クチナシさん=面倒臭い人
つまりオリシュさん=クチナシさんである可能性が微レ存……? よくある三段論法の誤用ですね、はい。
『残念ながら、しばらくワタシは欠席です。色々あって今はヒラ社員に甘んじているこのワタシですが、それ故に逆らえない摂理というものがある。……まあ、気取ってはみましたが、単に外せない用事があるというそれだけのこと。
全面的に協力すると言った手前、非常に心苦しくはあるのですが、これも社会の摂理が一つ。ワタシはただ、粛々と従うまで。
お詫びに、というわけではありませんが、一つだけ。アナタにはもうどうでもいいことなのかもしれませんが、ワタシは今でも心情的にはアナタの敵です。今はただ、利害関係が一致しているから協力しているまで。ですので、あまりワタシを信用しすぎないようにお願いしますよ──』
「わざわざ忠告してくれるだけ、結構あの人も甘いよなぁ……」
アーカラ島にある8番道路。国際警察の彼らが待つモーテルへとゆっくり歩みながら、僕はそんなことを呟く。
思えばグラジオ辺りもそうだったけど、エーテル財団の関係者は揃いも揃って会話を勿体ぶる癖があるように思う。ルザミーネさん然り、グラジオ然り、ビッケさんもそうだ。あのリーリエでさえ若干、そんな傾向があるように思えたし、もしやあれはエーテルパラダイスに伝わる伝統的な何かなのかもしれない。
だけど、僕はザオボーさん本人がそう言っていたように、正直そんなのは割とどうでもいい。僕自身、我ながらどうかと思うのだが、僕はザオボーさんが微塵も折れていないことを承知で行動を供にしていたし、彼が何を思って従っていたのかもあんまり興味はない。
否、あくまで個人的な意見、一人の人間として、複雑な感情が混ざり合った末のその結論には興味がある。そんな感情は、リーリエ至上主義の僕には絶対に得られないものだからだ。しかし、言ってしまえばその程度。そもそも、僕の想定が誤ってる可能性も高い。いくら改善しても僕は僕。最強のトレーナーとして君臨するだけの装置。どこまでも自他の感情に疎いまま、何をすべきかもわからないままで(ただしリーリエに向ける
(──実際、ザオボーさんについても、泳がせていたとかそういった理由でもなんでもなく、ただ対応に困っていただけ。きっと僕には、そういう経験が、僕が思ってる何十倍も足りてない)
この思考さえ、的を射ているかは微妙だ。そもそも判断するだけの材料を持たないのだから、ある意味当然であると言える。
僕にとってのザオボーさんは、リーリエを助ける障害となった嫌味な男性。それだけだった。……いや、本当に改めて認識すると酷い。僕、実はあの人を笑えないくらい最低な人間なんじゃないだろうか。
(………うん。もう、考えるのはやめよう。なんか色々とおかしいし)
自己の分析は苦手だ。いつも気づけば思考が明後日の方向かつ支離滅裂、意味不明な軌跡へと飛んでしまう。そのくせバトル中での頭の回転は割といい方だったり、悪意なりには妙に敏感だったり、自分でもよくわからない本能で色々と察してたりするあたり我ながら本当にタチが悪い。実は僕は人の姿をしたポケモンなんじゃないかな、なんて考えたこともある。そして、それも当たり前のように間違っていたりして、
(……。なんかもう、いいや、どうでも)
僕が何かを考えるといつもこうだ。だからこそ僕は、自分の思考を無駄なものとしてこれまで削ぎ落としていた。最近はそうでもないけれど、それでも煩わしいことには変わりない。しかし、リーリエに早く会うためには、そうも言ってられないのが現状であるのがもどかしい。
「失礼しまーす……」
思考を放棄し、完全に自業自得でただ歩いてるだけなのに多大な精神ダメージを受けながらも僕はモーテルの扉を叩く。ちなみにモーテルとは旅行者向けのホテルのことであり、間違ってもポケモンではないので勘違いしないように。……僕は一体、誰に説明しているんだろうか。リーリエかな。絶対に違うけど。
「おつかれさまです、ヨウさん。
ご足労、ありがとうございます」
そんな愚かな僕を迎えてくれたのは、国際警察のエージェントが一人、リラさん。
黒いスーツに身を包んだ妙齢の女性で、あの人と同じくクールな部類の人間なれど、滲み出る暖かさ、柔らかさ、優しさがその印象を覆す。それに加え、この年齢で国際警察における一部門の部長であるらしく、ザオボーさんに匹敵するポケモン勝負の腕と相まってさぞかしおモテになることだろう。僕にはどうでもいいことだが。
「お聞きしました。今回もまた、素晴らしい手際で新たなウルトラビーストを捕獲したと。私も捕獲を嗜む方ですが、チャンピオンのそれと比べるとどうしても見劣りしてしまいます。
それに、ポケモンバトルに関しても……私達は、貴方に協力者としての立場を依頼したのに──至らぬ身で、申し訳ありません」
「いえ……」
いい人ではある、素直に思う。だけど正直、どうとも言えない。彼女達に頼ることでリーリエとの再会が早まるならともかく、今になって彼女らに頼るのもどうかと思うし、何より不自然極まりない。
彼女たちのお役所仕事云々はアローラにやって来たばかりで場を整えるのに忙しかったから、すなわち本当に最初だけであり、最初に抱いた不信感のまま直接の支援を遠慮したのはこちらだ。いつぞやのボールに関しても単なる僕の勘違い、つまりは僕の考えすぎであったのだが、とはいえ今更意見を翻すのもバツが悪い。
幸い、もう僕自身全盛期に近い捕獲技術を取り戻してきたから、たかだか数匹のポケモン如き、僕個人でもこと足りる。色々と含むところはあっても、サイキッカーであるザオボーさんが居れば居場所の特定にもそう手間はかからない。そう、今となっては何一つ、ウルトラビースト捕獲に関する問題はないのだ。
強いて言うなら、この人たちにとっては、「自分がいなくても何一つ問題なく事が進んでいる」こと自体が問題なのかもしれないが、それについても僕の邪推で、神ならぬこの身では分かり得ないことである。そんなこと一度も言われてないしね。………言えないだけ、なんだろうけど。
「そして、このポケモンがチャンピオンの仰っていたウルトラビースト──ズガドーン、でしたか。
区画閉鎖の片手間に見ていましたが、果たして私では、このポケモンに対抗できていたのかどうか。無論、私もみすみすとやられるつもりはありませんが、断言は出来ないのが現状です。とにかく、感謝を」
深々と頭を下げるリラさん。立場的だけは立派といえ、未だ若輩者、いや、あくまで子どもでしかない僕に対してこんなに素直に頭を下げることができるのは本気で凄いと思う。
ザオボーさんを代表に、ルザミーネさんやビッケさん、その他エーテル財団の職員たちもからも頭を下げられたことがある僕だけど、それは形式的なものであったり、内心では明らかに侮られていたり社交辞令だったりと散々だった。そして、故にこそ、彼女の高潔さが際立つのだ。
ちなみに、僕はこうして彼女の謝罪の意図、そうした理由をなんとなく理解してもなお、彼女を改めてどうこうするつもりはない。それは何故か、決まっている。彼女はリーリエではないから、別にそこまで配慮する義理はないからだ。我ながら普通に最低である。こんなことばかりしているから感情に疎いとか言われるのに、いつまでも成長しない僕である。
「チャンピオンが仰っていた通り、先ほど各地の発電所及びそれに類する施設群へ警備を強化するように依頼をしてきました。また、カミツルギ・フェローチェの情報と対処についてもアローラへ開示し、適切な対応を取る様にと。当然、油断は禁物ですが、これで一先ず早急に対応するべき危険は去ったかと」
「そうですか………」
リラさんの言葉に、ほっと一息ついて椅子に座り込む。なんだかんだとここ最近ずっと張り詰めていたので、とりあえずとはいえ安全が確保できたのなら嬉しい限りだ。
疲れからか、リーリエがいないのもあって人目をはばからずそのまま少しだけぐったりとしていると、そんな僕を見たリラさんが小さく「ふふっ」と微笑んで、そして告げる。
「そうですね。ハンサムさんではありませんが、今日は私の奢りで、何がご馳走でも食べに行きましょうか。残念ながらハンサムさんは参加できそうにありませんが──」
「そうだな。釘を刺すつもりが、侮ってたのはオレの方だったぜ」
「貴方は………」
「……クチナシさん? どうしてここに──」
不意にモーテルの入口が解き放たれ、そこから警官の制服に身を包む目つきの悪い男性……メレメレのしまキングであるクチナシさんが現れ、思わず疑問符が浮かぶ。
何故ここにいるのか。何をしにここに来たのか。どうして訳知り顔で現れて、そしてそれをリラさんが驚いているのか。当然、浮かんだ疑問は全て問い質すつもりだが、まずは一つ。
「部屋、間違えていませんか?」
「…………。最初に聞くのがそれかよ。いや、そりゃあそうだが、なんかズレてんなあんちゃん」
「ノックもせずに部屋に入れば、そう思うのは当然です」
「ああ──いや、そうだな……悪かった。それで、こんな礼儀知らずのおっさんの話をちぃとばかし聞く気はねぇか?」
悪びれなく言い放つ彼に、少しだけ顎に手を当てて思案する。十中八九厄介ごとだが、クチナシさんの言葉はいつでも的を射る。おそらく彼もあの人と同じ、「色々知ってるけど自分の都合で情報を小出しにするタイプ」なのだろう。
実際、ポータウンで僕も彼に振り回されて体良く厄介払いに使われた経験もある。そうなると、僕もそれなりの対処を取らなくてはならない。これからのためにも、リーリエのためにも、だ。
「僕に絶対役に立つ話であるなら聞きます」
「絶対……とは、言い切れねぇなぁ、流石に。わかった。じゃあ、これはオレの独り言だ」
(ああ、やっぱり強引に話すんだ……)
最近になってようやく、こういう人の傾向が理解できた気がする。良くも悪くも周りに流されず、自分の意思を貫ける人。または周囲に興味がない人、自分の評価を気にしない人。
そういう相手をどうするか。正直、どうにもならないのが現状だ。だけど、優位に立つだけなら難しくない。それであちらの都合良く扱われていても、そうすればその上で借りを作らされることはない。常ならそこまで気にしなくても、今はただでさえ面倒なことに巻き込まれているのだ。対応を誤った結果更に厄介ごとを背負わされてはたまらない。
「メレメレの花園に、おまえらが追ってるバケモンがいるぜ。確か、おまえらのコードネームだとEXPANSIONだったか? しかもどうやら、二体いやがるようだな」
「メレメレの花園に…………はい、了解しました。貴重な情報をありがとうございます。クチナシさん」
「…………」
「では、次をお願いします」
「…………あ?」
「次の情報です。まさか、それだけじゃありませんよね、クチナシさん。そうであるなら、申し訳ありませんがお引き取りを。そしてこれ以後、ウルトラビーストに関わらないようにお願いします。危険ですので。
もし、言えない情報……使えない情報であるのなら、僕には必要ありません。この場面で出せないモノでも同様です。後出しされても、その、困ります」
現状、はっきり言って、情報面で困っていることは何一つない。目撃証言については素直にありがたいが、それよりも無駄にウルトラビーストを刺激して被害が出る方がはっきり言って困る。いくら潜伏に自信があったとしても同様だ。ポケモンはいつだって、僕たち人間の常識を超越する。何より面倒臭い。
彼は何かを隠している。それくらいなら僕にもわかる。でも、彼はおそらくこの場ではその情報を出し渋る。理由は知らない、興味もない。ただ、億劫なだけだ。そして、その程度の情報ならば、僕には要らない。
かつての僕ならともかく、今の僕には優先順位というものがあるのだ。それでも純粋か切実な願いなら喜んで引き受けるが、彼のそれは明らかに違う理由から来ている。そんな彼の戯れに付き合って時間を過ごすくらいなら、その時間でリラさんと今後の英気を養う方がよほど有意義である。
「………。そいつは、ちぃと困るな」
「EXPANSION。種族名をマッシブーン。むし・かくとうタイプ複合のウルトラビースト。筋骨隆々の肢体と、ダイヤモンドよりも硬い口吻を持ち、他の生物のエネルギーや体液を吸収し、自身の体液と合わせることでより強力な身体になると言われている。
事あるごとにその筋肉質な肢体をアピールするポーズを取るが、それはマッシブーンなりの一種のコミュニケーション、または自慢であり、対抗してポーズを取ると敵意が激減、顔に喜色が表れる」
「なっ──」
「僕にも都合というものがあります。不可能なことも、限界もあるんです。というより、あれです。これまで僕らは被害が出ないことを最優先に動いていたので、急に『EXPANSIONを捕まえろ』と仰られても無理です。
そして現状、マッシブーンの危険度はスピアーにも劣るレベルでしかない。別に協力が嬉しくないじゃありません。そうは見えないかもしれませんが、僕だって人間です。クチナシさんがやって来たことに驚いたり、情報提供に喜んだりします。
当然、人間であるからには疲労も感じます。………要は、ちょっと、疲れました。だから………でも、僕は。早く、リーリエに──………」
「ち、チャンピオン!?」
「──ちっ。くそ、マジかよ……」
会話の途中で急に椅子から立ち上がったからなのか、立ちくらみを起こして視界が歪む。血が巡らない頭が、僕の意識を遠ざける。気の抜けた思考が、僕を安眠の道へ誘う。
目の前が真っ暗になる錯覚と共に、僕の意識は暗転する。その直前、クチナシさんがいつも半開きの目を見開いてこちらを眺めていたのが嫌に印象に残った。
☆☆☆
神に愛された人間とは、彼のことを指すのだと思っていた。
一目見たその瞬間から、凄まじい才覚を感じた。あり得ないと、この世の不条理が形になったような存在だと、少なくとも私はそう思った。
『フーディン、「サイコキネシス」!』
別に自分が無敵だと思っていたわけじゃない。世界に名だたるトレーナー、伝説と呼ばれしポケモンたち。それらに絶対に勝てる確信など当然なかったし、健闘できる根拠があったわけでもない。
『………ラランテス、「つじぎり」!』
まして、対峙したのは挙げた2つ。伝説のポケモンを従えたこの地方最強のトレーナー。侮っていたつもりはない。油断していたわけでもない。ただ、胸を借りるだけだったはずだ。あくまでその程度の戯れ。腕試しの一戦。それでも、彼は私の想定を遥か上回った。
『む──ええと、後ろだラランテス。「かわらわり」』
『なっ………!?』
手も足も出ない圧倒的な差。胸を借りるなどと、腕試しなどとあまりに烏滸がましいトレーナーとしての格の違い。それまで常勝不敗だったコンビネーションはおろか、それが通じずその場で必死になって起案した奇策や奇襲も悉くが凌駕され、心が絶望に満たされていく。
『エンテイ、「せいなるほのお」!』
それが折れたのは、最後のポケモンの闘い。勝負を決定付けた攻防。
この時、まだまだ彼はポケモンを一匹しか見せておらず、私はと言うと既に五匹目。もうこの時点で心情的には負けたようなものなのだが、それでも最後の意地として放った私の最強の一撃。
せいなるほのお。ジョウト地方に伝わる伝説のポケモン、ホウオウが放ったと謳われる消えない炎。直属の眷属たる三犬、エンテイが模したそれはホウオウには及ばずとも、並みのポケモンなら即座に瀕死に陥らせるだけの火力を誇る。
しかし──
『
『しゃらぁあぁああアアアア──!!!』
しかし、何事にも例外というものはある。
如何なるポケモンも、それを扱うものの腕次第。仮にも伝説のポケモンを従えているだけでいい気になってる自分と、その驕りをわざごと当然のように断ち切る彼。
見惚れた。憧憬した。心が打ち震えた。直後に告げた賞賛の言葉は、一切の含みを持たなかったことを良く覚えている。
その輝きに、目が眩まなかったと言えば嘘になる。しかしそれを加味した上で、彼は私の期待以上の結果を示してくれた。
それ故に。彼自身が醸すどこか超人的な雰囲気とも相俟って、そのことをまるで考慮してなかったのは、間違いなくこちらの落ち度であろう。
だから、だろうか。疲労か、心労か。糸が切れたように崩れ落ちた彼の身体を慌てて抱き抱えて、そのあまりに華奢の体躯と、想像以上に僅かな重みに、私はそのことを──彼がまだ、私の半分ほどの年齢の少年でしかないことを思い出して、その場で呆然としてしまった。
すぐさまクチナシさんから、ベッドに寝かせるようにと指示が無ければ、きっと私はそこでずっと、身勝手極まりない自責の念から対応を誤り、また後悔を積み重ねたことだろう。クチナシさんがどうしてこの場に現れたのかは未ださっぱりな私だが、やはり今でも私にとって、クチナシさんが恩人であることには変わりがない。
「体調云々じゃねぇな、こりゃ。ただの疲労か心労、そういうのが一気に来ただけだろうよ。まあ、この頃のガキにゃあ良くあることだ。直前まで元気に遊んでいたと思えば、突然電池が切れたようにぐっすりだ。
だがな……いや、違うか。オレがこいつをどう思ってようが、こいつは俺の三分の一も生きてねぇガキでしかない。ただオレが、そんな簡単なことさえすっかり忘れちまったってだけなのによ」
「はい………」
口調こそ常の様子を崩さずふっきらぼうなものの、どこか沈痛な表情を浮かべてクチナシさんは告げる。
彼が失念していたこと。私がいつしか忘れてしまっていた、忘れるべきではない当然。同じだ。否、すぐそばにいた私の方がずっとずっと罪深い。
もっと労るべきだった。もっと配慮をするべきだった。そもそも彼に対して協力をしてもらう立場なのはこちらだ。彼は身勝手なこちらの依頼、こちらの都合に快く引き受けてくれた、ただの善意の協力者に過ぎないのに。
居ても立っても居られず、カバンの中から必要なものだけを取り出して出入り口まで向かう。そして、手のひらがドアノブを回すその直前、投げやりなのにどこか鋭い声が、私の動作を一瞬で制した。
「待ちな。おまえさん、まさかとは思うが、一人であのバケモンをどうこうしようって考えてはいねぇだろうな」
「……いくらクチナシさんの言葉でも、こればっかりは──」
「止めやしねぇさ。ただ、忠告しておく。──そんなんじゃてめぇ、あのバケモンにあっさり殺られるぜ」
「っ──ですが……!」
「だが、なんだ? おまえさんは、おまえさんの尊敬する部下は、おまえさんが所属する組織は、あのバケモンの何を知る?
このあんちゃんはな。確かにオレの前で断言したぞ。今のあのバケモンは、スピアーにすら劣る脅威度だと。無論、それは単純な強さで測ってるモンじゃねぇだろうが、オレはその言葉に、何一つ言い返すことができなかった。
これは、あんちゃんが会話の途中で倒れたからとかそんなくだらない理由じゃねぇ。改めて考えるまでもなく、オレはあのバケモンのことを何一つとして理解してねぇからだ」
「それは──」
それは、そうだろう。ウルトラビーストとは、異世界からこの世界に紛れ込んできた存在。言ってしまえば次元単位で迷子になったポケモンであり、必然的にその存在を知るものなどいるはずがない。
我々国際警察がウルトラビーストのことを知るのは、警察という組織がそういう話題を集めやすい場所だからだ。しかしそれでも絶対数そのものがごく僅かであり、貴重な情報が不明瞭なものであるのも珍しくない。
(なら──)
ここまでを前提として、我々よりもウルトラビーストに詳しい存在とは何か。
まず一つに、エーテル財団のことが挙がるだろう。ウルトラホールを研究していた組織であるエーテル財団は、間接的とはいえその道の専門家と言っていい。加えて、リーダーであった女性が方針を転換してからというものの、彼らの矛先はウルトラビーストのみに注がれるようになった。故に、あくまで部外者でしかない我々よりも確実に、ウルトラビーストの情報を保有している。
次に、実際にウルトラビーストと接触した者。これこそが目の前の少年であり、このアローラのチャンピオンである彼。
百聞は一見に如かず。いくら言葉を並べようとも、触れ合わなくては理解できないものもある。特にウルトラビーストの特徴としてよく挙げられる「異様なオーラ」というものは、当人でなくては感じ取れないような曖昧なものだ。
私はそれをアテにした。彼の得難き経験を基に、ウルトラビーストの捕獲に踏み切った。彼が我々の予想を遥かに上回るペースで苦もなくウルトラビーストを捕獲していったのは想定外ではあったが、それが悪いことでもなし。それ故に私は、彼は彼にしか分からない何かがあるのだと根拠もなく思い込んでいた。思い込まされた。それだけの力が、彼にはあった。
彼には不思議な魅力がある。奇妙なまでの存在感と、それを違和感と感じさせない超然とした空気。そして、彼がいればなんとかなると認識せざるを得ない、一目見ただけで並のトレーナーが絶望するほどの溢れる才能、素質の塊。
それが間違いだったのだ。一つ二つじゃ収まらないほど常識を遥か超越している彼だが、それとこれとは話が違う。エーテル財団ですら持ち得なかった知識量。何かがあるはずだ。何かが。彼がこれだけの情報を得ることができたその理由が。
「リーリエ……」
「ッ──!」
不意に、彼の口から突然飛び出してきたその名前に、思わず身体が『とびはねる』。
反射的に声が響いた方向を見るも、そこにいたのはおだやかな表情で『ねむる』彼の姿。………どうやら先のは『ねごと』だったらしい。
「リーリエ………どこかで──」
どうにも脳裏に引っかかるその名前を復唱するも、やはり心当たりはない。いや、正確にはそうではないはずだ。そうだ、私がその人を知らないだけで、その名前は確か──
「──なんだ。ちったぁ成長したかと思えば、なんも変わってねぇんだな、こいつは。いや、だからこそか。相変わらず面白ぇなぁ。な、あんちゃんよ」
「──」
抱いた疑問。それが確かな形となる前に、クチナシさんが呟いたその言葉と、見たこともない表情が私の心を真っ白にする。
後になってそれは彼なりの『慈しみ』だと思い知ることになるその顔に、私は直前の思考も忘れ、しばらく呆然とするのだった。
☆☆☆
「……えーと、結局、どうしてクチナシさんがここに? それよりも、どうしてバトルなんです?」
「ああ? あんちゃん、しばらくは平気だって言ってたじゃねぇか。あれから半日も経ってねぇのに、まさかこんなすぐ前言を翻したりはしねぇよな?」
「まあ、そうですね。それより、そっちじゃなくてですね──」
「気にするな。──っうのは無理か。だから、強制はしねぇ。やるかやらないか。それはあんちゃんの好きにしな」
「はぁ……」
リーリエを思い起こす、有無を言わさぬ強い口調でクチナシさんが告げる。
はっきり言おう。非常に断りづらい。彼のような人種……つまりはあの人のようなタイプは一度でも隙を見せるとズルズルと利用されてしまうから、後の事を考えるとここでズバッと断るのが色々とベストな選択肢なのだが、それでもほんの少しの要素でさえリーリエが絡むと調子が狂う。
その点、本当にまるでまったく残滓の一欠片もリーリエが絡まないあの人相手ならばその心配もないのだけど、こればっかりはなんとも。下手に矯正すると昔の僕にいつしか戻ってしまいそうで、僕にはどうにもできないのだ。
(………本当に、難儀だ)
今度は決して他人事ではなく、内心だけで重く呟く。結局のところ、これは一種のトラウマなのだろう。これまで考えないようにしていただけ、考える必要さえなかっただけで。
とはいえ、これについては今後も理解する必要はない。誇張ではなく単なる事実として、この世にリーリエがいる限り僕は無敵なのだ。精神的に。ちなみに、こちらについてのもしもは意図して意識していない僕である。
「さて──」
敢えて口に出して仕切り直し、クチナシさんに改めて向き直る。今更だが、なんで彼とバトルする流れになったんだったか。あの時、ほんの少しだけ苛ついて辛辣な言葉を投げたことか、それともいつのまにか寝てしまったことか。その両方か。
一応、建前ではこの勝負に「僕が勝てばクチナシさんはこちらに協力する」ということ、らしいのだが、ぶっちゃけそうなった経緯が謎だし、案外、協力云々は口実で、不敬な僕をメタメタに叩きのめして反省させる気なのかもしれない。
………まあ、クチナシさんはこんなところもあの人と同じで、その真意が非常に読みにくい人、なんだけど。
「ルールは……そうだな。タイマンでいいだろ。流石のオレも、総合力でチャンピオンに勝てるなんざ思っちゃいねぇ。ズルズルと戦えば不利になるのはオレだ。なら、少しでも可能性がある方に、てな」
「了解しました。それでは………ええと、リラさん。申し訳ありませんが、審判をお願いしても?」
「は、はい………それくらい、でしたら」
僕の提案に、どこかたどたどしくリラさんは返事をする。クチナシさんも露骨だったが、この人もこの人でなんか先ほどから様子がおかしい気がする。なんかクチナシさんと知り合いだったらしいし、おそらくはその関係なんだろうけど。
(………まあ、いいか。勝てばいいんだから)
疑問はあるが、面倒になったので放棄する。あんまり無駄に思考を重ねても意味は無さそうだし。
「よし、出番だほしぐも!」
『ラリオーナ!!』
そうと決まれば、遠慮など必要ない。何か『きりふだ』があっても面倒なので、いきなりで申し訳ないが、何かされる前に僕の持ち得る最大の戦力にご登場願う。
モーテル備え付けのフィールド中を飛び跳ねて目一杯はしゃぐ姿は、頼もしさ以上に嬉しさを感じる光景だ。思わずにやけそうになるが、それでも僕の表情筋は一切動かずにいるのはまあ、ご愛嬌ということで。
「…………。ちょっとばかし、待ってもらってもいいか、あんちゃん」
「? ………ええ」
「いや、別にあんちゃんがどうとかじゃねぇさ。こっちの問題だ。──よし。いくぜ、ペルシアン」
『ニャー!』
僅かに引き攣った表情でクチナシさんが呼び出したのは、ママが持つニャースの進化系であるペルシアン、そのアローラにおける姿。
そのポケモンを改めて眺めて、そういえば僕も、アローラで初めてニャースを見た時にはびっくりしたなぁ、とまで考えた後、思考を切り替え両手を突き出す。
「ペルシアン、『イカサマ』だ!」
『ニャー!!』
「…………」
襲い掛かるペルシアンを一瞥し、一度目を閉じてからふぅ、と一息。深々と深呼吸をして目を開ける。
そのまま突き出した手を胸元へ一度戻し、胸の中央で拳を2回撃ち鳴らしてから、再び前方へ。
鋼鉄の意志、はがねZ。その堅牢なる一撃は、世界の壁さえ穿ち、歪める。
「そのポーズは──!」
「──いくぞ、ほしぐも。僕のゼンリョクを、僕の才能を。僕の実力を。僕の持つ全てを。今は君に預ける」
『ラリオーナ!』
僕の持つ唯一無二にして絶対のアドバンテージ。それこそが、この伝説のポケモン、ほしぐもの存在。そして僕にはほしぐもを従えるだけの能力がある。故に、クチナシさんが『わるだくみ』をするより早く、僕とほしぐものゼンリョクの一撃。僕らの経験が編み出したこのわざで、彼を確実に打ち倒す!
「ほしぐも、『サンシャインスマッシャー』!」
『──ラリオーナ!!!』
『ギニャ?!』
「なんだ、こりゃ……!?」
「えっ……?」
その
ウルトラホール。エーテル財団が研究していた異空間への道。僕個人はウルトラホールの原理など何一つ知らないが、ルザミーネさんの起こした事件から、この空間が
ならば、後は簡単だ。いつも通り、そのポケモンの声を聞くだけでいい。見て、感じて、受け止めて、反映する。勿論実際に意味のある言葉として受け取っているわけじゃないけど、意思の疎通くらいならできる。
ポケモンはモノじゃない。これは、僕があの時改めて彼女から教わった教訓だ。その訴えがあったからこそ、僕はこうして、互いの意思を、互いの想いを、互いの絆を常に認識している。
その努力が正しいのか否かはこの際どうでもいいとして、結果的に僕たちは、ほしぐもが持つ固有のゼンリョクわざ──ウルトラホールの生成技術を断片的なれど扱うことができるようになった。それこそが、このZわざ。その名をサンシャインスマッシャー。しかし、これが戦闘以外で役立つような場面は、これから先訪れることがないよう切に願う。
「ルールはタイマン。つまり1対1でしたね。僕もポケモンにあまり手荒な真似はしたくないので、降参していただけると助かります」
「………こっからの逆転は流石に無理、だろうな。わかった。降参する」
何故かニヤリと笑いながら、クチナシさんが試合終了の合図を告げる。
直後、誰にも見えないように小さくガッツポーズをする僕。幾度となく経験したことでも、やはりこの瞬間は嬉しいものだ。立役者が他でもないほしぐもとなれば尚更である。
「今のは、まさか──」
「ああ。これは『ゴーストダイブ』……いえ、『フリーフォール』の異次元版ですね。
いずれはこのわざを改良して、ウルトラビーストを元の世界に──なんてことも考えたりしているんですけど……」
「───」
「………あの、どうかしましたか?」
「い、いえ! なんでも──」
なんでもない。そう言ってるつもりなんだろうが、歯切れも悪いし、どこか様子がおかしい。はて、僕は何か不自然なことを言っただろうか。ウルトラビーストがいわゆる迷子で、手元に元の世界への道を開く可能性があるのなら、それを探求することは当然だと思うのだが。
そのような旨を彼女に伝えると、彼女はその目を限界まで見開き──そして、まるで自分に言い聞かせるような小さな声で、次のように呟いた。
「…………本当に、何でもないんです」
「………?」
その言葉を最後に、虚空を見上げて黙りこくってしまった彼女の姿に、僕はどこか不思議な既視感を抱く。
そんな僕らを遠目に見ていた人物、僕らの事情を知るしまキングのクチナシさんは、苦笑しながら見守るのだった。
サブタイのセリフが誰のものか分かる人はダイゴさん好き。作者もなんだかんだ言って好き。でもリーリエが一番好き。
あと書いてる作者が言うのもなんだけど、現段階でこんなとか、ヨウ君は最終的にどれだけ拗らせるのだろうか……。
まあ、いざとなったらオリシュさんに全責任を被せるのでご容赦を。