少女は諦めが悪い   作:アイリスさん

15 / 17
15話 不安

とっくに消灯時間を過ぎた筈の、夜中2時。

幸子はベッドに横になったまま、ぼんやりと天井を見ていた。

 

眠れない。

明日はいよいよ出撃の日だ。これまで卯月による猛特訓、電との共同訓練をこなす事1ヶ月。敵艦を撃破し戻って来られる最低限の実力は付いた、とは言ってもらえたものの、不安は消えない。それどころか大きくなる一方だ。眠ろうと瞳を閉じると、あのレ級との事が鮮明に思い出されて恐怖が甦ってくる。幾ら他人に大丈夫だと言われても、もしもあの時のような事になったら‥‥‥と思うととてもではないが眠れない。どう取り繕っても殺し合い、戦争だという事実は否定しようがない。

 

「もし‥‥‥もしも勝てなかったら‥‥‥もしまたアレが現れたら‥‥‥」

 

思い出すだけで冷や汗が流れ、身体が震える。喰い殺されるなんて御免だ。

 

こんなに眠れないのは、デビュー後初出演した歌番組の前日以来。といってもその時ですら0時前には寝入っていた。だがそれも仕方無いと言える。自分のカワイさに絶対の自信があって、『アイドルとして成功するに決まっている』と思っていた幸子が当時眠れなかったのは、もしも緊張して歌詞を間違えたら‥‥‥という一抹の不安からだ。要は未経験の世界へ飛び込むので場数が足りなかった故の不安。

 

だが今は違う。何せ自身の生死が掛かっている。アイドルとして歌番組デビューするのとは訳が違う。万が一に備えて卯月や衣笠、龍驤も随伴してくれるが、だからといって安心できるものでもない。レ級との時だって衣笠は『大丈夫』と言ったのにあの有り様だった。今度はあんな化け物に襲われない、龍驤達なら撃退できる、とは言い切れない。

 

だが幸子は、ふと、ある事を思い出した。そういえば、舞台やライブ等の本番1時間前くらいに、プロデューサーはいつも幸子にささやかな悪戯を仕掛けていた。コーヒー牛乳だと言われ渡された蓋付きの中が見えないカップに刺さったストローを吸ってみたらブラックコーヒーだったとか、プリンでも食べろと言われ喜んで口をつけてみたらカラメル部分が醤油だったとか。『フフーン、プロデューサーさんもやっとカワイイボクにまともな差し入れができるようになったんですね!』といった調子で何時も悪戯に引っ掛かっていた。

 

今にして思えば、あれはプロデューサーなりに幸子の緊張をほぐしてやろうという意図があったのだろう。事実、その悪戯に幸子が怒ったあとは身体から適度に力が抜けていた。成る程、そういうメンタル部分もプロデューサーがカバーしていたのか。自身の事を良く見て気が付いてくれていたのが嬉しい反面、プロデューサーの掌の上で転がされている感じがして悔しくもある。

 

「‥‥‥戻ったら仕返しして絶対プロデューサーさんをギャフンと言わせてやります」

 

余計な決意を新たにしつつ、幸子は毛布を跳ね除け上体を起こした。弥生の持ち物である寝間着姿のままベッドから降りて、部屋の扉へと歩く。

扉に鍵を掛け部屋を後にする。目指すは食堂。

プロデューサーにされたのと同じ事をすれば少しは落ち着くかも知れないと思ったのだ。

厨房には勿論入れない。しかしあそこには飲み物の自動販売機があった筈。食堂では水か白露持参の紅茶やらしか飲んでいないので確定は出来ないが自動販売機ならコーヒーくらい有る筈だ。コーヒーを飲むだけならコンビニ、という手もあるのだが不安を抱え込んだ顔を見られたくないし誰にも会いたくない。それに本来今は消灯時間過ぎな訳で、こんな深夜に出歩いているのを見つかるのは不味い。

 

運良くなのかどうかは分からないが、誰とも会わずに無事食堂へと着いた。中へと潜入してみると予想通り厨房の扉は締まり鍵が掛かっているが、自動販売機はその外側にあり使える。電気のついていない広い部屋の隅を自動販売機の光が微かに照らしている。夜の食堂は少し気味が悪い雰囲気だ。

 

幸子は臆する事無く自動販売機へと歩み寄る。初めてのスカイダイビングの時の方が余程怖かった。それに元の世界で殺されかけた事やレ級に喰い殺されそうになった事を思えば、この程度の薄気味悪さなどどうって事は無い。

幾つか並んだ自動販売機のうちの目当ての一つにお金‥‥‥幸子の世界の日本の通貨と同じもの‥‥‥を入れて、目当てのボタンを押す。

 

ヴーン、と鈍い音を響かせ、自動販売機の中のカップに黒い液体が注がれていく。ピッ、ピッ、ピッ、と注ぎ終わった事を知らせる小さな音が食堂に響く。

 

暖かいカップに手を伸ばし、一口。幸子の口から漏れた言葉は「ニガい‥‥‥」だった。

 

「全く、なんでプロデューサーさんはこんなニガいの飲めるんですか‥‥‥」

 

ブラックコーヒーはプロデューサーがよく好んで飲んでいた。相変わらず大人の男の人の味覚は分からない。だが元の世界から何も持っては来られなかった幸子には、コーヒーは元の世界のプロデューサーと自分を繋いでくれる物のように思えた。

 

もう一口。だがやはり幸子には苦い以外の感想は無い。思わず顔を顰め「うぇ‥‥‥」という声を出そうかという時。突然後ろから「何してるの?」と声が聞こえた。

 

まさか声を掛けられるとは思っていなかったのでビックリして思わずカップを落としそうになったが、セーフ。中のコーヒーも無事。

 

振り返ってみると、懐中電灯片手に不思議そうな表情をしている白露が立っていた。

 

「消灯時間過ぎてるよ?つまみ食いとかなら感心出来ないけど」

 

「ちっ、違いますよ!喉が渇いちゃったので何か飲み物を、って思っただけですよ」

 

言い訳としては無理があるが、他にいい理由も思いつかない。「ふーん?」と如何にも信じていない様子の白露の視線はカップの中味へ。飲み物、と偽って実は食べ物をカップの中に隠しているとでも思ったのだろう。

 

「コーヒー?幸子ちゃんブラック飲めないって言って‥‥‥‥あぁ、そういう事か」

 

コーヒーを発見し、何やら一人納得した様子の白露は、幸子の右肩にポンっ、と右手を置いた。その表情はニヤニヤしている。

 

「そっか、そうだよねぇ。幸子ちゃん不安だもんねぇ。好きな人の好きな飲み物飲んで落ち着こう、って事ね、ウンウン」

 

「ちっ、ちっ、違いますよ!ボクは本当はブラック飲めるんですよ!フフーン、どうですか!カワイイのに大人でしょう?」

 

幸子の声は上擦り、明らかに動揺して嘘をついたと分かる。ニヤニヤした表情はそのままに白露はゆっくりと幸子の手からカップを取った。

 

「まぁまぁ、気持ちは分からなくも無いから。見廻りもうすぐ終わるから、終わったら私の部屋に来ない?」

 

どうやら白露は深夜の巡回中だったらしい。食堂の外から「白露さーん?誰か居た?」と別の人の声が聞こえる。白露は「幸子ちゃんだったよ」と声を返し、幸子の右手を掴んだ。

 

「さーて、それじゃ幸子ちゃん、残り箇所一緒に見廻りしよっか」

 

「えっ、ボクもですか?」

 

終わった一緒に白露の部屋に直行出来るから、という理由もあるが、一応消灯時間過ぎに食堂に居た幸子への細やかな罰、でもある。幸子は感傷に浸る事もそこそこに食堂から強制退室となった。

 

◆◆◆◆◆◆

 

「はいっ、どうぞ」

 

椅子代わりベッドに腰掛けた幸子は白露からカップを渡される。見廻りも終わって、今居るのは白露の部屋。渡されたカップの中味は透き通った濃いオレンジ色の液体。ダージリンのセカンドフラッシュ。茶葉はオレンジ・ペコー。

 

「ダージリンだよ。これも熊野さんに貰ったやつ。気持ちが落ち着くから飲んでみて」

 

「ありがとうございます」

 

爽やかな甘い、独特の香りが広がる。何時も幸子が飲んでいたようなその辺のものとは明らかに違う紅茶。食堂で飲んだ時も思ったが、熊野なる人物は紅茶にこだわりがあるのだろう。

 

「まー、不安だよねぇ。私達も着いてくって言っても、実際戦うのは幸子ちゃんと電ちゃんだけだもんね。でも大丈夫。明日行く所はレ級みたいなのは出ないから」

 

アイドルの時とは勝手がまるで違う。

どこぞの異世界転生の話のようなチート能力でもあれば別だが、幸子は駆逐艦、それも睦月型という艦娘としては決して能力の高くない部類。しかも練度も低い。電と協力してもどこまで出来るか分からない。初戦となったレ級戦で手も足も出ない経験をしてしまったのが余計に不安を掻き立てる原因ともなっている。昨日まで訓練はしてきたが、いざ本番で同じように出来るかは未知数。風雲や清霜と同等‥‥‥とまではいかなくともその半分も力が有れば、と思う。

 

「‥‥‥ボクでもやれるんでしょうか」

 

他人に弱音など滅多に吐かない幸子だが、今回ばかりは違う。アイドルの時とは違って、一歩間違えば死ぬ。‥‥‥いやアイドルの時でも刺されて当に死にかけたのだが。

 

「平気平気。みんな一度は通る道だから。私や卯月ちゃんもやったから」

 

「例の化け物駆逐艦も、ですか?」

 

確か風雲も最初の頃はダメダメだった、と言っていた。卯月や白露も最初は強いわけではなかったらしいし、これで例の化け物駆逐艦夕立もそうだった、というのなら自信とまではいかなくとも何となく頑張れる気がする。

 

「あー‥‥‥夕立ね‥‥‥うーん‥‥‥」

 

白露は夕立の話になった途端に歯切れが悪くなった。「夕立はね‥‥‥まあいいじゃない」と誤魔化した所をみると、やはりアイドル同様に才能がある者は最初から違うという事か。

 

「まぁまぁ。幸子ちゃんの実力は初心者としては平均値だよ?」

 

「何ですかそれ‥‥‥」

 

だが平均値、と言われて少し楽になった。平均くらいの実力があるのなら、並の深海棲艦が相手なら何とかできるという意味だからだ。やはり誰かと一緒に居るのと一人で悩むのは違う。これが相手が白露ではなくプロデューサーだったならもっと違うのだろうが‥‥‥。

 

「分かりました。やれるだけやってみますよ。天使のようにカワイイボクに出来ない事なんてありませんからね‥‥‥多分」

 

アイドル活動とは違ってこればかりは多分、である。それにまた一人になって眠れるかは疑問だった幸子は「あっ‥‥‥明日の事で色々相談しておきたいので今日は此処で寝ても大丈夫ですか?」と無理な理由をつけて泊まろうと迫ってみた。

「そういう事ならいいよ」とあっさり受け入れた白露は勿論、一人になりたくない幸子の心境には気付いていた。というよりも幸子の表情が雄弁に語っていただけだが。

 

 

>『作戦ヲ実施シテ下サイ』

 

>『弥生』ほか駆逐艦一隻を含む艦隊で鎮守府正面海域に進出、敵主力を捕捉撃滅せよ 【進行中】

 




次回、遂に抜錨。幸子と電の運命やいかに。


※オレンジ・ペコー:簡単にいえば茶葉の部位。枝の先端部分の少量の新芽とそのすぐ下1枚目の若葉の部分。イギリスかぶれの格言好き戦車乗りJKの付き人ポジションの戦車乗りJKの事では決してない。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。