さよならアンドロメダby森久保 作:内臓脂肪が多いガリノッポ
夏が終わった。あの衝撃的とも言える出来事から少し時間が経った。あの日は遅くまで彼女と天体観測をしていて、帰ったらお母さんとお父さんに怒られてしまった。けど、訳を話すと二人とも『乃々が友達と外で遊ぶなんて』と驚き、喜んでいた。……確かに自分の日々の行動の所為だけど、なんだか釈然としない。そもそも彼女とは友達じゃない。だってあの時初めて会った訳だし、電話番号はおろか名前さえ知らないのだから。
――――――あ、私、名前を知らないんだ。
言葉にしてみて、初めて気づく真実。そう、私は彼女のことを何にも知らない。浜辺には明かりも届きにくく、顔すらも良くは見えなかったし、どこに住んでいるのかも知らない。つまりは、私は彼女と連絡を取る手段を持っていないのだ。
あの天体観測の終わりに、彼女はまた会おうと言ってくれた。私は頷いてばかりで、あまり言葉を返すことができなかったのに、彼女は絶えず私に話しをしてくれた。あの時間は、わたしにとって、楽しい時間だったと思う。笑うことはできない私にも、あの時間はそう断言できるほど、貴重な時間だったのだ。
しかし、彼女とはきっともう会えないのだろう。私はもう叔父さんの別荘から離れ、本来住む場所に帰ってきている。遠い、あの場所で出会った彼女とまた会えるだなんて、それこそおとぎ話の様なものだ。
けど、できることならもう一度会ってみたい。あのとき感じた不思議な感覚、そう、煌めく彼女の瞳によって生まれた私の感情。これは、きっと私が笑顔と同じように忘れかけていたものだと思う。
憧れ。つまりは、こうなりたい、ああなりたい、という自分の目指すべき姿。諦めることと、目を逸らすことばかりしていた私にはなかったものだ。もう一度会えたのなら、今度は私からも声をかけたい。そして、この憧れがなにから来るものなのか、確かめたい。そうすることでもしかしたら私は、森久保は停滞した今を変えることができるかもしれない。そんな思いが渦巻いていた。
しかし、繰り返しになるが彼女と会う方法は無い。つまり、こんな希望や思いは妄想でしかないのだ。
♢
夏休みが終わり、学校が始まった。大抵の人にっては恨めしいことではあるが、私にとってはあまり関係のない話しだ。確かにたくさんの人が集まりコミュニティを作る学校が、私は苦手だ。けれど、家の外ならば何処だって人は集まる。だから、学校だから嫌という感覚は私には、わからなかった。
「それでは、夏休みの宿題を提出してください。まさかやってないなんて人は、いませんよね?」
担任の先生の台詞に、クラス内が一喜一憂する。もちろんやってある、という返答の声。しまった!数学のテキスト忘れた!という悲しみの声。お前やってないのかよ、それじゃお前はやってあんのか? なんて会話も聞こえる。朝のホームルームが始まり、少し憂鬱そうだったクラスの雰囲気は、ものの数分で騒がしい空間へと変わっていた。
そしてその中で一人、下を向いて黙ったままの私。別に被害者面をしているつもりはない。ただ、人と関わることが苦手な私にとって、やはり学校は良いところではない。それだけだ。
別に期待していた訳じゃない。彼女と会って少し世界が変わって見えた気がしていた。けれど、それはどうやら勘違いのようで、私の世界は結局のところ何一つ変わってなどいなかった。
それが妙に悔しくて、私は顔を少ししかめた。
―――――――――勇気が欲しい。こんな私でも何かができると思える、勇気が欲しい。
机の下で、小さな握りこぶしが作られた。
♢
星が見たい。そんな欲求が私の中から押し寄せてきた。普段なら、外に出る行為をしたいだなんて、絶対にないことだ。もしかしたら、夏休みの間に度々していた天体観測が、私の中で習慣化していたのだろうか。それとも、あの日感じた感覚をもう一度、蘇らせたかったのか。私にはその答えが出せなかった。―――――――――もしかしたら単純に、星の見える場所に行けば彼女に会えるかもしれないという、希望から来るものだったのかもしれない。
週末、私は夜に家を飛び出した。両親に無断で家を出たこと、自ら外へ出たこと、二つとも初めての経験だった。上手く言葉に表現できない欲求は、行動として現れた。言い訳のできないこの感覚を解決したくて、星を見るために、私は少し離れた外灯があまりない丘へと足を進めた。
「うぅ、暗いんですけど……」
暗い所を目指していたのに、暗がりが怖かった。なんとも可笑しな話ではあるけれど、それよりも今は丘へと向かおうとする気持ちの方が大きかった。行かなきゃ、星を、夜空をまた見るんだ。そうすれば、きっと何かが変わる。人生で初めてかもしれない確信がそこにはあった。
少しずつ、辺りの光が薄くなっていく。手のひらを見ると、一キロも歩いていないのに汗ばんでいた。たぶん緊張から来るものだと思う。だって光がなくなっていくのと比例して、私の胸の鼓動は早くなっていたから。
そして、ついに丘に着いた。木々の間を通り抜け、開けた場所に出る。その瞬間、私の目に眩い光が差し込んだ。
「わぁ……」
目に映る光景に、私は柄にもなく感嘆の声を上げた。周りに光がない、それだけで星々はこんなにもはっきりと見えるようになるのか。そんな感動が胸を打った。いや、この感動はそれだけが原因ではない。自ら望んで見上げた空は、無気力に見上げた空とは明確に違って見えたのだ。
「……確か、あれがベガ、アルタイル、デネブ。……良かった、もりくぼにも見つけられました。」
指をさしながら、彼女に教えてもらった夏の大三角を見つめる。その中には、あのときはあまり見えなかった星々があった。あれが天の川なのだろうか。本当に川の様にたくさんの輝きが、そこには並んでいた。おとぎ話では二人の間を引き裂く川だが、今の私には夢を運ぶ美しい川にしか見えなかった。
しかし、すでに夏も終わった今、空の中心にそれらがあるわけではない。あと1~2週間もすればきっとその姿は見えなくなってしまうのだろう。それが少し悲しかった。
「あ、そういえば……たしか反対側に、えっと……あそこじゃななくて、そこでもなくて……」
指をあちらこちらに振りながら、あの星座を探す。彼女がお気に入りと言っていたあの星座は、秋の星座らしく前回は全部は見えなかった。けど、今なら全体が見えるはずだ。
「も、もしかしたら、あれが……」
逆さになった棒人間のような姿、そしてその頭上にある大きな四角形。彼女が教えてくれた通りの特徴のものが、そこにあった。
「―――――――――そうだよ。あれがとっても美しいお姫様、アンドロメダ座さ。」
その声に、体が反射的に後ろを向く。そして目に入った光景に驚き、体が固まる。
「そんな……どうして貴女が、此処に……?」
あのときの彼女がそこにはいた。いたら良いな、そう考えてはいたけれど本当にいるだなんて思ってもみなかった。驚きとよくわからない高揚感が思考を阻害する。
はてなマークを浮かべる私の隣に来た彼女は、にっこり笑ってこう言った。
「僕も同じ気持ちさ、また会えるだなんて思ってもみなかったよ。それもまた星の見える場所で。君もやっぱり星が好きなんだね!」
そうなのだろうか。確かに星空が見たいと思った私だが、それと好きというのはイマイチ違う気がする。うぅん、頭の中がぐちゃぐちゃでよくわからない。
「此処は、良く星が見えるね。我ながら良いところを見つけたもんだよ。君は、どうやって此処を見つけたんだい?あんまり人の来る場所ではないし。」
「……いえ、その……家族で一度だけ此処に来たことがありましして……」
そう、私がまだ小かった頃に、まだ人と関わることが今ほど怖くなかった頃に、家族で此処に来たことがあった。そのときに何をしていたのかは、上手く思い出せないが。
「へぇー、そうなんだ。君も此処に来たことがあったんだね。それじゃあ、また会えたんだ。せっかくだから、今日も一緒に星を見ないかい?」
願ってもない言葉。まるで私の代わりに言ってくれているかのように、彼女は私を天体観測に誘ってくれた。そして、また高鳴り始める胸の鼓動。これだ、この感覚だ。何かが起きそうな、何かが変わりそうな、そんな風に感じさせてくれる。
コクンと頷く私に彼女は笑顔で、じゃあ今日こそアンドロメダの話しを思う存分しよう、と言ってくれた。なぜかとってもドキドキした。それが何から来るものなのか、今の私にはわからなかった。
♢
「―――――――――そうしてアンドロメダ姫は、勇者ペルセウスによって助けられたんだ。そして、二人は結婚して幸せになりました。めでたしめでたし。」
それは、ありふれたお話だった。きっと神話でなくとも、昔話や子守歌、童話なんかで当たり前のように語られる、お姫様を王子様が助ける物語。別の表し方をすればお約束とも言えるものだ。
「君の言う通りアンドロメダの話はどこにでもあるおとぎ話だ。けどさ、僕が好きな理由はそこだけじゃないんだ。あんなに離れてる星にもさ、そんな物語がきっとあるんだよ。僕たちの周りに溢れてるありふれた物語がさ。きっとあの遠い銀河にもあるんだよ。」
夜空に浮かぶアンドロメダ座。空に輝くお姫様の物語は、私たちの地球にも存在している物語だと彼女は言った。つまりは、彼方の銀河も私たちと変わりなく存在しているというわけだ。此処からは小さな粒にしか見えないほど遠くに離れているあの星々も、私たちと変わらない。確かにそう考えると、とても夢がある話だ。
「そう、同じさ!だから僕たちだって、あのアンドロメダと同じなんだ。だからあの星たちみたいに夢をもって、輝けるんだよ。それはとってもワクワクして、ドキドキが止まらなくなることだ。君もそう思うだろう?」
「………」
これまで彼女の言葉に頷いていた私だったが、それには相槌をうつことができなかった。だって私もあの星の様に輝けるなんて、そんなこと、あるわけがない。私みたいな人間が、彼女みたいな夢を見るなんて、とてもできない。
高鳴っていた胸が、苦しくなる。思わず胸を押さえて、俯く。この感覚は、いつも感じている私の苦悩。何もできない自分が嫌で、そんな自分を消し去ってしまいたくなる。私には、私には無理だ。
「どうしたんだい?そんな苦しそうな顔して。」
不思議そうな顔をして、彼女は私に声をかける。そんな姿さえも、私には星を見つめているように眩しかった。
「……私には、もりくぼには無理です。貴女みたいに思うことは、もりくぼにはむーりぃです……」
ああ、何故こんなことを言ってしまったのか。これじゃあせっかく楽しくしていた天体観測が台無しだ。衝動的に言ってしまった言葉に、早くも後悔の念にさいなまれる。あぁ、そうだ、はやく謝らないと―――――――――
「―――――――――良かった、やっと君が泣いていた理由がわかったよ。」
「え?」
「君は、うらやましかったんだね、あの星たちが。輝いている人たちが。だから、君は星をみていたんだね。」
彼女は私の言葉に不快な顔をするのではなく、理解を示してくれた。そして、その言葉が痛んでいた胸にストンと入る。
そうか、私は憧れているのはなくうらやましかっただけなのか。私ができないこと、持っていないもの全てを手にしている彼らがうらやましかったのだ。
「……そうかも、しれません。もりくぼは……自信がなくて、人とも話せなくて、目も合わせられなくて、うまく笑えなくて……」
「うん。きっとそれが君のコンプレックスなんだね。なら、僕がさっき言ったことは君にとって耳の痛いものだったかもしれない。ごめんね。」
「そ、そんな……!謝らないでください……」
謝られたことに戸惑う私だったが、同時に嬉しかった。だって、私のように上手く人と会話ができない人間は、他の人からすぐ距離を置かれる。理解できないからそれは寧ろ至極当然のことだと私も思う。けど、それなのに、彼女は私を理解しようとしてくれたのだ。これは有難いことだ。一生に一度しかないことかもしれない。
私がそんな嬉しさを噛みしめている最中、彼女はまたもや私を動揺させる言葉を口にした。
「―――――――――けどさ、君だけにできないなんて、嘘さ。僕だって、君だって、どんな人だってきっと輝ける。」
「――――――」
絶句。私の目が見開かれた。瞬間、私は見える世界が変わったかのような――――いいや、間違いなく変わった――――衝撃が視界を襲った。
「さっきも言っただろう?あの星々と僕たちは同じなんだ。彼らもきっと僕たちの様に、夢を見て、そしてあんなにも眩しい輝きを放ってるんだ。だから、僕たちだって彼らみたいに輝けるはずなんだ!」
私たちは、星々が限りなく存在する宇宙に居た。見渡せば右も左も、前も後ろも、上も下も、どこを向いてもその光が目に入る。その美しさと言ったら、他に例えようが―――――――――
「輝く星は、僕らの夢だ。もちろんベガみたいにみんなが強い光を放てるわけじゃない。中には、暗くて地球からは見えない星だってある。けどさ、確かにあるんだよ! 僕たちが夢見てる、僕たちが目指してる星が!」
彼女は例えた。あれらは私たちが夢見る証なのだと。続けて彼女は例える。
「見えない星もいっぱいある。けど、その星を見るために昔から人はあらゆる手を使って視界に捉えようとした。だって見たかったから。それは、私たちの夢だって一緒さ。」
私が夢見る星…… そんなものあるのだろうか。星を見ることすら止めて、俯いてばかりだった私に輝く夢なんてものあるのだろうか。ないのではなく、今はただ見えないだけなのだろうか。
「うん、きっとある。」
彼女は断言した。私が夢見る星は存在していると。なぜ、そんなことが言い切れるのだろう。私にだってわからないのに、私にだって見えないのに。
「だって、君も――――――輝く自分を想像したことがあるだろう?」
「あ――――」
いた、見えた。視界に映る星々の空間から、いままで輝いていなかった星が、輝きを放つ。
そうだ、私も夢見たことがあるじゃないか。今日だって見た。誰かとうまく話せる自分になりたいと。勇気を出せる自分になりたいと。そして、こころから笑える自分になりたい、と。
口が意識せずに動き出す。そして、私の中の何かが変化し始めた。
「……ほんとうに、ほんとうに私も、もりくぼも輝けますか……? 勇気も自信もないもりくぼでも……あんな風になれますか……?」
今まで、下を向き続けていた顔が上を向こうとする。いままで、諦めていた心が希望を持ち始める。今まで、見えなかった私の夢が、今、はっきりと見えた…!
「うん、きっと。」
こんなにも眩しく輝く彼女が、私もそうなれると言ってくれた。ならもう一度だけ、あと一度だけ頑張ってみるのもいいかもしれない。
新たな希望を握り締めた私に呼応する様に、視界の輝きたちが広がりさらに多くの星々が自らの輝きを主張する。
「さあ、まだ天体観測は終わってないよ。今夜、僕たちは星空を旅しよう。そこで君に見せてあげるよ。とても遠くの、星の海をも、星のまたたきも、限りなくある輝きの数々も。」
私は、それらを真正面から見つめた。
森久保Pは父性の強い方が多い気がするのですが、皆さんはどう思います?