだけだ。
「私は見ての通り………デカくなったよ。昔、言ったねェ…いつかあんたがびっくり仰天するぐらいのいい女になってやるって。どうだィ? 言った通りになったろ」
「…………」
「………覚えてないか。そうだね…あんたはアンクじゃないんだから」
ちらりと後ろを見やり、小さく溜息をこぼす。
男の鋭い目からは巨鳥の面影を感じなくもない……だがそれでも、彼ではないと落胆してしまう。
「…街を見たよ。跡形もなかった………どうせ父様が何かしたんだろう? 甘い言葉でみんな煽られて…騙されて…………ざまァないね、まったくもって…」
一時の栄光に喜んでいた住民達を思い浮かべるが、その姿は朧げだ。もはや一人一人の顔も思い出せないほど時が経ってしまった。
「……詳しくは知らないけど、あの化け物達の苗床にされたって事なのかな…………おっそろしいね、アレ。アレも錬金術でできたものなのかねェ…? ラケルの奴…とんでもないもの持ち込んでくれたもんだよ」
やがてエールは、嘲りの笑みを浮かべる。
膝を抱えたまま俯き、歪に口角を上げて遠い記憶の果てに消えた同郷の者達を蔑む。
「ハハッ…‼︎ いい気味だよ!!! どいつもこいつも欲張ってバカを見てさ⁉︎ 〝おおさま〟〝おおさま〟ってあの野郎の本性も忘れて崇めてへりくだって!!! くだらない」
「…………」
「人が命懸けで助けてやってたのに…‼︎ なのに私の施しよりもっといいものにありつけたらすぐにそっちに飛びついてさ!!? 私の事なんかぽっくり忘れて呑気に笑っててさ!!! 最高の結末だよ!!!」
ケラケラと声を上げ、肩を揺らして吐き捨てる。
アンクが何も答えない事も気にせず、バフバフと砂浜を蹴って大袈裟なほどに喜んでみせる。
だが、すぐに笑い声は収まり、再び沈痛な表情で項垂れた。
「……………ムカつくけどさ…こんな結末が見たかったんじゃないんだよ、私は。ただ…みんなを助けたかったんだよ。誰かに必要とされたかっただけなんだよ。自分にも価値があるって………生まれた意味があったんだって、そう思いたかっただけなんだよ」
鬱憤ばらしに挑んでみたが、気分は微塵も晴れない。虚しさが一層募るだけで、何も救われない。
胸の中にポッカリと穴が空いているようで、ひたすらに寒かった。
「…ねェ、アンク。あんたさ……………私を、殺しに来たんだろう?」
ぴくり、とアンクのこめかみが震える。
鋭い眼がエールの背中に、今にも儚く消え入りそうな後ろ姿を射抜く。
「やりなよ。私は………抵抗なんてしない」
「………」
「私…いっぱい頑張った………いっぱい戦った。だけど全部………無駄に終わった。私の生きてきた時間に………何の意味もなかった」
ゆっくり、億劫そうにエールは立ち上がる。
パンパンと尻についた砂を叩いて落とし、伸びをしてから、アンクの方に振り向く。
「このまま何も持たないまま死ぬならさ…………その最期はあんたがおくれよ」
虚な眼が、鳥の魔人を映す。
この世で最も大切に思っていた相手───唯一無二の存在の残滓を持つ男の姿を、光のない虚な眼が捉えていた。
「あんたに生かされて…あんたに殺されるなら…………それがいい」
そう、弱々しい声で告げ、微笑んだ直後。
どかっ!
突如、エールの頬に衝撃が走り、体が真後ろに吹き飛ぶ。
注を待ったエールは波打ち際に背中から倒れこみ、激しい水飛沫をあげる。
「………気に入らねェんだよ…!!! 昔から……お前のその態度が!!!」
困惑し、仰向けのまま目を丸くするエール。
呆然と固まる彼女の上に、顔を怒りで歪めたアンクが馬乗りになり、肩を掴んで凄んだ。
「いつもいつも諦めたようなツラでヘラヘラ笑いやがって…!!! ムカつくんだよ‼︎ 何もかも奪われた悲劇のヒロインぶってるお前が!!!」
「…!!? ⁇ !??」
「何がみんなの為だ‼︎ 何が役に立ちたいだ!!! くだらねェ偽善を垂れ流しやがって………‼︎ そんな戯言を聞かされんのはもううんざりなんだよ!!!」
魔人の目が、燃えている。戸惑う少女に対する苛立ちで吊り上がり、ギリギリと歯がきつく食い縛られている。
「そんな戯言で俺の同情引ければ満足か!!? 慰めてもらえりゃそれでいいっていうのか!!? 誰がそんなもんに付き合うかよ!!! 可愛そうな子アピールしてんじゃねェよ!!!」
「………!!! ふざけんなァ!!!」
アンクの罵声に、エールの中で何かが切れる。
たまらずアンクの胸を押し、波の中に引き摺り込んで上下をひっくり返す。
苦悶の声を漏らすアンクの襟首を掴み、怒りに満ちた顔で睨みつけ、激情の咆哮を放つ。
「諦めただと⁉︎ 奪われただと⁉︎ ああそうだよ私には何にも無いんだよ!!! 生まれた意味すらなくて…生きてる意味すらなくて!!!
言葉が次から次へと溢れ出る。
耐え続けてきた思いが、抑え込んできた思いが堰を切ったように漏れ出て、止まらない。目の前で好き勝手言う男にぶつけたくて仕方がなくなる。
「何も無い…? ふざけてんのはお前だろ!!!」
首を掴まれ、再び上下が逆転して押さえ込まれる。
もがき暴れるエールを見下ろし、魔人は憤怒の表情で少女を見据え、さらなる怒号を浴びせかけた。
「おれが今‼︎ 欲しくて欲しくてたまらねェものまで奪われて!!! それでもまたされるがままか!!! 奪われるのをただ見ているだけか!!? ふざけるな!!!」
「うるさい…‼︎ うるさいうるさいうるさい!!! えらそうに説教なんてしやがって……何だってんだィ!!! あんたは何が欲しいってんだィ!!!」
頭に血が上ったエールは、駄々っ子のように首を横に振るばかり。
もう聞きたくない、どこかへ行って欲しいと、覆いかぶさるアンクを拒絶し叫び続ける。
そんな彼女に……アンクは吠えた。
「おれが最も求めるもの──〝命〟だ!!!」
ピタリ、とエールの抵抗がやむ。
目を見開き、黙り込んだ彼女は、荒々しく肩を上下させる魔人を凝視し、ぱくぱくと無意味に口を開閉させる。
「俺を見ろ‼︎ 死にもしねぇ‼︎ 生きるために必要なこともねェ!!! だが代償として生きる喜びは何もねェ!! 生きる喜びを求めることもなく、ただただ悠久の時を
答えはない。答えられない。
魔人の、奪われた者の慟哭に、返す言葉が何も出てこない。
「生まれた意味だと…⁉︎ 生きる意味だと⁉︎ バカが!!! そんなものがあってたまるか!!!」
「……⁉︎」
「『産む』のは他人の勝手だ‼︎ だが『産まれ』て『生きる』のはてめェの自由だろうが!!! どっかの誰かに望まれて生まれて…どっかの誰かに望まれて死ぬ!!? そんなバカみてェな話があってたまるか!!! 何もかも他人に決められた命があってたまるか!!!」
胸が苦しい。痛い。もう動かない、残っているかどうかもわからない心臓が、ぎゅっと締め付けられている気分だ。
絶句したまま凍りつく少女に、魔人は吠え続ける。
両の目を熱く滾らせて啼き続ける。
「答えろ、ヒノ・エール!!! てめェは…どうしたい…!!!」
沈黙が降りる。波のさざめきだけが響き渡る、無の時間が続く。
アンクはエールの襟首から手を離し、ばしゃっと少女の体が波打ち際に打ち付けられる。
呆然と空を、虚空を見上げるエール。
見開かれていた目が、徐々に潤み涙を溢れさせていく。
「わた…し…は」
唇を震わせ、かたかたと全身を震わせ、何度もしゃくりあげ。
胸の内からこみ上げる、今の気持ちが口元まで溢れてくる。
「私は……!!!」
激情に押されるまま、魔人がじっと静かに見下ろす前で、少女は声を上げようとし───
その瞬間、大量の砂を帯びた暴風が吹き荒れ、エールとアンクを纏めて吹き飛ばした。
二人は驚愕の表情で宙に打ち上げられ、ほぼ同時に海面に叩きつけられた。
「ごぼっ…かハッ!!?」
「がッ…‼︎」
呼吸の必要はない事も忘れ、突然の事態に混乱してもがくエール。
一方でアンクはすぐさま海中から体を起こし、衝撃に呻きながら、ぎろりと風の発生源を睨みつける。
「…よう、逢い引き中に悪いな………アンク」
島の方から姿を見せた、四体の影。
昆虫の王、猫の王、海棲類の王、重量獣の王……狂った王に生み出された他の魔人達が、不気味に目を光らせて整列していた。
「アンク…⁉︎ アンク!!!」
「ウヴァ…カザリ…メズール…ガメル………てめェら」
ようやく我に返ったエールは、引き離されたアンクの肩から上がる煙に目を見張る。
自分の盾となった分、赤い魔人の負った傷は深かったらしい。険しい表情で歯を食いしばっている。
「やっぱり〝おおさま〟の予想通りだったね。『反抗的な態度が消えないからどうせ命令も聞く気がない』って…………まァ、標的とイチャついてるとは思わなかったけど」
小馬鹿にした態度でカザリが嗤う。
その横でメズールは壊し甲斐のあるおもちゃを見つけたような嗜虐的な目を、ガメルはなんだかよくわかっていなさそうなとぼけた顔をしていた。
「あの人、もういい加減目障りになったんですって。せっかく作ったけど全然言う事を聞かないから…………まとめて始末してきなさい、ですって」
「はやく、かえりたい」
「まァ…そういう訳だ。元から気に食わなかったが、同類のよしみだ………そいつごと消してやるよ」
ごきこき、と甲殻を鳴らし、腕から生えた刃をアンクに、エールに向けるウヴァ。
他の面々も各々の得物を構え、ゆっくりと距離を詰めてくる。
「ヒ……!」
エールは怯え、顔を青ざめさせながらも動けない。
迫り来る魔人達に、自身の終わりに恐怖し、へたり込んだまま震えるしかない。
そんな彼女の前に、赤い光が立ちはだかる
「ハッ…情けねェ…‼︎ すっかりあの野郎の狗だな‼︎ 噛み付く気力も無くなったかよ!!! おれはただの一度もあのクズに従った覚えはねェんだがな!!!」
じゃらじゃらと硬貨の音を響かせて、アンクの姿が変貌する。
鳥の顔、羽毛の飾りの施された装い、鋭い目と爪。
天を支配し鳥類を統べる深紅の魔人が、目の前に並ぶ同類に敵意を向け、嘲笑してみせた。
「この先永遠に使われてろ、クズ鉄共」
その言葉が、戦いの火蓋を切った。
最初に動いたウヴァが腕の刃を振りかざし、続いてカザリが両腕の爪を伸ばし駆け出す。
背に翼を顕現させて飛び立とうとしたアンクだが、浮いた足に青い蛸足が絡みつき、次いで突然重力が増加し地面に縫い付けられる。
膝をついたアンクに刃と爪が立て続けに襲い掛かり、火花が散り、無数の傷が刻まれる。
大量の硬貨が血飛沫のように噴き出し、海中に撒き散らされて沈んでいく。
アンクは炎を纏い、抵抗を試みるも、周囲の水を操るメズールが波を発生させて消され、さらにはガメルの剛腕が激突する。
攻撃を受ける度、アンクの羽毛が大きく舞い上がる。
その様はまるで、彼が欲した命が片っ端から引き千切られていくかのよう。
重い一撃を受け、大きく宙に吹き飛ばされるアンク。
大きな水飛沫を上げて倒れ込んだ彼に、四体の魔人は並び立ち、片手にそれぞれが司る属性の力の塊を収束させる。
アンクはよろよろとふらつきながら、それでも闘志を絶たず立ち上がる。
そんな彼に向けて──―四つの属性の波動が無慈悲に放たれた。
「アンクゥゥ〜〜〜〜〜!!!! 」
エールが叫んだ目の前で。
四色の光に、鳥人の姿が飲み込まれ、消える。
強烈なエネルーをその身に受けたアンクは次の瞬間、一切の苦悶の声を上げることなく、真っ赤な炎を噴き上げて爆発四散した。
「……チッ、つまらねェ最後だな」
「……ァ…あ…あ…」
飛び散る大量の硬貨と、舞い散る赤い羽根を前に、エールはへたりこんだまま呆然となる。
数秒前まで言葉を交わしていた筈の、失くしていたと思っていた愛しき存在の片鱗を見せた彼が、また消えた。
その事実に、エールの思考は完全に機能を停止していた。
「あら、どうしたの? ガメル」
「コイツ…知ってる」
項垂れ、沈黙するエールのすぐ近くに、ざぶざぶとガメルが近付く。
すると、カザリも同じく少女を訝し気に見下ろし、やがて納得した様子で声を上げた。
「ん〜…? あれ? ああそうそう…この子ってちょっと前に〝おおさま〟に楯突いて幽閉されてた子じゃなかったっけ?」
「ホントだわ。とっくに死んでると思ってたのに…丈夫な子ね」
すぐ目の前に凶悪な魔人が迫っているのに、エールは何の反応も示さない。黙したまま、呼吸する音すら聞こえない。
「目の前でアンクが死ぬところを2回も見ちゃったわけか。ホンットかわいそーな子」
「まァ誰だっていい………」
カザリを押し退け、ウヴァがエールの真正面に立った。
右腕の刃を見せつけるように掲げ、その切先を少女の喉元へと突きつける……皮膚を裂くぎりぎりで、その命は己が握っていると示すように。
既に消え去った憎らしい存在に見せつけるように。
「そんなに自分の
異形の顔を醜く歪め、鋭い切先を突き付けたまま力を籠める。
人間の柔な肌、少し力を入れただけで容易く掻き切れる。死ぬまでの時間の長さに恐怖しながら逝かせてやる、そのつもりで態と手を抜く。
だが、その刃はエールの首を貫くどころか、微塵も傷を刻めはしなかった。
「………………あ?」
違和感に声を漏らすウヴァ。流石におかしいと、右腕にぐっと力を籠める……だが、刃はそれ以上進まない。
その時、投げ出されていたエールの手がゆっくりと上げられ、ウヴァの腕を掴む。
そして──―めぎゃっ‼と、丸めた紙のように容易く握りつぶした。
「!!? お前……!!!」
明らかな異常。魔人達は目の前にいる少女に突如、得体の知れない〝力〟を感じ取り距離を取ろうとする。
だが、その判断は遅すぎた。
ゆっくりと視線を上げるエール。その目が、不気味な紫色に輝き。
次の瞬間、圧倒的な
振るわれた片手がウヴァの脇に触れ、丸ごと抉り。
振り下ろされた爪がカザリを脳天から真っ二つに割き。
正面から殴られたメズールが上半身ごと吹き飛ばされ。
腹に蹴りを受けたガメルの身体が上下に分かたれ。
ほぼ一瞬にして、魔人達は蹂躙され始末されていく。自らの咎を何倍にもして返されたように。
「ギャオオオオオオ!!!! 」
咆哮が上がる。
少女の……少女から変じた紫色の異形の憎悪と憤怒に満ちた雄叫びが、殺戮の浜辺にこだまする。
「ヒィッ…⁉︎ ヒ………や…やめろ…やめてくれ…!!! イヤだ………おれは…おれは死にたくない……!!!」
半身を抉られたウヴァが、ばらばらと硬貨をこぼしながら情けない声を漏らし、ずるずると這いずって逃げようとする。
先程までの高慢さが見る影もない緑の魔人に、紫の異形はぎろりと振り向く。
ずしり、ずしりとゆっくりと距離を詰め、緑の魔人に狙いを定める。
「誰か…たす…け…──」
誰もいない虚空に手を伸ばし、命乞いをするウヴァ。
その背を睨みつけた紫の異形は、大きく腕を振りかぶり───ウヴァの頭部に叩きつける。
ごばっ‼︎
魔人の頭はスイカのように弾け飛び、硬貨となって散っていった。
───ウォアアアアァ!!!
仇敵を仕留めた紫の異形の咆哮が轟く。
その声にあったのは満足感ではなく……果てしない悲しみと、虚しさだけだった。
異変を感じ、咄嗟に空へ飛び立った鼠耳の天使。
見覚えのある、恩人がかつて暮らしていた浜辺に舞い降りた彼女は、そこに広がっていた光景に目を瞠る。
「これは………一体…」
散らばる硬貨、その中心に立つ紫の異形。
かすかに残る魔人達の気配に、まさかとラケルの背筋に寒気が走る。
次の瞬間、棒立ちになっていた紫の異形が一瞬にしてラケルの目の前に現れ、首を掴み、岸壁に叩きつけた。
「………‼︎ かッ…」
「…命乞いしたいなら聞いてやる。好きなだけ喚け」
気道を絞められ、遠のきかける意識。
とっさにもがくラケルの耳に聞き覚えのある声が届き、再び大きく目を見開く。
忘れるはずもない、彼女の声だ。
姿も気配も変わり果てたが、間違えるはずはない。
「エール……さ………生き…て……おられ……………」
「お陰様でねェ………もっとも、とっくに生き物なんかじゃなくなっちまってるようだがねェ」
ぎちり、と強まる異形の力。
見る見る増していく苦痛に苦悶の表情を浮かべながら、ラケルは口元に引きつった笑みを浮かべた。
「…………彼は、あなたの番でしたか。ええ、ええ…そうでしょうとも。私が憎いでしょう……殺したいでしょう。当然の感情です」
「…………」
「ですが……あなたの憎悪はまだ青いですね。ホラ…もっと力を入れなければ私は殺せませんよ?」
挑発するラケル。お望み通りにと言わんばかりに、紫の異形は力を強める。
だがそれでも、ラケルの笑みは消えない。
こうされるのは当然の結末、一切拒む様子のない彼女に、異形はぎりっと歯を食い縛る。
「何でだィ…………何であんたはこんな真似したんだィ。そこまでの恨みがあったのかィ…? 人間が憎かったのかィ………⁉︎」
「…………」
「何があんたをそこまで駆り立てる……‼︎ 何があんたをそうさせた!!? テオフラストゥス・ラケル!!!」
憎しみは消えない。だが、それ以上に理解ができない。
これほどまでの悪逆を平然と行い、死を前にしてもまるで恐る様子のない彼女に、反対に恐怖を抱く。
一体何が、彼女の根底のあるというのか。
ラケルは首を絞められたまま、口を開いた。
返された言葉に、異形はぞくりと身を震わせ、力を弱めた。
「………お分かりになったでしょう。私は人など憎みません。憎いのは……この世界そのもの」
黙り込んだ異形に、ラケルは続けて語る。
くすくす、くすくすと壊れた笑い声を漏らし、大きく開いた眼で異形を凝視し、告げた。
「私から全てを奪ったこの世を全てを!!! 跡形もなくブッ壊したいのですよ…!!!」
「………‼︎」
「その役目にはあなたのお父上こそ相応しい…‼︎ 傲慢で‼︎ 強欲で‼︎ 誰からも心から愛されないクズの中のクズ………世界を壊す人間爆弾となっても誰も悲しまない、惜しまない最高最低の逸材!!!」
笑い声が、いよいよ狂気を増していく。
けたけたと肩を揺らし、爛々と目を輝かせ、溜まりに溜まっていた本音をいまこの瞬間にぶちまける。
その姿に、異形は気圧され、僅かに後ずさっていた。
「…だからあなたは巻き込みたくなかった。お人好しで儚い……無邪気で愚かな私の恩人」
打って変わって、悲しげな視線がエールに向けられる。
狂気を隠し続けていた恐るべき女だが、不思議とその言葉には嘘がないとわかった。
やがて、エールの手から力が抜け、ラケルはどさっとその場に座り込んだ。
「…………だったら、全部見てなよ。あんたの積み上げてきた努力全てが無駄に終わるところ」
咳き込むラケルの前を、異形は通り過ぎる。
背中に視線を感じながら、異形は振り向くことなく城へ……最後の仇敵の元へと向かった。
「私が父様を殺すところを」
「ぐわあああああァ!!!」
悲鳴をあげて、玉座の足元へ吹き飛ばされる三色の鎧の〝王〟。
ばちばちと全身から火花を散らせ、震えながら、自身に牙を剥いた慮外者を睨みつける。
「ぐァ…お、おのれェ………貴様ァ…!!! どこの誰か知らんが…我に…万物の王たる我に対しこのような蛮行………!!!」
倒れ込む〝王〟を見下ろす、紫の異形。
その身体の輪郭が溶け、少女の姿になっても、〝王〟に驚いた様子はない。
あれだけ見下し、蔑み、扱き下ろした娘の顔も、長い年月の末に忘れたと見える。実に愚かな男だ、少女はそう内心で吐き捨てた。
「………お前みたいな奴の所為で……‼︎」
少女の手が〝王〟に……その腰に巻かれた装置に伸びる。
がっしりと掴まれたそれを、少女は強引に引っ張り、剥ぎ取る。
一瞬にして鎧が消失し、流石の〝王〟も狼狽し奪われた装置に手を伸ばした。
「返せ…返せ!!! それは我が物ぞ…‼︎ 我が覇道に不可欠の宝ぞ!!! 下劣なその手で触れるでない賊めが………!!!」
「そんなに大事な宝なら………一生………永遠に一緒にしてやるよ」
口汚く、自らの血をほく少女を罵る〝王〟。
矮小な愚物にしか見えないその様を冷たく見下ろしながら、少女は奪った装置を自らの腰に当てる。
途端に装置の端から帯が伸び、少女の一部となる。
驚愕に瞠目する〝王〟をよそに、エールはゆっくりと両手を───色とりどりの硬貨をいっぱいにした手を掲げる。
「───さよなら、父様」
小さく呟き、少女は硬貨を放り上げる。
宙に浮いたいくつもの硬貨。
きらきらと輝くそれらに向けて、右腰に備わった円形の道具を手にし、纏めてかざしていく。
【タカ! 】【ライオン! 】【カマキリ! 】【シャチ! 】【ゴリラ! 】【クワガタ! 】【ゾウ! 】【トリケラ! 】【ウナギ! 】【バッタ! 】【ティラノ! 】【クジャク! 】【トラ! 】【チーター! 】【プテラ! 】【タコ! 】【サイ! 】【コンドル! 】
道具に触れた硬貨から、それぞれに刻まれた生物の紋章が光とともに現れる。
紋章はやがて少女の胸に収束し、重なり、その輝きを強めていく。
光は見る見る強まり、白へと変じたかと思うと……次の瞬間、暗い穴の奥底を思わせる黒に転じた。
そして、終焉が始まった。