「……い……ちゃん」
天を覆い尽くす白光に視界を潰され、聴覚を潰され、果てに全身を消し飛ばされた。そして暗闇の中から浮上するように意識が肉体へと回帰する。
ナツキ・スバルはたった今、現実世界へと帰還した。
「な、んだったんだ……今のは」
一瞬の出来事、まさに刹那の間に起こった事象にスバルの思考は周囲の状況を確認するところまで追い付いていなかった。話に聞いた魔女教の怠惰か、強欲か、はたまた別の何かの仕業か。今のスバルには分からない。ただ分かっているのは最悪の状況だという事だった。
だが、ともかくにもどこまで死に戻ったのかを確認しなければならない。そこまで思考を進めたところでスバルの耳が周囲の音を拾った。
「おい、兄ちゃん! 買わねぇならそこどいてくれよ。そんな悪人面で立ち尽くされると客が寄り付かねぇだろ」
「え? あ、ああ。悪い」
スバルに話し掛けたのは筋骨隆々な肉体に厳しい顔立ちの野菜果実店を構えるカドモンだった。最初の死に戻りのループである盗品蔵事件の時にもこのカドモンの店の前が死に戻り地点だった。一度ロズワール邸へと死に戻り地点が更新されていたため、あそこまで戻ったとは考えづらいが、かと言って死に戻りには謎が多い。
そうして何とか今の時系列を整理しようと周囲を見渡すと、スバルは最初のループではいなかった人物を見つけた。
「レム……」
「はい、レムですよ? どうしたんですか? スバルくん」
「いや……」
レムがいるという事はクルシュ邸へお邪魔した次の日という事になる。となれば、レムが異変を感じるのが明日。時間がない。
スバルはレムを連れてクルシュ邸へと急いだ。
メイザース領に突然大雪が降ったというのが恐らく何かの始まりだろう。その報告を受けた日時から考えてタイムリミットは大方4日から5日。その間にどうにかしなければ、待っているのはエミリアの死だ。
今回のループ、敵はあのルイスやラインハルトが勝てなかった化け物だ。スバルが挑んでも太刀打ちなど出来ようはずがない。
だが、ここでスバルが動かなければまた同じ未来が繰り返されるだけだ。正面から敵を打ち倒すような力はない。しかし、スバルには死に戻りという他には決して持ち得ない能力がある。どんな搦め手でも、どんな卑怯な手でもいい。必ずエミリアを助け出す。
◆◇◆◇◆◇
クルシュとの会合は存外早く取り付けてもらう事が出来た。
「まずは話を聞こうか、ナツキ・スバル」
「ああ。本題に入る前に聞いたいんだが、クルシュさんたちはルイスの力をどこまで知ってるんだ?」
「『戦神』の力、か。何故そんな事を聞くのかは些か気になるが、その情報を与えたところで当家には何の損害もない。客人である卿に免じて親切に教えてやろう」
「ありがとう、助かるよ」
王選は武力の争いではない。前回では他陣営の現状という重要な情報だったために少し渋られたが、今回のルイスの力という抑止力にしかなり得ず王選を左右するような物でもない情報はすんなりと話してくれるようだ。
「とはいえ、私が知っている情報もフェリスや他の騎士たちが知っている程度の物だ。あまり期待されても困るぞ」
クルシュはそう前置きした上で話し始めた。
「一度『戦神』と『剣聖』の模擬戦を見た事があるが、率直に言えば化け物だ。あの二人だけが他の騎士たちと次元が違う。仮にもしもどちらかが謀反を起こせばこの王都はひとたまりもなく堕ちるだろう」
「どちらかって事はもう片方が止めに入るんじゃねぇのか? いや、ルイスの場合は静観とかしそうで怖いけどさ。ラインハルトなら間違いなく止めに入るだろ?」
「もちろんそうなるだろう。卿の目にルイスがどう写っているのかは知らんが、奴もいざとなれば動く」
「ならなんでそんな事になるんだよ。あの二人は同格なんだろ?」
「だからこそ、だ。あのレベルになるとむしろ抵抗しない方が被害が少ない可能性すらある」
「クルシュさんは抵抗しないのか?」
「無意味な仮定だな。ここまで話しておいてなんだが、そんな事は起き得ないからな。ラインハルトは騎士の中の騎士という名に恥じぬ正義の塊のような男、ルイスは無駄な事を嫌う男だ。例えばラインハルトが謀反を起こしたならばそれが正義となる何かがあったという事、ルイスが謀反を起こしたならばもはやそれ以外では解決出来ない何かがあったという事になる。私は国をひっくり返すような事だろうと正しいと思った事なら受け入れる」
ここでクルシュは一旦言葉を切った。そして重くなった空気の中、「ただ」と続けた。
「もしもこの場で暴れられると手の打ちようはない」
ここまで聞いてようやくスバルが望む情報が出てきた。スバルが望んでいた情報とはクルシュたちの戦力。つまりはクルシュたちがこれから始まる戦いで頼りになるかという事だ。
前回にもルイスが敵わない相手が現れると何も出来ないと言っていたが、他人ごとではなくどう考えても抵抗しなければならない状況でもこの返答ではクルシュたちの戦力をあてにする事は出来ない。
「分かった。なら本題だ。急いで帰らねぇといけなくなった。出来れば竜車を手配してほしい」
タイムリミットまでは僅かな時間しかない。もしここでクルシュの協力を得る事が出来たとしても準備には時間がかかるだろう。ならば例えレムと二人だけでも最速で帰った方が良い。
スバルはそう考えた。
「その理由はなんだ? 私は既にエミリアと契約を交わしている。卿がここを出ていくというなら卿は我々と敵同士という事になるぞ」
「――魔女教だ」
「なに?」
「魔女教が攻めてくる。だから一刻も早く戻らないといけない」
「……そうか。確かにな、エミリアが王選に出るとなれば魔女教が動くのも想像に難くない。だが、何故卿が行く必要がある? 卿の陣営にはさっきも言ったルイスがいるだろう。奴がいればいくら魔女教といえども相手にならんと思うが?」
「ルイスだけじゃだめだ。信じてもらえるかは分からねぇけど、ルイスじゃ対処出来ない敵が出てくる」
「にわかには信じられんな。卿の妄言という方がまだ信頼性がある。ただ、卿は止まる気はないようだ」
スバルはここで魔女の手が心臓を掴みにやってくるかと身構えたが、周囲の時間が止まるような事はなかった。
そんなスバルをおいてクルシュは話を続ける。
「私には卿を止める事は出来ない。好きにするといい」
「え、ああ、ありがとう」
いつの間にか話が良い方向に転がっていた。
魔女教の話が効いたのか、まだメイザース領の不穏な動きについて報告がまだ入ってきていないのか理由は分からないが、すんなりと帰してくれそうな流れになっている。
「一つ聞いてもいいだろうか?」
「なんだ?」
出立の準備をしようと席を立ったスバルに対してクルシュは問い掛けた。
「仮にもしも卿が言っていたルイスが対応出来ない敵が現れた時、卿はどう対処するつもりだ?」
「さあな。ラインハルトに頼んで最強コンビで立ち向かえばワンチャン、だ」
今は時間が惜しい。スバルはクルシュに対して少しぞんざいに答えた。前回のループでクルシュが言っていた言葉をそのまま返した形だ。
だが、嘘というわけではない。対処する方法はまだ何も考えていないし、最強コンビが
「最後に一つ」
背を向けたスバルに向かってクルシュは言った。
「今の時期リーファウス街道には霧がかかる。リーファウス街道は避けて行く事を勧める」
「気を付けるよ」
少ない別れの挨拶を交わし、スバルはレムを引き連れてクルシュの屋敷を後にした。
ラインハルトが屋敷を訪れた昨日まで戻らなかった事が悔やまれた。
◆◇◆◇◆◇
クルシュからスバルたちが借りた地竜は長距離を走るのに適したタイプではなかった。故に、地竜を休めるためにロズワール邸までの道のりの最中にある村で一泊する事となった。
「なぁ、レム。村の人たちを二、三日でどこか安全な所に避難させられると思うか?」
「二、三日ですか……正直言って難しいと思います。知っての通りアーラム村はそれほど大きくないと言っても村人の数々は少なくありません。短時間での避難は、その……」
「やっぱそうだよな。何かいい方法は……いや、クルシュさんの話だと魔女教の狙いはエミリア。エミリアを別の場所に避難させれば魔女教は村を襲わなくなる、のか?」
宿の中でも落ち着いている暇などない。スバルは頭を回転させる。前回見たロズワール邸近くの光景。もはやエミリアだけを助ければ良いという話ではない。村を訪れるとすぐにスバルの傍によってくる子どもたちやムラオサ、畑仕事の男たち、みんなスバルにとってかけがえのない人間だ。
「スバルくん、明日も早いです。今日はもう寝ましょう」
「……それもそうだな」
レムに促され、スバルはベッドへ入った。
それを確認したレムは別で取っている部屋へと向かった。
そして翌日。
普段より一時間も二時間も早く起床したスバルは手短に用意を済ませてレムの部屋の前に立った。
「レム、起きてるか?」
「はい、いつでも出発出来ます」
数秒も間を空けずに扉を開けたレムは昨夜と同じ寝巻き姿ではなかった。既にスバルにとって馴染みの深いメイド服姿へと着替えを終えていた。
「時間が惜しい。すぐ出発しよう」
「分かりました」
スバルはほとんど手ぶら同然であり、レムは既に荷物を纏めていた。
それからものの数分で二人はその村を後にした。
◆◇◆◇◆◇
メイザース領までの道のりはほとんど見映えの変わらない道が続く。前回と同じ光景だ。ただ一つ違うのは、
「本当にこの道で良かったのでしょうか」
「この道が一番早いんだろ?」
「はい、ですが薄く霧が出てきました」
視界が全く効かなくなるほどではないが、霧が発生していた。クルシュに忠告された通りだった。
「白鯨、か……」
前回フェリスの口から聞いた白鯨という言葉。ルイスやラインハルトでようやく太刀打ち出来るかどうかという化け物。実物を見たことのないスバルには想像のつかないものだ。
言葉の通り白い鯨なのか、それとも全く別の魔獣なのか。ともかく誰もが避けるその化け物に遭遇してはスバルも生きてたどり着く自信はなかった。
「早く抜けよう」
「そのつもりです」
レムが地竜の走るスピードを上げる。だが、それに伴うように霧の濃度も高くなっていく。
白鯨らしき影は見えないが、霧というものはそれだけで厄介なものだ。先ほどまで見えていた地面の草がもう見えなくなっている。
「全然前が見えねぇ。地竜は大丈夫なのか?」
「はい、地竜は走る事に特化していますから視界が悪くても問題はありません。しかし白鯨に遭遇してしまうといくら地竜でも逃げ切られるかどうか……」
レムの強さは魔獣騒ぎの時に確認している。確かにルイスには劣るかもしれないが、それでも十分スバルからすれば強者だった。そのレムですら逃げの一択を取らざるを得ない白鯨にスバルの警戒度が上がっていく。
そして未だ見えぬ目的地を見据えるため、スバルは顔を上げた。
「……っ!?」
その瞬間竜車が急な切り返しをし、レムの隣に座っていたスバルは地面へと投げ出された。
「スバルくん、無事ですか!?」
「痛てて……大丈夫だけど、一体何が」
スバルが見た時、先ほどまで乗っていた竜車が半壊していた。半壊といっても前半分はほとんど変わらず無事だった。問題は急なターンによってスリップした後ろ半分だ。例えあのままの速度でコンクリートの壁にぶつかってもそうはならないというほど粉々だった。
「まったくひどいなぁ」
そして聞こえてきたのは全く知らない第三者の声。
「僕がまず歩いてたでしょ。この道の上を真っ直ぐ。道ってのはみんなのものだ。当然譲り合わなければいけない。一人占めするなんて強欲な事を僕はしようとしているんじゃない。僕はただこの道の上を歩くという権利があって歩いているんだよ。もちろんその権利は誰にでもある。君たちにもね。だから君たちがちゃんと譲ってくれと一言言ってくれれば僕も吝かじゃない。竜車の方が歩くよりも速い。当然だ。君たちには歩いている僕を抜かしてこの先に行く権利がある。でもさぁ、だからってこうやって後ろからぶつかってくるのは違うんじゃない? 僕じゃなかったら死んでたよ。つまり君たちは今人間を一人殺したも同然だ。この殺人鬼め」
「当たる前に止まったはずです。ぶつかってきたのはそっちでしょう」
「今度はなに? 止まろうとしたからって責任転嫁するつもり? 僕は声を掛けられるかと思ったけどそのまま突っ込んで来た君たちに倣って関係なく歩いていたわけでしょ。そりゃ、僕の進行方向に置いてあったらぶつかるでしょ。そこに置いたって事はつまり僕にぶつけてきたって事じゃん。僕はただ歩いていただけ。それを邪魔するって事は僕の権利を侵害するって事だ」
現れたのは白髪に白衣装という霧の中で身を隠すための格好かというほどの一面真っ白な男だった。
スバルには見覚えはない。こんな人間は一度見たら忘れないだろう。レムも見知った様子ではない。スバルは明らかにただ者ではない男に問い掛けた。
「お前、は……?」
次に返ってきた言葉はスバルにとってもレムにとっても全く予想外のものであった。
「魔女教大罪司教『強欲』担当、レグルス・コルニアス」