ウサギ小屋からは出られない   作:ペンギン13

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マーチン。青いギター。

 美術館に飾られた絵を鑑賞するみたいに、女の子は時折足を止めてギターを眺める。その熱を帯びた視線はウサギに注がれていたものに勝るとも劣らない。

 ギターの価値をはかることを早々に放棄した僕は、代わりに女の子の横顔を盗み見た。ギターを見比べて、微妙に変化する女の子の表情を眺めている方が面白い。

 多少、蒸し暑く感じるほどに暖房された店内。マフラーを取り去った女の子首筋にうっ血の痕が薄く見える。過剰とも思える加湿器の台数は、ギターを乾燥から保護するためだと先程、女の子が得意気に教えてくれた。

 耳朶に痛々しく空いたピアスを数える。自分で空けたのかな。……それとも誰かに?

 そういえば学生の時分、同居人に揃いのピアスを着けたいとねだられて空けたことがあった。自分の耳たぶに触れる。その時にあけた穴はもうすっかり塞がっているのに、中に何かが埋まっているような違和感。

 

「……あ」

 

 違和感を嫌って、自分の耳に爪を立てようとしたとき、すぐ隣から吐息のような声。どうしたのだろうと思って見てみると、女の子が壁に掛かった一本のギターを見上げている。弦に挟まれたプライスカードには『Martin HD-28』と手書きで書かれている。

 

「それ、珍しいの?」

 

「ううん全然。昔、欲しいなって思ってたギターなんだ」

 

 プライスカードに書かれた値段は税抜き25万。中古。桁をひとつ見間違えたんじゃないかと思った。

 女の子はギターに手を伸ばそうとして、はたと止める。そしてカウンターの店主に「これ、触っても良いですか?」

 店主はノートPCから顔を上げると、ずり下がった眼鏡を直して「もちろん」

 

「触るだけじゃなくて、どうせなら弾いていくと良い」

 

「良いんですか?」

 

「触っただけじゃ、音がわからないだろう」

 

 よっこいせ。店主は立ち上がって、一旦カウンター裏に引っ込むと、木製の丸椅子を引っ張り出してきて、ショーケース前の空いた場所に置いた。そして、のんびりした歩みで僕たちの方にやってくる。

 

「チューニングは自分で出来るね?」

 

「はい」

 

 女の子が頷くと店主は満足げに頷いて「音叉はカウンターに置いてあるから」僕たちの横をすり抜けて出入り口へ。扉を開けると『OPEN』の札を『CLOSE』に裏返した。

 

「少し外に出てくるから、店番を頼むよ。他にも弾きたいのがあれば自由に弾いていいからね」

 

 店主は言うと、僕たちの返事も聞かずに出て行ってしまった。

 防犯意識の低さに唖然とする僕をよそに、女の子はお目当てのギターを丁寧に取り上げて、意気揚々と丸椅子に腰かけた。

 女の子は脱いだスタジャンを床に置こうとしたから、僕はそれを受け取る。「ありがとう」女の子は言うと、組んだ足にギターのボディを載せて、パーカーのポケットから自前の音叉とピックを取り出した。音叉を剥き出しの膝小僧にぶつけて、そっと耳に近づける。少し前まで毎日のように見ていた光景が、何故だか酷く懐かしく感じる。

 店内に流れていたインストゥルメンタルはいつの間にか止まっていた。試し弾きの邪魔にならないよう、店主が気を利かせたのかもしれない。 

 五弦を合わせて、六弦、四弦。

 ギターが圧迫した店内に、チューニングの音が響くのは、いつだったかの夜の森の光景を思い出させた。加湿器の低い駆動音は、木々を揺らす風の音。

 チューニングを終えた女の子は、指先を指板の上で彷徨わせて、そしてピックを一思いに振り下ろす。

 音の良し悪しなんてわからない僕だけれど、このギターと女の子が持っているギターとが、全く違うものだということはハッキリとわかった。ワイングラスを大理石の床に叩きつけたら、こんな音が鳴るのかもしれない。

 

「……星が爆発したみたい」

 

 目を丸くした女の子が呟く。

 星とは大きく出たなと思ったけれど、否定をする気にはならない。それくらい煌びやかな音。女の子は弦を探るように押さえながら、いくつかのコードを鳴らした。そしてなぜか首を捻る。

 

「こんなに難しいギターだったかな」

 

 ギターを弾く手を止めた女の子は、ボディの括れを指先でなぞった。

 

「難しい?」

 

「うん。昔に弾いたときはもっとこう……」

 

 女の子は天井を見上げて、蛍光灯の光に目を細める。

 

「そう。もっとキラキラしてた」

 

「……きっと久しぶりに弾いたから、まだ調子が出てないんだよ」

 

「そうかな?」

 

「うん」

 

「そっか」

 

 もう少し弾いてみようかな。

 女の子はギターを抱え直して、弦を爪弾く。星が散る。グラスの中のシャンパンの泡が弾けるみたいに。

 

「昔、これと同じくらい、凄いギター弾いてたんだ。エレキギター。青くて。ピカピカしてて。すっごくカッコいいの」

 

「へぇ……」

 

「子供の頃に一目ぼれして、お母さんに『どうしても欲しい』っておねだりして」

 

「買って貰えたんだ?」

 

「うん。半分だけ」

 

「半分?」

 

「お父さんが、残り半分は自分で払いなさいって。お小遣いが半分になって、お年玉は全部没収。高校に入ってバイトして、やっとちゃんと買えたんだ」

 

「なんていうか、厳しいお父さんなんだね」

 

「少しだけ。お母さんが天然だから、丁度いいバランス」

 

 女の子に天然の評されるお母さんの事が、少し気になったけれどそれ以上に気になったことがあったから僕は訊ねる。

 

「そのギターはどうしたの?」

 

「売っちゃった」

 

 何でもないことのように言う女の子に僕は唖然。

 

「どうして?」間抜けな声が出る。

 

「凄く迷ったけど、どうしてもお金が必要だったから。それに……」

 

 よく考えたら、もう使わないなって。

 

 女の子はギターを弾く手を止める。空いているスタンドに一旦、ギター立て掛けてカウンターから布きれを見つけて持って来た。丸椅子に座り直して、腿の上にギターを寝かせると、弦を一本ずつ緩めた。白く汚れた箇所に息を吐きかけて、愛おし気にボディを磨き始める。

 

「買ったときは何十万もしたのに、五万円にしかならなかった」

 

 可笑しいね。ギターを磨く手を止めずに、女の子は笑った。

 そうだね。釣られて僕も笑う。ちっとも可笑しいとは思えなかった。

 

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