脳無。詳しい製造方法は知らないけど、個性を複数持っている並のヒーローじゃ手がつけられない怪人。実際、オールマイト対策で作った脳無はあと一歩まで追い詰めるまでに至ったらしい。それほどの規格外。
そんな脳無が、僕の視界に三体もいる。翼の生えたやつと、黒い体をして目がないやつ、そして細い体をしたやつ。それぞれが最高に気持ち悪く、デザインしたやつをぶっ飛ばしたくなる。あれ、デザインは先生なのか?よし、牢獄まで行ってぶっ飛ばしてやろう。
それはさておいて。脳無が出てきた割には、動きがない。とはいえ脳無を出されては無視するわけにはいかないので、荼毘くんとアイコンタクトをとって男のところへ向かうことにした。幸い今の僕は可憐な美少女だから警戒されないはず。いや、脳無がいるのに近づいて行ったら流石に警戒されるか。
案の定一定の距離まで近づくと、男がこちらに反応した。目に痛いほどの金髪をさらっと靡かせ僕を見ると、驚いたように目を見開いて言った。
「おや、この状況を見て近づいてくるなんて度胸のあるカップル……いや、夫婦か?危ないから離れておけと言いたいところだが、デモンストレーションにはちょうどいいか」
デモンストレーションってなんのことだろう。というか夫婦て。私たちそう見えるのかしらというお決まりのあれをやればいいのだろうか。男と?生憎僕にそんな趣味はないので、勘弁してほしい。女装はしてるけど。
そんな呑気なことを考えていた僕の目の前に、黒い拳が迫っていた。
「お」
更に呑気な荼毘くんの声とともに、僕は軽く殴り飛ばされた。顔のどこかの骨が折れたんじゃないかっていうくらいの衝撃に、ろくに受け身もとれず地面に叩きつけられる。これが水面への飛び込みだったなら、全身真っ赤になっていたに違いない。ていうか荼毘くん情けなくない?おってなんだおって。
「月無さん!」
エリちゃんが僕の変装を一瞬で台無しにする一言を叫びながら僕のところへ走ってくる。耳が潰れていないことに安心したが、正体がばれたことで安心できなくなった。いや、近づいた時点でばれることは確定していたようなもんだから別にいいけど。
エリちゃんを迎えるために、もう必要がなくなったぐちゃぐちゃの伊達メガネとウィッグを苦労しながら外し、身体を起き上がらせる。
視界には、エリちゃんの後ろから迫ってきている黒い脳無の姿が映っていた。
「エリちゃん!後ろ!」
「え」
僕の言葉にエリちゃんが振り向いたときにはもう遅く。
僕のときは助けてくれなかったくせに、荼毘くんが綺麗な青い炎でブーストをかけエリちゃんをお姫様抱っこし、空へと逃げていった。
荼毘くんは炎の操作性、威力、更に身体能力と様々なものを鍛え上げ、装備で飛べるようになっている。それだけ色々やっていてレベルアップが早かったのは、日ごろからそういう練習を行っていたからだろう。実は努力家なのだ。
荼毘くんは空から僕の隣にふわりと着地すると、エリちゃんを僕の隣に降ろした。エリちゃんは心配そうな表情を隠そうともせず、僕に触れて個性を使用する。あ、待って。押し付けであのムカつく男にやってやろうと思ったのに。
ただ、個性を使ってくれているのにそんなことを言えるはずもなく、綺麗さっぱり元通りになるまで静かに待っていた。
僕とエリちゃんの相性は抜群だった。こういうと誤解を招きそうだけど、個性の話である。
エリちゃんの巻き戻しは、僕がいないときちんとした精度で発動できない。
もちろん、僕が不幸な状態でも個性はきちんと働く。これは今の僕の状況がちぐはぐだってことで、生きたいのか死にたいのかわからないってことを意味している。ただ、不幸な状態のときは随分な大怪我じゃないとエリちゃんの個性を受け付けないけど。
「大丈夫か、月無」
「僕の時に助けてくれればよかったんじゃない?」
「悪い。夫婦って言われたのが面白くてな」
「ユーモア優先してる場合じゃないでしょ」
軽口を叩きあいながら立ち上がると、僕に脳無をけしかけた男が、どういうわけか何もせず待機していた。と思ったけどいつの間にかナイトアイが二体の脳無と戦っている。二対一なんて卑怯とは思わないのか!思わないだろうけど。僕も思わない。
男は面白いものを見つけたと笑みを浮かべ、黒い脳無を隣で座らせて言った。
「まさか、こんなところであの月無凶夜と会えるなんて。可憐な美少女かと思ったぜ」
「可憐な美少女を殴るなよ」
「殴ったのはこいつだろ。俺じゃない」
「殴らせたのは君だろ?」
「覚えてないなぁ」
バカにしたように笑う男は、なぜか楽しそうだった。自分が優位に立っていると信じて疑っていないそれに、少しカチンときつつもそら僕を相手にしているんだからそうなるかと悲しい納得をした。
それに、そんなこと気にしている場合ではない。男の隣に立っている美女に僕は用がある。君は後でね。
「まぁ寛大な僕は許してしまおう。こうして無傷なわけだし。それよりもそこのお嬢さん。失礼ですがお名前をお伺いしても?」
「こいつはバリーって言うの」
「野郎の名前じゃねぇよテメェふざけてんのか」
「落ち着け。実は許してないだろお前」
おっと、僕としたことが取り乱してしまった。弔くんにエリちゃんを使ってバカにされたことが尾を引いているのだろうか。八つ当たりは一番よくない。何と比べて一番なのかわからないけど。
何が面白いのか、男……バリーは手を叩いて笑っていた。ゲラなのか?幸せそうでなによりだ。ぜひ幸せのコツを教えてほしい。
「ハハッ、ナイトアイもユーモアがあったが、お前はもっとユーモアがあるな。記憶とは違って面白そうなやつで安心した」
「記憶?」
記憶って、会ったことないぞ。こんなによく笑う人をムカつかせるようなやつは忘れないはずだ。本当に忘れてるだけかもしれないけど。
「そうそう、記憶。まぁ覚えてなくても無理はないけど。言っちゃおうか、なぁ!?」
にたにたと憎たらしく笑いながら言っていたバリーの背中にナイトアイが押印を投げた。ザマァ見やがれとほくそ笑むが、そんな余裕があるのかと驚く気持ちもある。
「本人への衝撃で解ける個性ではないみたいだな」
なるほど、と頷きながらもいっぱいいっぱいに見えるナイトアイ。あの脳無たちはバリーの個性?脳無が個性ってどういうのだよ。チートじゃん、チート。脳無一体だけでも相当なのに三体同時に出せるなんて。
「クッソが……ちょっと待ってくれよ月無。先にこのリーマンぶち殺してやるからよ」
「あ」
「お」
バリーが振り向く前に、僕と荼毘くんは頼れる人の姿を見て思わず声を出してしまった。ぽん、という間抜けな音とともに姿を消すナイトアイと細い脳無、バリーが振り向くと同時にその場から跳ねて僕たちのところへ着地したエンターテイナー。
「コンプレスさん!」
「どうも。おじさんうずうずしちゃってな」
「マジックみせて、マジック!」
「帰ったらねー」
目の前に敵がいることも忘れたのか、ぴょんぴょんと跳ねてコンプレスさんにねだるエリちゃん。コンプレスさんのマジック楽しいから仕方ないよね。その隣で対抗心を燃やしたのか荼毘くんが文字を書いているのがすごく面白い。come on て。
コンプレスさんは圧縮したナイトアイと脳無を懐にしまうと、ステッキをくるくる回しながらくつくつと笑った。あの一瞬でばれないようにナイトアイと脳無を圧縮するのは流石としか言いようがない。
「余裕ぶってたらこれって、恥ずかしくないの?」
「あー、なんだ、正直ハズいな。脳無とられちゃったし。つっても」
バリーが本当に恥ずかしいのか、顔を赤くしながら指をパチン、と鳴らすと、今圧縮されたはずの細い脳無が黒い脳無の隣に現れた。コンプレスさんはワオ、と言って拍手をしている。最近ではショウが台無しにされても驚くことがあれば嬉しくなったらしい。エンターテイナー気質が加速したのだろうか。
「俺の個性には関係ないんだけどよ」
「脳無を作り出す個性か?羨ましいが、羨ましくないな」
「気持ち悪ぃしな、あれ」
「先生には悪いけど、趣味悪いよね」
「頭がきもちわるい……」
得意気に語るバリーに脳無を所持しているはずの敵連合から大批判。趣味悪いとは言ったけど、なんかかわいそうになってきた。ほら、よく見ればどことなく愛嬌あるじゃん。むき出しの脳みそがキュートだ。んなわけあるか。
「脳無を作り出す個性か。そんなちゃちなもんじゃねぇぜ。もっとびっくりするもん見せてやろうか?」
「あ、いいです」
「なんなら俺がびっくりさせてやってもいい」
「火、見るか?すげぇぞ」
「みせてみせて!」
僕が断り、コンプレスさんがエンターテイナー気質を丸出しにし、それに対抗する荼毘くん。まとめてみたがるエリちゃん。バリーに申し訳ないくらい緊張感がない。なんだこれ。誰のせいでこうなったんだ。僕のせいじゃないことは確かだ。
僕らの反応にバリーはなおも笑うと、「そういうなよ」と宥めてきたので、どうしても見せたいならいいよと許可を出すことにした。
「あ、待って。その前にニュートが三対一できつそうだから脳無貸してあげて」
「やだ。サミーが呼べばいいだろ」
「それもそうね」
サミーと呼ばれた美人なお姉さんが手を鳴らすと、僕らの目の前に二人の少年が落ちてきた。
「轟くん、出久くん!久しぶり!元気にしてた?」
「な、月無!?」
「んだ、この状況……」
「おいサミー。今呼ぶなよ。どんだけ場を混乱させる気だ」
「呼べって言ったのはそっちでしょ?」
「そういやそうか。ありがとう」
なんだ、敵っていうのはこう緊張感がなくなるものなのか?喧嘩するなって言おうとしたら仲直りしてるし。実はいい人説が浮上してきた。こうして轟くんと出久くんと会えたし。というか結構久しぶりじゃない?ほんとに。
こっちおいでーという手招きに、誰が行くかという反応をされたが、出久くんがエリちゃんを見た瞬間にこちらへ飛んできたのを見て轟くんもため息を吐きながらこちらへきた。君らも緊張感なくないか?
「あー、こほん。それでは今から君たちをびっくりさせたいと思います」
「なんだそりゃ。エンターテイナー失格だな」
「文字書くか?」
「どんだけ書きたいの荼毘くん」
僕らの言葉は聞かないことにしたのか、バリーは頭上に手を掲げ、指を鳴らした。パチン、という音とともに現れたのは、僕にとって、或いは僕らにとって懐かしい人。
「ちょうどそこの雄英生も知ってるんじゃないか?この脳無は職場体験と時期被ってたはずだから、もしかしたらだが」
バリーの前に突然現れたのは、荼毘くんたちがくる前の敵連合に協力してくれていた、あの人。
「先輩だ」
「ハァ……誰だ、貴様」
どうやらあの先輩は僕を忘れてしまったらしい。悲しすぎて涙が出そうになった。嘘だけど。