とある双璧の1日   作:双卓

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選択

 

 

 最初に誰が言い出した事かは分からないが、人間が外界から得る情報は視覚から取り入れたものが八割を占めているらしい。どうやって調べたのか気になるが、非常によく的を射た説だと思う。

 目の前から歩いてくる人間を見て――それが本当に知らない赤の他人の場合を除いて――誰か判別出来ないなどという事はないだろうが、足音を聞いただけではどんなに親しい人間でも判別するのは難しい。というより不可能に近い。

 触覚についても同じ事が言える。例えば目の前に王選候補者が持つ徽章があったとする。視覚で捉えられればもちろんそれが何か分かるだろう。だが、視界が閉じられた状態なら?恐らくそれが特別な徽章だとは誰も思わないだろう。

 つまり何が言いたいかというと、

 

「透明な攻撃……」

 

 人間の重要な情報源である視覚からの伝達が機能しない目に見えない攻撃は実に厄介なものだ。

 

「魔法か? ロズワール辺りなら何か分かるかもしれんが……」

 

 視界に入る限り、黒い頭巾に黒いローブの魔女教徒は全て地に伏せている。にも関わらず、現在進行形で人間の五感には捕捉されない謎の攻撃がルイスへと迫っていた。

 

 森の奥から伸びてくる気配を頼りにその場を飛び退く。するとそれに反応するように黒い気配はルイスを追って来た。

 

「軌道が変わるのか」

 

 今度は90度方向転換し、真横に飛ぶ。するとやはり、不可視の気配はルイスを追った。

 避けようと思えばいくらでも避けられるし、なんなら逃げ切る事も容易だが、今の目的はそれではない。

 

 突如現れた魔女教徒、それだけでも一大事なのにそれに加えて見た事も聞いた事もない未知の存在だ。ルイスの目的は怪しい気配の確認。方向転換をしても追って来るような追尾能力のある謎の攻撃など怪しいにも程があるというものだ。

 

 いくら見えないと言っても人間の気配は分かる。ルイスに迫るものは人間の気配を放っていない。つまり、未だ見ぬ謎の存在は透明化もしくは背景同化と追尾機能のある攻撃、少なくとも二つの異能を持ち合わせているという事になる。どちらか一つだけでも普通の人間――ルイスやラインハルトを除いた近衛騎士団も含めて――には大変な脅威となる。

 どちらの能力も今までに見た事がない。認識阻害ならまだしも完全な無色透明化や背景同化の効果を持つ魔法は無かったはずだし、魔法による攻撃は一直線の軌道を描くようになっている。魔法ではなく加護や権能のようなものなのかもしれない。いずれにせよ、放っておく訳にはいかない。

 

「確かめるしかないな」

 

 ルイスは剣を振り、見えない存在を切り裂いた。

 腕には確かな感触が残っている。自身の気配察知能力を疑っていた訳ではないが、ようやく五感で捉える事が出来た。

 

 剣を片手に気配の発せられている元、森の奥へと進む。すると、木々の間を縫って先ほどと同じような不可視の攻撃が迫ってくる。ルイスは気配を読んで対応出来るから良いものの、ラムやエミリアなど他の人間ならば即効で戦闘不能に追い込まれてしまうかもしれない。

 自分が来ていて良かった、と食っちゃ寝生活の普段からは考えられないような事を考えながら切り払う。

 

 しばらく進んだところで木の生えていない更地が少し広がった場所に出た。

 そこには頭を抱えて身体を思い切り反らしながら何かを叫んでいるやせぎすな狂人がいた。

 

「お前は誰だ」

 

 会話が出来る相手かは分からないが、何も情報が無い状態で殺すよりも出来るならばある程度情報を引き出してからの方が良い。

 

 ルイスが呼び掛けると狂人は身体を反らした状態で首だけをこちらに向けてきた。

 

「私は魔女教大罪司教怠惰担当、ペテルギウス・ロマネコンティ……デス!」

 

「大罪司教……大物が来やがって」

 

 狂人は魔女教の大罪司教、それも“怠惰”を名乗った。“怠惰”といえば過去に何度も被害が報告されている、その名前に反して動き回っているが今まで撃破された報告のない討伐優先度最大の犯罪者だ。

 ルイスならば討伐する事など簡単だ。だが、相手は一人ではない。数も不明な魔女教徒を多数引き連れているのだ。更に今のところ――薄々分かってはいるが――目的も不明。

 

 舌打ちをしながら剣を引くと狂人は両手を広げて再び叫び始めた。

 

「怠惰なる権能、見えざる手!!」

 

 あの謎の攻撃が展開される。

 見えざる手というらしい。なるほど確かに、というよりそのままの名前だ。分かりやすくて大変よろしい。

 

 とはいえ、見えないだけではまだルイスの敵ではない。気配まで隠す事が出来れば相当厄介なものになるだろうが、今のところその様子もない。

 

 前後左右上下、全方向から迫る“見えざる手”に対して剣を振り抜く。対象は霧散した。

 

「馬鹿な……見えざる手が、魔女の恩寵が……あり得ないぃぃ!!」

 

 そして返す刃が相手の首へと向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クルシュの屋敷にお邪魔して数日。

 剣の稽古という事でクルシュの従者であるヴィルヘルムと木剣で打ち合いをし、当然のように地に伏せさせられる。今日だけでも何度も見られた光景だ。

 

「そろそろ、終わりにいたしますかな?」

 

 ヴィルヘルムのこの言葉も何度も聞いたものだ。その都度スバルはもう一本もう一本と言ってきた。だが、今回はそうはいかないようだった。

 

「どうやら今朝はここまでのようです」

 

 疑問形ではなく言い切ったという事は稽古の終わりを意味する。昨日はクルシュ用事で終了した。そして今日は、

 

「スバルくん、お話が」

 

 急いで駆け寄ってきたレムによって終了するようだ。

 レム自身、詳しい事は分かっていないが、双子の姉であるラムから激しい怒りや焦りが伝わってきたらしい。今は感じられないが、普段はこんな現象は起きずただ事ではないとの事だ。

 

 

 レムに連れられた執務室のような場所にはすでにクルシュとフェリスが待っていた。クルシュはいかにもな机に肘を置いて座り、その隣にフェリスが立っている。

 

「その様子だと話は聞いているようだな」

 

 少し息を切らし、呼吸が若干荒くなっているスバルを見てあくまで落ち着いた、凛とした声でクルシュが言った。

 

「漠然とした話しか聞いてないけどな。レムも詳しい事は分からないみたいだし」

 

 スバルの言葉にレムが頷く。

 それを聞いてクルシュは感嘆の声を漏らした。

 

「ロズワール辺境伯のところの双子の話は聞いた事があるが、ここまで離れた地でも情報を交換出来るとはな」

 

「スバルくんの言った通り詳しい事は分かりません。姉様なら話は別でしょうけど」

 

 あくまで謙遜するレムにスバルを置いてクルシュの視線が集中する。

 その細められた目で刺されるように見られるのは遠慮したいが、かといって放置されては困る。スバルは慌てて待ったを掛けた。

 

「今はそんな事どうでもいい。肝心な部分についての話をしよう。そっちは詳しい事も知ってるんだろ?」

 

 スバルがそう言うと、クルシュは先ほどレムに向けたものとは違った、呆れを含んだような目線を向けた。

 

「焦る気持ちも分かるがな、ナツキ・スバル。我々がもし……」

 

 そこで一旦溜めを作り、スバルを見る目線が射抜くような鋭いものに変わる。

 

「卿に情報を与える理由がないと言ったらどうする?」

 

「は……?」

 

「予想して然るべきな返答だろう。卿はそもそも当家が預かっている客人だ。それ以上でもそれ以下でもない。そんな人間に身内での情報をおいそれと話す訳がない」

 

 クルシュが言った事はまさに正論だった。レムも含めてスバルは治療のために一時的にお世話になっている客人に過ぎない。然るべき立場の人間でも商談の相手でもないのだ。そんな人間が情報をくれ、など甘すぎる話だった。

 

「クルシュ様。お戯れはそこまでに」

 

 どうやって情報を聞き出そうかと頭を働かせていると、助け船を出したのは意外な事にヴィルヘルムだった。

 ただの一従者であるヴィルヘルムの言葉がどの程度の影響力を持つのかスバルは知らないが、その一言で確実に場の雰囲気が変わった事を感じた。

 クルシュの視線もいくらか柔らかいものになっている。

 

「非礼を詫びよう、ナツキ・スバル。」

 

「へ?」

 

「今の言葉に大した意味はない。だが、卿にとってここはそういう場であるという事は意識しておくことだ。卿はただの客人ではないのだからな」

 

 突然の事にスバルは一瞬、何を言われているか理解をする事が出来なかったが、クルシュは話を続けた。

 

「さて、本題に入ろう。メイザース領とその付近で厄介な動きが見られるらしい」

 

「厄介な動き?」

 

「そうだ」

 

 クルシュから語られた事は簡単に言えばこうだ。

 曰く、ロズワールがエミリアを、つまりハーフエルフを支援すると表明した時点で予想出来ていた事だ。

 曰く、エミリアは味方であるロズワールの領地の領民からですらハーフエルフに対する偏見に晒される。

 曰く、ハーフエルフだという理由で各地から反発が起こる。

 曰く、曰く、曰く。

 そのほとんどが、否、その全てが人柄や性格を考慮しない種族や容姿だけが理由だ。その事実にスバルの中で怒りの感情が沸いてくる。

 

 ハーフエルフだから何だというのだ。銀髪だから何だというのだ。そんなもの関係ないじゃないか。大切なのは大昔の魔女ではなく今を生きるエミリア自身ではないのか。

 

「助けに行かなきゃいけないよな」

 

 エミリアには敵が多い。多すぎる。だからこそ、スバルが彼女を助けなければならないのだ。

 そう思って出た言葉だった。

 

「い、いけません、スバルくん!」

 

 それを真っ先に止めようとしたのはレムだった。だが、スバルは止まらない。

 

「今から急げば夕方には屋敷に帰れるはずだ。この緊急時、エミリアとの話も後でちゃんとすれば良い。まずは目の前の問題を解決してから――」

 

「ナツキ・スバル」

 

 頭の中で急速に計画を練り始めるスバルの半ば独り言と化した言葉をクルシュの透き通った声が遮った。

 

「ここから出ていくなら卿は我々にとって敵という事になる。が、一つ助言してやろう。どんなに急いだところで卿が今日中にロズワール辺境伯の屋敷に到着するのは不可能だ。少なくとも二日、三日はかかるだろうな」

 

「なんでだよ。来るときは半日もかからなかったぞ」

 

 前半に言った事も聞き流せる事ではないが、今のスバルにとっては後半に言った事の方が重要度が高かった。一刻でも早く屋敷へ戻ってエミリアの助けとならなければならないのだ。

 

「今は王都からメイザース領までの最短経路であるリーファウス街道に霧がかかる時期だ。必然的に街道を迂回する事になる。そうなればそのぐらいの時間はかかる」

 

「霧が何だっていうんだよ。そんなの突っ切って行けばいいだろ」

 

「霧を発生させてるのは白鯨。万が一遭遇したら命が無いじゃにゃい」

 

「卿のところにいる戦神や歴代最強の剣聖のレベルならその限りではないだろうがな」

 

 白鯨とスバルの知らない単語が出てきたが、会話の内容から察するに相当危険なものらしい。それもあのルイスのレベルでなければ生きて帰れないほどの。

 

「そうそう。エミリア様のところにはルイスがいるんでしょ? なら何も心配いらにゃいじゃにゃい。ね?クルシュ様」

 

「そうだな。奴で手に負えない敵が現れたとすればもう我々ではどうする事も出来ん。ラインハルトを連れていけばあるいは、といったところだ」

 

 突然話の方向が変わった。確かに魔獣騒ぎの際の大地切断ともいえる異次元の一撃を見た後ではルイスが負けるような場面は想像出来ない。だが、

 

「何が言いたい?」

 

 今は別にルイスの事は関係ない。なぜそんな話になるのかスバルは分からなかった。

 

「ここまで言っても分かんにゃいかなあ。何かあってもルイスがいれば大丈夫だし、もしルイスが負けるような事があったらもう諦めるしかない。スバルきゅんが行ったところで何も変わらにゃいってこと」

 

「そんなこと――」

 

「ないって言い切れるの?」

 

「っ……」

 

「止めてやれ、フェリス」

 

「はーい」

 

「そう悲観するものでもない。レムの共感覚が今は感じられないと言ったが、裏を返せば急を要する事態は脱したと見る事も出来る。とはいえ、最終的に決定を下すのは卿だがな」

 

 その考えはなかった。今まではラムがスバルやレムを関わらせないようにしていると思っていたが、共感覚でラムの感情を感じる事など平常時ではないとレムも言っていた。つまり今は平常時とまではいかなくてもエミリアの身に危険が迫るような事態ではないのかもしれない。

 

「スバルくん、今は身体を癒す事に集中しましょう。それから胸を張って帰りましょう」

 

 レムの言葉が決定打となり、スバルは椅子に座った。

 

 ――何でも一人で解決してしまいそうな化け物(ルイス)の存在を頭の隅へ追いやりながら。

 

 

 ナツキ・スバルは、留まる事を選択した。


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