最初は、それほどでもなかったように思う。
『わぁ……!』
忘れもしない、私の原点。今の財団ほどではなくても、富豪であった父親に連れられてやってきた、ポケモンたちの楽園。
それまでサファリパークというものを知らなかった幼い私は、豪奢でも先が分かる部屋の中ではなく、どこまでも広がる荒野でのびのびと暮らすポケモンたちに心底から見惚れていた。
『ピッピ、っていうの?』
『ああ、おまえのために、私が捕まえたんだ』
次に、ポケモンという存在に興味を惹かれた。ポケットモンスター。ちぢめて、ポケモン。この世界で暮らす、不思議な、不思議な生き物たち。多種多様な生態と、何よりヒトとは比べものにならない溢れ出るパワーに、私は心を奪われた。
『おとうさま、あのポケモン……!』
『ああ、おまえも気づいたか。今、私も向かう。アレはドヒドイデと言ってな、説明をするには少し時間が足りないが、とにかく、あまり良くないポケモンなのだ』
そして、ポケモンの良し悪しについても学んだ。ドヒドイデに囲まれて嬲られるサニーゴ。幼き私にも、どちらが善でどちらが悪なのか。その頃はまだ善悪の区別や単語の意味も理解はしていなかったが、どっちがいけないことをしているのかは本能で理解した。そして同時に、可哀想である、という感情を学んだ。
『じんこうとう?』
『そうだ。前におまえも見ただろう?
サニーゴというポケモンはな。言ってはなんだが、とても強いとは言えないポケモンなのだ。絶滅危惧種……と言ってもおまえにはまだ分からないだろうが、とにかく、私はサニーゴのようなポケモンを保護するために、彼らの楽園を創りたい』
何もかもが分からなくても、楽園という響きには惹かれるものがあった私は、当時はまだ名前もなかった保護施設に入り浸り、いつしかそこにいる職員たちに顔を覚えられるようになった。
保護施設、エーテルパラダイス。エーテル財閥が保有する人工島。お父様の夢の結晶。私の原動力。サニーゴのようなか弱いポケモンを守るための、人とポケモンの楽園。
『わたし、ここをもっともっとステキなばしょに、もっとすっごいトコロにするの!』
『ははは。嬢ちゃんは立派だねぇ。そんなすごい夢なら、僕も喜んで協力するよ。尤も、こんな冴えないおじさんにできるのなんて、いつか君がここを引き継ぐまで、こうして島を綺麗に整えることくらいだけどね』
夢と言うにはあまりに拙い子どもの戯言。単なる妄言、世迷言。ただ溢れる感情のままに告げたその言葉を笑わずに聴いてくれたのは、当時、趣味で庭師の真似事をしていた人工島の研究者である青年くらいであり、それについてもただ彼が変人だと言うだけで、私の行動は他の評価に違わずあまりに未熟なものだった。
『なら、あなたはわたしのぶかになるのね! じゃあさっそく、わたしを「だいひょう」にして! え、すぐにはむり? なんでよ!』
『あなた、ポケモンをあやすのがうまいのね! いいことだわ!』
『モーン。あなたがいつもやってるそれ、にわいじり? わたしもみてていい?』
『わ、わたしはもうすぐシマメグリだっていけるネンレイですので、あまりアタマをナでたりは……うぅ』
『モー……。………ハカセ。わたくしも、もう………いえ。なんでもありません』
『──モーン。ちょっと、こっちに来て。いいから早く。え、口調? 何を言っているの。わたくしは始めから………ぅ。むぅ………その目は卑怯です。撫でるのも止め………はい、ごめんなさい、はかせ………え? モーンで構わない? ホントに?』
『あれ、モーン。何をしているの? へぇ、ウルトラホール。変なの。相変わらずね』
『モーン。もう少し、もう少しだからね。──違います、馬鹿! もう、知らない!』
『も、モーン! 貴方、わたしと──』
転び出る記憶。懐かしい、輝かしい思い出の数々。わたしという存在が、夢に向かって邁進していた頃の軌跡。後に伴侶となる青年を巻き込んで、あれこれ空回りしていた時のメモリー。わたしだけが持つ、世界で一番美しいもの。
そうだ。この頃のわたしの人生は、他の何よりも輝いていた。父の望んだ楽園で、大好きなポケモンに囲まれて、それを広げようと躍起になって、あの人と一緒にはしゃぎ回って。
どうして忘れていたのだろう。どうして今更なのだろう。わたくしは、わたしはもう、あの人に合わせる顔なんてないのに。
あの人が愛した楽園を。あの人が打ち込んだ研究を。リーリエを、グラジオを。あの人の遺した全てを犠牲に、わたしは破滅の道を歩んだ。
素質はあった。それは認める。今でもわたしは、美しいものが愛おしい。そういうことも、少しだけなら考えたことだけならある。露骨に執着したことも、一度や二度では済まない。でも、だけど、それでもそんな恐ろしいことは、わたしには決して不可能なはずで。
そう。いつかあの人に窘められて。そんなことよりもっともっと美しいものがあると知って。あの人がくれた愛を、子どもたちを、この楽園と共に愛し続けると誓って。
いつからこうなってしまったのだろう。どうしてこうなってしまったのだろう。わたしは一体、どこで──
『何があった! モーン博士はどうなった!?』
『あのポケモンは一体………いや、それよりも被害確認を!』
『代表、ご無事ですか!? おい、誰か担架を持って来て──』
『一体、何が………』
朦朧とする意識の中、どうにかしてその言葉だけを絞り出す。
うっすら覚えているのは、空の穴から這い出る何かの存在と、ソレからわたしを庇う夫の姿。そして、身体中の血液が沸騰したかのような激痛。
頭が痛い。間違いなく何かをされた。そんな実感がある。でも、それについてを考えることさえ叶わない。身体からこぼれ落ちる何かが。身を焦がす焦燥が、止めどない喪失感が、思考を妨げ汚染する。
わたしの何かが塗り替わる感覚が、精神を犯す悍ましい毒が。わたしの一番美しいものが、ぜんぶこわされて。
『エーテルパラダイスを拡張する?』
『ええ。以前から言っていたでしょう? わたくしは、この美しい楽園がこの程度のモノであるのが我慢ならないの』
『確かに、それは………ですが。その計画は、まだまだ先の──』
『いいから、やるのよ』
世界がまるっと引っくり返った感覚と、世に溢れる全てが『強調』されたような錯覚。綺麗なものと汚いもの。そして彼方に渡るために不都合なもの──わたしの『未練』を根刮ぎ奪い取り、崩して歪める甘い毒。
『ウルトラボール、ですって…?』
『そう。私はウルトラビーストの捕獲技術を持っている。どこから手にしたかは流石に言えないけど、貴女にとっては、悪い話ではないのでは?』
いつか誰かに告げられた言葉。その言葉に、口の端が吊り上がったのを覚えている。
何が駄目だったのか。何がおかしかったのか。いつから、どこからこうなってしまったのか。わたしには、もう何も分からない。
ああ、わたしは一体、どこで間違えて──
そこまで考えて、わたしの意識は暗転した。
「──」
むくり、とそんな擬音が付きそうな緩慢な動作で身を起こす。
散々仕込まれた気品のカケラもない、起き上がるというより這い上がると表現するべきその動きは、正しくわたしの体調の機微を示している。
ぼんやりとした視界で、周囲を見渡す。これほど気分が悪いのは、いつ以来だっただろうか。あの子達を身篭った時でさえ、これほどの不調は訪れなかった。
頭が痛い。こうして目を開けているだけで死にそうだ。できればすぐにでも横になって、そのまま永遠に安寧に浸りたい。
しかし、理性がそれを拒む。今、わたしが思い出したこと。思い出してしまったことが、わたしをそちらに誘うことを認めない。
ここはどこだろうか。いや、見覚えがある。忘れもしない、わたしの部屋だ。エーテルパラダイスの片隅に配置した、わたしの、彼の、あの子の、わたし達の家。
どうしてこんな場所に、と考えて、思い出す。そうだ、わたしは、あの時──
「──ようやく、お話が出来そうですね。お母様」
不意に。
確かに聞き覚えがあるはずなのに、聞いたこともない強い意志が込められたその言葉に、反射的に声の方向へと振り返る。
見覚えのある顔立ちに、馴染みのない格好。見たこともない険しい表情は、違和感より先に既視感を抱く。
「こうして面と向かって話をするのは、あの時以来でしょうか」
「…………ええ、そうね。リーリエ」
上半身だけ身体を引き出し、背もたれに預けてどうにか起き上がる。
かなり無理のある体勢で非常に億劫だけれども、多少の痛みを我慢するだけの価値がここにはある。
リーリエ。わたしの実の娘であり、わたしの野望に真っ向から立ち向かい、そして打ち破った一人の少女。実際には一人ではなかった、など野暮なことは言わない。如何にどれだけあの少年に比重が傾いていようと、わたしは彼女にこそ敗北を喫したのだ。
「先に少し、お話してもいいですか? 私たちがまだ、みんな一緒に、楽しく暮らしていたあの頃の話を」
そんな前置きでリーリエの口から語られたのは、彼女がこの家に縛られるよりも前、居場所は変わらずとも、それでも生き生きと暮らしていた頃の思い出。
花のように笑う子だった。わたしはそう記憶している。人が築いた人工島の中であっても、誰より自然に笑う子だったと、あの人が趣味で植えたどの花よりも華やかな存在だったと。
それがあまりに可愛くて、構い過ぎてグラジオが拗ねたり、リーリエ本人にも一時避けられたり、そもそも仕事が忙しくて時間が取れなかったりと、思い返せば色々と引っかかるところはある。
あの人と一緒に、どうしたものかとあれこれ悩んだものだ。笑い話だ。どんな大企業のトップであろうと、こんなところは誰でも同じ。必死に悩んで、だけどどうにもならなくて、子どもたちに癒されて、そしてまた落ち込む。
わたしの背景がどれだけ立派でも、子どもとの間柄は母と子でしかない。わたしの事情や苦悩など、子どもにとっては無に等しい。
勝手に感じた僅かな疎外感と、煩悶する愛情とが板挟みになって苦しんで。それでも努力の甲斐あってか、どうにか決定的な乖離には至らずに、わたし達は家族のままで。
「いつ、それが変わってしまったのか。………悪いとは思いましたが、かあさまが寝ている間に職場を漁らせてもらいました。ウルトラビーストに関わる膨大な量の資料と、それに追いやられるように仕舞われていた、かあさまととうさまの日記も」
「…………」
「それを見て、私は、かつてここの研究員だったというある人に話を伺ったんです。かあさまがあれほど執着した存在。ウルトラビーストとは何なのか。ウツロイドとは何者なのかを。そこで私は、一つの仮定を立てた。
そして、今の貴女を見て、それは確信に変わりました。かあさま、貴女はもしかして──」
強き瞳が、そうであってくれと訴えかける。
わたしが体験した何よりも恐ろしく強靭で猛烈な意志が、誤魔化すことを許さない。目を逸らすのを認めない。それの否定を望まない。そして、その意志に反することも、今のわたしは望んでいない。
でも。
「仮に、そうであったとしても。わたしがしたことは変わらない。そもそも、それは貴女の願望であって、証拠なんてどこにもない。
──でも、そうね。一つだけ、貴女に聞いてもいいかしら」
「……はい」
「あの人は……貴女たちの父親は、わたしの夫は、どうなったの?」
「──っ」
リーリエが息を飲む。まさか、という雰囲気だ。おそらくだが、わたしにそれを聞かれるなんてまるで想定していなかったのだろう。いくら隠しても、この子の親であるわたしには直ぐにわかる。
ああ、どんなに成長しても、この子はやっぱりリーリエなのだ。わたしの呪縛から逃れて、いつのまにか色を学んで女を磨いていたとしても、わたしにとってはあの頃のまま、何一つ変わらない。
わたしと彼女の関係は、良くも悪くも母と娘。彼女にとっては願い下げでも、決して消えない血の繋がり。そんな陳腐な証明が、今のわたしにはとても嬉しい。
「そのことですが………ええと、私に情報を提供した方は、良くも悪くも遠慮ない方でして………はい。色々と、興味深い話を伺いました。ええ、とっても興味深いお話を」
「…………?」
何かを堪えるように彼女は言う。そのことに対して疑問符が浮かぶが、そもそも彼女が言う研究員とは誰のことだろうか。
当時の事故を知る研究員は少なく、ウルトラホールの研究自体が最奥の分野であったため、既知にある者はその殆どがエーテル財団に深く関わる職員だ。
そして、そうであるからには口も相応に堅く、わたしとしても信頼のおける人物ばかり。その上、事故の内容が内容だ。『ひかえめ』に言って、進んで触れ回るような出来事だとは言えない。
それを看過してなお彼女に情報を渡しそうな人物もいくらかは思い浮かぶが、それらの人物も彼女が言う人物像にはまるで当てはまらない。となると、一体誰が何の目的で、そんなことを彼女に伝えたのか。
「私の方で、内容を『かみくだく』のに抵抗を感じたので、告げられたことをそのまま『トレース』します。
『それまでにも前兆はあったけど、顕著になったのは事故の後。加えてそれ以降モーンさんに対する言及が一切無かったから、その時刺された毒の効果で一種の[さいみんじゅつ]にかかった。そんなところね。
まあ、よくある話。言い方はあれだけど、なんらかの手段で捕えた餌を巣穴に呼び込む際、餌に未練があったら抵抗して面倒でしょう?
だから、壊された。どこまで効果があったのか、というのは不明だけど、少なくとも、一番大切なものを忘れるくらいには』」
「──」
リーリエが、否、その人物が告げるのは、わたしに対する一切の情が見られない、徹底して客観視したわたしの症状とその理由付け。
ビッケにもザオボーにもその他の幹部にもあり得ない、わたしを本当にどうでもいいと思っている、そんな人物の言葉。
「『サンプルケースは2人しかいなかったから断言はできないけど、どちらも軽度の統合失調症に罹っていたわ。目先の欲望に囚われて、それ以外のことはどうでもいい。そんな感じのね。認知や記憶野にも障害があるようにも見えた。少なくとも、私はそう感じた。
無我夢中でウツロイドに背を向けてルザミーネさんを庇うカタチになったモーン博士はまだマシで、実際に目撃した彼女はあれね、手遅れ。多分、毒にそういう錯覚を起こす効果があるんでしょう。すっかりウツロイドに[メロメロ]になって、他の何よりもあちらの世界を望むようになった』」
「……え?」
「『毒はそのまま治せばいい。認知についても同じ、そのどちらも毒による症状だから。
記憶については厄介だけど、症状としてはシンオウ地方にいる[ユクシー]ってポケモンを目撃した時に生じるモノに近いから、時間はかかるけど、治療についてもそれに準じて──』…………ええ、そうですよ。そうです、そうなんです。
その人は、あの人は、彼女はかあさまに恨まれるのが嫌で、そして何より自分の都合で、こんなとんでもないことを当たり前のように知っていても、それを当然のように黙認していたんです」
「──」
言葉が出ない。あまりのことに、反応すら示せない。彼女の言葉が、その語る内容が衝撃的すぎて、わたしの身体をガチガチに凍らせる。かつて抱いたウルトラビーストに対するそれよりも遥かに、わたしの心を、精神を、雁字搦めに惹きつけて離さない。
そんな馬鹿な。だってそれは、あまりにこちらに都合が良すぎるだろう。だって、そんなことはあり得ない。そんなことは、あり得てはいけないのだ。
(──でも、もしも。もしも、そうであったのなら)
わたしの最後の抵抗なんか、リーリエには無力で。ただのわたしの意地でしかなくて、元より通用するはずもなくて。
その人──おそらくは、あの時の少女にも見透かされて、変わらない表情の裏で、密かに嗤われていたのだろうか。
「あれこれと言葉を並べて連れてきて、検査の名目で縛り付けて、治療を敢行して。そもそもウルトラホール自体にも記憶の混濁が起こり得るモノらしくて、上手くいく保証なんてなくて。
…………でも、ビッケさんは、だいじょうぶだって。どうにかなるって、そういって、わらって。また、みんなで、いっしょに──」
「──」
悲劇を含める全てをいつの間にか台無しにされていた衝撃と、そんなわたしを抱きしめるリーリエの体温がわたしを盛大に『こんらん』させる。
元より限界の近かった体調も相俟って離れていく意識と、そんなわたしをどこか客観視している自分に、何も届かないような遠くの闇から、わたしを嘲弄する声が聞こえた気がした。
☆☆☆
『☆¥%°^〒×*#──』
大仰に両腕を広げてみせながら、そのポケモンは歓喜の吼声を上げる。
否、それがどのような意思の込められた声であったのか、僕にはわからない。一見すればその表情には、如何なる感情も宿っていないようにも見える。
先の一撃──自身を蹂躙しようとした事実すら、あのポケモンを揺るがすには至らないのか。限界ギリギリまで追い込まれたこの状況にあってなお、僕達を見据える目に怒りの色が欠片も見受けられない事が、これほど不条理且つ不気味なものと感じるとは。気圧されつつある自身を叱咤すべく、唇を噛み締めた。
「ああ、このっ………!」
判らないものは、怖い。それは人間という生物にとっては本能とも言える、当たり前の感情だ。
どんな人間もどんなポケモンも、その本能に縛られずにはいられない。それ故の底知れなさ。あのポケモンの“判らなさ”は、常に恐怖と化して僕の心を脅かしている。
どうすればいい──そんな感情を抱いたのは、今回で二度目だ。性質としては別物でも、意味するところは変わらない。困惑に、恐怖。二つの感情が複雑に混じり合ったその時にこそ、僕の心は『こんらん』に陥る。
(──でも)
恐ろしくても、得体が知れなくても、対処法はある。仮に無くても、作れるだけの実力が僕にはある。これが自惚れだと笑われても、リーリエにとってそうであるなら、僕はそれを忠実に熟す。それこそが、僕の目指すトレーナーだからだ。
そのポケモンが、
(何のことはない。僕にはできる。ただ見て、対処する。それだけ。いつもやってきたことじゃないか)
身体が驚愕で硬直でもしない限り、並の攻撃は僕には通じない。僕は自分を侮らない。それは僕を信じる彼女の否定となるからだ。
どれだけ素早い攻撃も、博士のルガルガンの『アクセルロック』には及ばない。
どれだけ強力な一撃も、グラジオのゼンリョクわざには及ばない。
どれほど怒涛な攻勢も、ハウのそれには程遠い。
どんなに狡猾な手口も、あの人には当然、敵うはずもない。
僕は最強のポケモントレーナーだ。事実はどうあれ、彼女が僕をそう信じている限り、僕は負けることはない。つまり、こんな小手先の攻撃なんかに、僕が、僕の自慢のポケモンたちが、負けるなんてあり得ない。
両手を突き出し、すぐ戻す。左に右に、それは揺蕩う波が如く。
視線の先には、オニシズクモ。僕が最も信頼している、ポケモン捕獲のエキスパート。そんな彼にゼンリョクを費やすことに、何を難しいことがあろうか。
「オニシズクモ、『スーパーアクアトルネード』!」
『──あ、あわぁぁわああアァァアア!!』
直後、あらゆる音が彼の巻き起こす激流に呑まれる。
耳を劈く爆発音も、奇声も嬌声も悲鳴も怒声も──その一切が纏めて彼方へ消え失せた。
「なんとかなった、かな?」
「──いえ、明らかに過剰でしょう、チャンピオン。あのポケモン、ズガドーンと言いましたか。文字通りの瀕死になっていなければよいのですが。
しかし、ワタシのゼンリョクが『みずてっぽう』に思えるほどの力。最早驚愕を通り越して呆れるしかありません」
「ええと………」
いつの間にやら近くにやって来ていた協力者──ザオボーさんが嫌味とも忠告とも取れる口調でそう発言する。
今、こうして素直に捕獲に協力してくれている時点で、彼にそう遠慮する必要はないのだけど、どうにも僕は彼に対しては、苦手意識からかなんなのかおっかなびっくり反応してしまうのだ。
「これで、
しかし、チャンピオン。何故アナタは、先にこちらのウルトラビーストを? 確か、あの国際警察とやらが依頼していたのは、別のウルトラビーストだったのでは?」
「ああ、それですか………そうですね、それは──」
彼が抱く当然の疑問に、僕もまた素直に返す。あの人のことを知る彼になら、隠す理由もない。そう、あれは──
……………………
……………
………
『ズガドーン。ほのお・ゴーストタイプ複合のウルトラビースト。コードネームはBURST。人を驚かせて、魂消た生気を啜るとかなんとか、そんなフワンテとかヒトモシみたいな生態をしているポケモンだね。
でも、それらのポケモンとズガドーンとの決定的な違いは、行動原理が愉快犯であること。ポケモンは基本的に見た目に忠実で、道化師の格好をしているからにはその生態もそっちよりになる。となれば必然、襲撃対象にもこだわりはない。
そして、こちらに来れるレベルのウルトラビーストは共通して一定以上の実力を持つ。一般のトレーナーじゃあ太刀打ちできない程度には。当然、他の──そうだね。電気を求めて発電所を襲いそうなデンジュモクとかも危険と言えば危険だけど、そっちは警備がちゃんとしているし、何より対応がやりやすい。だから、優先順位はズガドーンになるのかな』
いくらなんでも詳しすぎる。まず最初に思ったのがそれだ。
そう、まずはそこからおかしいのだ。ウルトラビースト。異世界からこの世界に迷い込んで来た魔獣。リーリエのお母さんが妄執した怪物、あまりに異質なポケモン達。
それを捕獲するためのエージェントとして、国際警察の人間がやってきた。リラさんに、ハンサムさん。力も搦め手も網羅する正真正銘のエリートコンビ。
客観的に見て、彼らの実力は本物だ。リラさんは言うに及ばず、ハンサムさんも明らかに只者じゃない。僕にとってはともかくとして、彼ら二人の力量や素質は、間違いなく国際警察を名乗るに相応しいレベルだと言えるだろう。──が。
『ウルトラビーストの生態については、まだはっきりとわかっていません』
『ウツロイドの毒は精神を侵す。自制心や抵抗力を麻痺させて対象に寄生する』
『もしも、その生態が危険なものであれば、彼らの殲滅も考慮します。しかし、私もハンサムさんも、そんなことは望んでいません』
『危険度がダントツで低いのはマッシブーン。あのポケモンはただ筋肉自慢がしたいだけだからぶっちゃけ無害。次いでカミツルギ、フェローチェかな。高性能カミソリ……じゃなくて全身刃物のカミツルギは物騒だけど危険ではないし、フェローチェは潔癖症だからこっちから構わなければ問題はないでしょう、たぶん』
彼らが頼りない。そう言ってるわけじゃない。ただ事実として、彼女の知識は国際警察のエリートを遙かに凌駕した。
国際警察、国際警察である。どう考えても、そこらの一般人であったはずの彼女が情報量で上回っていい相手ではない。それなのに。
『フェローチェは一旦放置する?』
『ええ、優先すべきは、他のウルトラビーストです』
信じてみる価値はある。そう信じて、僕は彼らの意見に反論した。
次の捕獲対象として提示されたウルトラビースト、コードネーム:BEAUTY。彼等の中には、その行動原理に関わる知識がまるで存在しなかったからだ。
名前、姿、タイプ、生態、能力の傾向から出身世界の情報まで。入手経緯を考えると不気味すぎて怖気が走るが、少なくともぽっと出の「お偉いさん」よりかはよほど信頼できるものだった。
また、それとは別に。事と次第、もしも僕とリーリエの立場が逆だったその場合に、あくまで選択肢の一つであっても、あのリーリエに対して『殲滅』という行為を提示する可能性のあった組織に対し、どうしてもいい感情を持てなかったのもある。
「ほうほう、なるほど。チャンピオンのそれは出所も不明な彼女からの情報だと。しかし彼女が怪しいのはいつものこと。それを考え始めればキリがない。
ですが、まあ。他でもないウルトラビーストに関連することなら、彼女の右に出るものはいません。ですので、おそらくは信用しても大丈夫でしょう」
「……あの人は、何者なんですか?」
「さて。少なくとも、経歴ではアーカラの民家出身の一般人のはずですが……ああ、彼女はあの一族の者でしたね。しかし、それでも同じこと。
正直、ワタシにしてみれば、彼女のような得体の知れないナニカもなく、それでいて異常なまでに特出しているアナタの方が不気味なのですが、そちらも言い出せばキリがない。
ただ、そうですね。あくまでいちエーテル財団職員としての立場で言わせてもらえば、彼女はエーテル財団にとって加害者であり犠牲者。全ての事の発端である元凶、といっても過言ではありません」
「……エーテル財団の?」
穏やかではない言葉の羅列に意識せず身構える。彼が勿体ぶった語りをするのはこれが初めてではないが、それにしても不穏な空気が思考を捉えて離さない。
元凶。言葉通りに受け取るならば、あのルザミーネさんが起こした事件の全てが、彼女が齎したことである、そうなる。しかし、それはあり得ない。だって僕は、リーリエから聞いたのだ。かあさまの様子がおかしくなったのはウルトラホールについて研究し始めてからだと。家族がバラバラになったのはそのためだと。
「いえ。そうではありません。まず前提として、ウルトラホールの研究が進むのにつれ、代表は仕事に掛り切りとなってしまいました。ご家庭を大事にしていた彼女のその様子は、確かにお嬢様にしてみればおかしくなったようにも思うでしょう」
「…………」
「しかし、決定的なのは、やはりあの事故があってこそ。力場に反応してか、突如として無数に開いたウルトラホールの暴走により、とある研究者が行方不明となった惨事を」
「モーン博士………リーリエのお父さん、ですね」
「おや、知っていらしたとは。あのお嬢様は、よほどアナタを信頼していると見える。
ですが、この話はここからが本題です。エーテル財団の研究の末、あの事故の際に現れたウルトラビースト………後にPARASITEと呼称されることになるポケモンの毒についての資料が並ぶより前、精密検査を控えた彼女の目前に、とある少女が現れたのです」
つまるところ、リーリエは勘違いをしていたのだ。ルザミーネさんがおかしくなった理由と、彼女が感じた違和感、疎外感は別物。しかし、それらに要因する出来事が似通っていたからこそ、彼女は認識を誤った。
それを責めることは、僕にはできないし、するつもりもない。具体的にいつの話なのかは聞いていなくても、あの人が『少女』だった時期となるとそれはもうかなり昔の話のはずだ。
ただ疑問なのは、果たしてあの人は何のために。何を目的として、あの島を訪ねたのか。まさかリーリエの家庭を乱すためでもないだろう。それはあまりに飛躍し過ぎというか、接点が無さ過ぎてあり得ない。
でも、一つ。一つだけ、僕には思い至る理由もなくはないのだが、もしそれが理由だったとするなら、それこそあの人はどうなっているのか。世界に名だたるサイキッカーの人たちでさえ、そのようなことは見通せない。それなのに、まさかそんな。
「いつからその少女はそこにいたのか。どこから少女が現れたのか。
エーテルパラダイスへの入場記録は疎か、船の渡航歴もない。まるで、そう、あのウルトラビーストに紛れてやって来たような謎の子ども。
代表……彼女が疑問を抱くより前に、その少女はこう言いました。
あのウルトラビーストを、己が物にしてみないか、と」
「──」
リーリエの懸念を他所にして、全てがおかしくなったのはここから。手の届く位置にはっきりと提示されたウツロイドに執われて、彼女は完全におかしくなってしまった。
ウルトラボール。ウルトラビーストの捕獲に特化した、出自不明のモンスターボール。それが原因であり、元凶。故に、それをどこからか持ち出した彼女こそが、エーテル財団という組織にとって、加害者であり──
「──犠牲者?」
「ああ、その話はまた後に。先のゼンリョクの余波で、林道のポケモン達が暴れています。
ポニの林道は、アローラ内でも危険区域の一つ。万が一、島の民家にここのポケモンが逃げ出せば、被害は更に拡大しますよ」
「………そうですね」
いくつか気になる点はある。先ほどの疑問もそうだが、何故彼があの人についてそこまで詳しいのか。一体、その事故で何が起きたのか。そもそもどうしてリーリエのお父さんは、ウルトラホールなんて危険なものに手を伸ばしたのか。
ただ強いだけ。ただ才能だけでのし上がって来た僕には、その手の情報を何も持たない。僕自身、ウルトラホールの研究についてはいつかどこかで聞いた気もするものの、『リーリエと関係なかったから』を理由にあっさり忘れてしまうような男だ。こんな思考も、いつしか答えを出していて、それを忘れているだけなのかもしれない。
それ以前に。何が正しくて、何が違うのか。それさえも僕には判断ができていない。僕にできるのはこうやって、リーリエの理想であり続けるだけだ。
「………うん。僕には、そっちの方があってる」
あれこれ考えるのはやめた。どうせ僕がいくら時間をかけて考えたところで大人には敵わないし、何より性に合ってない。
客観的に僕は、色ボケたままチャンピオンにさえ到達したような男だ。リーリエのためにと頑張ってみても。正直言ってこの話題に、リーリエが関係しているかというとそれも微妙だ。なら、考えるだけ無駄だろう。
そして、何より──
『☆¥%°^〒×*#──』
「またか…………」
先のことより、目先のこと。潜在する恐怖より、浮上した怪異こそが最優先。
流石に僕のゼンリョクを受けてこのしぶとさは予想していなかったが、幸いにも他のポケモンはザオボーさんが引き受けてるので『てだすけ』はない。つまりは何一つ、僕が敗北する要素はない。
一度が駄目なら二度三度。それでも駄目ならもう一度。駆け引きも何もない力量差でのゴリ押し。愚直なれど、それ故に防ぎようがない僕だけができる僕個人の強み。
僕は最強だ。似合わなくても、何度だって僕は言ってやる。かつてリーリエを悲しませたものも、これから彼女を襲う脅威も、全てこの僕が叩きのめす。きっと僕は、そのためにこそ、これだけの才能とともに、彼女の前に現れたのだから。
『$€%<>○☆¥%°^〒×*#──!!!』
一体如何なる『トリック』か。ズガドーンはまるで当然のように後ろ手から無いはずの頭部を取り出すと、それを再びこちらへと『なげつける』。
並みのトレーナーが裸足で逃げ出す脅威。それを単なる『わるあがき』だと断言できる自分の実力に我ながらやや呆れるものの、また一つリーリエに近づいた事実を想い、ちょっとだけ嬉しくなる僕であった。
さて、あとどれだけオリシュさんに罪を被せればリーリエちゃんが戻ってくるだろうか………。