「今日は天気がいいわね。ちょっと付き合いなさい」
七夜が雇い主であるレミリアにそう言われたのは、正午を少し回ったくらいのときである。
「はぁ、しかしお嬢様。外は曇り空ですが?」
「いい天気じゃない。わたしが一人でお昼にでかけられるんだもの」
なるほど、吸血鬼は日光と流水に弱い。
曇天が彼女にとってはいい天気ということか。
「畏まりました。お供いたしますが、どちらまで?」
「ボロっちぃ神社よ」
吸血鬼が昼間から出歩いてする事が参拝とは──まったく、確かにあの魔女の言うとおり此処は何があってもおかしくないのか。
七つの夜の幻想郷
03 ふたつの神社、二匹の猫
「──全く、とんでもない」
「ふふっ、殺人貴もそんな顔するのね」
顔を真っ青にした七夜と、上機嫌に笑うレミリア。
紅魔館からこの神社までは確かに歩いていける範囲ではない。まともな人間の足でも一両日かかるだろう。
「空を飛んだ感想はどう?七夜」
「正直、ろくなもんじゃないね──腕がちぎれそうだ」
それが空を飛べば半刻かかるか否か、という程度である。
それは確かに浮遊ではなく、飛ぶという言葉が相応しい速度だった。
「それにしても──」
七夜は改めて境内を見回す。
「ぼろっちい?」
「あぁ、それに狭い……こんな寂れた神社に神頼みなんかして、意味があるのか?」
「神頼み? なにそれ、わたしが神なんかに頼むわけないじゃない。願いは自分でかなえるものよ」
「そりゃご立派で……じゃあ、なんで此処にきたんだ?賽銭ドロボウか?」
「あぁ、それは面白いかも」
クック、と笑いを堪えるレミリア。
「もっとも、ここの賽銭箱を盗んでも賽銭は盗めないけど、ね」
「──どういう意味だ?」
「無いものを盗むのは不可能、ってことよ」
何がおかしいのかレミリアはずっと笑みをこぼしている。
「あぁ、なるほど」
七夜は納得、といった表情で頷いて。
ごつん、と頭に衝撃が走った。
「ったく、失礼な連中ね。冷やかしならお断りよ」
驚いて振り向くと、そこには巫女装束の少女がいつの間にか立っていた。
「こんにちわ霊夢。遊びに来たわよ」
「はいはい。まったく、吸血鬼やらがよりつく神社なんて参拝者が来ないのは当たり前じゃない……で、なにこれ?」
悪びれることなく、霊夢は手にしていた箒の柄を七夜に向ける。どうやら、この箒の柄で七夜の頭を叩いたらしい。
「新しく雇った執事よ。外の世界の人間みたい」
「外の? ……ふーん……」
霊夢は少し興味をもって七夜を見たが、すぐに視線をレミリアに移した。
「あんた、また良からぬ事考えてたらしばくわよ?」
「あら、当てずっぽうで人にそんなこというもんじゃないわよ、霊夢」
どうもレミリアとこの少女は知己らしい、ということはレミリアは彼女に会いに来たということか。
叩かれた頭を撫でながら、七夜は思考する。
(まさか、オレが気配も感じる間もなく叩かれるとはね……)
その事実が既にこの巫女が只者ではないと言うことを証明していた。
まじまじと先頭をきって歩く少女を見る。
歩いてる中、彼女の身体の軸が少しもぶれていない。武道で言うなら達人の域だ。
しかし、歩く所作は武道のそれではない。自然体そのものである。
「まったく──」
不意に、七夜は図書館で会った魔理沙を思い出した。
今のところ彼がこの郷で出会った人間で一番まともな人型は彼女だけだ。
「──なんて、無様」
誰に言うでも無く、七夜は小さく呟いて頭を掻き、二人の後をついていった。
中に入って驚いた。
外観とうって代わって、内装は意外にもきちんとしていたのだ。
「あのねぇ、歴史があるからボロっちぃだけで、貧乏ってわけじゃないのよ?」
七夜の表情だけで、考えていたことが読めたのか霊夢はため息まじりに言った。
もしくは似たような事を思われることが多いのかもしれない。
「っていうか、本当に何のようなのよ?」
お盆に乗せたお茶を配りながら、霊夢が尋ねる。
「最初に言ったでしょ、遊びにきたって」
「ふーん……」
納得しない表情ではあったが、深く追求する気もなさそうだ。
「そういえば、その執事は外の人間なんだっけ?悪いけど──」
「平気よ、霊夢」
「ふぅん……」
そこで会話が途切れ、何故か雰囲気が重くなっていった。
「さて、じゃあ執事は明日迎えに来るから──またね、霊夢」
あぁ、もう帰るのか。執事は明日──って、おい。
「ちょっとあんた。どういうつもりなの?」
混乱して頭が回らない七夜に代わって霊夢が聞く。
「あいつが暴れる気がするのよ。咲夜はともかく、館においておいたらソレは死ぬわ。だから置いていくの」
「──ったく、何が遊びに来ただけ、よ。」
「えぇ、遊びにきただけよ?それで、置いていくだけ。嘘はついてないわ」
言いながらレミリアは背の羽をばさり、と広げる。
「犬や猫だってもう少しまともにおいてかれるわよ」
「人間なんだからこのくらいで十分なのよ、じゃあね。良い夜を、霊夢。粗相をしないようにね、士貴」
そう言うが早いがレミリアお嬢様は飛んでいった。
姿はすぐに曇天の空に溶け込み、あっという間に見えなくなってしまった。
「はぁ……ったくあの吸血鬼は──ま、あんたも仕事してもらうわよ?『働いた者は、食べていい』って言うでしょう?」
にこり、と笑う霊夢の目には有無を言わさない力強さがあった。
「あ、あぁ。だが料理だけは頼られても困る。それ以外は、まぁこの身体なら人並みにはこなすだろう」
「この身体? なに? あなた夢想の類なの?」
「あぁ、人の夢の具現だよ。B級の悪夢だけどね」
「ふぅん……儚いものね」
さして興味が無いのか、霊夢はそれ以上言葉を紡がずにお茶を啜って呟いた。
「──平和だわ」
──
幻想郷には、現在二つの神社がある。
博麗霊夢が祀る博麗神社。
そして、守谷神社。
外から引越しして来た神社であり、それを祀るのは東風谷早苗。
八坂神奈子と洩矢諏訪子という神の風祝にして現人神である。
「──平和だわ」
神社を箒で掃除しながら、早苗は呟いた。
外は生憎の曇り空ではあるものの、小鳥たちが空で歌っているのを見ればそう呟いてしまうのも仕方が無い。
幻想郷は、危険と素敵で満ち溢れているがこんな平穏もたまには悪くない。
「早苗」
「はい、なんでしょう。神奈子さま」
いつの間にか、後ろに神奈子が立っていた。
「諏訪子がどこにいったか、知らないか?」
「諏訪子さま……そういえばお姿が見えませんね」
「地下にでも行ってるのか、ね……」
そう言う神奈子の表情は幾分曇っているように早苗には見える。
「……探してきましょうか?」
「いや、諏訪子が本気で姿を隠したら早苗じゃ見つけられないよ。姿を隠したんじゃなきゃ、帰ってくるさ」
「……」
神である神奈子にそう言われては、従うしかない。
第一に諏訪子が幻想郷に来て以来、彼女が忽然といなくなるということがあったのは、今まで一度や二度では無い。
そして、その心配をよそに彼女はかってきままに帰ってきては、何事もなさげにまた、忽然といなくなるのであった。
「ったく、今度はわたしに内緒で何を企んでいるのやら……」
神奈子は頭を軽く掻きながら、堂の方へと戻っていった。
その後姿を見守りながら、早苗は小さくため息を漏らした。
「近頃勝手が過ぎますと言ったのに……」
以前、早苗は諏訪子にそう言って弾幕勝負を挑んだことがある。
巫女と神という力関係というのは、明確すぎるほどに明確であるが、それでも巫女は神を想うものなのである。
風祝の身として、自身の言葉が神に聞き入られもしないという事が早苗に少し寂しい思いを起こしていることも確かであった。
「おやおや、何かお悩みですか?」
「……今のは独り言だったのですよ」
急に背後から、声をかけられたがこの事も幻想郷に来て以来、一度や二度の事ではないので早苗はすっかり慣れてしまっていた。
「失礼しました。どうも、毎度お馴染み。清く正しい射命丸です」
「それで、本日は何用でしょうか?」
「えぇ。いつも通り取材をして回ってまして──最近お邪魔していませんでしたので……何か変わった事は起きていませんか?」
「べつに、いつも通りですよ」
彼女──射命丸文は鴉天狗であり、新聞記者である。
神奈子曰く、長年生きた妖怪で天狗社会のみならず幻想郷での実力者とのことだがとてもそうは思えない風貌が特徴的だ。
「はぁ、そうですか。矢張り、ネタを提供してくれるのはアチラ側の巫女ということですかねぇ」
「……巫女は話題を提供するのが仕事ではありませんから」
「あやっ、お怒りにならないでください。此方の神社には山の妖怪なら、みんな感謝してますとも!」
彼女が言っているのは、神奈子が以前信仰の拡大の為に起こした核エネルギーによる地域(即ち妖怪の山)の活性化である。
神奈子の方策は的中し、信仰も大いに増大した。
「あ。そういえば諏訪子さまを見られませんでした?」
「おや、神様が神隠しにでもあいましたか?」
好奇の視線でメモとペンを手に文が早苗に詰め寄る。
「いえ、そんな大層なものじゃないですよ。もうすぐ夕飯の準備をしないといけませんから」
「そうですか……うーん、記事にはならなそうですねぇ……見かけましたら声をかけておきます」
そういうと、文はふわりと空に飛ぶ。
「お願いします」
早苗はそういうと文にぺこりと頭を下げた。
「では、いずれまたお会いしましょう!」
文はそう言って、その幻想郷最速と自負する速度を誇るかのように風の様に去っていった。
「はぁ……」
早苗は小さく、吐息を吐いた。
「何も、悪いことが起きないといいのですが……」
──
俺は猫である。名前もある。
『弥太郎』である。残念ながら姓は無い。
野良猫社会において姓というのは一部の有力者のみが付けられる実力者の証明であるのだ。
その代わりに異名がつく。
例えば、『サビ猫の順二』だとか『紅サソリのミィ』などで野良猫社会は呼び合う。
これも野良猫社会で有力になればなるほど、あだ名が付けられていき、そして広まっていく。
ちなみに俺は『キジトラの弥太郎』で通ってる。
茶色と黒のトラ模様っていうだけのあだ名だが、割と気に入っている。
さて──とはいっても、此処は狭い。
いや、此処はというか世間、とでもいうか。
世間で行われていることで猫が知らないなんて事はほとんど存在しない。
山中さん家の献立メニューから、桃置さん家の奥さんの浮気まで、猫情報網(キャットネットワーク)に引っかからない情報なんて、特例がいくつかあるだけだ。
何故、俺達がそれを知ってるかというと、猫は定期的に情報交換をするのが掟なのだ。
この掟に逆らっては、家飼のヤツらはともかく野良ではやっていけない。
古くからの決まりである。
どんな小さく些細な事も、報告するのだ。
爺さん猫の、その爺さんの爺さんの爺さんの……ずーっと昔からの決まりだと、そういわれた事がある。
ここでいい情報を提供したりすると名前が売れ、異名が広まり、リーダーに選ばれて、更に霊力に目覚めたりまでいくと妖獣になったり出来る。
一般的な野良猫の出世街道はこういう仕組みだ。
勿論、俺も出世したい。
が、結局今日の定例会までにいいネタは探せなかった。
今日報告するべきネタで受けが良さそうなのといえば……
(山の天狗と河童の大将棋の決着くらいか……)
イイネタ、とは言えないが……まぁそこまでまずくも無い。
そう思案しながら、川原の集会所に向かう最中──嗅いだ事の無い臭いを、嗅いだ。
(猫だ!)
俺はすぐさま、その臭いが猫の臭いであることに気がついたが──記憶をどう呼び起こしても嗅いだ事の無い臭いだ。
……いや、俺だって野良猫社会の全ての猫を知っているわけではない。この近辺で居ない、というだけの話だ。
(縄張り違反か……)
ここいらはハットリが仕切るハットリ組の猫の領地である。
隣接するのは、リュウゾウジ隊とシマヅ集──それとエドガー軍団が近接する組織だ。
その、何処いらの若手猫ともあれば俺が臭いを知らなくても無理は無い。
(が、縄張り違反は大きなネタだぜ)
そう期待に胸をこらし、風下から様子を伺う。
(死んでる……!?いや、衰弱してるのか……?)
雪の様に白い猫が、苦しそうに横たわっている。
「お、おい!大丈夫か!?」
同胞の思わぬ危機に、俺は駆け出していた。
白猫の返事は無い。ただ、苦しそうな顔のまま、こちらを見た。
ぞくり、と背が震え尻尾が立った。
(直感でこの猫が、只者じゃないということを理解した)
まるで、『氷のような赤い眼』
これ、は──自分の手に追える話ではないッ!!
俺は集会所へと、最速で走っていった。
「ふむぅ、それではぁ、きょうはぁここまでとぉ、しようかのぉ……」
集会の閉会の音頭をとったのは服部満蔵──現在の高齢でふくよかな体系と、間延びした喋り方からは想像もできないが若い頃は『鬼猫満蔵』などと呼ばれるほどの武闘派だった猫である。
「ふむぅ、たいしたぁ、じけんもなくぅ、へいわじゃのぉー……」
──結局、弥太郎は白猫の話を告げなかった。
今も、この瞬間すらも彼にはその理由が分からない。
告げる事が、何故だかとても躊躇われている。
「ちょっとまったぁ!」
少女が、集会所に乱入した。
「はぁ、間に合ったよぉ。やっ、みんなコンバンワ」
人間の少女の形をしているが、彼女の名は『橙』。
『八雲の家』に属する猫の妖獣でこの猫たちの統率者である。
「うおぅー、おおきく、なったぁのぉーちぇんー」
「ありがとっ! 満蔵お爺ちゃんも元気そうでよかったよ!あ、今日はへんなことなかった?」
「ほうこくすべきことはー、とくにないのぉー……」
「んー、そうなんだ? おっかしいなぁ……」
その声を聞いて、弥太郎は心臓を口から吐き出そうになった。
「んー? おかしいかぁのぉ?」
「んー……おかしいっていうか」
橙の二つある尾がゆさゆさと揺れる。
しばらく、彼女は腕を組んで唸っていた。
「やっぱりアレかなぁ、紅魔館の姉妹喧嘩かなぁ……」
ピタリ、と揺れていた尾が止まる。
「うん、分かった! みんな邪魔してごめんね! バイバイ!!」
橙はそう告げると、来た時と同じように風の様に去っていった。
呆気に取られるだけの猫たち一同だが、弥太郎だけは事態の重要さに気付いた。
(──橙さんは、あの白猫を探してるんだ……!)
直感だが、確信した。
(だけど、白猫だと知っているならそう聞けばいい……橙さんが『おかしいこと』としてしか聞かなかった理由は……? 橙さん……いや、もしかしてその上の『八雲の妖怪』も把握しきれない何かが起こってる──?)
集会が終わった帰路の最中でも、弥太郎の脳みそは回転をし続けている。
(まさか──)
弥太郎は自分の考えを打ち消すかのように、かぶりを振った。
『八雲の妖怪』といえば、幻想郷を管理する伝説の妖怪である。
その様な妖怪が、まさか一匹の猫に遅れを取るはずが無い。
しかし、心はざわつくばかりである。
弥太郎は決心し、白猫の様子を伺いにあの場所へ戻ることにした。
臭いや気配を悟られぬように、弥太郎は前回と同じ場所から白猫の様子を伺う。
木々と茂みに身を隠す、野良として生まれてきた弥太郎は気配を消す事を得意としていた。
今回も完璧に気配を消している。
その、筈だった。
弥太郎が眼を白猫に向けた瞬間、白猫は振り返りその紅い眼と合う。
ぞくり、と悪寒が尻尾の先まで伝わったのに弥太郎は逃げる事すら出来ない。
「おかえりなさい」
可憐な声で白猫は喋り、ニンゲンの様な笑顔を浮かべた。
弥太郎は、恐怖と混乱で思考が麻痺しながらも猫は笑顔にならない方がいいと思った。