違和感を覚えたのは高校受験の時期だった。
高度育成高等学校という名前の学校が妙に引っかかり、わたしはそこを受験することに決めた。
卒業生は希望する進路にほぼ100%進めるという普通に考えたらありえないようなふれこみで、わたしはあまり頭がよくないにも関わらずその高校になぜか合格することができたのだが、既視感というかなんというか、わたしはその学校を知っているような気がしてもにょもにょしていたのだ。
そんなある日、夢を見た。
一人の男の生涯とでもいうべき膨大な記憶。
その男はかつてわたしだった存在だということは漠然と理解できた。
男はラノベを読んでいた。
その登場人物の一人が、わたし。
モブと言っても過言ではないような、いてもいなくても物語には大して支障もないような脇役。
主人公に告白して振られる噛ませキャラ。
夢から覚めたわたしはすぐに安物のノートパソコンを起動し、記憶に残っているものをメモ帳に打ち込んだ。
登場人物の名前、プロフィール、おおまかなストーリー、注釈。
そしてある程度書いてから思った。ここは本当に【ようこそ実力至上主義の教室へ】の世界なのかどうか、まだ確証がない。
ブラウザを立ち上げて検索してみることにした。
学校の情報は徹底的に秘匿されていて、検索しても何も引っかからない。ポイントシステムの存在とか退学になった人なんかが口外しないわけがないと思うんだけど、しかし不思議と見事なまでに何も出てこない。ならば登場人物で有名っぽい人の名前で検索してみようと自分で書いた登場人物の一覧を眺め、高円寺をチョイス。彼の実家である高円寺コンツェルンという企業を調べると、苦もなく彼の名前に辿り着いた。次期社長として顔写真まで載っている。その顔はわたしの記憶の中の彼と重なっていた。
心臓の音がドクドクと聞こえてくる。
この世界は――いや、落ち着けわたし。高円寺コンツェルンは有名企業だし、彼の顔を偶然どこかで見て無意識に覚えていただけかもしれない。だからもう一押し、この世界があの世界であることを確信できる何かがほしい。
再び登場人物一覧を見る。
そして一人の名前に注目した。
佐倉愛里。彼女はたしかグラビアアイドルとかそんな感じのアレだったはずだし、ネット上に名前くらい載っているだろう。
しかしその名前で検索しても出てこない。やはりわたしの記憶が間違いだったのか。一生懸命メモ帳に打ち込んだこの全部が妄想に過ぎないというのか。わたしの中の男の記憶は一体……いや、ちょ待てよ。アイドルが本名でやるわけないじゃん、ググるなら芸名でしょ。とそこまで思い至ったところで、そっちの名前は思い出せなかった。
もっかい登場人物一覧を見てみる。
須藤健、はどうだろうか。こいつはヤンキーでカスみたいなやつだけど、バスケをやっていて一年生でありながらレギュラーに選ばれるほどの実力の持ち主だ。中学時代の活躍次第では名前が残っている可能性があるのではないだろうか。
あった。
須藤は中学の大会で好成績を残しており、動画サイトで試合を見ることもできた。
赤髪のツーブロックにラインを入れた、不良にしか見えない男。
わたしの記憶と完璧に重なる。
間違いない。
どうやらわたしは【ようこそ実力至上主義の教室へ】の世界にTS転生してしまったらしい。
◇
登校初日。
高度育成高等学校に向かうバスの中でわたしと同じ新入生と思われる人たちの顔ぶれを見渡すと、高円寺くんや堀北に櫛田、そして原作主人公である綾小路くんの姿を発見した。
ていうか、綾小路くんがヤバい。
かっこ良すぎて子宮がキュンキュン疼くんだけど。
なにこれ、もしかして恋?
わたし、綾小路くんに一目惚れしちゃったわけ?
あ、ちなみにわたし前世は男でも今は体も心も普通に女の子なんで。
そこんとこよろちくび。
「席を譲ってあげようって思わないの?」
綾小路くんのせいでパンツがビショビショになってしまわないかとそわそわしていると、OL風のお姉さんが声を上げた。
どうやら優先席に座っている高円寺くんに向けていったようだ。
そういえば原作でもこんなシーンあったような……こんなことまで原作通りになるんだ。
「お婆さんが困っているのが見えないの?」
お婆さんを見てみると確かに辛そうな顔をしていた。席を譲ってあげたい気持ちに駆られたけど、生憎とわたしはどこの席にも座ることができていない。まあ仮にわたしが優先席に座っていたところで、こんな責めるような言い方をされては譲る気も失せるような気がしなくもないんだけど。
優先席は高齢者に席を譲らなければならないというような義務はない。
よってそこは敬語で下からお願いするのが筋だと思う。
ちょっとこの偉そうなOLお姉さんで気を紛らわせようかな。
このままだと綾小路くんのせいでパンツがビショビショになっちゃうかもしれないし。
「ねえ」
わたしはOLお姉さんに近づき、その肩をツンツンと突いた。
振り返るOL風お姉さんに、
「あんたが椅子になればいいじゃん、オバサン」
「え?」
ポカンとしているOLお姉さん……オバサンでいいや。
オバサンはどうやら意味を理解できていないようなので説明してあげることにした。
「あんたが手と膝を地面について四つん這いになったらさ、背中にお婆さん座れるじゃん。ほら、やり方わかったでしょ? はやくしなよオバサン。お婆さん辛そうだよ? はよ椅子になれよ」
「な、な……そ、そんなことするわけ無いでしょ! バカじゃないの!?」
「はあ? お婆さんが辛そうなのを何とかしてあげたかったんじゃないわけ? お婆さんを助けるのに優先席も人間椅子も大差ないじゃん。あ、もしかしてオバサンってさー、お婆さんを助けたいわけじゃなくて年下のガキに説教して正義感に酔いしれたかっただけみたいな? 自分の負担になるようなことは論外みたいな? なるほどね、その発想はなかったなー。オバサンの考えることは難しいなー。たしかにバカだねわたし。アハハ」
「こ、このっ! ならあんたがやりなさいよ! 四つん這いになって!」
「うわ、結局自分ではやらないんだ。こんな年下の女の子を四つん這いにさせてまで自分は汚れたくないんだ。人にはやらせようとするくせに」
「それはあんたじゃない――」
と、ここで高円寺くんが優先席を立った。
バスが目的地に着いたのだ。
うるさいオバサンをスルーして、当然わたしも降車口へと向かう。
「フフ、面白い見世物だったよ、ヤンチャなガール」
前を歩く高円寺くんはそれだけ告げるとわたしの返事も待たずにさっさと降りていった。
わたしも続いて降りようとすると、背中にヒステリックな声を浴びせられた。
「ちょっとアナタ! 名前を言いなさい、あと学校も!」
「うるさいなー。堀北ですが、なにか?」
学校名は告げず、とある女の名前を借用させてもらったわたしはバスを飛ぶように降りた。
目の前にはなんか立派な感じの門があった。
バスから降りた、制服に身を包む同年代の人たちが門をくぐり抜けていく。
東京都高度育成高等学校。とても普通とは言えないちょっとアレな学校だけど、わたしには原作知識がある。知識が通用することは先ほどのバスの一件でわかった。緊張はするけど恐怖はない。
一度立ち止まり、深呼吸。よし、行くか!
「ちょっと」
一歩目を踏み出す寸前、真横から声をかけられて出鼻を挫かれた。
長い黒髪の美少女、堀北だった。
「さっき私の名前を出していたけれど、なんなの?」
バスを降りる寸前の一言、どうやら聞かれてしまっていたようだ。
「あなたはなぜ私の名前を知っているの? どうして私の名前を出したの? 私はあなたのことを知らないのだけれど、どこかで会ったことがあったかしら?」
「んーん、知らない。中学のときに嫌いだった人の名前を出しただけ。まさか同じ名字の人がいるなんて思わなかった。気に障ったなら謝るよ。ごめんね」
「はあ、そういうこと。他人の名前を勝手に名乗るなんてどんな神経をしているのかしら。とりあえず、堀北という名前は二度と使わないでちょうだい」
「うん、そうするよ。ごめんね」
「さっきのバスの中での出来事、見ていたけれど。願わくばあなたのような人とは関わらずに過ごしたいものね」
堀北は言うだけ言うとため息をついて、足早に門をくぐり抜けていった。
……うっざ。堀北うっざ。死ねよあいつ。死ね。堀北死ね。
堀北の後ろ姿をじっと眺めていると、わたしを見ている一つの影……綾小路くん!?
バッと振り向くと、綾小路くんはわたしのことなんて気にも留めていなかったかのように自然と視線を逸らし、堀北の後を追って歩いていった。
話しかけてみようと一瞬思ったけど、緊張で足がすくんで近づけなかった。