とある双璧の1日   作:双卓

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理不尽の1日・参

 

『強欲』の大罪司教を名乗った男はラインハルトから聞いた通り化け物だった。

 鬼化したレムのモーニングスターを正面から顔で受けてもその顔には傷一つ付いていなかった。全力の氷魔法をぶつけても衣服にすら傷を付ける事は出来なかった。

 そしてその攻撃に怒りを露にしたレグルス・コルニアスが腕を振り上げるとレムの右腕が宙を舞った。レグルスが地面を蹴ると、レムに向かって飛んだ砂粒が身体中に穴を空ける。

 

「ぁ……スバ……ル……く……」

 

「僕はなにも喧嘩をしたいわけじゃない。そんな野蛮な行為からは何も生まれないからね。ただの力で自分の意見を通そうなんて考えるのは人間のやる事じゃない。それをやるのは知性を持たない動物だけだ。こうやって話すのだって人間の特権。話し合いを出来るのは人間に許された権利だ。僕にも君たちにもね。だから僕は何事も話し合いで解決しようとしているんだ。話し合う事によってお互いの意見を聞く。非戦主義の僕にとってはそれが望ましい。なのに君たちときたら。そもそもの話君たち誰だよ。初対面なら名乗り合うのが礼儀ってものじゃないの? 恥ずかしがりって可能性もあるから僕から先に名乗って君たちにも名乗りやすくしてあげたわけでしょ? そこまで配慮してあげたっていうのに返事はあのトゲトゲだ。あんなの人に向けるものじゃないでしょ。一体どんな教育を受ければそんな反応出来るようになるんだか。そうか、鬼だからそういう教育は受けられなかったのか。でもそれならそうで分からないなりの態度ってものがあるでしょ。あんなもの投げてくるなんて論外だ。そりゃ、人には人の価値観がある。君たちにもあって当然だ。でもだからってそれを相手に押し付けるのは違うんじゃない? 僕はこうやって対話の道を作ってあげてるんだから君らはその道の上を歩けばいいだけ。なんでそれが出来ないかな。君らからすれば自分の我が儘を通せてさぞかし楽しいだろうね。でもそれは僕を踏み台にして成り立ってるんだよ。僕の権利を踏みにじって。言葉も通じない魔獣擬きが、僕の権利を侵害するなよ」

 

 レムは血塗れの状態で地面に倒れ、言葉を話す度に口からも血が吐き出されている。

 

「やめろよ、クソ野郎!!」

 

 スバルは地面に落ちている砂や石握り、力の限り叫んだ。レムの攻撃が効かなかったのだから例え投げつけた所で嫌がらせ程度にしかならず、その言葉には何の力もない。だが、そうせずにはいられなかった。

 じわじわと嬲るように痛め付けられるレムの姿は見ていられなかった。

 

 そして次の瞬間、目線の位置が下がった。

 

「あ? ああぁぁああ!?」

 

 両足の太腿に激痛が走る。

 痛い。

 痛い。

 痛い。

 痛い。

 

 見ると大量の血をぶちまけて両足の先がなくなっていた。

 

「あ、足、足がああぁ!!」

 

「はぁ。まったく、人の話を聞くって事が出来ないわけ? 今僕が言ったでしょ。話し合いが大切だって。その直後にこれ?」

 

 レグルスがスバルの手の中に収まった物を見て言った。

 

「そんなの持ったところで無駄だって分からないの? もっと他にやる事があるでしょ。僕だって狭い心の持ち主にはなりたくない。君がただ一言謝ってくれればそれでこれまでの失礼は広い心で許そう。それなのにお前はこの気遣いを足蹴にするのか。そんな事をされたらいくら僕でもはいそうですかとはならないよね。僕も本当はこんな事したくないんだよ。争いとかさ、嫌なんだよね。僕はただ平凡で平穏な生活が送れるならそれでいい。平和主義な僕は争いもなく平和な時を過ごしたい。それだけで満足なんだよ。それ以上は望まない。なのにお前はその僕の平穏な時間を壊そうとしている。それはつまり僕の数少ない私財、権利を奪おうとしてるって事だ。それは、いかな無欲な僕でも許せない」

 

 レグルスが地面から砂塊を掴み取る。そしてその手を振り上げた。スバルに投げつけるつもりなのだろう。スバルには避ける手段もなければ防ぐ手段もない。 

 

 次の瞬間、何かがスバルに覆い被さった。

 濡れていて、柔らかい感触がある。満身創痍のレムだった。

 

「レ、ム……?」

 

「レ……が……スバ…………まも」

 

 絞り出されたレムの掠れた声を聞いて、スバルの意識は暗転した。

 

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

「ああぁぁあ!!」

 

「ど、どうした兄ちゃん!?」

 

 意識が覚醒すると、スバルは再び筋骨隆々な肉体に厳しい顔立ちのカドモンが経営する野菜果実店の前に戻っていた。

 

「あ、いや、戻った……のか」

 

 スバルは両足に手を当て、しっかりと地面に立っている事を確認する。

 

「スバルくん?」

 

「レム……?」

 

 声がした方へ振り向くと、そこには五体満足のレムが心配そうにスバルを見ていた。

 スバルは駆け寄ってレムの右手を握った。

 

「ちゃんと、付いてる。どこも怪我してないよな」

 

 右手の感触を確かめた後、スバルはレムの身体にペタペタと触れて傷がない事を確認する。

 

「スバルくん、その……恥ずかしいです」

 

 完全にセクハラだが、スバルはそれどころではないし、レムを嫌がっているわけではないので問題はない。

 問題があるとすればカドモンの店の方だった。

 

「おい! 店の前でイチャイチャしてくれんなよ! 客が寄り付かなくなるだろうが!」

 

「お、おお、悪い」

 

 果物屋をやるようには見えない厳つい顔で怒鳴られたスバルはレムの手を取ってその場を離れた。

 

「レム、大事な話がある」

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 クルシュとの話は前回の周回とほとんど変わらなかった。変わった事といえばルイスの話をしなかった事ぐらいだ。

 別れの挨拶も変わらず、ロズワール邸までの道中に立ち寄った村も同じ、宿も同じだった。

 

「レム、明日の進路だけど、リーファウス街道の真ん中じゃなくてちょっと脇道みたいな所を通って行きたい」

 

 違う点はこれだ。前回は最短経路でリーファウス街道を突っ切ろうとした所で『強欲』の大罪司教に遭遇した。同じようにリーファウス街道を正面から通り抜けるのは危険過ぎる。かと言って遠回りをし過ぎては手遅れになる。

 

「分かりました。ではこの道を通るというのはどうでしょう」

 

 レムが地図を広げ、リーファウス街道から枝分かれした道を指差した。

 

「ここなら大丈夫か……よし、ここで行こう」

 

 そして次の日。

 二人は前回と同じように早朝から出発した。

 道中で出来る事はない。スバルは竜車に乗りながら同じような風景を眺めて到着を待つ。

 そして脇道に逸れて数分後、スバルたちは商人の集団に遭遇した。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

「ナツキさんたちはこれからメイザース領へ向かうんですか」

 

「ああ、そうだ。で、そこで提案なんだが」

 

 スバルはこの集団と出会った時、ある事を思い付いた。

 

「金なら払う。ここにいる商人と竜車の足、みんな俺に買われてほしい」

 

 それはすなわち村人たちの避難に使う足。避難させる方法がないという理由で村人たちの避難は諦め、エミリアを王都かどこかへ移動させる事で魔女教の狙いを他の場所へ逸らす。そういう作戦だった。

 だが、方法があるならば避難させるに越した事はない。幸いにしてレムがロズワールから預かった路銀にはまだかなりの余裕がある。それでも足りなければロズワールに払わせればいい。

 

「足、ですか。一体何を運ぶつもりなんです?」

 

「人だ」

 

「人!? 人身売買は勘弁してほしいんですが……」

 

 スバルは卸した油が売れず、このままでは破滅だと嘆いていたオットー・スーウェンに代表して商談を持ち掛けていた。

 

「安心してくれ。そういう後ろめたい事をするわけじゃない。メイザース辺境伯の屋敷の近く村にいる村人たちを避難させるためだ」

 

「避難? 何かよくない事でも?」

 

「実は近頃その周辺で山狩りがあるんだ。森にウルガルムって魔獣がうろついててな。この前その魔獣の被害が出たから掃討作戦が行われる」

 

「そうなんですか」

 

 理由は完全なるでっち上げだが、仕方がない。もしもばか正直に魔女教が攻めてくるから、と言ったらついてきてくれるものもついてきてくれなくなる。

 予定ではタイムリミットまでまだ時間がある。このまま村へ向かえば商人たちを危険に晒す事もない、はずだ。

 

「で、どうだ?」

 

「まぁ、油も買い取っていただけるって話なら僕には断る理由はありません」

 

 オットーの了承は得た。他の商人はどうかとスバルが見渡すと、

 

「いいぜ。あんたの話に乗ってやるよ」

 

 他の商人たちとも商談は成立した。

 

 その後スバルは避難は早く済ませたいという事を伝え、商人たちを引き連れてすぐに出発した。

 

「本当の本当に、この油を買い取ってもらえるんですよね!」

 

「おうよ、最悪ロズワールの財布から払ってやるよ!」

 

「大丈夫なんですかね!? それ!」

 

 御者台の左側に座るレムを挟んで左側を走るオットーとこうして軽口を交わす程度には緊張のほぐれた空間だった。

 地図を確認しながら、ランタンの灯では弱いからと携帯を取り出し、それを見たオットーをふざけて脅かしたりもした。

 

「スバルくん、あまり前に出すぎると落ちてしまいますよ? 場所を代わりましょうか?」

 

「大丈夫、大丈夫」

 

 だからこそ、異変に気付くのが遅れたのだ。

 

「あれ、右走ってたおっちゃんどこ行った? まさかはぐれたとか言わねぇよな」

 

 何気なく右後ろを見ると、先ほどまで竜車を走らせていたはずの商人が消えていた。

 

「これで避難に間に合わなくて金払わなかったら契約違反とか言われないよな……?」

 

「何を言っているんですか、スバルくん。レムたちの右側には誰も走っていませんでしたよ?」

 

「え?」

 

 レムが嘘をつくとは思っていない。そんな嘘をつく理由もなければ、元々嘘をついたりするような性格ではない。だが、確かに右側には竜車が走っていたはずだった。

 

「オットー! 俺たちの右側にも竜車は走ってたよな?」

 

「何言ってるんですか、ナツキさん。ナツキさんたちが一番右側ですよ?」

 

「そんなはずは……」

 

 オットーもレムと同じ反応を示した。

 オットーはともかくレムを疑っているわけではない。しかし、再び自分の目で確認すべくスバルはランタンを右側後方に向けた。

 

 ――巨大な眼球と目が合った。

 

 身体の芯までを震わせるような咆哮が響き渡る。

 

「……ッ!?」

 

 直後に竜車など余裕で収まる大きな顎が大地を抉りながらスバルたちへ迫っていた。

 

「逃げろ逃げろ逃げろ――!!」

 

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 白鯨と地竜では馬力が違う。もとより竜車で白鯨から逃げ切るなど不可能だった。故にレムは白鯨を迎撃するために竜車から降り、それを止めようとするスバルを気絶させ、地竜にスバルを任せた。

 

 気を失ったままのスバルが地竜に任せて進み、意識を取り戻した時、既に夜が明けていた。周囲に見える風景もいつの間にかスバルがよく知っているものとなっていた。

 

「アーラム、村……」

 

 地竜の扱いを知らないスバルはアーラム村で竜車を降りた。走り回っていた子供たちが絡んでくるが、軽くいなしてロズワール邸へ向かって走る。

 白鯨は化け物だったが、スバルの身近にも化け物はいるのだ。白鯨はかなりのデカブツだった。が、レムの攻撃によってダメージは入っていた。『強欲』とは違う。

 ならば、ルイスなら、魔獣騒ぎの時に森を斬るなんて馬鹿げた事をやったルイスならばなんとかしてくれる。スバルはその願望にすがり足を走らせる。

 

 数分後ロズワール邸の敷地内に一人たどり着いたスバルは無造作に玄関扉を開けた。

 

「スバル、何かあったのか?」

 

 そこにはルイスが待ち構えていたかのように立っていた。

 何故ここで立っていたのか、とかどうしていつもの黒い剣に加えて違う剣も装備しているのか、とか気になる事はあった。だが、スバルにとってその疑問は優先度が低い。

 

「レムが! レムが白鯨を足止めするために残って! 今ならまだ、助けてくれ!」

 

 言葉足らずであるのはスバルも自覚した。それでも伝えたい事を一番に目の前にいるルイスに向かって叫んだ。

 

「白鯨? 白鯨が出たのか?」

 

「そうだ! 白鯨が出たんだよ! だからレムは、俺を逃がすために!」

 

「待て、ちょっと落ち着けスバル」

 

「落ち着いてられるかよ! 今この瞬間にもレムが!」

 

 そうだ、落ち着いている場合などではない。レムは今だって白鯨と戦っているかもしれないのだ。もうやられてしまった、などとは思っていない。否、考えないようにしている。レムは魔獣騒ぎの時に一晩中ウルガルムと戦い続けたという功績があるのだ。白鯨にだって負けていないはずだ。

 

 スバルはルイスを説得するために全ての神経を注いでいた。ルイスの言葉は一つ足りとも聞き逃す事はない。だからこそ、ルイスの口から発された言葉にスバルの頭の中は真っ白になった。

 

 

 

「レムって、誰のことだ?」

 

 

 

「は……?」

 

 意味が分からなかった。

 

「お前……ふざけんなよ」

 

 これまで一緒に暮らしていたではないか。それが誰、だと? この状況で、ふざけるな。こんなくだらないやり取りをしている時間などない。

 スバルは無意識のうちにルイスの胸ぐらに掴みかかっていた。

 

「レムだよ、知らないはずねぇだろ! ラムの双子の妹でここで一緒にメイドをやってた!」

 

「白鯨……そういう事か」

 

 スバルに胸ぐらを掴まれたままのルイスは少し考えた後、そう呟いた。

 

「スバル。白鯨の霧にやられた者は世界の記憶から抹消されるんだ。だから悪い。俺も覚えてない」

 

「世界の記憶から、抹消?」

 

「俺も調べたり聞いたりしただけだから実際に体験した事はない。だが……そうか。恐ろしいな」

 

「待てよ。その言い方だとレムがもうやられたって……」

 

 少し冷静になってきたスバルがそう言うと、ルイスがスバルの顔を驚いたように見た。

 

「お前、覚えてるのか……?」

 

 ルイスが白鯨の事を知っているのは遭遇した事があるからではなく文献を読んだり人から話を聞いた事があるからだ。それによってルイスは白鯨の能力を知っていた。

 実際に体験した事はなかった。否、体験した事はあったかもしれないが、全く認知していなかった。

 

「スバル、お前やっぱり……いや」

 

 ルイスは何か言いかけたが、途中で止めてスバルの手を引き剥がした。

 

「白鯨か……またあの人と気まずくなるな」

 

「あの人?」

 

「スバルも知ってるだろ。ヴィルヘルム・ヴァン・アストレア」

 

 ルイスはそれだけ言い残すとスバルに背を向け、玄関の扉を開けた。

 スバルただ呆然とその姿を見送った。

 

 

 

 

 


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