目を開けるとそこには知らない天井、ではない。これで見るのは二度目になる。一度目はほんの数十分前。実は今も寝ていた訳ではない。布団に潜って目を瞑っていただけだ。
「どうしろって言うんだよ……」
スバルは起き上がり、先ほどのエミリアとのやり取りを思い出す。否、あれはそんなものではない。ただの子供のような言い合いだ。頭に血が上って心にある事ない事を構わずぶちまけたのだ。
もちろんスバルにだって言い分はある。エミリア好きを公言し、エミリアのためなら命だって懸けられるスバルが彼女を傷付けるような事を言う訳がない。全てはあの呪いのような制約のせいだ。
他人に“死に戻り”に関する事を伝えようとすれば時が止まり、魔女が心臓を掴みにやって来る。今まで何度か他人に伝えようと試みたが、それのせいで伝えられず終い。エミリアにも言う事は出来なかった。
結果、一番言いたい事は言えず、エミリアとの仲を自ら引き裂くような事を口にしてしまった。
「エミリア……」
今のスバルに出来る事はない。
出来るのは精々エミリアが去り際に投げ捨てて行ったローブを握りしめる事ぐらいだった。
「スバルの様子はどうだった?」
「怪我とかは大丈夫そうだったけど元気かどうかって聞かれると答えに困るって感じだった。なんかエミリア様と喧嘩したみたい」
スバルはマイクロトフにどういう立場なのか尋ねられ、エミリアの騎士を名乗った。そしてその行動が騎士団から反感を買う事となり、騎士団を代表したユリウスに完膚なきまでに叩きのめされたのだ。
ルイスとラインハルトはそこまでする必要はなかったのでは、と思っているが。
「そうか、スバルがエミリア様と……」
「もう明日には屋敷に帰る事になってるから喧嘩別れみたいな形になったな」
「……どうでもいいけどよー、てめーらここで暗くなる話止めろよ」
ルイスがラインハルトと話しているのはフェルトに与えられた控え室の中だ。本来ならルイスはエミリアの控え室にいるはずなのだが、今のエミリアはとても話し掛けづらい空気を放っていたので相手をロズワールに押し付けて逃げてきたのだ。
ルイスがスバルとエミリアのやり取りを知っているのも本人たちから聞いたのではなく、ただスバルが眠っていた部屋の前で盗み聞きしていたに過ぎない。
「そうだな、ラインハルトと二人で話したい事もあるし、ちょっと外に出るか。フェルト様の護衛は他にもいるんだろ?」
「そうだね。じゃあフェルト様、ここで大人しく待っていて下さい」
「分かってるっつーの」
腕を組んでドスッと腰を下ろしたフェルトに背を向けてルイスとラインハルトの二人は部屋を後にした。
そして向かったのは練兵場の待合所だ。今は誰かが使っているという事はないので人通りはない。
「僕と二人で話したい事というのは?」
「ちょっとな、スバルが気になる事は言ってたんだよ」
「気になる事?」
「ああ。エミリア様はあの盗品蔵の事件で初めてスバルに会ったって言ってるけどスバルはそれよりも前にエミリア様と会ってて、しかも何かで助けられたらしい」
いつ、どこで、どのように助けられたかは言っていなかったが、スバルは確かにそう言っていた。壁越しではあるが、ルイスは耳は良い方だと自負しているし、スバルもエミリアも感情的になって声を荒げていたので聞き間違えはしない。
「二人ともとても嘘を言ってるようには聞こえなかったし」
「なるほど、それは確かに気になるね。いや、そう言えばあの事件の前に僕が初めてスバルに会った時はエミリア様を探していたみたいだった。今にして思えば盗品蔵で何かが起こるのを知っていたような口振りでもあったかもしれない」
ラインハルトの言葉を受けてルイスは顎に手を置いた。
以前からスバルの事で頭に引っ掛かっていた事がある。危険性があるものではなかったし、気のせいで済ませられる範囲のものだったので放置していた程度の事だ。このまま何もなければ忘れ去っていたかもしれない。
しかし、それが徐々に点と点が線で繋がるように、現実性のあるものに変わっていく。
「……俺がお前のところの別邸から緊急で帰った時があっただろ?」
「そんな事もあったね。詳しい話は聞いていなかったけど」
「実はあの時屋敷の近くの村の子供が魔獣に連れ去られるって一大事が起こってたんだけどな、一番の功労者がスバルで子供たちを探し出したのもスバルらしい」
それはエミリアから聞いた情報でもあり、レムから嬉々として語られたスバルの武勇伝でもある。実際に目にした訳ではないが、とても素晴らしい働きだと言える。それこそ近隣の村で英雄だと呼ばれてもおかしくないだろう。しかし、
「偶然かと思ってたが、よくよく考えてみるとこれと言った特殊能力も無いスバルがあの時いなかったロズワールは例外としてもエミリア様やパック、鬼化出来るレムや千里眼を使えるラムよりも早く事態を察知出来るとは思えない」
そう、ルイスがスバルと過ごした感じで言うと、スバルには特筆すべき能力は何もなかったはずなのだ。強いて言えば本人の明るさが目立つといえば目立つが、こと戦闘において発揮されるような能力は感じられなかった。
それが屋敷の他の人間よりも早く異常を認められるなど普通はあり得ない。
しかもパックに聞いた話ではスバルはウルガルムに付与された呪いをベアトリスに解呪してもらったらしい。より親しかったはずのパックではなくベアトリスに、だ。
例えばスバルがエミリアと談笑している時にパックが呪いに気付いて解呪してもらったとする。これならまだ分かる。パックが偶然スバルの身体の状態でも探ったのだろう。おかしいところはない。
だが、それがベアトリスなら?話は少々変わってくる。親しくもない相手の身体を心配したりはしないだろう。つまりかなりの確率でベアトリス側からではなくスバル側から呪いないしは身体の状態についてのアプローチがあったという事になる。
そうなれば必然的にスバルはウルガルムの事や呪いの事を知っていた事になる。
「そんな一大事にロズワール辺境伯は留守にしていたのかい?」
「ああ。あの野郎、肝心な時に役に立たないからな。……って、そんな事は今はどうでも良い」
「すまない。話が逸れたね。それで?」
「これから起こる事を示唆するような言動に常人よりもかなり優れた状況察知能力。ラインハルト、お前の話とこの話を合わせると一つの可能性が浮かぶだろ」
スバルのこれから起こる事を見通したような行動は魔獣騒ぎだけでなく盗品蔵の事件でもあった。さすがにそんな偶然がそんな短期間に何度もあるだろうか。
ルイスが考えているところへラインハルトもたどり着いたようで、驚きを含んだ声をあげた。
「まさか……!スバルは未来が見えているとでも言うのか!?」
「あくまで仮説だけどな。でもそう考えると辻褄が合うような事はないか?」
「否定は出来ない。あの時のスバルは迷いなく盗品蔵の方向へ歩いて行っていた」
「そこで一つ聞きたいんだが、未来が見える加護みたいなのは存在するのか?」
ラインハルトは望んだ加護を授かる事が出来る。加護の事を聞くにはこれ以上の適任はいない。
そのラインハルトは目を閉じ、考え込むように少し黙るとゆっくりと瞼を持ち上げた。
「…………結論から言うと分からない。僕はどんな加護でも授かる事が出来るが、例外もあるんだ。身近な例で言うと君の『戦神の加護』。それは僕がどんなに望んだとしても授かる事は出来ないんだ」
「つまり、ラインハルトが手に入れられないだけで未来視の加護的なものはあるかもしれないのか」
「役に立てずすまない」
「いや、気にしてないさ。話は戻るが、スバルが過去にエミリア様と会った事があるって言ってた事はその未来視的な能力と関係があると思うか?」
「どうだろう。もしかすると、そのエミリア様と会ったという時間よりも更に過去に視た未来の中で救われた、という事かもしれない。でも、その場合は視た未来と違った未来が訪れたら事になるのか……」
「ダメだな……今考えただけじゃ、答えにはたどり着けない。今度それとなく聞いてみる事にするか」
「僕の方でもそういう能力を持った人間が過去にいたかどうか調べてみる事にするよ」
「じゃあ俺はそろそろ戻るわ」
そう言って席を立ったルイスに背後から声が掛かった。
「ルイス」
「なんだ?」
「君も色々ものを考えられるんだね」
「ハハハ…………ぶっ飛ばすぞ?」
と、密会のように議論していた訳ではあるが、例えスバルが未来視もしくはそれに近しい能力を持っていたとしても別段何かをしようという訳ではない。
味方であれば何も問題は無いのだから。そう、味方であれば。
ロズワール邸に帰還してからはや二日。
スバルとレムは王都にあるクルシュの屋敷におり、ロズワールは挨拶回りとやらで不在のためロズワール邸の人口密度は約半分となっている。更にはエミリアの口数も減ってしまったので屋敷全体の雰囲気も心なしか暗くなった。
『……二日続けて蒸かし芋かよ』
『何?文句でもあるの?』
『文句しかねぇけど』
『ハッ。ラム一人だからこそ得意料理を振る舞ってあげようというこの心遣いが分からないなんて、さすがはイスね』
というやり取りの中でもエミリアは言葉を発する事はなかった。それはいいのだが、問題は他にもある。
朝食後、ラムがルイスの部屋を訪れたのだ。それも箒などの掃除道具を持たずにだ。今までこのような事は無かったし、そもそもラムの表情がいつもの見下すような目付きではない。どこかに焦りが見える。
「どうしたんだ?」
「森に怪しい気配があるわ。確認してきなさい」
「また魔獣か?」
「分からない。でも、ロズワール様が不在の今に何かが起こるような事はあってはならないわ」
「分かった。とりあえず俺は森を見てくるからお前はエミリア様のことを頼む」
「言われなくても」
ルイスは普段着のまま腰に神剣モルテに加えてもう一本の剣を提げて部屋を出た。
魔獣騒ぎの時は持参した剣をラインハルトと共々お釈迦にしてしまったのでモルテ以外の剣は持っていなかった。だが、今回は大丈夫だ。ラインハルトのところからちゃんと新しい剣を貰ってきているのだ。村人の剣を犠牲にする事もない。
ルイスは屋敷を出ると早足でラムから報告を受けた森へ向かった。
「怪しい気配、か。確かに嫌な感じはするな」
道中いくつかの魔獣を切り捨てながら森の奥へと進んでいく。
「はぁ。ロズワールは例のごとく不在、屋敷主戦力のレムも不在、スバルは能力も立ち位置もよく分からん事になっている。なんでこうも面倒な事が重なるかね」
答える者はいない。ルイスの他に誰もいないのだから当然だ。
当然のはずなのだが。
「ふざけてるのか……」
振り向いた先には頭を黒い頭巾で覆い、黒いローブで全身を包んだ、魔女教徒と呼ばれるモノがいた。
「魔女教」
腰の剣に手を置くと同時に一閃。見つけたら即刻殺せと言われている最悪の犯罪集団、魔女教に連なるモノは背後の樹木ごと切り刻まれた。
それに反応するようにどこからか追加の魔女教徒が現れる。
「次から次へと……」
短剣を取り出すモノ、火の玉を出現させるモノ、飛び付こうとしてくるモノ、全て遅い。
過去に魔女教に村を襲われて大切な者を失ったという話などはいくらでもある。故に魔女教は危険であり世界の脅威なのだが、ルイスの敵とはなり得ない。
一度の切り払いで集団の大半が散る。離れた場所からの魔法の攻撃、火の玉も氷の塊も風の刃も埃を払うような動作で無力化する。
「しつこい!」
神速の突きで最後の一体を物言わぬ死骸にし、刀身の血をふりおとす。
「厄介な奴らが――――」
厄介な奴らが来やがって、と言葉は続かなかった。
何かに囲まれた。見えない何かに。
「――なんだこりゃ」
何かがいるはずだが、しかしその声に答える者はいなかった。