深夜十二時前、僕は杖でキーリの情報を見ていた。
映像には浅黒い肌と長い黒髪。顔立ちは整っているが、目つきは鋭い。煤けたマントを羽織っていて、人の目からは剣呑な雰囲気を漂わせていると思うだろう。
キーリ・スルト・ムスペルヘイム。三年前よりドラゴン信奉者団体"ムスペルの子ら"のリーダーで、手も触れず人や物を燃やす
ニブルでは、"ドラゴンより多くの人間を殺した魔女"とされており、諜報機関が全力で調べても確定情報はとても少ない。
テロ事件を起こした数は三百件を超えており、推定殺害人数は十万人とニブルは調べているが、杖で調べるとそれ以上の数が出た。
身長約160センチ、年齢不明、体重不明……国籍や家族構成も不明。不明なのは仕方ない。なぜなら僕は彼女の正体を知っているからだ。
彼女は主に"青"のヘカトンケイルが被害を出した国に入り込み、活動をしている。僕はキーリとヘカトンケイルのことを原作で知っている。
ヘカトンケイルの正体も知っているので、二人の関係は大きく関わっている。
そして、深夜の二時にティアちゃんを奪回するために、ヘカトンケイルをミッドガルに送り込むつもりだ。
そのため、僕はキーリが動くのを待っていた。最初はミッドガル全体にバリヤーを展開しようかと思ったが、どうやって連れ込んだのか思い出せないので、まだ何もしていないで待っている。
原作では、ヘカトンケイルは学園に現れ、時計塔を破壊するが、篠宮先生とシャルロット学園長、マイカさん、そして教職員たちは死ぬことはないので、バリヤーを展開する必要はない。
けれども、キーリはティアちゃんを連れ去るために深月さんの宿舎に現れる。
リーザさんは攻めてきたキーリと戦うが、相当な怪我を負うため、"力の大会"で悟空がジレンと戦う最中に使用した気の地雷を使うことにした。それはヘカトンケイルが攻めてきてから、悠たちが宿舎を離れた時に使う。
キーリの映像を消し、僕は学園の制服に着替えた。まだ時間はあるが胸騒ぎがする。
僕は杖を仕舞い、窓の外を見る。
綺麗な星が無数にあり、とても静かだ。こんな日にやってきて欲しくはないが仕方ない。
僕はカーテンを閉め、瞑想を始めた。落ち着くにはこれが一番だ。暇なときは修行をするか、本を読むか、瞑想のどちらかをしている。
瞑想をすると、張り巡らされた気の壁を自然に作りだすことができるので、誰も邪魔しない。
そういえば、今日は"神界"に行っていないことを思い出す。八重さんには必ず夜には来ると約束したのだが、色々あって忘れていた。
僕は瞑想をやめ、八重さんに連絡を取ろうと杖を取り出した。
すると———。
「っ!?」
禍々しい気を感じた。僕はカーテンを開け、時計塔の方を見た。すると上空から、ヘカトンケイルがやってきた。
ズゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥン…………——————!!
大きく低い地響き渡り、僕は驚いた。
「バカな……まだ時間はあるはずなのにどうして」
原作では、深夜の二時にヘカトンケイルがやってくることを知っていた。しかし、時間は深夜十二時。原作より、二時間も早い。
僕は驚いたが、すぐにその理由が分かった。
この世界と原作では少し違っていることを思い出した。
原作での深月さんたちの実力は、ダイヤに穴を開けるしかできない実力だが、この世界では、ダイヤの塊を完全に破壊する力を持っている。
多少原作通りではないため、ヘカトンケイルが早くやってくるのも合点がいく。
ウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥン———!
時計塔の方からサイレンが鳴り出す。
ヘカトンケイルは巨大な手のひらで時計塔を破壊した。僕は篠宮先生たちの気を探ると、先生たちは無事だった。
シャルロット学園長とマイカさんも無事のようだ。二人はすぐに森に隠れたようで、マイカさんは気配を少し消すのを感じた。
僕は杖を取り出し、静かに部屋を出た。
◇
「深月っ!」
俺が宿舎二階にある深月の部屋へ駆け込むと、既に亮以外全員が制服に着替えて窓際へ集まっていた。
「しーっ!」
イリスが口元に指を当てて、静かにしろと伝えてくる。見れば深月が端末を手に、早口でどこかへ呼びかけているところだった。
「———至急応答してください! 司令室! 篠宮先生! 応答してください!」
深月は必死に呼びかけるが返事はない。見切りを付けた深月は通信を切り、俺たちに顔を向けた。
「皆さん———見ての通り非常事態です。司令部は崩壊し、後方支援は期待できません。ですから私たちが中心になって対処します。いいですね?」
「もちろんですわ! 深月さん、早く指示を」
深月の言葉に応じるリーザ。他の皆も表情を引き締めて頷く。
正式な竜伐隊である面々は、小型の通信機を頭に装着していた。
「待ってください。亮さんがまだ———」
「悪い、遅れた」
深月が言い終わる前に亮が部屋に入ってきた。手には杖を持っており、準備万端のようだ。
「遅いですわよ、オオシマ・リョウ」
「悪かったよ。……で? どうするんだ?」
リーザが睨むと亮は謝り、深月の方を向いて指示を求めた。
「ではアリエラさんは女子寮へ向かい、現場の指揮をお願いします。竜紋変色者がいないかを確認した上で、竜伐隊に集合を掛け、一般生徒は地下に避難させてください。竜紋変色者を発見した場合は、すぐさまシェルターへ隔離し、私に連絡を」
「分かった、今すぐ向かうよ」
アリエラは架空武装を生成し、風を纏って夜空へと飛び出していく。
「フィリルさんとレンさんは、ヘカトンケイル上空で待機。私の指示で攻撃をお願いします」
「……了解」
「ん」
フィリルとレンも架空武装を生み出し、窓から飛び立った。
「兄さんとイリスさん、そして亮さんは、私と一緒に来てください。地上からヘカトンケイルへ接近します」
「了解だ」
「うん、分かった!」
「ああ」
俺とイリスと亮は頷く。しかし名前を呼ばれなかったティアとリーザが声を上げる。
「ユウ……行っちゃうの?」
「ちょっと深月さん! わたくしのことを忘れていませんか?」
ティアは不安そうな顔で俺を見つめ、リーザは深月に詰め寄った。
「リーザさんは、ティアさんの護衛です。ヘカトンケイル迎撃にはどうしても兄さんと亮さんの力が必要となります。しかし前線にティアさんを連れて行くわけにはいきません。ですからティアさんに信頼されているリーザさんが傍に付いていて欲しいんです」
「で、ですけど……」
「ティアさんを狙っているのはバジリスクのはずですが、ヘカトンケイルの目的もティアさんである可能性は否定できません。いざという時、臨機応変に対処できる人が必要なんです。お願いします、リーザさん」
躊躇うリーザに深月は頭を下げる。それを見て、リーザは溜息を吐いた。
「……分かりましたわ。お引き受けします。ティアさん、わたくしとお留守番していましょうね」
ティアの前に屈みこんで、リーザは優しく話しかける。
「で、でも、ユウが……」
「彼なら大丈夫ですわ。どう見ても、しぶとそうですもの。殿方を信じて送り出すのも、女の甲斐性ですわよ?」
「おんなのかいしょう?」
言葉の意味が分からなかったらしく、ティアは首を傾げた。
「良き妻、と言い換えてもいいかもしれませんわね。心配いりません。あなたは一人にはなりませんから」
リーザに手を握られると、ティアの表情から少しだけ力が抜ける。たぶんティアは、両親を失ったときのように一人きりになるのが怖いのだろう。だから最初は俺と離れるのをあんなに嫌がった。けれど今は、俺以外にも傍にいてくれる人がいる。
「リーザは……ティアと一緒?」
「ええ、一緒ですわ」
頷くリーザを見て、ティアは俺の方へ視線を向けた。
「…………分かったの。ティア、いいお嫁さんだから旦那さまを待つの。ユウ……絶対に、帰ってきてね?」
ティアは俺に真剣な眼差し向けて言う。
俺はティアの髪をくしゃりと撫でて請け負った。
「———では行きましょう、兄さん、イリスさん、亮さん」
深月は俺たちを促す。
こうしてドラゴンの奇襲というミッドガル始まって以来の危機に対処するため、島内防衛戦が開始されたのだった。
◇
僕は、杖でキーリが攻めてくる場所を確認し、そこに気の地雷を仕掛けてから悠たちと学園に向かった。
深月さんの宿舎があるのは島の南西で、ヘカトンケイルがいるのは東端付近。距離は大分あるというのに、そのシルエットは視界に収まりきれない。何しろ屈んで手を伸ばせば、島の中央にある学園まで届くほどなのだ。あまりにスケールが違う。
「時計塔を壊してから、動かないね。どうしたんだろ?」
イリスさんが走りながら疑問を漏らす。
確かに、あれからヘカトンケイルは同じ場所で立ち尽くしている。
歩こうとも、壊そうともしていない。
「ドラゴンの行動について考えるのは無駄です。何故、世界中を歩き回るのかすら不明なのですから、動かない理由も分かるわけがありません」
深月は苦々しい口調で答えた。
しかし、僕はその理由を知っている。そして、ヘカトンケイルが動かない理由も。
今話すのはやめておこう。まだ知るには早すぎる。
「けど、動きを止めてるのなら好都合だ。今のうちに何とかしてしまおう。俺や亮を連れて来たってことは、前と同じように撃退するつもりなんだろ?」
「はい、兄さんが三年前に使った対竜兵装、そして亮がヘカトンケイルを二度も倒した力を貸してください」
悠の問いかけに、深月さんは頷く。
三年前、悠は大きな代償を払って得た力で、ヘカトンケイルを一時的に消滅させた。それは僕も同じである。五年前、イタリア付近で倒し、一年前、アマゾンでも倒した。
殺し切ることはできないが、同じようにすればこの危機も乗り越える公算は高い。
「ただ……ここで撃つとなるとミッドガルにも大きな被害が出るぞ? 下手をすれば島全体が吹き飛ぶ」
「分かっています。ですからまず、ヘカトンケイルを海へと押し出すつもりです」
深月さんの方針は妥当なものだった。五年前、僕も同じやり方でヘカトンケイルを倒したのだ。しかし、一つ、問題がある。
「押し出せるのか……? あいつを———」
悠は東の空を覆うヘカトンケイルのシルエットを見て呟く。
ヘカトンケイルは体格の割にはかなり軽い。地上を二足歩行していること自体が異常だ。
それに、ヘカトンケイルの特性は
「大丈夫です。私たちには、心強い仲間がいますから」
けれど深月さんは自信に満ちた声で僕とイリスさんを見た。
「え? あ、あたしたち?」
「はい、それに今、上空ではフィリルさんとレンさんも待機中です。じきにアリエラさんも竜伐隊を連れて来てくれるでしょう。それだけの人数がいるのなら、きっと成し遂げられます」
きっぱりと言い切る深月さん。イリスさんは頬を紅潮させて頷く。
「う、うん……そうだね。あたし頑張る!」
僕たちを先導して駆ける深月さんは、女子寮から続く道との合流地点で足を止めた。
ちょうど学園を挟んでヘカトンケイルを見上げる形になる。
「この方向から攻撃すれば、ヘカトンケイルを東の海岸へ押し出せるでしょう。イリスさん、準備はいいですか?」
「うんっ———
イリスさんは架空武装を生成し、彼方の巨人を見据えた。
「兄さんと亮さんは状況が整うまで待機を。フィリルさん、レンさん、聞こえていますか?」
頭に付けた小型通信機のスイッチを押し、深月さんは上空にいるはずの二人へ呼びかける。
『……聞こえてる』
『ん』
応答を確認すると、深月さんは鋭い声で指示を飛ばす。
「お二人は私たちとタイミングを合わせ、西側からヘカトンケイルを攻撃。カウント
深月さんはカウントダウンを開始しながら、左手に架空武装の弓———
「
0となるタイミングで深月たちは同時に攻撃を放つ。
「二の矢———
「聖銀よ、弾けろ!」
『……フレア・バースト・クアンテット』
『んっ!』
四人の攻撃が重なり、ヘカトンケイルの正面で大きな爆発が起こる。白と赤が入り混じった閃光が夜の帳を一時的に振り払い、辺りは真昼のような明るさとなった。
数秒遅れて爆風が僕たちのところまで押し寄せる。熱を含んだ突風に吹き飛ばされないように、悠たちは踏ん張る。
僕はこの程度の攻撃でびくともしないので、攻撃の成果を確かめる。
光が収まった後に現れたのは、体のあちこちが大きく抉り取られたヘカトンケイル。右腕は肩口から全て消失している。以前戦ったリヴァイアサンとは、比べ物にならない脆弱さだ。しかし———。
「えっ……?」
イリスさんが驚きの声を上げる。初めて目にするのなら、息を呑むのも当然だ。
まるで時間が巻き戻っていくかのように、ヘカトンケイルの傷がみるみる治っていく。再生というよりも、むしろ復元。やはり出鱈目な能力のようだ。
数秒足らずで元の姿を取り戻したヘカトンケイルは、何事もなかったかのように星空の下に君臨する。一歩も後退してはいない。
「……想定以上に体が脆くて、衝撃が受け流されていますね。次はもっと威力を抑えましょう」
厳しい表情で皆に呼びかける深月さん。だがイリスさんは戸惑った表情を浮かべる。
「ミツキちゃん、あんなに攻撃が効いてるなら、もっと強い攻撃で一気に吹き飛ばした方がいいんじゃないの?」
「それでも結果は同じです。ニブルによる燃料気化爆弾や核の攻撃で、全身の同時消滅に成功した事例はありますが……その後すぐにヘカトンケイルは復活しました。例外は兄さんの対竜兵装と亮さんの力だけです」
きっぱりと深月さんは言い切り、再び矢を番えた。
そうして攻撃が再開される。僕と悠は深月さんとイリスさんの後ろで、自分の出番を待つ。
だが攻撃が強すぎると先ほどの二の舞で、弱すぎれば巨体のヘカトンケイルはびくともしない。
救いはヘカトンケイルが全く動かないことだ。
すると、宿舎の方から禍々しい気を感じる。どうやら、キーリが宿舎に向かっているようだ。殺気や気配は消せても、気は隠せないようだ。
杖で確認すると、僕が気の地雷を仕掛けた方に向かっている。これで悠が行くまでの時間は稼げる。
原作では、リーザがキーリとの戦いで怪我をするので、悠と協力して戦わせるために罠を仕掛けた。
「次は全員、最大量で空気を生成! 風でヘカトンケイルを押し出します!」
近くで深月さんは号令をかけて、皆が突風を発生させる。
ヘカトンケイルの上半身が揺らぐが、力不足のようで、ヘカトンケイルはその場に留まったままだ。
「っ……これでは、応援が必要かもしれませんね」
悔しげに呟く深月さん。すると悠はヘカトンケイルの正体に少し分かったようで、声を上げた。
「そうだ、あの時と似てるんだ……」
「え?」
イリスさんは悠が漏らした声に反応して、こちらを見る。
「ドラゴンの姿になって、暴走したティアに似てるんだよ。架空武装の体は、抉れてもすぐに元通りになっていた。その光景と、復元するヘカトンケイルが妙にダブるんだ」
やはり悠は頭の回転が速い。原作通りにそのことに気付いたようだ。
「モノノベは……あのヘカトンケイルが
「それは……」
イリスさんに指摘されて、悠はどれだけ突拍子もないことを言っているのか自覚しているようだが、悠の言っていることは正解だ。
そこに深月さんは口を挟んだ。
「有り得ません。あれほどまでに巨大な架空武装を作るのは不可能です。現在、最も生成量が多いとされるレンさんでも、ヘカトンケイル形成の必要量には、全く届かないでしょう」
「……そうだな。現実味がないことは分かってる」
悠は納得しているが、彼の言っていることは間違いない。ヘカトンケイルは
悠も深月さんたち"D"が知っているドラゴン。その存在が操っているのだ。
そして、この事態の犯人もそのドラゴンと関わっている。
「っ!?」
そこで悠はキーリを思い出したようで、宿舎のある方向へ顔を向ける。
視線の先で無数の爆発が起こったのは———その直後だった。
いかがでしょうか?次回悠はあの女と戦います。お楽しみ下さい。