魔獣騒ぎから数週間が経った。
スバルはすっかり使用人生活に慣れ、仕事が板に付いてきた。今までラムがやっていた仕事をほとんど肩代わりする日もしばしばだ。ラム曰く、ちゃんと仕事が出来ているか監視しているらしいが、真偽のほどは分からない。
対してルイスは食っては寝て食っては寝てを繰り返していた。それで良いのかと思うかもしれないが、一応魔獣騒ぎの終結の立役者であるし、騎士としての役割は果たしているので問題はない。
スバルはこき使われ、ルイスは甘やかされる。そんな平和な時間が過ぎていた。
しかし、その平和な時間も長続きはしなかった。
ロズワール邸に一台の竜車が到着した。
商人が使うような荷台に簡素な屋根が取り付けられているものではなく、内部がまさしく客室といえるようになっている豪華なものだ。それを曳く地竜もどこか威厳のある顔つき体つきである。
それだけで乗っている者が重要な役割を持っていると分かる。事実、その者は重要な役割を持って参上したのだった。
使用人の立場であるスバルは現在エミリアと出掛けている最中なのでラムとレムだけで出迎え、主であるロズワールが待つ客室へと案内した。
「ようこそ、我が屋敷へ。ルイスくんも呼んできた方がいいかーぁな?」
「必要ないですよ。話がややこしくなりそうにゃんで」
「それは残念だーぁね。彼を叩き起こしてこようと思ったのに」
軽口を交えてこの場所を訪れた使者、フェリスはロズワールの正面の椅子に座った。
屋敷の主の許可なく座るのは失礼だと思われるかもしれないが、相手はこの大事な面会でも道化の格好をしているふざけた人物である。少々の事は問題にならない。
「エミリア様はお出かけされているからねぇ。まずはこっちの話を始めようじゃーぁないか」
レムは家事のために退出し、ラムは付き人としてロズワールの背後に控えたところでロズワールは話を切り出した。
王選候補者エミリアの騎士ルイス・フォン・ゾルダートの朝は遅い。
誰よりも早く起きて仕事を始めるレムはもちろん、それに続くラムやスバル、果てには主であるエミリアよりも遅い。朝食の時間の直前に起きてくることもしばしばだ。
しかし、掃除の邪魔などの理由で叩き起こされる事はあっても咎められる事はない。その理由は単純で、ルイスがやるべき事というものがないからだ。そう何度も魔獣が問題を起こすような事はないし、かといって人間が襲ってくるかといえばそういう訳でもない。そもそも大抵の相手ならばロズワールだけで片がつく。
視点を変えて鍛練をするのはどうかといえば、打ち合いとなればラインハルトぐらいしか相手を出来ないし、例え素振りだとしても少し力を入れれば屋敷など簡単に吹き飛ぶ。
ここまでくれば何故ここにいるのか分からなくなりそうだが、そればかりは彼の父親が働きたがらない息子を何とか働かせようとした結果なので仕方がない。ルイス本人としてはなかなかに快適な暮らしで気に入っているで踏んだり蹴ったりなのか結果オーライなのかよく分からない。
「……よし、朝食まであと5分」
本日開口一番の言葉がこれである。
実際に時間を確認した訳ではないが、こういう時のルイスの腹時計はかなり正確である。恐らく間違っていない。
そうと決まればやるべき事は一つ。食堂へ直行だ。
「なんで誰もいないんだ?」
自室を出た時が朝食5分前だとして今は丁度朝食が始まる時間のはずだ。だが、食堂には誰一人としていなかった。
おかしい。
そう考えてルイスは特に何かを考えた訳でもなく窓から庭を覗いた。すると、
「げ……」
門近くに停車している豪華な竜車、そしてその側に立つ貫禄のある老人が目に飛び込んできた。それもただの老人ではない。ルイスが苦手意識を持つ数少ない人物である。
名をヴィルヘルム・ヴァン・アストレアという。今は旧姓のヴィルヘルム・トリアスを名乗っているが、ルイスの親友にしてライバルの祖父にあたる男だ。それだけならば何の問題もないのだが、ヴィルヘルムは十年以上前に家を飛び出しており、アストレア家との関係は複雑になってしまっている。
家を飛び出してからは三大魔獣の一つ、白鯨を追っているらしい。神出鬼没の魔獣を十年以上も追い続ける姿はどこか狂気を感じさせ、積極的には近付きたくない。
「あの人がいるって事はクルシュ様も来てるのか?」
ヴィルヘルムは現在、エミリアと同じく王選候補者の一人クルシュ・カルステンに仕えている。となれば、クルシュが来ているかもしれないという推測にたどり着くのは当然のこと。
そしてクルシュが来ているならその騎士であるフェリスも来ているだろう。フェリスは近衛騎士団の中でも仲が良い(とルイスが思っている)人物トップ5に入っている。先日ラインハルトとの模擬戦の際ちょっとした事故があったが、友人として顔を出すのもいいだろう。と、思ったが、
「やっぱり眠いからいいか」
別にわざわざ会いに行く必要もないかと思い直してルイスは再びベッドに伏した。何かあれば呼びに来るはずだ。そう、わざわざ自分から赴く必要はないのだ。
結局、ルイスが叩き起こされる事なくフェリスは話し合いを終えて帰還した。どうやら王選関係で明後日に王都へ出発するらしく、そのついでに魔獣騒ぎの時にゲートを損傷したスバルの治療をしてもらうらしい。
スバルは王選関係の事に首を突っ込む気満々だったようだが、エミリアはそうなると思ってスバルが王都へ行くのは反対していた。実際にはスバルのゲートを治療してもらうには王都にいるフェリスの元を訪れる必要があるので避けられないのだが。
スバルは絶対に無茶をするからとはエミリアの言だが、ルイスとしては別にスバルが王選に関わろと関わらなかろうとどちらでも良い。ただ、関わった方が面白くなりそうだとは思っている。
そしてあっという間に明後日。朝からの出発なので朝食が終われば皆慌ただしく王都行きの用意を始めた。それは普段ふざけいているロズワールも同じ事で、普段と変わらないのはルイスと禁書庫に籠っているベアトリスぐらいだった。
「ほらほら!出発の時間だぞ!」
ドンッ!とルイスの自室の扉が開かれた。声の主はラムにケツを叩かれたスバルだ。
「はいはい、今行くから」
ルイスは怠そうに立ち上がり、辺りを見渡した。部屋にはほとんど物が置かれておらず、探し物ならすぐに見つかる。だが、スバルの前でルイスは視線を二周三周と回す。
「ん?どしたの?」
「しまった!取りに行くの忘れた!」
「取りに、って何を?」
「そんなの……剣に決まってるだろ」
ルイスは膝をついて悔しそうに言った。
「剣ならあるじゃん」
スバルは漆黒の剣を指差して言ったが、ルイスが探しているのはそれではない。
ルイスが探しているのはラインハルトとの模擬戦用の剣だ。前回使った物は灰となってしまったので新しい物を用意しなければならなかったのだが、今度、また今度と思っているうちに今日という日が来てしまったのだ。ルイスの実家にはいくらでも剣はあるので取りに行けばいいだけの話なのに面倒がっていた結果がこれだ。
因みにラインハルトの中では必要な時には必要なだけ剣が手元に来る事になっているのでラインハルトが持ってくるという選択肢はない。
「くっ、こうなったらロズワールの野郎に頼むしかない。こんなでかい屋敷なんだから剣の一本や二本はあるだろ」
スバルをおいてルイスは早々に立ち去った。
ロズワールの元へ到着するなり「なんでこんなガラクタしかねぇんだよ」「借りる側なのにずーぅいぶん態度が大きいじゃーぁないか」「こら、喧嘩しないの」とひと悶着あり、一行は王都へと出発した。
「あれ、ルイスは?」
「ルイスなら制服を取りに行くってラインハルトの所に行ったわよ」
王選候補者が王城へ召集されたのはエミリア達が王都へ到着した翌日となっている。そのため、ルイスを除いたエミリア一行は宿で一夜を明かした。
ルイスは制服を取りに行ったついでにラインハルトの所で一夜を明かし、その足で王城へと向かった。
「あーあ、今回の模擬戦はお預けか」
「すまないね。今は君との模擬戦に耐えうる剣がないんだ」
「そうだろうと思ってたけどさぁ」
王城に到着してからもルイスとラインハルトは近衛騎士団が勢揃いする中遠慮なく喋っていた。
普段は面倒がって動こうとしないが、ラインハルトが絡むとその限りではないのがルイスという男だ。
「今回の模擬戦は休みかい?ふっ、それは残念だ」
二人の会話に割り込んできたのは紫色の髪をなびかせるユリウスだ。いつも模擬戦の立会人をしてくれるのでお世話になっている人物である。
口では残念などと言っているが、その顔はどうみても残念そうには見えない。それどころかいつにも増して爽やかな顔をしているように見える。
「なら変わりに模擬戦するか?ユリウス」
「稽古をつけてくれるというなら私としては断る理由はないが、出来れば君よりもラインハルトに頼みたいものだ。私の実力では君たちといきなり実戦をしても得られるものはほとんど無いからね」
ユリウスが稽古相手にラインハルトを望むのはしっかりとした理由がある。ルイスとラインハルトの間に実力の差はほとんど無い。ならば何故ラインハルトを望むのかといえば、それは一重に稽古時の指導の違いがあるからだ。
例えばルイスがユリウスに稽古をつけた場合、中途半端に実力があるためほとんど実力形式のものとなり、指導の際も「ここでこうだ!」「ここをスッとしてドンッだ!」などのほとんど何を言っているのか分からないものとなってしまう。
対してラインハルトの場合は『剣聖の加護』によって何がいけないのか、何が足りないのかが明確に理解出来るため、相手にとって必要なアドバイスを的確に与える事が出来るのだ。
「そういえばフェリス、うちのスバルがお世話になるみたいだな」
「ああ、その事ならもう対価は貰ってるからお礼は……」
「またロズワールの野郎と何か企んでないだろうな?俺はまだあの屈辱の日々を忘れてないぞ」
「屈辱の日々ってそんにゃ大袈裟な……」
ルイスの言う屈辱の日々とはフェリス作の猫耳を付けて過ごし日々の事である。確かに大袈裟な話だった。
そうして近衛騎士団に所属する者同士仲を深め合っていると最初にクルシュ、続いてアナスタシア、エミリアが登場した。
そしてかなりの時間を置いて最後にプリシラが満を持して登場、したのはいいのだが、その側には何故かスバルが着いていた。
「スバル!?どうしてここに……」
それに一番動揺していたのはエミリアだった。スバルには宿で待っているように言ったし、レムを監視につけていたからだ。
エミリアはスバルに詰め寄ろうとするが、その動きは王不在の現在国政を取り仕切っている賢人会の面々が入場してきた事で中断された。
王選候補者は近衛騎士団や貴族たちが並ぶ前で横一列に並び、プリシラと共に遅れて来たスバルとプリシラの護衛か騎士と思われる兜の男は近衛騎士団の列、ルイスたちのすぐ側に加わった。
「やあ、スバル。久し振りだね」
「おお、ラインハルト。盗品蔵の時以来だな」
スバルが最初に話しかけたのは赤髪の好青年ラインハルトだった。
「ルイスから話は聞いたけど元気そうで何よりだよ」
「俺がルイスから聞いた話の半分以上はお前のことだったから、まぁ、元気だとは思ってたよ」
実はスバルがルイスに話を聞く時、その内容のほとんどにラインハルトが絡んでくるのだ。
魔法の話になれば、どう使ってラインハルトを倒すだの、魔獣の話になれば以前ラインハルトと競争してたらいつの間にか魔獣がいなくなっていただの例を挙げればきりがない。
それはまだ良い方で、平野で斬撃の威力比べをしようとしたが色々あって途中で諦めた話などを聞いている内にスバルの中でルイスとラインハルトの二人は別次元の住人になっていた。今さら風邪の一つでもひいたなどと言われてもとても信じる事は出来ない。
「それより、来るなって言われてたのにどうやって来たんだ?」
ここは王都の中でも最重要施設の王城だ。ましてや今は未来の王を決める王選に関わる行事の最中。いくら口で説明したとしても立場上の主人であり、身元が保証されているエミリアやロズワールなしのどこの馬の骨かも分からない人物がこの場所に来る事は不可能のはずなのだ。
「来る途中であいつに拾われてさ」
そうしてスバルが視線で示した先にいたのは豊満な胸を惜しげもなく強調するドレスを着こなすプリシラだった。
「なるほどな。でもお前、何かやらかしてないだろうな?最悪後で面倒くさい事になるぞ」
「いや、何もやらかしてない……はずだ」
プリシラはエミリアと対立する立場にある。何か粗相をすれば後で取り返しのつかない事態に陥る可能性があるのだ。それはルイスとしても遠慮したい。
ともあれ話は無事に進み、待機していたフェルトが入場し、王選候補者達は順番に演説のようなものを繰り広げていった。龍に盟約を忘れてもらうというクルシュや欲のために国を手に入れようとしているアナスタシア、自分が勝つと確信しているプリシア。なかなか個性的でおもしろい面子が集まっている。と、ルイスは呑気に考えていた。
そうしているうちにエミリアの番が回ってきた。
「では次に、エミリア様」
「はい」
近衛騎士団長に呼ばれ、エミリアが前に出る。かなり緊張しているようで体はガチガチだ。だが、問題はエミリア自身よりも周囲の人間だった。
様々なところから「銀髪のハーフエルフ……」や「嫉妬の魔女……」などの声が聞こえてくる。
「落ち着けスバル」
「っ、ルイス。お前はなんとも思わねぇのかよ」
「いいから大人しくしとけ。今はな」
そしてエミリアと共にロズワールが壇上に上がり、エミリアが王選候補者になるに至った経緯を話した。そこまでは先ほどまでの王選候補者たちと同じだ。
しかし、やはり一筋縄ではいかない。
「銀髪の半魔など招き入れるだけで恐れ多いと何故気付かない。穢らわしい」
賢人会の一人、ボルドーがそう言ったところでスバルの我慢が限界を迎え、爆発――する前にカンッとしう金属質な音が響いた。
その音はスバルのすぐ近くから発せられていた。振り返るとルイスが神剣の鞘を床に打ち付けていたのだ。
「さっきから半魔だの嫉妬の魔女だの言っている馬鹿は誰だ」
場が静まりかえっていた事もあって普段の能天気な態度からは想像もつかないような冷たい声があらゆる者の耳に届いた。
「ば、馬鹿だと!?」
それに反応したのはボルドーだ。
「だってそうだろう。エミリア様は俺の主だ。ただの濡れ衣で穢らわしいとまで言われれば当然俺も良い気分じゃない。その言葉は俺も聞き流せるものじゃない。なんなら今すぐ戦争してエミリア様を王にしてもいいんだぞ」
「貴様ぁ!何を言っているか分かっているのか!」
ボルドーは顔を真っ赤にして叫ぶ。
その時ロズワールがルイスとボルドーの間に立った。
「ルイスくん。まさか自由奔放主義の君がこーぉんな短慮に走るとはねーぇ。驚きだよ。即刻謝罪して取り消したまえ」
「取り消さねぇよ」
「そうかい」
ロズワールを中心にマナの奔流が激しくなる。
近衛騎士の面々も思わず後退りしている。それほどに力の激流は膨大だった。だが、ルイスは一歩も動かずその目線の先にロズワールを捉えている。
「ロズワール。俺に勝てるつもりでいるのか?」
「もちろん勝てないだろう。――一対一の状況ならね」
「どういう意味だ」
「こういう意味さ」
そう言いながらロズワールは火のマナを操り炎を出現させた。それもただの燃える炎ではなく豪炎ともいえる巨大な火球だ。存在するだけでこの場にいる者の肌を炙る。
「確かに君の力ならこれを無効化する事も容易いだろう。だが、この場で君は本気が出せるのかな?一歩間違えば同僚、あるいは賢人会の方々を巻き込んでしまうこの場で」
「――――」
「抵抗はしない事を勧める。何人かは巻き込んでしまうかもしれないが、それも含めて君への懲罰としよう」
普段のふざけた態度を欠片も見せず、ロズワールは淡々と告げた。
「何人か巻き込むかもってふざけんな!」
それに割り込んだのは今まで黙っていたスバルだった。他人の喧嘩に無意味に巻き込まれるなど許容出来る事ではない。だが、
「ふざけてなどいないさ。君は元々来るなと言われていた場所に来たんだ。何かしら罰があって然るべきだと思わないかい?」
「っ……」
スバルは元より正当な理由があってこの場にいる訳ではない。更に言えば、主であるロズワールの許可も受けていない。たまたまプリシラについて来ただけで不法侵入と言われても文句は言えない立場なのだ。
「そうだ。そうして大人しくしているといい。――アル・ゴーア」
巨大な火塊がルイス、スバルの元へと迫る。
スバルは不安になって視線をルイスに合わせると、ルイスは剣を抜く事もせずに直立不動であった。
死んだ。スバルはそう覚悟したが、いつまで経っても地獄の業火が身体を炭にする事はなかった。
『ニンゲン風情がボクの娘を目の前に、言いたい放題してくれたものだ』
そこには炎の残像はなく、白い蒸気が漂っている。そして目線を上げるとそこにはスバルもよく知る猫型精霊が腕を組んで見下ろしていた。
あの一触即発という空気は実は芝居だったと聞かされてスバルは腰が砕けそうになり、なんとか耐えた。
さっきのは冗談だけどいざとなったら本気で戦争するよというような内容でルイスは賢人会に謝罪し、ロズワールとパックもエミリアの力を知らしめるためだったという内容で謝罪した。
しかも耳打ちでスバルが聞いた事によれば、ルイスはあの状況でも周りに被害を出さずにロズワールを制圧出来るらしく、あの時は前もって手を出さないように言っていただけで本来ならラインハルトも黙っていなかったらしい。
スバルとしては前もって何も聞いていなかったので文句の一つでも言ってやりたかったが、芝居中の台詞だったとはいえこの場に来るなと言われていたのは事実だ。文句は呑み込んだ。
そうして話は円滑に進んでいくかと思われたが、パックにもビビらなかった賢人会の一人、マイクロトフが爆弾を投下した。
「ところで、そちらの御仁はどういった立場になるのですかな?」