まだ二日目であるが、エミリアに仕えることになった『戦神』ルイス・フォン・ゾルダートにとってロズワール邸での生活は悪いものではなかった。
騎士といってもエミリアの身を危険にさらすような輩がそう頻繁に現れる訳ではないので仕事は多くない。仕事以外の時間は自由にして良い。自身の鍛練に費やしても良いし、自堕落な時間を過ごしても良い。
食事の時間は皆揃って食べることになっており、個性的な人物が多いので退屈しない。
仕入れ先の違いからかロズワール邸のリンガは地味に美味しい。
これ程の良い環境があるだろうか。いや、そうはないだろう。ルイスはこの職場を紹介してくれた父親に感謝しつつ今日も惰眠を貪る……つもりだった。
始まりはエミリア様の悪意ない一言から始まった。
「何もすることがないと暇よね?だからスバルたちに交ざってきたらどうかと思ってラムに話してみたら快く了承してくれたの」
何やってくれてんだ。
大声で叫びたい衝動に襲われたが、善意100パーセントの笑顔の前でそれは出来なかった。
しかし、俺は考えた。ここでデキるやつだということを見せればラムもあの俺を舐めたような態度を改めるのでは?と。
そうと決まればやる気も出てくるというものだ。
俺はラムやレムが呼びに来るまで待つことにした。寝転がりながら。
「起きなさいイス。エミリア様から話は聞いているわ。早く仕事に向かいなさい」
「ついに来たな。フッ……俺の仕事ぶりを見せてやろう」
「忘れ物よ」
俺を無視してラムは昨日の猫耳アクセサリーを取り出した。
「なんでお前が持ってるんだよ」
「ロズワール様から預かったのよ。仕事中はこれを付けるようにとね」
ロズワール……俺に何か恨みでもあるのか。
いや、そもそもの原因はフェリスだ。あの猫耳思わせ振り女男、今度会ったら許さん。
「それで?俺はまず何をすればいいんだ?」
「イスというよりは犬ね」
「そ・れ・で?俺はまず何をすればいいんですかねぇ?」
「ようやく先輩への口のききかたが分かってきたようね」
「話聞けよ」
ダメだこいつ。話が致命的に噛み合わん。
ラインハルトとかなら話が通じるまで頑張るだろうが、俺はそこまで我慢強くないので他の人間を探すことにした。具体的にはレム。スバルでもいいが、ロズワールはダメだ。
「どこに行くつもり?」
「レムかスバル辺りを探しに」
「レムとバルスなら買い出しに行っているからいないわ」
「なんだと……!」
つまり、今この屋敷にはエミリア様とロズワール、そしてこいつだけと。そう言えばベアトリスとかいう精霊もいたが、どこかに籠っているらしいので当てには出来ない。
エミリア様はもちろん、ロズワールに仕事のことを聞くなど不可能だ。ならば頼れるのはラムしかいない。
詰んだなこれ。
「下らない事してないで早く仕事に取り掛かりなさい。今の内にラムの仕事を終わらせるのよ」
「その仕事が何をすれば良いか分からないから聞いてるんだが?あとお前それが本音だろ」
「最初は昼食の調理からよ。でも直接ロズワール様が口にするものだから犬……いえイスは見てるだけでも良いわ」
「それは俺の料理が下手だと言ってるのか?だとしたらそれは検討違いもいいところだと教えてやるよ」
確かに俺は自分から家事をすることはないが、料理ならば一度ラインハルトと勝負した事がある。
その時は先にラインハルトの料理が完成したと聞いたので見てみると王直属のシェフ並みの料理が出てきたので俺の料理は腹が減ったから食ったという理由でその勝負は有耶無耶にした。後から料理に関する加護を持っていると聞き、納得したものだ。
俺の見立てでは料理でラインハルトに勝てる人間はそうはいない。つまり、俺の料理がラインハルトより劣っていたとしてもそれは料理下手だという理由にはならない。
「ラムに料理で勝つつもり?いくら強くても料理と戦闘は違う。侮ってもらっては困るわ」
「俺も侮ってもらっては困るな。長年修練を積んできた俺の包丁裁きを見て驚くなよ」
剣も包丁も同じ刃物だし大丈夫だろ。
作り方もラムのやり方にちょっとアレンジを加えるぐらいでいい。俺の考えでは料理に失敗する人間というのは自分勝手に食材を追加したりするのだ。つまり、使う食材などで間違えなければ失敗することはない。
そう、途中までは同じようにやっていれば良いのだ。
「よし、お前の得意料理で勝負だ」
「よりによってラムの得意料理で勝負?そんなものラムの圧勝で終わりね」
「そう言っていられるのも今の内だけだぞ。それで、お前の得意料理はなんだ?」
「何を隠そう、ラムの得意料理は蒸かし芋よ」
蒸かし芋……蒸かした芋だな。よし、それなら俺も食べたことがあるし知っているぞ。
……あ、蒸かすってどうすれば良いんだっけ。
「……なんで昼飯が芋だけなんだ?」
エミリアやロズワール、ベアトリスと屋敷にいる約半分の面子が気まずい雰囲気で黙る中、空気読めない系男子のスバルが一番に口を開いた。
何故このような空気になっているかと言えば、食卓に並んでいるものが原因だ。
「無謀にもこのイスがラムに勝負を仕掛けてきた結果よ」
「いや、意味が分からん」
食卓に並んでいるもの、それは芋。それも芋丸々の大きさのものと一口サイズに切り分けられたものこ二種類だけだ。
「俺の料理とラムの料理どちらが上かを決めてもらおうと思ってだな」
「料理っていうかただの芋じゃん」
「ただの芋じゃない。蒸かし芋だ」
「それはまあ、見たら分かるけどさ」
「俺が戦いだけの戦闘バカじゃないという事を証明するためにラムの得意料理を俺も作ったっていう訳だ」
「なーぁるほど。じゃあまずはラムが作った方から頂こうかな」
最初にロズワールがラムの作った蒸かし芋を口に運んだ。僅かに湯気が出ているが、熱そうな素振りは見せない。
それを見たスバル、エミリアも続いてラムの蒸かし芋を口に運ぶ。最後にベアトリスもラムの蒸かし芋を口に運んだ。
「おぉ、なんとも絶妙な塩加減。こりゃ、上手い!」
スバルの絶賛を聞いてラムはルイスにドヤ顔を向けた。
「ま、まぁ、得意料理が不味かったらどうするって話だからな」
「ラムの蒸かし芋は相変わらず美味だーぁねぇ。さてさて、ルイスくんの方はどーぉかな?」
「食べやすいように一口サイズに切ってるところとか俺的に高得点」
「たーぁしかに食べやすい配慮ではあるねぇ。でも味の方はどうかねぇ」
ラムの蒸かし芋を置くと、今度はルイスが作った一口サイズ蒸かし芋を口に運ぶ。
スバル、エミリアもそれに続く。しかし、全員口に入れて少しすると固まった。
「これは……」
「砂糖入れすぎだろ」
ロズワールに続いてスバルが口を開く。
それを聞いてルイスはあからさまに驚いたような顔をした。
「まさか……塩と砂糖を間違えただと……!?」
「こんなテンプレみたいな間違いするやつ初めて見たぞ」
ルイスは蒸かし芋に使う塩を砂糖と間違えてしまったのだ。蒸かし芋に砂糖を使う事もあるだろうが、砂糖とは用途も量も違う。使う事があるといっても、使い方を間違えれば上手い料理にはならない。
「くっ……こんな時ラインハルトの加護があれば……!」
「加護?加護って何よエミリアたん」
「加護は加護よ。本当に知らないの?」
スバルには加護という単語が気になったらしい。
エミリアは知っていて当然という風に聞き返すが、スバルは本当に知らないようだ。
「加護っていうのは……」
「加護ってのはな、生まれた時に天から授かる祝福みたいなもんだ」
ルイスかエミリアの言葉を遮って答える。
「それじゃあラインハルトは料理がめっちゃ上手くなる加護とか持ってたり?」
「あいつが持っている加護の名は『塩の理の加護』。効果は塩と砂糖を間違えることがない!」
「天の祝福しょぼ!持ってても嬉しくねー!」
まさしくスバルの言う通りであるが、今のルイスには必要なものであった。
「ハッ、やはり勝負にならなかったようね」
「こんなはずじゃ……!」
「あはぁ。仲が良いようで何よりだよぉ」
やれやれと見下すラムと地面に四肢をついて悔しがるルイス。本人たちは本気なのかもしれないが、端から見ればただの仲良しである。
「でもほら、失敗から新しいものか生まれる事もあるし、失敗は悪い事じゃないと思うの。失敗しても次頑張れば今度は失敗しないかもしれないし」
「ぐはっ」
ここぞとばかりに失敗を連呼するエミリア。ルイスには効果抜群だ。
「エミリアたん、多分それフォローになってない」
「え!?」
その昼食の間、猫耳を付けた美形の男が悔しがりながら芋をかじるというなんともシュールな光景が広がっていたという。
「よーし分かった。確かに俺は料理が少し、ほんの少ーし下手かもしれないが、他では俺が勝つぞ」
「言ってなさい。掃除洗濯はラムの得意分野よ」
「フッ……掃除洗濯でこそ俺の真価が発揮されるのだ」
ラムとルイスの二人が庭で箒を構えて向かい合う。
二人が行おうとしているのは庭の掃除。主に落ち葉などを集めるのが仕事だ。
先ほどラムに勝負を挑んで惨敗したルイスであったが、気を取り直したのか自信満々だった。
「ここから屋敷の向こう側の丁度半分の位置までどっちが多く早く落ち葉を集められるか勝負だ」
「何度挑んできても無駄よ。格の違いを思い知らせてあげるわ」
火花を散らす二人。
手に持っているのが箒ではなく真剣であったなら、一触即発という言葉を連想するだろう。しかし二人か手に持っているのは箒、それも竹箒だ。
この状況からそんな野蛮な言葉を浮かべる人間は恐らくいない。
「はいスタート!」
突然ルイスが声をあげて竹箒を振り上げる。
「長年剣を扱ってきた俺の技を見よ!秘技・風圧落ち葉集め!」
ルイスが振るった箒は風を起こし、地面に散っている落ち葉を空中へと巻き上げる。
「なんて安直な名前なの……いいわ。そっちがその気ならラムにも考えがあるわ」
ルイスが剣技(?)を披露し始めてもラムは立ち止まったままだ。それどころか箒の先端を空へ向けて地面を突く。
しかし、ラムは勝負を諦めた訳ではない。むしろ勝つ気しかない。
箒を持っていない方の手を開いた状態でルイスとは逆の方向に向ける。
「フーラ!」
力強く発せられたそれは魔法の詠唱だった。
ラムの得意とする風魔法による突風が落ち葉を運ぶ。
「はぁ!?魔法使うのかよ!」
「勝負は勝負。勝てばそれで良いのよ」
ラムがドヤ顔で言い放つ。
ルイスは一応箒一本で落ち葉を集めている。それに対してラムは魔法を用いた。はっきり言って大人げない。
そこまでして勝ちたいかと第三者が見れば言うだろうが、本人はそこまでして勝ちたいらしい。
ラムの魔法で発生した風が更に落ち葉を集め、先に始めたルイスと同じぐらいの量が宙に巻き上げられた。
「ラムに勝とうなんて100年早いわ」
「自分だけ魔法使ってるやつの台詞じゃねぇ!」
ルイスは落ち葉を運ぶ速度を上げ、ラムも追いかけるように速度を上げる。片方が速度を上げてはもう片方が追いかける。
とはいえ、ルイス振るっているのはただの箒だ。特別な加工が施されている訳ではないので強く振り過ぎると簡単に折れる。絶妙な力加減が必要なのだ。
「こんな事なら風魔法も訓練しとけば良かったか……」
普段ラインハルトと素手や木剣でばかり戦っているのであまり知られていないが、実はルイスはロズワールほどではないが全属性の魔法に適性があったりする。が、訓練したのは水魔法の派生である氷魔法のみ。何故かと言えば、その理由はやはりラインハルトにある。
ラインハルトは数多の加護を持つが、その加護の中には火・水・風・土・陰・陽のそれぞれの属性に対して魔法を軽減するというものがある。つまり、六属性どの魔法を使ったとしても効果を軽減されてしまうのだ。
しかしここでルイスは考えた。氷魔法ってその加護抜けれるんじゃね?と。その考えに従ってルイスは他の魔法に見向きもせず、氷魔法だけに修練を行った。
結果は昨日スバルに説明した通りだったが、そもそもルイスが使う氷魔法は水魔法の派生なので大元は水魔法という事になり、ラインハルトの加護を出し抜く事は出来ないであった。
ルイスとラムそれぞれが半分、つまり屋敷の周りの四分の一までの落ち葉集めが終了した。残りは半分だ。
「このままじゃまずいな」
今のところ庭掃除の進捗率は二人ともあまり変わらないが、ラムは魔法使用で箒に傷がないのに対して魔法なしのルイスの箒には所々傷が付いている。このまま無茶に扱い続ければ折れてしまうかもしれない。
「こんな時のためにもう一本持って来てて良かったぜ」
ここは流石デキる男を自称するだけある。ルイスは何を思ったのか自分用の箒を二本持って来ていた。
もう一本の箒はこの競争のスタート地点に置いてある。そこまで取りに行くのは時間が勿体無いように感じるが、今使っている箒が折れた時の事を考えればそうも言っていられない。
ルイスはもう一本の箒の元へ走った。全力を出せば一瞬でたどり着けるが、今は近くに苦労して集めた落ち葉の山がある。かなり手加減して走った。
そしてもう一本の箒を回収すると先ほどまで使っていた箒と新しい箒をそれぞれ左右の手に持った。
「二刀流、つまり二倍速!」
二本の箒を振るうと威力の増した風が落ち葉を運ぶ。
少しラムに先を行かれてしまったが、この調子で行けば追い越す事も難しくないだろう。
「箒を二本も使うなんて……卑怯な」
魔法まで使っておいてどの口が言うのか、箒を二本扱うルイスの姿を見たラムは呟いた。
スタート地点の反対側でお互いの姿が見えるという事はゴールに設定している地点まで残り僅かという事だ。そこで相手が速度を上げれば当然焦る。
ラムは力強く言った。
「エルフーラ!」
それは風魔法は風魔法でも今までラムが使っていたフーラの一段階上に位置する風魔法の詠唱だった。
そこで発生した突風はもはやつむじ風だった。大量の落ち葉がつむじ風に吸い上げられ、ラムは走ってそのつむじ風を追いかける。
それを見たルイスは最初から使っていた竹箒の先端がほとんどなくなり、ただの棒のようになった事など気にせずに振るう速度を上げた。
残りはそれぞれ自身のコースの四分の一。
最初から使っていた箒が根元から折れた。
残りは八分の一。
二本目の箒もただの棒になった。
そして二人がほとんど同時にゴール。
二本目の箒も根元から折れた。
「俺の勝ちだ」
「ラムの勝ちよ」
ドサッと落ち葉の山が着地する。とてもたった二人、この短時間で集めたとは思えない量だ。素晴らしい仕事ぶりだと言えるだろう。二人がいがみ合っていなければ。
「俺の方が早かっただろ」
「ラムの方が早かったわ」
お互いに勝利を譲ろうとしない。
退屈しなかったし、早く終わったし万々歳。では終われない様子だ。
「お前、魔法に集中し過ぎてちゃんと見てなかったんだろ」
「そっちこそ箒を壊すのに必死で前を見てなかった……んじゃ…………」
いつものように嫌味を言おうとしたラムだったが、突然身体の力が抜けて地面に膝をついた。
「おい、どうした?」
「少し……マナを…………使い過ぎたわ」
ラムは力なく地面に座り込む。自力で立ち上がれそうな雰囲気ではない。
「俺は立っててお前は立ってない。つまり俺の勝ちだな!」
「後で……覚えてなさい」
結局ルイスがラムをおぶってロズワールのところまで連れていった。
「何か言い訳はあるかい?」
「「すみませんでした」」
数十分後、ルイスとロズワールにマナを補充してもらったラムは長時間正座を強いられていた。