軽率な人間の軽率さはあらゆる場面で表れるけれど、戸をノックする音にもそれが表れるとは思っていなかった。
何でも屋などと名乗る怪しい部活の本拠地に来て、「出来ることなら段階ごとすっ飛ばしたい」と言わんばかりの高速連打でノックをする人はそうそういないだろう。
「どうぞ」
部室と廊下を隔てる横開きの戸が開くと、そこに立っていたのはいかにもカーストとコミュ力の高そうな、茶髪の長髪ストレート系女子だった。
そして彼女の顔を見た瞬間、私は「まずいぞ」と焦り始める。別に彼女のようなタイプが苦手なわけではない。表情から察して友好的ではない……なんてこともないし、彼女に関する悪い噂を聞いたことがある……というわけでもない。
私が焦っているのはむしろ、何かを知っているとか感じたからではなく、その逆だ。
「失礼しまーす」
つかつかと入室してきた彼女は、私が座る位置から真正面にある席を指さすと小声で「いい?」と聞いてきた。当然うなずく。
彼女が座ったのを確認して、私は意を決して賭けに出る。「これで何事もなく通ってくれ」と祈りを捧げながら、心をこめて事務的な言葉を紡いだ。
「クラスと名前を教えてもらってもいいですか?」
いつも通り……と言ってもそう多くあることではないけれど、流れでメモ代わりのノートを開きつつ聞く。
が、ダメだった。
「えっ?」
彼女は私の言葉に面食らった様子だった。
「いや、決まりなんですよ。名前くらいは聞いておかないと」
あくまで事務的に、致し方なくやっているのだという体を強調してみる。
「えっ、あー、そうなんだね。……え、でも絹川ヨルさんだよね?」
名を確認されて正直もうダメだと思ったけれど、一応平静を保って答えておく。
「はい、絹川ヨルです」
直後、とどめの台詞がついに放たれた。
「同じクラス、だよね……?」
「……すみません」
その人に興味がなくても人間の顔というものはなんとなく記憶に残るけれど、名前はそうでもなくないだろうか? たぶん、視覚的に訴えてくる物じゃないからだ。聴覚から来る情報は、視覚から来る情報より記憶に残りづらいのだ。お願いだから、そういうことにしておいてほしい。
「いやいや全然。ええと、クラスは絹川さんと同じA組。名前は
「ヤモサハラさんね……」
入念にメモを取っておく。この「二度と忘れるものか」という気持ちはなんだか、神経衰弱をしている時の物に似ている。
「はい、八方佐原です。改めてよろしく」
「よろしくお願いします」
改めてという部分に圧を感じたので「お願いします」と言うのと同時に軽く頭を下げておいた。伝わらないだろうけど、頭を下げることにはごめんなさいの意もあった。世界一自己満足で何も生み出さないごめんなさいだったと思う。
しかし、私がぺこりと頭を下げたことの何かが面白かったらしく、八方佐原さんは楽しそうに笑っていた。
「……で」
なんとか危機を脱した気持ちでいっぱいだけれど、まだ何も始まってはいない。彼女も私と仲良くなりにここへ来たわけではないはずだから。
「今日はどんな御用で……?」
「ああそうだ。聞いてよ絹川さん」
なぜかぐいっと顔を近づけてくる八方佐原さん。
「
こっくりさんって知ってる? みたいなノリだった。誰に聞かれたからどうというわけではないはずの話を、ここだけの秘密とでも言うようにひそひそ小声で話している。
「いや、知りません」
「そっか。うん、そうだよね。むしろよかった」
「よかった……?」
「その夜鳥青葉って人は、わたしたちと同じ学年で、別のクラスの女子のことなんだけど。わたしの名前も覚えてない絹川さんが、他クラスの人の名前覚えてたらちょっとショックでしょ? だからよかったって」
あはは~と楽しそうに私の失態を蒸し返す彼女を見て、ああもしかして腹黒いタイプなのかなと思った。漫画でちょくちょく見かける、わたしたち友達だよねってセリフで気の弱い子を追い込む系の女子みたいな。
「いや、名前のことは本当にすみませんでした」
仮に腹黒いタイプだった場合目をつけられたら面倒なことになりそうなので、気持ちだけは土下座をするくらいのつもりで謝っておく。
その心が伝わったのだろうか。八方佐原さんは「なにそれ、かたっ!」と言って笑っていた。
「冗談だってば、気にしないで。ていうか絹川さんなんで敬語なの?」
「……なんとなく?」
「えーおもしろ」
おもしろ、と言われたらとりあえず笑っておくしかないけれども……。
今現在の私は、八方佐原陽という女子が何者なのかイマイチ図りかねている。彼女の発言の由縁は腹黒さからなのか、それとも反対に全然深く考えていないのか、どっちなのかまるでわからない。
けれども今、どうしてもそこを正しく理解しなくてはいけない……という理由もない。じゃあ保留でいいか。
「それで、その夜鳥って人がどうかしたんですか?」
脱線した話を元に戻す。すると彼女も真剣な雰囲気を醸し出しはじめた。
「どうかしたっていうかね。うん、それについて頼みたいことがあったから来たんだけどさ」
暗殺の依頼でもするかのように神妙に、少し眉をひそめて彼女は言う。
「絹川さんって、秘密は守れる人……?」
彼女がその言葉を軽い気持ちで私に向けているのか、それとも今私は本気で問われているのか。どちらとも断言できない。真剣なようで、次の瞬間にはまた「聞いただけじゃんか」と笑い出す気もする。
別のクラスにいるらしい夜鳥青葉という同級生を知っていれば、少しは彼女の、八方佐原陽の真意も察することができたのだろうか……? ……どちらにせよ、私が口にできる答えは一つしかないのだけれど。
「守りますよ。それが出来ないと、この部活やめなきゃいけなくなるので」
「あー、それもそうか!」
うっかりしてたぜ、と言わんばかりの茶目っ気を含んだ笑みを浮かべた彼女が、はたして今のやり取りで私のことを信用したのかはわからない。というかそもそも、大きな信用が必要な案件を抱えて来ているのかどうかも不明だ。
けれども、とにかく事実として彼女は話を進めた。
「じゃあ今から言うことは絶対に秘密にしてほしいんだけど、いい?」
「もちろんです」
言っておいて、逆の立場なら絶対に信用できない言葉だなと思った。
「あのね、夜鳥さんのことを調べてほしいの」
「……というと?」
まさか男女関係のことじゃないだろうな……と思ったけれど、実際の依頼内容は明後日の方向を向いていた。
「彼女の一人称がおかしいんだよ」
衝撃の事実を打ち明けられたような、雰囲気だけはあった。
……しかし、これは当然のことなのだけれど、一人称がおかしいとかそんなこと言われたって、全然まったくピンと来ない。「ふーん」である。
むしろ同じクラスの人間の名前さえ満足に覚えられない私にとっては、よく他クラスの人間の一人称なんか把握しているなと感心してしまうくらいだ。記憶力の問題ではなく、何か印象に残るようなエピソードが二人の間にあったせいで、そのおかしな一人称とやらを覚えたのかもしれないけれど。まあ正直そのあたりはどうでもいい。
「はあ、一人称ですか」
いかにもピンと来ていなさそうな間抜けな相槌を打つ私に、八方佐原さんはとどめの一撃とばかりに、若干のどや顔でその詳細を口にした。
「自分のことを、「我々」って呼んでいるの」
……しばらくの沈黙。それは落語のオチが理解できなかった時のような、自分と相手の両方に何かしらの落ち度を疑う時間だった。
私はなんとか会話を続けるべく思いついた端から言葉を投げかけてみる。
「……IではなくWeだと?」
「そうなの」
「常に近くに友達がいるとか、おそらく多数派だと思わしき意見について話していたというわけではなく?」
「確実に一人で、ただの日常会話で、だよ」
想像してみる。「この筆箱を落としたのは誰だ」と声高らかに聞きまわる人がいたとして、その人に「あ、それは我々の物です」と宣言する一人の女子の姿を。明らかに一人で、どう考えても一人称がおかしい場面というと、そんな感じだろう。
……正直今まで、「あの子、女なのに自分のこと「俺」って呼ぶんだよ」みたいな話を聞かされた時の、ふーんそれで?感を抱いていた。しかし真剣にシュミレートしてみると、一人称が我々というのは確かにおかしい。自分のことを俺と呼ぶ女子より遥かに目立つ。
「それは奇妙ですね」
「でしょう? だから絹川さんに調べてほしいの。夜鳥さんが、なんで自分のことを我々って呼んでいるのか」
「……ええと」
一人称単数形がなぜか「我々」になっている人を見たら、誰だって奇妙に思うだろう。その人の名前くらいその場で覚えてしまうかもしれない。
けれども、だから「真相を知りたがる」ことが普通かと言われると、誰だってそうするのかと言われると、それは違うはずだ。というか私だったら絶対に「不思議だな」と思うだけにとどまって、真相が知りたいとは思いもしない。
ということは彼女、八方佐原陽には何か特別な「理由」があるはずなのだ。夜鳥青葉という女子がなぜ自分のことを我々と呼ぶのか。その訳を、人一倍知りたがるに足る理由が。
「一応聞いておきたいんですけど、なぜ夜鳥さんの一人称についてそこまで知りたがるんですか?」
その理由がもし夜鳥青葉という人間にとってクリティカルな秘密であった場合、私はそれを暴くことを依頼されるのだ。訳も分からずに安請け合いするわけにはいかない。
「え? なんでって、…………興味本位?」
「……それでわざわざ私のところへ?」
「ダメだった?」
腹の探り合いとはこういったことを言うのだろうか、と思ったけれど、私だけが勝手に探っている気になっているだけのような気もする。
こんなことなら自分と同じクラスの人間のことくらい、今までによく観察しておけばよかったと安っぽい後悔を覚えた。どうやらこの何でも屋というシステムを取り仕切るには、私には不向きな面があるようだ。情報収集という面において、私には絶対に適正がない。
けれども、それで構わない。これは仕事ではないのだ。金を取るわけでもなく、成功を約束するわけでもない。この部活はまったく高尚な物ではない。不向きな面があったからなんだという話なのだ。
それについてはちゃんと依頼主についても説明しなければならない。それで「嫌だ」と言われれば、じゃあ交渉決裂でという結論に至るだけ。それでも全然良いのだ。
「いや、ダメってことはないですけど。でも一つだけいいですか?」
「うん」
「一人称の謎について調べるためには、私は探偵でも何でもないので、本人にそのまま聞くしかありません。もちろん八方佐原さんの名前は絶対に出しませんけど、それでいいですか?」
「うん、いいよ」
「私には何の権限もないので、聞いてみて夜鳥さんから「教えたくない」と言われたら、その時は諦めますけど、それでもいいですか?」
小難しい策を弄して意地でも一人称の謎を解きたがるとか、そんなことをするつもりには到底なれない……というかそれはそもそも不可能だ。策をめぐらせる能力も私にはない。
私の「精神に痛みを感じない」という特性は、聞きづらいことを直球で聞くということくらいにしか使えず、それが今回私にできることの全てなのだ。それでダメならもう打つ手はない。
「うん、いいよ。つまり私のかわりに絹川さんの名義で、なんだか聞きづらいことを聞いてきてくれるってことでしょう?」
「そうなりますね」
「感謝してもしきれないくらいだよ」
それはどう考えても言い過ぎだった。まだ結果も出ていないのに、結果が出たとしても大げさすぎる言葉をかけてもらってしまった。
「じゃあ、はい、了解しました。できるだけ早く聞いておくので、結果が出たら教えますね。同じクラスですし、普通に教室で声かけるとかでいいですか」
「うん、わかった。よろしく!」
そうして最初から最後まで楽しそうな笑顔で、まるでもう私たちが友達になったと思っているような顔をして、彼女は部室を去っていったのだった。
「というわけで、夜鳥青葉って女子のこと知ってる?」
次の日の放課後。部室で椅子に座っているのは私一人だけではなかった。私の隣にいるもう一人は八方佐原陽ではなく、もちろん夜鳥青葉でもない。
彼の名前は
「知ってるよ。自分のこと我々って呼ぶ人でしょ?」
知ってるんかい、と若干の呆れを覚える。知っていることを期待しておいて我ながらひどい話ではあると思うけれども。
優秀とは程遠い人間である私、絹川ヨルだけれども、だからといって今回、夜鳥青葉にそのまま突撃するということはしなかった。偶然にも、優秀な協力者が傍にいてくれたからである。
適材適所という言葉があるように、人の才能というのは千差万別であり、人の名前もロクに覚えられない私に比べられては彼も不本意かもしれないけれど、とにかく情報に関しては彼、砂切流の方が遥かに優秀だ。ただし、「女子の情報」に限定した場合の話だけれども。
とにかく、そんな人物がせっかくとてつもなく身近にいるのだから、協力を仰がない手はない。
「そう、その自分のことを我々って呼ぶ夜鳥青葉。その人がなんでそんな一人称使っているのかは知ってる?」
「いや、それは知らない」
これは予想の範疇だった。さすがの彼も量子コンピューターが如く、謎に無限の情報を蓄積している最強キャラではないのだ。変わった女子がいることだけは知っていても、詳しいところまでは知らない、それくらいで自然である。むしろ全てを知っていたら、今私はそれなりに引いて……もとい驚いていただろう。
なぜ彼が女子の情報について詳しいのか。それは時代の波に乗って、堂々と女装しつつ学校に通う彼ならではの理由がある。その理由とはざっくり言って、彼が女性のことを全体的に好いているからだ。
彼の性自認は体の性別と同じく男である。だから彼は男として女の私と付き合っているわけだけれど、しかし彼は自分を男と自覚した上で女物の服を着ている。女子の制服を着ている程度のことはむしろおとなしい方で、彼の私服はレースだの何だのがフリッフリの、過剰に女の子らしい物が多い。
要するに彼はとにかく女性が好きで、好きすぎて自分もそんな恰好を選んでいるらしい。ついでに言えば彼は「男性」について全般的に、女性に対しての時と正反対かつ明確に嫌っている。男らしい恰好をしたくない理由にはそのあたりも含まれているのだろう。
しかし、では「女性が好きだから」「男性が嫌いだから」の二つの理由のうち、どちらがより重要なのかという話になると、それは間違いなく女性が好きな方の性質だと私は断言できる。なぜ断言できるのかといえば、砂切本人が自らそう断言しているからである。
幸いにも、あるいはこれがいわゆる運命なのか、彼は容姿も体つきもほとんど女性にしか見えないので、女装したとしてもその姿は純粋に可愛くなる。私がなにも知らない人に何の説明もせず「私はこの人と付き合っています」と宣言すれば、きっと私はその人から同性愛者なのだと思われるだろう。
しかし、そんなかわいらしい容姿に騙されてはいけない。彼は間違いなく男なのだ。そして彼は、女子に関する噂や情報について妙に詳しい。今回の夜鳥青葉の件だけを見れば偶然に思えるかもしれないけれど、しかしなんやかんや言って、彼が同校の女子に関する話題で「全然知らない」と言ったことは一度もないのだ。
彼が女物の服を好むのは「女になりたいから」ではない。男として、女性が好きだから……が正しい理由だ。……そう、おかしいのである。いかに女好きな男性でも、じゃあ女物の服を着ようという話にはならない。付き合っておいて何だけれど、そしてディスる意味はまったくないのだけれど、しかし客観的に見ればやはり彼の、砂切流の感覚はどこかおかしい。
そんな彼の情報収集能力に、はたしてやましい気持ちは一切含まれていないのだろうか? 怪しいもんだな、と私は常に考えている。
「夜鳥青葉はなぜ自分のことを我々と呼ぶのか。依頼を受けたからには、私はこれを探りに行かなければならない。しかし私のような人間が突然「教えてちょ☆」と向かっていったところで、事が上手く進むだろうか? いや、そんなことはあり得ない」
「何その国語の授業みたいな、反語?」
「私が昔、同じクラスの人たちになんて言われてたと思う?」
昔というのは中学時代のことだ。砂切と知り合ったのは中学で同じクラスかつ隣の席になったのがきっかけだったけれど、高校生となった今や、校内で親しいと呼べる関係の人間は同じ高校を選んでくれた彼一人しかいない。
私はリア充でありながらぼっち一歩手前に立っている、我ながらなかなか特殊なタイプの人間なのである。で、そんな人間が中学時代なんて言われていたのかというと。
「寄らば斬る! みたいなオーラ出してるってやつ?」
「そうそれ!」
「絹川さんそれ若干気に入ってるよね」
「うん。若干というか、かなり」
今までいろいろなことを言われてきた。目つきが悪いとか、いつも不機嫌そうとか、話しかけるなオーラが出てるとか、話しかけたら殺されそうとか、一匹狼感があるとか、まあいろいろ言われてきた。その中で「寄らば斬るみたいなオーラが出てる」は一番面白かった。だから好きだ。
目つきが悪いのは事実だし、別に不機嫌ではないのだけれど、例えば最近会った人に例えるなら八方佐原さんみたいな、愉快そうなオーラを出すことなんか滅多にないことは自覚している。ぼっちという名の一匹狼でも、たぶんそれなりに生きていけるだろうなとは自分でも思う。そして話しかけるなオーラに関しては、何でも屋なんて部活をやっていることから察してもらえると思うけれど、別に全然話しかけてもらって構わないのに、なぜかそんなオーラが出てしまっているらしい。
そんな中で「寄らば斬る」である。他の言葉がシンプルに悪口であったり心外である物だったりした中で、寄らば斬る関しては悪口とかそういう範疇を飛び超えて「なんじゃそりゃ」と笑えるのでかなり気に入っている。
次に自己紹介する機会があったら「寄らば斬るみたいなオーラが出てるってよく言われますけど、斬りません」って言ってみたい。
「前から気になってたんだけど、なんで気に入ってるの……?」
「面白いから」
「いや、面白いかどうかで言ったらそうだけどさ……」
ちなみにそんな私を避けるどころか懐に潜りこんできた彼氏いわく、寄らば云々のキャッチコピーはかなり的を射ているらしい。彼でさえ客観的に見れば私のことはそう見えるらしいので、だとすればよく私と付き合おうと思ったなと単純に感心してしまう。告白してきたのは彼からなのだ。
「で、そんな私が突然夜鳥氏に話しかけたところで、相手にしてもらえると思う?」
「さあ……?」
「無理なんだよ。だから君が行くの」
砂切の肩をぽんぽんと叩く。「は?」って顔をされた。
「え、行くって、僕が聞きに? なんで自分のこと我々って言うんですかって?」
「そう」
「絶対教えてくれないでしょ」
「少なくとも私よりは可能性ある」
彼が実は男なのだと相手に知られていようと知られていなかろうと、一匹狼タイプに見える私が行くよりは、人当たりのよさそうな砂切が行った方が絶対に成功率は高い。断言できる。特に女子、それも同年代に対する砂切のコミュ力は確実に私より強い。
「少なくともって……。油断すると人を駒扱いし始める絹川さんのそういうところ、嫌いじゃないけどね」
「だめ……?」
「そういう目をするのは卑怯だ」
これはもう何年か前に覚えた技なのだけれど、砂切は私の放つ「おねがいオーラ」に弱い。一匹狼とか言われる私でもその気になればそういうオーラくらい出せるのだ。
「卑怯でもいいから行ってきて……?」
「いや、一回落ち着こう絹川さん。何も初めから直接行くことはないでしょ」
余談だけれども、付き合って数年経った今も彼は私のことを絹川さんと呼ぶ。一度そろそろお互い下の名前で呼んでみてはと言い出した時期はあったのだけれど、落ち着かないという理由で今の形に戻っている。
女性が好きという彼の性格的性質が本物であることは、私もいくどとなく確認を済ませているところなのだけれど、そんな彼に「彼女にした女性を下の名前で呼んでみたい」という欲求はほとんどないらしいのだから不思議だ。
「初めから行くことはないって、どういうこと?」
「最初に手紙か何かを出して、そもそも話をする意思があるのかどうかだけでも確認すればよくない? お互いの心の平和のために」
「なるほど……」
お互いの、というよりも、夜鳥さんの心の平和のためにということなら賛成だ。仕事でも何でもない活動のために、人に無駄な迷惑をかけるのは出来る限り避けたい。
そこで、自分が「話しかけられる側」の立場になったと仮定して考えてみる。廊下で突然知らない人に声をかけられることと、どういうわけか手紙が手元に届くことと。
……いや、どっちも似たようなものだろうと思ってしまうのは、私がおかしいのだろうか。別に廊下だろうと道路だろうと、知らない人に話しかけられたからってメンタル的にどうってことはなくないだろうか……?
しかしまあ、一度砂切に依頼の遂行を投げたからには彼に従ってみよう。
「まあ、それがいいって言うならそうしてみてもいい」
「よし。じゃあ手紙はどうやって出す?」
「どうやってとは?」
「まさか郵便で送るわけじゃないでしょ? なんかそれは怖いし、ていうか住所知らないし」
手紙と言われて私が想像していたのは、女子が授業中にスレッドの役割を果たす小さな紙切れを回し渡していくアレだったので、郵便と言われてハッとした。
「もしかして砂切くん、君、ロクに考えず手紙って言いだした?」
郵便なんかで送るわけがないのは私も同意見だ。そもそもその線を考慮していなかった。この状況で手紙と言われたら直接自分で渡すか、誰かに渡しておいてくれと頼むか、もしくは夜鳥さん本人が必ず見る場所に置いておくかのどれかだと考えていた。
誰かに頼む説は頼める相手がいないので却下としても、とにかく郵便は本気で意識の外だった。その郵便が真っ先に出てくる奴が、真剣に手紙を渡そうとしているとは思えない。だって本人が言った通り、そんな手紙が郵送されてくるのがどう考えても一番怖い。私でもわかる。
「いや、ちがう、手紙とかどうかなーって、パッと思ったんだよ。手紙じゃなくてもいい。とにかくまずワンクッション置いてみたらどうかなって」
「で、その具体的な方法は?」
「……これから考えよう」
砂切のその言葉を受けて、顧客リストという名のメモ代わりにしていたノートの、後ろの方からまっさらなページを一枚、出来るだけ綺麗に切り取る。そしてそこに簡単な、あるいは雑な文章を書いて、外からは内容が見えないように何度か折りたんだ。もちろん、それも出来るだけ綺麗に。
「……え、何してるの?」
私があまりに当然のように、なおかつ流れるように作業を始めてそして終えたので、砂切もツッコミが遅れたらしい。狙い通りだった。彼は、私の行動に割り込むのが得意ではないのだ。
「手紙を書いた。今からこれを下駄箱に入れに行く。ついてきて」
「えっ」
古典的だとは思う。というか、それはラブレターのやり方であって、このケースにそのやり方が正しいのかどうかはわからない。
けれど「上手いやり方を考える」よりはマシだと思う。依頼主にも言った通りこれはやるだけやってみる依頼であって、要するにダメ元なのだ。依頼主にそれを伝えたのなら、この依頼に巻き込まれる方にもそれを伝えた方がいい。別にこちらは必至ではないので、断ってくれて全然大丈夫ですと、暗に伝えておいた方がいい。
今時下駄箱に手紙を入れるなんて、それが本気のラブレターであってもどうだろうかというくらいなのだ。それがラブレターとは似ても似つかない何でも屋からのメッセージなのだから、気に入らなければ無視してくれればいいだけだ。
手紙を持って廊下に出ると、放課後ということもあり都合よく人通りはほとんどなかった。これなら下駄箱に行って手紙を置きに行ったところで、誰かに見られて変に話がこじれることもないだろう。
すたすたと早歩きで廊下を抜けようとしていると、砂切が小走りであとを追いかけてくる。
「ちょっと待ってよ、手紙にはなんて書いたの」
「A組の絹川ヨルです。夜鳥さんの一人称について詳しく知りたいので、よければ放課後、何でも屋の部室に来てください……って」
「バカ正直すぎる!」
それは私もそう思ったけれど、変にぼかして「聞きたいことがある」なんて書いたら絶対怖い。私なら「あ、行ったらシめられる」と思う。だったらバカ正直の方がマシだ。これで彼女が来なければ、当初の予定通り諦めるしかないのだから、依頼の遂行にも支障はない。
「こうするしかないでしょ。変に「なぜ呼び出すのか」をぼかすと余計怖くなるし」
「いや、呼び出される時点で怖いよ。僕なら「行ったら終わりだ」と思うよ。むしろ行かなくても終わりかもしれないくらい思うよ」
「じゃあどうしろと?」
「……いやそれはわからないけど」
「でしょ?」
そもそも手紙をと言い出したのは彼だ。いざ出す段になって怖気づかれても困る。が、まあ言っていることにも一理ある。
要するにこの手紙は、急に声をかけて「おいちょっと面貸せや」みたいなプレッシャーをかけないように出すわけだけれど、それは直接そう言われるよりはおそらく幾分かマシだろうという仮定のもとに出された結論だ。どちらにせよ怖いものは怖いと言われたらそれまでではある。
……だんだんと、そもそもこの依頼を無難に遂行しようという考えがおかしいのだという気になってくる。もっと言うなら、他人の一人称について詳しく聞き出そうって試み自体がおかしいのではないか。それを言ってはおしまいだけれども、でも変なものは変だ。それをどう取り繕おうとしても、無理なものは無理なのかもしれない。
私に策を弄する能力はない。それは元々知っていたけれど、今はなんというか、だんだん正気を取り戻してきて踏みとどまりかけている変質者になったような気持ちだ。
「砂切の言うことにも一理ある」
「で、でしょ?」
「でも、このままでいい」
砂切が私の顔を覗き込んでくる。正気を疑われているのかと一瞬思ったけれど、どうやらそうではなさそうだ。
彼は何か私の中で、絶対に覆ることがない結論が出たことを察知したらしい。そしてそれについての説明を求めているのだ。
「元々無理なんだ、人の一人称について、いろんな過程をすっ飛ばして聞きだそうなんてことが。私たちが依頼のためにやるべきことは、断られることなんだ、きっと。断られて、やっぱりダメでしたと依頼主に伝えて、それで終わり。それが正解」
部活としての何でも屋は、金のためならなんでもやる組織なんかじゃあない。むしろ部活なのだから一切金銭は要求できないし、何か問題を起こせばこんなわけのわからない、教師陣の道楽で存在が許されているような部活は即解体されるだろう。
だから当然、依頼の達成を約束することはできない。何がなんでも成功させますなんて口が裂けても言えない。出来ませんあるいは出来ませんでしたが平気で起こる。それは私もしっかり相手に説明しているつもりだし、正直むしろ説明されなくても薄々察しておいてほしいくらいには思っている。向こうも同じ高校生だ、まさか本気で何でも願いを叶えてくれる存在が部室の中にいるだなんて思ってはいないだろう。そう信じたい。
だからこの依頼の結末は、この手紙を下駄箱に入れておしまい。それ以上は何も起こらならい。それでいいのだ。
「絹川さんがそう言うなら、それでいいと思う」
相方の同意も得られたところで、最後にまた彼の力を借りておしまいだ。
「ありがとう。じゃあ手紙を入れるのは、メイちゃんに任せてもいい?」
「うん」
彼の了承を得ると同時に、目の前に鋼色の金属で形作られた、人魂のようなものが現れる。私が指先で挟んだ手紙をそれに手渡すと、それは器用に手紙だけを自身の中に取り込んだ。
この金属生命体、通称メイちゃんこそ、砂切の有する異能力Nである。ざっくり言って、無敵の金属生命体を従えるのが彼の能力だ。
夜鳥さんの下駄箱の位置が具体的にどこなのかは、彼女の出席番号を知らなければわからない。しかしクラスが何組であるか程度ならともかく、さすがに出席番号までは砂切も知らないので、肉眼で捉えられない速度で動けるメイちゃんに手紙を持ってここで待機してもらい、明日の朝、夜鳥さんが下駄箱を開けると同時に手紙を中に入れてもらう作戦をとるのだ。
異能力の概念が存在しなかった時代なら、軍隊相手でも余裕で壊滅させられただろう最強の金属生命体を、この上なく贅沢な使い方をする作戦だ。
「よろしくね」
宙に浮かぶ金属を撫でると、その端っこが親指を立てたグッドサインの形に変形した。言葉は砂切相手に限定されたテレパシー以外話せないようだけれど、相変わらず器用に意思疎通をとってくれる。いや、紙とペンがあればいつでも筆談はできるのだけれども。
「じゃあ帰ろうか」
依頼は終えた。今日はもう帰ろう。そして明日の放課後に夜鳥さんが現れないことを確認して、明後日になったら八方佐原さんに「話は聞けなかった」と報告して終わりだ。
私も砂切も部室に置いてあった荷物を一度取りに戻って、それからいつも通り下駄箱で靴を履き替えて外に出た。外履きを取り出した時に自分の下駄箱を見て、ああたしかに、ここに手紙なんか入っていたら、たまったものではないなと思った。
いつも見る場所に、明らかにいつもとは違う物が入っていると、それは非日常への切符に見えるだろう。少なくとも私のような人間は、その非日常が良い物だろうとは予感しないだろう。むしろ逆で、身構える。
その点について夜鳥さんにはもう、運が悪かったと諦めてもらうしかない。本人がそれに抗議してきたなら、その時はもう、どうにかして許しを乞うしかない。
後日、砂切と二人部室で、来ないであろう待ち人を待ちながら暇つぶしに最近見たアニメの感想を語り合っていた。語り合うというか、ほとんど私が話して砂切が聞く形になっていたけれど。
今までずっとつまらなかったけど半ば意地で見続けていたアニメが、急にちょっと面白くなったかと思えば、また元通りのくそつまらない状態に戻りつつある。そんな悲しい話をしていた時だった。
コン、コン、コン。丁寧に、ノック音が三回鳴った。
「……まさか」
小声とアイコンタクトで砂切と、今私たちが同じことを考えていると確かめ合う。
八方佐原さんが突然客としてここを訪れて来たように、この部室への客はいつも突然やってくる。予約のシステムなんか用意していないのでそれは当然のことだ。だからこのノックもまた、新しいお客さんの訪れを知らせるものなのかもしれない。
しかし本来、何でも屋なんて怪しい部活にそうそう客は来ない。一週間のうちに二人なんて絶対にあり得ないと思っていた。
だから実際に、あり得ないのではないだろうか。ノックの主は、客ではないのではないか。
「どうぞ」
開かれた戸の先にいたのは、文芸部どころでは収まらない、図書館の主ともいえるようなオーラを放っている文系的かつ知性的な……その上で根暗そうな女子だった。彼女は女子にしては身長が高く、髪は八方佐原さんと同じくらい見るからに長かったけれど、その色は漆黒とも言えるような黒に染まっている。
根暗というのは基本悪口にしかならないけれど、彼女の場合は例外で、その雰囲気が「正解」であるように思えた。そして暗い雰囲気がむしろ、明るい人と比べて変に圧がある。
そんな彼女がどんよりとした目つきをして、喉元に忍び寄るような声で言った。
「お呼ばれしました。夜鳥青葉です」
来るんかい!! 心の中でそう叫んだ。本当に、まさか来てくれるとは思わなかった。来ておいてもらってなんだけれど、あの手紙で来たということは、夜鳥青葉は、彼女はそれなりに変人だ。間違いない。
「あ、すみませんわざわざ。どうぞ座ってください」
思わず立ち上がり、いつもここへ来た人が座る正面の椅子を引いて彼女に勧める。視界の隅に映った砂切の顔には、わかりやすく「呆然」と書いてあるようだった。
どうも、と言って彼女は、しっかり振り返って戸を閉めてから、勧められるままに席に着いた。
根暗っぽいという初っ端の認識を改めるわけでは全くないけれど、しかし同時に、確かに彼女には謎のオーラがあった。椅子を勧められて、そこに座ることがまるで当然であるかのような。まわりの人間はそう動いてしかるべきだと確信しているような、そんな王の雰囲気を、おとなしそうな容姿と立ち振る舞いの中に確かに感じる。
「絹川さんというのはあなたですね?」
彼女が私の目を見て言う。夜鳥青葉という女子の瞳は、吸い込まれそうというよりは、引きずり込まれそうな物だった。
「そうです」
「我々に聞きたいことというのは、具体的に何ですか」
言った! と心の中で手を打った。
言った、本当に我々と言った。間違いなく一人だ。けれど「我々」と言った。聞いていた通りだ。
これまた失礼だけれども、まさかの来訪と合わせて舞い上がっていた私は、それはもうツチノコを見つけたような気分だった。
「え、あの、聞いてもいいんですか……?」
八方佐原さんとはまったく別種の、しかしあまりに堂々とした立ち振る舞いに少しひるんだ聞き方になってしまう。夜鳥さんはそういうものがあまり好きではないらしく、若干不機嫌そうに言われた。
「聞かれたくないのなら来ませんよ」
不機嫌そう、話しかけづらい。そのような印象を抱かれたことは数えきれないけれど、私が誰かに対して抱く側になったのは珍しい。他人から見た私は、もしかして彼女のように見えるのだろうかと、家の鏡に映る自分の姿を思い出してみる。記憶の中に浮かぶ自身の姿と、目の前の彼女を比べてみても、いまいちピンとは来なかった。
「それもそうですね。じゃあ、聞きますよ」
「どうぞ」
一瞬、隣の砂切に目配せをしそうになって、思いとどまる。彼女が今この状況をどう感じているのかは分からないけれど、少なくとも私自身としては、彼女をアウェーに引きずり込もうという気はない。
「ずばり、なぜ自分のことを我々と呼ぶのですか? それが知りたいんです」
回答までに一秒とかからなかった。
「精神の安寧のためです」
こちらが怯んでしまう。私が返すべき言葉は一つだけなのに、なんだか試されているような気分だ。
もちろん、だからといってここで引くことはしないし、だからといって引きたいとも思わないからこその、私なのだけれども。
「というと、具体的にはどういうことですか? どうして我々と呼ぶことが、精神の安寧に繋がるんです……?」
「それは、話せば長くなりますね」
「お願いします」
はぁー、と大きく。夜鳥さんはため息を吐いた。そこには敵意も落胆もない。むしろ、愉快ではない話を努めて語ろうとしてくれているような感じがした。
語りだしの言葉は、その特徴的な一人称からだった。
「我々は、孤独が怖いのです」
今まで隙を見せず堂々として、いっそ尊大なくらいに大きく重く、暗い雰囲気をまとっていた彼女が、感傷に浸る少女のようにうつむく。
呪いの言葉を吐き出すようだった。
「我々は何かについて意見を持つ時、少数派に属することがままあります。しかし少数とはいえ、味方がいることが理解できればまだいいもの。時に、誰一人として味方がいないのではないか、と思うことがあります。少数派とはいっても、それを「派閥」と言い張っているのは我々だけで、全ての人間は、我々の敵となり、我々を嘲笑い、爪弾きにしているのでは……? そう思うことがあるのです。絹川さんは、そのような思いをした経験はありませんか」
「えっ」
唐突に話を振られて言葉に詰まる。まさか振られるとは思っていなかったと、口にしてしまっているのとほとんど同じことだった。
「多数派に属する意見を持つ時も、少数派に属する意見を持つ時も、常に自分には味方がいると確信できますか?」
質問への答えは、頭の中ですぐに出た。しかし口には出せない。出さない方が良いと、直感で理解してしまったから。
「……………………」
孤独が怖いと彼女は言った。しかし彼女の振る舞いは今現在、いかにも孤独でいることに適正化されたような物だと、少なくとも私からはそう見えている。
「我々という言葉を使うことで、味方がいるような気がしてくる」
彼女は私の返事を待たず、あるいは沈黙そのものを答えと取ったのか、話を続けた。
「目には見えないけれど、どこかに我々の味方がいる。だから、それらの人のことを思って、その人たちを代表して、我々は意見を述べる。それはどんな少数派の人間にも許されている権利です。我々はそうしなければ耐えられません。……いえ、人間は、そうしなければ耐えられないのです。自分の意見を、自分一人の物としなければいけないなんて。そんなことは、誰にも言えたことではないはずです。我々がそうであるように、多数派に属したことが一度もない人間なんて、きっといないはずですから」
そこまで言い終えて、彼女は顔を上げた。
しばらくの間、ここに静寂があった。顔を上げた彼女に見つめられてから、何秒経過したのかわからない。環境音と化した運動部の声が、いつもより鮮明に聞こえてくるように思えた。
「以上です。まだ何かありますか」
問い詰めるような声音だった。
「夜鳥さんが孤独を感じた時って、どんな時だったんですか」
興味本位と言ってしまえば、その通りなのかもしれない。けれど私は知りたいと思った。面白いからではない。彼女の話に、愉快な要素などひとかけらもなかった。知ってどうなるということもない。聞いたところでおそらく何もできない。けれど、聞いておきたかった。
彼女の話を、そうなんですねと聞き流すことは、それはあんまりだと思ったのだ。何もそんな、突き放すようなことはしなくてもいいと思った。
私には、彼女が何か、救いを求めているように感じられたのだ。
「あなたに話したところで理解されないでしょう。これ以上話すことはありませんね」
夜鳥さんはそう言って席を立った。そしてすぐに、思い出したかのように釘を刺してくる。
「ああ、今の話、口外しないでくださいね」
「あ、はい」
呆然として座ったままで、聞いていたのかどうか疑われそうな、間抜けな返事をしてしまった。
「何でも屋でしたっけ? どうせ誰かに聞いて来いと言われたのでしょうけど、そんなことを頼む人間なんてロクなものじゃない。今日ここであなたに話したことが原因で、我々に不幸が生じたと判断した時には、その時にはそれなりの報復を考えているので、よろしくお願いしますね」
言い残して、こちらからの返事は待たずに。より正確に言えば、返事をすることを許さずに。そのまま彼女は部室を出て行った。
ここは私たちの部室であるのだけれども、なんだか取り残されたような気がした。しかしまあ、これで依頼は達成されたのだ。それをしっかりと自分自身に確認して、その後まずは砂切に聞く。
「なんで来てくれたんだろう、彼女」
彼もまた即答だった。
「そうしたかったから、そうしたんじゃない? としか言えない」
「なるほど」
彼女は私を信用して話したわけではない。その証拠に、口止めにも脅しを使った。口止めしたということは、何でも屋の活動に協力しに来てくれたわけでもない。
彼女がなぜここへ来て、なぜ「ここだけの話」として話をしてくれたのか。それは彼女がそうしたかったから、としか言えないだろう。私たちはそう捉えるしかない。それしかわからない。
「で、どうするの? 依頼の方は」
彼女が出て行った部屋の戸を見つめたまま、砂切が私に問いかける。知れたことだった。
「何も聞けなかったって言うに決まってるでしょ」
「だよね」
後日の昼休み、教室で友人数名と何かしらの雑談で盛り上がっていた八方佐原さんに声をかけた。
「この前のことなんだけど」
「あ、わかったの?」
「まあ」
「じゃあ放課後また行くよ」
それだけで会話は終わった。彼女の友人が私のことを、下賤の者を見るような拒絶の目で見ていたのが印象深かった。あえてその目にセリフを付けるなら、「誰だよこいつ」だろうか。
学校の中に限られた人間関係という名の社会は狭い。数が限られているのだ、友達とはいえ似た者同士が集まるとも限らないらしい。
そして彼女は約束通り、放課後の部室へやって来た。彼女が初めてここへ来た時と違ってその日は砂切もいたけれど、彼女は別に驚くこともなく目で彼に挨拶していた。
そしてそんな彼女に私がかけた言葉は、とても短い。
「結論から言って、何もわかりませんでした」
「そっか、残念。しょうがないね」
そのリアクションの軽さたるや、あっさり依頼の未達成を報告した私の方が驚くくらいだった。
こちらとしては助かるけれど、八方佐原さんの諦めの良さは尋常ではない。彼女は仮にもこのいまいち得体の知れない部活に、時間を削ってわざわざ依頼をしに来てくれた人なのだ。そこまでした人が、こうもあっさり諦めてくれるのはおかしな話にも思える。
「何もできず申し訳ないです」
「いや、なにそのかしこまった感じ。めっちゃウケるんだけど!」
ウケると言った彼女は爆笑していたわけではないけれど、それでも結構本当に腹の底から笑っている感じがした。合わせて私からも、めったに出るものではない愛想笑いが勝手に出てくる。何が面白いのかはさっぱりわからない。
「ていうか絹川さん、さっき教室で話しかけてくれた時はタメ口じゃなかった?」
「え、そうでしたっけ」
「絶対そうだったって。余計面白いわ」
依頼がこれっぽっちも上手くいかなかったと聞いたのに上機嫌な彼女を見て、ふと気になった。夜鳥さんは彼女のことを「ロクなものじゃない」と表現していたけれど、そもそも二人には面識があったのだろうか?
「あの、何も成果をなせなかった身で恐縮なんですけど、一つ聞いてもいいですか?」
「お、なになに? いいよ、なんでも聞いて」
「夜鳥さんの一人称が気になったきっかけって何だったんですか?」
遠い過去のことを思い出すように、八方佐原さんはちょっと高いところに視線を移して、かなり前のことになるんだけどね……と話し始めてくれた。
「夜鳥さんと同じクラスに私の友達がいるんだけど、その子が文化祭の打ち上げする時に夜鳥さんも誘ったんだって。そしたら「我々は遠慮しておきます」って断られて、いや我々ってあんた以外は誰だよってなったらしくて」
文化祭の打ち上げか……。そんな物も、確かにあった。私も砂切も「それに行く時間があるなら二人で遊ぶよね」ということで行かなかったけれど、そもそも文化祭自体が何か月も前の話だ。話し初めに「かなり前のことになるけど」と付けたのは伊達じゃなかったらしい。
だとすると当然、なんでその時の話が今さら? ということになる。
「なるほど。でもなんでそれが今……?」
「最近実際に我々って言ってるの聞いたから気になっちゃって。……あれ、でも何の時に聞いたのか、忘れちゃった」
あはは、と彼女が笑ってとぼけるので、この話はこれで終わった。彼女と夜鳥さんに面識があったのかという素朴な疑問は解明されないままとなった。別に聞こうと思えば聞けただろうけれど、わざわざそうして知りたい何かがあるわけでもない。
「じゃあ、そろそろ行くね。本当にいろいろありがとう」
最後まで感じの良いままで、隣にいた砂切にも「砂切くんも、またね」と別れの挨拶をして、八方佐原さんは去っていった。
……結局、彼女の目的は本当に興味を満たすこと、それだけだったのだろうか。彼女は、私が本当は夜鳥さんから話を聞いたことを、このまま永久に知らないままなのだろうか。もしかして薄々「口止めされたんだろうな」と勘付いていたりするなんてことは……?
だからこその諦めの良さだったのではないか。……なんてことを勘ぐったところで、分かることは何一つない。これっぽっちも、夜鳥青葉のことも八方佐原陽のことも、私には何一つとして分からなかった。表面上に見えるものをそのまま見ていただけで、そこから何も読み取ることができない。読み取るべきものがあるのかどうかさえも、まったく知ることができなかった。
だけど結局これで終わりなのだ。これ以上私ができることはない。今回の依頼に関する件は、夜鳥さんにせよ八方佐原さんにせよ、私たち以外のところから何かしらのアクションがない限り、もうこれでおしまいなのだ。
いや、むしろ、そうであってほしい。何かしらの経緯を経て、夜鳥青葉が「報復」をしに来るだとか、そんな展開は勘弁してほしい。
「砂切」
「うん?」
「今日はもう帰ろう。一仕事終えた気分だし」
特に異論も挙がらなかったので、私たちは荷物を持って部室を出た。すると下駄箱のあたりで再び八方佐原さんを見かけた。
そして彼女の隣には、夜鳥青葉が立っていた。二人が何かを話している。
別に、会話に割って入る理由もない。私は二人の横を素通りしようとした。砂切もそれに続く。けれど、私の目は勝手に二人の姿を追ってしまう。そしてその時確かに、夜鳥さんと目が合った。
「あなただったんですか」
そう聞こえた気がした。聞こえなかったフリをして通り過ぎても呼び止められなかったので、私に対する言葉ではなかったらしい。
以後、私が八方佐原さんや夜鳥さんとプライベートで言葉を交わすことは、一度としてなかった。