ウサギ小屋からは出られない   作:ペンギン13

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金髪の女。海の底。キラキラ。

「お腹が痛い」と言う人に対して、「気のせいだ」と返す人を僕は初めて見た。それが僕の上司なのだから笑えない。

 それでも入社して三年間、雨の日も風の日も休みの日も、真面目にあくせく働いてきたかいあってか、明日出来る仕事を明日に回す許しをもらう事が出来た。

 上司の慈悲に感謝しつつ、ひとつの疑問が湧いた。明日出来ることを、なぜ残業してまでやらねばならないのかと。

 上司に聞いてみたところ、呆れた顔で「明日やろうは馬鹿野郎だ馬鹿野郎」と言われた。

 馬鹿野郎はお前だ馬鹿野郎、なんて口が裂けても言えないから、僕は素直に謝った。

 

ーーーーー

 

 女の子がライブをやる場所は、一日あたりの利用客が世界一多い駅から、黄色の電車に二十分ほど揺られて着いた駅から、さらに十五分歩いた先にあるらしい。

 急いで仕事を片付けてきたものの、駅に着いたときにはもう日が随分傾いて、開演に間に合うか微妙な時間になっていた。

 小綺麗な駅舎を出て、買い物客で賑わう商店街を足早に抜ける。住宅街に入って迷わないか不安になったけれど、僕はそのライブハウスを一目で見つけることが出来た。閑静な住宅街にそぐわない、派手な身なりをした若者が数人、建物の前で溜まっていたからだ。

 腕時計に目を落とすと、すでに開演時間を少し過ぎていた。彼らはなんで入らないんだろう?もしかしたら、僕みたいな初心者が知らない、ライブハウス特有のマナーみたいなものがあるのかもしれない。

 しかし悩んでいても仕方がないから、談笑する若者たちの間をすり抜けて、建物の中、ライブハウスがある地下への階段を下りて行く。

 広くない踊り場に人の姿が見えた。パイプ椅子に浅く腰掛けて携帯を弄っている金髪の女。頭のてっぺんが黒い。粗末な机の上にはダンボールの切れ端にマジックで「受付」と書かれた札がちょこんと載っている。

 

「すみません、入って大丈夫ですか?」

 

 声をかけて、女はようやく僕の存在に気付いたのか、のろのろと顔を上げた。

 こけた頬と目の下に濃いクマ、ちょっと体調が心配になる青白い顔。

 瀕死のゾンビみたいな容貌は、失礼だけど夜中に鉢合わせたら、うっかり悲鳴を上げてしまいそうだ。

 

「あぁ、ゴメンね。チケットは?当日券なら、ドリンク込み三千円だよ」

 

 結構いい値段するんだな、ラーメン三杯分だ。

 そんなことを思いながら、財布にしまっておいたチケットを差し出すと、女は驚いた様子でチケットと僕とを見比べて、そしてニタリと口元を歪めた。

 

「へぇ、こんなおじさんだとは・・・」

 

「おじさんって・・・僕、そんなに老けて見えます?」

 

 まだそこまで老けてないつもりだったから少しショックで聞いてみると、何が面白いのか女はケタケタと笑い声をあげた。その笑顔は少女のようでもあるし、老婆のようにも見える。

 

「大丈夫。老けてないよ、そこまで。日本人ってスーツ着てるとみんなオッサンに見えるだろ?」

 

 全国のサラリーマンを敵に回すようなことを言いながら、女は僕が差し出したチケットを引っ手繰ると、半分にちぎって片方を自分のポケットに、もう片方を僕に突き返した。

 それを受取ろうとすると、ひょいと、かわされてしまう。女の顔には少し嫌な感じの笑み。

 

「おじさん、あの娘のオトコ?」

 

「・・・僕が女に見えるんですか?」

 

 ちょっと皮肉を混ぜて返す。女はポカンとした表情のあとで、声を上げて笑いだした。笑い声にヒューヒューと不安になる音が混じる。

 

「どこからどう見ても男だ!いいねアンタ気に入ったよ」

 

「それはどうも・・・」

 

「悪かったね」と、女が差し出してくる半券を今度はちゃんと受け取る。

 

「そっちのドアから中に入れるよ。早く行ってあげな、待ってるだろうから」

 

 待ってる?もう時間は過ぎてるのに?

 なんにしても、この人と話してると非常に疲れるから、言われた方に向かうことにした。

 けれど、背中に待ったがかかった。なんだろうと思って振り返ると、何かが飛んでくる。反射的に受け取ったそれは煙草の箱だった。見たことが無いデザイン。海外のものかな?

 

「お近づきの印。おじさんとは長い付き合いになりそうだからね」

 

 それは心底、勘弁願いたい。だけどとりあえず貰えるものは受け取っておこう。女にお礼を言って、煙草の箱をポケットに突っ込む。そして重たそうな鉄の扉に手をかけた。

 

 

ーーーーー

 

 

 扉の向こうに広がる世界は、想像していたものと少し、いやかなり違っていた。

 ライブハウスというとステージがあって、そこで色とりどりの照明に照らされながら演奏するミュージシャンに、客がすし詰めになって熱狂する、良く言うと熱い、悪く言うとむさ苦しいイメージがあった。

 けれど目の前の光景は、そんなイメージとは真逆のものだった。

 

 誰もいない、物音ひとつしないフロア。青い光で淡く照らされたステージ。そんな海の底みたいなステージの上で、いつも通りのTシャツにダメージデニム姿の女の子は、アコースティックギターを抱えたまま丸椅子に座って宙を眺めていた。

 扉の閉まる音に気付いたのか、女の子の視線がこちらを向いた。そして、ゆるりと、その表情が笑顔に染まる。

 

「本当に、来てくれたんだ」

 

 マイクを通して聞く女の子の声は、知らない人の声みたいで落ち着かない。

 ステージの方に歩み寄りながら、改めて周りを見回す。やっぱり客の姿が見当たらない。時間を間違えた?

 

「ごめん、遅くなっちゃって。ライブは?」

 

「今から。お客さんも集まったから」

 

「集まったって・・・。え、僕だけ?」

 

 出来れば否定して欲しかったけど、女の子は当然と言わんばかりに頷く。

 

「上にお客さんっぽい人がいたけど」

 

「多分それ、私の後やるバンドのお客さん」

 

 私のお客さんはお兄さんだけ、そう言って女の子はギターを爪弾く。なぜかその音は楽しそうだった。

 せめてもう少し人が入るまで待ったらどうかと思った。

 突然後ろの方から「客が来たならさっさと始めろー!」と言う大声が飛んできた。

 驚いて振り返ると、色んな機械に囲まれた洞穴みたいな場所で、ふっくらした男が腕時計を指差す仕草をしているのが見える。

 つられて自分の時計に目を落とす。開演の時間から十分程が経過していた。

 

「あんまり時間ないけど、せっかく来てくれたから、特別にいつもやらない曲やってあげる」

 

 女の子はギターに手を振り下ろした。そして、そっと語りかけるように、マイクに歌を吹き込む。

 その曲は、確かに僕の知らない曲だった。あの真っ白なCDに入っていない、一度も耳にしたことがない曲。眩しい。キラキラしてる。

 マイクとスピーカーの力の凄まじさを、僕は初めて知った。

 街の喧騒に飲み込まれていた、女の子の息遣いが、弦を押さえる指の摩擦音が、女の子から発せられる音の全てが、僕の身長よりも大きなスピーカーからクリアに聴こえてくる。

 その凄まじさは残酷だった。カラカラに乾いているはずの女の子のギターの音も、歌声も、晴れた日に降る雨みたいな優しい音に変わってしまっていた。

 もしかしたら・・・変わったんじゃなくて、これが女の子の本当の音なのかもしれない。

 ぺたりと、会場の床に座り込む。初めて女の子の歌を聴いた時みたいに。

 ステージの分、いつもより高い位置にいる女の子を見上げる。その目はここじゃない、どこか遠くを見ていた。観客は僕一人だけなのに。

 怖くなった。僕だけが砂漠のど真ん中に取り残されてしまったような気がして。こんなに近くで、こんなにクリアに聴こえるのに、女の子の存在がやけに遠くに感じて、怖くなった。

 何故か、女の子の笑顔が泣き顔に見えた。多分、青い照明のせいだと思う。


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