では、本文。
ショートランド泊地、その食堂。その最奥に陣取り向かい合って座った幸子と白露。テーブルの上にはパンケーキ(二人前分)。それをフォークで口に運びつつ、紅茶を嗜む。幸子にとって今日一日でやっと落ち着けた時間だ。何せ元の世界で学校の終わる夕方まで過ごし、此方の世界に来たのが正午過ぎ。体感ではとっくに24時間を過ぎたように感じる。そんな(精神的に)疲れた幸子を癒してくれる物は、やはり甘いものと美味しい飲み物だ。
「それにしてもこの紅茶、美味しいですね」
幸子が今飲んでいる紅茶は、この食堂のものではない。白露が自室から持ってきて淹れたもの。白露曰く「熊野さんに貰った茶葉」だそうだ。熊野なる人物はショートランド泊地には居ないそうなので、彼女が何者なのかは幸子には分からない。白露が言うには熊野は呉鎮守府所属の艦娘。前回の視察に同行してきた時に白露に紅茶の茶葉をくれたのだという。
「熊野さんってイイ所のお嬢様らしいんだよね」
お嬢様。艦娘というものがどういうものなのかはまだ幸子にはピンとこないが、何不自由なく過ごせそうな立場を棄ててまで海軍に入り艦娘となる必要性を見出だせない。
「お嬢様って‥‥‥どうしてそんな人が海軍に居るんですか」
疑問はあるものの、白露もそこまでは聞いた事はないらしい。「うーん、聞いた事なかったなぁ」とパンケーキをフォークで刺して、一口。
幸子もカップに入った紅茶をまじまじと見つめる。コンビニに売っているペットボトル入りの紅茶や、プロデューサーとたまに行くファミリーレストランのものとは明らかに違う。出演番組で一度飲んだ事のある高級紅茶の味や香りに似ている。
「全く、プロデューサーさんもたまにはこういう高い紅茶をボクに飲ませ‥‥‥」
無意識に口にしたが直ぐに気付き、言葉に詰まった。確かにプロデューサーはファミリーレストラン等には連れて行ってくれたり(労い等の意味)はするものの、こういった高級な物を出すような店には連れて行ってはくれなかった。プロデューサー側からすれば周りに勘違いされたり変な記事にされない為の行動なのだが。
幸子は「もっとこう、ボクに見合った高級なお店に連れて行ってくれてもいいんですよ?」と不満を口にしたりした。ただ、二人で食事をしたり下らない話をしたり。プロデューサーとのこういった時間は‥‥‥嫌いではなかった。
(帰りたい。プロデューサーさん‥‥‥)
そんな、プロデューサーとのやり取りの数々がひどく昔の事のように感じられた。ここで家族ではなくプロデューサーの事が思い浮かんだ幸子の心情は察してあげて欲しい。
「そうだ幸子ちゃん!」
言葉を途中で噤んだ幸子の心境を察してか、白露が話し出した。我に返って顔をあげた幸子は、心を静めるのと気持ちを誤魔化す為にと紅茶を一気に飲み干す。
「何ですか?」
「これから『少しの間』滞在する施設なんだし、折角だからあたしが泊地を案内してあげる!」
こんな状況、異世界の住人などと訳の分からない事を話す自分を信じてくれた上、気まで使ってくれる。辛さと寂しさで一杯だった幸子が白露に信頼を置くには充分だった。「ありがとうございます」と思わず涙を浮かべ頭を下げた幸子に白露は「いいっていいって。あたしお姉ちゃんだからね!」と笑顔を見せる。
「じゃあ幸子ちゃん、行こ‥‥‥っと、これ食べてからでいい?」
手を引き立ち上がろうとした白露が、まだ半分程残るパンケーキに視線を送る。思わずクスッ、と吹き出した幸子は涙目ながらもやっと少しだけ元気を取り戻した。
「そうですね。ボクももう少し食べたいですし。あ、紅茶のお代わり貰えますか?」
暫し談笑しながらパンケーキを食べ終えて、二人は泊地内の主要な施設を見て回った。この泊地、基本的に外に出なくとも大丈夫なように一通りの施設が入っていた。居住施設部分はさながら大きな病院のよう。必需品の販売店、コンビニ、衣類等の販売店等。勿論ランドリーもある。幸子が最も興味を示したのは、その中でも大浴場‥‥‥幸子が目を覚ました場所である『入渠施設』と呼ばれる場所だ。
「えっ!?どんな怪我でも完治するんですか?」
「うん、『艦娘なら』って言葉が付くけどね。現に幸子ちゃんが目覚める前‥‥‥『弥生ちゃん』も瀕死の重症だったんだよ?」
ただ、驚いた。この施設ならば、どんなに重い怪我でも通常有り得ない速度で回復するというのだ。流石は異世界。魔法‥‥‥とはいかないようだが何でも有りである。この温泉の大浴場のような施設を呆然と眺める。
「凄いですね‥‥‥」
「‥‥‥っと、そうだ。そろそろ呉艦隊が着く時間だよ」
思い出したように口にした白露に半ば強引に手を引かれ、二人は泊地の港へ。艦隊、という言葉で幸子が想像したのは、当然ながら巨大な軍艦が幾つも海上を走る姿。初めて見るであろう本物の軍艦に興味を惹かれソワソワしながら到着を待つ。
「どうしたの?そんなにソワソワしちゃって」
「しっ‥‥‥してませんよ!このボクがこの程度でソワソワなんてするわけ無いじゃないですか!」
図星を突かれ慌てて顔を真っ赤にする幸子に「ハイハイそうだね」とそれをあしらう白露。二人がそんなやり取りをしている間に、海の向こうに小さい影が見えてきた。
「あれが呉艦隊‥‥‥ですか‥‥‥?あれが?」
幸子の疑問も無理は無い。白露は『艦隊』と言った筈なのに、見えるのは駆逐艦(と言っても幸子は駆逐艦という艦種が有る事すら知らず、艦艇=軍艦=戦艦、という認識しかない)一隻のみ。もっと沢山の軍艦が現れ映画のような迫力のシーンが見られると思っていた幸子は、ハッキリと言えばガッカリしていた。
「軍艦一隻しかいないじゃないですか‥‥‥」
「ほら幸子ちゃん、よーく見て」
言われるままに目を凝らすと、その駆逐艦を囲むように海上に人影が見える。近づくにつれてそれが海上をまるでスケートのように疾走している人間であると分かり、今更ながら驚いた。彼女達は船の一部のような機械的な何かを身に付け、明らかに自身の意思でコントロールし海上を走っている。
「何ですかあれ!?船と同じ速度で人が海の上を走ってますよ!?」
「フフーン。幸子ちゃん、あれが『艦娘』だよ?」
その海上を走る六人のうちの一人、先頭にいた人物が白露に気付いて右手を振る。エメラルドグリーンの長い髪にブレザーの制服に、明らかにボウガンに見える物を持った綺麗な女性。軽空母鈴谷である。
「あの人もカワイイですね‥‥‥まっ、まあボクの方がもっとカワイイですけどね!」
「アハハハハ‥‥‥」と白露に苦笑いで流され、ムッとしながらも鈴谷達の行方を目で追う。駆逐艦を輪形陣で護衛しながら(この時点では幸子には輪形陣は分からないが)走る6人の艦娘は、そのまま泊地の港の奥へと進んでいく。
「ちょっとみんなと話して行こうよ」
「いえ、ボクは、あの」
白露に押し切られる形で、接岸するであろう位置まで走る羽目になった。それにしても確かに体格差があるとは言っても、白露の力はその細腕、華奢な身体(一部分幸子より明らかに大きい所もあるが)からは想像できない程に強い。これも艦娘だから成せる業だろうか?
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ」
無理をして走った為、幸子は息も絶え絶え。下を向き膝に両手を付いてその場で停止している。一方の白露はといえば、全力疾走をしたにも関わらず大して息を乱してはおらず平然としている。幸子から見れば白露も充分化け物だ。
二人が着いた時には既に他の艦娘は陸へと揚がっており、残っていたのは二人。そのうちの一人が白露達に近づいてきた。
白のブラウスに赤紫のミニスカワンピにブルーのリボンタイという白露とも鈴谷とも衣笠とも違う制服、長い茶髪を山吹色のリボンでポニーテールに纏めた、幸子と同じ位に見える年頃のこれまた美少女。
「白露に弥生じゃない。珍しい組合せね」
そう声を掛けてきた少女に「うん、他のみんなは遠征に行ってるから」と返した白露に、幸子は小声で「この子は?」と尋ねてみる。白露も小声で「風雲だよ」と教えてくれた。
「何よ白露も弥生も。私の目の前で内緒話?」
「うん、ちょっとね。ねっ?『弥生ちゃん』?」
弥生、と振られて幸子は慌てて首を縦に振った。何故かは分からないが、この場では余計な言葉は発しない方がいいと思ったのだ。
「ふーん、そうやって内緒にするんだぁ‥‥‥」と若干膨れて見せた夕雲型駆逐艦三番艦・風雲。彼女が更に一言発しようとした瞬間、幸子達三人を睨む鋭い視線に気が付いた。
「なっ‥‥‥なんですかあの人は?何であんな恐ろしい視線を‥‥‥」
幸子にこれまた小声で教えてくれた白露に依れば、あの鋭い視線の主は不知火。半袖のブラウスに黒のベスト、黒のミニスカートにスパッツ。艦橋型の髪止めと白のリボンでピンクのセミロングの髪をポニーテールに纏めた(鋭い眼光さえなければ)美少女。そのあまりの眼光に幸子は思わず目を逸らしてしまった。
「風雲、そんな所で油を売っていないで少佐に挨拶をしてきなさい」
不知火に「はーい」と気の抜けた返事を返した風雲の様子に、幸子一人が焦る。あんな怖そうな艦娘にそんな態度をとって大丈夫なのだろうか?と。
そんな幸子を知ってか知らずか、不知火は風雲に向けていた視線を幸子と白露に向けた。幸子の身体が思わずビクッと震える。
「‥‥‥白露達もこんな所に居ずに戻ったらどうですか」
不知火はそう言うと回れ右。横付けされた駆逐艦の方へと歩きだした。
その駆逐艦から、一人の女性が降りてくる。海軍のもの、と思われるあのプロデューサー似の泊地の提督と同様の制服を身に纏い、肩の下辺りまでありその毛先に赤みがかったグラデーションのある長い金髪、に赤い瞳を持ち、遠くから見ても分かる整った顔立ちの美人。幸子も思わず見とれてしまった。こんな感覚は久しぶりだった。幸子の世界で今やトップアイドルとして君臨している『銀色の王女・四条貴音』に初めて会った時以来だ。ただ、制服の上から見ているので詳細は分からないが、彼女の左腕は欠損しているように見える。
「白露さん、あの人は?」
「あ、あの人は呉の沖立海軍少将だよ」
「‥‥‥え?」と思わず固まった。あんな人が危険な海軍に入らなければならない程に、今の日本という国は逼迫している状況なのか、というのもあるが、あの若さで少将という立場にいるというのにも。それに。
(世界はやっぱり広いですね‥‥‥でもボクも本職アイドルとして負ける訳にはいきませんね)
少しだが、幸子の心が前を向けた気がした。そうだ、こんな所で止まっている場合ではない。異世界ですらこれなのだ。早く元の世界に戻ってアイドルとして切磋琢磨しなければ。そう思えた。
口元にうっすら笑みを浮かべ、決意も新たにした幸子。その視線の先の少将と歩く不知火の表情が、先程迄より少しだが柔らかくなっている事に気付いた。不知火は手袋を外しており、その左手薬指に指輪を填めている。
(‥‥‥指輪?あの歳で結婚してるって事ですか??んんっ?)
幸子がその指輪‥‥‥『ケッコンカッコカリ』を意識するようになるのは、もう少し後の事になる。
半分は紹介みたいな回になりました。
幸子は無事戻れるのでしょうか?
‥‥‥と言った所で、次回へ。
人物紹介その2
四条貴音:この幸子側の世界の現「とっぷあいどる」(平仮名は誤変換ではない)
風雲:夕雲型駆逐艦。誰よりも広い視野と的確な状況判断で、今や呉に欠かせない司令塔。沖立少将の秘蔵っ子の一人。
不知火:陽炎型駆逐艦二番艦。沖立少将のケッコン艦で現秘書艦。艦娘の中ではベテランの域に入る。
沖立少将(追記):女性。左腕はとある化け物深海棲艦との激戦で失っている。