ファフニール VS 神   作:サラザール

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どうも、サラザールと申します。サブタイトルにあるように、悠はキーリと戦います。それではどうぞ!


VS キーリ

駆ける。ただ全力で大地を蹴る。

 

呼吸も忘れて、宿舎への道を駆け戻る。星空に吐き出される黒煙を視界に収めながら、必死に足を動かす。

 

走りだした直後に深月の制止する声が聞こえたが、構っている暇はなかった。

 

たった一秒の遅れが、誰かの生死を分ける。

 

戦場で磨かれた直感が、今はそういう状況なのだと訴えかけていた。

 

ヘカトンケイルへの切り札である自分が持ち場を離れるリスクも分かっている。あの巨人が架空武装である確証もない。

 

しかし、俺は己の勘に従う。今戦うべきなのは、ヘカトンケイルではない。最も危険に晒されているのは、恐らくティアとリーザだ。

 

深月の宿舎が見えてくる。煙は裏手から上がっているようだった。

 

俺は宿舎の裏手へと回り込む。角を曲がった瞬間———爆風が飛ぶ。

 

「っ!? なんだ今のは!」

 

危険を感じた俺は足を止め、素早く周囲の状況を確認する。

 

濛々と煙を上げているのは、敷地内だ。大きな爆発があったようで、宿舎の壁には焼け焦げていた。

 

芝生が広がる裏庭には、あちらこちらから火の手が上がり、無数のクレーターがあった。

 

そこにいるのは三人の少女。

 

一人は射抜く神槍(グングニル)を構えたリーザ。服は焼け焦げているが、怪我はない。リーザは後ろにティアを庇い、空気による防壁を展開しているようだった。周囲にごうごうと風が渦巻いている。

 

ティアは震える体を自分の両腕で抱き締め、リーザが対峙する少女を見つめていた。

 

少女は、射抜く神槍の穂先を向けながらも薄く微笑んでいた。

 

結われた長い黒髪が熱風に揺れ、眼鏡のレンズには燃え盛る炎が映り込んでいた。

 

服装はミッドガルの制服を着ているが、ボロボロになっており、本人も血を流していた。

 

俺は彼女を知っている。

 

立川穂乃花(たちかわほのか)

 

ティアと共にミッドガルへ転入してきた少女。何度か話す機会があって仲良くなったが、どうして穂乃花がこんなところに———。

 

疑問が頭の中で渦巻くが、兵士としての自分は冷静に状況を分析し、結論を下していた。

 

(理由を考える必要などない。あれは、敵だ)

 

敵……穂乃花が? いや待て、その判断は早すぎる。だって彼女は、もう俺にとって友人で、できれば力になりたいと思っていた相手で———。

 

穂乃花はチラリと俺に視線を向けると、口の端を歪めた。

 

「ふふ、手間取ったせいで彼が来てしまったわ。本気を出すしかないようね」

 

まるで別人のような口調で呟くと、穂乃果は手のひらをリーザに翳す。

 

ぞわりと、嫌な予感が背筋を駆け上がった。

 

(動け! リーザがやられるぞ!)

 

本能が絶叫し、俺は迷いを捨てる。

 

対人兵装———AT・ネルガル!

 

俺は対人制圧用の射出式スタンガンを物質変換で作り出し、穂乃花に向けて引き金を引く。

 

ボンッ! と穂乃花の前で小さな爆発が起こった。放った弾丸が蒸発(・・)したのだと、遅れて認識すると同時に、ネルガルを持つ右手に熱を感じた。

 

「つっ……!?」

 

慌ててネルガルを手放し、後ろへ飛び退く。

 

ぐにゃりと飴のように歪んだネルガルは赤熱し、中の火薬に引火して爆発した。

 

(何だ? 何をされた?)

 

軽い火傷を負った右手を意識しながら、穂乃花を見据える。

 

「いきなり撃つなんてヒドイじゃない。けど、正しい判断よ。ほんの少し反応が遅かったら、彼女の綺麗な顔が台無しになってしまっていたかもしれないから」

 

くすくすとおかしそうに笑う穂乃花。そしてリーザに近づこうと一歩前に出ると、次の瞬間、地面が突然爆発した。

 

それに釣られてキーリの周りからも爆発し、俺たちは驚いた。

 

「今のうちだ! 深月たちのところに行け!」

 

「分かりましたわ。ティアさん、行きましょう」

 

「う、うん」

 

爆風でキーリは見えないが、すぐにリーザとティアに逃げるように言うと、リーザはティアを背負って宿舎を出た。

 

視界からリーザたちの姿が消えると爆風が急に消えた。そこには制服がボロボロになってになった穂乃花がいた。

 

「……まだ爆弾を仕掛けてたなんて、やるじゃない。あなたの仕業だったのね」

 

「っ!? 何の話だ。そんなことはしてない」

 

穂乃花は地面に爆弾を仕掛けたのが俺だと確信したようだが否定した。

 

「そう、だったら誰の仕業かしら?」

 

穂乃花は爆弾を仕掛けた犯人を考えている。実際俺もそうなことをした奴が誰なのかは分からない。

 

しかしそこで、俺は思い当たる節を浮かべた。

 

宿舎を出る前に亮は杖を取り出して、何かをしていたことを思い出す。もしかしたら亮は、こうなると予想して罠を仕掛けたのだろう。

 

「まあ、そんなことはいいわ。それより、やっと落ち着いて話ができるわね———悠さん?」

 

皮肉っぽい口調で俺の名を呼ぶ穂乃花。

 

俺は熱気で乾いた口内を唾で湿らせ、固い声で言う。

 

「穂乃花……何でこんなことを。狙いは、ティアか?」

 

「ええ、そうよ。ティアは、私がバジリスクの元へ連れて行く」

 

その返事を聞いて奥歯を噛み締め、彼女の正体を確信した。

 

「穂乃花……いや、キーリ・スルト・ムスペルヘイムだな?」

 

ロキ少佐から送られたデータをまだ見てはいないが、今の言葉で正体が分かった。

 

「正解。まあそれも適当に付けた名前だけどね。だから別に、穂乃花って呼んでくれても構わないわよ?」

 

「遠慮させてもらう。お前を、友人の名では呼ばない」

 

「そう……残念。穂乃花という名前、私は気に入っていたんだけど」

 

穂乃花———いや、キーリはどこか寂しげに笑って、かけていた眼鏡を投げ捨てる。

 

「まさか、転入生として潜り込むなんてな。いったいどんな手を使ったんだ? ニブルだって、お前の生体データぐらいは入手しているはず……いくら変装しても、検査されれば正体は露見するだろ?」

 

キーリは俺の言葉を聞くと、おかしそうに鼻で笑う。

 

「はっ、検査なんていくらでも誤魔化せるわよ。血液だろうが、DNAだろうが、ダミーを上位元素(ダークマター)で作ればいいだけだしね」

 

「な……そんな複雑な変換ができるわけ———」

 

「できるわよ。だってティアに、角をプレゼントしたのは私なんだもの」

 

あっさりと言い放つキーリ。それはつまり———。

 

「……ティアは、自分であの姿になったんじゃなかったのか?」

 

じわりと、心の奥に怒りの感情が滲む。

 

「もちろんよ。ティアにはできっこないわ。そもそも人間の脳のスペックじゃ、生体変換に必要な膨大な情報を処理し切れないのよ」

 

「はは……まるで、自分は人間じゃないみたいな言い草だ」

 

俺は皮肉を込めて呟くと、キーリは真顔で頷く。

 

「そうよ、私はドラゴンだもの。人の姿なんて仮初。生体変換を使えば、容姿なんていくらでも変えられる。ニブルに奪われたティアを見つけ出すには、別人に成りすましてミッドガルへ移送されるのが手っ取り早いと思ったの」

 

「……ドラゴン、か」

 

奥歯をぐっと噛み締める。こいつがティアを歪めた元凶であることは、今の一言ではっきりと分かった。

 

恐らくキーリは何度も容姿を変えながら活動していたのだろう。道理でニブルも情報を掴めないわけだ。

 

「もう、そんなに怖い顔をしないで欲しいわね。私はただ、ティアを連れ戻そうとしただけなのよ。……でも」

 

「?」

 

突然キーリは悲しい表情になり、リーザたちが逃げた方向を向いた。

 

「ティアに戻ってくるように言ったけど、本人は断ったわ。あなたのお嫁さんになる。ティアは人間の女の子だってね」

 

「っ!?」

 

どうやらティアは人間として生きることを選んだようだ。

 

「たった二日で、ここまで変わるなんて思わなかった。ほんのちょっと前までは、私の言うことをよく聞いてくれる良い生徒だったのに」

 

「お前がティアに教育を……」

 

苦々しく呟く。勉強を教えたとき、俺はティアに良い教師がいたのではないかと考えたが、全くの間違いだった。こいつがティアに施していたのは、ドラゴンになるための最悪な教育だ。

 

「ええ、まあね。目論見通りティアはミッドガルで見つけられたし、あの子も容姿を変えた先生(・・)には気付かなかったから、欲を出して内部を探っていたんだけど……失敗だったわ。時間を掛けるべきじゃなかった」

 

俺は、穂乃花が転入初日に校内見取り図を眺めていたことを思い出す。あの時、キーリは敵地の情報を頭に叩き込んでいたのだろう。

 

そういえばティアは穂乃花に対して「近づきたくない」と言っていた。正体は分からずとも、本能的に恐れを抱いていたのかもしれない。

 

「それに———クラスメイトもうっかり殺しかけちゃったし、色々と上手くいかないわね」

 

俺に視線を戻し、肩を竦めてみせるキーリ。

 

「殺しかけたって……まさか、保健室で言っていた変換失敗の事故は———」

 

「ああ、ティアのことを悪く言っていた子がいて、ついイラッと来たのよ。ティアは普通の"D"よりずっと価値の高い———バジリスクとつがいになれる逸材だっていうのに……身の程を弁えて欲しいものだわ」

 

冷え切った表情でキーリは語る。

 

「———あの後悔も、全部嘘だったってことか。お前みたいな奴に……ティアは絶対渡さない。ティアを本物のドラゴンなんかに、させて堪るか」

 

「ふふ、ティアにずいぶんご執心みたいね。金髪の彼女も必死にあの子を守ろうとしてたし」

 

そう言ってキーリは再びリーザたちが逃げた方向に視線を向ける。

 

「リーザたちの元へは行かせない」

 

「いいわ。殺してみなさい。殺されたら、止まってあげる」

 

キーリは俺の方に視線を戻し、戦闘態勢に入る。

 

「本当はあなたと戦うつもりはなかったのだけど……仕方ないわね」

 

「分かった。お前を殺してでも……止める」

 

(架空武装、ジークフリート)

 

俺は上位元素で形作った装飾銃を手に、銃口をキーリに向ける。

 

次の瞬間、俺は周囲の気温が一気に上昇するのを感じ取った。

 

「っ!?」

 

右に飛び退くと同時に、爆発が起こる。炎を伴った衝撃波が全身を叩き、俺は受け身を取りながら焦げた草むらを転がる。

 

恐らく、何らかの燃焼物を物質変換で作り出しているのだろう。

 

ニブルに所属してた頃、噂でキーリは炎による攻撃を用いると聞いた。現状を見る限り、その噂は正しい。

 

だが物質変換を行っているのなら、直前に上位元素を生成しなければならない。それが見えないのは、非常に不可解だ。

 

「威勢のいいことを言った割には、無様な姿ね」

 

追撃の気配を感じ、俺はジークフリートを足元に向けて撃ち放つ。

 

窒素弾(ニトロ・ブリッド)!」

 

俺は大量の窒素を生成し、風を起こした。キーリが作り出しているはずの炎の素(・・・)を、引火する心配のない窒素で吹き飛ばそうとしたのだが———。

 

ジュゥッと猛烈な熱さと痛みが右肩を襲う。肉が焼ける感触に俺は慌ててその場から逃れた。

 

とっさの回避だったので、燃える草むらの風下へ踏み入ってしまう。立ち昇る黒煙に包まれた俺は、左手で口元を覆った。煙に触れて架空武装が消耗してしまわぬよう、体を盾にする。

 

(違う。キーリが作り出しているのは燃焼物じゃない)

 

俺は自分の予想が外れていたことを悟った。

 

爆発が起こっていないのに火傷を負ったことを考えると、攻撃の正体は形のない熱そのもの(・・・・・)

 

恐らくは、上位元素をダイレクトに熱エネルギーへと変換しているのだろう。高等技術ではあるが、生体変換ほど常識離れした芸当ではない。

 

あの爆発は、生み出された熱に酸素が反応したものだったと考えられる。

 

だが謎が一つ解けても———最大の問題は残っていた。

 

キーリの上位元素が見えない以上、どこから攻撃が来るのかは予測不能。この絡繰りが分からなければ、キーリに近づくことすら叶わない。

 

俺は煙の中で思考を巡らせる。だがその間、キーリは何故か攻撃して来ようとしない。

 

「私を殺すんじゃないの? さあ、かかってきなさいよ」

 

俺へ挑発の言葉を投げるものの、さらなる追撃はなかった。

 

(どうしたんだ?)

 

煙の中では微粒子に干渉され、上位元素の消耗速度は速まる。だが最初から多めに生成しておけば、攻撃は可能だ。もっとも、その上位元素が未だに一度も見えないのだが。

 

いや、待て……本当に、ただ単純に、見えていないだけだとしたら———。

 

一つの可能性が頭の中に浮かび上がる。

 

(試してみる価値は、ある!)

 

俺は煙の中から飛び出すと同時に、ジークフリートに残った上位元素を全てつぎ込んで弾丸を放つ。

 

白煙弾(スモーク・ブリッド)!」

 

真っ白い煙が辺りを包み込んだ。手から架空武装が消失する。どのみち、煙幕の中では維持できないので関係ない。

 

俺は白く煙った世界を駆ける。真っ直ぐ、キーリに向かって。

 

熱変換による迎撃は来ない。

 

やはり俺の予想は当たってきた。

 

キーリは目に見えないほど微細な上位元素を、辺り一帯に展開していたのだろう。範囲がどれぐらいかは知らないが、それはまさにキーリの支配圏。その内側にいる限り、俺はキーリの掌中だ。あの余裕も頷ける。

 

しかし、上位元素が微細であるがゆえに弱点もある。こうして薄い煙に覆われてしまうだけで、小さな上位元素は消滅してしまう。

 

「私の渦炎界(ムスペルヘイム)を見破ったのね———さすがだわ。じゃあ、これならどうかしら」

 

薄煙の向こうで、キーリが笑う気配が感じた。

 

悪寒が走る。ここは死地だと直感が告げ、踵で地面を抉り急制動をかけた。

 

白い煙の中に、黒い粒がいくつも浮かび上がる。

 

それはまるで———地上から空へと落ちる黒い雪。

 

キーリは白煙で覆われると同時に、今度は煙で掻き消されない大きさの上位元素を周囲に展開していたのだ。

 

俺は黒雪が舞う世界に、足を踏み入れてしまった。ここはもう、見えていても(・・・・・・)逃れられない領域。

 

対爆装甲———ウルク73E!

 

俺はとっさに地面へ倒れ込み、自分を覆うように防壁を形成する。これが俺の少ない生成量で、全方位からの攻撃に対処する唯一の方法だった。

 

けれど———赤い光が防壁に亀裂を生む。

 

「っ……!?」

 

響き渡る轟音。全身を叩く熱さと衝撃。何が起こったのか理解できないまま、ごろごろと地面を転がる。口の中に血と土の味を感じ、遅れて激痛が脳を揺らした。

 

全身が熱くて痛くて、どこを負傷したのかも分からない。だが、まだ生きてはいる。

 

(生きているのなら動け! 止まれば死ぬぞ!)

 

自分を叱咤して身を起こし、状況を確認する。爆発で大きく吹き飛ばされたらしく、キーリとの距離は開いていた。キーリの周囲を包む上位元素の粒は、俺のところまでは届いていない。

 

上位元素の生成量はどんな"D"でも限りがある。一つ一つの粒を大きくした分、彼女の言う渦炎界(ムスペルヘイム)を展開できる範囲は狭くなったのだろう。

 

戦闘態勢を取ろうとして、左腕が動かないことに気付く。見れば防壁の破片が深々と肩に突き刺さっていた。ぽたぽたと左腕を伝わった血が地面に落ちる。

 

キーリは勝利を確信した表情で、何かを言っている。だが、爆発で耳がおかしくなっていて上手く聞き取れない。だが、聞く必要はない。

 

(これから、殺してしまうのだから)

 

「はあっ……はあっ……はあっ……」

 

自分の荒い呼吸音だけが耳の奥で反響し、くぐもった感じて聞こえてくる。

 

左肩を中心とする激痛で、頭が上手く動かない。

 

だが何も考えられなくなるほどに、俺の中で空白が広がるほどに、領土を広げるモノがいる。

 

「はあっ…………はあっ…………はっ…………はっ…………」

 

徐々に呼吸の間隔を長くしていく。呼吸を鋭く、吸気を静かに。

 

俺の自意識が薄れた隙を見逃さず、無意識の怪物が俺の体を支配していく。指先から、心臓の鼓動までをも銃制し、俺を別のモノへと書き換える。

 

「————————————……」

 

最後に深く息を吸い、止める。

 

その時、俺はもう、俺ではなかった。

 

キーリに向かって、ゆっくりと歩き始める。徐々に速度を上げていく。つま先で地面を蹴るたびに、少しずつ加速する。

 

怪訝な表情を浮かべるキーリ。

 

黒雪に包まれた領域へ足を踏み入れれば、先ほどと同じ結果になるのは目に見えていた。

 

だが、俺ではないモノは無造作に、真正面から獲物(・・)に迫る。

 

左手が熱い。怪我を負った肩ではなく、手の甲が焼けるように熱かった。

 

理由は分からない。考えられない。

 

だが、俺の力を掌握した"悪竜(ファフニール)"は、全てを理解しているはずだ。

 

その上で、キーリを殺す最も簡単な方法(・・・・・・・)を選択し、実行しているに違いない。

 

(走り出す)

 

最大速度で、キーリの渦炎界へ侵入する。

 

表情を険しくしたキーリが何かを叫んだ。視界が赤い炎で覆われる。上位元素(ダークマター)から変換された熱エネルギーが、大気を焼く。

 

だが……止まらない。

 

"悪竜(ファフニール)"は爆炎を突き破って、地を駆ける。

 

痛みはない。熱さも感じない。

 

感覚が麻痺しているのか、それとも俺は爆発をものともしない怪物になってしまったのか。今の俺には分からない。

 

時折、小さな白い光が視界の中で瞬くが、その意味も理解できない。

 

キーリの表情が驚愕に歪んだ。

 

「なん、で———っ!?」

 

距離が近づいたことで、初めて声が聞こえた。

 

応じるように、"悪竜"が咆える。

 

「があああああああああああああああっ!」

 

言葉など、もはや無意識。必要なのは、獲物を狩る鋭い牙だけ。

 

咆哮を上げながら、右手で左肩に刺さった防壁の破片を引き抜く。傷口から溢れた血が、辺りに飛び散る。

 

渦炎剣(レーヴァテイン)っ!」

 

キーリが手を翳し、赤い閃光を放った。

 

恐らく、俺の対爆装甲を破った攻撃だろう。

 

しかし"悪竜"は回避動作を取らず、無造作に右腕を振るった。

 

またしても白い煌めきが垣間見え、一瞬だけ景色が捻じれる(・・・・)

 

すると赤い光は奇妙に軌跡を歪めて、明後日の方向へ飛んで行ってしまった。

 

「その力、まさか"白"の———」

 

呆然とするキーリの壊へ、牙を剥いた"悪竜"が潜り込む。

 

そして、血が塗れた鋭い破片を振り下ろし———。

 

 

 

……穂乃花……!

 

 

 

———俺は(・・)その切っ先を、キーリの体に深々と突き立てた。

 

右手に、肉を抉る感触が伝わってくる。

 

「ごほっ……」

 

キーリが血を吐き、その飛沫が俺の頬に掛かった。生々しい生命の熱と血の香りに"悪竜"から自分を取り戻した俺は、ざらついた不快感を覚える。

 

「がはっ、こほっ……けふっ…………ふ……ふふっ……嘘吐き」

 

口元から血を垂らしながら、キーリが笑った。

 

「…………」

 

俺は何も答えない。キーリの腹部から流れ出る血の温度を感じながら、自分の甘さを呪う。

 

「殺すって言ったのに……直前で急所を避けたわね……どうして?」

 

「……手元が狂ったんだよ。それに急所じゃなくても、かなりの深手だ。すぐに処置をしないと出血多量で死ぬ。だから———投降しろ」

 

キーリはここで殺すべき相手だと、俺の直感が告げている。

 

それでもギリギリで"悪竜"を止めてしまったのは……穂乃花の微笑みを思い出してしまったからだ。嘘だったと分かっていても、その時に抱いた感情までは消し切れない。

 

「ふふっ……優しいのね。でも、その優しさは無意識よ。たとえあなたが心臓を貫いていても、結果は同じだったんだから」

 

キーリは俺の耳元でそう囁くと、トンッと手で俺を突き放す。そして腹部に突き刺さった防壁の破片に手を伸ばした。

 

「待て! 抜くと出血が———」

 

俺は制止するが、キーリは構わず破片を抜き取る。傷口から血が溢れ出て、ボタボタと地面に赤黒い染みを作った。

 

だが傷口の周辺に黒い上位元素(ダークマター)の塊が湧き上がった途端、出血が止まる。キーリが血を拭うと、そこにはもう傷はなく、白い肌が覗いていた。

 

「そんな……」

 

呆気に取られる俺を見て、キーリは肩を竦める。

 

「どう? 生体変換ができるっていうのは、こういうことなの。私を殺したいなら、ここを狙わないと」

 

トントンと指先で自分の頭を叩いて、薄く笑うキーリ。

 

「くそっ」

 

仕切り直しかと、俺はふらつく足で後退する。

 

「そんなに焦らなくていいわよ。できれば私がティアを穏便に連れて行きたかったけど、そろそろ時間切れみたいだし」

 

だがキーリは、戦闘態勢に移行する俺を見て苦笑を浮かべた。

 

「ここまで滅茶苦茶しておいて……穏便に、なんてよく言えるな。それに……時間切れだと? いったい何のことだ?」

 

どういう意味か分からず、俺は構えを崩さぬまま問いかける。

 

「私はね……これでも"D"の損害を最小限に抑えようとしていたの。けれどあなたたちが邪魔したせいで、彼女(・・)は痺れを切らしたみたい」

 

ズゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥン——————……!

 

キーリがそう言った直後、大地が揺れる。視線を上げると、ずっと動きを止めていたヘカトンケイルが、こちらへと体の向きを変えようとしていた。

 

「っ……ヘカトン、ケイル———」

 

「ティアは私が確保するからと、彼女には持ってもらっていたの。けれど、もう自分で動くことにしたらしいわね。覚悟しなさい———彼女は私みたいに優しくないわよ?」

 

彼女? 待ってもらっていた……だと?

 

「……お前とヘカトンケイルは、どういう関係なんだ? あれは……お前の架空武装じゃないのか?」

 

俺は青い燐光を放つ巨人を見ながら、キーリに問いかける。

 

俺はヘカトンケイルが誰かの架空武装かもしれないと考え、敵の狙いがティアだと推測した。だが先ほどの言い方だと、ヘカトンケイルは少なくともキーリの制御下にはないように聞こえる。

 

「ふふっ———まさか、さすがの私でもあんな巨大な架空武装は作れないわ。というか……あなたにはもう、彼女のことを色々と教えてあげたはずなんだけど?」

 

「もう……教えた?」

 

「分からない? 察しが悪いわね」

 

皮肉げに笑うキーリ。

 

はぐらかされているのか、真実を口にしているのか、判断ができない。

 

だがこの様子では、ヘカトンケイルはやはりドラゴンと見なした方がいいのだろう。

 

ズゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥン!

 

そして、またしてもミッドガルが鳴動する。ヘカトンケイルが足を踏み出したのだ。俺たちのいる方へと向かって———。

 

その光景は三年前を否応なく思い出させる。俺たちの町へと向かってきたヘカトンケイル。無慈悲に響く破滅の足音。あの巨体が近づくほどに、夜空は狭まっていく。

 

……結局、あいつを倒さなきゃいけないわけか。

 

俺がヘカトンケイルの方に気を取られていると、キーリは近づく。

 

「バジリスクを上陸を許せば、こんなものでは済まないわ。全ては塵に還り、誰一人生き残れない。だから私は多くの"D"が損耗してしまう前に、ティアを連れて行くつもりだったのよ。彼女(・・)よりも優しい方法で」

 

真面目な口調でキーリは語り、ヘカトンケイルをちらりと見上げた。俺たちのことを心配している風にも聞こえるが、やはり"D"を資源としてしか見ていないのが伝わってる。

 

「余計なお世話だ。俺たちはバジリスクを倒して、ティアを守る」

 

「だったらまず、彼女を何とかしないとね。私は巻き添えで潰されてしまう前に、退散させてもらうわ。中枢を破壊されて一時的にダウンした環状多重防衛機構(ミドガルズオルム)も、そろそろ別ルートで再起動する頃でしょうし」

 

キーリはそう言うと、炎を纏って空へと舞い上がる。空気ではなく、燃焼噴射を物質変換で作り出して飛んでいるのだろう。

 

上空から俺を見下ろしながら、キーリは言葉を続ける。

 

「一つ忠告しておくわ。彼女は———お母様は優しくないから」

 

お母様……?

 

そう言えば穂乃花は、母と一緒に世界中を回っていたのだと言っていた。それはまさか、ヘカトンケイルのことを指していたのだろか。

 

徐々に高度を上げていくキーリに、俺は問いかける。

 

「キーリ……お前はいったい、何者なんだ?」

 

人間の脳では処理しきれないという、生体変換を使いこなし、さらにヘカトンケイルを母と呼ぶ少女——-とても普通の"D"とは思えない。

 

「さあ、私は誰なのかしら。もしよかったら、あなたが決めてくれない?」

 

「……答えるつもりはないってことか」

 

「別にはぐらかしているつもりはないんだけど……まあいいわ、じゃあね———もしも三年前と同じことが起きたら、またどこかで会いましょう」

 

そう言ってキーリは、赤い軌後を描いて星空へと昇っていった。

 

キーリは俺が三年前にヘカトンケイルと戦ったことを知っているのか?

 

多くの疑問が渦巻く。




いかがですか?次回、ヘカトンケイル戦に決着がつきます。お楽しみください。

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