RECODE:Falsify_Become Human   作:宇宮 祐樹

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▽_Day of The Snowfall
『Operation:Whiteout Ⅰ』


 

 

 雪景色が、西日の紅に染まっていた。

 前線の補給基地だと、上官からの話では聞かされていた。まだ新米の俺でも指揮が下せるようにと、彼が言っていたことを思い出す。聞いた時には心が躍った。こんな小さな所でも自分が部隊を持つことが出来ると、愚直ながら喜んでいたのは事実だった。それは塗り替えようのない本心からの喜びだったと、そう思っている。

 だからなのだろう。その直前まで、自分が捨て駒だということに気づかなかったのは。

 簡単な話だった。補給地点を囮とした強襲。聴くところによれば、一週間もしないうちに敵はこの基地を侵攻し、そしてその周囲で準備していた味方がそれを叩くらしい。俺がどうなるかは聞かされていなかった。聞かなくても、分かっていた。

 

「……馬鹿か」

 

 自分を貶めた彼にも、愚かにそれを信じた自分にも、世界にも、全て。

 何もない銀の世界で呟ける言葉は、ただそれだけだった。

 

 人間とは存外死ぬことが分かっていると落ち着くもので、無駄だと分かっているのに俺は基地の資料に歩きながら目を通していた。逆に言えば、それ以外にすることが無いとも言えた。

 四方は森に囲まれていて、何の援助も無しに逃げ出すのは困難である。ましてや逃げる場所があり、その方向も分かっていたとしても、一人では鉄血の自律人形に撃ち殺されるのが関の山だろう。

 考えれば考えるほど後ろが詰まってゆく。しかし、前へ進めるような要素も無くて。

 そうふらふらと歩き続けて辿り着いたのは、基地の裏にある小さな広場であった。

 

「……ん?」

 

 見えたのは来るときと同じような白と緑の景色と、その中でぽつりと灯る、小さな光。それはどうやら焚き火のようなものらしく、よく目をこらすとそこには金と薄い肌の色があって、炎を囲む倒木に腰掛ける少女の形が見えたのは、基地から出てかけよった時だった。

 ひゅぅ、と風が吹く。小さな火種が、少しだけ緋色を強くする。

 

「ようこそ、指揮官どの」

 

 高く、しっかりと通る声だった。

 白い制服に袖を通した、金の髪を持つ少女。火に当てられている指は折れそうな程に細く、むき出しになった足はこじんまりと折りたたまれている。年は十六かそれくらいだろうか。けれど揺れるそれを眺める紅い瞳には、それ以上の何かを感じさせる。

 そして、さっき目を通した資料の中身が、彼女の姿と重なって。

 

「……M1895……ナガン、か」

「いかにも」

 

 M1895。

 また、ナガンとも称されているリボルバー式の拳銃――彼女はそれの、映し身であった。

 

「なんじゃ、呆けた顔をして。初めての人形がこんな小さなもので驚いたか?」

「……正直、な」

「はは、それは不運だったの。生憎とここには儂しかおらん。こんな老いぼれだが、まあ使えるだけ使ってくれ。といっても――もう、これが最後になるんじゃがな」

 

 ころん、と火種に薪を継ぎ足しながら、自嘲気味に彼女が笑う。

 

「……ここで、何を?」

「警備じゃな。先のとおり、儂以外にここに仕えているものはおらんから」

「一人でか。哨戒用のドローンは? 資料を見る限り、数機ほどあるはずだが……」

「こんな老いぼれに、そんな権限があると思うか?」

 

 はぁ、と炎の暖を両手に受けながら、彼女はそう呟いた。

 

「……人形じゃ管制システムにアクセスできんのじゃよ。いつ儂らが反乱するか分からんしな」

「分かった。すぐに起動させてくる。君は早く中に戻るといい」

「いらんよ、そんなもの。それに……どうせ、儂は死ぬんじゃから」

 

 諦めたような小さな声は、薪の崩れる音にすらもかき消されていて。

 

「それならせめて……せめてこうして、暖めさせておくれ」

 

 それがどうしてか、とてもひどく、人間らしく思えた。

 まるで死を目の前にして逃げることも能わずに、ただ諦めに走った、そんな理不尽に死ぬ人間のように、俺の瞳に映っていた。

 炎の弾ける音がする。

 何を言うでもなく、俺は手にした書類を握りつぶしながら、彼女に対面するようにして囲まれた倒木へと腰を下ろした。

 

「……戦えないのか」

「無理じゃな。儂ひとりではどうにもならん」

 

 腰にあてたポーチから拳銃――M1895を取り出しながら、彼女は何と言う訳でもなく呟いた。

 

「編成拡大でもできればまだどうにでもなったんじゃろうが。あいにくと、そんな余裕もなくてな。そもそもの儂が扱える武器がこの一本しか残っておらん」

「基地の中にはいくらかあったみたいだが」

「人形がなければ、あれもただの筒よ。無論、お主が使うなら話は別だが」

 

 肩をすくめる彼女に、不思議に思って問いかける。

 

「生き残りたくは、ないのか」

「……さあな。それすらも分からなくなった。今までは敵を倒すために生きてきたが……死ね、と命令されたのはこれが初めてじゃ。だから……その、分からん。そう命令されたのなら、儂らはそれを遂行しなくてはならんから」

「……そうか」

 

 小さく膝を抱え込みながらそう語る彼女は、まるで人間のように見えた。

 恐怖というよりは、不安に染まっている紅の髪に、ゆらゆらと揺れる金糸の髪。組まれた腕の中から覗く頬は少しだけ寒さによって紅くなっていて、拳銃に伸びているその細い指は、まるで生きているかのように握り締められる。

 人間だった。死と言う得体の知れないものに不安になりながらも、少しだけその先にある何かに期待を寄せている、ヒトのそのものだった。

 だから、なのだろう。否――それでも、だと思う。

 

「……死んで、くれるな」

「何と?」

「俺は、ここで死ぬつもりはない。生き延びようとしている。そのために力を貸せ。一緒に生き延びるぞ」

 

 気が付けば口はそんなことを言い放っていて、けれどそれに後悔する気はなかった。

 

「おぬし、正気か?」

「こんな状況だ。正気を失ってもおかしくない。けど、それで生き延びれるのなら」

「……そうじゃな。しかし……その命令だけは受けられん。不可能じゃ」

「一人なら、だろ」

 

 ここから逃げるのも、俺の一人では無理。一人で彼女が立ち向かうのも、不可能。

 それなら。

 

「傭兵あがりか? それとも……」

「残念だったな。研究兼被験者上がりだ」

「……16LABのか?」

「ああ。人形の拡張を目的とした研究をしていた。それでまあ、その過程で試しに人体実験してみないか、と言われたらスパッと。それで今はこんなところに左遷されたってわけだ」

「是非も無いのう」

 

 だから自分の体でやるって言ったのに、彼らはそんな意見にすら聞く耳を持たなかった。

 それだけ口にしたまま、また静寂が訪れる。既に日は落ちてしまい、ただ薪のはじける音だけが、俺と彼女の間で響いていた。

 

「生きろ、か」

「ああ。死ぬな」

 

 ぽつりと、火の揺らめきの間に、呟かれる。

 

「……どうしてじゃ? 駒として捨てられる人形に、お主は何を見た?」

「お前だ。死ぬことを怖がっている、お前を見た」

 

 紅の瞳と、視線が交錯する。その奥に映っているのは、やはり不安とも恐怖ともとれるような、とても曖昧でけれど透き通るように綺麗な、人間らしい感情だった。

 

「憐れんだか。儂のような存在を、人と同じように見たのか」

「ああ。死なせない。絶対に死なせはしない。だから――」

 

 ――それに、手を伸ばす。

 二度とその輝きが消えないように。死という永遠の闇の中へ、落ちてしまわないように。

 ただ、それだけのことだった。

 

「……くく、お主も変わり者よの。共に行く者に、こんな老いぼれを選ぶとは」

「お前しかいないんだ。いや……お前がいてくれて、良かった」

「ふふん、もっと褒めるがよいぞ? たった一人でこの基地を守ってたんじゃ。年長者にこんなことをさせるなぞ……ひとつ、文句を言ってやらねばのう」

 

 くるくる、と手の内で自らの映し身を回しながら、彼女は初めて俺へ笑みを見せてくれた。

 

「それで、まずはどうするんじゃ。何も、このまま行くわけにはいかないんじゃろ?」

「今日を含めて二日要る。幸い囮としては機能しているから、時間の確保はできるだろう。もっとも、あちらが攻め込んで来ないとも限らないが」

 

 今のところ敵が本格的に攻めてくる気配は無い。こちらに彼女だけしかいないというのもバレてはいないようで、本当に彼女と俺を捨てる算段で作戦が立てられているということも、理解できた。

 

「最後に聴いておくが……本気なんじゃな?」

「無論。俺もお前も、死なない」

「……そう、か。それは……きっと、良いことなのじゃろうな」

 

 火種はやがてくすぶり始め、夕日も森の向こうへと消えていく。立ち上がる二つの影はそれぞれの少し前で立ち止まり、やがてその顔には笑みが浮かぶ。

 

「生き延びるぞ」

「ああ。老兵は死なず、じゃ」

 

 交わされたその手には、柔らかな熱がこもっていた。

 

 

「しかしまあ、あれだけ盛り上げておいて寝室に連れ込まれるなどは思わんかったわ」

「ここにしか機材を置けるスペースが無いんだ。仕方ないだろ」

 

 研究棟も無ければ実験室も無い。救護室ならば何とかなるとは思ったが、あれは逆に他の機材によって場所が侵食されている。よって選ばれたのは、彼女の一人だけが使っている大きな寝室だった。

 

「なんじゃ、てっきり最後の夜に楽しむつもりかと思ったが」

「下らない事言ってないで早くしろ。時間がない」

「はいはい」

 

 よっこらしょ、とわざわざ口にしながら、彼女がぼろぼろになったベッドと横たわる。

 

「まずはお前の調整からだ」

「というと?」

「とりあえず領域の拡張だな。人形の空間把握演算式を書き換える。簡単に言えばもっと目と耳を良くして、お前がその拳銃以外も使えるようにする、ってわけだ」

 

 そう伝えると、彼女は訝しげな視線をこちらへと向けてきた。

 

「……聞いたことないぞ、そんな技術は」

「だろうな、俺も実際にするのは初めてだ。前はやろうと思ったら追い出されたからな」

「なるほどのう。おぬしも相当変わり者じゃな」

 

 くすり、と悪戯めいた笑みを、ナガンが浮かべる。

 

「それで、実際にはどうなんじゃ。使えるのか?」

「可能か不可能かでいえば、可能だ。ただ……そのせいで本体に影響が出る。元々設定されている人形の演算式よりももっと膨大なデータになるからな。実戦で使えるかどうか、と言われると少し難しいかもしれない。それに、お前の体がもう戻らないことも」

「よい。どうせ明日も知らぬ我が身じゃ、好きに使うといい」

「……分かった」

 

 横たわる彼女へと配線を伸ばしてゆき、データの入力を開始。元々の装備情報はこの基地にあるものを流用し、また既存の領域にも新しいものをいくつか添付する。そうすることで彼女はM1985――ナガン・リボルバーだけの存在ではない、別の何かになるのだ。

 冒涜なのだろう。彼女の存在理由を否定して、その上で全てを塗りかえるのだから。蔑む者もいるかもしれない。死んだ方がマシだと、彼女自身が口にするかもしれない。

 

「……すまない」

「何を謝る事がある? 儂らが生き残るにはこれしかないんじゃろ?」

「ああ。だが……やっぱり」

「言わんでいい。二人で生き残ると、あそこで儂に命令したではないか。それともお主は未だに決断を下せないような、未熟な指揮官なのか?」

「……いや」

「なら良い。新進気鋭の若人らしい、立派な面構えじゃ」

 

 ――その輝きを失うよりは、ずっと。

 そのためなら、どこまでも行ける気がした。

 

「行くぞ」

「いつでも」

 

 びくん、と小さな体が跳ねる。

 勢いよくベッドへと打ちつけられた体はしばらく動かなくて、微かなつぶやきが聞こえてくるのは一分が過ぎるかどうか、というくらいだった。

 

「……これ、は…………」

「いい、眠れ。そうした方が楽になる」

 

 紅い瞳に色が染まり、彼女の全てを塗り替えてゆく。 

 

「……のう、お主よ」

「なんだ」

「少しで、いい……どうか…………手、を……」

「……ああ」

 

 差し出された小さな手を重ねて。

 

「……もう、一人でいなくても……いいんじゃな……」

「そうだ。俺がここにいる」

「それは良い…………良いもの、じゃな……ぁ…………」

 

 柔らかな手のひらから、力だけが抜けていった。

 

 

 たん、たん、と倉庫で銃声が鳴り響く。

 

「どうだ?」

「……慣れ、じゃな。感覚の問題になるかの」

 

 手に持ったアサルトライフル――ARX-160へ弾倉を込めながら、彼女はそう言い切った。その彼女の二十五メートル先にある人型の的には、それぞれ頭と左胸に大きく穴が空いている。そうしてリロードを終えたナガンが再び小銃を構え、弾の音を響かせると、その空いた二つの穴へ鉛弾をくぐらせた。

 銃口から立つ煙へと息を吹きかけながら、彼女がうむ、と首を縦に振る。

 

「ま、これくらいじゃな。精度はイマイチじゃが」

「昨日の今日なら、それで十分じゃないか?」

「ほう?」

 

 にやり、と笑いながら彼女が手に取ったのは、腰に吊っている彼女自身だった。

 弾の込められたままのそれを無造作に取り出すと、ハンマーを乱雑に起こし、何のためらいもなくそのトリガーへと指をかける。一秒にも満たない動作で放たれたその銃弾は人型の標的のへと飛んでゆき、それを支えている脚を粉々に砕けるのが見えた。

 その衝撃に当てられた的はひゅるひゅると回転しながら宙を舞い、それにナガンは片手で照準を合わせたかと思うと、また立て続けに引き金を引いた。

 放たれた四つの銃弾はけれどその的に当たる事は無く――違う、それぞれが元々にある穴を全て通り抜けてゆき、その向こうにある倉庫の壁へと弾痕を残してゆく。

 そうして、さかさまに振ってきた人形の首を、一撃で撃ち抜いて。

 転がる首を蹴りながら、彼女はこちらへ笑いかけた。

 

「これでもか?」

「……素晴らしいな」

「ふん、もっと褒めるがよいぞ? 年上は敬うものじゃからな」

 

 人形だからある程度は無茶をできるかと思っていたが、まさかここまでとは思わなかった。

 

「しかしまあ、領域拡張というのも悪いものではないな。明らかに取り回しがよくなっておる。こいつは幾分か心地よいぞ」

「そう言ってくれるなら成功だ。期待してる」

「うむ、任せておくのじゃ。今のわしは気分が良いからな。今ならもっと遠くの的のど真ん中を打ちぬけるし、なんなら弾の軌道を曲げることだって」

「わかったわかった。凄さは充分伝わったから」

「あっ、信じておらんな? 見ておれ、いまにお主をぎゃふんと……」

「やめろやめろ。第一、そんな事をしたら脳の処理が追い付かなくなるぞ」

 

 再度腕を構えた彼女にそう告げると、ぷく、と頬を膨らませて銃を下ろした

 

「むぅ……まあ、よい。それで、そっちの首尾はどうなっておる?」

「こちらもおおむね順調だ。といっても、充実しているとは言い難いがな」

 

 なんとか一人分の武装が用意できる、と言ったところだろうか。これで鉄血の包囲網から抜け出せるとは思えないが、それでもやれることをやるしかない。

 

「実際の行動予定はどうなってるんじゃ? まさか何も立ててないということはあるまい」

「その話をしに来たんだ」

 

 手に持った地図を床に置いて開けると、彼女は手に持ったナガンをポーチへしまい、小さく膝を折りたたんだ。

 

「いま俺達がいるのが、この補給基地。そしてここから西に四十二キロ離れた地点に、グリフィンの基地がある。目指すとしたらそこしかないな」

「森を突っ切るつもりか?」

「他の経路だと遠回りになるし、開けた場所では鉄血に見つかる。もしかしたらあいつらがすでにこちらの事情に気づいて、本隊を先に向かわせていることも十分に考えられるが……だとしてもそうするしかない」

「……なるほどのう。いずれにせよグリフィンの本部が攻撃を受けてしまっては、救援なぞ来ないというわけか」

「そういうわけだ。他に質問は?」

 

 作戦とは到底言い難いそんな話を終えて問いかけると、彼女はすん、と悲しそうな表情を見せながら、俺へと語り掛けてきた。

 

「……のう、お主よ」

「なんだ?」

「その……儂らは、あやつらに受け入れられると思うか?」

 

 見上げるその瞳には、不安の色に染まっていて。

 

「言うなれば儂らはもう用無しなんじゃろ? だからお主も儂も、ここに居る。あやつらから殺されるために、ここにいるんじゃ。なのに……そこから戻ったとして、儂らは生き延びられるのか?」

「……死ぬのが、怖いか?」

「怖くは、ない。ただ……お主の言う、生き延びるということができないのは、悲しいと感じるのう」

「そうか」

 

 確かに俺達は捨て駒だと、自分達でも理解できる。それが勝手に生きて返ってくるなど、全ての計算が狂ってしまうことも。それによる被害がどれくらいかなど俺には分からないし、彼らも想定していないのだろう。

 その先に生きる術があるとは限らない。味方からの銃弾で死ぬことも考えられる。

 けれど、このまま死ぬことを受け入れるなんて、できるはずもなかった。

 

「……なら、また逃げようか」

「また?」

「殺されそうになったら、またどこか生きられる場所へ。受け入れられるところまで、ずっと……逃げれば、いい」

 

 殺されない場所へ。生き延びられる場所へ。

 

「それ、なら」

「……どうした?」

「それなら、お主も共に来てくれるのか?」

 

 傾げられた首に、強く頷く。

 

「一人には、しない。経緯はどうであれ、お前の指揮官は俺なんだ。だから、どこまでも」

「……そうか」

 

 くしゃ、と崩れるように、彼女はそう笑ってくれる。

 輝ける彼女を見られるのなら、どこまでも行ける気がした。

 

 

 しんしんと雪が降っていた。

 風は無く、ただ蝶が堕ちるようにして、視界の全てが白に埋まってゆく。彼女と同じARXを握る手袋の下の肌は既にひりひりと痛みを発していて、踏みつける足からは、ざくざくと雪を踏みつける感覚が伝わっていた。

 そうして一つ白い息を吐いて、前を行く小さな背中へ声をかける。

 

「……寒くないのか」

「人形はそういった事は感じないからな。心配は無用じゃ」

 

 それだとしても、この極寒の地で生足を晒すデザインはどうなのか。そもそも自分を老人だと語っているくせに、そんな少女的な衣装に身を包むのに疑問は抱かないんだろうか。年齢差とかどうなっているのだろうか。

 人形というのは、まだまだ疑問の多いものである。

 

「む……なんじゃおぬし、文句でもあるのか」

「いや、何も」

「いーや、確かに何かあったであろう。正直に話してみるとよい。なに、若者の悩みを聴くのも年長者の役目じゃからな」

「……年長者ねえ」

 

 むんず、と俺の前に立って小さく胸を張る彼女は、どこからどう見てもただ子供で、腰の前に吊っている小銃はそのせいで玩具のようにも見えた。

 どうして少女のかたちを持つのか。なぜこうして確かな意志を持っているのか。そして――こうも、人間のように作られているのか。

 やはり、人形というのはまだ理解できるものではなかった。

 

「そうじゃそうじゃ、何かあったら儂らを頼るとよいぞ。人形は日頃のお手伝いから拷問まで全部できるからな。自分の手を穢したくないときは遠慮なく言いつけるとよい」

「……子供にそんなことをさせる趣味は無い」

「む、なんじゃと?! いま儂を子供というたか!?」

「どっからどう見てもそうだろ、お前」

「心外な、人を見かけで判断するでないぞ! とくに、人の気にしてることを軽々しく口にする出ない! まったく、これだから最近の若者は……」

「分かった分かった。説教なら向こうで聞いてやるから」

 

 だから、今は。

 

「死ぬなよ」

「無論、そのつもりじゃよ」

 

 くすりと、彼女は笑っていた。

 

「このまま何もなければいいんじゃが」

「……正直、厳しいだろうな。いくら雪が降っているとはいえ、足跡は確実に残るだろうし。そもそもこんな雪だろうと鉄血の連中には関係ないしな」

「じゃのう……まったく、運がいいのか悪いのか分からんな」

 

 視界は薄い灰色に染まっていて、十数歩先も見えないくらい。けれどナガンにとってはこの程度の降雪など障害でもないらしく、それは鉄血の人形にとっても同じことのようだった。

 はぁ、と彼女が両手に息を吹きかける。吐き出す息は、やはり白い。

 

「とにかく進まなければな。位置は?」

「んー……ようやく十八キロほど、といった感じじゃな」

 

 雪に埋もれた腕時計を払うと、それはちょうど正午過ぎを指していた。

 

「……六時間でそれくらいか」

「こんなもんじゃろ。それよりも不思議なのは、まだ一回も鉄血と接触どころか発見すらしていないことなんじゃが」

 

 懐から取り出したレーションをこちらへと投げ渡して、ナガンがそう呟く。

 

「その方がマシだろ。このままの方が俺はいい」

「むぅ……そんなもんかのう……」

 

 何か煮え切らないように頬を掻きながら、ナガンがそう呟く。もごもごと携帯食料を口に含む彼女は眉を顰めたまま、灰の景色の、その先を見つめていた。

 

「別に心配する必要ないさ。お前だって無理に戦う必要ないんだから」

「……やっぱり、お主は変なことしか言わんのう」

 

 その言葉に、不思議になって首を傾げる。

 

「なんだ、今のは別に変じゃないだろ」

「その……人形にそんな事を言うか? そりゃ、今は戦闘にならない方がいいに決まっておる。命令じゃからな。けれど……うーむ……やはり戦わなくても良い、という言葉自体がアレじゃな。変じゃ」

「なんだそりゃ」

「儂にも分からぬ。何かこう、考えるとか理解するとか、それとはまた別のものじゃな。言われること自体を考えていなかったというか……答えるのに、その。困る」

「困る、って……お前、それってつまり――」

 

 足音が消える。そのまま静かに二手に分かれて、木々を背に。向かい側で同じように樹木へと背を預けている彼女は、手にした小銃を覗いたまま動かなかった。

 

「……何機だ?」

『百と十メートル前方、五機。偵察用のドローンが二、鉄血の人形兵の二足が一、四足が二、じゃな。どうする?』

 

 がさがさとした無線の中に、そんな声が混じって聞こえた。

 戦力的にはそこまで大きくはない。おそらくこちらから仕掛けても全部やれる数だろう。実際にナガンもそう計算しているのか、既にスコープを覗き込んだままの射撃体勢に入っていた。

 

「……経路とか、見れるか?」

『儂らの目の前を丁度横切るみたいじゃ。しばらく待てば通り過ぎる』

「なら待とうか」

『ん、了解』

 

 銃口は雪景色の先へと向けられたまま、動くことはない。

 流れた静寂は、思ったよりも短かった。

 

『うむ、もう良いぞ。見えなくなった』

 

 短く首を頷かせると、彼女がこちらへと駆け寄ってくる。

 

「……まずは一つ目じゃな。十九キロ地点」

「ということは、基地のほうは見限られていると考えるほかないな」

「じゃのう」

 

 基地よりも先の位置に鉄血の人形がいる時点で、それは明確だった。

 

「一応、グリフィンに連絡を飛ばしてみるかえ?」

「頼む。どうせ誰も見向きもしないだろうがな」

「悲観的じゃのう」

 

 やれやれと肩をすくめながら、ナガンが自らの耳へと手を伸ばす。補給基地から拝借した電信機を小型化したものだった。もとより連絡など取るつもりは無かったが、こうした状況になって初めて、持ってきて良かったと痛感する。

 少しの時間を置いて、ナガンが切り出した。

 

「HQ? こちら、あー……えーと……」

「……Nomad」

「んー、こちら放浪(Nomad)部隊のM1895。H(Hotel)地点に鉄血の偵察部隊を発見。補給基地はもう役目を果たしておらん。わしらは一機と一人で逃げ出したが、いずれ追い付かれるじゃろう。お主らの作戦は失敗じゃぞ、次の案を練るとよい」

「その言い方はどうなんだ」

 

 確かに事実だけれども。

 

「……む、あやつら何も言わずに切りおった。年よりの貴重な意見を蔑ろにしおって」

「まあ、伝えられただけマシだな。あっちが動くかどうかは分からんが」

「じゃな」

 

 ぽす、と雪の中に通信機を落とすと、二分も経たないうちに白銀の中へと埋もれてゆく。その姿すらも既に灰色の景色へと溶けていって、確かに感じられるのは隣から聞こえてくる、小さな足音だけ。

 降り積もる雪は、とどまる事を知らないようだった。

 

 

 薄暗い岩の壁にもたれかかると、足にたまった疲れがより一層感じられる。

 

「良かったのう、丁度いい洞窟があって」

「……このまま行くのでも良かったんだがな」

「人間のくせに無理をするでない。こういう時は年長者の言う事を聴くもんじゃぞ?」

「分かったよ」

 

 向い合せに投げられた携帯食料を受け取りながら、震える手でその包みを破る。中の塊を口に含むと、ぱさぱさとした触感が、乾いた口の中に貼りついてきた。

 炎の音は、しばらく止もうとしない。

 

「記録は」

「……二十三時と四十八分。地点にして三十一キロの洞窟地点」

「予想よりも大分早いな。明日の午後には到着できるだろ」

「鉄血部隊との遭遇もあの一つだけ。他には足跡すら見つからん」

「…………」

「…………」

 

 からん、と薪が崩れ落ちる。

 

「泳がされておる、か?」

「そう見てもおかしくないだろうな」

 

 それが分かっているからといって、こちらから何か仕掛けられるわけでもないが。

 明らかに様子がおかしかった。あそこで一つの部隊に遭遇したなら、そこから最低でも二つ、三つくらいは目にするはずだ。それが無かったとなると、おそらく最初のコンタクトの時点で既にこちらに気付いていたのだろう。

 それでもまだ、俺達をこうして生かしている理由は。

 

「なるほどのう。わしらがグリフィンの基地に到着するまで待っておるわけか」

「さすがに奴らもそこまで間抜けではないはずだ。畜生、やけに上手くいくもんだから自分の手柄だと勘違いしてた」

「なに、そう自分を責めんでもよい。元にわしらは生きておるではないか」

 

 からん、と薪を継ぎ足しながら、彼女が優しく俺に声をかける。

 目の前でぱちぱちとはじける炎から、俺もナガンも、確かな暖かさを感じていた。

 

「それに、グリフィンの基地につけば何であれ、連中も鉄血と戦闘することになるじゃろう。元々そういう作戦じゃったからの。戦力的な勝算が無い、ということはあるまいて」

「……そう、だろうか」

「そうじゃそうじゃ。だからお主は気にせずしっかりと構えておればいい。何と言ったって、このわしの指揮官なんじゃからな」

 

 にか、と笑う彼女に、しかし心はいくぶん曇ったままであった。

 確かに諦めるつもりもない。こんなところで死ぬことなんて考えていないし、基地のほうから銃を向けられたとして、それでも彼女と一緒に逃げる覚悟もできている。その自分の気持ちに、嘘はない。

 けれど、どうしてか、心の奥からふつふつと恐れるような感情が湧いていた。今まで監視されていた恐怖と、それに今になって気が付いた己の愚かさを、呪っていた。

 改めて、死というものが隣に迫っていることを理解する。

 それなら、今この瞬間に死ぬことだって、なんらおかしいことじゃない。

 

「……まだ、不安かの?」

 

 しばらくの沈黙の後に、ナガンはそう問いかける。

 答えようとした声は、ふるふると震えていて、まるで細い糸のようなものになっていた。

 

「ああ」

「ふーむ……ならば、よい。ちょっとそのまま動く出ないぞ」

 

 なんてことをいいながらナガンが立ち上がって、俺の隣へすとん、と腰を下ろす。突然の彼女の行動に何も言えずに眺めていると、急に強く首を引かれて身体が傾き、気が付けば俺は彼女の顔を見上げていた。

 頭の後ろに、柔らかな暖かさを感じる。

 

「……どういうつもりだ」

「なに、人間というのはこれで満足するものではないのか?」

「個人差がある。それに、昨日の今日で顔を合わせた人間にされても困る」

「なら起きればよい。世話好きの年寄りの我儘なんじゃから」

「…………」

 

 確かに行動の突飛さはおかしいし、その思考回路も俺のものとは違う。

 彼女の行動も言動も、その一つ一つが模倣されたものだとは知っている。こうして共に逃げているのが俺の指示に従っているだけだというのも、彼女自身が生きたいという明確な願望を持ち合わせていないことも、最初に会ったときから知っている。

 けれど、この温もりだけは本物だった。

 

「なんじゃ、眠るのか」

「悪い」

「よい。お主は人間なんじゃからな。ゆっくり休んで、また明日に備えよ」

 

 瞼を閉じても、その柔らかな笑みはしばらく脳裏に焼き付いていて。

 意識を手放すのに、そう時間はかからなかった。

 

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