ぶくぶくぶく‥‥‥。顔まで浴槽に浸かり、その口から空気が抜けていく代わりにお湯が入ってくる。当然ながら、苦しい‥‥‥兎に角苦しい。
「‥‥‥‥‥‥ぶはっ!?ゲホッ、ゲホッ、ゲホッ」
溺れる寸前、少女は辛うじて意識を取り戻して顔をお湯から出し、咳き込んだ。間一髪だ。
「はあっ、はあっ、はあっ」
息を整え「全く、死ぬかと思いましたよっ!」と思わず叫んだ後、我に返って周りを見渡す。
どうも自分でも気が付かないうちに入浴中に眠ってしまっていたらしい。だが、妙だ。
どうやら此処は大浴場の浴槽の中で、明らかに少女の自宅では無い。こんな場所に来た覚えも無い。何より、今居るこの場所は初めて見る。それに。少女は目覚める前にお風呂に入っていた記憶は無い。
浴槽に浸かったまま暫し思考を巡らせていた少女がしたり顔で出した現状分析の結論は。
(フフーン、分かりましたよ。これは‥‥‥ドッキリの収録中ですね?)
こんな訳が分からない状況を『ドッキリ』の一言で片付けてしまうとは、無駄に逞しい思考の持ち主だ。まぁ、それにはそれなりの理由はある。
(フフン、ボクにかかればこの程度の推理はヨユーですね!)
薄紫のボブヘアーのこの彼女の名は輿水幸子。それなりに有名なアイドルである‥‥‥が、正統派というよりは所謂バラドルに近く、スカイダイビング、絶叫マシン、バンジージャンプ、肝試し、素潜り等、ベテランリアクション芸人宜しく色々な事をさせられているアイドルである。であるから、この普通なら飲み込めないような状況も何時ものように『ドッキリ』の一言で片付けたのだ。
(でも幾らボクがカワイイからって入浴シーンはちょっとやり過ぎじゃありませんかね?)
幸子は14歳。流石に中学性のお色気シーンはテレビ的にも世間的にも不味いのではなかろうか?後で彼女のプロデューサーに文句の一つでも言っておこうと誓って、浴槽から出ようとした。
‥‥‥が、ふと気が付いて立ち上がるのを止めた。
このまま浴槽から出るという行為はつまり、幸子の裸をカメラに晒す事とイコールだ。例えモザイクが入ったとしても流石にそれは憚られるし、アイドルとしてそこまで落ちぶれた覚えはない。少し悩んだ幸子は、仕方無く事態が動くまで浴槽内で待つ事にした。
(それにしても、何というか‥‥‥不思議なお湯ですね)
浸かっていて気が付いた。このお湯、温度もそれなりにあるしもう暫く経つのに何故かのぼせない。それに疲れが尋常でないくらい取れる。一体どんな成分が入っていたらこのような効能になるのか。
(‥‥‥あ、誰か来ましたね)
幸子はプロだ。テレビ的にはこのドッキリに騙されているフリをしておいた方が『おいしい』し視聴率も取れる筈。そう考えて、これから来るであろう仕掛人の話に合わせる事にした。
入って来たのは幸子よりも歳上のお姉さん、といった女性。薄い紫の長い髪、緑がかった瞳、襟と袖部分が青色のセーラー服を着た綺麗な女性。
(ムムッ、無名の仕掛人にしては綺麗な人‥‥‥女優の卵ですかね?)
『カワイイ』と自負している幸子ですら綺麗だと認識するくらいの女性。今は無名かも知れないが将来はライバルとなる可能性もある。少しばかり警戒する幸子に向かって、その女性はこう叫んだ。
「弥生ちゃん!!良かった、気が付いたのね!」
さて、どう答えたものか。このドッキリでの幸子は『やよい』と勘違いされているという設定のようだ。それに、その『やよい』に何か善くない事があった、という設定も。これはもう少し情報が欲しい処。
「あの‥‥‥お姉さん。気が付いた、ってどういう事ですか?」
しまった。質問がストレート過ぎた。もう少し捻って聞けば良かったと後悔している幸子を、その女性は驚いた表情で見詰めている。
「お姉さんって‥‥‥衣笠さんの事忘れちゃったの!?まさか記憶喪失とか!?」
情報ゲット。どうやら女性の名は衣笠、というらしい。それと、記憶喪失になるような何かがあったという設定だという事も。
だがあまりその辺を追及し過ぎるとドッキリに騙されているように見えない。ここは落ち着いて対処すべき処だ。
「いっ、嫌ですね衣笠さん。ボクは『やよい』さんじゃありませんよ?ハハッ、アハハハ」
苦笑いで答えた幸子を見る衣笠の表情が、見る見る青褪めていくのが分かる。不味い。どうやら番組的に駄目な答えだったようだ。でなければ衣笠があんな絶望的な表情をする筈が無い。しかし、今の答えのどこが不味かったというのだろうか?青褪める程のNGワードがあったようには思えない。
それならば。ここは困惑した様子で『やよい』だと主張しドッキリにまんまと引っ掛かった姿を見せてお茶の間の笑いを取る事が正解なのだろう。この『衣笠さん』が青褪めたのもきっと幸子が予想(台本)と違う行動を見せてしまったせいかも知れない。
(それならボクの名演技を見せてあげますよ!)と意気込んだ幸子は、すぅー、っと息を吸い込みゆっくりと吐く。今度こそ騙されているフリをする為、態と慌てた様子を見せつつ口を開いた。
「あっ、そうでした!ボクはやよいでしたね!ウッカリしてましたよ!アハハハ」
‥‥‥と。幸子の言葉を受けた衣笠が一瞬固まった。動き出した衣笠は酷く慌てた様子で浴場から出ていった。どうやらこの返答も不正解だったらしい。
「肯定も否定も間違いって‥‥‥じゃあどうしろっていうんですかっ!」と憤った幸子は長い入浴から漸くあがり、更衣室と思われる所へと移動。彼女のプロデューサーを捜し出して文句を言ってやろうと自身の着替えを探す。
「‥‥‥これ、ですかね?」
濃い紺のセーラー服と、見たことの無い三日月型のヘアピン。明らかに幸子のものでは無いが、他に着るものは無いようだ。番組で用意した衣装なのだろう。
着替え終わったタイミングで、慌てた様子の衣笠が走って戻って来た。
「弥生ちゃん、来て!」
衣笠に右手を掴まれ、半ば引き摺られるように移動する。その道中の景色もやはり見たことの無い場所。どうやら何かの施設の中らしい事は分かるが、此処がドコで何の施設なのかは皆目見当もつかない。
そうして連れて行かれた場所は、色々な工作機械や道具が所狭しと置いてある場所。過去に一度番組のロケで訪れた経験がある造船所のような所だった。
「衣笠さん、ココは何の施設なんですか?」
幸子のこの質問で、衣笠はいよいよ『ヤバい』という表情に変わった。ドッキリかも知れない事はすっかり忘却し事態を全く飲み込めない幸子を他所に、衣笠が誰かに向かって語りかけた。
「妖精さん達、弥生ちゃん連れて来たよ!」
‥‥‥妖精さんって??と合点がいかないまま、幸子は衣笠が語りかけた方角に目を向けた。すると。何処かに待機でもしていたのか、リス程度の大きさの妖精らしき生き物が数人?集まり始めた。
「‥‥‥はっ!?えっ!?」
幸子が驚くのも無理はない。その妖精らしき生き物は幸子の身体にぴょん、と飛び乗ると、何かを確認するように動き回っている。勿論、身体に登られている感覚もあるし実体もあるようで、ホログラムやロボットの類いには見えない。このような生き物が存在している等、にわかには信じられない。
「どう、妖精さん?」
理解出来ずに思考停止している幸子はさておき、心配そうに妖精に尋ねる衣笠。妖精達が衣笠に出した結論は『弥生だが弥生ではない』という答えだった。
人間の言葉を話す妖精にも驚きだが、今はそれは割とどうでもいい。幸子にとって重要なのは先程から衣笠達が自分の事を『弥生』と呼ぶ事実の方だ。
「‥‥‥さっきから何なんですか!ボクは『やよい』さんじゃ無いって言ったじゃないですか!それにココは何処なんですか!」
「弥生ちゃん、それ本気で言ってる‥‥‥のよね?」
幸子の両肩を掴み顔を覗き込み、不安そうに視線を向ける衣笠。一体何なのだ。衣笠の手を振り払い、その場から走り去ろうとした幸子は、たまたま目の前の壁に掛けてあった鏡に映った自身の顔を見て血の気が一気に引いた。
「えっ‥‥‥えっ!?」
そこに映っていた自身の顔は、輿水幸子とは別人のものだった。確かにソックリさんレベルで似てはいるし幸子基準の『カワイイ』レベルの顔ではあるものの、間違いなく別人。他でもない幸子自身が見間違える訳が無い。
と、ココでやっと『ドッキリかも知れない』事を思いだした幸子は、慌てて自分の顔をまさぐる。ドッキリならきっとこの顔は幸子を驚かす為の特殊メイクか何かだ。それなら何処かに繋ぎ目がある筈。そう思って顔じゅうを触るが、当然そんな物は存在しない。何かを顔に被っている感覚すら無いのだから当然だが。
「嘘ですよね?嘘‥‥‥ですよね?」
きっと鏡に別人が映るように細工してあるに違いない。そう思いたい一心で、足下に落ちていた磨かれた金属片を掴んで覗き込む。
「ほら、やっぱりボクの顔はボクの‥‥‥」
金属片が幸子の手から零れ落ちた。こんな何の細工も出来ないような欠片に映っていたのは、先程も鏡で見た幸子自身の顔とは別人の誰か。一体何が起こっているのか理解できずに呆然と立ち尽くす幸子に椅子を持った衣笠が改めて近づいてきた。
「ええと‥‥‥弥生ちゃん、取りあえず座って落ち着いて」
へたり込むように椅子に座った幸子は「幸子です‥‥‥輿水幸子」と返答するのがやっと。
「‥‥‥幸子ちゃん?幸子ちゃんはこれから提督に会わないといけないのよ。その後にこれからの事を話し合おっか?」
気を使ってくれている様子の衣笠。『提督』というのが何者かは分からないが、衣笠の様子からして悪い人では無さそうではある。幸子は力無く頷き、衣笠に手を引かれその施設‥‥‥工廠を後にする。
道中ふと幸子が外に目を向けると、艦艇が停泊できるくらいの大きな港のような場所、それとラジコンのような航空機が所狭しと並んでいる航空基地のような場所が見えた。それから、幸子と同世代くらいの少女達が陸上、海上で何かの訓練をしている様子も。海上の少女達は明らかに海の上を立ったまま滑っているが、今はそんな事は気にもならない。
「衣笠さん、あの‥‥‥此処は一体何処なんですか?」
弱弱しく訊ねた幸子に、衣笠は丁寧な口調で「此処はショートランド泊地。海軍の基地よ」と応えてくれた。
海軍基地。思いもよらない答えが返ってきた。どうしてそんな場所に自分が居るのか見当もつかない幸子は、引かれるままに施設の中心部、ショートランド泊地の司令室へと辿り着いた。
ノックした衣笠が「入るよ、提督」と断りを入れて扉に手を掛ける。「ああ、衣笠か。分かった」という提督であろう向こう側の返事が聞こえた瞬間、虚ろだった幸子の表情に正気が戻る。思いきり力を込めてバンッ、と扉を開いた幸子は、司令室の最奥にある椅子に座る提督を睨む。と同時に幸子は安堵に包まれていた。
「‥‥‥やっぱりドッキリだったんですね!そんな格好で何してるんですかプロデューサーさんっ!!」
椅子に座っていたのは海軍の制服らしき格好ではあるが、幸子が毎日のように一緒にいるプロデューサーその人。一体どこから『ドッキリ大成功』という看板が現れるのかと周りをキョロキョロしつつ、こんなに自分を不安に陥れた元凶である提督、もといプロデューサーを涙目で見つめている。
しかし。幾ら待っても『ドッキリ大成功』の看板は現れない。それ処かそのプロデューサーも「ドッキリ‥‥‥?どういう意味だ?」と疑問の表情。
「どういう意味って‥‥‥いい加減にしてくださいよ!幾らボクでも怒りますよ?」
プロデューサーに向かおうとする幸子の右手を、衣笠が掴んで止めた。「幸子ちゃん、そのドッキリっていうのが何かは分からないけど」と前置きし、幸子の最後の希望を打ち砕いた。
「あのね幸子ちゃん。あの人は本物の海軍の提督なのよ。ドッキリ?っていうのは分からないけど、これは現実なのよ?少し冷静になろう?」
やはり幾ら待っても、ドッキリの証拠は出てこない。「嘘ですよね?嘘って言ってくださいよ、プロデューサーさん!」と泣きながら訴える幸子は、そこでやっと浴槽で目覚める直前の事を全て思い出した。
収録の無い日、久しぶりに登校した学校からの帰り道。登り坂で男とすれ違った。その直後、幸子は全身の力が抜けてその場に倒れた。何が起きたのかは分からなかったが、全身に力が入らないし左脇腹が何かで濡れている感覚。無意識にその濡れている部分に触れた左手にベットリと付いたものは、真っ赤に染まった液体‥‥‥自身の血液だった。
通り魔、或いはストーカーにナイフで襲われたのだ。それを理解して痛みとショックで気を失って‥‥‥。
思い出してその場にへたり込み、背中側に頭から倒れそうになった所を、衣笠が支えてくれた。
というわけで今回は1話。短編ですので終話までは長くはならない予定です。のんびり更新していきますのでご容赦ください。