ミッドガルから離れた無人島では、大島亮が杖の中で修行をしていた。ここは"精神と時の部屋"と似ている。
神の気が充満しており、気を高めた上で漏らさずにコントロールすることで楽に動ける異様な空間。
そこで亮は天津飯の"四身の拳"を使って四人同時で戦っていた。
亮の"四身の拳"はセルと同じで分身しても強さは変わらない。五年前までは天津飯のように強さが四分の一になっていたが、修行したことでその弱点を克服した。
「あと三時間……限界を超えるぞ!」
亮は自分の限界に挑戦していた。超サイヤ人に変身せず、重さ百キロの黒い服を着ていた。
ドラゴンボールに出てくる天界の神が作り出したものと同じで、二十キロの重さを五倍にしたのだ。
亮は自分の分身と戦い続け、杖から通信が入っていることに気づかないでいた。
◇
ウゥ———————————————……。
サイレンの音で目を覚ますと、目の前にイリスの顔があった。昨日、イリスにお願いされて一緒に寝たが、いつの間にか朝になっていた。
「っ……」
まさに息の掛かる距離ですーすーと眠るイリスを見て、一気に意識が覚醒する。
背中を向けていたはずなのに、いつの間にか寝返りを打っていたらしい。
幸い、もうしがみ付かれてはいなかったので、俺はイリスから離れてベッドを降りる。
電気の消えた部屋で、モニターが明るく輝いていた。
サイレンはモニターからではなく、連絡用のスピーカーから響いている。
これはリヴァイアサンが、警戒水域に近づいたことを示すもの。
画面の中では、ついに戦いが開始されようとしていた。
環状多重防衛機構(ミドガルズオルム)よりも外側で、ニブルの軍艦がリヴァイアサンの進路を阻んでいる。海の中にゆらめく大きな影が見えた。昨日よりも浅いところを泳いでいるらしい。
その周囲でいくつかの水柱が上がった。
「魚雷か……」
とうとう攻撃が開始されたようだ。
次の瞬間、海に穴が開いた。
リヴァイアサンの能力———万有斥力(アンチグラビティ)。あらゆるものを突き放す、拒絶の力。
押しのけられた海水が高波となって、何隻かの鑑艇を沈めた。
豆粒のような船の大きさから考えて、穴の直径は十キロ近い。そして穴から巨大な生物が浮上してくる。
「あれが……"白"のリヴァイアサン」
写真で目にしたことはあったが、こうしてリアルタイムの映像を見ると、その圧倒的な存在感に気圧される。
研究者によれば、このドラゴンはシロナガスクジラの変異体ではないかと言われている。
確かに前ビレ、背中にある噴気孔など、海洋哺乳類の特徴は備えている。しかしとても同じ生き物には見えなかった。
全身は白い外殻に覆われ、頭部からは大きな一本の角が生えている。
口に並んだ鋭い牙は肉食獣のそれだ。もはや同種と呼べるはずもない。
艦隊は一斉に、対空砲や対空ミサイルを撃ち始める。しかしそのどれもが空中で静止し、押し返された。
戻ってきたミサイルに直撃した鑑艇が爆散する。
(深月の言っていた跳ね返されるって意味がわかったな)
俺は半壊状態になった艦隊を見ながら考える。
実弾で斥力場を突破するには、大きな慣性力をぶつけるしかない。相手の能力が分かっている以上、ニブルも可能な限りの高速弾を用いたはずだ。それなのにこの結果……。恐らくまだ、リヴァイアサンの用いる斥力場の最大出力は判明していないのだろう。
「今ので、いっぱい人が死んじゃったのかな?」
背後から震える声が響いた。振り返ると目を覚ましたイリスが、モニターを凝視している。
「……たぶん大丈夫だ。前線で攻撃を行うニブルの軍艦は、グラウドシステムで制御された無人鑑がほとんどだからな」
対ドラゴン戦と戦うというのは、基本的に犠牲ありきの戦いだ。ゆえにニブルでは戦闘機、軍艦の無人化が進んでいる。人的被害は出ていないと思いたい。
その時、衛星画像を映し出していた画面に赤いマーカーが表示される。マーカーは高速でリヴァイアサンへ向かっていた。
「大陸間弾道ミサイル———」
ニブル管轄のものならば、思い当たる物がある。
対ドラゴン用ICBM・ゲイボルグ。ケルト神話の英雄外伝用いた投槍———その名が冠された最新兵器だ。先端部分にはミスリルが用いられ、どのようなドラゴンの表皮でも突き破り、内部で爆発する。
俺が開発に携わった中では、最も効果的と思える兵器だった。
俺はユグドラシルとの取引で得た力を、そういった形でも活かしてきた。今、その結果が出ようとしている。
ゲイボルグは落下時に複数のブースターで加速を行い、最終速度はマッハ四十を超える。恐らくは、地球上で最速の実弾兵器。
人間が作り出した最強の槍が、上空からリヴァイアサンに到達する。
映像が一瞬歪み、凄まじい爆発で画面が白く染まった。
付近を映していた画面も、わずかに遅れてホワイトアウトする。
「どうなったの……?」
イリスが不安げな声を上げた。
「分からない。当たりさえすればどんなドラゴンでも無事に済まないはずだけど———」
光が収まった後も、画面は煙に覆われて何も見えない。
だがしばらくすると煙が薄くなり———その中から白い巨体が泳ぎ出てくる
斥力場が煙を押し流し、無傷のリヴァイアサンが現れた。
「あんな爆発だったのに、何で平気なの?」
信じられないという様子でイリスは呻く。
「ミサイルも、爆発も、全部斥力場で押し返したんだろう。直後に煙が充満していたところを見ると、一時的に斥力場は狭まってる。あと少し———届かなかったんだ」
(やはり、無理なのだ。俺の力では———)
リヴァイアサンはニブルの艦隊をこえて、状多重防衛機構(ミドガルズオルム)の第一次防衛ラインに接近する。
円状に展開する高さ二十メートルほどの直方体ユニットに丸いレンズ口が開く。
数十の閃光がリヴァイアサンに放たれた。
「今度は戦術高エネルギーレーザーか」
レーザー兵器であるため、速度はゲイボルグを大きく上回る亜高速。撃った瞬間には既に命中している。だがレーザーはリヴァイアサンの前で不自然にまがり、後方へと抜けていった。
「も、モノノベ!今度は何が起こったの?」
ベッドから降りたイリスが俺の隣にしゃがみこんで問いかけてくる。
「推測だが、斥力場で空間そのものを湾曲させたんだろう。厄介な奴だ……状況によって対応を変えてる。あのレーザーは止められないと判断したんだな」
戦術高エネルギーレーザーの開発にも、俺は関わっていた。
技術開発部にはニブルで唯一の友人がいたので、訓練の合間にちょくちょく出入りしては知っていることをそれとなく伝えていたのだ。
俺がユグドラシルから得た力の情報は、ニブルの技術レベルを何段階も引き上げたと言っていい。
しかし……これもドラゴンを倒すに至らない。
「ああ……第一次防衛ラインが越えられちゃうよ」
イリスは落胆の息を吐く。
「いや、越えさせるのは作戦みたいだぞ。竜伐隊が第二次防衛ラインで待機してる」
俺は別の画面を指差す。
レーザーユニットの上空でそれぞれの武器を構える少女たち。その中央にリーザの姿があった。架空武装———射抜く神槍(グングニル)を構え、リーザが何かを叫ぶ。
第一次防衛ラインと第二次防衛ラインのユニットから同時にレーザーが放たれる。
挟撃による飽和攻撃。空間を歪める回避法では全方向からの攻撃には対処できない。
レーザーの何本かが初めてリヴァイアサンに命中し、その外殻をやき、抉った。表皮に焼け焦げた筋がいくつも刻まれる。
しかし———あまりに対象が大きすぎる。痛みを感じるほどではないのか、リヴァイアサンは多少傷付くことなど構わず侵攻を続けた。
そこに、リーザを筆頭とした竜伐隊の攻撃が放たれる。
空間湾曲による防御のキャパシティを既にオーバーしていたリヴァイアサンは、攻撃をすべて捌き切ることができなかった。リーザの放った極太の閃光が、リヴァイアサンの左ヒレを貫通する。
牙を剥き出し、初めて反応を示す白き怪物。
「つ……」
隣にいたイリスが、突然ですが脇腹を押さえた。
「おい、大丈夫か?」
「……ダメ、怒ってる……みんな、逃げて———」
ネグリジェの生地を透かして、竜紋が強く輝いているのが分かった。
リヴァイアサンの巨大な角———その周囲の景色がぐにゃりと歪んだ。
巨大な口を開けるリヴァイアサン。モニター越しで音は聞こえないが、咆えたのだと俺には分かった。
海が———裂ける。
リヴァイアサンの進路上にあったものが、一直線に全て吹き飛ばされた。巨大なレーザーユニットが千切れ飛び、周囲の海に落下する。
隊列を組んでいた竜伐隊も、散り散りになってしまう。
ずぅぅぅぅん———と、俺たちのいるシェルターにも低い振動が伝わってきた。
衛星画像を見ると第二次防衛ラインどころか、第三次と最終防衛ラインの一部まで崩壊している。
恐らくは斥力場を前方に展開し、砲弾として放ったのだろう。
「これは……良くないな」
俺は苦々しい声で呟く。
今の一撃は、あまりに分かりやすく人間とドラゴンの力量差を示してしまった。
しかし、一週間以上前に、白い怪物を圧倒した人物を一人知っている。自らを神と称しており、五年間ドラゴンを何度も倒してきた男、大島亮のことだ。
(アイツならこ状況をどうする……)
たとえ追い詰められても諦めない。亮はそういう奴だと思っていた。
竜伐隊は集結して攻撃を再開しており、リヴァイアサンとミッドガルの距離はまだかなりある。
画面に一瞬映ったリーザの横顔には、諦めの色など微塵もない。
しかし、ここまでの戦況で結論を出してしまう者がいたら———。
そう考えた時、シェルターのスピーカーから音声が響いた。
『ブリュンヒルデ教室、出席番号八番、物部悠———至急、時計塔司令室へ来てください。繰り返します———』
イリスが驚いた顔で俺を見る。
「モノノベ、呼ばれるよ」
「ああ……そうだな」
嫌な予感が確信に変わった。恐れていた事態が現実のものとなってしまったらしい。
「どうしたの?怖い顔してるけど……」
「イリス、急いで制服に着替えろ。俺と一緒に司令室へ行くぞ」
俺は早口で告げる。時間はたぶん、あまりない。
「え、あたしはシェルターから出たらいけないんじゃ……」
「いいから早く!ここにいたら———たぶん、殺される」
◇
イリスが制服に着替える間に亮から貰った通信機で連絡を取ったが出なかった。たぶん用事があって出られないのだろう。
イリスは制服に着替えてたようで扉を開けた。俺はイリスの手を取って廊下を走る。
(とにかく状況を正しく把握しなければ。あの人が敵でなければいいんだが)
「モノノベ!ちゃんと説明してよ!」
「時間がない。いいから俺について来い!」
焦る俺が強く叫ぶと、何故かイリスは顔を赤くした。
「……はい」
敬語で頷くイリス。
急に物分かりが良くなったイリスを連れて、俺は時計塔へ辿り着く。現在は地下に格納されているので時計は見えないが、この建物の役割は他にある。
時計塔は今、竜伐隊の司令部として機能していた。
司令室前のパネルに学生証を翳す。こういった場所に立ち入る権限はないためか、自動で扉は開かない。だが代わりに篠宮先生の声が聞こえていた。
『———物部悠か』
「はい、呼ばれたので来ました」
『私が呼んだのは君だけだ。どうして彼女も連れて来た?』
どうやら、俺がイリスをシェルターから連れ出したことはもうバレていたらしい。
「イリスを一人で残すのは危険だと思ったので」
『…………』
沈黙が返ってくる。俺の勘は当たっていたようだ。
「———話があります、篠宮先生。外へ出て来てもらえませんか?」
呼びかけてしばらく待つと、司令室の扉が開いて篠宮先生が現れた。寝てないのか、目の下に隈ができている。
「時間がない。手短に頼む」
篠宮先生は腕組みをして、俺と、その隣にいるイリスを見た。
「イリス、ちょっとの間だけ耳を塞いでてくれ」
「え、何で?」
きょとんとするイリスに、俺は真剣な顔で言う。
「たぶん、聞かない方がいいことだからだ」
「……分かった」
素直に両耳を手で押さえるイリス。それを確認して、俺は俺は篠宮先生と視線を合わせた。
「率直にお訊ねします。篠宮先生は、ニブルからの要請を受け入れましたね?」
「……何のことだ?」
一拍間を置いて、篠宮先生は問い返してきた。
「大方、最悪の事態に備えて部隊を投入すると一方的に通告されたんでしょう。篠宮先生は止められないと判断し、余計な犠牲を出さないため俺をイリスから遠ざけようとした……違いますか?」
「———どうやら、ごまかしても無駄なようだ」
篠宮先生は厳しい顔つきで首を振り、言葉を続ける。
「確かに……私はニブルの行動を阻まないことにした。しかし要求を丸呑みしてはいない。最終防衛ラインを突破されるまでは手を出すなと、条件を付けた。完全に突っぱねれば、奴らは強硬手段に出る。そうなれば対人訓練をしていない我々に勝ち目はない。これがギリギリの妥協点だった」
硬い声で篠宮先生は事情を語った。
「いざという時は、ニブルに手を汚させるつもりなんですね」
「……誰かがやらねばならないなら、それも選択肢の一つだ。もう……物部深月に十字架を背負わせたくはない」
眼差しを伏せ、翳りのある表情で頷く篠宮先生。その声音には、ひどく重い何かが含まれていた。
「十字架———先生の妹さんのことですか?」
俺は思い切って問いかける。
「……知っていたか。ああ、クラーケン化した私の妹は物部深月によって倒された。そうするよう、私が命じた」
顔を上げて、司令官としての顔で篠宮先生は答えたようで
「な……篠宮先生が?どうして———」
「私が当時の竜伐隊の隊長であり、クラーケンを倒し得るのは、物部深月の反物質弾しかなかったからだ」
表情を変えずに篠宮先生は言う。昏い瞳の奥にある感情は読み取れない。
反物質を生成できる"D"は一人だけだと、授業で聞いたことがある。それが深月のことだったとは。
「……物部深月は何も言わず、私の命令に従ったよ。親友だったモノを自ら手で葬った。そして今回も、彼女は自分が手を下すつもりでいる。だが、これ以上の重荷に……彼女の心は耐えられまい」
親友……篠宮都と深月がそういう関係だったというのは、初耳だった。
「———篠宮先生がニブルを受け入れたのは、深月のためであり、イリスを今すぐ殺させないためだったんですね」
「決して、最善の判断だったとは思っていないがな」
苦い声音で篠宮先生は頷く。
「いえ……最悪でなければ、それで十分です。とにかく、イリスを早急に対処するつもりではないようで安心しました」
「もう力を失ったとはいえ、私もかつては"D"だった。後輩たちのことは、誰一人軽率に扱うつもりはない」
篠宮先生は強い口調で言い切った。
「分かりました。なら、あとは俺に任せてください」
「何?」
俺の言葉を聞いた篠宮先生は眉を寄せる。
「余計な横槍を入れてきた軍の奴らは、俺が追い払います。イリスを人間として死なせてやるのも、俺の引き受けた役目です。誰にも譲るつもりはありません」
「軍を追い払うだと?馬鹿な———たった一人で何ができる?」
「人間相手なら、どんなことでも」
俺はただ事実を告げる。その時の俺がどんな顔をしていたかは、自分では分からない。しかし篠宮先生の表情には、微かに恐怖の色が過ぎった。
「っ……君は……」
「迎え撃つなら早い方がいい。篠宮先生———軍の侵入経路を教えてください」
どうでしたか?次もお楽しみに!