第67話 始まり
なんでもない日常っていうのは、なんでもないからこそどうしようもなく愛しく思える。そのことに気づいたのはつい最近で、それこそなんでもない日常がなんでもない日常であるということに気づいた時だった。
今までの僕はといえば。
両親を亡くして、親戚を亡くして、施設のみんなを亡くして、ぐちゃぐちゃのどろどろになって、そこを先生に拾ってもらえて。思えば拾ってもらってからも大体先生と二人か一人ぼっちで勉強するだけだったので、愛しく思える日常なんてなかったように思える。唯一愛しいと思えるのは両親と一緒にいたときか。
ただ、そんな僕が日常を愛しいと思えたのは他でもない敵連合のおかげで、犯罪者を名乗りつつも心地良いこの場所が何よりも愛しい。ちょっと依存してしまっているところもあるかもしれない。でも仕方ないと思う。僕にとって一番いい環境が敵連合なんだろうから。
「そう考えると不思議でもあるんだ」
弔くんの部屋で機器のチェックをしながら言うと、弔くんが何でもないように頬杖をついて鼻を鳴らした。
「今の僕はどうしたいのかなって。や、敵連合の目的とかそういうのじゃなくてさ」
「死にたいかどうかってことか?」
小さく頷く。
僕は死にたがりだった。どこにいても何をしても不幸で、僕が生きていない方がきっと世界はよく回る。僕一人が生きているだけで世界の不幸が何倍にも膨れ上がる。ただでさえ僕のせいで死んだ人たちを見てきたんだ。そう思うのが自然なことだろう。
じゃあ今の僕は。なんでもない日常を愛しく思うようになったこの僕はどうなんだろう。死にたいのか、生きたいのか。不幸と幸福の両方の個性を持っていると自覚してから、どうにもそこらへんが曖昧になっている。今僕が生きているのは『生きたい』という願いに『幸福』が反応して生きているのか、『死にたい』という願いに『不幸』が反応して生きているのか。そもそも僕の個性に僕の意思は関係あるのか?
考えれば考えるほどわからない。自分が生きたいのか死にたいのか。僕が個性と上手く生きていけることなんて、一生ないのだろう。このまま生き続けても一生悩まされる気がする。
「そうだなぁ……月無、お前自分のことどう思ってる?」
「え、カッコいいとかそういうこと?」
「カッコよくはない」
切り捨てられてしまった。エリちゃんは僕のことをカッコいいって言ってくれるのに。まぁ弔くんにカッコいいって言われてもなんだかなってなるだけだけど。
「つまり、自分がどういう人間かってことだよ」
「……うーん」
腕を組んで首を傾げる。
どういう人間か。今の僕に当てはまるのは何だろう。平和を脅かしつつ、実はいい人なんじゃないか説が世間に出回るような中途半端な敵。弔くんが言うには敵に見えない敵が一番恐ろしいっていう話だけど、それで言えば僕はろくでもない人間なんじゃないかと思う。
「うん。死んだ方がいい人間だ」
「でもお前は生きている」
「じゃあ僕の不幸が反応しているってこと?」
「さぁ、どうだろうな」
質問しておいて投げ出すとはどういうことだろうか。後は自分で考えろってこと?自分で考え続けてわからなかったからこうして話してるのに。
「俺はさ」
弔くんは何故か僕に背を向けた。人と話すときは大体目を見て話すのに、珍しい。そんなに僕がカッコいいのかな。
「世間から見たお前と、敵連合から見たお前がぶつかり合って、相殺した結果普通になってると思ってる」
「えーっと」
つまり、世間から見ると僕は死んだ方がいいから『死にたい』と思ってるけど、敵連合の僕は『生きたい』と思ってるってことで、それぞれに『不幸』と『幸福』が反応しているってこと?
「お前は自分勝手かと思えばどこか怖いくらいに外から自分を見る癖がある。だから何もおかしな話じゃない。その癖がお前を生かしているんだ」
そうだろうか。僕はどちらかと言えばものすごく自分勝手だと思うんだけど。自分勝手にした結果他人のためになったとかそういうことがあったわけでもないと思うし。
「だが、まぁ、その……」
弔くんは髪の毛をぐしゃぐしゃとかき混ぜ、うめき声をあげた。何か気に入らないことがあったのだろうか。もしかして僕と一緒にいるのが耐えられなくなったとか?あり得る。悲しいことに。
「お前がどう思ってるかは別として、俺はお前に生きてほしいと思ってる」
「……」
「今だから言うが、感謝もしてる。俺がこんな風に敵連合のトップをやれてるのはお前がいたからだ。もちろん他のやつらのおかげでもあるが、一番はお前だ」
「一番は先生でしょ」
「それはそうかもな」
それはそうなのかよ。
「だから、死んだ方がいいなんて言うなよ。俺は、全部終わった後にお前がいない未来は嫌だぞ。一緒に生きて、一緒に帰って、また一緒に笑うんだ」
弔くんはそこまで言って、僕に向き直った。強い意志が宿ったその目は、敵連合のトップだって言いながらもどこまでも澄んで見える。
きっと、僕たちが出会ったころにはできなかった目だ。お互いに。
「いいか、月無。勝つぞ。『俺たち』の未来のために」
僕に拳をつきつけ、にやりと笑った。そんな仕草がどこかおかしくて、思わず笑ってしまう。普段なら笑っちゃうとすぐに拗ねる弔くんも、今回ばかりは笑みを深めていた。
「キャラじゃなくない?そういうの」
僕が拳を合わせると、弔くんは昔を懐かしむかのように目を閉じた。
「だからお前が一番なんだよ。お前が変えたんだ」
その日はいつも通りだった。
いつも通りに学生が学校へ向かい、大人が仕事へ向かい、ヒーローがパトロールをする、至って平和でいつも通りな日常。
そんな日常は、意外とあっさり終わりを迎える。
「なんだ、あれ?」
誰かが空を指して言ったその言葉に、ほとんどの人間が空を見上げた。
そこにあったのは、黒い渦のようなもの。日常にはありえない確かな異物。
その黒い渦を見つけた瞬間、地上にも無数の渦が現れた。明らかな異常に困惑し、誰もがその正体について考察し始めたその時。
明らかな異形が数体、上空の渦から現れた。脳をむき出しにし、まったく釣り合いのとれない体を持つ怪人。
それを人は、脳無と呼ぶ。
脳無だけではない。地上の渦からは大勢の敵が現れ、手当たり次第に人を襲い始めた。悲鳴をあげながら逃げ惑う人々を、ギリギリの距離で追い続ける敵。
こうして、いつも通りの日常は崩壊した。
「いや、やべーって」
日曜日。文化祭に向けて準備を進めていこうとしていた雄英高校1-A組は、共同スペースに集まってテレビを観ていた。その上空からの映像には、敵に追われる人々の姿、戦うヒーローの姿、そして、無慈悲に破壊を続ける脳無の姿。
「特撮かなんかって言われた方がまだ信じられるぜ。んだよ、これ」
「アンタの言う通りなら、大分気が楽なんだけどね」
重い空気に耐えられなかったのか、上鳴が軽い調子で言った言葉に耳郎が固い調子で返す。ほとんどが唐突に起きた事態に未だ現実を受け入れ切れない中、緑谷は一人納得したような表情で頷いていた。
「……おかしいと思ってた」
思い浮かべるのは、最近の敵連合の動き。人助けのようなことから、オークション壊滅まで。世間から見てプラスになるようなことを度々していたのは、どう見てもおかしなことだった。あれが何かの準備だったとなれば、納得いくというものである。
「確かに、いいタイミングかもしれない。だって今はオールマイト……平和の象徴がいないし、最大限暴れる準備ができているなら事を起こすなら今しかない。今の敵連合が考えなしに何かを起こすとは思えないから、確実に勝てると思って仕掛けてきていると捉えて間違いない」
ぶつぶつと、隣にいても聞こえにくいような小さな声で呟いて、緑谷は頭を回した。
(予測しろ。今回の敵連合の目的。きっと大きなことを考えてる。だとすると……もしかしたら、敵連合がいつも言っていた目的を果たすときなのかも)
「「正義とは何か」」
初めて緑谷が全体に聞こえる声で言ったと同時に、轟も同じタイミングで同じことを言った。『正義とは何か』。敵連合が戦う理由として掲げてきた、核ともいえる言葉である。
重なる声を聞いて、爆豪がぴくりと眉を動かした。
「こんだけ派手に暴れてるなら、あいつらはこれが最後だって考えてても不思議じゃない」
テレビ越しに荒れていく街を見ながら、いつもの調子で轟が言った。轟がいつもの調子なのは、この光景に何も感じないというわけではなく、こんなことがいつか起きると常に考えていたことの証明である。
それはぶつぶつと呟いていた緑谷も同じことで、轟の言葉に頷いた緑谷はまっすぐ画面を見つめた。
「だから、僕たちも覚悟しておかなきゃいけない。だって、あいつが僕たちを無視するとは思えないから」
二人だけわかった風に話しているのを疑問に思った誰かが口を挟もうとしたその時。
『ちょ、なんですかあなたたち……!』
現場の状況を伝えていたリポーターの慌てた声がテレビから聴こえてきたかと思えば、映像が一瞬揺れた。そして次に映っていたのは、敵連合のトップ。No.2とは逆に、メディアへの露出がほとんどなかったその男。
『どうも皆さんこんにちは。敵連合です』
死柄木弔は、テレビの中で笑っていた。
『いいなー弔くん。僕も一回テレビに出てみたかったんだけど』
『出てたろ。しかも結構最近』
『や、能動的にさ。あれ隠し撮りと変わんないじゃん』
『お前みたいなやつは隠し撮りして頂いたぐらいに考えとけ』
ひどいや、と言うその声は、その状況とはあまりにも合っていない。まるでカメラの周りだけが日常であるかのような。
『バカにペースを乱された。あー、俺が今出てきたのは、そうだな』
わざとらしく考えるそぶりを見せて、またにやりと笑う。
『正義とは何か。その答えが知りたくてな』
死柄木は黒い渦を背にしながら、はっきりと告げた。
『お前ら、俺たちから平和を守ってみせろよ』
『それではそういうことで。また会おうね!』
勝手に言葉を告げた後、映像はそこで途切れた。
「……行こう、轟くん」
緑谷は立ち上がって、轟へ呼びかける。いくら仮免があるとはいえ、まだ学生である身分の緑谷が自分から現場へ行くのは許されるとは思えず、委員長である飯田が止めようと身を乗り出したと同時に。
「さて」
1-A組の誰でもない声が共同スペースへと落とされた。
その声の主は、つい先ほどまでテレビに声だけ出演していた、世界の敵。
「久しぶり、って言えばいいかな」
敵連合のNo.2。敵らしくない敵。
「お話ししようよ。ゆっくりとさ」
「月無……!」
月無凶夜。1-A組の前に、大ボスともいえる存在があっさり現れた。