ここの司令官となった日の翌日は書類仕事に追われることとなった。艦娘の運用法や判明している深海棲艦の実態、組織の形態や海洋の危険域を示した地図等をひとつひとつ確認していく。初めは新たな事を学べて楽しかったのだが、それをずっと椅子に座り続けて進めていくのは心境を退屈へと移す要因となっていった。
日が沈みかけるころ、私に1本の内線が入った。門番を任せている艦娘からだ。
「〈何用かね?〉」
『大湊警備府から北丸蓮華様がお見えです』
「〈了解した。通してくれ〉」
なかなかに遅い時間の訪問。これは如何なる用であろうか。私は疲れた目を擦りながら1階にある応接間へ移動した。
私が応接間に着くと既に真っ白な軍服を着た黒髪の女性が椅子に座り待っていた。太めの眉の女性に現在赤城がお茶を出して対応している。
「〈こんばんは。そして、今回の突然の来訪、どういったご意向でしょうか?〉」
訳そうとする赤城を彼女は右手で制し、ドイツ語で話し始めた。
「〈どうも、夜分遅くにすみません、ヒトラーさん。私は大湊警備府の司令官をやっている、北丸佳蓮と言います。新任の方に挨拶せねばと思いましてね〉」
「〈本来は私から出向かねばならないところを・・・〉」
「〈いやいや、この鎮守府から出ることが出来ないならば、私から来なくてはどうすると?〉」
「〈確かにそうですな〉」
慎重に言葉を選ぶ。胸や肩の装飾がそうしろと私に訴えてくるような不思議な感覚でもあった。
「〈それに、私はあなたが本当にヒトラーなのかを確かめに来たにすぎません。これは私の興味。完全なる私用ですから〉」
そう首を傾け微笑む。そして、ズボンのポケットからライターと黒い箱を取り出して中から褐色の棒を1本取り出した。
「〈あなたが嫌煙家なのは知っている。だが、私のような人間は煙草を吸わないと死んでしまうんだ〉」
そう言って煙草に火をつける。
「〈灰皿・・・そうか、前任は死んだんだったな。いやぁ、喫煙仲間が減って寂しいよ〉」
「〈で、私がヒトラーだとわざわざ確認しにきたわけを聞きたいのだが?〉」
「〈簡単だ。もしもヒトラーということが事実ならば、君と私、必ず将来敵対するだろうからね。だけど、もしもヒトラーということが事実ならば、君と私はある程度までは共に歩いて行ける。そう思っているんだ。だからこその確認だ〉」
「〈私は正真正銘ヒトラーだ。そうとしか言えぬ。だが、何故私がヒトラーであるというだけで敵対したり共闘したりするのだ?訳が分からぬ〉」
彼女は口から煙を吐きながら、笑顔を浮かべこう言った。
「〈万国の労働者よ、団結せよ〉」
「〈チッ、貴様はアカの人間か〉」
「〈舌打ちなんて酷いじゃないかぁ〉」
「〈黙れコミュニスト!〉 」
声荒らげる私に向かって彼女は絶えず笑顔を浮かべていた。そして、私に煙を吹きかけて言った。
「〈そんなにカッカしないでって。ほら、煙吸ってみて!ほんのりコーヒーの香りがすると思わない?しない?しないか!これね、アークロイヤル・ワイルドカードっていう煙草なんだけどね?ほら、どうどう?フフッ、いやー、やっぱり煙草は吸いませんかぁ〉」
身の震えと鼓動は激しくなり、無意識に拳は血が出てもおかしくない程強く握る。私は黙り続けた。それは相手の話を聞くためでなく、口を開けば憤怒が漏れ出てしまいそうだったからだ。
「〈ほらほらー?・・・ふぅ、からかいすぎました。そして、共闘の可能性ですが、私の目標は共産主義革命。あなたの目標は?〉」
「〈生存権の拡大とかつての報復〉」
「〈両方に必要な行為は戦争だと思いませんか?〉」
「〈戦争?〉」
「〈えぇ、戦争です。この世で最も醜く、この世で最も美しい戦争です。非人道かつ人道的な戦争です!己の神の為に己の神を裏切る行為!後退的で躍進的な行為!過去を壊し未来を作る行為!〉」
「〈それに関しては同意である〉」
「〈でしょ?だから・・・開戦まで共闘しません?〉」
共産主義者に手を貸す借りる。これは好ましい行為ではない。しかし、望ましい行為ではある。やはり関係を持っていた方が良いのか。いや、相手の心中がまだ分からない今、やはりアカと関係を持つことは避けるべきだろうか。私の顔を煙がなぞる。息を吸えば悪臭が鼻腔に充満する。眼前には悪党の顔。
「〈お前とは共闘できぬ。が、同じ職である以上表立った敵対もできぬ。不干渉、これが私の意見だ。さぁ、帰ってくれるかな?〉」
「〈フフッ、帰るよ。また来るけどね?〉」
彼女は出ていった。私はすぐに窓を全開にし、換気をした。外からは遠のく車のエンジン音と海が波打つ音が響いていた。
二度とあのような空気は吸いたくない。私の思いはただ、それだけだった。